2012年11月アーカイブ

今日(11/28)、知人の家で何気なく見て居たTV番組で素晴らしいお年寄りを見た。

なんと、御年91歳、大正15年生まれで現在1日2,000アクセスもあるブログを毎日書いて居ると言う。
それも、その日書いた素晴らしい絵を添えて。(TV朝日:「なにこれ珍百景」より)

帰宅して、アクセスして見て改めて感動した。
百聞は一見に如かず、今日のブログ・コピーを見て頂いた方がわかり易いでしょう。

A2.jpg

いかゞでしょうか?

絵も素晴らしいが、文章もすばらしい。

絵にも文章も“詩”(うた)を感じる!  金子みすずの詩を読んでいる様な。

 

現在のブログは 「さっちゃんのお気楽ブログ 2」 で、以前のブログは 「さっちゃんのお気楽ブログ」 
へ、アクセスをして見て下さい。

※ 以前のブログ、 「さっちゃんのお気楽ブログ」 は本にもなっている様です。

 

80歳からパソコンを初め、ブログ歴は6年目とか、「百歳までは続けたい」 と言っていた。

ひょっとしたら脳年齢は40~50代じゃ無いか? と思う位だ。

 


 

 

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11/20久し振りに友人とのスケジュールが合い、「冬桜」見物のワンデードライブに行って来た。

今回の目的地は、群馬県と埼玉県の県境2ヶ所にある、「冬桜」の名所巡りと「日帰り温泉」である。

目的の「冬桜の名所」2ヶ所とは、ひとつは群馬県藤岡市(旧・鬼石町)の【桜山公園】、もうひとつ

は下久保ダム(別名:神流湖)を挟んだ対岸にある埼玉県神川(かみかわ)町の【城峯公園】。


両公園については以前のブログ 「紅葉と桜の競演」 でも紹介しましたのでそちらもご覧下さい。

日帰り温泉は、帰路・城峰公園と同じ神川町にある【白寿の湯】で温泉を楽しんで来た。

何はともあれ、今年の 【冬桜と紅葉の競演】 をご覧頂きましょう!

※ 掲載の写真は、パンフレット抜粋分を除き、すべて 2012-11-20 に撮影したものです。

 

【桜山公園】

   ♦ 日本庭園付近
2012.11.20A -  004 鬼石・桜山公園.JPG

     ここの桜は1分咲き程度、紅葉は少し散り始めた所だが最高の紅葉狩り日和。

2012.11.20A -  002 鬼石・桜山公園.JPG

 

2012.11.20A -  040 鬼石・桜山公園.JPG

 

   ♦ 日本庭園上の展望台付近
2012.11.20A -  007 鬼石・桜山公園.JPG

     日当たりの良い所で2~3分咲き位?

2012.11.20A -  032 鬼石・桜山公園.JPG

 

   ♦ 頂上付近   白い山茶花とモミジのコラボ、他に赤や桃色の山茶花も咲いていた。
2012.11.20A -  015 鬼石・桜山公園.JPG

     展望台付近と同様2~3分咲き程度で同じ様な写真になるので、今回の桜は割愛します。
     変りに、桜と紅葉がタイミング良く咲いた時の写真を、公園内で配布のパンフレットから抜粋。

桜山公園(カタログより).jpg

 

【城峯公園】

   ♦ 公園入口付近の紅葉と冬桜(桜は道路の右側)
2012.11.20B -  001 城峯山公園.JPG

 

   ♦ 産地直売所前、キャンプ場入口・満開の「冬桜」と紅葉。

2012.11.20B -  034 城峯山公園.JPG

2012.11.20B -  009 城峯山公園.JPG

2012.11.20B -  031 城峯山公園.JPG

 

   ♦ 展望台から下久保ダム・桜山公園方向
2012.11.20B -  021 城峯山公園.JPG

 

   ♦ 「桜山公園」ズームアップ   桜が満開になると、山の正面の斜面が白く染まる。
                      第一広場=売店や駐車場などのある場所は、山頂の向こう側。
2012.11.20B -  020 城峯山公園.JPG

 

【所見】

今年は桜の花が全体に少ない印象がある。 特に標高の高い「桜山公園」の花芽が異常に少ない様だ。
多分、満開になっても例年の1/3位で終わってしまうだろう。

まだ堅そうな蕾みもかなり観受けられたが、大半は今年咲かずに来春まで持ち越すのではなかろうか?

「城峯公園」の冬桜も花の数は少ない様だが、今が満開だと思う。 こちらは多分、例年の7割以上咲
いたものと考えられる。

「桜山公園」と城峯公園の桜の咲き方の違いは標高差の違いと思われるが、蕾み数の減少はやはり今年
の夏の異常気象が原因なのではないだろうか。

いずれにしても、桜の満開と紅葉の盛りが時を同じくしてくれるチャンスは、中々無いと言う事の様だ。

 

晴天に恵まれた上、晴れ男の友人の奥さんが用意してくれたオニギリや惣菜も美味しかったなー!

特にオニギリと玉子焼きに感激。
オニギリは、程よい硬さと食感を保つ配慮 (焚き方は勿論、多分握ってから十分に冷まし余分な水分を
発散させてから包むなどの) がされていたし、玉子焼きは甘すぎない味付けが懐かしかった。

最近は何でも甘くすれば美味しいと勘違いした料理に慣らされている人が多いが、本当の美味しさとは
この様に自然の風味を生かす事だと思う。

友人の奥さんの、普段から身に付いている自然な手順だろうと思う美味しい手料理に、改めて感謝!

 

【参考資料】

1.地図  藤岡市と合併前の地図ですが、かえってわかり易いでしょう。
      道は広くなったが、幹線ルートなどはほとんど変わって居ない様です。

鬼石周辺図 (A).jpg

     城峯公園へはR462から下久保ダムの堰堤を渡るルートが一番わかり易いでしょう。

2.Googl  Map
桜山&城峯.JPG

 

3.今回のドライブの参考コース及び参考時間

  ▼ 出発地:千葉県印西市(5:15AM)→常磐・柏IC→三郷JCT→大泉JCT→関越・花園IC
     →小前田→美里町→R254→児玉町→R462→鬼石→桜山公園・第一広場(7:20)

      ( 公園散策・撮影など )

  ▼ 桜山公園発(9:10)→鬼石→R462→下久保ダム→城峯公園着(9:45)

      ( 公園散策・撮影など )

  ▼ 城峯公園発(10:15)→下久保ダム→鬼石→「白寿の湯」着(10:50)

      ( 温泉及び食事休憩 )

  ▼ 「白寿の湯」発(14:10)→R462→児玉町→(以降逆ルート経由)→印西市着(17:05)

        ※ 全走行距離=402km、

 

【余談】

  「駐車場」

     今回、私達は早出をして現地到着が早かった為、「桜山公園」・「城峯公園」いずれも
     出入りに苦労する事は無かったが、特に「城峯公園」を出る時には後から来た車の駐車
     スぺ―ス待ち車列が30~40台位になり、整理員の話では、後ろの車は1時間以上待
     つだろうと言う事だった。

     「城峯公園」は駐車場が小さい事と、道路が狭いので、時間のゆとりと譲り合い運転を
     心掛けてください。 (強引な運転は事故やトラブルの元になります)

  「白寿の湯」

     地下750mから湧き出て来る天然温泉で、地中から出た時は透明だそうですがすぐに
     鉄分などが酸化して茶色に変色するとの事で、浴槽内は明るい茶色のお湯でした。
       (神経痛・筋肉痛・慢性消化器病などによく効くそうです)

     外観その他は一般的な「日帰り湯」と言った所ですが、最近は遠くから来られるリピー
     ターが増えて来ているとの事でした。

     念の為、TELをメモして置きます。・・・・・・ 0274-52-3771

 


 

 

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【自然は(偉大な)アーティスト】使い古された言葉だが、趣(おもむき)のある言葉だ。

私は昔、山歩きが好きだったせいか、地図とか航空写真を眺める事が好きになった。
最近は便利になって、自宅に居ながらにして世界中の好きな場所の俯瞰写真と地図が、地域に依っては
10m以内の分解能で見る事が出来るのである。  素晴らしい、技術革新のなせる業だ!

言うまでもなく、世界中を写真とリンクして網羅している地図ソフトと言えば今の所 Googl Map しか
無い。  そこで、今回は Googl Map の写真を「アート」の視点で見た美しさに触れて頂きましょう。

 

「地球アート・コレクション」

 

1.【彷徨える(さ迷える)大河】 (出口はどっち?)

   ♦ 彷徨える大河、大河の一部だけを見ても行方がわからない
地球アート・迷う河.jpg

    ※ シベリアの一部 (どちらが上流か、おわかりですか?)

 

2.【飛翔する龍 : ドラゴン】

    ♦ 空気を切り裂きながら飛翔するドラゴンをイメージ
地球アート・飛翔するドラゴン.jpg

   ※ シベリアの一部

     今年の干支は辰=龍、ドラゴンに似ているから切り取って見たが、イーグルに見えなくもない。

     間違っても、“ドジョウ” には見えませんよね!
                 (特に「近いうちに」 なんてドジョウには! ・・・ ハハハ )

 

3.【龍の尻尾(しっぽ)】

    ♦ 枝分かれした尾根筋を龍の尾に見立てゝみた地球アート・ドラゴンの尻尾(シベリア).jpg

    ※ 谷筋の雪に見え隠れする湖沼群のブルーが美しい。 シベリアの一部

 

4.【樹氷】

    ♦ 落葉樹の枝に柔かな乾いた雪が降り積もる、そんな時の「樹氷」のイメージ
アラスカA 地球アート・樹氷.jpg

    ※ アラスカの海岸沿いの風景

 

【地球アート】の魅力

 

 【地球アート】と言う美術のカテゴリーが有っても・・・?!

 

  ♦ 今回は自然をテーマにしてみましたが、色々な【自然美】の発見があり、パソコンが有れば
    誰にでも出来るアートワークです。

    皆さんも新しい【美】を探して見ませんか?

    こんなデザインの入ったマグカップが有っても良さそうだ。

  ♦ 地球はこんなに綺麗なのかと、改めて驚かされる。
    そして、見て美しい場所は又、無防備の人間には、限りなく住み難い場所でもあった。

    そのせいか、Map 作成時に於ける補正作業の手抜きも目立つ地域で、うっかりするとコピ
    ーを重ねて作られた写真もある様ですから、これに騙されない目も必要です。 ご注意を!

    ガガーリンが初めて宇宙から「地球は青かった」と言った頃、恐らくこの様に美しい場所は
    南半球にも多々有った事と思うが、今は残念ながら同じ拡大率(5km~50km/スケール
    位)で眺めて見て感動させてくれる自然アートは南半球では、中々見付からなかった。
     (最も、画像の解像度が悪かったり、合成処理が悪くアートにならない所も多い)

    しかし、南米大陸は、ほとんど南端まで人工の痕跡があり、アマゾン流域もほとんどが入植
    の痕跡だらけになってしまっている。
    アフリカ大陸も緑の大地はやはり人工的な何かが意外に多い、ユーラシア大陸・北米大陸
    ともに北緯45度以南は人工美の情景は多いが、地図から自然美を探すのは中々難しい。

    ※ 今回は別な構想の関係で、オーストラリア・ニュージーランド・南極と有名山岳地域は、
       サーチしておりません。

 

【ちょっと辛口メッセージも込めて!】

 

もしかして、もうお気付きの方も居られた事と思いますが、初めの2枚の写真は現在の政局に対する
国民のひとりとしてのメッセージも含めてみました。

 

1.【彷徨える大河】

    皆が同じ「近い内解散」の目線でしか考えない政局、同じ文言の応酬を繰り返す政治
    屋達に、この大河を眺める自分に立ち返って、「出口を求めるにはもっと高所からか、
    或いは思い切って大河の中(現場)に入って行く政治家になってって欲しい」
    とのメッセージを込めた。

          (議員たちよ、政治屋から政治家へ!)

2.【飛翔する龍】

    皆が我が身の事しか考えて居ない政事屋達、魔窟と化している国会の霧を切り裂いて、
    すゝむ龍の如き政治家へ変身を願う気持ちを重ねて、このアートを選んだ。

          (議員たちよ、政治屋から政治家へ!)

    今の日本、こんな事をやってる場合じゃないはずなんだが・・わかって居るのかねー!

3.【龍の尻尾】と【樹氷】

    本来の【美】を求めた切り出しアート。 特にメッセージはありません。

4.【独り言】

    今迄の空転は誰のせい? これ迄の約半年、まったく立法の府としての機能が働かず、
    ついに地方交付経費などの遅配と言う異常事態まで出す不始末まで起こしてしまった。

    この責任は与野党どちらにもある。 従って、このペナルティは共通に支払ってもら
    うべきものだ。

    本来ならば、これから行われる選挙費用の全額を与野党で負担し、国庫からの出費額
    相当を、遅れている3.11被災地救済に廻すのが、一番納得できるペナルティだ。

    しかし、これはまず無理だろう(再び責任のなすり合いで国会空転する事が火を見る
    より明らかだ)から、 政党助成金の2割返還を求め、それを被災地に廻す。
    それだけでもかなりの金額になり、自然と議員定数削減の追い風になるのでは?

    と、思うのだが?

 

    昨日(11/13)、新党「太陽の党」が結成された。
    「お!石原新党では無く岡本太郎の太陽の塔からか!」と、思いきや「何!(自分
    の作品の)太陽の季節からとった党名だとー!」、 売名行為そのものでは無いか!
    これなら「石原新党」の方がまだ政党らしい。
    「尖閣問題ではよくやった」 と思っていただけに新党を楽しみにして居たのだが?
    ハテ! 石原新太郎、頭の中まで、凡人に戻ったらしいねー。

 

    こんな事を繰り返して居る様では、やっぱり議員たちの通信簿が必要だと思うね!

 


 

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11月に入って1週間、【八海山倶楽部】のアクセス解析をして見た

すると、面白い結果が見えた。(もちろん、すべての週がこの傾向と同じでは無いと思うが?)

先週11/1(木)~今週11/7(水)迄の1週間を分析して見ましょう。

 

1.【時間帯別分析】

   ♦ 主婦層に愛読者層が多い、らしい?
時間別アクセス解析.JPG

 

 

朝7時~8時台、10時台、12時台、15時台
と、4つのアクセスピークが見られる。

一方、17時以降に増えるアクセスは一般のサラ
リーマン&サラリーウーマンや学生などのアクセ
スと思われる。

この、17時以前の4つのピークのアクセス数を
併せると1日相当総アクセス数の 約 35%がこ
の4つのピークに集まっている事になる。

実は、このピーク、一般的な主婦の何かにピッタ
リと同期する

朝7~8時台
    朝食の時間が終わった頃

午前10時台
    掃除・洗濯等が一段落した頃

昼、12時台
    お昼が終わった(子供の昼寝の)頃

午後3時台
    幼稚園や小学生の帰宅時間前後

 

もう、改めて書くまでもなくお判かりの事と思
いますが、ある意味“ホッ!”と出来る時間帯
これがアクセスピークを作ったと考えられる。

 

これは予想外の結果だった。

 

 

奥様方のチェックが多いとなれば、あんまり
「ナマズケねえ(Hな)」 話は後でオッカネー
(怖い)ぞー!

最近のオンナショ(女衆)はパワーがあるから
ねー!

  え! 昔からだって? ・・・・ ご最も!

 

 

 

2.【曜日別分析】

   ♦ 予想外! 土・日・月のアクセス数より、火曜~金曜のアクセス数が多かった!
曜日別アクセス解析.JPG

これは、一体何を意味するのか?

今の季節は行楽シーズン真っ只中。
【今度の週末・何処に行こうかな?】と言う訳で、
火曜日あたりから色々なキーワードで検索する人
が増える。

そして木曜日あたりが計画立案のピークとなる。
そして金曜日あたりから行楽に出かけたり出掛る
準備等の為アクセスせず、件数が減る。
そして土・日或いはプラス月曜日で出かける為に
土~月のアクセス件数が減る

と言うアクセスパターンが見えて来る。

 

季節の移り変わりに伴って行楽から別のテーマに興味も移って行くはずで、アクセスの動向も
当然変わって行く。

今回は、東京都心のビュースポットや風景の絵や写真・旅の記事などが役に立っていた様だ。

 


 

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意外でしょうが! 八方尾根からのパノラマ写真からご覧頂きましょう。

 

【八方尾根から 「八海山」 が見える】

みなさん! 長野県白馬連峰・唐松岳山麓八方尾根から、新潟県南魚沼市の「越後三山」が見えるって、
いや、「八海山」が見えるって知ってましたか?

見えるんです、1年に何日かは肉眼でも見えるんですよ! 特に残雪のある季節の、よく晴れた日は
とっても見付け易いんですよ!

  ♦ 八方尾根第一ケルン付近より   (撮影 : 2007.05.21)
      --標準撮影--
2007.05.21 八方尾根・第1ケルン周辺からの越後三山 1.jpg

     --約12倍ズーム-- 【越後三山 : 越後駒ヶ岳・八海山・中の岳】の総称2007.05.21 八方尾根・第1ケルン周辺からの越後三山 2.jpg

え、 「越後三山じゃなくて八海山ではないか?」って? そう、「越後三山」全体で「八海山」の様に、
      形が似てるんですよねー。

でも、次の写真をご覧下さい。 同じ日の午後、同じ方向、十日町からの写真です。

  ♦ 十日町市北鐙坂(あぶみざか)付近からの「越後三山」
2007.05.21  十日町からの越後三山.jpg

こんな風に越後三山の中でも前に見える事から、八海山の事を「前山」もしくは「前岳」と、
呼んだ事もあるとの事。

「百名山」2峰を従者として引き連れた「八海山」の堂々たる姿は中世ならずとも信仰の対象にしたくなる、
 もしも、深田久弥がこの角度で越後三山を見て居たら、百名山も入れ替わって居た事だろう。

と、前振りが長かったが、手前に見える魚沼丘陵の向こう側、八海山の麓に広がる旧・「城内村」、
この “のどかな村” が今回のテーマの舞台です。

 

【現在の旧・城内村・全景】

  ♦ 魚沼スカイラインよりの俯瞰写真
    (魚沼スカイライン:魚沼丘陵の尾根道、魚沼盆地や山岳展望のドライブウエイ)2007.05.21  N-002 魚沼SKL (B)A.jpg

※ 旧城内村とは、写真の中の、三国川(サクリゴウ)と魚野川に囲まれた八海山の麓の地域。
   現在では南魚沼市の一画となっています。
   八海山スキー場のロープウエイは通年運転で、10月中旬~11月上旬は紅葉が綺麗ですよ!
    (勿論、登山にも便利)

 

【キーワードは 「藤原(ふじわら)」】

ここ南魚沼市には昔からの大きな城下町でも無いこんな小さな地域の中に、何故か古来からの由緒を持つ
寺社が寄せ集まっている。
その中でも六日町を中心とした私達の生まれ故郷の寺社の縁起を信じると、どうやら「大化の改新」の中
富鎌足=藤原鎌足のルーツ
に繋がるハナシらしい。

ま、神社・仏閣の縁起などは、大部分が捏造されたりその時々の権力者や政治のはざ間で改ざんされて、
真実は曲げられている前提で考えなければならない。 が、逆の見方をすれば、真実も含まれている可能
性もある訳だ。

今回はプライベートに色々調べた程度であるが、私達の生まれ故郷にある「藤原」と言う部落名のルーツ
について探って見たい。

その前に、ここで言う【部落】は【部落差別】とは、一切無関係です。誤解のない様にお願い致します!
従って、【〇〇部落】とは住居表示と同様に、居住エリアの区別に使っている以外の意味は有りません。

話を元に戻します。

まず、現在の私達の故郷がどんな所かイメージを描いて頂きましましょう。

  ♦ 南魚沼市観光協会発行のパンフレットより
周辺マップ.JPG

上図中、城内村とされるエリアは、左回りに、八海山・六万騎山・魚野川・三国川・高倉山・阿寺山
に囲まれた地域です。
そして「藤原部落」は、図中の高倉山の上に〇で囲んだ “法音寺” と表記されている地域にあります。

昔からそのルーツについては 「平家の落人説」、「後三年の役の落人説」、或いは 「藤原摂関家の
関係者ルーツ説」 等々、色々な説がある。

ここでひとつ一つを検証して行くつもりは有りませんし、これが正しいと言える物証も乏しい。
そこで、細かい検証作業は専門家に任せるとし、今回はみなさんにもそんなルーツ説に触れて頂いて
この地を旅する時の参考にして頂ければ幸いです。


また、歴史を紐解いて行く過程で、物証の無い所を推理して自分なりに歴史を紡いで行く作業も結構
楽しいものです!

 

【「文献、記録」・「寺社の縁起」等】による歴史

1.「城内郷土誌」による年表・・・・昭和34年度編纂版による。

  ♦ 年表・関連部分抜粋 ・・・ コピーの為、見にくい点はご容赦願います
城内郷土誌・年代表-01.JPG

この郷土誌編纂では、明らかに違うと確認されたものは除いているが、口伝なども細かく拾い上げており、
資料としはて心強い。

口伝もまた、真実のヒントを含む場合が多いと私は思っている。

 

さて、この年表を見ると、「西暦272年、清原政次と言う人(神職と思う)が氏子8苗を引き連れて大和
・豊明の里より八海明神を奉じてこの地に移住して来た」と言う項目で、城内史は始まっている。

この時の8苗とは、岡村・貝瀬・上村・北村・遁所・行方・山崎・山本の8姓だそうだ。 しかし、3世紀
後半、卑弥呼が亡くなったと言われる西暦249年からわずかに23年目、大和政権も生まれたか否かと思
われる時代、大和の国から8苗の氏子を連れて移住をして来る神職が居るとは考えられない。

また、清原姓も8苗姓も、西暦272年時代の氏名(うじな)としては近代的過ぎるのも違和感がある。

従って、この逸話は明らかに後世の人の捏造だ。

 

9世紀中頃(856年)、「大地震により、峯八海社倒壊」。 10世紀(913年)、「暮坪に峯八海遥拝の
場所として里宮を建立」 とあるから、古く見積もってもこの頃作られた逸話であろうと考えられる。

ただし、八海明神信仰(木曽・御岳の八海山など各地に八海山と命名された修現場が作られた)は、山伏達の
活動とリンクして、4~5世紀位から活発になっている。
大地震で倒壊した【峯八海社】は彼等山伏達が建立したものと推測される。(場所は暮坪か?)

実は、暮坪と言う現在の地名の場所をその地であるとするには疑問を拭えないのだが!
何故なら、八海山を遥拝するはずの【峯八海社】を、最初からわざわざ手前の山で八海山が見えなくなる位置
に「社」を建てるだろうか? と言う疑問が湧く。

「八海山」 遥拝の地としては、むしろ、後述する 「藤原の裏山(飯盛山)柳平=行基菩薩が草庵を結んだと
言われる場所」では無いかと考えて居る。 そう、【法音寺】 発祥の地。

それならば、なぜ今の暮坪の地に移ったのか? これについては今回のテーマとは離れてしまう為、また別の
機会に考えて見たいと思う。

 

余談ではあるが、西暦856年の大地震と言うのが気になる。
もしかしたら2004年10月16日の新潟県中越地震と同じ震源では無いかと思う。

 

次に、西暦731年~743年の記述、これが今回の最大の謎。
もしも、記述が真実であれば、こんなヘンピな城内村、或いは南魚沼市は、古代史の名刹を抱えた歴史的
地域だった事になる。

 

2.「藤原部落」と「法音寺」

  ♦ 現在の 「法音寺(ほうおんじ)」 と 「藤原(ふじわら)」 周辺地図
城内地図01C.jpg

地図中央の下の方に、「法音寺」と「亀福寺」と2つの寺が見えるが、この【法音寺】が今回の主役。

そしてその周りの「法音寺と藤原、妙音寺」と書かれた地域すべてを昔は【藤原村】、歴史が下って
合併前迄は【藤原部落】と呼んでいた。

なお、【法音寺】は越後・上杉家の菩提寺だった関係で慶長4年(1599年)会津移封で多くの末寺と
共に会津若松へ、そして関ヶ原後は米沢に移り、現在藤原には僅かに寺としての名跡を残すのみ。
本尊その他も、春日山・会津を経て山形県米沢市の上杉家御廟所のある現在地に移された。

  ♦ 【法音寺】 縁起、冒頭部分抜粋(城内郷土誌より)
法音寺・縁起 AAA.jpg

     ・・・主要部分を要約すれば次の様になるらしい・・・

天平3年(731年)   行基菩薩来たる、現法音寺の裏山「飯盛山」の柳平と言う所に草庵を結んで
             三厳庵 と名付けた。
天平8年(736年)   聖武天皇勅宣により、藤原不比等の子息・藤原政照、堂舎仏閣造営諸国巡見
             の為下向。
天平9年(737年)   藤原政照、この地にて落命(疱瘡の為)柳平から現在の地に移された三厳庵
             で埋葬。聖武天皇の綸旨を賜り、藤原政照の法名から【飯盛山法音寺蜜(三
               ?)厳庵国分寺】 通称【法音寺】と改名・昇格し、仏法興隆の精舎(僧侶の
               修行道場)となった。
               同時に、この地の名前「上河条村」を、藤原不比等の氏名(うじな)を宛て
               て【藤原村】 にせよ!との事で、村名も変えた。
               この時聖武天皇から金一千万両・珠御剣・三千仏の唐絵などが贈られ、妻女
               や藤原房前からも納経その他が寄進されたとの事。
天平11年(739年)    藤原政照の妻女、興福寺精舎にて妙音比丘尼となりこの地に来て、法音寺の
               近く、現在の妙音寺に庵を結び、ここで生涯を終えられた。
               この庵が後に【妙音寺】となり「妙音寺村」の総鎮守となる。

その後、源頼朝から源家繁栄の祈祷を依頼された事から繁城山法音寺】(なぜ「繁盛」でなくて「繁城」
なのかは不明)、そして時期は不明だが八海山法音寺】(多分、会津移封の時と思われる)と、山号が
変遷し、会津移封に伴い、末寺を含むほとんどの寺仏・経本等が会津・米沢に移された為、現藤原には僅
かな鐘堂などを残して現在に至る。

ただ、今回のテーマからは外れるので、山号の件は割愛し、以降は単純に【法音寺】として進めます。

なお、この【法音寺縁起】が起草された時代については、【繁城山法音寺略縁起】の見出しから始まって
いる事から、古くとも 「鎌倉時代」 ではないかと推測できる事をも念頭に、読み解く必要がある。

 

3.「関連資料」

  ♦ 米沢「法音寺」ホームページ (抜粋)
米沢法音寺・縁起 01.JPG

       ――― 以下省略 ―――
 

  ♦ 「雲洞庵(うんとあん)」ホームページ (抜粋) ・・・ 天地人ゆかりの寺

雲洞庵縁起B.jpg

  ♦ 藤原氏系図 ・・・ コンビニで入手の雑誌切り抜き (雑誌名不明)

      (代表的系図でわかり易いでしょう)
藤原氏系図.jpg

  ♦ 藤原氏北家、系図 

    数多く提唱されている藤原家の家系図で、小生が調べた系図に最も近く、より詳しい系図。
    「北道倶楽部」のHPから、主催されておられる岩田様の許諾を頂いて掲載しております。
    詳細は「北道倶楽部」のHP http://www.ktmchi.com/rekisi/cys_41.html  もご参照下さい。

藤原房前家系図.JPG

 

 

【検証】 

1.藤原摂関家と魚沼地方の関係

  場所や設置時期の特定は出来てないが越後・魚沼地方に屯倉(みやけ:大和政権の直営倉庫)が有っ
  た事は、色々な古書に出て来る。
  従って、魚沼地方には屯倉に集める程の穀倉地帯があり、政権直轄の荘園が出来ていた。

  西暦645年の大化の改新でこの荘園が、中富鎌足=藤原鎌足に下賜されたと言う。

  これについては否定するべき材料がない、従って、事実として話しを進める事にする。
  (今回のテーマの時期に藤原一族の誰が引き継いだのかは不明なのだが)

  また、現在の六日町に大河ドラマでも知られた【雲洞庵】(うんとあん:前出の観光パンフレットの
  左下にある寺) があるが、ここも藤原本家由来の寺と言われている。・・・前述、雲洞庵縁起参照。

2.藤原政照とは誰か?

  城内郷土誌では「藤原麻呂」をその人としているが、はたして同一人物か?
  と、言う事で関西在住の知人に調べて頂いていたが、残念ながら最近その知人が亡くなられた為確認
  はできなくなった。  しかし、過去に途中経過の報告で「同一人物だろうと思う」と言っていた。

  もし、「藤原政照=藤原麻呂」だったとしたら聖武天皇の命を受けて諸国巡視と言う事も有りうる事
  であり、或いは陸奥の多賀城から秋田への新道開削で途中、体調を崩しての帰途、領地のこの地で落
  命したとも考えられる。 (実は新道開削は公務として記録があるが、諸国巡視は記録不明)

  死亡原因が天然痘による病死である事、時期が天平9年(737年)7月と共通で、藤原麻呂の記録
  では帰京(藤原京)後に亡くなった事になっているが、天然痘だとすれば、当時は都が疫病蔓延の中
  心地。 家族を避難させる事はあっても、病を押しても帰る(又は帰れた)だろうか?

  疫病であれば、死後すぐに遺体を焼く事も当然だろうし、結果、諸説もまた生まれ易い。
  城内郷土誌中の法音寺縁起にも【彼歯骨等奉南都贈当寺留置示後・・(以降現代訳)・・再度の勅に
  よって当寺を政照の墓所とし、政照の法名を取って法音寺とする・・・】 とある事を見れば、

  天皇の勅により陸奥・多賀城に下向していた藤原麻呂が、多賀城から秋田城までの軍用道路開削指揮
  の途中で痘瘡(天然痘)を発病した。当時痘瘡と言う疫病に苦しめられていた藤原京の為政者達は、
  例え不比等の孫と言えども都への帰京は許されず、藤原家辺境の所領地での療養を名目に上河条村へ
  来て(或いは来る途中)亡くなった。 そこで遺体の焼却(当時は土葬が普通、高貴な家柄であれば
  なおの事)を指示した、そしてその事後処理が問題となる。例え、骨だけとは言え、都に帰すとなれ
  ば彼の従者達も帰さなければならなくなる。と言う事は、再び疫病を都に持ち込むリスクが大きい。
  そこで、苦肉の策として取られた策がこれ。
   【麻呂の遺体は現地で焼いた、お骨は一番近い藤原家の所領地の寺に留め置き麻呂の
     墓所とする、そこに家柄に相応しい寺の格付と村の名前変更を、勅と言う形式で実施しよう】

  とすれば、本来「藤原麻呂」だった人に、(任期途中だったとの)傷を付けたくない誰かが、便宜上
  法音寺関連だけに「藤原政照」の名前を使用していた。 と言う推論も成り立つ。
  これなら「藤原麻呂が藤原京に帰ってから痘瘡に罹り死亡」と言う説も容易に作れる。

  が、藤原麻呂の「天平9年(737年)持節大使に任ぜられ、陸奥・多賀城より雄勝村を経由して出羽・
  秋田城への直通道路開削事業を行い、同年に帰京するが、当時流行していた天然痘にかかり7月13日
  に薨去」と言う記述には不自然な点がある。
  当時の藤原京から陸奥・多賀城(柵)迄の往復日程と出発帰着前後の準備・整理日程、軍用道路開削
  日程それに痘瘡の潜伏期間から死亡までの期間すべての行程を考えると、わずか半年で起こる事象と
  するには無理がある。(例え元日に勅が出たと仮定しても)
  そして、前記「法音寺・縁起」の中で、【・・当寺留置示後帝王自再綸御下為・・】 とあるのは何を
  意味するのか?
  もちろん藤原政照は勅により諸国巡見に出ていた事になっているから再度勅が出ても不思議はない。
  しかし、その内容は別格で、前後の歴史に名前が載らない様な人物、まして僧侶でも無い人物の為に
  国分寺級の寺を建てるなんて有り得ない事である。

  従って、【「藤原政照」とは為政者(藤原本家房前)の都合で便宜上作られた名前】で【藤原麻呂
  が実名
と考えた方が論理的な話として繋がるのではないかと思う。

  不比等の息子4人とも、わずか1年半位の間に全員天然痘で亡くなった事は有名な出来事である。

3.法音寺と行基の関係・・・法音寺開祖説

  これは全くの捏造だ。
  まずは行基の行動範囲、実質的に行基が行動していたのは広く見積っても現在の地理で奈良から京都
  ・滋賀・三重の範囲、彼の弟子達が動いたとしても天平12年(740年)以前、この地に行基の関
  与があるはずが無い。
  行基と聖武天皇の関係が始まったのが天平13年(741年)、天平15年(743年)大仏建立の
  勅で本格的に全国への勧進活動が始まる。
  この地、藤原村に行基の係わりが出来るとしたら、この天平15年以降しか考えられない。
  まして、行基が健在の年代に行基菩薩云々と言う伝承は、自ら捏造を白状している様なものである。

4.藤原村の人々

  藤原で500年以上続いていると言う旧家があるだろうか?
  恐らく城内中を探しても500年以上の系図(文書と言う意味ではないが)を持つ旧家は無いと思う。
  城内と言う所は意外に人の出入りが激しい所の様です、古くは平将門の残党や前九年・後三年の役の
  残党も来たかも知れません。
  しかし、城内はおしなべて人々の入れ替わりが多かった地域らしい。従って、古の名刹も意外に忘れ
  去られてしまったのかも知れない。

 

【「藤原(村もしくは部落)」のルーツ まとめ】

 ♦ 私の考える「藤原」のルーツは以下の通り。

   1. 藤原麻呂(京家)が陸奥平定の為の、多賀城→秋田城間の軍用道路開削中に藤原京で感染し
      潜伏していた天然痘が発病。(天平8年末~天平9年春)

   2. 帰途、都は天然痘が蔓延、療養目的で藤原家所領地の越後上河条村に来たが、ここで死亡。
      しかし、ここで天然痘が流行ったと言う形跡が無い事から、事実は途中で亡くなって、遺骨
      となってこの地へ来た可能性もある。(天平9年7月頃)

   3. 藤原摂関家の政治力で【麻呂】を【政照】に替え、勅(みことのり)と言う形でこの地に祀
      る事にして、その法名をとり【法音寺】を国分寺格の寺院として建立。 (天平9年)

   4. 同年、それまで「上河条村」と言っていた村名も藤原の呼び名に変えて【藤原村】とした。 

   ※   その後の経過については、法音寺縁起の項と重なるので割愛します。

 

【余談】

 始めは奥州藤原氏の流れを有力と思ったり、藤原魚名の名前から魚沼のルーツかも・・・なんて考え
 たりして見たが、やはり天然痘の流行、キーマンの没年と中央の政治的動向などを考えると、法音寺
 縁起の記述が、かなり正確なのでは無いかと思えて来て、上記のまとめとなりました。

 色々と、情報収集にご協力頂いた皆様方に、改めて感謝致します。  ありがとうございました。

 


 

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