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 【ウバユリの花】・・・2004 年7月18日、知床・羅臼にて(爽やかな香りも素敵だった)知床・羅臼の【ウバユリ】 2004.07.18A.jpg

    後にボケて写っているピンクの花はオニシモツケ(シモツケソウよりかなり大きい)

私が初めてこの花に興味を持ったのはこの、写真を撮影した時からだった。

以来、これから梅雨明け1ヶ月位迄の期間に自然に分け入る時は、必ずこの【ウバユリ】の花を

探して歩く事となった。

 

まずは知らない人も案外多い様なので、

【姥百合(ウバユリ)】についての概要 ・・以下【ウバユリ】とする

   植物学的な基礎知識については省略:詳しくはNET検索や山野草図鑑をご覧下さい。

  ◆ 自生環境 ・・・・ 主に山間地の里山境界地で、木漏れ日の入る杉林やナラ・クヌギ等の
              雑木林と自然な小川等の水際周辺を好む様です。

  ◆ 種類 ・・・・・・ 分類上は【ウバユリ】と【オオウバユリ】に分かれるが、背丈が1m
              位で分けられる小振りのものを【ウバユリ】と言い、主に中部以南に
              自生と言われる。
              (実際、岡山県でニッコウキスゲ程度のウバユリの花を見た事がある)

              標高の高い中部山岳地域から緯度の高い東北・北海道には1.5m以上
              の物が多く、2m以上も少なくない。 その為これを【オオウバユリ】
              と呼んでいる。(私たちの故郷に咲く花も、オオウバユリとだ思う)
              しかし厳密には生育環境に依る差であろうと考えられ、外観や花の形
              状などの相異点を見分ける事は難しい。(遺伝子レベルの話は?)

              そこで本稿では便宜上、以降を【ウバユリ】に統一してすすめます。

  ◆ 花期 ・・・・・・ 開花の季節は、およそ『6月中旬~8月中旬』頃、ただし各地域別で
              考えると『梅雨末期から約1ヶ月』位と考えると良いでしょう。

             花は【下の蕾から順次上の蕾へ】と咲き登るものと、逆に【上から下
             へと咲き降りる】ものがある様だ。

              初年度の開花は1~2輪、次の年から3~5~10輪~と増え 一般的
              には20~30輪位咲くと根球迄枯れるらしい。
               例外として、100輪位の花を付け、4~5m位の背丈に延びる
               事もある様で、ネット上でも写真が掲載されて居た。

              また土壌や気温・湿度・日照時間等で、花数や開花時期・期間が変る
              らしく、同じ様な大きさの株でも開花数が変る事がある。

              なお、同じ年に蒔かれた種も発芽に数年掛るものや、発芽して最初の
              開花迄3~5年位かかると聞くが、正確な所は不明。

  ◆ 【ウバユリ】の成長画像 (ネット画像引用で構成)・・・・・ 芽吹き~開花~実~種へ

     芽吹き 種から発芽したばかりの1~2年ものは除外、花芽となるものは葉が複数枚
          出て、この様に巻いた形で芽吹きをする。(発芽数年後から巻く)

【ウバユリ】の成長 (ネット画像引用合成).jpg

 

【ウバユリの郷】・・・越後:八海山の山懐(ふところ)

 

   前置きが長くなりましたが、その【ウバユリ】が今年は我等の故郷で豊作(?)の様だ

   冒頭で触れた様に 2004年にウバユリの花に興味を持ってから、我等の故郷の【ウバユリ】

   について生育の実態を3~5年に一度は調べて見ていた。

   特に故郷の山 “八海山” 里宮(城内口)の森に焦点を当て、毎回調べていたが、4年前に調べ

   た時迄、咲きそうな【ウバユリ】又は咲いたと思われる【ウバユリの実】は多い年でも、

   全体で 7~8本程度しか確認出来なかった。(葉は見掛けるが、花はめったに見掛けない)

   所が、今年5月23日 予定外のスケジュールだったが、ごく調べやすい里宮・社殿周辺と前の

   杉林エリアを調べて驚いた、少なくとも 20~30株位 花を付けそうな【ウバユリの株】

   確認出来た のである。(まだ花芽は立ち上がっていなかったが・・・)

   たったこれだけのエリアに、これ程の株数が見付かったと言う事は、似た様な環境の地域を調

   べたら、更に多くの【ウバユリ】密生地が見付かる事と思う。

   まさに、【ウバユリの郷】と言っても過言ではないと思われる状況でしょう。

 

     ただ、【ウバユリ】は “山菜” としてや “華道の素材” 等としてなどの為に乱獲
     される懸念もあり、投稿に躊躇を覚えて居たが、管理の仕方によっては観光ィ
     ベントの好材料としても故郷の役に立つものと思い
『保護』を検討して欲しい
     気がする。

     もし何も『保護』をしなければ、2~3年で花は見られなくなるでしょう。

 

  ◆ 地理的イメージ   

   【参考 1】 「霊峰・八海山」(登山案内板より)・・・越後三山のひとつ
2017.05.23 -B068A 【ウバユリ関連】 八海山登山案内.jpg

 

   【参考 2】 「八海山・里宮周辺地図」Google Map より
八海神社(里宮)周辺 1.JPG

 

   【参考 3】 「里宮周辺拡大版」〇印のエリアが今回の調査エリア
八海神社(里宮)周辺 2.JPG

 

 

  ◆ 調査結果

       正確には確認数を数えていなかったが、花が咲くと思われる株が20本は確認済で、
       細かくチェックすれば最低でも30本以上が有りそうだった。
       以下【参考 4】に代表的な場所の株を写して見ました。

 

   【参考 4】 「八海山・里宮」の森周辺の代表的【ウバユリの株】
【ウバユリの株】里宮 (2017.05.23).jpg

 

 

もう一つの【ウバユリの郷】

    ・・・・【長森山】裾野、登山道沿い小川の両岸

 

     ここは今年、偶然見つけた場所ですが、調査と言う程調べて無いが登山道の沿道と
     小川の両岸を眺めて歩いただけで20本位が咲きそうで、対岸の林の中にも何本かが
     確認出来た。(多分これからも大きくなる株が増えるでしょう)

 

    【事例 5】 【長森山】裾野・小川沿いに自生する【ウバユリの株】事例

【ウバユリの株】長森山登山口・雪室側(2017.05.23).jpg

 

   ◆ Map 

       【長森山】登山道入口・ウバユリ群生地(〇印の中)
【長森山裾野・MAP】 ウバユリ群生エリア.jpg

 

     そう、ここは清酒「八海山」の 蔵元【八海醸造】が経営する【雪室】の隣接地
     画面右側、黒い屋根の工場が【八海醸造・魚沼の里】。

       ※ この写真は雪室の施設内から五日町スキー場方向
        (写真右、黄色い屋根の向うの森が【ウバユリ】群生地)
2017.05.10 -D041A  【長森山裾野・雪室】 11.30 ・・13・30 頃.jpg

     正面の山に広がるゲレンデが「五日町スキー場」、ゲレンデ中央の 白い建物 が
     スキー場のレストハウス。

     その レストハウスからのライブカメラ がこちら(八海山)を向いて、24時間
     稼働している。
     これは「インディーテクノロジー」と言う地元の企業が運営する【ゆきぐに
      ネット】のサイトで【八海山】に向けての定点ライブがネット公開されている。

   【八海山ライブ】例 A  (2016-12-01 10:00AM)
2016-12-01-10-00.jpg

   【八海山ライブ】例 B  (2016-12-24 10:00AM)
2016-12-24-10-00.jpg

  ※ お気付きですか? (上に掲載の2枚の写真の共通点について) 

    そう、「撮影月が同じ:昨年12月」「撮影時間が同じ:午前10時」そして「画面
    右側山裾の同じ位置から同時に煙が登っている」事。

    これは、この2本の煙り(水蒸気と思われる)が登っている場所のイメージを持っ
    て頂くと、次の Map の理解がし易いのではないかと思います。
    この2本の水蒸気煙は【清酒・八海山】等を醸造する為の仕込みの煙りとの事で、
    【八海醸造(株)】の下記 2つの工場からの煙りです。
       ☆ 中央寄りの煙り・・・・・八海j醸造(株) 魚沼の里(工場)
       ☆ 右端山裾先端の煙り・・・八海醸造(株) 本社工場

    毎年、12月から1月にかけてはお酒の仕込みで毎朝大量の炊飯をするのでこの様な
    煙り(蒸気煙)が決まった時間に出るらしい。 (杜氏さん達の一番忙しい時期)

 

   【八海醸造(株)】関連 Map
八海醸造 (株) Map.JPG

   【五日町スキー場 ⇒ 八海酒造】及び【六万騎山】周辺
八海山ライブカメラと八海醸造の位置関係.jpg

     ※ 参考用に、2本の煙りの位置と五日町スキー場とを直線で結んでみました


   話を【ウバユリ】に戻しましょう。

   今回【第2のウバユリの郷】とした場所のイメージは、上記 【八海醸造関連 Map】
   の【八海醸造・魚沼の里】の北側、「長森山」登山道 がその場所にあたる。

 

 

    えっ

     「新ゴジラ」?って、・・・ 何の事?

 

これはある「道の駅」に隣接した、見応えのある【田んぼアート】のお話です。

 

もう1ヶ月と少し前の6月26日、北海道からの帰りに、もし天候が良かったら 岩木山か八甲田山を
周って帰ろうと函館から最終便のフェリーで青森に渡り、深夜【道の駅 いなかだて】に着いて朝迄仮
眠を取る事にした。

実はこの【道の駅 いなかだて】は岩木山や白神山地や日本海方面と八甲田山や十和田湖方面への中継
地点として、また中間地点として便利な位置に有り、過去幾度となくここで夜明かしをした所でした。

そこで、北海道では殆ど雨続きだった為、天気が良かったら A) 岩木山へ登って(と言っても車で
登れる8合目迄)日本海沿いに帰るか、 それとも B) 八甲田→十和田湖→東北自動車道ルートで
帰るか、 6月27日の朝の天気で決めようとした訳だ。

翌、27日、朝7時頃迄待つも残念ながら「岩木山」・「八甲田山」方面共に黒く どんよりとした雲
に覆われてしまって行く気持ちを挫かれてしまった。
 (9時頃まで様子見をしたが結局晴れず断念)

周辺を散歩してから、東北自動車道でゆっくり帰ろうと言う事にして、改めて道の駅の【案内MAP】
を見て 「そうだ、こゝ田舎館村は【田んぼアート】が有名だったんだ」  と言う事を思い出した。

ここの所、約5~6年ご無沙汰していたせいか、改めて【道の駅 いなかだて】の敷地を散策していた
ら、まったく見た事も無い「立派な展望塔」が建っていた。(展望デッキへのエレベーターまである)

 

 

【道の駅いなかだて】

 

八甲田山系や十和田湖・奥入瀬・酸ヶ湯方面から弘前や岩木山・白神山地、日本海沿岸を旅しようと
する人々なら一度は通過するであろう【国道102号線】沿いの、道の駅
東北自動車道 「黒石IC」 から R102号 に下り、弘前方面に向かって約2.5km 程の 左側に
位置している。

駐車スペースも広く、小生は十数年來のリピーターとしてここをベースに仕事やレジャーで使わせて
もらっている。
今回は、公衆トイレがまだ温水洗浄式で無かった事に少し時代遅れを感じたが、それ以外の点につい
ては清潔に整備されているし、各店舗対応も「おもてなし」の姿勢 は昔ながらの好印象であった。

 

   ◆  田んぼアート展望塔  ・・・・ この塔の右・北側に【新ゴジラ】が・・・
2016.06.27 AN  【青森】 067 田舎館道の駅  (NICON).jpg

快晴ならこの正面(塔の後方)に【岩木山】(別名:岩木富士)が見える。

 

   ◆ 展望塔の上から見た【新ゴジラ】の田んぼアート  (北側展望デッキより)
2016.06.27 AN  【たんぼアート・新ゴジラ】 田舎館道の駅  (NICON).jpg

普通のカメラでは全部が入らない。(18mm位の魚眼レンズだったら入るかな?)

この写真は2枚の写真を合成して作成。 細かく見れば不連続部分も・・・ご容赦を!

 

 

2年前からこんなアートも ・・・ ストーン(石=砂礫による)アート

 

   ◆ 西側展望デッキより : 高倉健 (電車の向こう、雲に隠れている山が「岩木山」
        電車(弘南鉄道線)の向かう踏切の左側が、臨時の【田んぼアート駅2016.06.27 AN  【砂礫アート・高倉健】 田舎館道の駅  (NICON).jpg

 

   ◆ 南側展望デッキより : 石原裕次郎 (大鰐・大館・・・秋田県県境方面) 
                  右端に、「田んぼアート駅」(臨時駅) ホームが見える
2016.06.27 AN  【砂礫アート・石原裕次郎】 田舎館道の駅  (NICON).jpg

この右側、人が4人作業している【田んぼアート駅】(田んぼアート用、臨時駅)前広場には今年、
【石文字のアート】を作るのだそうです。

 

個人的には、【石文字】よりも、このレイアウトなら「美空ひばりアートが似合うと思うけど
なあ! と、つい思ってしまったのだが?

 津軽と言えば「りんご追分」、りんご追分と言えば「美空ひばり」って、 日本人なら多くの人が
 パブロフの犬並みに、条件反射で名前が出て来る程、全国的に有名だ。

 また、レイアウトのバランスとしても女性 高倉健・石原裕次郎並び立てる貫禄を持っている
 人物 としては 丁度つり合いのいい人 だと思うのだけどね!

 

ところで、田舎館村にはもう一ヶ所 【田んぼアート】 が有る

今回は寄らなかったが、「道の駅いなかだて」 から約2.5km程離れた田舎館村役場の前に今年
のNHK大河ドラマ【真田丸】から「石田三成」(山本耕史)と「真田昌幸」(草刈正雄)をモチー
フにしていると言う【田んぼアート】がある。

石田三成の三女が津軽藩の正妻として嫁いでいた事も選択の理由の一つとの事。 
もう一人のモデルが主人公の真田幸村(信繁)ではなく、なぜ真田昌幸なのかについては不明。
恐らくテーマ選定時期のドラマの展開で、ちょうど主役的存在だった人物【真田昌幸(草刈政雄)】
が選定理由ではないかと思うのだが、田舎館村HPの中ではその理由は書かれてて居なかった。

その、第一会場での今年の「田んぼアート」については後述の ライブカメラ・URL からアクセス
してもらえれば 【田植の頃からの経過】 も画像で見る事が出来る。

そのライブカメラは下記掲載の 【田舎館村役場】 展望室(デッキのある櫓作りの部分)に設置。
 

   ◆ 田舎館村役場 (Googie Map より)田んぼアート 第1会場(村役場).JPG

 

 

 昨年の「田んぼアート」 

 

   ◆ 第一会場【風と共に去りぬ】がテーマ : 2015年(田舎館村観光課発行パンフレットより)
2015 たんぼアート 第1会場 【風と共に去りぬ】.jpg


   ◆ 第二会場 (道の駅いなかだて)のテーマ : 【スターウォーズ】 (同上、パンフレットより)2015 たんぼアート 第2会場 【スターウオーズ】.jpg

 

2014年以前

   ◆ 2012年~2014年のアート (田舎館村役場観光課発行パンフレットより)2012から2014 たんぼアート 第1・2会場 【展示作品集】.jpg

 

両会場ともに、ライブカメラが設置されており 自由にアクセス出来ます。

  ライブカメラの URL は http://www.inakadate-tanboart.net/livecam.html

詳細は 上記 URL にアクセスしてご覧下さい。

 

 

参考資料

 

   ◆ 二つの会場の位置関係
       (田舎館村HPより : 道の駅の方には弥生集落の遺構があり、弥生の里とも言う)
田舎館村・田んぼアート会場地図.JPG

 

   ◆ 周辺案内図 (【道の駅いなかだて】 に有った案内図)2016.06.27 AN  【田舎館道の駅周辺図】   (NICON).jpg

 

   ◆ 東北・道の駅 MAPより抜粋 
青森・道の駅 map.jpg

 

その始まりは何気なく撮影して回っていた故郷の棚田の片隅にひっそりと、しかし気高く咲き誇る
数群の野草の群れであった。
 
場所は 新潟県南魚沼市と十日町市を結ぶ国道235号線の沿線、発箇峠(トンネル)から十日町側へ
約1km位下った人家が見え始める直前の、左右に棚田が広がる付近
。  国道235号線両側の田圃の
畦道に生えた ツユクサの群れの各所に、掲載写真の様な風変りな小さな花のツユクサが群れを作っ
て咲いているのを発見
した事から始まった。 (名称:不明)
(普通のツユクサの群れの中に囲まれ、小さな花のツユクサが 0.5~1 ㎡ 位の島の様な小さな群れ
 を作って数ケ所に咲いていた ・・・ その時は国道235号沿いの両脇で、5ヶ所を確認していた )
 
   ◆ 新種? ツユクサの変種?  (2005年8月13日撮影)
           ・・・・・ 写真左後方の大きな花が普通のツユクサの花
2005.08.13 ツユクサ 001 (変種)R253十八箇峠→十日町寄り畔道にて(1280×955).jpg
 
最近では国道沿線の開発が進み棚田の趣も変ったり、人家も増えて来て当時の趣はなくなりつゝある
様ですが、当時は国道の両側に分散して普通のツユクサと混生していた。
 勿論、普通のツユクサは周りり一帯が群生地と言える位に密生していた。
混生と言っても、写真の様に小さな花のツユクサ群の中に、普通のツユクサがポツン・ポツンと咲い
ている状況で、その花の群れの隣には、普通のツユクサの花がやはり群れて咲いて居た。
(普通のツユクサの群れの中にこの小さな個体が混生している状況は無かった・・・数ケ所確認済)
小さい花のツユクサの特徴
   1.花の色が濃い青色である
   2.花びらの先端が丸く萎んだ感じになっている
   3.花の大きさは、普通のツユクサの 1/3~4 位 の大きさ
   4.草丈、葉の形状、色等は普通のツユクサと同じ
   (花以外では、普通のツユクサとまったく見分けが付かない)
などから、農薬等による「突然変異」か?とも疑って見たが、それにしては広範囲の田圃の畔や路傍
に植生が見られ、普通のツユクサも混植して居た。
2005年に見付けた時は深く考える事も無く写真を撮っただけであったが、以来11年間、毎年では 無
いが、この時期になると同じ場所 (付近) や 全国の行く先々で ツユクサを見付けると、探して見て
いるが、未だにあの花同じ花には出会えていない。
従って、農薬などに依る突然変だったのか、あの年だけで消滅したものだったのか、未だにミステリー
のまゝ
です。
 
添付写真では40~50本ほどの花の集団の中に数本だけ、普通のツユクサの花が混じっていたものです。
そんな花の集団が国道235号線の両側の田圃の畔際に計 5ヶ所は有ったと記憶していますが、2年後に
行った時には 1ヶ所 も(1本も)花が見当たりませんでした。(季節は同じ8月上旬)
普通のツユクサは、旺盛に咲いて居たし、大きく土地改良工事をした様子は見られ無かったと思う。
以降、同じ季節に何回か行っているが、やはり R235 沿線で見付ける事は出来ませんでした。
 
もし、花の名前をご存知だったり、何処かで同じものを見つけたら、是非 教えて下さいね!
宜しくお願い致します。
 
 
 
 

今日、古いソフトのメデアを整理していたら Win-XP 初期の頃入手した、昔懐かしいゲーム集のCDが出
て来た。 で、動くかどうか ダメ元で Win-7 今のPCにインストール して見た。

四柱推命や麻雀・上海・花札・その他10種類位有ったが、殆んどが予想通りインストール出来なかったが、
唯一【四字熟語パズル】と言うゲームが動いた。

このゲームは、四字熟語をあるルールに沿って当てながら四角に漢字で敷き詰められたパズルを解いて行くゲ
ーム。  けっこう知らない四字熟語が多く、頭の体操には良さそうだ。

TVを付けながらインストールして、テストの心算で何ゲームか・・のはずが、気が付いたら2時間位。
ふと気が付けば、TV は 東京都議会・舛添問題の集中審議をやっていた。

しばらくTVの集中審議を眺めていたが、相変わらずの舛添節を繰り返すのみで、それを突き崩せない与野党
の質問者にも歯痒い思い
で、再び【四字熟語パズル】に戻った。

しばらくして、とある四字熟語にたどり着き、ハツ !  とした、

 「 舛添さん!

           今の貴方の説明は、まさにこの四字熟語そのものだ!」

「牽強付会」(都知事の説明).JPG

 

  言い訳ばかりでは、増々疑惑がマスぞえ!

これから、ドライブや旅行等の多くなるシーズンになります。 そんな時、参考にして頂けると思われる過去
ログを検索し易い様に整理した【目次検索】についてご紹介します。 
  (特に関東以北方面の情報が多いですが・・・)

過去ログの中には結構参考にしたい、確認したいなどの有意義なデータも少なく有りませんが、特に古い記事
の検索は【慣れないと結構面倒】なものです。

これは「八海山倶楽部」私の投稿記事久'Pageの中で、もう一度見たい記事あそこへ旅行したいが
関連記事は?
などの検索が楽に出来る工夫で、既にご利用の方も多数いらっしゃると思いますが、改めて検
索方法をご紹介致しますので活用して頂ければ幸いです。 
(ただし「目次」は 私の 久’Page オリジナルで、他メンバーのページと共通したものでは有りません)

 

 

 

1.検索手順

 

   A) 八海山倶楽部 TOP画面 
久Page【目次】 操作ガイド 1 (TOP画面).jpg

 

   B) 久'Page のTOP画面
久Page【目次】 操作ガイド 2 (久PageTOP画面).jpg

 

   C) 目次画面 (上部抜粋サンプル)
久Page【目次】 操作ガイド 3 (サンプル).jpg

 

   D) 目次画面から【見たいタイトル】をクリックすると、当該記事にスキップします

 

 

 

2. 現在の目次(一覧表)

   ◆ 2016年6月11日現在  注 : この画像からはアクセス出来ません
久Page【目次】 2016.06.11現在.JPG

柏崎刈羽原発も再稼働へ? 【1】   より続く

 

【立山・室堂】まで【紅葉狩り】に!

もう1ヶ月以上も経ってしまいましたが、古くからの友人の案内で9月24・25日の2日間で、サルが温泉に入ると言う事で有名な 長野・湯田中「地獄谷温泉」に1泊のドライブに行こうと言う事になった。

私はまだ 地獄谷 には行った事が無かったので楽しみにしていたのだが、彼とは3年振りのドライブで二人とも長距離運転は慣れている事も有って、紅葉も見たいとの話と前日TVで立山(室堂)の紅葉が放映されて居た事を見た為、立山(紅葉見物)⇒ 地獄谷 コースで1泊2日(宿は決めずに途中で探す)と、行動範囲が拡大してしまった。(走行距離で4割位増えた事になる)

そんな訳で小生宅の出発を9月24日午前1時半と、深夜に出て立山駅(ケーブル)着 8:00AM ⇒ 室堂・10:00AM頃着と紅葉見学にはベストな時間に着いた。
天候は、時々小雨がパラ付く状態だが、結構見晴しも良く草紅葉や周囲の山並みも見渡せる好条件で、室堂平散策を堪能出来た。

   ◆ 【天狗平・室堂平】周辺風景・・・高原バス車中より撮影
B2015.09.24 -B043BC 立山そうめん滝 (高原バスより).jpg

B2015.09.24 -B062BC 立山 (高原バス) 美女平から室堂.jpg

 

   ◆ 室堂(室堂平)散策

2015.09.24 -C076 立山 (室堂平).jpg

C2015.09.24 -C014C 立山 (室堂平).jpg

2015.09.24 -C082 立山 (室堂平).jpg

C2015.09.24 -C087BC 立山 (室堂平・みくりが池温泉).jpg

 

立山を下山後、称名滝を見て長野に向かった訳だが次の日は殆んど雨となり、サルも山から出て来ない為「地獄谷」は断念して早々に帰路に付いた。

称名滝の帰り、ヤマブドウの蔓があちこちに繁っていたのでブドウの実が有るのかと探して見たらたった1ヶ所だけ熟した房を見つける事が出来た。
残念ながら高い枝の先に繁っていた葉裏に隠れていたもの、手で採れ無いならせめて写真でもと、1枚撮って来た。

   ◆ 称名滝への途中の歩道脇で見付けた自然の恵み
F2015.09.24 -E018BC ヤマブドウ (称名滝途中).jpg

 

その立山も、今は冬籠り直前!  もう雨が降れば雪になる季節に入っていると思う。

その後、【温泉に入るサル】を見たいと長野・湯田中の「地獄谷」にも行ったが、残念ながら増々雨が強くなり温泉に入る為に山を下りて来るサルは居らず、早々に帰途に付いた。

 

と、ここ迄は単なる旅行記でしたが、以下本題に移りましょう

 

 

 

【立山・室堂】は「柏崎」から直線で約120~130km

 

1. 【3.11(福島・原発事故)】に学ぶ事

 

   「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言うのが人間の特性で、これが有るから辛い事にも耐えられたり
     気持ちの切り替えで新しい事にもチャレンジ出来る。
     一方、この特性の為に「同じ過ちを繰り返す」と言うマイナス面も持ち合わせている。

  1)放射性有害物質(放射能)の拡散範囲

    ◆ 福島第一原発からの拡散例(NHK放送大学・特別講座よりのTV画面)
Dscn2504.jpg

    出典:NHK・放送大学、特別講座【未来への教訓 検証・福島第一原発事故】より
    講師:社会技術システム安全研究所 所長 田辺文也 氏・・原子力関連のプロ、著書類も多出

    画像が不鮮明で数字は読みにくい点、ご容赦頂きたい。 またTV画面の右上に3.11震災時
    の転倒傷(液晶不良)が黒く広がり見難い点も重ねてご容赦願います。

    読みとって欲しい事は細かい数字では無く、日常生活を脅かす可能性が有るとされる放射能
    汚染レベル(当時ガイドラインとしては100ミリシーベルト以上)の拡散エリアです。

    上の写真で見ると、2015年10月13日(事故後6ヶ月)経っても高濃度の汚染物質(セシウム
    )が残留蓄積している部分が約200kmも離れた榛名湖や赤城大沼付近迄広がって居る事。

    そして、この影響で「榛名湖」・「赤城大沼」のワカサギ漁については4年後の今年の9月に
    今シーズンもまた、禁漁となりスポーツとしての釣りは出来るが釣った魚(食用)の持ち帰
    りは出来ない事となった。

    セシウム134・137の半減期が長く、また湖周囲の山々からの流入汚染物質で濃縮された物を
    ワカサギが餌にしている為と思われるが、現在の残留放射線レベルは 50~70ミリシーべ
    ルトを平均値として居り、安定して50ミリシーベルトを下回る事が無い為との事らしい。
    つまり、今は安全宣言は50ミリシーベルト以下で安定する事が条件と言う事の様だ。

  2)「福島」の厄災と同じ事故が「柏崎」で起きたとしたら(仮説)

    言うまでも無く、福島第一原発にしても、3月11日と言うあの日からメルトダウンと爆発事故
    が最低3回繰り返し、最低数か月に渡って「地形と季節風・その日の気象」に任せて360度
    の方向に放射能汚染物質が拡散された。

    中でもメルトダウンに伴う3回の爆発は高濃度の汚染物質を高・高度に吹上げ、この時の上空
    の風向きが拡散の濃淡エリアを決定する。
    言い換えれば「季節」「地形」「気象」「爆発規模(汚染物質の吹き上げ高度と量)」に依っ
    て「360度どの方向にでも汚染エリアの腕が延びて行く可能性が有る」と言う事。

    が、前提なのだがこれでは纏め様が無いので福島の事例を重ね併せる事で、厄災に依る影響に
    ついての仮説を想定して見たい。

    【柏崎】で【福島】と同じ季節に同等の事故が発生したとすると!

    この季節の風向きは季節の替わり目の為、厳密に言うと非常に読み難く、360度どちらに向
    かって吹いても可笑しく無い。 が、ここでは「福島」の時とほゞ同じ風向きとして海上方向
    へ抜ける無意味な論議を避ける為、知名度の高い「立山」方向に風向補正して考る事にします。
    ちなみに、2月~3月は時折通常の季節風と逆方向の強風が吹く事が有り、これが昔から日本
    では「東風(こち)」と言われる現象。
    中国史上で有名な古事「三国志・赤壁の戦い」も、この現象が勝敗を決めたとされている。

    話を戻して「柏崎」と「福島」考える前提の為の風向を表示したのが下記掲載のMAP。

   ◆ 【放射性汚染物質・降灰範囲】検討前提 ⇒ 風向定義(地図中の矢印) Goole Map
福島ー1A.JPG

    先に記した通り福島からの矢印は「実際に起きた汚染実態の例」、柏崎で同様の事故が起きた場合
    の一方向例である。(重ねるが、その時の気象や季節風で360度何処へ向かっても不思議では無い)

    そして「福島 ⇒ 赤城・大沼」迄 約180km、「榛名湖」迄 は 約200kmもの距離が60ミリシーベ
    ルト以上の「残留放射能汚染」ベルト地帯となってしまったのである。
    (後述するが、現在厚生省は公表して無い様だが漁協等へは50ミリ以下が安全圏としている様だ)

    この事例を上記掲載の 矢印 通り柏崎に置き換えて当て嵌めると、立山(室堂)迄は直線で 約120
    kmで、「汚染ベルトの到達範囲」を軽く超えた距離である。
    そして、何が起こるか?

    当然、室堂一帯の汚染に対する直接的影響は、勿論だが、観光地としての風評被害が一番大きな、
    ダメージになるだろう。

   ◆ 柏崎刈羽原発を起点とした直線距離イメージ (Mapion 3DMap に作図)
柏崎周辺地形図 C (Mapion 3Dmap より).jpg

 

        

            ◆ 福島第一原発➡赤城・大沼/柏崎刈羽原発➡立山・室堂、との距離比較
 

   

            ◆ 

 

 

 

 

 

 

鹿児島の「川内原発」は再稼働、いよいよ商業運転に入った。


予想された事とは言え「安保関連法」国会で足踏みして居た「原発再稼働」の流れが近く再浮上する事は間違いない。
恐らく今の政治体制が大きく変わらない限り、原発推進派に追い風が吹くのは間違いないと思う。

私は原発と言う手法そのものには、全否定派では無い。(エネルギー政策のひとつとしては有りだと思う)

ただ、

  ① 1基当たりを巨大化してしまった為、リスクも巨大化した現行原発での再稼働
  ②  使用済燃料(核廃棄物)処理問題をなおざりにしたまゝの再稼働


には、明確に反対する立場である。
 

そう言う観点から見た現状の「柏崎刈羽原発」は規模の上で、日本でも1・2を争う原発で、首都圏電力の供給原を目指して作られた施設、この巨大化した施設では、東日本大震災クラスの地震・津波の再来に耐えられると言う保証は疑わしい。

   ◆ 柏崎刈羽原子力発電所 (google Map より) 
柏崎原発.JPG

   ◆ 柏崎刈羽原発から30km 圏エリア 概略(目安)
柏崎原発MAP 1A.jpg

  (講談社発行ブルーブックシリーズ「日本の原子力施設全データ」(2012-2-20版)より)


福島の原発でも、計算上は安全だったはず・・・想定外の規模の災害と言うが、過去の歴史では貞観地震(869年:平安時代)と言う震源地も地震の規模・津波の規模も東日本大震災に非常に似ている地震が記録や被害地の調査結果等で実際に起きていた事が知られていた。にも係わらず、原発設置に当って調査・分析した形跡が無いとの指摘もある。
   (もしそうだとすれば、「想定外の災害・・・」の言い訳は論外であろう)

地下水脈が縦横に走る土地に現在の様な巨大な施設を作るのでは、いくら耐震規格を満足させたからと言っても所詮人間の考えた想定内のもの、制御不能・想定外の事態になっても他の方法で速やかに安全対処出来る大きさ・規模に絞る必要がある。
“福島の事故”はその現実を、様々な現象で見せつけている。

事故のトリガーは【地震】と【津波】であるが、それ以降の問題は人為的に予防できる現象。
【福島に見るこれからの原発設置で考えるべき主な問題点】は、例えば

  ・ メルトダウン対策  ・・1基辺りの燃料が多すぎて炉底を突き破る現象が出た。
                 本来なら有ってはならない現象、対策が軟弱だった。
                (想定外と言うにはあまりにもリスクが大き過ぎる)

  ・ 冷却(汚染)水漏れ・・・施設が巨大化する程パイプの総延長が延び、長さに比例
                して、冷却水漏れのリスクは増大する。

  ・ 地下水脈への汚染水漏れ・・・これについては過去の教訓・想定がなかったのか?
             ・・・そもそも、原発設置検討時に地下水脈の把握をして置く
                べき事と、万一の為の対策を施して置くべき事が教訓。

  ・ 施設が巨大   ・・・大きくなる程、耐震構造・事故対応が難しくなる

  ・ 汚染物質拡散情報のリアルタイムな公開
             ・・・季節風と近隣都市への拡散情報が後手後手で不審を買った

  ・ 広範に汚染レベルの高い汚染物質を撒き散らした結果
             ・・・故郷を離れざるを得ない人々、汚染風評被害で喘ぐ農林魚業、
                未だ先の見えない被災者達は、津波の被害の何倍も重荷を背
                負わせられているのが現状と言える。

 

もしも【柏崎刈羽原発】で  真冬に【福島原発】相当の事故が起きた場合


 【積雪が福島の被災地の数倍の「上越・中越」を中心に季節風に乗った汚染物質が撒き散らされる】
 事が想定される。(魚沼市・南魚沼市も、間違いなく被災地域になるでしょう)

     厚い積雪に降り積もった汚染物質は、春先に濃縮されて地域一帯に流れ出す。
     これは福島の被害とは異なり、より甚大な被害が推測出来る。


悪い事に越後山脈で上昇した雪雲が、上・中越に折り返して雪となって降る事から、この地域へは汚染物質が二重に降り積もる事になり、単純に30km 以上離れて居れば安全・・・なんて論理は成り立たない事を知って置く必要がある。
また、雪道の避難行動も、福島のケースと違い秩序ある避難が出来れば別だが現実には困難を極める事が予想される。
 

そんなワーストケースを考えると、今のまゝの【柏崎刈羽原発】再稼働  は、数十万人以上の人生を苦境に落し入れ、莫大な負債を負うリスク が有る事を考えなければならない。
 

私の考える原発は、【人間が容易に制御できる範囲の小型化が望ましい】と考えており、1,000戸~10,000戸単位程度の規模の電源供給を基本として原発を分散して作るのであれば耐震構造も津波や地震対策が取り易いはずである。
更に、最悪の場合でも様々なリスクをより小さい範囲に収める事が出来るでしょう。

複雑にプレートのぶつかり合う日本の大地には  揺れても 安全・【コンパクトな原発】こそが必要と、思っている。

現実に、原子力潜水艦や人工衛星で小型原子炉を稼働して制御も殆んど問題無く運用されている実績がある。
従って、技術的には実現可能な話である。勿論、建設コストなど巨大な物を1基作るのと、小さな物を多数作るのでは、合計は大きな物1基の方が安いかも知れないが、事故・災害に対するリスクと安全性では極めて有利になるはずで、数多く設置する必要があると言う事は、建設コストも低くなる可能性も大きい。
 

② の核廃棄物処理については、やはり政治的に透明性のある処分方法をまとめないと問題が残る

 

しかし、今のまゝだと必ず、現状設備の早期再稼働の次なるターゲットとして急浮上するだろう。

その際、原発再稼働の是非を問う論議が、今国会の「安保関連法案」の様に、満足な安全検討も無く数の論理でゴリ押しされない様に、今から備えて置く必要があると思う。

 

政治的な事については他の人にお任せするとして、次回からは「地盤」「地形」の観点から現状の【柏崎刈羽原発の安全性】を再確認して見よう!

お待たせしました。 ―――小名木川  ー おなぎがわ ーより続く―――

小名木川の同じ場所を、同じ方向から描いた「2枚の絵」の “謎!” 皆さんは解けましたか?

では、確認の為、謎を投げ掛けた「2枚の絵」をもう一度ご覧頂きましょう。

 

   ◆  1,834~1,836年頃 作成された「江戸名所会図」の中の 【小名木川 五本松】  
江戸名所会図 (小名木川・五本松).jpg

 

   ◆  1,857年に、歌川広重作「名所江戸百景」の中の 【小名木川 五本松】 

名所江戸百景 (小名木川・五本松).JPG

 

【2枚の絵の “謎” 】


   もうお気付きの事と思いますが、小名木川の
   曲り方が「左」と「右」に、まったく正反対
   の方向に曲がっていますよね!

   これが最大の “謎” なのです。

 

   色々な古地図や資料等を探して見ても小名木
   川が曲って居たと言う記録が見当たら無い。

   又、この絵の様な、曲って居た川を逆方向に
   改修工事(やったとすれば大工事)をしたと
   言う記録も無い。

   そもそも、5km弱位の見通し可能な距離の
   開削工事で、湿地帯の海岸線であれば直線工
   事が費用も安く効率的で工期も早いはず。
   従って、開削当初は直線状の運河で有ったも
   のと考える方が無理が無いと思う。

   しかし、それぞれの絵を描く時には曲って居
   たと言う事なのだろうか?

 

(掲載画出典:誌名不明、切抜き保存版より)
 

2,005年(だったと思う)、神保町の古本市で見付けた江戸時代の古地図や名所案内・浮世絵等が 掲載されていた雑誌を切り抜き目的で何冊か購入し、切り抜いた記事を整理していてこの「小名木川の謎」に気が付いた。

しかし、その時は「後で気が向いたら調べて見よう」位の気持ちで絵の切り抜きをファイルしただけで、その後は忘れてしまって居た。

今年4月、偶然今の仕事の縁で「小名木川」の傍らで仕事をする事になり、再び「小名木川の謎」について思い出した。

そんな訳で小名木川河畔を歩き回ったり、図書館や資料館巡り等をしながら色々調べて見たが小名木川が曲げて作られた記録も、曲げられる要因を想定させる事柄も見付ける事が出来なかった。
最も、小名木川が「一直線である」と明記された文書も無いが、古地図等では直線で描かれている。

そこで、【2枚の絵の“謎”】に付いて改めて考えて見ると、まずは第一の絵「江戸名所会図」。
上記の通り、小名木川は一直線だったのではないかと思うのだが、取りあえずここでは百歩譲って描かれた絵の通り、左に湾曲して居たものと仮定しましょう。
第二の絵、歌川広重が描く「名所江戸百景」迄は約20年の時が流れて居る訳だが、その20年間に特に焦点を当てて調べて見たが、川の湾曲を右へ反転させる様な「天変地異・事件・事故等の要因」見付ける事が出来なかった
先にも書いたが、川の湾曲を左右反転する程の出来事と言えば大工事を伴うはず。
そんな出来事ならば、「記録に残らないはずが無い」と思って調べて見た訳だが痕跡が見い出せない。

そんなある日(およそ1ヶ月前)、とある本屋の平積コーナー(主に新刊本などを紹介するコーナー)で出会った1冊の本に「明快な解釈があり納得」、今回はそれをご紹介したいと思う。

 

   ◆ 新たに出会った本とは PHP文庫の一冊
日本史の謎は「地形」で解ける 1.jpg

 

この本は中々解けなかった「小名木川の謎」に納得
させてくれる “解” を与えてくれた。

 

正直驚いた。
私が何年も前から疑問に思って居た2枚の絵に描か
れた「小名木川の謎」について、同様に疑問を持っ
ていた人が他にも居て、その真実を解明しようとし
た人が居た。 と言う事が何だか嬉しくなったね!

更に、今回のテーマとは違うが本書を読み進めて行
くと「地形」や「地質」、それと「地勢学的」要素
を絡めて歴史を解き明かそうとする論法は、非常に
目新しくて説得力がある。

小名木川の開削目的等の点でも塩の運搬以外の目的
が重要と思って居たが、武村氏は小名木川の開削は
「早期関東平定が主目的」とまで言い切っている。

 

さて。此処では
 【2枚の絵から生じた小名木川の曲り方向の謎】
の話に戻りましょう。

 

 

武村公太郎氏の 

【2枚の絵の “謎” への “解” 】

 

著者・武村氏の文章をそっくりお借りする訳にもいかないので、箇条書きとします。

 

    1.小名木川は昔も今も、本当は真っ直ぐである。

    2.江戸名所会図の絵は、作者が絵画の中で【遠近感】を強調したい為に
      奥行として川を左側に曲げて描いた。

    3.歌川広重は現場を見ると真っ直ぐの小名木川なのに江戸名所会図では  
      なぜ川を曲げて描いたか、作者の意図を【遠近感】とすぐに理解した
      事だろう。
      プロの絵師として、先輩の手法も尊重しながら、自分流の遊び心から
      右奥へ曲らせて【遠近感】を織り込んで描いた。

 

    ※ 振り返って見ると、歌麿と言う人は川の曲りを反対にした他に「船の
      方向を逆」にしたり、東に太陽が昇って(月ではなさそう)いる江戸
      名所会図に対して「日の出前の朝焼け(東の空だから夕焼けではない)
      を演出」するなどの仕掛けが凄い

      もしかしたら、後の世にこれ等の仕掛けに気付いた人々が頭を悩ませ
      るだろう事を予測して楽しんでいたのかも知れませんね!

 

と言う事で、絵というものは、やはり作者の考え方で遠近感の取り方なども違う事が有り得る事。
「さも有らん」と、納得できる説明である。

 

なお、原文は上記 PHP文庫【日本史の謎は「地形」で解ける】(第9章)をご参照下さい。

 

小名木川  ー おなぎがわ ー

「小名木川」とは? 

 

時代劇・鬼平犯科帳や下町・人情物など小説やドラマの舞台としてよく登場して来る【小名木川】。

名前は昔から良く知って居たが、最近その小名木川の近くで仕事をする様になって、妙にその成り立ちに
興味が湧いて来た。  しかしこの川、調べてみたら納得行かない疑問を投げかけて来る。

そんな訳で、今回は東京・隅田川(深川)から荒川迄を結ぶ【小名木川】と言う “江戸草創期” に開削され、
江戸時代成立に重要な役割を果たした【一直線の運河】がテーマ。

まず、現代の「小名木川」とその地理的位置関係を簡単に整理して見ましょう。

   ◆ 小名木川全景イメージ(出典:国土交通省が航空写真5枚を元に作成公開のもの)
小名木川(国土交通省より)   1927×644.jpg

    左側の大きな川が隅田川、右側の大河は現・荒川、更に右側の川が中川、小名木川の突き当りの
    川が 旧・中川となるが、江戸時代のこの辺りは荒川と中川が合流して大河を成していたらしい。

   ◆ 小名木川を中心に、俯瞰地域を広げて見ると (Google Map より)
清澄白河・小名木川 B.JPG

    あまり聞き慣れない「前島」と言う名前と、「行徳」と言う地名、覚えていて下さいね!
 

   ◆ 更に広域を地図で見ると (Google Map より)
関東主河川地図.jpg

    現在の河川の流れ、これから話題にする江戸草創期とはかなり変化してますので現代の様相と
    比較して見て下さい。

    特に注目すべき河川「利根川」、「荒川」、「中川」でしょうか?

 

 

 春爛漫の「小名木川」隅田川口、河口付近 

 

今年初めて見る小名木川の春、4月1日からの赴任地で、スッキリ晴れた日の撮影チャンスも無かった為、
桜の写真はこの日だけでスッキリと快晴の日の桜シーンは撮れませんでしたが小名木川から隅田川に出る
河口付近の現代の風景です。

   ◆ 小名木川・高橋(たかばし)からの隅田川河口方向
2015.04.01A _03 小名木川・桜.jpg

    正面の青い施設が水門で、東京湾の潮汐と隅田川上流での降雨などによる水位の変化に対して
    小名木川の水位が上がり過ぎない様に調整する為の水門。
    なお、すぐ向こう側には「萬年橋」が架かっている。
    反対側・荒川口や、小名木川に繋がる各河川にも大河に繋がる出入り口に同様の水門を設けて
    江東・ゼロメートル地帯を水害から守っている。 水門が開いている時は、隅田川まで見える。


   ◆ 水門(新小名木川水門)をくぐって見ると、そこは隅田川2015.04.01A _18 小名木川・桜.jpg

    高倍率ズームの為、遠近感に乏しいのですが、対岸は浜町・金毘羅宮付近の河川敷公園。

     は~るの~  うら~ら~の~  す~み~だ~が~わ~・・・なんて聞こえて来そう

 撮影日は変わって5月

   ◆ 河口(隅田川方向)から見た小名木川(萬年橋)
2015.05.30A _042 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

    萬年橋の向こう側が「新小名木川水門」。  撮影位置の左上が「芭蕉庵史跡展望公園」。

   ◆ 「芭蕉庵史跡展望公園」より小名木川河口と清州橋(隅田川下流方向)
2015.05.30A _049 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

    写真左側が小名木川河口。(万年橋の写真は釣り人の左側の位置で撮影)

   ◆ 「芭蕉庵史跡展望公園」より新大橋(隅田川上流)方向
2015.05.30A _050 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

 

   ◆ この地域のマップ (出典:JTBパブリッシング「詳細地図で歩きたい町・東京2015」より)
周辺地図A地域旧跡等(清澄白河周辺).jpg

そして、現「荒川」迄 一直線で繋がっているのが「小名木川」である。

 

 

「小名木川」誕生ストーリー

 

事実として伝わっている事を纏めると、以下の通りとなっている。

 1.小名木川は德川家康の関東入り直後に造られた人工の運河である。(最優先で開削された)

 2.その目的は【「行徳」(当時海水から塩を作っていた)の塩を運ぶ為】とされていた。

 3.同時期に「道三堀」と荒川から旧・利根川(現・江戸川)を結ぶ「新川(船堀川)」
   (既存の川)を整備して、家康は江戸城から行徳間の輸送路を確保した。

 4.このルートは当初德川幕府が厳しく管理、一般人への解禁は約30年後らしい。

 5.家康が来た頃の江戸城(太田道灌が作った城)は、湿地帯と海が囲む砦程度であった。

 6.新領地・関東の早急な掌握と家臣たちの生活基盤確保のインフラが急務だった為の開削。
  (恐らく、軍事面でも重要な役割、荒川・利根川経由で関東各地への機動力が格段にUP)

 

 関東入りした家康達が見たであろう江戸城周辺の情景 

 

   ◆ NHK「歴史秘話ヒストリア」よりのイメージ (東京地方放送:H27/4/22)
家康以前.jpg

    「歴史秘話ヒストリア」の放送タイトル : 「 がんばれ東京~泣いて笑って400年~ 」

 

 

 家康による「江戸の城下町作り」

 

 当時の地形 


   ◆ 1,590年(天正18年)頃(便宜上JR主要駅や現代の外堀などの重ね記載あり)008.jpg
            (出典:法政大学エコ地域デザイン研究所編「外濠・江戸東京の水廻廊」より)

    德川家康が関東入りした1,590年(天正18年)当時、江戸湾の一部の「日比谷入り江」
    と呼ばれる海岸線が入り込み、およそ現在の外堀通りと内堀通りを挟むエリア大の前島が「
    入り江」を守る形で存在していた。(現在の銀座~日本橋を含む図中の白い岬状のエリア)

    家康の来た当時の江戸城の規模は、全体でも図中の「江戸城・本丸」程度のエリアに 城(
    恐らく城と呼ぶには貧弱な建物)があり、城下町などは無く、周囲には田畑も殆んど無い湿
    地帯に囲まれた武蔵野台地・最先端の高台だった。
    

 

 家康が置かれた地勢学的背景 

 

    秀吉の天下統一は成ったとは言え、家康にとっては秀吉との間には確執もあり上杉・伊達等の
    隣藩からの脅威に対しても一刻も早く自領の基盤固めをする必要が有った。
    その基盤とは、

       1.家臣達の生活基盤を確立・安定化する事
         ・・・・・「衣・食・住・物流」の インフラ 整備、日比谷入り江の埋め立て(家臣達 
               達の家を建てる宅地確保)及び「小名木川」「道三堀」の開削により彼等
               や城中の生活物資確保を図る

       2.城下町作り(経済活動の活性化)・・・商人等の厚遇招聘

       3.領地・領民の掌握・・・・当然旧領主(北条氏)の影響力や、隣国との摩擦処理等へ
                     の効果的対応力が評価されれば短期に掌握出来る様になる
                     (圧倒的軍事力のデモ・・鷹狩もそのひとつでしょう)

       4.秀吉に取って最大の要注意人物は、誰の目にも「德川家康」と写っている。
                      早急に対抗出来る体制(軍事力・政治力)を整えなければ
                     ならない。

       5.北条が滅んだ後、上杉景勝・伊達正宗と言った有力大名の脅威が直接的なものとなる。

 

 

 NHK「歴史秘話ヒステリア」による家康の「江戸」の町作り 

 

  ◆ 利根川流域等河川上流域に豊富な米や野菜がある、行徳では塩の生産がある
Dscf0016.jpg

    利根川流域を中心に米や野菜の生産地が、行徳には塩田が有ったが、船で日比谷入り江迄運ぶ
    場合、湿地帯や浅瀬が遠浅で広がる海を遠回りして運ばないといけないが、嵐等により安定し
    ての物資輸送が難しい。(大船では浅瀬が多く、小舟では高波等に弱く欠航し易い)

    そこで陸地に堀を設けて物資の輸送路を作ろうと言う事になり、行徳から荒川迄は既存の新川
    に少し手を加えて使い、「荒川~隅田川」迄は小名木川を、「隅田川~現・和田倉門付近」迄
    道三掘開削した

   ◆ つまり、確実に運ぶには行徳から水路を舟で運ぶのが安全⇒水路(運河)を作れ!
Dscf0023.jpg

    と言う事で、「小名木川」「道三堀」が 最優先で開削された
    (注)道三堀の一部は後年、平川を合流させて「日本橋川」となった。

    また、城下町振興策としては、全国から商人や職人などをを募集して優遇し、商・工業の振興を
    図ったとの事であるが、「小名木川」のテーマからは外れるので此処では省略します。

 

と、此処迄はだいたいどの資料を見てもほゞ大同小異。いわゆる定説である。

 

 

 小名木川の不思議 

 

小名木川のほゞ中間地点、現代の 四ツ目通り が交叉する地点に【小名木川橋】が有り、その橋の袂(たもと
)に「五本松跡」と言う標柱が立っている。(下記ストリートビューのひとコマを参照)

今は原木は無くなって後に植えられた松が有るが、江戸時代、此処には五本の松が有り、江戸の名所として、
著名な名所案内に2回も描かれた絵が今も貴重な美術品として残っている。
 

 

   ◆ 「小名木川五本松」の有った所、現在は標柱と後植えの松数本があるのみ
名所江戸百景 (小名木川・五本松跡)ストリートビュー.JPG

 

   ◆ 周辺 Map
名所江戸百景 (小名木川・五本松跡)四ツ目通り.JPG

 

 

 2枚の絵 :「江戸名所会図」と「名所江戸百景」の【小名木川五本松】  

 

   ◆ 江戸名所会図の中の【小名木川五本松】

江戸名所会図 (小名木川・五本松).jpg

 

出典

古書(タイトル不明)
より抜粋

 

2,005年頃神保町
古本市で買った古書
の切り抜き保存版

 

 

 

 

 

 

   ◆ 名所江戸百景の中の【小名木川五本松】  (歌川広重作)
名所江戸百景 (小名木川・五本松).JPG

 

 

 

 

出典

古書(タイトル不明)
より抜粋

同上、切り抜き保存版

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  ほゞ同じ場所から同じ風景を描いているのに何かがおかしい!・・・・と、思いませんか?

 制作年代は、江戸名所会図が1,834~1,836年頃、名所江戸百景は1,857年と言われ、
 約20年の隔たりがあるが、基本的な違いにお気づきでしょうか?

 

2,005年以来、私がこの切り抜きを持っていた理由はこの謎を何時か解いて見たいと思って居た
からです。

実はこの謎解きを既にされた方の本を見付けました。私も納得させられた内容ですが、取りあえず
「謎 !」のまゝとしましょう。

 

その内容については、次回投稿【小名木川 ー 2】でご紹介致します。

    が、「皆さんも、謎解きにチャレンジ」して見ませんか?   ーーー 続く ーーー

 

予告しています「小名木川」、中々奥が深くもう少し調べたい事が出てきたのでもう少しお時間を!

一昨日、小名木川が繋がる(始まると言うべきか?)一方の大河「隅田川」その合流点に行って来た。

そこはかって、あの松尾芭蕉が庵を構え、隅田川を行き交う舟や対岸に沈む夕日を眺めながら俳句の
草案や詠んだ句の推敲(すいこう)をして、多くの名句を生み出した場所でもあった。
そんな場所の、現代の情景をお楽しみ下さい。

 

【芭蕉史跡展望庭園】にて

 

   ◆ 松尾芭蕉像 (写真は隅田川上流方向を向いた芭蕉像)
     朝10時~16時は隅田川上流、17時~翌朝9時迄は下流・清洲橋方向へと向きを変えるそうだ
2015.05.30A _047 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

   ◆ 芭蕉像の視線方向(昼の時間帯) ・・・ 隅田川上流(新大橋)方向
2015.05.30A _050 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

   ◆ 17時~(夜間)の視線方向 ・・・ 隅田川下流「清洲橋」方向
2015.05.30A _049A 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

   写真、左側が【小名木川の河口】で、正面の吊り橋型の橋が「清洲橋(重要文化財)」

   ここからの眺めは抜群、「清洲橋」や ビル群等も 絵になるが、何と言っても上下行き交う様々
   な舟が、見て居て飽きさせない事だ。

   水は澄んで居て、我々が集団就職した頃の悪臭のする川のイメージは殆んど無い。

   その川を行き交う舟の種類の豊富な事、昔懐かしい遊覧舟から大中小の観光船・SFの世界から
   抜け出て来たかの様な特殊な観光船迄、15分も眺めて居たら数十隻もが通り過ぎて行き、見飽
   きさせる事がない。

   ◆ 代表的な通過船たち(ハシケや貨物船は除外)
2015.05.30A _035 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

2015.05.30A _034 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

   ◆ 謎の乗り物・・・007か、SFに出て来そうな乗り物が近付いて来る2015.05.30A _011 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

2015.05.30A _014 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

   隅田川にこんな船が走って居たなんて、知らなかったなあ! 観光船らしいのだが?

   ◆ またしても同じ船?・・・いや、違う! 小さい!
2015.05.30A _046 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

   さっきの船の2/3位の大きさだが、形は類似している。
   これなら一度乗って見たい気もするね! (何処から何処迄行くのかな?)

 

最後は話題を変えて、私の勤務先の屋上からの「東京スカイツリー」写真を紹介しましょう。

 

「東京スカイツリーをメイン」に撮ってみました

   ◆ 午後4時頃、標準撮影

2015.05.31_001 寮屋上から(18.00頃).jpg

   ◆ ズームアップ2015.05.31_008 寮屋上から(18.00頃).jpg

2015.05.31_019 寮屋上から(18.00頃).jpg

   ◆ 夜景2015.05.30B _002 寮屋上からの夜景(13.00頃).jpg

2015.05.30B _004 寮屋上からの夜景(13.00頃).JPG

   夜景を写すと「東京スカイツリー」が、なぜか曲ってしまったかと錯覚してしまう

   どうしてかな?

映画やドラマで、江戸時代の庶民生活を舞台とする時代劇や物語に、必ずと言う程出て来る川の名前が
【小名木川】。

山手喜一郎、池波正太郎、山本一力、佐伯泰英、門田泰明・・・・・色々な作家がこの川を描いた。

仕事の関係で、今年4月から転勤して来た所がこの【小名木川】に架かる、隅田川から数えて2つ目の
橋【高橋(“たかばし”と読む)】の、すぐ近く。
そこでこの【小名木川】について、前から興味があり少し調べてみる事にしたが、新たに調べて見て今
迄の認識を覆す新説も浮かび上がって来て、中々面白い。

今日の所はまだ、一番最新の情報(書籍)を手にしたばかりなのでもう少し読んでから書きたいと思い、
予告編に留める。

取りあえず、現代の小名木川近況編として、以下小生赴任・4月以降の近況写真でも見てお待ち下さい。

 

   ◆ 小名木川:【高橋 (たかばし)】袂からの「東京スカイツリー」 (最近の写真)
20150520_高橋よりのTSK.jpg

 

桜全盛の頃(3月末~4月上旬頃)

   ◆ 4月上旬:隅田川口の水門・・・一番高いビルは隅田川対岸の「トルナーレ日本橋浜町」
    (水門の向こうに橋があり、その向こうが隅田川。手前の青い管は水道管)
2015.04.01A _03 小名木川・桜.jpg

   ◆ 水門の下には隅田川を運行する水上バスも見える(対岸/箱崎方向を歩く人も)
2015.04.01A _18 小名木川・桜.jpg

   ◆ 高橋(青い水道管の向こう側)を潜って隅田側に向かう観桜船
          (ガイドが説明しながら通過して行く)
2015.04.01A _16 小名木川・桜.jpg

   ◆ 水門を潜って隅田川へ(殆んどは右、浅草方面「隅田堤」へ向かう)
2015.04.01A _20 小名木川・桜.jpg

   ◆ 高橋にて:帰り舟 (多分、隅田堤でお客さんを降ろして帰る所でしょう)20150409_高橋からTSKT.jpg

 

桜は散って・・・(4月末~5月現在)

   ◆ 小名木川/高橋より : 正面の隅田川対岸(高いビルの左付近)が箱崎ターミナル方面
20150426_高橋から下流(隅田川)方向.jpg

   ◆ 小名木川/高橋より :ほゞ直線の川筋、 中川・行徳方面迄
20150426_高橋から上流方向.jpg

   ◆ 地図で見ると、意外に近い範囲に意外なスポットや旧跡が沢山有った
周辺地図A(清澄白河周辺).jpg

   地図出典 :JTBパブリッシング発行、「詳細地図で歩きたい町・東京 2015」より引用

 

私はまだ殆んど歩いて居ないが、小名木川関連以外でも、深川と言う地域は

   ・松尾芭蕉関連  ・平賀源内関連  ・のらくろ  ・北の海部屋 ・・・・・etc.

等々、歴史以外でも面白そうだ!

 

さて、【小名木川】本編について少しだけ触れて置きましょう。

 

【小名木川】は、德川家康が豊臣秀吉に依って関東への国替え(移封)させられて直ぐに着工し作られた、
言わば江戸草創期からの人工の川である。
つまり、我等の故郷に根付いて居た越後上杉家が会津移封となったその時と、ほゞ同じ時期なのである。

しかも、その川は隅田川~中川迄、ほゞ一直線に、当時としては川幅も広い独特な運河である事。

開削から約30年間は、一般人の通行が禁じられて居たと言う事。

など、定説(德川の記録等)では、【小名木川】開削の目的が、「行徳(千葉)の塩を確保するのが目的」
とされているが、しかし「【塩】だけの目的でこれだけ大規模な運河を作るだろうか?」と言う疑問が私の
中では、何かスッキリしない違和感として引っ掛って居た。

所が最近手にした本で、かなり論理的な説明がなされ、納得が得られた気がしている。
まだ、主流の説明として認知されたものでは無い様だが、私的には納得出来るものであった。

そんな事から【德川家康と小名木川】の関連をもう一度整理して見ようと、思って居る。

近日公開予定!   江戸時代草創期の歴史に興味ある方は是非ご覧下さい。

 

ドローン

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昨年末頃迄は、確か「マルチコプター」と言う名前で話題になった無線操縦・無人機について、最近では「ドローン」と言う名前が一般化されつゝある、と言うより【ドローン】に統一されつゝある。
更に言えば、【ドローン】と言うカテゴリーのひとつに【マルチ(4ローターヘリ)コプター】が有ったと言う事の様だ。

 

ドローンとは?

皆さんは【ドローン】について、どんなイメージを持って居ますか?

改めて「ドローン」と言う言葉、Googleで検索したら色々出て来たが、今回の話題に該当する、代表的項目を抜粋すると以下の通り。

   ◆ Googleで、「ドローン」をキーワードに検索の結果 (音楽用語もあるが、今回は除外)
ドローン 1.JPG

  ※ wikipedia 情報の信憑性には一応距離を置いているが、これについては疑うべき理由は無い

  ※ 【ドローン】と一口に言っても、オモチャの無人へりから軍用無人偵察機や農業用無人ヘリまで
    がドローンのカテゴリーに入る。
  ※ プロペラの数は2個~8個位のもので、あくまでも無線操縦の無人機の事を総称してドローンと
    言うらしい。 基本的にはGPS機能付きで、飛行ルートや姿勢の補正を自動で行う為、操縦が
    簡単に行えるのが特徴である。

さて、その【ドローン】について最近のメデアの取り扱い方や技術動向を見て行くと、「非常に将来性のある技術」と言う面だけが先行して、「使い方によっては、危険(武器にもなり得る)なもの」、或いは「プライバシーの侵害」や「交通事故の誘引」等に繋がるマイナス面の報道が極めて少ない事を懸念している。

 

 

ドローンの【有効性と危険性】


【有効性】(効果的活用方法)


    現在すでに実用化して居る活用例としてはカメラ(ビデオ等)を搭載したドローンで、
      ① 人が行けない場所からの自然景観・災害現場などの撮影     
      ② 動植物の生態観察
      ③ 太陽光発電パネルや橋・建造物の検査・診断や簡単な補修等々
     ※ ③の事例では最近では原子力建屋の損壊調査等が話題になって知っている人も多い
       と思う、また、①の事例はNHKや民放の自然景観紹介や旅番組でよく使われる様
       になって来た。

    或いは農業関連の場合、GPS機能を活用して下記の事例がある。 (無人ヘリ/ヤマハ製等)
      ① 農薬散布
      ② 種蒔き(散布形式の栽培の場合)作業、 その他 etc.・・・

    将来的活用方法(提唱例)
      ① セキュリテイ(見張り番・泥棒除け等):今年(2015年)中には商品化見込み
      ② 宅配(アメリカ・Amazon):地域限定なら技術的には殆んどクリアーだが、法的
        な問題等実用化迄のハードルは高い様だ
      ③ 災害救助 etc.

 

【危険性】(或いはネガテブ用途)


私の懸念が懸念で終わる事を祈るが、その【手軽さ=操縦のし易さ】、【低価格化=目的次第であるが、数千円台~数千万円台】と、子供から企業及び公共事業~軍事利用迄応用範囲が広い事。

裏を返せば、これ等が何の制約(ルール)も無く野放しで、正しい使い方の知識も乏しいまゝの拡散は不都合な事件を招くのでは無いかとの懸念がある。

例えば、

     ① 鳥獣保護・自然景観保護に対するリスクが大きい
          貴重な野鳥の営巣地で勝手にドローンを飛ばしたら、その生態に悪影響が出ない
          筈は無い
          また、観光地(寺社仏閣等や景勝地)で勝手にドローンがブンブン飛んでいては、
          第三者(旅行者)にとっては迷惑この上ない事である  (勿論、安全上も問題)
     ② 制御ミス(遠隔範囲離脱を含む)による事故リスク大 【オモチャで有っても同じ】
          遊びの積りでも、各自が勝手に飛ばす状況を想像すると、自分達自身の危険(ド
          ローンとの衝突、ドローン同志の衝突に伴う二次被害など)は勿論だが、通行中
          の第三者(歩行者や自転車・自動車・鳥類等)との衝突等は、時には大きな事故
          の引き金になり得る
          【第三者には未知方向からの衝突の為、防御が難しく、場合に依っては致命的】
     ③ 自然保護・踏込禁止地域への侵入横行の増加が予想される
          墜落したドローンの回収名目で、踏込み禁止区域(尾瀬などの環境保護区域等々)
          での【自然破壊】や【踏み荒らし】が横行する可能性が大
     ④ 山岳等などでの遭難事故増加(誘発)の懸念がある
          アマチュアカメラマン達がドローンを利用して、独自の作品を撮ろうとする現象が
          始まっているが、墜落機体の回収捜索中での滑落や沢筋等への迷い込み等の遭難事
          故が懸念される  (数年後にはかなり増えそうだ)
     ⑤ 犯罪への悪用懸念
          どんな用途かについては敢て此処では書かない(真似たがる人のヒントにしたく無
          い)が、ドローンを使った犯罪が出て来る

 

    近未来、まるでスマホの【LINE】の様に!

                 使い方ひとつでドローンも悪役にされてしまうかもね?

 

 

 

幼い頃、有線放送で、吉永小百合さんの「赤胴鈴の助」を始めて聞いた頃だった。

やはり夕方のNHK番組で「千夜一夜」と言う物語を知り、その後本やラジオ、TVや映画で、月の砂漠
夢に描き、
シンドバットアラジンランプの精空飛ぶ絨毯物語」 に思いを馳せて、いつの日にか、
彼の国に行って見たい
【夢の国】のひとつであった。


そこは今、宗教の名を借りて無用な対立に民衆を引き込む為政者たち、そして ISIS (又は ISIL 
などと言う盗賊団が支配する、混沌の国(国々)となってしまった。

 (ここでは敢て、盗賊団名:イスラム国 は使いまません。以後は便宜上「 ISIS  」とします)

 ※ 国会答弁などで政府答弁では「 ISIL 」の名前を使う様になったみたいですが、ネットや
   イスラム国からの脱出者も多くは「 ISIS 」と呼ぶ人が多い為、本稿もこの呼称を採用す
   る事に致します。

なお、政治的な事や宗教的な事を書くつもりはありません。
が、ここでは人間として、日本人として、今回の出来事にどう立ち向かうべきかを考えて見たい
そう言う観点では政府の対応についても最後の方で多少触れざるを得ないと思います。

 

二人の日本人 (後藤健二さんと湯川遥菜さん)

 

まずは被害に遭われたお二人への、お悔やみを申し上げると共に、ご冥福をお祈り致します。

ここでは人間として、日本人としてのお二人の行動規範について、整理してみましょう。
読者にも、改めてお考え頂く為の切っ掛けになればれば幸いです。

なお、以下の 私見は、「新聞・週刊誌・TV・ラジオ」 と言った一般メデイアからと、ネット情報
基に判断したもので、実際には別の真実が有るかも知れない事を念頭に置いて、最終的には読者ご自身
が適正なご判断
をして頂く様お願い致します。

 ※ ネット情報については特に、一般メデイアと違い極端に偏った意見・誤った情報も多く、
   常に一般メデイア情報などとの整合性を検証しながら判断する必要があります。

    特に個人の【ブログ記事などの情報】 鵜呑みは間違いの元 となりますのでご注意を!
    私の場合内容に疑問を感じた時は、前後の別の話題や、一般メデイア情報との比較
    など、記載内容の整合性や筆者の思考バランスなどを判断させてもらっています。 

さて、メデイア情報によると、お二人の接点はシリアで拘束されていた湯川さんを後藤さんが、交渉
して救出したのが切っ掛けで交際が始まったと言われている。

その後、湯川さんが再びISISに拘束され、帰国して居た後藤さんが湯川さん救出に向かい、同じ
ISISに拘束されて、その後については各メデイアが詳しく報ずる通りの悲しい結果になってしま
った事は皆さんご承知の通りです。

ところで【今回の人質事件】、改めて考えて見ると結果が残虐で非道な結末で有った事は別として、
今回の事件は起こるべくして起こった事件と言えないだろうか?

相手がISISで無くとも紛争地域に足を踏み入れると言う事は、人質事件や誤射・誤爆に遭わない
保障が無い事を充分に承知して居るべき人で無ければならず、また、例え足を踏み入れる理由が世間
を納得させ得るものであっても、万一の時に第三者を巻き込まない配慮も必要である。
 (と、私の常識は考えている)

そもそも、お二人が彼の地に行かなければならない理由から見て行きましょう。
 

 

二人の行動規範   (一般メデイア、及び ネットからの情報を基にした【私見】です)

 

  【湯川遙菜さん】の場合


    最終渡航時の目的 : 【イスラム戦線(イスラム国との)戦闘取材】だそうであるが・・・

    活動実態 : 現地からの戦闘員気取りの写真入りブログや設立した会社名からは、とても
           ジャーナリストとは思えない。
           むしろ、ヨーロッパ等の傭兵請負会社を連想させる構想を持って居たのでは
           無いかとも思われる活動が実態の様だ。

    行動規範 : 紛争地域にビジネス(戦争ビジネス?)チャンスありと、 自らの経歴に箔 
           付ける為のパフォーマンス・・・と、言うのが行動規範として随所に伺える。
             (亡くなられた方に鞭打つつもりは無いのですが)
           残念ながら、「自分の行動が誰かに迷惑を?」 などの考えは無い方の様だ。

 

  【後藤健二さん】の場合

 

    最終渡航時の目的 : 【湯川遙菜さん救出】

    活動実態 : ジャーナリストとしてもバリバリの現役。
           国内外での数々の実績も有り、特に紛争地域の子供達に関する取材の本は高い
           評価を受ける等、これからも期待されて居た人材。

    行動規範 : 国際感覚、責任感などジャーナリストとしての行動規範は普通以上にバランス
           の良い方だと思う。

           不思議に思うのはそんな規範バランスの取れた人が湯川さんの様な人の為に、
           なぜ単身でISISの勢力エリア迄行こうとしたのかが疑問である。
           かなりの期間、湯川さんと行動を共にしていた事が伺える事から、彼の行動規
           範を知らなかったとは思えないのだが・・・?
           紛争地の子供達に思いを馳せる後藤さんと、紛争をビジネスチャンスにしよう
           とする湯川さんとでは、かなり規範の違いが有り過ぎると考えるのは私だけで
           は無いでしょう。

 

 

なぜ、この時期に?  ( この地域への渡航の必然性 )

 

    二人がなぜこの時期に渡航しなければならなかったのかに付いて、再度確認して見よう。

    後藤さんについてはジャーナリストとしての職業的理由と、知り合いの湯川さんが ISIS
    の捕虜になっていると言う背景を考えれば、納得出来る行動と言える。
    もしかしたら、【湯川さん引き渡しを口実に、ISIS に誘導された可能性】も考えられる。
    (最後の渡航で性急に ISIS 勢力圏に入った事からも、湯川さんから何かの連絡が?)

    一方、湯川さんについては【利己的理由】以外に、今この地域に足を踏み入れ無ければなら
    ない理由が見当たらない。

 

 

国の対応   (本当に、日本人の安全を守る為の活動をしたのか?)

 

    少なくとも、現地対策本部などに居た要員や中山外務副大臣は、最大限の努力をされて居られ
    た事と見受けられる。

    しかし、総指揮官であるべき安倍首相の言動には疑問が有る。

    まず、ISIS による湯川さん拘束が明確になった昨年8月からの経過を追って見ましょう。

      2014/08    ISIS 、湯川さん拘束をネットに公開 
               政府対応 ⇒ 「不当な拘束に対し即時解放要求」と「関係諸国に解放
                     に向けた交渉活動の協力を依頼して居る」との官房長官
                     談話を出した (国内向け・・実際の外交実態は不明) 
      2014/10/25  後藤さん出国、(湯川さん救出に向かったものと思われている)
               ⇒ その後、消息不明となる
      2014/12/02  ISIS 関係者から後藤さんの家族(妻)にメール (内容は非公開)
               後藤さんが、ISIS に拘束されている事が家族に明かにされた
               (この時点で、家族と政府のコネクションがあったかどうかは不明)
               政府対応 ⇒ メデイアを含め、一般には非公開で動いていた形跡あり
      2015/01/17  中東歴訪中の安倍首相、エジプトで演説
               「 ISIS 非難」と「周辺国の難民支援などとして、2億ドル拠出」
               を要旨とした内容
                 参考: 2億ドル ≒ 約235億円/当時の円建換算 
      2015/01/20  ISIS、後藤さんと湯川さん拘束と、エジプトで表明した支援金2
               億ドルと同額の身代金要求動画がネットで公開された

               その後は各メデイアが競って報道している通り、1/24湯川さん殺害
               が公開され、1/31後藤さんの殺害が明らかになった
 

    経過を見て行くと、明らかなターニングポイントは、2015/1/17 のエジプト演説であろう。

    なぜこのタイミングで、日本人拘束事件のお膝元と言えるエジプトで、こんな挑発とも取れる
    演説をする必要が有るのか? 同じ事をするにしても、事件の解決迄は公表するべき内容では
    無かったのか、政治的センスを疑わざるを得ない失態だ
    人質の人命に対する配慮も全く感じられない事に、同じ日本人として怒りを感じる。

    それまでの ISIS は恐らくこんなシナリオは考えても居なかっただろうと思われる。
    これが20年前の【阪神淡路大震災】の慰霊式典を蹴飛ばして迄出掛けた成果なのだろうか。
    (奇しくも、阪神淡路大震災は1975年1月17日だった・・・なんて関係無かったですね!)

    冗談は兎も角として、ISIS に二人の人質が居る事を承知(国会答弁でも承知と明言)して
    居ながら、この様な演説内容てはどう考えても ISIS を刺激する内容以外何物でも無い。

    支援金は「難民医療」と「教育の為」、などと言った所で言葉通りに受け取る相手では無いし、
    その上 ISIS を直接非難したその場での支援うんぬんでは、 ISIS で無くとも反発する
    だろう。

    何よりも、人質の有効利用を考えて居た ISIS に取っては金も欲しかっただろうが、ヨルダ
    ンを揺さぶる利用価値を見出した。 言わば【とって置きの口実】を与えてしまった訳だ。

    安倍首相の周辺にその様なリスクに付いてアドバイスする人材が居なかったのだろうか?
    はたまた、アドバイスを無視して自身の良識を過信して居たのだろうか?

    【人命最優先】と何度も言って居ながら、自らの発言が、最悪のタイミングで発せられた事
    を誰よりも反省すべきなのに、平然と「私は間違った事は言って居ない」等と、国会答弁をし
    ている。  しかし、今回は 二人の日本人の命を縮めたトリガーになった事 は事実である。

 

 

今、日本として出来る【国際貢献】  (私の考える国際貢献)


    ISIS(イスラム国)問題以外にも、世界には「反体制紛争を抱える国」、「国境紛争」、
    そし「国境をまたぐ資源争奪紛争」等々紛争は数え切れない。
    それ等の抑止策として武力政策で対応しようとすれば、膨大な軍事力と、その為の経費もまた
    膨大な金額になる事は誰にでもわかる。 (軍師官兵衛なら、「下の下策」だと・・・)

    今の様な日本にとって最もあるべき貢献、それは【軍事的貢献】でもなく、【金のバラ撒き】
    でも無い。
         蒔くべきものは【平和の種】ではないだろうか?  ⇒  【教育支援】

    それは、千夜一夜の彼の国々に限らず、パキスタン、インド、アフリカ各国その他の国々の
    識字率向上こそが紛争抑止の根本だと思う。

    つまり、軍事支援の代わりの様な経済支援・は一切止めて、【貧困者の教育支援】に的を絞っ
    た教育プログラム支援を国策とする事で、世界の人材を育てゝ行けば、遠回りの様であっても
    確実に【紛争の芽】を減らせられ、日本の国としての評価も高くなるだろう。

      教育支援と言っても、金だけ出すのではなく、【人 ・ 物 ・ 金 + ノウハウ 】の援助
      及び、留学生の受け入れ ( 希望者には小学校~大学迄のコースも日本に整備 )

    10年、20年の長いスパンで見れば、同じ支援金額相当であっても効果の差は雲泥の差にな
    るものと思う。

    何よりも、戦争放棄・平和日本の基本が守れて、尚且つその信頼が深まれば、経済・技術輸出
    等の面でもより活性化して来る筈である。

    
始めの一歩

    最年少ノーベル賞受賞者、マララ・ユスフザイさんは、女性の地位向上の為に教育が必要と訴えて
    【マララ基金】を立ち上げて実行しているが、目指す所は同じ。

    日本もまず、後藤さんが目指した難民(特に子供達)救済で子供達の教育を担うべく出来れば彼等
    の身代金相当額を国から拠出して、仮称【後藤基金】を立ち上げ現地へ教育施設を立ち上げるのは
    どうでしょうか?

      (アベさん、国際世論の動向からは、今が一番タイミングがいいと思いますけどね!)

 

 

    シンジロウくん! そろそろ出番が近いんじゃないかい!     (大泉にて!)

 

    追申 : 湯川遙菜さんについては書くべき内容が無い、敢て書くなら 【夏炉冬扇】だった為
         メデイアも扱わなくなった。  第二・第三の湯川さんが出ない事を望む。

【切り菜(きりざい)】、それは新潟県の、南北・魚沼地方で広く食べられている郷土食の事。
それが一番美味しい時期は、やはりこれからの“冬”が一番だと思う。

今回はそんな【切り菜】の話。

調べてみると同じ【切り菜】と言っても使われる材料や調味の方法はその家々で少しずつ違う様である。
ただ、【納豆をベースに野菜や漬物、“ゆず”等を細かく刻んで納豆とかき混ぜる】と言う調理方法は共通
である。

 

Simple is Best

最近は【切り菜】も学校のレシピに出たりB級グルメで【切り菜丼】なんてものが出たりして、結構メジャーなものになりつゝ有るが、正直な所我等が子供の頃、母が作ってくれた【野沢菜の漬菜を刻んで、納豆と少しの醤油でかき混ぜただけ】のシンプルな【切り菜】が、私にとってのおふくろの味。

それも、毎年11月下旬頃になると何処の家でも春先迄の保存食として、母達が手に赤切れを作りながら一生懸命大きな樽に野沢菜を漬け込んだものだが、丁度今頃からその【野沢菜漬け】が食卓にお目見えする様になる。
樽から出したばかりの野沢菜は、一旦そのまゝ食べるのが美味しいが、一晩もすると味が変る。 【残り物の漬菜】、多くの場合これが【切り菜の素】となった。

そして、その【漬菜(野沢菜漬け)】も樽の中で熟成して行く為、最初はショッパイ(塩っポイ)だけの味が、正月を過ぎる頃には発酵して少し酸味が出て旨味も加わり最高の【野沢菜漬け】となる。
やがて発酵が進んで行くと、野沢菜漬けも酸味が強くなる為 直接食べるより【切り菜の素】としたり「煮干しなどと一緒に煮込んで」【煮菜(にいな)】として食卓に乗る事が多くなる。(2月~3月頃)

従って同じ【切り菜】でも作る時期に依って味わいが変化したのも結構楽しかった。
今回は切り菜の話なので割愛するが、【煮菜】についても忘れられない味だった。

さて、先日そんな思い出を思い出しながら利根川の橋を渡って居たら去年【からし菜】を摘んだ堤防の斜面にびっしりと美味しそうな菜花の葉が繁っていたのでつい摘んで来た。
残念ながら【からし菜】では無かったが、大根かカキ菜みたいだったので比較的柔かそうな部分(芯の部分)を、片手で握れる程度(下記写真)を摘み取って来て、浅漬けにしてみた。

   ◆ 利根川堤防産、「?菜」
利根川産2014.12.10.jpg

 

昨日それを食べてみた。

うーん、漬物として美味しいには違い無いのだが、自然の中で育って居たせいか 結構繊維質で固い。
そこでヒラメイたのが【切り菜】である。
早速近所のスーパーで一番安い3パック48円の納豆を買って来て、2種類の【切り菜】を作ってみた。

ひとつは「利根川産?菜」の浅漬けを微塵切りにしたものに大根ナスの柴漬け人参各々を微塵切りにしたものを加え、納豆で和えてワケギを少し加えて出来上がり。 (パターン A)

もうひとつはシンプルに、【利根川産?菜】の浅漬けの微塵切り納豆ゆずの皮の微塵切り少々でかき混ぜ和えて出来上がり。 (パターンB)

半日冷蔵庫で馴染ませてから試食。
見た目豪華なパターン Aが美味しいだろうと思って居たのだが、NG。 好みの問題だとも思うが、味・舌触りなど私の好みとは何かが違う気がした。
最初は「結構いけるかも?」 って思えたのだが、パターン Bのシンプル版を食べたら 「私の好みはこれだ!」って思った訳。 それが次の写真。

   ◆ シンプル版【切り菜】
「切り菜」.jpg

 

漬菜は市販の野沢菜漬けで作れば手軽だと思うが、今回は野生化した菜花に拘ってみた。
ゆずの皮は入れなくとも充分に美味しいが、私流では入れた方が上品な香りがプラスだと思う。

いずれにしても、Simple is Best がお薦めの様だ。

納豆の量も納豆好きな私には多い方が美味しい。 (全量の 1/4 ~ 1/3 位が目安でしょう)


なお、容器は適当な器が無かった為豆腐の容器を使用。 豆つながりでご容赦を!

 

浅草と言えば「浅草寺」「雷門」、そして最近では浅草では無いが「東京スカイツリー」も観光客にとっては浅草と言えるエリアでしょう。

今回も、兄(義兄)から頼まれた昔のネガフィルム整理で見付かった懐かしい写真をご紹介しましょう。
現在の写真が有れば比較すると面白いでしょうが、残念ながら私の手元には現在の同じ所からの写真は有りません。
みなさんで現在の風景と比較して見て下さい。
(現在の風景なら、ネットだけでも色々な画像検索で変化の比較・類推が出来ると思います)

現在ではこういう写真には中々触れられる事は無いと思いますので、繁華街の写真は有りませんが、昭和33年頃の浅草の街のノスタルジーに思いを馳せては如何でしょうか?

 

 

昭和33年当時の浅草寺付近

   ◆ 「松屋 浅草店」屋上より ・・・・・ 最近行ってないが、今も屋上へ登れるのかなあ?
S33年6月9日(浅草寺方向).JPG

  ・ 当時は「浅草寺」周辺も、こんなにスッキリして居たんですね!

※ 残念ながら、「雷門」方向の写真は有りませんでしたので悪しからず。

 

   ◆ 同じく、業平橋(なりひらばし=現在の「東京スカイツリー」駅)方向S33年6月9日(業平橋方向).JPG

  ・ 隅田川の向こう側は、今では高速道路に隠れてしまい、見えるのは首都高より高いものだけ
  ・ 浅草駅からこの鉄橋を渡って北十間川沿いに進んで一駅目が業平橋駅(現在の東京スカイ
    ツリー駅)
この辺の現在の状況は、我等の倶楽部仲間・秀一君のブログ「北十間川を歩く」
    が詳しい。
  ・ 隅田川沿いに見える白い建物は、アサヒビール本社・工場。 今はこの北十間川側の一部が
    隅田区役所となっている

 

   ◆ 上の写真の右方向、右側の橋は「吾妻橋」、川沿いの工場はアサヒビール本社・工場
S33年6月9日(吾妻橋方向).JPG

  ・ 正面の煙の出ている所は「アサヒビール・本社」で、現在は首都高の上にアサヒビール社屋の
    屋上に、不思議なモニュメント」が見える

 

   ◆ 隅田川下流方向 ・・・ 橋は手前から、「吾妻橋」「駒形橋」「蔵前橋」 ・・・・
S33年6月9日(蔵前方向).JPG

  ・ この時代、まだ都電が走っていたんだよねー!
  ・ 写真の中の都電は浅草橋の方から浅草経由で三ノ輪橋に行き、更に現在の都電荒川線に接続
    していたものと思う

 

 

関係エリアMAP

   ◆ Google Map より
      撮影場所:現在の「東部浅草駅ビル」屋上とほゞ同じ「松屋デパート」浅草店屋上にて
浅草付近Map.JPG
 

 

この所、(12分以上前には)誰も予測出来る事が出来なかった(御嶽山の噴火)とか「観測史上最大の台風(18、19号)とかが続いて居たが、今日10/20、また政界に前代未聞の辞任劇が発生した。

今回はこの話題を「駄洒落」と「市民目線」で書いて見ましょう。

 

大臣2人の同時辞任劇

始めに、報道関係では「女性大臣が・・・」等と≪女性≫が特に強調される傾向があるが、これは 差別・偏見の上で問題の本質を逸脱させる恐れが有る。今回の問題は男女(機能・能力)の問題では無い事を改めて提起して置きたいと思う。

 

10月20日、今日の出来事概要 (具体的事象)

    午前 : 小渕優子氏・・・・「経済産業大臣」 辞任、
    午後 : 松嶋みどり氏・・・「法務大臣」 辞任
 

 

      ◆ 辞任理由・・小渕優子氏・・・疑惑【政治資金収支報告書】虚偽記載利益供与等
            (歌舞伎座招待、下仁田ネギ・身内業者商品の代金等で不明瞭収支が発端)

         【本人辞任コメント要旨】

            「指摘内容は、知らなかったでは済まないので責任を取る。 外部の専門家も
             入れて再調査し、問題点の解明をしたい」
                 
      ◆ 辞任理由・・松島みどり氏・・・疑惑【政治資金収支報告書】記載漏れ寄付等 
            (うちわの無料配布が「寄付」に当たると野党から追及されて問題化した) 

         【本人辞任コメント要旨】

            「地元選挙区でのうちわ無料配布については違法と思って無いが、これ以上国
             会や安倍内閣の足を引っ張る事は出来ない」

      ◆ その他、関連事項

           小渕優子氏の私設秘書「折田謙一郎」氏=中之条町・町長が、町長辞表を提出
             (折田氏は小渕優子の関連政治団体の政治資金収支報告書作成責任者)

 

駄洒落・時事放談

 

 今日、大臣2人が辞めたんだってね!

 そう! 「小渕経済産業大臣」と「松島みどり法務大臣」だって言ってたよ。

 で、理由は何なんだ?

 ま、「金額の大小」、「やり方は違うけど」 どちらも【政治資金規制法違反】容疑と言う事だ!

 何だそりゃ! 経産大臣も法務大臣も、法律違反って事か?

 そうだな、どっちも  法無大臣 って訳だ!

 小渕優子にはかなり期待の声も多かった様だけど?

 本人は知らなかったと言ってるが、それは本当かもね! 世襲議員の特徴、の氷山の一角だろう
  世襲議員はほとんどが親族が築いた有権者の支持基盤と人脈・金脈・組織をそっくり受け継ぐ訳
  だから、その組織に自浄作用を期待する事は難しいだろう。 (神輿に載せられただけ)
  そんな議員達が牛耳っている政界自体にも自浄作用が期待出来ない現実では、小渕本人に忠告し
  てくれる人も居なかったのじゃ無いかな? (失敗を知らない人ほど足元が疎かになり易い)
  何も考えず、既成のレールに乗っかって居た事の迂闊さに気付けば将来もあるかもね。

 ナーるほど! それはそうと、松島みどりの場合はどうなんだ?

 彼女の場合、女性活用と言う安倍のミクスのお蔭で拾ったラッキーポジションに浮かれて、自滅
  した(と言うより周りに詰め腹を切らされた)ものらしい。
  法務省官僚との不協和音や周りとの醜聞が多すぎて野党からの格好の標的。
  安倍首相の人選失敗だね、適材適所とはどう考えても思えなかったな!

 納得だな! 国会答弁や辞任会見でも薄っぺらな人間性がわかり易いコメントして居たな!
  うちわ(団扇)を配るより、内輪を纏められる人間性の磨きが必要だ。 年齢的に、もう無理か?
  そうだ、団扇も薄っぺらだもんね! 法律無視で平気な人に、法務大臣なんて任せられないよね

 そうそう! 小渕優子の私設秘書で、今回の発端「政治資金収支報告書」を作る責任者の「折田
  町長」が中之条町町長の職をオリタんだってさ!

 

 

【編集後記】

  法律を無視した2人の大臣、本来ならば「GO! ホーム」(法無では無く、議員辞職して選挙
  民のもとに帰れの意味)で、出直すべきだ。(再選されたら議員に戻ればいい)

  大臣の椅子は投げ出すが、議員は辞めないで済ます風潮がまかり通っている現在の仕組みにこそ、
  こう言う不正を醸成する政界の癌だ。 (と、思う)

  罪の大小(金額の大小や認識しながらの行為か過失なのか)は問わず、「説明出来ない不正疑惑
  が明るみに出た段階で、一旦議員辞職させるか、議員資格の一時停止(支給歳費を即凍結し身の
  潔白が証明されたらその時点から再開)する事で、辞職しないメリットを無くする様な仕組み
  を作れば、各議員とも不明瞭な会計のデメリットを重く見る様になるはず。

  因みに現在は不正疑惑が有る議員でも、裁判で有罪判決が出る迄の間、議員が辞職するか国会の
  懲罰動議で可決、又は任期切れ迄は、議員手当・政務調査費等々の諸費用はすべて支払われ、国
  会議員の様々な特権も変らない。 (議員宿舎使用その他の特権)
  裁判等 の場合は、その為の調査費や弁護士手当(本来は個人的な経費)迄もこの 政務調査費 等
  から支出していた人も多いらしい。 (有罪結審の後返却したと言う話は聞いた事が無いが?)

 

   我々の税金がこんな風に消えるなら、「母子貧困家庭」や「3.11関連被災者」の生活
   立て直し支援等に回すべきではないでしょうか?

     ( どちらも 一時金や パート労働でなく、安定収入の為の支援施策が急務!)

 

昨日は8月13日、多くの地方では≪盆の入り≫の行事が行われていた事でしょうね。
一昨日の群馬、太田・館林周辺は最高気温29℃と少し涼しいと思ったら今朝方は外気温23℃と戸を開けて寝て居たら寒くて目が覚めた位である。

そして今夜は戸外で24℃、室内でも25~6℃と扇風機で丁度いい。 そのせいか、早くも庭から鈴虫の声が聞こえて来る。(今迄エアコンを使っていて気付かずに居たのかも知れないが、)今年初めて聞いた様に思う。

そうか、それにしても虫達は気温に敏感だね!  なんだか急に秋めいた様だ。

さて、今日のテーマ 【しょうたれぞうめん】と【ナス漬け】

 

【しょうたれぞうめん】

同郷の人なら、「あゝ、あれか!」ってすぐ思い当たる事でしょうね。
ま、細かい説明は後にして、今日は少し涼しくなったので夕食は【しょうたれぞうめん】にしました。

作り方は超簡単、まずは素麺を茹でる→茹で上がった素麺を直接食器に盛り付け生醤油を掛けて食べる。
これが昔のスタイル。
現在では、さすがに生醤油だけで食べる事は無くなったが、昆布つゆ等を茹で上がった熱い素麺に掛け、唐辛子等の薬味を添えて食べる。 いわゆる、≪釜揚げうどんの素麺版≫と考えればいいでしょう。

これに季節の漬物や惣菜、等が有り盛り付け方に依っては立派な和食になる。

しかし、これがなぜ【しょうたれぞうめん】と言われたのか? 正確な理由は分からない。
    私達の故郷では 「しょうたれる」、「しょうたれ」、と言った方言があるが、
       「しょうたれる」・・・・・汚れる、身形(みなり)がだらしない等
       「しょうたれ」・・・・・・汚れ、みすぼらしい
    等の意味に使う、あまりいいイメージの言葉では無い。
それが、なぜ食べ物の素麺と結びついたのかは非常に不思議である。

それはさて置き、この季節の【しょうたれぞうめん】で忘れられない付け合わせがある。
それが今でこそ故郷でも幻の特産物「巾着ナス」の【丸漬け】である。

 

【ナス漬け】・・・・魚沼巾着ナスの丸漬け(塩漬け)

今でこそ巾着ナスは生産者が少なくなり、「幻のナス」と言われて入手困難なナスになっているが、私達が小さい頃、故郷でナス漬けと言えば【巾着ナスの丸漬け】の事を指した。

この【魚沼巾着ナス】、前回投稿『梅雨明けや冷むぎそうめんみょうがたけ』でも少し触れてみましたが、ナスの皮が比較的薄く、実の部分が普通のナスよりしっかり絞まり、漬けても歯応えが良く甘みが有り煮ても煮崩れしない特徴がある。
京ナス系統で、基本的には丸ナス、今市場で多く見られる丸ナスよりは幾分小さい様な気がする。

これを各家庭で大抵は丸のまゝ樽で塩漬けして、1週間目頃から少しずつ食べるのである。

勿論、食卓には丸のまゝ出されるが、これにかぶり付くのも食べる楽しみのひとつ。
     1週間目頃からのナス漬けは、皮の部分が塩味に漬かり、実の部分はまだ生で甘みが強く
     かぶり付くと実の部分が「カリッ」と音を立てる位の歯応えと共に実の甘さと皮のしょっ
     ぱさ、そして新鮮なナス漬けの香りのハーモニーが口に広がる。これぞ新鮮ナス漬けだ!
     ナス漬けの実の中が、徐々に漬かって行く過程がまた美味い。(日々味が変化して行く)
     満遍なく漬かって本格的発酵が進行して行くと、幾分柔らかくなり酸味が出て来る。
     じっくり漬けこまれたナス漬けはそのまゝ漬物として食べても美味しいが、味噌漬け等に
     転用すれば更に美味しい。(でもそれ迄に完食、此処まで残る家は、殆んど無かった様だ)

ちょうど、6月~9月頃が収穫期で、今頃からが秋ナスの季節で、実のしまりも強く甘くなる事から、昔は「秋ナスは嫁に食わすな」と言われた位美味しくなる。
    注 : 「秋ナスは・・・」については別の意味もあるとの説もあるが、それはまた別の機会に・・・

 

【橘 曙覧(たちばな あけみ)】・・・・ならどんな歌を詠む?

唐突ではあるが、久し振りの“しょうたれぞうめん”と“ナス漬け(巾着ナスでは無かったが)”を楽しみながら、もし“橘 曙覧”だったら「この食事風景をどんな表現で詠むのだろうか?」 と、興味が出て来た。

  橘 曙覧 : 坂本竜馬と同じ時代、福井に居て藩主・松平春嶽などとの親交が有りながらも政治に
         流されず 貧しいながらも家族との日常を楽しみとした歌人であり国学者でもある。
          (生家は福井城下の商家)

“曙覧”なら、「熱い素麺とナス漬け」の家族の団欒を、もしかしたらこんな風に詠んだかも知れませんね。


   【 たのしみは汗を拭き拭き麺を喰う子ら眺め見し漬けナスにかぶり付く時 】

 

 

7月28日、 「北陸・東北地方も梅雨明けしたと見られる」 と
     梅雨明け宣言があった、これで全国的に梅雨明けした訳だ。

 

やっと鬱陶しい梅雨空から解放されるかと、ホッとする一方でまた今年もゲリラ豪雨に悩ませられ
る夏では無いかと、一抹の不安も残る。  相変わらず暑い毎日が続いている。

そんな中ですが、私の幼い頃の、「夏の思い出」に少しだけお付き合い頂く事にしましょう。

 

【梅雨明け時期の母の味】

幼い頃、梅雨明けと言えば我が家の夕食には何故か冷麦か素麺が頻繁に登場する様になるのが恒例
だった。

今にし考えて見れば水道の無い時代、冷麦や素麺を冷水で洗う作業は 井戸水か 川水しか無かった
訳で、家の前の小川の水も、雨期には田圃の泥水が結構混じって麺類を洗う気にもならなかったと
推測出来る。
一方で、井戸水となると、手押し式のポンプを使う訳だが、ひとり仕事としては結構大変だった様
だ、そう考えて見ると、梅雨が明けて田圃の水もかき回す事が少なくなり、従って、家の前の小川
の水も清流となるこの季節に隣近所を含め、その【清流で冷麦や素麺をさわす】風習が出来たので
あろう。
 ◆ さわす : 醂すと書くらしい、 柿の渋を抜く為に流水に浸す事 等を言うが、当時、 我が家や
       近所の家々では、麺類を流水で洗う時にも 『さわす』 と言っていた.。

そして小学生の頃、水道が完備してからは川でさわす事は無くなったが、梅雨が明ける頃から麺類
が多くなるサイクルは続いている。
  (最も、全国平均でも夏に冷麦・素麺・うどんの消費が多くなる傾向らしいが ・・・・)

そんな梅雨明けの頃の夕餉に、母が良く作ってくれたのが「冷麦」と「素麺」で、タレは単純に焼
き干し(煮干し)を入れて作ったた醤油味のつけ汁、薬味は 刻んだネギや 七味唐辛子が 定番であ
った。

また、今回のテーマからは離れるが、「ナスやキウリの漬物」はこの季節、食卓から欠いた事の無
い母だった。
特にナス(巾着ナス)の漬物は、巾着ナスの産地以外のスーパーやコンビニでは殆ど売っていない。
皮が薄く、身は歯応えが有り独特の甘みが有る。
半分位漬かった新鮮な丸いナス漬けにかぶり付くと、「カリ」っと音がする。
口の中に広がる半生の甘い中身と、塩加減の効いた皮の部分を口の中で【口中調味】しながら味を
楽しむ。 「記憶の中の母の味」、と言うより 『故郷の味』だが、これについては別の機会に!

 

さて本題の、冷麦・素麺に関する【母の味】

冷麦・素麺に焼き干しで採った醤油味のダシと定番の薬味が多かった夕餉の食卓、この季節だけは
時々変った薬味が出て来た。
実はこの薬味が、私にとって記憶の中の【この季節の母の味】なのである。 それが【茗荷タケ】

    ◆ 食卓の薬味としても、使われる【茗荷タケ】
         (信州伊那谷・Tさんのブログから、ご好意により写真をお借りしました
Taki-01.jpg

   この様な【茗荷タケ】を、細かく刻んで冷麦・素麺・うどん等の薬味として使う。

私の故郷では、昔は大抵の家の敷地内に何故か茗荷が植えてある一画があり、私の家にも御多分に
漏れず茗荷のエリアが有った。
通常、梅雨明けのこの時期には茗荷は葉を繁らせている状態なのだが、時には時期外れの【茗荷タ
ケ】が顔を出す。母は時々これを探し出して、冷麦や素麺の薬味として付け合わせていたのである。

これが私にとって「忘れ得ぬ味覚・風味」 になったのである。

しかし不思議なのは、故郷にいる時は当たり前の事として、周りの人も当然食べている事と思って
いた為、確かめた事は無かったが東京に出てから数十年経ってから、故郷の友人達との会話でその
事を聞いて見たら、「【茗荷タケ】?何それ!」と、誰も知らないと言われてショックを受けた。

故郷を出て50数年以上、私の知る懐かしい【茗荷タケ】には縁が無くなり忘れかけていたのだが、
先日、茨城の知り合いの農家にお邪魔した際、庭の茗荷の中に数本の【茗荷タケ】を見付け、農家
の人が怪訝そうに「食べられるの?」って聞くので、麺類の薬味や納豆に混ぜる等の食べ方を教え、
3本ばかり頂いて来た。

ひさしぶりに冷麦と【茗荷タケ】の風味を味わって、古の母の味をハタと思い出し、この記事を投
稿しようと思い付いた。

実は、【茗荷タケ】と言えば、京茗荷として、室栽培された茗荷タケが料亭などで使われている事
は30代前半頃から、ビジネスで使った料亭などで 夏料理のお品書きに出て来て知っていた( こ
の頃は【茗荷茸】のお品書きが殆んどだった様に思う)のだが、母が出してくれた、あの【茗荷タ
ケ】と元が同じものとは知らなかった。

それにしても故郷では、まさか、私の家だけが【茗荷タケ】をたべていたのだろうか?
少なくとも今日迄は故郷の人達からは聞いた事がない。

不思議な思い出なので【茗荷タケ】について、少し調べて見る事にしました。

ところでこの【茗荷タケ】、商品としては「似て非」なるものが“同じ名前で扱われている事から
混乱を生じない様に、現在の実態をざっと整理して見ましょう。

 

【茗荷タケ】 ・・・・ みょうがたけ

漢字は 『茗荷竹』 , 『茗荷茸』 など諸説有る為、便宜上ここでは 【茗荷タケ】 と致します。

「茗荷タケ? 何だそれ?」 って言う人が意外に多いので最初に概要を書きましょう。

通称【茗荷】と言えば【花茗荷】とも言い、最近ではスーパーやコンビニの野菜コーナーでは殆んど季節に
関係なく売られる様になった、あの【茗荷】は誰でも知っていると思います。

一方の【茗荷タケ】、これも実は花茗荷と基(もと)は同じで花芽(開花前)は【花茗荷】葉になる部分
の発芽直後の状態(偽茎=ぎけい)を【茗荷タケ】
と呼んでいるが、これを食材とする文化は限られた地域
・業
界が殆んどで、東京を始め、大半の地域では大手スーパーでさえ店頭に並ぶ事は稀だった。
その為、一般消費者は知らない人が多いのでは無いかと思う。

意外に、皆さんの自宅の庭、せっかくそこに有るにもかかわらず、花芽の【茗荷】の部分は食べて
も【茗荷タケ】は食べられない部分、と思っているかも知れませんね?

【名前の由来】
  発芽直後の姿が、ちょうど竹の子に似ている事から、最初は【茗荷竹】と呼ばれていたのが後に何かの
  理由で【茗荷茸】と変わって行った地域・業界が有ったものと思われる。
  現在では【茗荷竹】及
び【茗荷茸】の名前が混用されている。
  この為苦肉の策で、流通 商品名は「ひらがな」や「カタカナ」表記が増えている。
  ※ 本ブログでは便宜上【茗荷タケ】と表記する事に致します。

【室(むろ)栽培と路地(ろじ)栽培】
  今、商品として流通している主流の【茗荷タケ】は、昔からの京料理に多く使われるニーズ
  に応える為、大陽光を遮蔽コントロールして、偽茎を薄紅色に着色し、茎を柔らかく長くす
  る為【室栽培】されたものです。 
  【室栽培】の事を【軟白(なんぱく)栽培】とも言う。
  軟白とは、光を当てずに柔らかく白く、エグミの少ない【茗荷タケ】に育てる事。
  ウド(独活)の栽培も同様の原理の軟白栽培が行われている。
  路地栽培は消費地が極めて限定されていて、地産地消的な栽培・物流の形態が多い。

  ◆ 室栽培のワラ室 (例 : 宮城県名取市)
       NHK総合・5月の放送番組:「うまい!」より、TV画面をカメラで撮影
05.25 - 009 (NHK番組【うまい!】みょうがたけ).jpg

    ◆ 室の中、敷きワラの下から出た【茗荷タケ】の新芽
             ・・・ もしかして、この姿が【茗荷茸】の語源?05.25 - 001B (NHK番組【うまい!】みょうがたけ).jpg

    ◆ 室の中で育った【茗荷タケ】の収穫
05.25 - 008 (NHK番組【うまい!】みょうがたけ).jpg

    ◆ 高級食材としての【茗荷タケ】・・・名取市は室栽培【茗荷タケ】の生産量日本一
     (仙台で野菜ソムリエをされているさんのご好意で【MIDORIなヤサイ】サイトより1枚
みょうがたけ みどりな野菜.JPG

         左側のパックに切り揃えられたものが出荷用のもの、右の長いものが収穫時の状態
 

【露地栽培】 ・・・・・ 発芽直後は【茗荷竹】の名がピッタリ

  これは、【茗荷タケ】の為に植えている所は極めて少ない様だ。  むしろ【花茗荷】の為の
  栽培の一部を道の駅などで地産地消で販売される程度。  スーパー等で売られている所は
  長野県南部の一部地域 他、全国ではごく一部の地域に限定されている様である。 

   ◆ 路地栽培の例
      画像検索写真、著作権侵害の恐れがありますが、再度検索しても出展元が見付
      からなかった為、無断掲載させて頂きました。(お心当りの方はお知らせ下さい)

茗荷茸 1.jpg

  通常、これ程育ってしまうと固くなり、あまり美味しくありません。 が、地方に依ってはこの位
  迄、食用にしている様です。
 (外の皮を剥ぐと、偽茎は柔らかい)

  発芽前に、稲ワラや籾殻を数センチ敷き詰めて光を当てないで白い部分を長く育てたもの等も良く
  見受けられる

  【タケ=茸】の漢字を使う様になった由来の推論 ・・・( あくまでも私の推論です)
  京都及び、料亭など一部の地域・業界では【茗荷タケ】を【茗荷茸】と書いている所がありる。
  最も、【タケ=竹】の漢字も正しい名前かどうかわからないが、路地栽培物は【竹の子】に良く似
  ている。
  所が前記の様な【室栽培】で栽培中の室の中を覗くと暗い地中から茗荷タケが発芽している様子は
  【竹の子】と言うよりも、むしろ白いキノコ(菌類) の様に見える。
  そんな光景を見た誰かが【竹】の発音を【茸】と勘違いか、又は意識的に変えた。
  それが商品名として巷(ちまた:料亭等)の支持を受けて【茗荷茸】として広がって行った。
  と言う仮説も成り立つ。

 

【茗荷タケ】の産地

  現在、どんな生産地があるのかザッと調べてみたが、『旬の食材百科』と言うHPの中に、非常に
  良く纏めた記事が有りますので、サイト管理者フーズリンク様からお許しを頂いて下記の通り、記
  事の一部をお借りして掲載しました。(元のサイトにもリンクしてありますのでご覧下さい)

    ◆ 『旬の食材百科』より
旬の食材百科HP―2.JPG

  ご覧の通り、宮城県と京都府で、全国の81%を占めている事が一目瞭然。

  とは言えデータは見方によって色々な意味を持つ。
  データは平成22年度の生産量で、3年前の東日本大震災の影響もあり、現在の比率は恐らく宮城
  県の比率は下がっているだろう事と、室栽培品(伏込み)76トン/路地栽培16トンの比率も変
  って来ているものと思いますが、恐らく増えているのは販売単価の高い室栽培=新規参入の生産地
  で、果たしてこれが栽培農家に取って良い事か否かについては熟考する必要があると思う。

【このグラフで何が見える?】

  私の杞憂であればいいのだが、このデータで見る限り、室栽培物の価格低下か、路地栽培物の生産
  が伸びない限り、【茗荷タケ】全体のマーケットは頭打ちか微増程度であろう。
  しかし、現状では薄利な露地栽培物が増加するとは思えない。一方で一般消費者が高額な室栽培物
  に飛びつく要因が、今は無い。

  もう一度グラフを見て頂きたい。  宮城・京都で81%も占めているマーケットに魅力を感じて
  いない他の産地が幾つあると思いますか?  (潜在的な競争相手の存在)
  もうひとつは、大量に生産されている室栽培品の販売先=ユーザーが料亭や高級レストラン(ホテ
  ルも含む)等高級食材の購買力があるマーケットに限られている事が、逆にマーケットの拡大を阻
  んでいる。
  言い換えると、花茗荷に負けない潜在マーケットが期待出来るのに、高級食材と言う目先のマーケ
  ットだけに囚われた商品戦略では、価格競争の泥沼に、まっしぐらな未来が見えていると言える。

  現在のまゝ何も対策を取らないで推移すると、マーケットサイズの頭打ちと、

     1. 室栽培の生産地が拡大 → 価格競争 → 価格下落 → 生産者の淘汰
        と言う、過去に様々な産物で繰り返された経過が見えて来る。
        新規競争相手としては、あえて取引単価の安い路地物を選ぶ事は考え難い。

     2. 高級食材としての価格が値崩れしても、一般消費者に流通出来なければ、
        同じマーケットサイズでの競争になる → 更に価格低下→ 生産地の衰退。

  となる事は明白。

【どんな対策が有るか?】 

  【茗荷タケ】の産地・農家ではそれぞれにマーケット拡大について、努力されている事と思います。
  しかし、一般消費者への浸透を目指した活動が、中々見えて来ず、生産地に近い地域でさえマイナ
  ーな食材でとして認識されているのが現状だと思う。

  もし、私が【茗荷農家】なら、何をするだろうか?。

  専業の皆さんを差し置いてあれこれ言う立場に無いので、素人目に見た【室栽培】と【路地栽培】
  の、各々についてワンポイントだけ、対策案を挙げて見ましょう。

  【室栽培農家】なら

    3~5年以内には始まるだろう、価格競争への備えを最優先課題として考える。
    (マーケットサイズの拡大より産地間競争拡大 → 海外生産品の脅威も始まるでしょう)

     → 低コスト化・生産効率UPが鍵 → 何件かの農家又はJA単位で【野菜工場化】する。

     ※ 温度・湿度・紫外線コントロール等はレタスなどの野菜工場が先行して成功例は多数。
       室栽培は殆んどの育成行程がこれに置き換えられる上に農家自身の重労働も、かなり
       軽減出来るものと思われる。
       確証は無いが、年間を通じて栽培が可能になる事から、収量も上げられるだろう。
       最大の問題は、イニシャルコストであろう。

  【路地栽培農家】なら

    やはり、【花茗荷】と【茗荷タケ】は車の両輪にするべく、【茗荷タケ】の振興をめざす。

      ① 【茗荷タケ】の漬物等を作り、【花茗荷】の出荷時等にサンプルを付けて送るなど、
         商品化と、知名度向上を計る。(Webサイトでの通販なども活用する)

      ② 同業の仲間とスーパーでも売れる【茗荷タケ】の開発とセールスを積極的に進める。
            スーパー等で扱う条件のクリアー
                   → 第1歩:【茗荷タケ】の「知名度向上」と「安定供給」 

      ③ 生産コスト低減と、栽培効率の改善

      ※ 室栽培同様、野菜工場化は理想的だが、取引単価は1/5以下であろう事から、イニ
        シャルコストの回収を考えると、一般消費者に受け入れられる目安が付く迄はリスク
        が大き過ぎる。

   等と、勝手な事を書きましたが、世界的な和食ブームも手伝って、ブレークの可能性もある【茗
   荷タケ】、近々マイナーでは無くなる可能性も大いに秘めた食材なのである。

 

【母の味再び】

 

【茗荷タケ】、知名度としてはイマイチな食材だが、生産地などではどんな料理で食べられているのか
 調べて見ると、意外に幅広く応用されていて、やはり【花茗荷】と同様の 潜在的マーケット力を持っ
 た食材である。 むしろ、応用食材としては【花茗荷】以上かも知れない。

    薬味・天ぷら・サラダ~カルパッチョ・シャブシャブ、浅漬け・甘酢漬・味噌漬け・・・ 等々

   勿論、【花茗荷】と同じ食べ方もあるが、味噌漬けなどは茗荷タケの方が美味しそうだ。

   以下に幾つか料理のサンプルをご紹介しましょう。

   ◆ 薬味 ・・・・・ 路地物
          まさに、このブログを書く発端となった母の味。細かく刻んで冷麦や素麺の薬味
          として、また同様に刻んで、納豆に混ぜても美味しい。

   ◆ 鰹の付け合わせ ・・・・ 室栽培
          仙台の野菜ソムリエ S さんのブログ MIDORI な ヤサイ より、写真をお借り
          しました。
茗荷タケ料理-MIDORI.JPG

          新鮮なカツオにシャキシャキな茗荷タケ、美味しそう!
 

    ◆ 味噌漬け ・・・・・ 路地物

          実は私もまだ食べた事は無いが、韓流ドラマ・チャングムみたいに、茗荷タケの味
          を思い描いて見ると、およそ想像が付く。
          冒頭に掲載した写真を提供して頂いた、信州・伊那谷のTさんのブログ を見て、な
          るほどこう言う食べ方も有ったか、って改めて気付かされた気がする。
                (花茗荷の味噌漬けは知って居たのにね!)
          そのブログからお借りした写真がこれ、暖かいご飯がぴったり合いそう!
Taki-02.jpg

    ◆ 天ぷら ・・・・・ 室栽培 (路地物も有りだと思う)

          これは、特に説明は要らないでしょう ・・・・・ 省略します。

 

等々勝手な事を色々書きましたが、【茗荷タケ】は、もっとメジャーな食材としてブレークする可能性を持つ
美味しい食材である事に、お気付き頂ければ嬉しいですね。

 

Whiteout !

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ホワイトアウト(whiteout)、言葉としては大抵の人が、頭の中でその状況を想像出来る事と思う。
ところが、実際にはその状況に遭遇した時には危険性に対してはどう対処したら良いのか分からずパニック
を起こす人が、以外に多い。

関東地方は先週末の大雪に大騒動であった訳だが、意外にこの時にもホワイトアウトに幻惑された人が多
かったのでは無いかと思う。
【え~! 「ホワイトアウト」って雪国で起こる現象じゃないの!】って思った人は、以下を参考に日常に
役立てゝ下さい。

 

ホワイトアウト(whiteout)とは

辞書:広辞苑によると、「極地で雪原と雲が一続きに見え、天地の識別が困難になる現象」 と、非常に狭義の
解説しかして居ないが、本質的現象の説明にはなっている。
要は 【雪や霧等に周囲を囲まれ天地、左右の区別が付かなくなる事により、方向感覚を失わせる現象】 を、一般
的に【ホワイトアウト】 と言って居る。

今回は車の運転と言う視点に絞って、運転中に遭遇する 【ホワイトアウト】 について書いて見ましょう。

 

2月8日/関東地方でのホワイトアウト

勿論、関東地方で雪原と空が同化して天地の区別が付かない様な 【ホワイトアウト】 は考え難い、と、
思われるでしょう。
確かに普通の白昼、そんな現象に巡り合う確率は無いと言っても良いだろうが、濃霧の時と降雪時には
【ホワイトアウト】 に遭遇する事が少なく無い。 それが 【ホワイトアウト】 だとは気付かずに!

霧はある程度場所と季節と時間帯で、濃くなっても対処は多くの人が経験的に知って居るので、これ以
降は【 “降雪” によるホワイトアウト】 について書く事にします。

そして、関東の【ホワイトアウト】は『方向感覚を惑わす』 と言うよりは【車を運転する時の『視界』
を遮る】為、始末が悪い。
まずは先週末、私の勤務地近く(群馬・大泉町)の夜の雪道風景を見て頂きましょう。

   ♦ A : 2月8日 “19時頃の雪道”  (フラッシュなし)2014.02.08 - B 003 (7.13 PM).jpg

 

   ♦ B : 2月8日 “19時頃の雪道”  (フラッシュ有り・・・・撮影場所、方向は同じ)
2014.02.08 - B 001 (7.13 PM).jpg

 

上の2枚の写真は雪が小降りになった時を選んで、同じ場所を殆んど同じ時間に撮影したもので、実際
には小雪がチラチラ舞っている程度の状態での映像です。

この写真で何が言いたいか?
(雪国の人には、特に車を運転される人なら一度ならず経験されている光景でしょうが)

そう、「 写真 B 」、 これが 【降雪とヘッドライトが作り出す、ホワイトアウト】 の正体 なのです。


夜、雪道の激しい降雪や吹雪の中で、前を良く見ようとライトをハイビームになどすれば余計に前が見え
なくなり、4~5m先の轍(わだち)も見えなくなるのです。

静止状態でさえ4~5m先が見えなくなると言う事は、

   例えば時速20~30km/h程度で走っていても
          実際には1~2m先の状況しか確認出来ないのに、
                 
普段の経験からの想像で見えていると錯覚して運転をする

    【速度が上がれば更に視認距離は短くなり、その反面、
        雪道は制動距離が数倍に延びる為、とっさの場合間に合わなくなり事故に繋がる】


こう言う実態が非常に危険な事は誰でも認識して居ても、雪国の人は大抵の人が 「身近で」 或いは 「体
で覚えて」 この状況に対応出来る (速度を緩め、近くの退避スペース等で晴れ間を待つ等) のに対して、
無雪地域の人にとっては非日常の事。

頭では理解出来ても、繰り返し体験の無い人にはなかなか対応が難しいものです。

   非日常の大雪となった2月8日(厳密には2月7日深夜~8日深夜)、
         この様な 【ホワイトアウト】 を経験したドライバーが、恐らく数万人以上 、と思う

 そして、中にはその 【ホワイトアウト】 がき金となった事故 も多数あったかも知れませんね!

 

今回は一般にイメージされて居るだろう 【ホワイトアウト】 の話とは違った形の 【ホワイトアウト】
を話題にしましたが、身近に起こり得る危険な自然現象!

関東地方では今日(2/14)もまたその危険が迫っている。
【ホワイトアウト】 に加え、平気でノーマルタイヤで雪道に乗り出すドライバー等、雪国では考えら
 れない危険要素が増える関東地方(他の無雪地帯にも共通でしょう)の最良の安全策は、

  極力用事の無い時は車に乗らない!  道路を歩く時は、普段以上に周りの車に注意!

これが 【我が身を守る最善の安全対策】でしょう。

 

【ホワイトアウト】 と言えば、14年前封切られた織田裕二主演の、同名の映画が有った。

 これは、銀山湖を生成した奥只見ダムを占拠したテロリストが、ダム破壊を質として国家を脅迫して、
 大金を強請ると言う筋書きで、豪雪の中でダム管理職員に扮する織田裕二と、テロリストグループが
 ダムを巡って攻防戦を繰り広げると言うのがメインストーリー。  非常に良く出来た映画であった。
   (勿論、銀山湖や奥只見ダムも仮名で出て来る。 空撮や実物映像も迫力がある)

 今夜みたいな雪の夜は、映画 【ホワイトアウト】 でもレンタルして、自宅で休むのがベストだと思う。

 

春一番

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「春一番」、と言えばキャンデーズ(もう古いのかな?)の歌か、その年の立春(2月4日頃)後に 初めて
吹く【春風(東又は東南の風)】の事。

しかし、ここ数年私にとっての「春一番」は、【食の春一番】。 それは、菜の花に似た【からし菜】の事。

 

写真は、≪ゆきぐにネット≫で見た我が故郷の今日の風景。 今年、僅か数回目の晴天日だった様だ。

   ♦ 五日町スキー場からの八海山ライブカメラ/1月24日15時現在2014-01-24-15-00.jpg


また先日、1月19日休日を利用して富士山周辺ドライブに行って来た事はメンバー“雄”が投稿して居
ますのでこちらもご覧下さい。

そこで、富士・箱根付近の近況も数枚載せましょう。

   ♦ 乙女峠からの富士山方向 (残念ながら日の出直前の赤富士は撮れませんでした)
2014.01.20 - 01 乙女女峠 A (1280×802).jpg

     (あと1ヶ月位後なら左上の月が富士山の上に沈む様になるのだが)

   ♦ 田貫湖からの富士山
2014.01.20 - 02 田貫湖  (1280×930).jpg

    (田貫湖はある時期になると富士山の山頂から日の出が見られる、ダイヤモンド富士が有名)

   ♦ 田貫湖のお御渡り? (上・写真撮影場所の横から奥の凍っている湖面との境目)
2014.01.20 - 03 田貫湖  (1280×960).jpg


さて、この時のドライブ中も天気こそ良かったが、まだ春一番の兆しも無かった。 奇しくも1月20
日~2月3日迄は、二十四節季の 『大寒』 に当たる。 そう、今は真冬である。・・・はずなのだが?

 

私の【春一番】

今日、私の【春一番】の収穫が有った。 勤務先に近い利根川の堰堤に自生する【からし菜】である。
気象庁からの「春一番」宣言はまだ何時になるか分からない今の季節、春一番を語る事は故郷の、いや
雪国の人々には後ろめたい話題の様な気もするが、私にとってもまさか今から採れるとは思って居なか
った事。

やはり異常気象の関係か、今年は早い気がする。

   ♦ 利根川堰堤からの【春一番・からし菜】の収穫
からし菜 - 001 春一番 2014.01.24(1058×1280) (17.20AM).jpg

 

時間に余裕が出来たので様子を見に行って来たのだが、まさかここまで花の董(とう)が育っているとは
想定外であった。
僅か5分位でこれだけの量が収穫出来、漬物として1週間以上は “和辛子” の香りの漬菜が楽しめそうで
ある。

   ♦ 漬け込み作業完了の状況。 ・・・・ 葉の部分は数時間で浅漬けとして食べられる。
       (冷蔵庫で、1日1回位上下反転させながら管理する)

からし菜漬 - 001 2014.01.25 (1280×947).jpg

今回の収穫分で、上記の様にA4サイズポリ袋2袋分、
                漬物好きな私でも、1~2週間は充分楽しめそうである。

  ※ 漬け込む前に広げた菜の上から熱湯を掛ける程度の湯洗をするのが和辛子の香りと辛味を
     出すポイント。 (不思議なんだが、これをやらないと辛味も香りも出ず、普通の菜花と同じ)

また、発酵して酸味が出ても刻んで納豆と混ぜれば【キリゼー(切り菜)】として熱々のご飯の友になり、
煮干し等と煮込めば、ご飯の友やお茶受けとして、冷えても美味しい煮物 【ニーナ(煮菜)】 ができる。

みなさんも、里山や堤防を散歩やジョギングする時は、ちょっと回りに気を付けて見ると、意外と身近に
あるかも知れませんよ!
でも、見付けても根こそぎ採るのは止めましょう。 食べる部分だけ少しづつ、別々の株から採取する事
で、何回も収穫出来る様になります。

最近は河川敷に菜の花畑を作ったりするせいか【からし菜】も交配種が増え、香りも辛味も薄れた株が多
くなった。 採取の際は葉がギザギザで、葉先に棘(チクチクする程度のトゲ)があるものが原種に近い。
 (ちょうど、アザミの葉を幅広く大きくした様なイメージ。 古い葉は固く、食用には不向きです)

また、最盛期は葉は固くなり食用に適さないので蕾の付いた董(トウ)を食べますが、太くて柔らかい董
が美味しいですよ。 
摘み取るコツは指で折る時 「ポン」っと音が聞こえそうな折れ方をする部分を採取するとベスト。
    (ちょうどスカンポを生食する時に折る、あの感触、
                欲張って根本から折ろうとしても食べられない部分が多い)

TVコマーシャルの 『壇ミツバチ』 では無いが、
     「葉っぱはチクリがいいんです」 ・・・・・・・ 原種に近いから、香り・辛味が楽しめる
    
 「摘み取る時には、ポンがいいんです」 ・・・・ 柔らかいから美味しい

因みに、「葉っぱのチクリ」 は熱湯処理や長時間水に漬けると解けて無くなりますのでご安心を!

 

エ! そんなこたあ知ってる? こりゃまた失礼しました!  少し早過ぎる【春一番】のお話でした。

 

追申 (食べ頃後記 ・・・・ 1月28日)

この間、勤務先・群馬県の利根川堰堤で採取した【春一番の味・からし菜】の漬物が、食べ頃
となった。

からし菜漬(2014.01.28).jpg

写真は今日食べる分、こちら(勤務先:群馬)には皿を持って来て無いのでコンビニの菜物ケース
に盛り付けた。
最初は撮影するつもりが無かったもので、切り揃えて無く、見てくれは悪いが塩加減も良く、今が
最高の食べ頃。
撮影の後、この半分はキリゼー(切り菜)にしたのだが、写りが美味しそうで無い為、写真はカッ
トした。 しかし味は期待通り、炊きたてご飯に良く合った味、感激だった!

でも、多少苦味も強い様なので、人に依っては野沢菜で作るキリゼーがいいと言う方が居るかも知
れないませんね。 (苦味も和食では重要な味覚のひとつ、私はどちらも好きですが!)
 

仕事の都合も有って、足掛け2年ばかり撮影を兼ねた遠出の旅行から遠ざかっている。
その為、旅ネタの投稿写真がなくなって来た。

反面、最近はテレビの二ユースやバラエティー、録画番組のチェックの時間が多くなり、生活習慣として
はあまり良く無い方向に向かいつゝあり、今年は生活習慣改善がプライベートなテーマになりそうだ。

さて、今回の話題は、昨日犯人逮捕となった、あの事件。

 

正月早々のお粗末騒動

まずは、今日の昼の二ユース(NHK及びTV朝日)から幾つかのカットを!

   ♦ NHK、「正午の二ユース」から ・・・ 杉本脱走犯の逮捕報道がトップ二ユースに!川崎地検・脱走事件 - 001 (2014.01.08 1024×570).jpg

   ♦ TV朝日、「ひるおび」から数コマ ・・・逮捕現場、パトカーへ!(昨日の放送の再放送)川崎地検・脱走事件 - 002 (2014.01.08 1024×570).jpg

   ♦ 護送の中継録画 (昨日の放送の再放送)川崎地検・脱走事件 - 003 (2014.01.08 1024×570).jpg

   ♦ 横浜地検・川崎支所到着 (昨日の放送の再放送)川崎地検・脱走事件 - 004 (2014.01.08 1024×570).jpg

と、逮捕劇の内容は、改めて書く積りは無いが、逃走劇の発端となった地検の 「容疑者と弁護士との
接見体制」 が、あまりにも間が抜けて居て、素人の私でさえ検察・警察組織としての認識の甘さが読
み取れる。

某大臣談話で、【対策として、各地検に至急専用の接見室を設置させるべく指示した】とのコメント
も有ったが、これも本質からピントがずれている。
(部屋が無くても、常識的な然るべき対策をして置けば防げる問題だ)

先入観の無い所で、まずは、【弁護士接見の場面】を想定して見て下さい。

TV朝日の 「ひるおび」 の再現画面が参考になると思いますので、下の画面でイメージして下さい。

   ♦ 「ひるおび」 の脱走時の状況再現解説 (昨日の画像を再放送)川崎地検・脱走事件 - 005 (2014.01.08 1024×570).jpg

場面は机を挟んで左(黑の背広)が弁護士、右(白のトレーナー)が杉本容疑者。その腰縄を握るのが
警察管と言う構図で、警察官の後ろが出入り口のドア。

番組キャスターの恵氏の後ろの画面に、縦横の位置関係が上下になっているが、平面図がある。
(恵氏の「背中に見える所が出入り口、四角い机の奥が弁護士」と言う位置関係)

第一の疑問はこの位置関係である。 ・・・・ なぜ弁護士が奥で容疑者が出入り口なのか?

第二の疑問はドアに鍵が掛けられて居なかった事。 ・・・・ 逃げると言う想定は誰も思い付かない?

第三の疑問はドアの外に、何故もう一人見張りが居なかったのか?
   (経費節減?、規則に無い? ・・・・ この後の費用を考えれば微々たるものだったはずだが)

逃げるなんて想定外? ・・・ それは言えないでしょう!
   (昨年だけでも取り調べ中や護送中の脱走事件は何件か起きて居るでしょう・・・他人事?)

等々を考えると、今回の逃走事件が起こるべくして起きたと言える、お粗末な逃走劇だ。

それに不思議なのは、各メデアとも逮捕直後には現場に居た形跡がある。
もうひとつ、私でさえ気が付く様な失態について追及するメデアや評論家が出て来ない事に、違和感
を感じてしまう。

 

幕引きは【007】で!

そう考えると、汚名挽回にと大捜索網を敷いて行った逮捕劇も、何やら胡散臭い気がする。
もっと早く見付ける事が出来ていたのでは? ・・・・ なんて考えたくもなる。

大捜査網を敷いた手前、センセーショナルな 「THE  END」 にしたい人が居たのでは?
なんてのは考え過ぎだろうが、逮捕現場に向かわせたパトカーが凝っている。

パトカーの車両管理ナンバーが 【007】 とは傑作だ。 ・・・・ 空撮画像の屋根に注目!
もし、意図的にそうしたのならユニークなアイデアマンが居る。 それなら今後の改革も楽しみだが?


「なにこれ珍百景」にでも投稿したら、【登録】になるかもね?

 

 

 

 

         明けまして
            おめでとうございます
               本年も宜しくお願い致します

本年最初の投稿は【 人日 (じんじつ) 】

 故郷の1月7日は今年2回目の晴天、それも今年初めて朝から夕方迄の1日中晴天だった。
  (写真は、「ゆきぐにネット」様のサイト・五日町スキー場のライブカメラより)
2014-01-07-15-00.jpg
 
1月7日は1年「五節句」の内の最初の節句、「人日」に当たる。
         と、言うよりも【七草】と言う方が馴染があると思う。
実は「人日」の行事の一部が「七草」で、「七草粥」を食べる事で今年1年間の健康を祈る。
と、言う事だそうだ。(後述のHP「暦のページ」サイトより)
ところで、そもそも「人日」とはどんな節句なのか? 意外にその意味を知る人は「七草」に比べ
かなり少ない。
詳細は後述HP「暦のページ」をご覧頂きたいのだが、要約すると
【古代中国では正月一日から「鶏、狗、猪、羊、牛、馬」の順に獣畜の占いを立て、七日目に人の
 占いを始めたという事で、人日(1年間の人々の運勢を天候で占う日)とした】
   ・・・・ 晴れならば「吉・幸運の卦」、雨ならば・・・
つまり天候に関連する事・年始に1年間の運勢を占う事から、最初の節句になったらしい。
「暦のページ」より一部抜粋すると
「暦のページ」より 五節句.jpg
と言う内容で、より詳しくは後述URLからアクセスして見て下さい。

さて、今年の「人日占い」はどうか!
故郷・南魚沼市や関東地方を始め、ほゞ日本全国「晴天」の1月7日、占い通りなら今年は最高の

【幸せ運】なのだが・・・
普段、占いとか神仏などは信じない私なのだが、正月早々の幸運占いなら、素直に喜ぶとしましょ
うか!

ところで、前述のHP「暦のページ」について。
このHPは暦に関連した様々の事が、かなり詳しく出ており、数年前から事ある毎にアクセスさせ
てもらって居る実用サイトです。
皆さんもきっと、一度ご覧になったら「ブックマーク」に登録したくなると思いますよ!
  HP「暦のページ」の URL :
 http://koyomi8.com/ 

また、何時も八海山のライブ映像を発信してくれている「ゆきぐにネット」のURLも改めて紹介
して置きましょう。

  「ゆきぐにネット」の URL : http://hakkaisan.livepix.jp/ 

このサイトは、麓(ふもと=地名:カタクリ群生地でその時期には各地から観光客が集まる【六万
騎山】の、まさに「麓」)に自宅兼会社を構える方のHPで、かれこれ10年以上アクセスさせて
もらって居ます。
1998年からの八海山のライブ映像(写真)がデータベースとして楽しめますので色々役に立ち
ますよ。  サイト管理者の方にはとても感謝しております。
なお、「ゆきぐにネット」へはこの【八海山倶楽部】のリンクページからもアクセス出来ます。
 

次の写真は水曜日(12/26)テレビ朝日の「いきなり!黄金伝説・年末スペシャル」と言う番組のひとコマ。
「取ったど~!」 って叫ぶ、あの番組。 (厳密に言えば、TV画面を写真に撮ったひとコマの一部拡大)

    ♦ 注目ポイントは、審査員として出演中の白石康二郎氏のトレーナー右胸のロゴマーク「海洋冒険家・白石康二郎」 B.jpg

 

私の見間違いで無ければ、【八海山】 と読める。

以前の投稿 “忘れ得ぬ風景「甲斐駒ケ岳」” の中で、TBS・BS放送 「日本の名峰 絶景探訪」 と言う番組で白石康二郎氏が旅人として登山されていた様子を私の思い出と重ねて書いたのだが、投稿の最後に彼のトレーナーのロゴマーク【八海山】を、?事項として言及して書いた。

その後 同局の「日本の名峰・・」シリーズの「知床連山縦走」(2週分割放送)でも同じトレーナーを愛用されており、今回番組は違うが3度目のロゴマーク【八海山】入りトレーナーでの出演(私の知る限り)である。

【八海山】 をこよなく愛する私としては非常に嬉しい事で、白石康二郎氏には感謝の限りであるが、なぜこれ程迄 【八海山】 ロゴマーク入りトレーナーを愛用してくれるのか?

その理由を聞いて見たい気がするのは私だけだろうか?

 

≪追申≫

過去のTV録画をチェックしてたらまた見つけてしまった。
11/30(土) の “世界ふしぎ発見” と言う番組で、今迄見なかった新しいバージョンの白石康二郎氏出演番組で、やはり【八海山】ロゴ入り衣装。 今度はいつものトレーナーでは無く 赤衿トレーナーの胸にしっかり【八海山】ロゴマークが入って居る。

   ♦ “世界ふしぎ発見” の一場面
世界ふしぎ発見! (TBS) 2013.11.30 (土) - 003 (1024×598).jpg

 

そこで、【白石康二郎】をキーワードにWeb検索して見たら結構色々なメデイアで活躍している海洋冒険家で、【八海醸造】がスポンサーとして支援していた事が解った。

【八海山の蔵元、八海醸造】も良い所に投資をしている。 結構、PR効果も出始めているかもね!

アイソン彗星

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天体ショー


昇君の投稿、「八海山一合目・・・」にもコメント投稿して置いたが、今月末~12月上旬の
( 厳密には、11/29を中心として前後約1週間=トータル2週間 )の間 良い天候なら夜明け
前(日の出前)、 「アイソン彗星」 の天体ショーが肉眼でも見られるそうだ。

しかも、今回は太陽のすぐ側なので、誰にでも探しやすい。

この彗星は太陽の近くを通る為、太陽に最接近する 11/29 には太陽光に隠れて 肉眼では見え
ないらしいが、彗星の明るさでは2番目位の明るい彗星になると期待されている。
  (今迄の観測史上一番明るかった彗星は 「ハレー彗星」 、との事)
ただ、「アイソン彗星」はあまりにも太陽に近い軌道を通る為、蒸発してしまい、11/29以降
見る事が出来なくなる可能性もあるとの懸念もある。

また、季節がら、魚沼盆地の朝方は霧が出易い地形の為、自宅からは見られる確率は少ないか
も知れない。
 

魚沼周辺の観測ポイント

ここでは八海山をフレーム内に入れる事にこだわった観測ポイントを紹介しましょう。

   ♦ ポイント概要MAP ( 〇 印  が推薦地域 ・・・松代の左、星峠は割愛しました)
松之山・美人林 広域.jpg

 

【星峠を除き、 上記MAPのエリア (と、 見える位置)】


・ 【五日町スキー場】 ・・・・・・・・・・ 同地設置の雪国ネットのライブカメラでも映る可能
                       性あり (八海山の右上)

   ♦ ゆきぐにネット・八海山ライブカメラより
五日町スキー場より.jpg

 

・ 【坂戸山・山頂】 ・・・・・・・・・・・ 昇君がブログの中で見せてくれてる光景 (八海山の右上)

 

・ 【発箇峠・枡形スキー場~魚沼スカイライン各ポイント】
              &【石打丸山スキー場】等 (八海山の右上~中の岳の右上)

   ♦ 発荷峠・魚沼スカイライン、枡形山付近より
魚沼SKL・枡形山付近より (1280×816).jpg

 

   ♦ 石打スキー場 (写真は「石打MTグランビュースキー場」より・・中の岳の右上あたり)
           石打丸山スキー場でも同様だが、リフト営業してない為無理か?
石打スキー場より (1280×816).JPG

 

・ 【十日町:北鐙坂(あぶみざか)】 ・・・ 信濃川西岸・河岸段丘上付近(越後三山の右上)

   ♦ 十日町・信濃川河畔「北鐙坂」よりの越後三山
十日町 (1)・北鐙坂より (1280×816).jpg

 

・ 【星峠】 ・・・・・・・・・・・・・・・ 松代から更に左、棚田で有名な撮影スポット、棚田
                       を見下ろす位置から遠くに、越後三山としてひとつ
                       の山の様に見える (その越後三山の右上)
                       (太陽の昇る方向、下=棚田は雲海かも)

   ♦ 星峠 ・・・ 「棚田」と「越後三山」
        テレビ朝日放映、「奇跡の地球物語」(棚田米コシヒカリ美味の秘密)より
十日町 (2)・星峠「棚田」 (1280×816).jpg

十日町 (3)・星峠より越後三山 (1280×816).jpg

    ちょっとひと言

  星峠を始め、魚沼スカイライン等は道が狭い為、暗い夜道は特にご注意の事。
  特に、 星峠では農道に入り込むと、軽トラックしか走れない道に 迷い込む可能性がある為 と、
  明け方狙いのアマチュア写真家が多く入り込むので、事故に巻き込まれない様注意しましょう。

  朝晩は特に冷える時期です、防寒には十分配慮される事をお薦めします。
  (カメラの予備電池や手袋・ホッカイロなんか、案外役立つでしょう)

昨日(10/28)、TBSのNスタ(夕方の二ユース番組)で3回、28日の「八海山の紅葉」風景
放映(中継か録画かは不明)されていた。 ゴンドラからの映像は今が一番の見頃の様でした。
これから城内地区を始め「里の秋」本番。 見て美しく、食べて美味しい最も楽しい季節ですね!

今回はそんな紅葉つながりで、上高地の話題をひとつ。

 

上高地・冬季閉鎖は11/15(予定)迄


   ♦ 今日29日午前9時頃の河童橋付近ライブ映像より  (五千尺ホテル様ライブカメラ)
河童橋ライブカメラ 2013.10.29(09時頃).JPG

 このライブ映像は「上高地/五千尺グループ/ライブカメラ」をキーワードに簡単に検索出来ます。

この、美しい姿も、あと2週間程で冬季閉鎖になってしまう。

 

プロローグ


私の青春時代の思い出の多くを占めた地域は、恐らく上高地を中心とする、穂高連峰~槍ヶ岳~燕岳
(通称:銀座コース)、上高地を挟んで、大滝山~常念岳~燕岳(通称:裏銀座コース)と、このエリ
アに何回足を運んだかわからない。

かと言ってロック・クライミングが出来た訳では無い。 大抵は単独行の尾根ルートであるが、季節
や天候・時間帯等で同じコースでも、全く違う風景などは何回行っても飽きることが無かった。

上高地の写真は様々なメデアで色々美しい映像が紹介されているので、ここでは「上高地公式サイト」
から一部の写真をイメージが伝わる程度に縮小して掲載し、説明に役立てたいと思います。

 なお、写真縮小は本サイト経由での著作権侵害予防の為。またサイト運営者にお断りして居ない為、
 リンクは行いません。 ご興味のある方は「上高地公式サイト」がキーワード検索でご覧頂けます。
 当然の事ですが、「公式サイト」なら下記写真を含み綺麗な上高地の写真を色々見る事が出来ます。

   ♦ 河童橋からの穂高連峰と、ウエストン碑付近からの六百山~霞沢岳  (秋風景)
上高地(640×252).jpg

   ♦ 上高地・穂高連峰周辺地図 (少しサイズが大きいので拡大してご覧下さい)
上高地・穂高周辺地図.jpg

 

ジャンダルム


河童橋からの写真のほゞ中央に一番高く見えるピークの右にそびえる岩峰、これが【ジャンダルム】。
穂高連峰を旅するひとにとってはシンボル的岩峰である。 が、そこはまた、決して普通に誰でも気軽
に行ける領域では無い。

   ♦ 大正池付近からの奥穂高岳~天狗のコル (黄色の点線は2回目のルート)
上高地 (大正池).JPG

過去2回、その頂に立った事があるが、1回目はロッククライミングもやる穂高大好きの友人の案内で
涸沢から、ザイテングラードを登り、白出(しらだし)のコル(鞍部)に有る「奥穂・穂高岳山荘」~
ジャンダルムを往復すると言うルート。

この時の天候は穂高岳山荘(当時は「奥穂山荘」と呼んで居たと思う)から少し上、奥穂山頂へのハシ
ゴの途中から上にガス(霧)が掛かり、涸沢方向は紅葉がスッキリ見える秋晴れの日であった。
当初、晴天ならば西穂高岳へ抜ける計画だったが天候の行方に不安があり友人の判断で、ジャンダルム
往復に変更したのである。

ベテランの友人の案内もあり、また、ガスで視界が効かなかった(特に谷底がみえなかった)為恐怖心
も無く、難所と言われた「馬の背」等の岩場も難なく通過してジャンダルムの頂上に立つ事が出来た。
この日はガスは濃くなったり薄くなったりしていたが風も無く穏やかな一日で、その為ジャンダルム頂
上からは周りの景色が見えず、がっかりしながら引き返し、何事もなく穂高岳山荘へ帰着。
その代り、山荘から眺めたその日の夕焼けが、何とも言えず綺麗だった事は、忘れられない思い出とな
った。

2回目はその2年後の夏、単独行でもう一度同じルートで西穂高岳を目指した。 この時は天候(予報)
も良く、穂高岳山荘~西穂高岳を踏破する予定だった。

穂高岳山荘を出発して奥穂高岳山頂迄は予定通りだったのだが、馬の背迄来て愕然とした。
前回来た時はガスが回りの景色を覆い隠して居て友人の後ろから何気なく通った道(岩場)が、今は両側
が数百メートルも切れ落ちて、板みたいな岩が左右から押されてせり上がった様な細い所は道幅1m
も有るか無いかと言う岩場が100m近く続くでは無いか。  しかも、かなりの急傾斜。

両側に深い谷族を見ながらのナイフリッジでは、さすがに単独行で来た事を後悔したが、途中で風が吹か
ない事を祈りながら、慎重に渡ったことが思い出される。

北穂高岳から槍ヶ岳へのルートに最大の難所と言われる「大キレット/岩峰同志の間の険しい稜線鞍部」
が有るが、そこよりもこゝ馬の背は険しい様に思う。
何よりも大キレットは登山者が多いせいか【安全対策】のハシゴやクサリが随所に有り、ベテランでなく
とも慎重に行動すれば、限りなく安全に近い。
ただし、アプローチは長いし天候や体調に依っては自然が牙を剥く領域。
一方、こちら西穂高岳に向かうルートはベテランの領域とされて居たせいか、奥穂高岳・山頂からは、ク
サリやハシゴ等の設備は当時(約40年近く前)殆んど無かった。

そんな領域に、自分も入れると過信して居た事も忘れ、ジャンダルムも無事通過して、上高地から見て真
正面のピーク付近で、昼食とした。
晴天での上高地や安曇野方面や焼岳・西穂高岳、飛騨の山々等を眺めながらの昼食は、まさに自然は最高
の調味料。 それとホエーブスで暖めた1杯のコーヒー、何物にも増して美味かったなあ。

 

天狗のコル


事故はそれから約1時間後に起こった。
上の写真の黄色い点線の様に稜線上を、他の何組ものパーテーと、列を作って天狗のコルに向かって居た。
  (上高地から見て左側に向かって居たが、夏休みを利用した登山者が多かった為だ)

この下りは殆んどが急傾斜の岸壁で、、八海山であればクサリ場・ハシゴが付いている様な岸壁が連続し
て居るルートで、岩に張り付き3点支持で下るしか無い岩場。   当然、ハシゴもクサリも無い。

そこを私がほゞ2/3位天狗のコル側に下った頃、上から 「落ちたぞー!」 って、何人かの声が聞こえ
たと思ったら、数メートル離れた上高地側の岩場を、男性が滑落して行って崖下に見えなくなった。

ルートを外れてしまって居たので、その後どうなったかは分からなかったが、私の見た範囲だけでも30
~50m以上滑落しており、軽く済んでもあちこち骨折しているだろし、最悪の結果でも不思議では無い。

その後、滑落者のパーテー4人を優先通過させた後、改めて慎重に天狗のコル迄下りた。
そこには滑落者のパーテー3人が放心した様にたたずんで居た。
聞けば、リーダーが救助を求めに岳沢ヒュッテ迄先行して、彼等はゆっくりと下る事になっているとの事。
確かに、滑落者は素人が探せる様な場所に落ちたのでは無く、ベテラン(らしい)の先行連絡は正しい選
択であろう。  (当時は携帯電話など持てない時代、山小屋の非常無線に頼るしかない)

ただ、リーダー以外は登山歴が白馬・栂池と瑞牆山(山梨)・丹沢(神奈川)だけと言う。 無謀だ!
穂高以外は殆んど岩場らしい岩場の無い尾根歩きルート。 例えリーダー一人がベテランでも、いきなり
穂高の中でも最難関と言われるルートに来るなんて! ・・・ って思いながら、ハタと気が付いた。

  「そう言う私自身も五十歩百歩では無いか、私自身が滑落しても可笑しく無かったのでは?」

って事に。
そう考えたらこゝ天狗のコルから更に危険な領域を一人で行く事が無謀に思え、天狗沢を下り岳沢ヒュッ
テ(地図に依っては岳沢山荘)~上高地へのルートに変更する事にした。
  (正直、滑落者を直接見た事で気持ちが萎えてしまった事も影響して居たのかも知れません)

そんな訳で、天狗のコルから岳沢ヒュッテ経由で上高地へ下る事にした。

その後も登山は続けているが岩峰ルートしか無い領域には、単独行の山旅はした事が無い。

自分の為は勿論だが、身内はもとより友人・同僚への迷惑を考えると、無責任な行動は出来ないと思う様
になったからだ。

   ♦ 晩秋・上高地からの「岳沢ヒュッテ」 A (ズームアップ)・・・以下、数年前の撮影
上高地  2.JPG

   ♦ 晩秋・上高地からの「岳沢ヒュッテ」 B (標準)
上高地  1.JPG

   ♦ 晩秋のウエストン碑付近よりの「焼岳」
上高地  3.jpg

   ♦ 大正池からの「焼岳」
上高地  4.JPG

   ♦ 焼岳山頂付近(噴煙)ズームアップ
上高地 5.JPG

   ♦ 梓川右岸(ウエストン碑の対岸付近)からの河童橋・明神岳方向
上高地  6.JPG

 

   そしてまもなく【冬季閉鎖】、来春までの長い冬、


            上高地は、限られた人しか入れない世界になる。

 

 

はじめに

写真はある年の冬季閉鎖3日前の早朝・上高地、大正池~河童橋迄の遊歩道途中にある、「田代池」から
の 「穂高連峰」。

近日中に投稿しようと思っているブログのひとコマで、今回のテーマとは関係ありませんので悪しからず。

   ♦ 晩秋・早朝の「穂高連峰」 (左から、西穂高岳・奥穂高岳・前穂高岳・明神岳)
2005.11.07 田代池・上高地.jpg

 

プロローグ


「出来ません」 って、人が言う時は、一体どんな場合にそう言う発言になるのだろうか?

今回はそんな事について考えてみましょう。

普段の出来事から整理して分類してみると、 (・・・の後の文は、当事者の心理面を推定)

   1. 自信が無い時・・・・・・・・スキル・能力的に、自分には出来ないと思ってる

   2. 自分の本来の仕事を優先したい時・・・・・・自分の通常業務範囲を脅かす懸念

   3. やらなくてもいい仕事だと思って居る時・・・・依頼内容が納得出来ない・反感

   4. 責任を取りたくない時・・・・・・・タッチする事で生ずるリスクを回避したい

   5. やりたくない ・・・めんどうくさい、自分がやらなくても責任を取る必要は無い

他にもあるだろうが、大きく分けるとこの様に分類できると思う。

 

経験


私の場合、30数年 某計測器メーカーの営業としてセールスエンジニアみたいな事をして来たが、
ユーザーからの新規機能要求があると、社内の開発エンジニアは、自分の技術の範囲で判断して
「出来ません」 と言う例が非常に多かった。

営業になって初期の頃はそれを自分で咀嚼もせずに、生真面目に顧客に対して「技術的に難しい」
と伝えてしまい、「1年後に別のメーカーがそれを実現させて居た」 と言う苦い経験があった。

いわゆる、折角の「ビジネスチャンス」を逃してしまったのである。

以来、社内で 「出来ません」 の回答が出た場合、お客様の考えて居る構想案を詳細に聴き出した
り自分なりの開発ヒントを調べたりして、何度も社内検討をしてもらう事にした。

その時以後の経験では、最初 「出来ない」 と言っていた案件も、7~8割は可能なものであった
と記憶している。
特に、ユーザーとメーカー間の案件の場合実現可能になるものゝ相談が多い事には明確な理由もあ
る。  それは具体的な相談の前に 「現場を熟知しているユーザー側で、かなり細かく検討して見通
しを付けている場合が多い」 事である。
また、お互いがユーザー側とメーカー側の知識と技術を寄せ合えば発想の転換もし易いし、アイデ
アも出し合えて開発もスムースに進む。

そんな繰り返しが私に取っては貴重な体験であった。 そこから学んだ事は、これまで 先人達が繰
り返している言葉ではあるが、

 【「出来ない」 と思ったら、いつまで経っても出来ない】

    【「出来る」と思って取り組めば、必ず 「ブレークスルーの道筋」 は見えて来る】

と言う事である。

 

最近の出来事から


ガラッと話題は私事に変わりますが、昨年の7月に定年後2回目の会社員を辞め、約1年後の今年
6月から再々就職で現在の職場を得た。

所が、自宅は茨城県なのだが 職場は群馬県、車で深夜走っても片道2時間強、日中であれば早くて
も片道3.5時間。 とても通勤出来る距離では無い。

勿論、好き好んでこんな遠くに職場を求めた訳では無い。「私の年齢で、社員として受け入れてく
れる職場がたまたま此処に有った」 と言う事情であった。その為現在は寮が生活の主体である。

それでも職場が見付かった私は恵まれている。 同時期ハローワーク通いをしていた同世代の知人
達の8割は少ない年金と生活費の差額を、短期アルバイトや短期の契約社員(実質はアルバイト)
で繋いでいるとの事である。 (先日会った知人の話)
所が、アルバイトや短期契約社員になると、仕事の有る期間は求職活動出来ない。従って求職活動
と短期労働の繰り返しが、正社員へのハードルを、更に (本人のスキルとして認めてもらえない、
逆に 「長続きしない」 と言うマイナス評価) 高くする為 “負” のスパイラルに入る。

実は、こういう実態が若者達にも多く見られた。 勿論、彼等は年金をもらえる訳では無い。
そんなハローワークでの人間模様は通う立場の人で無いと理解出来ない様だ。
ハローワーク側の対応は、殆んどが事務的に、来た者に対して並べて選ばせるだけ、と言う印象が
拭えなかった。

話を本題の 「出来ません」 に戻しましょう。

自宅は茨城県(留守宅)、勤務地は群馬県と言う2重生活の私、先月中旬に、無職時代に国民健康
保険に加入した事と、6月から会社の社会保険が重なっている事に気が付いて、9月18日に自宅
の管轄市役所・担当部署にTELを入れた。

男性職員が応対してくれたのだが、最初の説明では

   「来庁して・手続きしてもらわないと、国民健康保険は切り替え出来ません」 

と、言うものだった。

群馬に常駐して勤務しなければならない私が帰れるとしたら日曜日に帰るしかない事等を説明して
郵送等の方法が無いかと打診するも、

   「平日に来庁して本人確認して届けてもらうのがルールになっている」 

との一点張り、

   「私の名前や住民基本台帳等から社会保険料が支払われている事が確認できるはず、
    書類が必要なら郵送で処理する方法があるはずではないか?」

と、確認するも、

   「住民基本台帳や他の部署のデータを見る事は【個人情報保護法】の為出来ないので
    我々の部署としては、被保険者が直に来ていただくしか確認出来る方法がない」

との一点張りで、らちが明かない。 ついに私の堪忍袋も限界、「上司に変われ!」 となったが
しばらく席を外した後、上司では無く再び本人が出ていわく、

   「上司に相談の結果、特別に郵送で対応するそうです」

と、言うでは無いか。

   「何が特別だ! 出来ると言うことではないか!」 と、つい言わずに居られなかった。

と言う様なスッタモンダが有って直ぐに書類を、群馬県の寮へ送って貰う事になったのだ。 が、
1週間経っても2週間経っても着かないので10月4日、再度市役所にTELをした。

今度は女性の職員が応対してくれたのだが、履歴を調べてくれた彼女の説明を聞いて、前回対応
した男性職員に、改めて≪彼≫ならさもありなん、と、怒る気も失せた。

確かに、「次の日に群馬に送ったらしいのだが、住所を間違えて送った為返却され、改めて茨城
の自宅に再送してある」
・・・・・との事であった。

そんな対応でいいなら、最初から自宅へ送れと言う。 自宅へ帰れないからTELしたのである。

「≪彼≫ならさもあらん」 と思ったのは、こちらが住所を伝えた直後に再確認する事も無く、ま
た電話番号の確認も無くいきなり電話を切られてしまって居たからである。

反面、今回の女性職員の電話応答は素晴らしかった

私から一連の状況説明を聞き、内容を復唱して確認をすると、

   「大変申し訳ありませんでした、私自身で少し調べて見ますので少しお時間を・・・」

と、言い  「今日中に私から何らかのご返事を差し上げます」 と言う事で、待つ事約1時間。

   「大変お待たせ致しました、確認が取れましたのでご報告致します・・・」

と言う、女性職員からの報告が入った。 要旨は次の通り、

   1. 「国民健康保険 → 社会保険への変更手続きの件・・・・郵便で可能」

        【本人確認も、こちらで(同庁舎部局間で)出来たとの事】

   2. 「新しい必要書類は群馬の方へ “私が” 責任を持って本日発送致します」

と、言う事だった。

おまけに、男性職員が【個人情報保護法】の為、当方では調べられないと言って居た 社会保険
加入日(6月1日)や、納付金額迄調べて来てくれたでは無いか!

勿論、後日、手続き用の書類が群馬の私の手元に送られて来た事は言う迄もない。
(しかも、発送の翌々日には郵便物が届いたかどうかの確認TELを入れる入念さである)

私にして見たら、女性職員の対応はパーフェクトである。

男性職員の、あれ程かたくなに 「出来ません」 と繰り返した内容を、僅か1時間の間にすべ
てを調べてくれたのである。

あの 「出来ません」 は一体何だったのだろうか? ・・・・ プロローグの 1~5項目のいず
れに当てはまるのかは、読者のご判断にお任せしたいと思います。

 

エピローグ


  「出来ません」  と言う事は簡単だが、無責任に「出来ません」って言う前に

         「出来る様にするにはどうしたら良いか」 を考えて欲しいものである。

  最後に、しっかりフォロー出来る女性職員がいらっしゃった我等の市庁舎職員達に、一筋
  の光明を見せてもらった気がする。

  「有難う! 女性職員!」

     「見習え!男性職員! ゴタクを並べる前に自ら汗を掻け!」

  これ本音。

  ただし、此処で挙げた、【男性職員】と【女性職員】は市職員全体の男女を区別した総称
  ではありませんので誤解の無い様に
お願い致します。

  あくまでも、今回私に対応してくれた職員の個人名では差し障りが有るのでイニシャル代
  わりに使わせてもらった仮名とお考え下さい。

    (それこそ、個人情報保護法に触れない様に配慮させて頂きました)

 

接点は「あの日」だけですが!

1970年9月某日 早朝、名古屋へお客様とご一緒する為、東京駅でお客様と新大阪行き「ひかり」のグリ
ーン・指定席に座っていた。 そこへ発車直前に女性2名・男性1名が隣のボックス・シートに乗って来た。
そしてその車両には私達5人しか居ないまゝ出発した。

その「ひかり」は途中、 新横浜・名古屋 の2ヶ所へ停まって新大阪まで行く便で、新横浜でもグリーン車に
は乗って来る人は居なかった、その時同行のお客様が「隣のボックスの乗客に藤圭子が居る」と言い出した。

私は当時芸能界には殆んど興味無く、さすがに「圭子の夢は夜開く」が 「他の歌手の競作」 を凌いでヒット
中、位の認識は持ってい居たが、藤圭子について特に気にした事が無い状況だった。

そっと隣を伺い見る様に確認したら、どうやら一番小柄の女性が、TVや雑誌で良く見るあの顔、と言いたい
所だったが、実物はもっと美しかった。 人形の様な人とはこう言う人の事を言うのではないか、と思った事
はあれ以来思い当たらない。

私達の素振りに気が付いたらしいマネージャーの男性がこちらに来て名刺を出して、「他の乗客に知られたく
無いので宜しく!」と申し出て来た。
「同行のお客様が藤圭子さんの大ファンである」事を伝えたら、少しお待ち下さいと言って戻って行くと持参
していたらしい色紙2枚に 日付と藤圭子がサインをその場で書いて、 なんと藤圭子自身が持って来て手渡し
各々に握手しながら「これからもよろしくお願いします」って言うでは無いか。 さすがに感激したね!
 (特に歌やTVでは暗いイメージで有ったが、以外に明るい気さくなイメージにビックリ、好感が持てた)

名古屋で私達が降りる時「お仕事、頑張って下さいね!」なんて言われ! 【営業言葉】と分って居てもいい
気分だった事は今も覚えている。

 

その後

名古屋までは他の乗客が来る心配が無かった為こんな風に接してくれたので有ろう。 それ以来私も隠れファ
ンになった。(とは言えコンサート等に行った事は無いし、藤圭子関係者との接点も無いが、カラオケ等では
定番で何曲かは・・・)

その年、藤圭子は「日本歌謡大賞」や「レコード大賞・大衆賞」等を取り、NHK「紅白歌合戦」に出場。
しかし、そんな事になるとは考えず、お客様の懇願に、私の貰った色紙も気前よく差し上げてしまった。

もしも、今、「何でも鑑定団」に出したら結構なお宝だったかも? ・・・・ なんて考えると ・・・・

 

いやいや、かのお客様とは色紙の何百倍のお取引を頂いているのでその点では全く悔いはなく、ただただ
あの藤圭子さんの訃報に接して、偶然、「握手まで出来た事」を懐かしく思い出している。

その人が、あの宇多田ヒカルのお母さんだった事も、まさに、人生は「人間交差点」の集合体だ。

 

藤圭子さん、やすらかに眠れ!   合掌!

ガソリン、高くなりましたね~!

昨日、近くのガソリンスタンドで満タン給油したら レギュラーが153円/リットル、約31リットル 入ったので    4,738円の支払いとなった。 結構痛い出費である。

久し振りに600km以上の走行距離での給油だったので燃費表示画面を記録する事にした。


   ♦ その画面ががこれ、(給油中エンジン停止の為直前迄のグラフはリセットされてます)
          日中撮影(iPhone)の為、写り込みが有り見苦しい点はご容赦を!
20130815-1.jpg
 

ハイブリッド車

私の車はもう21万キロも走破した、プリウス(第2世代モデル)のポンコツ車である。

購入動機は単純で、当時年間4万~6万キロ位走る仕事が多かった為、「燃費が良くて当時乗ってたハリアー
と比較してパワーダウンしない車種」と言う要望に デーラーが提案してくれた3車種の中で、一番燃費が良く
て走行感覚も違和感の無い車種だった事で決めた。

パワーダウンと言う面ではハリアーのエンジンは排気量3リットル車だったのが、事前に試乗車に乗って見て
決めて居たとは言え、プリウスの場合1.5リットル車、実質1/2への排気量ダウンには、かなり抵抗が有
った。 一般にはハイブリッドアシストがあるから1.8リットル車相当と言われて居た。 が、実際の所は
「マユツバだろう!」 って考えて覚悟もしていた。

結局の所、燃費が話半分としても、「従来の車種(ハリアー)の7km/リットルの2倍以上」 は走れるだろうと言う期待がプリウス購入を決めさせた。

購入してすぐに北海道一周と往復でほゞ 4,500kmの仕事に行って来て、実用上パワー不足など一度も感じなかった事に改めて驚かされた。 確かに、高速道路で120km/h以上で追い越ししたりしようとすればパワーの差を感じる事が有るだろうが、普通の運転をする限りパワー不足は峠道等でも全く感じる事無く普通のガソリン車と変わりなく走ってくれた。

それより感動したのはやはり燃費、当時のカタログでは 28km/リットルを謳っていた為実用燃費は 「話半分」 と思って居たが、満タン法で測定した約4,500kmの実用燃費は、24.7km/リットル(高速と北海道内の道路事情が良かった為?)で有った。

その後も北海道へは数回行っているが、平均23km/リットル前後で、24.7km/リットルは今だにチャンピオンデータとなっている。
北海道旅行以外でのチャンピオンデータは25.6km/リットルで、高速道路と平地走行での約200km走行時。 この時はかなりエコ走り(急発進や急ブレーキなどをしない、エアコンを切って置く等)を心掛けた意識的実験データ。、

ハイブリッド車はこの様に運転の仕方によって燃費が大きく変わって来るが、特性を知って利用すれば経済効果も大きい。 一般的にハイブリッド車の燃費は平地を40~80km/h位の定速走行をする時間が長い程燃費データが良くなり、GO! STOP を繰り返したり渋滞が多い道を走る程燃費が悪くなる。

過去数年、関東周辺及び時々200~300km位のドライブをしているが 19~23km/リットルで平均は20km/リットル位、長距離走行の時のみの燃費は、約21~23km/リットルで平均は22km/リットル位が普通であった。

つまり、街乗りは平均20km/リットル長距離が平均22km/リットルと認識していた。

 

23.8km/リットルの謎

もう一度、冒頭の 「燃費表示画面」 をご覧下さい。
「平均燃費23.8km/リットル、走行距離737km」 と表示されていた。 これはガソリン満タンにしてから今回給油する迄の走行距離と平均燃費を表している。

ここで、ひとつ謎が生まれた。 今回の給油以前・約2ヶ月間、100km以上の長距離ドライブはして居らず、言わば街乗りだけの走行しかして居ない。 それなのに「平均燃費23.8km/リットル」 と、約3.8km/リットルも燃費が伸びた事になる。 謎である!

 

「運転者心理」と「平均燃費」の相関関係

正式な実験データがある訳では無く、過去の走行記録と今迄の私自身の生活・職業環境などを重ね合わせて回想してみると、最近2~3ヶ月以前の街乗り燃費データは、やはり平均20km/リットル程度。

一方、写真撮影はしていないが、約3ヶ月前と約2ヶ月前に25リットル+23リットル計48リットルの給油をし、約1,050kmを走行 → 平均燃費は 約22km/リットルと、約3ヶ月前から燃費向上が “顕著” になり始めたと考えられる。

あまり科学的な裏付けは無いが、この2~3ヶ月の間の生活環境の変化と言えば、私に取って第三のサラリーマン人生が始まった事だろう。
運転に変化をもたらす要因と言えば、就職に伴って精神的ストレスが極めて軽くなった事しか思い当たらない。

思えば5~6年前からストレスの多い仕事が連続して、1年前に退職後も就職先が決まらないストレスの多い日々が続いたが、再々就職した今は今迄になくストレスを感じないで伸びのびと仕事をしている実感が有る。
ハイブリッド車の燃費は、アクセルワークでかなり違う事は 「街乗りと長距離走行とで大きく違う」 と 前記でも書いたが、運転者の精神状況も、当然アクセルワークに影響を与える。 運転者のストレスは精神状況にも少なからず影響を与え、アクセルワーク → 燃費へと関連していたのでは無いかと類推できる。

 

【心のゆとり】 は "燃費" に表れる

その結果、【心のゆとり】 は "燃費" に表れる と言えるのではないかと思い当たった。

自分では自覚して無かった事ではあるが、恐らく、街乗りでの「急発進・急加速・急ブレーキ等の操作が少なくなっている」のでは無いかと自己分析している。
   (つまり、日常の走り方が穏やかになっているのかも知れない)

やはりこれからも、【「心にゆとりを持って」 安全運転とエコドライブを心掛けたい】 と思っている。

 

7/21(日) あまり積極的に支持したい候補者の居ない投票所へ、それでも一応義務を果たして来た。

そんな、何となく空しい気持ちを引きずりながら、とある理髪店に立ち寄って待合室で待っていると、ふと壁の貼り紙が気になり始めた。
それがこれ。

 

001.jpg

 

結構、「含蓄に富む」 貼り紙で、出典は不明だが店主が読んだ本から好きなページを抜粋したものだそうだ。
  (店主の許可を得てコピーを頂いて来た)

普段、何歳とか、何年何ヶ月と言う表現では良く会話するが、何日と言う考え方は殆んどしない。
10,000日/27歳で一人前=人生の原価ってのも面白い。 
30,000日で82歳、人生の小売価格ってどう言う事だろう?

店が混んでいて、詳しい事は聞けなかった。 もう一枚の貼り紙もコピーさせてもらったが、どうやら「3万日以降は人生の儲け」、そしてもう一枚の【長寿】(下記) に繋がるらしい。

 

004.jpg

 

いかゞですか、みなさんも一度 視点を変えて、人生を見直してみては?

                      もしかして、何か新しい発見があるかも知れませんよ!

 

はちゃ!

今日7月17日は石原裕次郎が没して26回目の命日である。 その日は私に取っても忘れられない一日で、新しい友との絆が生れた日でもあった。
当時私は会社の名古屋営業所に席を置き、中京地区の、主に新規ユーザー開拓で電機メーカーや自動車メーカー、航空機メーカー等を毎日走り回っていた。

 

1987年7月17日


その日はおよそ1年通って、初めて新しい装置の契約について内示を頂いた日でも有ったが、キーマンとして交渉していた2歳年上のお客様との別れ際に 「裕次郎逝く!」 の二ユースに接した。
お互いに裕次郎のファンである事もあり、しばらくは思い出話に時を過ごした後、どちらとも無く 「今夜 “裕次郎” を偲ぶ会をやろう!」 と言う事になり、退社後に名古屋・栄の知って居るスナックで待ち合わせる事にした。

  ※ 当時、名古屋市内の繁華街と言えば中区・栄、東京で言えば銀座と言った所かな?
    お客の接待と言えばここで始まるのが一般的で、二次会やお客の好みによっては、
    大須 (大須観音の門前繁華街/天むす=エビ天おむすびの発祥地) 付近の店に
    移動するのが一般的だった。

当然、今迄通り接待の積りで待ち合わせて居たら、顔を合わせるなり 「今日は割り勘だからね!」 と言い出した。
真意が分からず当惑したが、とりあえず同意して今日は仕事の話は無しで楽しむ事にしたが、裕次郎の曲を1曲づつ歌って彼が贔屓にしているスナックへ移る事になり、大須にあるその店に移動。 結局そこで朝迄に二人でカラオケに有った裕次郎の歌を歌い尽くした。
(当時はDESKカラオケで)
私が16曲、彼が22曲だったと思う(もちろん裕次郎以外の曲も、各々何曲か歌っているが)。

 

1987年7月18日


結局、その朝各々一旦自宅に帰り、それぞれの会社に平常出勤したが朝10時頃TELで、時間が有ったら来てくれとの連絡が入った。

午後3時頃彼の所へ行くと、喫茶ルームに誘われて意外な事を話し始めた。 
要約すると、こういう事だった。
 ① 従来からの取引先(私の会社の競争メーカー)には不満が有っても改善意欲が薄い。
 ② 貴方の会社・と言うより貴方は信頼して付き合えると確信した。
 ③ 今後、何事も駆引き無しで付き合いたい。
 ④ 今後、私(彼)への面会は、アポ無しで何時来ても、会議中などで無ければ会える様にする。

これは 営業マンに取っては、最高の褒め言葉と、最高の厚遇である。
理由を聞けば、昨夜のカラオケ等での態度を見させてもらって本音で付き合えるかどうかを最終的に見極めさせてもらったとの事。
(過ぎた遠慮や機嫌取りの様な事が一切無く、最後まで気持ちよく付き合えたとの事だった) 

 

その後


彼とはプライベートでもスキーや登山に行く等実質上の親友となり互いに転勤・退職などで離れることが有っても連絡を絶やさずに居たが、昨年10月京都で他界してしまった。 享年67歳、現代では少し早すぎる年齢だった。

 

「友」へ! そしてファンだった「石原裕次郎」へ!   安らかに眠れ!

 


 

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ご無沙汰しました、諸般の事情によりしばらく投稿活動を休止しておりましたが、久しぶりに戻りました。

 

「ルート66」

掲題の 「ルート66」 は私の生れる1年前、1946年に生まれたスタンダード・ジャズ、ナット・キング・コールやビング・クロスビー等が歌ってヒットし、テレビドラマではジョージ・マハリスが歌って出演もしてたと思う。 日本でも様々な歌手がカバー曲を出している曲。

 日本流に言えば 「鉄道唱歌」 、いや 個人的には小林旭の 「恋の山手線」が近い様な気がする。
    (コミカルな歌詞がそんなイメージに繋がるのかも?) 

と言うか、私たちの年代では白黒テレビで見た、同名のテレビドラマの方の印象が強いかもね!?
海外テレビドラマの走りと言ってもいい位で、テレビドラマ化されたのは曲が生まれて14年後の1960年。
日本で放送されたのは恐らく1~2年後、私の場合は集団就職で上京してから社員寮の娯楽室で仲間とよく見ていた記憶が、今もって新しい。
他に 「ハワイアン・アイ」 「ローハイド」 「ギャラント・メン」 等が懐かしいテーマソングと共に思い起される。

この 「 ルート66」  アメリカ東海岸の都市 「シカゴ」 ~ 西海岸の都市 「ロサンゼルス・サンタモニカ」 迄全長3,755km(3,945kmと言う説もある)、今年世界遺産登録された「富士山」の標高(3,776m)の、約10倍の距離を持つ大陸横断道路である。

この 「ルート66」 は日本の自動車産業に取っても非常に重要な役割を果たした。

軽自動車と言う日本独自の自動車文化の創世期、名車 「スバル360」 の 市販レベルの目標値がこゝ 「ルート66」 の完走だった。 (NHKスペシャル 「挑戦者たち」 より・・・「挑戦者たち」 のテーマソングも名曲で、良く知られていますね。 そう、中島みゆきの 「地上の星」で始まりエンデングが 「ヘッドライト・テールライト」 ・・・ ハハハまた脱線してしまいましたが、これも自動車絡みと言う事でご容赦を!)
また、以前は自動車会社各社の様々なモデル開発で、発売前の試走車が走ったのがこのルートなのである。

 

「人生のルート66」

私事になりますが、実は今月で満 66歳となります。 そんな今、人生を振り返ると言う事はまさに 「人生のルート66」 と言う訳。

まさに 「山あり、谷あり」 の人生だったけど、幾度となく襲われた危機に際して救ってくれたのは仕事の仲間であったりお得意様であったり中学以来の友であったり、不思議と思われるかも知れないが、仕事上の競争相手だった事もあった。(勿論、逆に助けた事もありますが)

実は昨年7月の誕生日で、4年4ヶ月務めていた第二の人生の勤め先であったタクシー会社を(片道約100kmの長距離車通勤と、タクシー営業の激務に限界を感じた為)再契約する事を辞めて、65歳で再々就活に入った。

予想はしていたものゝ、厳しい現実を垣間見る事約11ヶ月、今ようやく仕事を得て現在は群馬県太田市に住んで居ます。(週1回は自宅・取手市迄帰る生活ですが)

応募回数は数知れず(ハローワーク、人材バンク、ネット・新聞、etc)、面接回数 46回、そして 46回目でようやく現在の職が見付かった訳ですが、今回もやはり、友達の紹介と言う切り札(支援)が無かったら、まず年齢上書類選考で落とされていただろうと言う事を、面接の人から聞いて居る。

やはり 65歳 の就活はイバラの道であった。 1日2 ~ 3時間 、週3 ~ 4日 又は 週3日程度のコンビニ交代要員、1週間以内の短期補助要員みたいなパート・アルバイト仕事はいっぱいあるが、安定した仕事は殆んど年齢でシャットアウトと言うのが実態で、私の様に年金だけでは食べて行けない人間には厳しい老後が口を開けて待っているのが今の社会であると実感させられた11ヶ月であった。

年金生活者の中には同じ様に働きたくとも働き口がシャットアウトされて、年金+少額の貯金と生活保護の狭間で喘いでいる人が少なく無い事を、行政や政治家サイドも知るべきだと痛感する。

幸いにも私の場合は心配してくれた友に恵まれて、今の仕事に就く事が出来て一息付ける状態だが、同じ事情を抱えた「オーバー65族」が増えつゝある現実は放置出来ない問題だと思う。

曲りなりにも、安定した仕事が有れば、それに比例した所得税収入も増える訳だから年金で飼い殺し的にして結果的に生活保護者を増やすより、余程財政的にも安定するはず。

例えば、前記のパート・アルバイト労働の業務をハローワークが一括受注して、求職に来る高齢者や短時間労働希望者をハロ―ワークが雇う形でそれぞれの職場に派遣し賃金を支払うなんてのも、民間派遣業と違った運営が出来るのでは無いか?

なんて、「人生のルート 66」 を遡ってみると、色々考えさせられる。

とは言え、友も大勢未だ健在、やりたい事の八割は出来たと思うし、今また新しい仕事も得た。

   今迄は 【我が人生に、悔いなし】 と胸を張って言える、

            出来れば最後の最後にもこの言葉が言える様にしたいものだ!

今月は参議院選挙もあり、また政治屋達のリップサービス合戦が始まると思うとウンザリだが、権利放棄だけはしない積りです。

それでは、また!


 

サービスショット 1 : 魚沼スカイラインから見た自然のスポットライト

     スポットライトが当たっている少し先が「雪国まいたけ」の工場
           右下の細長いビルが、六日町ICの目の前にある「雪国まいたけ」 本社

2004.08.20 魚沼スカイライン・B 007.JPG

 

サービスショット 2 : 同じ魚沼スカイラインよりの 「越後三山」

     ※ 上の写真とほゞ同じ方向から、撮影日はまったく別の日です2007.05.21  N-002 魚沼SKL (B)A.jpg


 

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最近は各地で〇〇スポットとか△△スポットなどが流行りの様だ。

そこで、写真の季節は少し先になりますが、「スポット」の話題を三つ程ご紹介しましょう。

 

■ ホットスポット in Japan

♦ バスターミナルから歩いてわずか1時間、そこに
         「イワナ」と「オシドリ」が一緒に泳ぐ、にっぽんの自然がある。
上高地・明神池 -004 (1280×960).jpg

オシドリの足元を泳ぐイワナはほとんど尺イワナ。 (オシドリの体型からも想像付くと思う)
尺イワナとは、1尺以上、約33cm以上のイワナの総称で、今では釣り(渓流)人の憧れの魚体。

♦ そこは、こんな環境の池
明神池 -B (640×2).jpg

もうお判り頂けた方も多いと思いますが、後ろの山は穂高連峰の一角です。
そう、上高地バスターミナルから歩いて約1時間の【明神池】です。

♦ 「嘉門次小屋」 付近と 「明神橋」
         (梓川を渡って明神池に、橋の正面が明神岳)
明神池 -A (640×2).jpg

明神池に定着しているイワナも多いだろうが梓川や支流に自由に出入り出来、餌付けはして居ないとの事。
オシドリも自然界の個体、こんなコラボが何時まで見られるのか?まさにこゝはホットスポットである。

 

■ パワースポット

私達の故郷に新しいパワースポットが生まれているらしい。

その場所は、このサイト(八海山倶楽部)の仲間達の故郷、それれも、まさに八海山そのものゝ登り口に祀られた、【城内口・里宮】にある。

八海山は、関越自動車道「六日町IC」を下りる時、天気が良ければその特徴的な山容を正面からご覧頂けます。

また、4月には【六日町IC】から5分位で下記掲載の【飯綱山古墳】、15分~30位の距離にNHKドラマ「天地人」の主人公生誕地【坂戸山】や五日町寄りに【六万騎山】、そしてこゝに取り上げる【八海山・里宮】に一番近い【八海山スキー場】等がカタクリの一大群生地として、花が咲き乱れる。

♦ 六日町IC、料金所手前からの「八海山」と、右、飯綱山古墳入口からの「八海山」
六日町IC & 飯綱山古墳  5月(640×2).jpg

さて、本題の【パワースポット】ですが、下記掲載の八海山・里宮の横に有ります。

♦ 写真左が【パワースポット】の現在・冬の姿、右が【里宮】本殿(写真は5月末)
八海山・里宮 1月&5月 (640×2).jpg

【パワースポット】はこの写真の様に杉並木の奥にたゝずむ「里宮本殿」に向かって左横の、杉林の中。
最近は案内板が出来ているそうです。

なお、上記掲載の現在(2月上旬・雪景色)の写真は城内の親友からのもので、パワースポット情報も
彼から提供してもらったものです。  改めて感謝!

では、パワースポット、の由来。

♦ 20数年前、我々小・中学校同級生が厄年の時
         【厄払い記念】として、在郷の仲間達が作ってくれたもの
八海山・里宮  5月 1 (1280×960).JPG

え!  「何にご利益パワーがあるスポットか?」 って。

感の良い方はもうお気付かも!  そう、「子孫繁栄」・「子宝祈願」のパワースポットとして何時の間にか広まって来たとの事。
何でも、子供に恵まれない御夫婦がここで祈願をしたら、すぐに子供を授かったとか、それが口伝えで広まって、最近では【子宝祈願の鐘】なるものが設置されその鐘が結構頻繁に鳴る様になったとの事。

と、言う訳で、我等の仲間が作ってくれたものがこんな形で役立っているなんて嬉しいねー!

こゝで【子宝祈願】をして、カタクリの群生地を眺め、近くの温泉でゆっくり体を温めて、身も心も清めてニャン・・・すれば、霊験アラタカ、間違い無い!  かもね。

 

■ 【核・リスクスポット】 (勝手にネーミングしました)

2月10日、夜9時からのNHKスペシャル「核のゴミはどこへ」と言う番組を見た。
原子力政策のいい加減さに改めて腹も立つが、今回はそれより、この番組でも他の報道でも取り上げられた事の無い、ある重大なリスクに気が付いた。

以前、下北半島の「猿ヶ森・ヒバ埋没林」を取材に行った時の事であるが、三沢からR338バイパスを北上し「日本原燃・再処理事業所」を右に見て尻屋崎の方向へ向かっていた。
この時はまだ2011/3.11以前の事でもあり、原子炉や核の安全性は問題視して無かったので 「あゝ、こんな所に有ったのか!」 程度に考えただけだった。
しかし、NHKスペシャルを見て、更にPCで  Google Map の写真を見て、愕然とした。

まず始めに Google Map 抜粋を見て頂きましょう。

Map-A
六ヶ所村―A1(1250×530).jpg

特に説明はいらないと思いますが、上から下へ、3段階で拡大になっています。 一番上は地震の巣である日本海溝との位置関係をイメージして頂く為に載せて見ました。
そして、注目部分を更に拡大すると、Map-Bとなります。

Map-B
六ヶ所村―B(1250×530).JPG

何の事かと思われている方が多いと思いますが、まず、Map-Aの一番下の写真をご覧ください。

R388バイパスを挟んで左に【石油タンク51基】、右に【日本原燃・再処理工場】が見えている。

そしてMap-B、石油タンクと再処理工場の最短部分の拡大です。
タンクの小規模の事故なら沢を伝って流れるでしょう。しかし3.11の時、千葉・五井での石油タンク爆発を目の当りにした人間としては事故が起きるとしたら51基も並ぶタンクの1基だけで済むとは考え難い。
やはり、最悪のシナリオも予想した対策が必要だと思います。

問題点は

 1. 【日本原燃・再処理工場】と【陸奥小河原・国家石油備蓄基地】が近過ぎる事。

       (タンクから再処理工場の最短距離は約1.5km程度)

 2. 【石油タンク】が丘の上、斜面の下に【再処理工場】は、ワーストレイアウト。

       地震などで石油流出事故が有ったら、再処理工場が巻き込まれる可能性大、
       核を扱う工場が長時間猛火に包まれたら・・・・福島の再来以上の悪夢も?

       また、国際的なテロの標的にもなり易い、警護体制はどうなんだろうか?

 

石油と核は所管官庁が違うとは思うが、やはり総合安全性についても早急に調べるべきだろう。
また、何処のマスコミもこの点について問題視して居ない事も問題であろう。

誰も気が付かなかった事なのか、それとも気が付いても表に出せない理由があるのかも?
非常に【気になるスポット】です。

そんな訳で、【核・リスクスポット】 として提起して見ました。

単なる心配で済めば、それに越した事は無いのですが??

 


 

 
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1月も半ば、ようやく正月気分から抜け出して気が付いたら、「撮り溜めたTV番組」がいっぱい!

さて、過ぎ去ってみると改めて見直すには時間がかゝり過ぎるし、消し去ってしまうには惜しい、後で見られる様に残したい。
しかし、そのまゝコピーするにはCMなどが邪魔、【きれいに編集したもの】で残したい。

そんな風に思っているのは、私だけでは無いと思います。   ところが!

その【編集】が、面倒で、手間のかゝる作業なんですよね!

 

【録画編集】はなぜ面倒なのか? ・・・・ 作業の「8~9割はCMカット」

 

昔はCMカット機能付きのVTRなどがあって、「CMカット機能」がセールスポイントにもなっていた時代が有ったが、デジタル放送本格化と共にメーカーのカタログからも「CMカット機能」のスペックが消えてしまった。
そして今、民放はCM天国と言っても過言で無い状況だ。

少し調べただけなので詳細はわからないが、1本の放送番組の中で放送時間の何%迄のCM時間が許されているのかについては、特に法規制は無い様である。
また、CM挿入の方法についても規制や決まりは特に無い様で、主に「番組編集会社(実質的には編集担当部門)の裁量に任されている」のが実情の様だ。

そんな中デジタル放送対応のレコーダー・メーカー各社は、当初「CMカット機能」付商品を販売していたが、「機能破りの編集」の横行でクレーム激増の為、「CMカット機能」を「バージョンアップ」しても「機能破りの方も巧妙」になり、CM付きTVデータ作成方法の法規制の無い現状では開発コストの回収が難しい(開発しても短期で使えなくなる)事から機能を付けなくなった、との事。(某メーカー技術者談)

なぜ、CM付きTVデータの自動編集が難しくなったのだろうか?

ご存知だと思いますが、一部PC編集は別として、BD(ブルーレイディスク)やHD(ハードディスク)を記憶媒体とする録画データの編集は【チャプター編集】と言う方式で作成・編集されます。

【チャプター】とは、「映像データをあるシーンにまとめた、映像単位」、と、思えばわかり易いでしょう。

従って、基本的にはCMもチャプター単位で挿入されていたものが、下記の様に「本来の番組ストーリーチャプターの中に埋め込む」手口で編集される様になって来た為、通常のCMカットソフトではカット漏れを起こす様になったもの。

つまり、ユーザー(視聴者側)を無視して、スポンサー意向の編集と聞いているが、通常のチャプター編集だけではCMカットしきれない部分が残る様な編集をする様になった為である。
これって、本当にスポンサー側にメリットが有るのかについては疑問もあるが、業者によってはちゃんとチャプター単位の編集をしている会社もある様だが、少数派。
(実は、CMの少ないNHKの番組は逆に、単純なチャプター単位の編集がほとんどである事も意味深だ)

【参考:TVデータへのCM挿入の事例】

   ※ 1時間番組と仮定すると、普通のドラマならCMを加えて15~30チャプター位で構成される。
       下記の図はその中の1 CMの前後を抜粋した代表的なモデルとお考え下さい。
       CMの放映時間はA・B・Cいずれの場合も同じと仮定したモデル例で、他にも色々なCM
       挿入テクニックが使われています。

TVデータのチャプター構成.JPG

   ♦ 実際のCMカット編集をする場合、

       A : 番組チャプターの「ィ」、「ロ」の間の「CMチャプター」を削除すれば良い

       B : 「CMチャプター」と、「ィ」に埋め込まれたCM部分も分離・削除の必要がある

       C : 「CMチャプター」と、「ィ」及び「ロ」に埋め込まれたCM部分も分離・削除する
           必要がある

      つまり、編集時間もA<B<Cと手数が掛かる分だけ面倒になり、そしてCMの回数分だけ
      編集時間が長くなる。

そんな【録画済TVデータ】、やっぱり面倒だ、編集しないでBDディスクにコピーして置こうか、なんて怠惰な心が盛んに囁き掛けて来る。
 

それにしても、せっかくデジタル放送になっているのにCMカットがワンタッチで出来ないなんて、オカシイと思いませんか?

出来るんですよ! 皆さん(消費者)が声を上げれば!

先に出て来た某メーカーの技術者の話、【「法的な編集規制」 があれば、技術的には十分可能】と言う。
そして、法的規制とは、「上記 A : 基本構成」のチャプター構成に編集規格を統一するだけ。

これで、損失の出るスポンサーがあるとは思えないし番組制作側もコストカット出来、レコーダーメーカーの開発も可能となり、我々ユーザーも楽になる。
結果、廻り回ってスポンサーにも利益が回って行くはずである。 (四方Win Winのはず)

問題は、【消費者自身が「どれだけ必要性があるかの声」を上げるかどうか】であろう。

 


 

 

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2012年末(番外編)

今迄ブログなど投稿では、政治や宗教の問題は私の中では書く事をタブーとして来た。
しかし、今年2012年は国民不在・党利党略に明け暮れる主要政党の「今・何が優先されるべきか」について、順位の本末転倒振りに、ついに禁を破ってしまったのが8月末頃からであった。
とは言え、基本的には政治・宗教の問題はこのブログサイトには相応しくないと思っている。
これからも、政治・政党・宗教関連の批判などはあまり書きたくないと考えている。

ただ、先に書いた【夢があるから】の様な「未来への提言」に繋がる【夢】は続けて発信したいと考えている。

  【夢】は【希望】の源になり、【希望】は【計画・企画】の源、【計画・企画】は【夢→実現】の源」
   が、私の信条 だから。

  ※ 「信条」 と言う言葉はキリスト教用語だと言う方も居られますが、ここでは「生活信条」の意味

従って、とかく熱狂的書き込み等を誘発し易い「政治と宗教」の話題は極力避け、触れたとしても平均的国民目線での程度にしたいと思っている。
 

 

2013年のブログ予定「主要テーマ」

【ドライブ関連】

エリアを東北~中部・関東に移して、仕事やレジャーで知り得た内容を、出来るだけ観光バスの目線から離れた話題を拾ってみましょう。

【自然、地形や災害・防災関連、サイエンス関連】

やはり、日本復興・東北復興とエネルギー問題に焦点、出来るだけ「提案・提言」に繋がる意見を書きたい。
  (ネガティブキャンペーン的な、無意味な意見は書きたくない)

自然 : 特に感動した自然に出会った時、主に画像としてお届けしたい。

【その他】

歳時記、時事の話題、エッセイ等・・・・従来通り、気の向くまゝに。


 

「追憶」・・・我が心の山

息子が19歳、私は49歳だったかな? 初めて山に登った。 それも息子の彼女と一緒、3人で。

1993年8月上旬の事、登った山は常念岳と蝶ヶ岳。
息子達は登山は初めてと言うので、普通なら1泊2日コースなのだが今回は2泊3日の楽ちんコースとした。
大糸線・有明からタクシーで三俣(登山口)へ、そこから曇り空の中常念乗越迄登り、常念小屋で1泊。
翌日2日目は常念岳から蝶ヶ岳・蝶ヶ岳山荘までのゆったりした尾根歩き(槍ヶ岳や穂高連峰のパノラマを堪能)の予定。 の、はずだったが、あいにくの小雨模様。 でも、夕方の雨上がりの蝶ヶ岳からの展望と翌朝見たご来光と朝焼けの穂高~槍ヶ岳の大パノラマは、前日までのガスと雨を忘れさせてくれた様だ。

涸沢の先の朝焼けの穂高連邦を眺めながら、今度は穂高に登りたいと息子が言い、来年の目標になった。
(そして何れは槍ヶ岳もと!)

蝶ヶ岳からは晴天の中の気持ちのいい尾根歩きで始まり長塀山(ながかべやま)→長塀尾根→徳沢園→上高地と下って帰途に着いた訳。

しかしこの長塀尾根が、登山初心者の二人は山岳登山の厳しい一端を体験する事になった。
鼻歌混じりで尾根道から長塀尾根に入ったのだが、もう下るだけと言う心理が働いたか、「ペースを上げてどんどん先に下り始めた」。
何回も制止したが、5~10分もすると早くなる、しょうがないので尾根を2/3位下った所で、私の後ろを歩かせる様にさせたが後の祭り、しばらく下ってまず息子の膝が笑い始め、徳沢園の手前では息子の彼女も膝の笑いを訴え始めた。(まさに、笑い事では無い状況だ)
結局、徳沢園での大休憩とペースダウンで当初予定の上高地散策をあきらめ、明神池→小梨平から真っ直ぐにバスターミナルに向かう結果になったのでした。(私自身も、入山前に言い聞かせて置くべきだったと反省)

でも帰り道、電車の中で「来年の穂高、約束だよ!」って言われた時は、山に誘って良かったと、感激して平静を装うのがやっとだった。
しかし、これは果たせない夢になってしまった。

以来、息子と辿った道と、一緒に登ろう!と約束した穂高(特に奥穂高岳)は6回程登って来た。
槍ヶ岳は2回だけだったが、“槍の穂先” には何れも天気に恵まれず、残念ながら頂上には立てなかった。
そしてこれが【我が心の山(厳密には “山々” )】となった訳だ。

最近は体力に自信が無いので10年以上登山から遠ざかってしまったが、2001年4月、バイクのツーリングで偶然見つけた「光城山」、地元の人に教えてもらったそこからは、息子と歩いた常念~蝶ヶ岳の稜線と何れ一緒に登ろうと約束した槍ヶ岳が一緒に見える場所だった。

おまけに、春には桜が咲き、車で山頂まで登れる、穂高は殆んど見えないが、【我が心の山】の「展望台」にピッタリと言う訳だ。 (穂高が見たくなったら上高地へ入ればいい)

写真は、初めて「光城山」を見付けた時の、山頂に向かって咲き登る桜並木。(の遠景)
この時の頂上はまだ蕾の状況だったが、開花した時の様子は、私のブログ 「光城山(ヒカルジョウヤマ)」 をご覧下さい。

2001.04.16 豊科・光城山.jpg

尾根伝いに桜が咲き登っている所が光城山へ歩いて登る桜並木の道、車は山の向こう側から山頂まで登れる。
光城山の山頂は桜の林となっていて、開花期にはちょうど頂上に見える杉の木の右側全体が白く染まる。

また、【光城山】からは【長峰山】迄尾根道が続き、【長峰山】も頂上に桜が咲きハングライダーの発着場があり、北アルプス(蝶ヶ岳~白馬岳など、ただし、ここからは槍ヶ岳は見えません)や安曇野平野の、絶好な展望ポイントに繋がるドライブコースです。

場所は安曇野の一角、バイクの先のとんがり屋根の、少し先に豊科IC(2013年からは、【安曇野IC】と名称変更)がある。
  (バイクの後ろが大町方向、前が松本方向)

 

 

「御鑓拝借」

「なんのこっちゃ?」 と、思う人が多いかと思うが、今、NHKが元日夜(19:20~20:50)に放送予定の正月時代劇。
主役は、竹中直人と言うから原作を読んで居る小生としては、原作にピッタリのキャスティングだと思わず引っ繰り返りそうになった。
なぜなら、数年前原作を読みながらもしドラマや映画にするとしたら「主人公は誰にするだろうか?」 と考えた事があり、私が選ぶとしたら? と考えた時フッと浮かんだのが昔、大河ドラマ・太閤記で見たた、なりたての頃の木下藤吉郎時代の風貌がピタリ、これは竹中直人しか無い、と思っていたからだ。まさか本当になるとは思っても見なかった事だった。

この原作は佐伯泰英の「酔いどれ小籐次留書」シリーズの第1話(現在は10話迄出ている)である。
彼の作品は山本一力の人情ものと違って、言わば痛快活劇と言っていいと思う。
NHKの「御鑓拝借」がどんな仕上がりになっているか楽しみだ。 でも、録画でしか見られそうもないが。

最近の第10話に伊達正宗の遺訓と言うのが載っていた。 忘れて居たが以前にも仕事で調べた事もあり、まさに名言。 参考までに下記して置きましょう。

  • 仁に過ぐれば弱くなる
  • 義に過ぐれば固くなる
  • 礼に過ぐれば諂い(へつらい)となる
  • 智に過ぐれば嘘を吐く
  • 信に過ぐれば損をする

でも、中国の水滸伝か史記又は三国志にも似た様な言葉が有ったような・・・・?

もっとも、戦国武将の名言と言われるものの大半は、中国古事や物語からの引用で、毛利元就の「三本の矢」もその一つ。

ま、いい言葉は誰の言葉でもいいじゃありませんか! 言ってる事が正しい事ならば!

 

 


 

 

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今年は何かと政治絡みの重大な二ユースが多かったが、その中でも東日本大震災に端を発した原発の安全性問題が、原発政策の根幹を揺るがしている。

しかし、原発の安全性に関しては今検討されている震災対策などは、東日本大震災と言う尊い犠牲を払わずにも十分に予測し得た内容である事が悔やまれる。

今迄言われて来た「安全神話」は、やはり企業と政治により人為的に作られたものと言わざるを得ないない。

と、ここまではTVなどで評論家や主に原発反対派の政治家の理論で、丸々支持するつもりはないが、様々な情報隠ぺいや説明会での情報操作疑惑の実態が浮き彫りになって来ると既存の原発の安全性については、やはり企業と従来の監査システムの中での安全宣言は “不安” と言わざるを得ない。

♦ 誤解を招くといけないので原発について、私の「基本姿勢」を明記して置きます。

   1. 長期的には【商業用原発ゼロ】が理想的だと考えている。

       理由 ① 地上設置型原子炉は、やはり地震国日本にはリスク大。
             技術的ブレークスルーで小型・安全な物が出来れば別。
          ② 核燃料リサイクルも、現状ではリスクが大きい。
             使用済みを含む燃料の保管・運搬・リサイクル工場と、其々の
             管理・警備など何れも不十分な体制である。(テロ対策含む)

   2. 現状の日本の政治体制の中で、即原発ゼロが出来るなんて幻想は持っていない。
       (独裁者の国か、一党独裁の小国で無い限り、即原発ゼロは非現実的妄想)

      原発ゼロへの道筋も無く、むやみに原発を止めたまゝ3年も続いたら日本沈没だ。
      (企業も国も、農・林・水産業もすべてが連鎖してギリシャ以上の経済破綻に!)
      従って、代替電力の整備期間中は最低限度(期間限定)の原発稼働が必要だ。

   3. 今の最優先事項は、リスクの少ない原発を何基稼働出来るかを早期に確認し国内
      の電力需要を経済的にも不安の無い状態に戻す事。

      同時に、「代替エネルギー整備計画(廃炉計画を連動)」を作成・実行する事だ
      と考えている。

 

【日本の原発MAP】と【柏崎刈羽原子力発電所】

  ※ この項のマップ及びデータは(株)講談社様発行のブルーバックスシリーズB-1759
     「日本の原子力施設全データ」(2012-2-20版)から引用して居ります。

♦ 全国マップ 及び データの対比凡例

原発MAP 1.jpg

 

♦ 「マップ」&「原発敷地内レイアウト」

柏崎原発MAP 1.jpg

 

♦ データ

柏崎原発DATA 1(1280).jpg

柏崎原発A-1.JPG

 

※ 「柏崎刈羽原子力発電所」・・・・便宜上、これ以降は 「柏崎原発」 と簡略表記します

 

【「柏崎原発」の安全性】について

原子炉や建物の安全性についての具体的な事は専門家の判断を待つしか無いが、現時点で気になる事は、【活断層】についてである。

上記データ項目 ⑰ では、直近の活断層は約17kmの距離に、長さ36kmの規模のものがある、と記されている。
が、このデータは原発建設候補地選定用の調査報告書の数値であり、調査自体も今から見れば公平性を欠く人選で行われた疑いも拭えない。
  (再調査した各地で露見した事が、この地では無かったとは考え難い)

♦ 今回の活断層調査対象から、なぜ「柏崎原発」が外れているのか不思議!

地形を見れば明かだが、活断層が直近17kmとある事に疑問が生まれる。
例えば、【17km離れた所に「原発」と並行に36km規模の活断層がある】と言う意味なら、例え動いたとしても「原発」のダメージは少ないだろうが、【17km離れた場所に「原発」と直角に36kmの断層がある】と言う事になれば話は変わる。

阪神淡路大震災の時、当時大阪・豊中市に住んで居て震災に遭ったが、それまで断層なんて無かったと言われていた神戸から伊丹空港の先まで約40km位新しく地割れが起きて、激震が走った。
元々は淡路島あたりの古い断層が動いたものがトリガーとなったと言われている。

つまり、例え断層が無い所でも、断層の切れ目の方向にある場所は多分に危険性がある と言う事。

これを考えると、柏崎原発から17kmと言う断層が魚沼丘陵を切り裂いて走っている(魚野川沿い)断層で無い事を祈りたいが?

これは直線で約17km、しかも「原発」とほゞ直角。 中越地震の震源域でもある。 再調査が有っても不思議でないはずなのだが?

♦ 念の為、周辺マップ(Google)を掲載して置きますのでご参照下さい。

柏崎・南魚沼市-M01.jpg
リサイズの過程で文字が読み難くゝなりましたが、Google Map で見て頂けばハッキリします。

 

♦ もう一つの懸念

「柏崎原発」の周辺一帯は太古、信濃川河口流域の泥炭地である事は公知の事実。
普段の乾燥期の地震では大丈夫だと思うが、雨期の最中~直後の様に大地が雨を多量に含んでいる時期に巨大な震災に見舞われたとしたら、あちこちが【液状化】現象で災害や事故の対策が大きく阻まれる事が予想される。
  (3.11の悪夢を繰り返す事になり兼ねない)

こんな点でも、後に想定外などと言わない対策を願いたいものである。

 

 


 

 

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まあ! 書くのもバカバカしい話題だが掲題の終末日が明日、12月21日らしい。

古代マヤ歴の終末日が明日、2012年12月21日なんだそうだ。
そして、世界中でその話を信じる人が少なく無いと言う事にも違和感がある。 まして、普段マヤ歴などと無縁の人が殆んどなのだから笑えてしまう。 中国の、終末便乗のボール型シェルタービジネスの話には空いた口が塞がらない。

最も、明日 12/21 は金曜日。 考えて見れば 「週末」 だ。

ひょっとしたら、マヤ人はこれを予測したのかも?  だとしたら、「マヤ歴」 恐るべし!

 

ハハハハ ンな事有る訳無いでしょう!     (最短記録の投稿でした)

 


 

 

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12月/4日、衆議院選・公示。  しかし世の中は11月/16日、あまりにも遅過ぎた「近い内解散」の時点から選挙モードに入ってしまった様相だ。
冷めた国民をよそに、狂乱する政治屋たちと報道機関。 どこかの週刊誌が書いていた、「この選挙で、誰が一番得をするかと言えば報道機関だけだろう」、と。

否応無しに「シラケ選挙」に入ってしまった訳だが、我々は何を基準に選べばいいのか?
このブログには似合わない話題だが、少し触れてみようと思う。

 

私は現在、支持政党は白紙である。 しかし無関心にはなりたくないと思っている。

自から権利を放棄して、それを棚に上げて置いて「政治が悪いなどとは言う仲間」にはなりたく無い。

それよりも現在の政策論争、「最も重要な論点が話題にされていない事」を危惧している。

   【震災復興(=日本復興の方法)】と、【「首都」遷都】 の問題がそれ!

与党も、乱立する野党群も、そして主要メデイア各局(各社)でさえも、この問題を忘れたかの様だ!

 

【何事にも優先順位がある】

【震災復興】の為の政策を主要政党のマニフェストを見ても具体的な復興提案など無く、資金の筋道を明確に示した政策と言えるものはどこからも見付ける事が出来ず、メデイアもまたそれを指摘する所(TV局や新聞社など)も見当たらない。

あたかも「震災復興」は「原発政策」であるかの様な議論にすり替わってしまった感がある。

【「首都」 遷都】、迫りくる「首都直下型地震」・いつ起きてもおかしくない「富士山噴火」、これらの厄災から政治・経済のダメージを軽減しようと言う構想で提言されたひとつの手段。
東日本大震災以前、かなり真剣に議論されていたはずだが、震災以後これが国会で議論されたと言う記憶が無い。 メデアもまた、散発的に話題とする記事や番組は有っても、国家的危機意識で立ち向かう問題として取り上げる気配も無い。
果たして、これらの危機は遠のいたのか?
    → 否、2年と言う歳月が空しく過ぎて、明日かも知れないその時に2年近付いただけである。

 

1. マニフェストの主要テーマ(論点)一覧

     (順不動、各党とも重点は違うがテーマはほゞ共通) 

  • 原発・エネルギー問題・・・即原発ゼロ~10年~30年計画廃炉論、これから検討論など?
  • 消費税問題・・・・・・・・増税廃案論~将来加増論まであるが、各論とも曖昧
  • 社会保障問題・・・・・・・年金・医療・子育て支援 etc. ・・・原資の曖昧な空論多出
  • 沖縄・基地移転問題・・・・(ここではノーコメントとする)
  • 尖閣・竹島問題・・・・・・(ここではノーコメントとする)
  • 経済復興対策・・・・・・・増税を含むばら蒔き対策などいずれも具体性がない
  • 環境問題・・・・・・・・・CO2 25%削減、各党ともまともに取り組んでいるとは見えない
  • TPP問題・・・・・・・・(ここではノーコメントとする)
  • 議員定数是正問題・・・・・解散になった途端、各党ともトーンダウン
  • 教育問題・・・・・・・・・予算の裏付けなしのリップサービス的提案がほとんど
  • その他 etc.

 なぜか今回は政策論争にはなってないが、

  • 震災復興対策・・・・・・・・・経済復興対策を絡めた優先事項と考えるが具体論が無い
  • 「首都」遷都問題・・・・・・・実施しなければ、政治・経済ともに「日本沈没」の危惧が!

 

2. 優先順位

  ※ 現状の政策論議は、 【木を見て森を見ず】

    現在の日本の置かれた状況を、マクロ的に冷静に見れば、何を優先すべきかは一目瞭然である。
    が、各政党ともに、【木を見て森を見ず、森を見て山を見ず】 の議論をしている。

  A.【経済再生=震災復興】

    国も企業も一般家庭も、お金が無ければ何も出来ない事は誰でもわかる。
    そしてお金の問題が改善すれば【社会保障問題】や【震災復興問題】その他、上記1項のテーマ
    の少なくとも半分には道筋が付く。
    従って、「経済再生」が最優先事項であり、実現可能な政策は何か、具体策はどうすろか?
    それを審議するのが国会でしょう? その為の政策提案をするのが本来の選挙戦では無いのか?

  B.【首都遷都】

    3.11以来まったく論議が止まっているが、首都圏の震災危険度は、高くなっても低くなった
    はずが無い。  富士山の噴火リスクも同様である。
    南海トラフの震災が先に起きたとしたら、更に地殻のバランスが崩れて一時的には災害を免れた
    としても、厄災のリスクは格段に高くなるはずだ。
    もし、現状のまゝで首都圏の厄災が発生したら、確実に経済的「日本沈没」となるだろう。
    従って、「経済再生」と並んで優先事項である。 (どちらが優先と言えない緊急課題である)

  C.【その他の政策の優先順位】 ・・・ A・B 無くば、砂上の楼閣

    いずれも重要課題に違い無いが、いずれも上記A及びBの政策が正常に対処されていればこそ、
    保障される政策で、それ無くば一夜にして瓦解するリスクを伴う政策群である。

    

3.仮想「政策論」・・・もしも私が政治家だったら

    「首都遷都」 「経済再生」 を最優先、 同時進行で考える。

       【首都遷都】

       ♦ 目標期間・・・・・・3年以内に開始→10年以内に完了を目指す
       ♦ 遷都先(場所)・・・・・・・・・・仙台市郊外
          選定理由1 : 大震災直後の大地は、余震はあるだろうが数百年は人知で耐えられる
                   範囲のものだろう。 (津波にも対策の方法が色々ある)
                 少なくとも南海トラフの影響範囲や関東地域より、壊滅リスクは
                 1/20 ~1/100以下に減る。
          選定理由2 : 経済再生と震災復興(特に東北地域)の最先端基地に相応しい場所。
                 ① 政治家達の目に、嫌でも復興の進捗状況が見える場所である。
                 ② 交通条件(道路・新幹線・空路)で何れも立地条件が揃いこの
                     為の歳出は最少眼度で済む。
                 ③ 西に偏重し過ぎる企業群の、東北誘致への呼び水にできる。
       ♦ 遷都の規模・・・① 国会の機能と議員宿舎・・・5年以内全面移転。
                   (議員宿舎は機能優先として、現宿舎の様 な豪華なものは不要)
                 ②   付帯組織・各官庁は、リスク分散の観点から、優先順位を付けて
                     主要業務を5年以内に移転させる。
                   ③ 金融機関及び民間企業などは、各々が独自判断で移転等を行
                     なうものとする。
                 ④ 一般市民は、自由意思での移転とする。
       ♦ 移転費用・・・・原則として、国会機能及び行政執行に係わる官公庁と、これの維持に
                 必要な要員と、その同居家族の移転実費を国費負担とする。

       【経済再生・未来構想】

       ♦ 財政改善は増税でなく「日本流ニューデール政策」で!
         ① 「首都遷都」の実行・・・・・市場規模数兆円の新規マーケットが創造できる。
         ② 仮称 「R&HH (レール&ハイウエー・ハイブリッド)」構想
            ローコストのEV(電気自動車)で、既存の鉄道網を利用し、全国どこへでも
            自由に旅行できる様なシステムを構築しようと言うもの。
            片道50km以上の長距離旅行をEVマイカー、で気楽に行ける環境を整備。
            基本的には現行在来線が利用出来るもので、陸のフェリーと考えれば良い。
            スマートグリッド構想とのリンクで低炭素社会の構築も容易になるだろう。

            これには自動車産業を初め、各基幹産業の総合力が必要であるが、基礎技術は
            すべて開発済。しかも、ほとんどが純国産技術の範囲。
            例えば、EV・鉄道車両・交通制御・ETC技術、そして素材技術等々。
            これ等の産業が国内需要で活性化すれば、15年で赤字国の汚名を返上出来る
            だろう。 (当然消費税増税も不要である)

            また、仮称 「R&HH」 の技術は海外輸出にも大きな可能性がある。

       ♦ 仮称 「R&HH」の目標タイムスケジュール」 (案)
            第一ステップ・・・「総合検討」及び「考証・構想」期間・・・1年
            第二ステップ・・・鉄道搬送方式・仕様とEV仕様の標準化・・2年
              (出来るだけ、EV以外の現用車も載せられる構造が望ましい)
            第三ステップ・・・モデル路線のテスト運用・・・・・・・・・4年後
            第四ステップ・・・モデル路線の営業開始と実用幹路線拡大・・5年目から
            第五ステップ・・・基幹路線(網走~熊本)整備完了・・・・・10年以内

            例えば、1回充電で100~150km走れる車なら、今の自動車業界では
            すでに実用化している。普及が遅い理由は価格・充電インフラと走行距離。

            ユーザーとすれば、自宅から目的地へ、行って帰るまで安心して走れる方法
            が有ればEV車にしたいニーズが高まって来ている。
            こう言う現状を打破してやれば、国内のEV市場だけでも裾野の広い自動車
            産業が牽引力となり、総合的な経済対策になり得る。

            EV車自体の走行距離を長くする技術はバッテリーの体積と重量を減らす技
            技術(素材を含む)的ブレークスルーが無いと車両価格を下げる事は難しい。

            一方、一般ユーザーに取っては日常走行は往復60~100kmも走れゝば
            充分であるが、非日常(レジャー等)の長距離ドライブも想定して、車種を
            選択する事になるから、現状ではEV車を除外せざるを得なくなる。

            他方、自動車メーカーに取っても、現有技術で量販可能となれば製造コスト
            は、おそらくガソリン車よりも安く出来る様になるだろう。

            CO2削減やスマートグリッド構想などの社会的インフラ整備にも、EV車
            普及は早急の課題であるはずだ。

       ♦ 実行予算の確保
            この事業に特化した特別国債として、5年~15年位の利率を分けた債権で
            資金集めを行う。(海外投資者も募るが、総額の50%以内の比率が安全)

       ♦ 震災被災地復興支援
            復興継続期間中に、このプロジェクトに関連する新規工場などの設立には、
            原則として震災被災地救済の地域に設立するか、又は一定数の被災者の正規
            雇用を義務付ける。

 

4.ちょっと大胆過ぎたかな?
 

  でも、この 「R&HH」 構想、実は今始めて思い付いた訳では無い。 3.11以前から思い描

  いていた日本経済活性化案のひとつだった。

  ま、愚痴だけを言っているよりも、「自分が〇〇だったらこうするんだがな~」 なんて考えて夢見
  ていた方が、人生楽しいじゃありませんか。

  絵空事であっても、こんな夢に少しでも近付ける可能性のある人をと、選挙の時の選択肢も絞られて
  来る訳で、無条件に▼▼教の支持政党だからとか■■党だからと投票するよりも、自分の一票を有効
  に使えると思っている。

  皆さんも、迷ったら「夢」を見ましょう! 「将来の夢」を!

 「夢があるから」 こそ、これからも頑張れる!!

 


 

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今日(11/28)、知人の家で何気なく見て居たTV番組で素晴らしいお年寄りを見た。

なんと、御年91歳、大正15年生まれで現在1日2,000アクセスもあるブログを毎日書いて居ると言う。
それも、その日書いた素晴らしい絵を添えて。(TV朝日:「なにこれ珍百景」より)

帰宅して、アクセスして見て改めて感動した。
百聞は一見に如かず、今日のブログ・コピーを見て頂いた方がわかり易いでしょう。

A2.jpg

いかゞでしょうか?

絵も素晴らしいが、文章もすばらしい。

絵にも文章も“詩”(うた)を感じる!  金子みすずの詩を読んでいる様な。

 

現在のブログは 「さっちゃんのお気楽ブログ 2」 で、以前のブログは 「さっちゃんのお気楽ブログ」 
へ、アクセスをして見て下さい。

※ 以前のブログ、 「さっちゃんのお気楽ブログ」 は本にもなっている様です。

 

80歳からパソコンを初め、ブログ歴は6年目とか、「百歳までは続けたい」 と言っていた。

ひょっとしたら脳年齢は40~50代じゃ無いか? と思う位だ。

 


 

 

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11月に入って1週間、【八海山倶楽部】のアクセス解析をして見た

すると、面白い結果が見えた。(もちろん、すべての週がこの傾向と同じでは無いと思うが?)

先週11/1(木)~今週11/7(水)迄の1週間を分析して見ましょう。

 

1.【時間帯別分析】

   ♦ 主婦層に愛読者層が多い、らしい?
時間別アクセス解析.JPG

 

 

朝7時~8時台、10時台、12時台、15時台
と、4つのアクセスピークが見られる。

一方、17時以降に増えるアクセスは一般のサラ
リーマン&サラリーウーマンや学生などのアクセ
スと思われる。

この、17時以前の4つのピークのアクセス数を
併せると1日相当総アクセス数の 約 35%がこ
の4つのピークに集まっている事になる。

実は、このピーク、一般的な主婦の何かにピッタ
リと同期する

朝7~8時台
    朝食の時間が終わった頃

午前10時台
    掃除・洗濯等が一段落した頃

昼、12時台
    お昼が終わった(子供の昼寝の)頃

午後3時台
    幼稚園や小学生の帰宅時間前後

 

もう、改めて書くまでもなくお判かりの事と思
いますが、ある意味“ホッ!”と出来る時間帯
これがアクセスピークを作ったと考えられる。

 

これは予想外の結果だった。

 

 

奥様方のチェックが多いとなれば、あんまり
「ナマズケねえ(Hな)」 話は後でオッカネー
(怖い)ぞー!

最近のオンナショ(女衆)はパワーがあるから
ねー!

  え! 昔からだって? ・・・・ ご最も!

 

 

 

2.【曜日別分析】

   ♦ 予想外! 土・日・月のアクセス数より、火曜~金曜のアクセス数が多かった!
曜日別アクセス解析.JPG

これは、一体何を意味するのか?

今の季節は行楽シーズン真っ只中。
【今度の週末・何処に行こうかな?】と言う訳で、
火曜日あたりから色々なキーワードで検索する人
が増える。

そして木曜日あたりが計画立案のピークとなる。
そして金曜日あたりから行楽に出かけたり出掛る
準備等の為アクセスせず、件数が減る。
そして土・日或いはプラス月曜日で出かける為に
土~月のアクセス件数が減る

と言うアクセスパターンが見えて来る。

 

季節の移り変わりに伴って行楽から別のテーマに興味も移って行くはずで、アクセスの動向も
当然変わって行く。

今回は、東京都心のビュースポットや風景の絵や写真・旅の記事などが役に立っていた様だ。

 


 

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意外でしょうが! 八方尾根からのパノラマ写真からご覧頂きましょう。

 

【八方尾根から 「八海山」 が見える】

みなさん! 長野県白馬連峰・唐松岳山麓八方尾根から、新潟県南魚沼市の「越後三山」が見えるって、
いや、「八海山」が見えるって知ってましたか?

見えるんです、1年に何日かは肉眼でも見えるんですよ! 特に残雪のある季節の、よく晴れた日は
とっても見付け易いんですよ!

  ♦ 八方尾根第一ケルン付近より   (撮影 : 2007.05.21)
      --標準撮影--
2007.05.21 八方尾根・第1ケルン周辺からの越後三山 1.jpg

     --約12倍ズーム-- 【越後三山 : 越後駒ヶ岳・八海山・中の岳】の総称2007.05.21 八方尾根・第1ケルン周辺からの越後三山 2.jpg

え、 「越後三山じゃなくて八海山ではないか?」って? そう、「越後三山」全体で「八海山」の様に、
      形が似てるんですよねー。

でも、次の写真をご覧下さい。 同じ日の午後、同じ方向、十日町からの写真です。

  ♦ 十日町市北鐙坂(あぶみざか)付近からの「越後三山」
2007.05.21  十日町からの越後三山.jpg

こんな風に越後三山の中でも前に見える事から、八海山の事を「前山」もしくは「前岳」と、
呼んだ事もあるとの事。

「百名山」2峰を従者として引き連れた「八海山」の堂々たる姿は中世ならずとも信仰の対象にしたくなる、
 もしも、深田久弥がこの角度で越後三山を見て居たら、百名山も入れ替わって居た事だろう。

と、前振りが長かったが、手前に見える魚沼丘陵の向こう側、八海山の麓に広がる旧・「城内村」、
この “のどかな村” が今回のテーマの舞台です。

 

【現在の旧・城内村・全景】

  ♦ 魚沼スカイラインよりの俯瞰写真
    (魚沼スカイライン:魚沼丘陵の尾根道、魚沼盆地や山岳展望のドライブウエイ)2007.05.21  N-002 魚沼SKL (B)A.jpg

※ 旧城内村とは、写真の中の、三国川(サクリゴウ)と魚野川に囲まれた八海山の麓の地域。
   現在では南魚沼市の一画となっています。
   八海山スキー場のロープウエイは通年運転で、10月中旬~11月上旬は紅葉が綺麗ですよ!
    (勿論、登山にも便利)

 

【キーワードは 「藤原(ふじわら)」】

ここ南魚沼市には昔からの大きな城下町でも無いこんな小さな地域の中に、何故か古来からの由緒を持つ
寺社が寄せ集まっている。
その中でも六日町を中心とした私達の生まれ故郷の寺社の縁起を信じると、どうやら「大化の改新」の中
富鎌足=藤原鎌足のルーツ
に繋がるハナシらしい。

ま、神社・仏閣の縁起などは、大部分が捏造されたりその時々の権力者や政治のはざ間で改ざんされて、
真実は曲げられている前提で考えなければならない。 が、逆の見方をすれば、真実も含まれている可能
性もある訳だ。

今回はプライベートに色々調べた程度であるが、私達の生まれ故郷にある「藤原」と言う部落名のルーツ
について探って見たい。

その前に、ここで言う【部落】は【部落差別】とは、一切無関係です。誤解のない様にお願い致します!
従って、【〇〇部落】とは住居表示と同様に、居住エリアの区別に使っている以外の意味は有りません。

話を元に戻します。

まず、現在の私達の故郷がどんな所かイメージを描いて頂きましましょう。

  ♦ 南魚沼市観光協会発行のパンフレットより
周辺マップ.JPG

上図中、城内村とされるエリアは、左回りに、八海山・六万騎山・魚野川・三国川・高倉山・阿寺山
に囲まれた地域です。
そして「藤原部落」は、図中の高倉山の上に〇で囲んだ “法音寺” と表記されている地域にあります。

昔からそのルーツについては 「平家の落人説」、「後三年の役の落人説」、或いは 「藤原摂関家の
関係者ルーツ説」 等々、色々な説がある。

ここでひとつ一つを検証して行くつもりは有りませんし、これが正しいと言える物証も乏しい。
そこで、細かい検証作業は専門家に任せるとし、今回はみなさんにもそんなルーツ説に触れて頂いて
この地を旅する時の参考にして頂ければ幸いです。


また、歴史を紐解いて行く過程で、物証の無い所を推理して自分なりに歴史を紡いで行く作業も結構
楽しいものです!

 

【「文献、記録」・「寺社の縁起」等】による歴史

1.「城内郷土誌」による年表・・・・昭和34年度編纂版による。

  ♦ 年表・関連部分抜粋 ・・・ コピーの為、見にくい点はご容赦願います
城内郷土誌・年代表-01.JPG

この郷土誌編纂では、明らかに違うと確認されたものは除いているが、口伝なども細かく拾い上げており、
資料としはて心強い。

口伝もまた、真実のヒントを含む場合が多いと私は思っている。

 

さて、この年表を見ると、「西暦272年、清原政次と言う人(神職と思う)が氏子8苗を引き連れて大和
・豊明の里より八海明神を奉じてこの地に移住して来た」と言う項目で、城内史は始まっている。

この時の8苗とは、岡村・貝瀬・上村・北村・遁所・行方・山崎・山本の8姓だそうだ。 しかし、3世紀
後半、卑弥呼が亡くなったと言われる西暦249年からわずかに23年目、大和政権も生まれたか否かと思
われる時代、大和の国から8苗の氏子を連れて移住をして来る神職が居るとは考えられない。

また、清原姓も8苗姓も、西暦272年時代の氏名(うじな)としては近代的過ぎるのも違和感がある。

従って、この逸話は明らかに後世の人の捏造だ。

 

9世紀中頃(856年)、「大地震により、峯八海社倒壊」。 10世紀(913年)、「暮坪に峯八海遥拝の
場所として里宮を建立」 とあるから、古く見積もってもこの頃作られた逸話であろうと考えられる。

ただし、八海明神信仰(木曽・御岳の八海山など各地に八海山と命名された修現場が作られた)は、山伏達の
活動とリンクして、4~5世紀位から活発になっている。
大地震で倒壊した【峯八海社】は彼等山伏達が建立したものと推測される。(場所は暮坪か?)

実は、暮坪と言う現在の地名の場所をその地であるとするには疑問を拭えないのだが!
何故なら、八海山を遥拝するはずの【峯八海社】を、最初からわざわざ手前の山で八海山が見えなくなる位置
に「社」を建てるだろうか? と言う疑問が湧く。

「八海山」 遥拝の地としては、むしろ、後述する 「藤原の裏山(飯盛山)柳平=行基菩薩が草庵を結んだと
言われる場所」では無いかと考えて居る。 そう、【法音寺】 発祥の地。

それならば、なぜ今の暮坪の地に移ったのか? これについては今回のテーマとは離れてしまう為、また別の
機会に考えて見たいと思う。

 

余談ではあるが、西暦856年の大地震と言うのが気になる。
もしかしたら2004年10月16日の新潟県中越地震と同じ震源では無いかと思う。

 

次に、西暦731年~743年の記述、これが今回の最大の謎。
もしも、記述が真実であれば、こんなヘンピな城内村、或いは南魚沼市は、古代史の名刹を抱えた歴史的
地域だった事になる。

 

2.「藤原部落」と「法音寺」

  ♦ 現在の 「法音寺(ほうおんじ)」 と 「藤原(ふじわら)」 周辺地図
城内地図01C.jpg

地図中央の下の方に、「法音寺」と「亀福寺」と2つの寺が見えるが、この【法音寺】が今回の主役。

そしてその周りの「法音寺と藤原、妙音寺」と書かれた地域すべてを昔は【藤原村】、歴史が下って
合併前迄は【藤原部落】と呼んでいた。

なお、【法音寺】は越後・上杉家の菩提寺だった関係で慶長4年(1599年)会津移封で多くの末寺と
共に会津若松へ、そして関ヶ原後は米沢に移り、現在藤原には僅かに寺としての名跡を残すのみ。
本尊その他も、春日山・会津を経て山形県米沢市の上杉家御廟所のある現在地に移された。

  ♦ 【法音寺】 縁起、冒頭部分抜粋(城内郷土誌より)
法音寺・縁起 AAA.jpg

     ・・・主要部分を要約すれば次の様になるらしい・・・

天平3年(731年)   行基菩薩来たる、現法音寺の裏山「飯盛山」の柳平と言う所に草庵を結んで
             三厳庵 と名付けた。
天平8年(736年)   聖武天皇勅宣により、藤原不比等の子息・藤原政照、堂舎仏閣造営諸国巡見
             の為下向。
天平9年(737年)   藤原政照、この地にて落命(疱瘡の為)柳平から現在の地に移された三厳庵
             で埋葬。聖武天皇の綸旨を賜り、藤原政照の法名から【飯盛山法音寺蜜(三
               ?)厳庵国分寺】 通称【法音寺】と改名・昇格し、仏法興隆の精舎(僧侶の
               修行道場)となった。
               同時に、この地の名前「上河条村」を、藤原不比等の氏名(うじな)を宛て
               て【藤原村】 にせよ!との事で、村名も変えた。
               この時聖武天皇から金一千万両・珠御剣・三千仏の唐絵などが贈られ、妻女
               や藤原房前からも納経その他が寄進されたとの事。
天平11年(739年)    藤原政照の妻女、興福寺精舎にて妙音比丘尼となりこの地に来て、法音寺の
               近く、現在の妙音寺に庵を結び、ここで生涯を終えられた。
               この庵が後に【妙音寺】となり「妙音寺村」の総鎮守となる。

その後、源頼朝から源家繁栄の祈祷を依頼された事から繁城山法音寺】(なぜ「繁盛」でなくて「繁城」
なのかは不明)、そして時期は不明だが八海山法音寺】(多分、会津移封の時と思われる)と、山号が
変遷し、会津移封に伴い、末寺を含むほとんどの寺仏・経本等が会津・米沢に移された為、現藤原には僅
かな鐘堂などを残して現在に至る。

ただ、今回のテーマからは外れるので、山号の件は割愛し、以降は単純に【法音寺】として進めます。

なお、この【法音寺縁起】が起草された時代については、【繁城山法音寺略縁起】の見出しから始まって
いる事から、古くとも 「鎌倉時代」 ではないかと推測できる事をも念頭に、読み解く必要がある。

 

3.「関連資料」

  ♦ 米沢「法音寺」ホームページ (抜粋)
米沢法音寺・縁起 01.JPG

       ――― 以下省略 ―――
 

  ♦ 「雲洞庵(うんとあん)」ホームページ (抜粋) ・・・ 天地人ゆかりの寺

雲洞庵縁起B.jpg

  ♦ 藤原氏系図 ・・・ コンビニで入手の雑誌切り抜き (雑誌名不明)

      (代表的系図でわかり易いでしょう)
藤原氏系図.jpg

  ♦ 藤原氏北家、系図 

    数多く提唱されている藤原家の家系図で、小生が調べた系図に最も近く、より詳しい系図。
    「北道倶楽部」のHPから、主催されておられる岩田様の許諾を頂いて掲載しております。
    詳細は「北道倶楽部」のHP http://www.ktmchi.com/rekisi/cys_41.html  もご参照下さい。

藤原房前家系図.JPG

 

 

【検証】 

1.藤原摂関家と魚沼地方の関係

  場所や設置時期の特定は出来てないが越後・魚沼地方に屯倉(みやけ:大和政権の直営倉庫)が有っ
  た事は、色々な古書に出て来る。
  従って、魚沼地方には屯倉に集める程の穀倉地帯があり、政権直轄の荘園が出来ていた。

  西暦645年の大化の改新でこの荘園が、中富鎌足=藤原鎌足に下賜されたと言う。

  これについては否定するべき材料がない、従って、事実として話しを進める事にする。
  (今回のテーマの時期に藤原一族の誰が引き継いだのかは不明なのだが)

  また、現在の六日町に大河ドラマでも知られた【雲洞庵】(うんとあん:前出の観光パンフレットの
  左下にある寺) があるが、ここも藤原本家由来の寺と言われている。・・・前述、雲洞庵縁起参照。

2.藤原政照とは誰か?

  城内郷土誌では「藤原麻呂」をその人としているが、はたして同一人物か?
  と、言う事で関西在住の知人に調べて頂いていたが、残念ながら最近その知人が亡くなられた為確認
  はできなくなった。  しかし、過去に途中経過の報告で「同一人物だろうと思う」と言っていた。

  もし、「藤原政照=藤原麻呂」だったとしたら聖武天皇の命を受けて諸国巡視と言う事も有りうる事
  であり、或いは陸奥の多賀城から秋田への新道開削で途中、体調を崩しての帰途、領地のこの地で落
  命したとも考えられる。 (実は新道開削は公務として記録があるが、諸国巡視は記録不明)

  死亡原因が天然痘による病死である事、時期が天平9年(737年)7月と共通で、藤原麻呂の記録
  では帰京(藤原京)後に亡くなった事になっているが、天然痘だとすれば、当時は都が疫病蔓延の中
  心地。 家族を避難させる事はあっても、病を押しても帰る(又は帰れた)だろうか?

  疫病であれば、死後すぐに遺体を焼く事も当然だろうし、結果、諸説もまた生まれ易い。
  城内郷土誌中の法音寺縁起にも【彼歯骨等奉南都贈当寺留置示後・・(以降現代訳)・・再度の勅に
  よって当寺を政照の墓所とし、政照の法名を取って法音寺とする・・・】 とある事を見れば、

  天皇の勅により陸奥・多賀城に下向していた藤原麻呂が、多賀城から秋田城までの軍用道路開削指揮
  の途中で痘瘡(天然痘)を発病した。当時痘瘡と言う疫病に苦しめられていた藤原京の為政者達は、
  例え不比等の孫と言えども都への帰京は許されず、藤原家辺境の所領地での療養を名目に上河条村へ
  来て(或いは来る途中)亡くなった。 そこで遺体の焼却(当時は土葬が普通、高貴な家柄であれば
  なおの事)を指示した、そしてその事後処理が問題となる。例え、骨だけとは言え、都に帰すとなれ
  ば彼の従者達も帰さなければならなくなる。と言う事は、再び疫病を都に持ち込むリスクが大きい。
  そこで、苦肉の策として取られた策がこれ。
   【麻呂の遺体は現地で焼いた、お骨は一番近い藤原家の所領地の寺に留め置き麻呂の
     墓所とする、そこに家柄に相応しい寺の格付と村の名前変更を、勅と言う形式で実施しよう】

  とすれば、本来「藤原麻呂」だった人に、(任期途中だったとの)傷を付けたくない誰かが、便宜上
  法音寺関連だけに「藤原政照」の名前を使用していた。 と言う推論も成り立つ。
  これなら「藤原麻呂が藤原京に帰ってから痘瘡に罹り死亡」と言う説も容易に作れる。

  が、藤原麻呂の「天平9年(737年)持節大使に任ぜられ、陸奥・多賀城より雄勝村を経由して出羽・
  秋田城への直通道路開削事業を行い、同年に帰京するが、当時流行していた天然痘にかかり7月13日
  に薨去」と言う記述には不自然な点がある。
  当時の藤原京から陸奥・多賀城(柵)迄の往復日程と出発帰着前後の準備・整理日程、軍用道路開削
  日程それに痘瘡の潜伏期間から死亡までの期間すべての行程を考えると、わずか半年で起こる事象と
  するには無理がある。(例え元日に勅が出たと仮定しても)
  そして、前記「法音寺・縁起」の中で、【・・当寺留置示後帝王自再綸御下為・・】 とあるのは何を
  意味するのか?
  もちろん藤原政照は勅により諸国巡見に出ていた事になっているから再度勅が出ても不思議はない。
  しかし、その内容は別格で、前後の歴史に名前が載らない様な人物、まして僧侶でも無い人物の為に
  国分寺級の寺を建てるなんて有り得ない事である。

  従って、【「藤原政照」とは為政者(藤原本家房前)の都合で便宜上作られた名前】で【藤原麻呂
  が実名
と考えた方が論理的な話として繋がるのではないかと思う。

  不比等の息子4人とも、わずか1年半位の間に全員天然痘で亡くなった事は有名な出来事である。

3.法音寺と行基の関係・・・法音寺開祖説

  これは全くの捏造だ。
  まずは行基の行動範囲、実質的に行基が行動していたのは広く見積っても現在の地理で奈良から京都
  ・滋賀・三重の範囲、彼の弟子達が動いたとしても天平12年(740年)以前、この地に行基の関
  与があるはずが無い。
  行基と聖武天皇の関係が始まったのが天平13年(741年)、天平15年(743年)大仏建立の
  勅で本格的に全国への勧進活動が始まる。
  この地、藤原村に行基の係わりが出来るとしたら、この天平15年以降しか考えられない。
  まして、行基が健在の年代に行基菩薩云々と言う伝承は、自ら捏造を白状している様なものである。

4.藤原村の人々

  藤原で500年以上続いていると言う旧家があるだろうか?
  恐らく城内中を探しても500年以上の系図(文書と言う意味ではないが)を持つ旧家は無いと思う。
  城内と言う所は意外に人の出入りが激しい所の様です、古くは平将門の残党や前九年・後三年の役の
  残党も来たかも知れません。
  しかし、城内はおしなべて人々の入れ替わりが多かった地域らしい。従って、古の名刹も意外に忘れ
  去られてしまったのかも知れない。

 

【「藤原(村もしくは部落)」のルーツ まとめ】

 ♦ 私の考える「藤原」のルーツは以下の通り。

   1. 藤原麻呂(京家)が陸奥平定の為の、多賀城→秋田城間の軍用道路開削中に藤原京で感染し
      潜伏していた天然痘が発病。(天平8年末~天平9年春)

   2. 帰途、都は天然痘が蔓延、療養目的で藤原家所領地の越後上河条村に来たが、ここで死亡。
      しかし、ここで天然痘が流行ったと言う形跡が無い事から、事実は途中で亡くなって、遺骨
      となってこの地へ来た可能性もある。(天平9年7月頃)

   3. 藤原摂関家の政治力で【麻呂】を【政照】に替え、勅(みことのり)と言う形でこの地に祀
      る事にして、その法名をとり【法音寺】を国分寺格の寺院として建立。 (天平9年)

   4. 同年、それまで「上河条村」と言っていた村名も藤原の呼び名に変えて【藤原村】とした。 

   ※   その後の経過については、法音寺縁起の項と重なるので割愛します。

 

【余談】

 始めは奥州藤原氏の流れを有力と思ったり、藤原魚名の名前から魚沼のルーツかも・・・なんて考え
 たりして見たが、やはり天然痘の流行、キーマンの没年と中央の政治的動向などを考えると、法音寺
 縁起の記述が、かなり正確なのでは無いかと思えて来て、上記のまとめとなりました。

 色々と、情報収集にご協力頂いた皆様方に、改めて感謝致します。  ありがとうございました。

 


 

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10/7(日)、埼玉・鴻巣市に住む姉に誘われて、故郷六日町に住む兄夫婦も誘って姉兄夫婦と私の5人で久しぶりに会い、熊谷市・妻沼(めぬま)にある【聖天様(しょうでんさま)】に行って見ようと言う事になった。

普段、神社・仏閣にはあまり興味の無い私なのだが【聖天様の御本殿】には感嘆を禁じ得なかった。

実は此処、【聖天様・御本殿】は平成15年~昨年5月末まで修復工事が行われ、6月から一般公開中。
また、今年(平成24年)7月9日には建造物としての国宝に指定された。

何はともあれ、写真でごらん頂きましょう。 (なお今回は、国宝の奥殿・彫刻を中心とします)
 

【案内板】 ・・・・・ 聖天山全体イメージ2012.10.07 A -  002 妻沼・聖天様.JPG


【聖天様・御本殿】

  ♦ 正面(東)2012.10.07 A -  004 妻沼・聖天様.JPG

  ♦ 【南側】2012.10.07 A -  012 妻沼・聖天様.JPG

   ♦ 【奥殿】 (南側)
2012.10.07 A -  079A 妻沼・聖天様.jpg

  ♦ 【奥殿】 (西側)
2012.10.07 A -  018A 妻沼・聖天様.jpg

  ♦ 【奥殿】全景2012.10.07 A -  075A 妻沼・聖天様.jpg


 【本殿奥殿の細工抜粋】

  ♦ 【奥殿・南側、軒下】
2012.10.07 A -  008-10 妻沼・聖天様.JPG

  ♦ 【奥殿・遊ぶ童たち】
2012.10.07 A -  038 妻沼・聖天様.JPG

2012.10.07 A -  045 妻沼・聖天様.JPG

2012.10.07 A -  037 妻沼・聖天様.JPG

  ♦ 【七福神】2012.10.07 A -  063 妻沼・聖天様.JPG

2012.10.07 A -  040 妻沼・聖天様.JPG

  ♦ 【布袋様と恵比須様の囲碁対戦、杯を手にした観戦者は大黒様との事】2012.10.07 A -  064 妻沼・聖天様.JPG

  ♦ 【奥殿・台座の細工】2012.10.07 A -  044 妻沼・聖天様.JPG

2012.10.07 A -  025 妻沼・聖天様.JPG

2012.10.07 A -  034 妻沼・聖天様.JPG

2012.10.07 A -  033 妻沼・聖天様.JPG

  ♦【その他】

    「貴惣門」
2012.10.07 A -  086 妻沼・聖天様.JPG

    「斉藤別当実盛」像 ・・・ 聖天様をこの地に祀った聖天山の開祖2012.10.07 A -  001 妻沼・聖天様.JPG

    「無患子」の実2012.10.07 A -  085 妻沼・聖天様.JPG

    【パンフレット】 ・・・・・ 抜粋

     「由来」2012.10.07 A -  087AB 妻沼・聖天様.jpg

    「奥殿」2012.10.07 A -  089A 妻沼・聖天様 (2).jpg


以上、彫刻細工の一部ですが、この他色々ユーモラスなものなどがあり、見て居て飽きない。

  (左甚五郎作の物もあると言われています)

今は真近でみられるが、鳩やハクビシンなどが集まり始めたら、多分日光の陽明門の様に金網などで覆われてしまうのでしょうね。
  (楽々と写真が撮れるのも、今の内だと思う)
 

【行き方等】

♦ 念のため、【聖天様】 神社運営HPのURLを! ・・・・ http://www.ksky.ne.jp/~shouden/

その他ネットで 「妻沼 聖天様」 または 「聖天山」 と検索すれば色々な情報が得られます。
カーナビも、「妻沼聖天様」 で出て来ると思います。

なお、車で行かれる方は平日でも結構混みます。 駐車場も少ないのでその点考慮して計画される事をお薦めします。
 


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8月末、【南海トラフ】に起因する【巨大地震の想定モデルと推定被害】の、衝撃的な数値発表は日本中を震撼させた。
 

  ♦ その【骨子となるグラフ】を二つ

南海トラフ津波 1.JPG
南海トラフ津波 2.JPG

その結果、世論は南海トラフの危機と言う風潮に流れ、あたかも関東・東北・北海道の地震の危機が無くなったかと思わせる程、この1ヶ月マスコミも政府も話題にしなくなった。

果たしてそうであろうか?

否、どこからも南海トラフの方が危機的状況であるなどと言っている訳では無いのである。
所が現状のマスコミの取り上げ方を国民の側から見て居て、「南海トラフの方が今にも危ない!」 と感じている人が圧倒的に多くなって来ている。
 (試しに身の回りの人に聞いて見て下さい、「今、日本の(地震で)一番危ない地域は何処?」と)

普通の人は嫌な事より耳触りの良い事を、古い話題より新しい話題を重要視する非論理的な面がある。

現在の状況を放置して居たら、今、本当に危機感を持って対処すべき所を見誤ってしまうのではないかと、危惧される。
 


まずは日本近海の海底地形について、先入観念を持たずに見て下さい。

  ♦ 【日本近海・海底地形 全図】 ・・・・・・ Google Map より
 

      正直な所、海底地形図が地上の地形描写同様の精度とは思えないが、
      地形の特徴は推測できる。
C2 日本地図 ・ 日本 全図 B.jpg
 



主な 「震源域別」 MAP
 

  ♦ 【北海道・東方沖】 ・・・・・日本海溝(1)
A1 (北海道・釧路沖).jpg

日本海溝~釧路~網走に抜ける断層らしき亀裂が気になる、あまり話題になってないが活断層では無いか?
襟裳岬の先の日本海溝は地震の巣として知られているだけに、亀裂や崩壊の跡がはきりとわかる。
また、ここでは東から西への力が北海道以北の反発力で折れ曲がりつつある事が地震多発の要因。
 

  ♦ 【三陸~茨城県沖】 ・・・・・ 日本海溝(2) ・・・・・ 2011/3.11の震源域A2 (東北).jpg

この海底地形図は2011/3.11以前のデータだろうと思うが、この位広範囲の写真では、変化を視認することは難しいだろう。
ただ、太平洋プレート側に火山の跡らしきものが多数みられるが、見えるものの最大の物は地表であれば1000メートル以上の規模の山であろう。
例え500メートル級だと仮定したとしても、これが北米・ユーラシアプレートに沈み込む過程で上のプレートを引っ掻いて行く訳だから、引き込まれてストレスが溜まるユーラシアプレートのストレスが極限に達すると、より巨大な崩壊・蠢動(地震)を引き起こす可能性が高い。

つまり、【沈み込むプレート上の海底火山は巨大地震のトリガー要因】 と言うこと。

ただし、ここに見えている山は早くても数百年先にそう言う危険をもたらす要因ではあるが、
    【問題なのはすでに見えない所まで引き込まれた山】 
これが地震予知を難しくする最大要因だと思う。
    (火山列島跡の先端部等が周期的巨大地震のヒントかも?)

ただ、こう言う視点の学術的調査をしている形跡が見られ無いのが残念だ。
 

  ♦ 【茨城・房総~伊豆半島沖】 ・・・・・ 日本海溝(3)A3 (関東).jpg

この海底地形を見たら、日本全体で何処が一番の危険地帯か説明不要だと思う。
「北海道東方沖」同様、陸棚の折れ曲がり地点である事。(地殻の歪要因)
多数の火山列島(らしい)跡が日本海溝から太平洋プレート側に見える。(トリガー要因)
すでに多数の巨大亀裂や巨大崩壊跡が多数みられる。(地震多発の証明)
と、条件が揃い過ぎている。

これを見ると、明日巨大地震が来てもおかしくないと思ってしまう。

そして、政治屋は居ても政治家の居ない現状では、何よりも政治・経済の副次崩壊が心配。
 

  ♦ 【伊豆諸島・小笠原海域】 ・・・・・ 日本海溝(4)A7 (小笠原).jpg

この地域は地震の直接被害より巨大津波に要注意だと思う。 
 

  ♦ 【南海トラフ】 ・・・従来は東海地震域としていた部分も統合されたA4 (東南海).jpg

確かに、旧“東海地震・震源域”と言われたエリアは、かなり危険な状況に見える。 しかし、房総~茨城沖に見られる様な大きな火山列島の沈み込みが少なく、九州・宮崎沖に3列みえるものゝ間隔が狭い事から小規模の多発地震でストレス解放をしているものと推定される。

従って、東京・関東エリアに比べて地震のトリガーは非常に少ない事から順位は2番手。

ただし、何らかの原因でトリガーが引かれたら、ここは、8月末の衝撃発表を信じる事にしましょう。
 (一部冒頭で掲載)
 

  ♦ 【琉球海溝-1】 ・・・・・ 九州南端~沖縄(南西諸島-1)A5 (南海).jpg

この地域も難しい地形だが、海溝型地震は巨大地震までは発展しないと思う。

ただ、沈み込み側のプレート面が小刻みに凸凹している事から、地震の頻度は多いものと思う。
 (小刻みにストレス解放するので、巨大地震にはなりにくい)
 

  ♦  【琉球海溝-2】 ・・・・・ 沖縄~台湾 (南西諸島-2)A6 (沖縄).jpg

  ♦  【沖縄トラフ】 
南西諸島-沖縄トラフ 1.JPG

沖縄トラフでの震源は比較的小規模なので、ここでは割愛します。

     プレートテクト二クスで南西諸島に押されて、東シナ海側に出来た円弧状の窪み
     沈み込むフィリピンプレートと、太平洋プレートに押されてユーラシアプレートの縁が
     盛り上り、南西諸島が形成されると同時に反動で東シナ海側に窪みが出来たと考え
     られている。(今も進行中、日本海も同様の原理で出来た窪みらしい)

 

【 結 論 】

  以上の結果から、やはりこれから最短で【巨大地震】もしくは【首都直下型地震】が発生する可能性は、
  「茨城県沖~房総沖」に展開する日本海溝に起因する地震エリアが最も確率の高い地域と予測される。

 


最後までご愛読いただきありがとうございました。

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A)「旅行・ドライブ」・「自然景観・動植物」などの記事

B)「故郷・魚沼地方」・「八海山」・「地形・地質」等に関連する記事

C)「歳時記」・「エッセイ」 その他

 

尖閣問題、竹島問題と矢継ぎ早な国境侵犯問題に頭をなやまして居るかの様な政治家達のゼスチャーと、中国・韓国・ロシア(やアメリカ)の政治的手玉に取られている日本の政治家達の地勢学的見識の低さに辟易とさせられる、昨今の二ユースが多い。
今回の韓国大統領の暴挙も、7月のロシアのメドベージェフ首相の北方領土訪問強行が引き金になったものと思われる。

「地勢とは論理(理屈)にあらず、政治力・外交力にあり、此れ無き愚か者は武力に頼る」
昔何かの本で読んだ事がある。  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ と、まあ硬い話は置いといて。

日本から直接見える外国「サハリン(樺太)」と、「北方領土」がどんな風に見えるのか?
旅行などで現地に行っても案外見た事の無い人が多いのではないかと思う。

そこで今回は、故郷の八海山から約1,300km 離れた【現時点の外国】が見える、オホーツクの沿岸を旅して見ましょう。

旅の季節は9月下旬~10月上旬。 (初秋の頃)

      なお、自然景観・動植物などについては 「オホーツク旅情 (2)」 で詳しく!

 

【地理的イメージ】

 ♦ オホーツク海沿岸とは、一般には稚内港付近から根室半島付近までを言うhokkido オホーツク (1280×).jpg

 ♦ 北方4島【国後(クナシリ)島・択捉(エトロフ)島・歯舞(ハボマイ)諸島・色丹(シコタン)島】
      注) 「歯舞諸島」の呼称は「歯舞群島」とも呼ばれている
   昔は日本の領土だった【得撫(ウルップ)島】、高山植物・ウルップ草の名前の由来の島hokkido 北方領土.jpg

 

【日本最北端・宗谷岬】・・・サハリン遠望

 ♦ サハリン州ユジノ・サハリンスク(湾最奥)まで約43kmsouya misaki 2.JPG

 ♦ 「日本最北端」の碑souya misaki.JPG

2004.10.03-A 宗谷岬 012(1280×).JPG

 ♦ ほとんどの観光客はここまで。

 ・・・でも天気が良かったら丘の上から眺めたい! (レストランや牧場もある)
    (国道の土産物屋の脇から丘に登る車道がある、バスは登れないと思う?) 2004.10.03-A 宗谷岬 022.JPG

2004.10.03-A 宗谷岬 029.JPG

 

<ミニ情報> お車でこゝまで来たのなら・・・

 ♦ 稚内港の向こう側、ノシャップ岬 (根室の納沙布岬 とまぎらわしいが) がお薦めの場所。
2004.10.03-B ノシャップ岬 018.JPG
   天気が良ければ写真の様に利尻島や礼文島(看板の右」に外れて写ってない)が見える。

   また、こゝに1軒有った小さな土産屋が、隠れ名産店。 (ただし私が勝手にそう呼んでいるだけ)
   ホタテやカニ・タラコなど海産物が新鮮でリーズナブルな価格の店。
   ただ、こゝ3年ばかりこの地域の仕事から遠ざかっていたので今は変わっているかも知れない?

 ♦ もうひとつ、ノシャップ岬から日本海側オロロンラインに向かう左側に公営の温泉施設があった。
   日帰り入浴OK、利尻島を眺めながらゆったりと温泉に浸るのも最高です。(有料:500円?位)

次はいっきに知床へ!(約230km)

 

【知床半島】 ・・・ 朝日は「国後」より

 ♦ 羅臼~国後 間、約27kmhokkaido C (doutou).jpg

 ♦ 羅臼海岸(道の駅前)より ・・・・ 夜明けとともに漁火を小さくして帰港を始める漁船2004.10.01-A 羅臼 001.JPG

2004.10.01-A 羅臼 009.JPG

 ♦ 羅臼展望台からの国後島 (組写真)  こゝは観光バスは入らない2004.10.01-F 羅臼展望塔 104.JPG

 ♦ 羅臼展望台の掲示版 (橙色の2つの点は室内電球が写り込んだもの)2004.10.01-F 羅臼展望塔 086.JPG

 ♦ 羅臼展望台からの羅臼港  (海岸の手前の茶色い屋根の所が道の駅)
2004.10.01-F 羅臼展望塔 092.JPG

2004.10.01-F 羅臼展望塔 089.JPG

2004.10.01-F 羅臼展望塔 088.JPG

 ♦ 羅臼展望台から見た羅臼岳他、知床連山
2004.10.01-F 羅臼展望塔 097.JPG

 ♦ 羅臼展望台の庭で出会った親子鹿2004.10.01-F 羅臼展望塔 030.JPG

 

ちなみに、「知床横断道路」ではこの様な写真も撮れた。

 ♦ 知床峠  (背景は羅臼岳)
2004.10.01-C 知床横断道路 027.JPG

 ♦ 知床峠からの朝の国後島
2004.10.01-C 知床横断道路 037.JPG
2004.10.01-C 知床横断道路 033.JPG

 ♦ 知床峠から羅臼へ向かい、少し下って振り返って見た羅臼岳
2004.10.01-E 知床横断道路 024.JPG

 ♦ 途中で出会ったエゾシカの雄
2004.10.01-F 知床横断道路 018.JPG

 ♦ 最後は定番、キタキツネ (子ギツネ)2004.09.28-B 高原温泉 003.JPG

そして知床半島を離れて根室方向へ!

 

【野付半島】 

 ♦ 野付半島からの国後島 ・・・・ 特にズームを使わないでもこの大きさ
2004.10.01-H 野付半島 003.JPG

2004.09.30-A 野付半島 049.JPG

 

【開陽台】 ・・・・・ 野付半島から少し内陸に入った展望台

2004.10.02-A 開陽台.jpg

 

ここ、関東平野の片隅・茨城県取手市(の中の旧・藤代)は昨日も33℃。
一昨日よりは多少風が有って少し楽だが、・・・・ それにしても暑い!

 ♦ ミステリアスな花 :  こんな真夏の真夜中にしか咲かない不思議な花 ・・ 秋には赤い実になりますよ!2007.08.14 P-1007.JPG

【 真夏の"キリゼー" 】

さて、「真夏の“キリゼー ”」って何のこっちゃ!?  と、思って居られる方が多い事と思う。

或いは、新潟県の(南・北)魚沼地方の方々の中には、
  「もしかして、あれの事?」 なんて思われた方も居られるかも知れませんね!
    そう、季節外れの 「あれ」 の事です。
ま、答は後ほどわかって頂けると思いますので、話を先に進めましょう。

暑くても用事が有れば外出しない訳には行かず、うだる様な暑い日中を出歩いて昨夜の8時頃帰宅した。

「さて、今夜の食事は何にしようかなー」 「暑いんで火は使いたくないし・・・・」 なんて考えながらTV
を付けたら、昔よく歩いた上高地から北穂高岳への登山番組で、何とはなしに見て居ると、井上靖の「氷壁」
で有名な徳沢園でお昼のシーン。 野沢菜の漬物を刻んでチャーハンを作って出して居た。

「懐かしい ! そうだ、昔あそこで同じものを食べたっけ」、 などと思い出すと同時に、今夜の夕食のヒント

が浮かんで来た。

ご飯は今朝1日分焚いたものがある、野沢菜(漬物)は長野の知人がお中元に同梱してくれたものがある。
冷蔵庫には他に納豆や豆腐、サラダ用野菜などが常備してある。

よーし!今夜は刻んで混ぜる簡単メニューにしよう!と決めて作ったのが冒頭の 「真夏の“キリゼー”」 だ。

なぜ 「真夏の」 なのかと言うと、元来は野沢菜の漬物も納豆も冬の食べ物。
それを組み合わせて作る 「キリゼー」 はなおさら、冬のたべものと言う認識が強い。

それを 「真夏」 の今、食べられると言う事の幸せ!
何だか、自分だけの胸の内に仕舞って置くのがもったいなくって、このブログを書いて居ます。

エ! 「“キリゼー”」 の説明はどうなってるかって?

申し訳ありません大変遅れましたが、漢字で書けば 「切り菜」 、魚沼地方の方言で 「“キリゼー”」 と言う。
材料は 「細かく刻んだ野沢菜漬と納豆、少々の調味料」 で、後はかき混ぜるだけで出来上がり。
冷蔵庫に入れて置けば、2~3日はほゞ味が変わらずに楽しめて簡単惣菜になる。

温かいご飯に 「“キリゼー”」 が有れば・・・・大抵の人が食が進むと思います。
お茶付けにしても美味しいですよ、納豆や漬物が嫌いで無い限り、是非 一度お試しを!

野菜の栽培技術と冷凍・冷蔵技術の進歩の成せる技。 そのお蔭で 「真夏でも“キリゼー”」 が楽しめる。

ただ、あまりにも季節感が無くなって来る昨今に、一抹の不安も禁じ得ないのだが  ・・・・・・・

真夏のミステリー

下の写真は 2005年8月中旬・帰省した時に所用で六日町から十日町へ向かう途中で写した “ツユクサ”
です。    でも皆さん良く見て下さい、何かがちょっと、おかしいと思いません?

 ♦ 八箇トンネルを過ぎてしばらく下って棚田が始まったあたりの国道253号両側・畦道にて2005.09.13 B R253十日町・八箇 P  - 015.JPG

背後の水色で大きな花弁の(少しボケて写っている)花が普通の “ムラサキツユクサ” 。
しかし手前に写っているツユクサも、花以外はムラサキツユクサと同じ、まったく見分けが付かなかった。

実はこの写真の一角(ほゞ1㎡位)がほとんど、変種と思われるこの 「ツユクサ」 で、中に普通のムラサキ
ツユクサが上の写真の様に数本混じっている、と言う状況だった。

その時は珍しいツユクサの仲間だな! 位に考えて居たのだが、後で調べて見ても名前がわからない。
改めて写真を撮ろうと次の年にその場所に行ったが、何故か普通のムラサキツユクサ以外、ツユクサの
花は見付からなかった。  (その次の年も、そのまた次の年も)

そして、その他の場所でも、ツユクサの有る所へ行くと注意して見て居るのだが、以来一度も見かけた事
が無い  「ミステリアスな “ツユクサの花”」  である。

どなたか、名前をご存知の方が居られましたら是非教えて下さい。

 


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オリオン星座と言えば、普通は冬の星座だと思って居る人が多いと思う。

しかし、それは一般的に人々が星を見上げる時間帯、それが夕方から遅くも午前1時頃迄に天空に見える星座、を季節の星座としているからである。
確かに今頃の季節は天の川や白鳥座、カシオペアなど見るべき星座に事欠かないが、夜明けのオリオン星座は最高に美しい。
そして、誰でも普通のカメラで簡単に写せる。

一般に、星座の写真を写そうとすると、沢山の星が写り込む為第三者に星座であると解釈してもらえる撮影は難しい。
所が、明け方のオリオン星座は星座全体が明るい恒星で構成されている為、かなり明るくなっても星座として認識出来、都合がいい事に露出も自動が使える様になる。
勿論、マニュアルで撮れる人は更に綺麗な写真も撮れる可能性がある。

そんな【真夏のオリオン】は、明け方の東の空に昇って来て太陽が昇る頃(明るくなって)見えなくなる。
  (勿論 日中見えるとしたら天空を周ってる、実際に周っているのは地球だけど)
最初に【夏のオリオン】に気付いたのは美ヶ原からの夜明けのアルプスの写真を頼まれた時だった。
この時の写真は版権が無いので掲載出来ないが、雪国ネット・八海山ライブの過去ログデータに、
八海山上空に綺麗に写ったオリオン星座とアンドロメダ大星雲の写真を見付けたので紹介しよう。

  ♦ 写真は五日町スキー場のライブカメラ映像 (雪国ネット様承諾済) 2010-08-11-04-00 八海山 (五日町スキー場より).jpg

写真は1時間置きにログを残す設定で、オリオン星座が少しずつ欠けている為、写真2枚を並べてみました。
3時の写真でオリオン星座の左端の星【ぺテルギウス】が、4時の写真では上部・「ゆきぐにネット」の “ト” の字の上に来ている事がわかる。
つまり、1時間でこれだけ移動していると言う事です。 星ってけっこう動くものですよね!

ちなみに オリオン星座の中、三ツ星の右下に斜めに星が並んで見えているがこれが【アンドロメダ大星雲】、太陽系の属する我々の銀河に一番近いとして知られて居る【銀河のお隣さん】です。

ところでこの【ペテルギウス】、今「超新星大爆発」が迫っていると天文学者達が熱くなっているらしい。
地球から約640光年離れている星なので、もしかしたらすでに爆発してしまったのかも知れないが、爆発現象の到着はこれからである。
東大宇宙研のシミュレーションによれば、昼でも第2の太陽が3か月位続けて見えるらしい。

  ♦ You Tube のひとコマ (昼も見える超新星爆発のシミュレーション)peterugiusu bakuhatu.JPG


【ペテルギウス】の和名を「平家星」、星座の対角線にある星【リゲル】は「源氏星」と言うそうだ。
今年のNHKの大河ドラマは 「平清盛」、平家星が源氏星より早く消滅するなんてドラマと似てませんか?

 ・・・・・ ハハハ!  ちょっと締めくゝりに無理があるかな?

 

残暑で寝苦しい時は少し早起きして、ウォ―キングでもしながら夜明け前の東の空を見上げて見て下さい。

   【真夏のオリオン】が “あなた” を待っていますよ!
        そして、ペテルギウスやアンドロメダに思いを馳せて見て下さい。

きっと、いっとき暑さも忘れる事ができるでしょう。  と思う ・・・・ 退場しまーす (笑)

 


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【プロローグ】

私の出身地は現在の新潟県南魚沼市それも八海山の山懐・城内(合併前の村名)だが、自分の生れ育った地に付いて、なんで地名に“魚沼”が付くのか?  魚沼も“北” “中” “南”の3つの地域があるが、どの地域にも地名と結び付く様な“沼”が無い。
それなのに、何で“魚沼”なのか?  そんな素朴な疑問から文献や伝承みたいなものを探してみたが、納得出来る様な説明は見当たらない。
そこで、むかし衛星写真を分析する仕事をした経験が役に立つだろうと、調べ始めて気が付いた。

  • “はっけぇ様”(八海山の事=城内の方言)は、大昔は火山だったんだ !
  • “魚沼”は3つあったんじゃなくて1つの巨大な“ユの字形の湖”だったんじゃないか?

って事に !

そして、下記万葉集の一句が故郷の歴史と交叉しているかも知れない 【「故郷の古代史」と「八海山」】 も併せてご覧ください。

     信濃路は 今の墾道(ハリミチ:切り開かれた道) 刈株(カリバネ=切り株等)

       足踏(アシフ)ましなむ(=つまずいたり怪我しない様に) 履(クツ)はけ わが背(セ=夫)  

まずは現代の航空写真で魚沼地方のイメージを持って頂いた方がわかり易いと思うので掲載します。

 (写真は Google Map で地図表示付きとした)uonuma-kouiki-MAP (魚沼・広域地図).jpg

数億年~数千万年前、ユーラシアプレート・北米プレート・フィリピンプレートそして太平洋プレートが衝突し、日本列島が形成されて行った事は周知の事実。
そして魚沼地域はそのユーラシアプレート・北米プレート・太平洋プレートがちょうどせめぎ合う地域に符合する。
航空写真と中越地震・中越沖地震の報告書に登場して来る魚沼丘陵の隆起年代などを参考にすれば以下の様なストーリーが見えて来る。

 

【八海山と魚沼丘陵の誕生】

それは日本列島や日本海が、現在の形状になる過程での出来事から始まった地形と考えれば地形の成り立ちが推測し易いでしょう。

以下のストーリーは、あくまでも小生の推論ですが形成年代や数値の変動はやむを得ないでしょうが、形成プロセスはそれ程違っていないものと考えています。

およそ数千万年前、北米プレートの南端部に位置するそこには山頂の規模が現在の阿蘇山に匹敵する規模の外輪山を従えてプレート上を自重で沈む位重い、恐らく標高3000m以上の巨大な火山があったものと思われる。
また、西側には広大な扇状地を広げた旧信濃川が流れる平原が日本海まで続く光景があった。

約500万年~300万年前、太平洋プレートに圧迫された北米プレートが、ユーラシアプレートとの間に挟まれて西側へ、上に乗せた火山は自重で沈み込みながら、西向きに転倒し始める。
約200万年前、ほぼ現在の位置に来た時、火口のおよそ1/3を太古の信濃川河川敷に埋める事になる。

この頃には火山活動の原動力であったホットスポットは、現代の日光白根山、又は那須岳付近に噴出口の位置を変えた。
  (プレート移動を年間 50mm~80mm 前後として → 約80km~120km東へ移動した)

航空写真の分析をして行くと、この火山の内輪山・火口壁の現有最高地点が今の八海山であり、六日町の方向から見て
  左側は、池の峰 → 猿倉山 → 堂平山 → 鬼の面(オニのツラ)山 →(上原)
  右側は、阿寺山 → 高倉山 → 桂山 →(田崎)
と火口壁のなごりが囲んで内輪山を形成し、現在の下原から魚野川の地下深く辺り迄が八海山対面の火口壁だったものと推定される。
  (最も新しい噴火口跡、“溶岩ドーム”の形跡は山口付近だったと思われる)
そう考えれば、八海山の山容が峻嶮な岩峰である事、城内の一部を抱え込むかの様な山群にも説明が付く。

八海山の成因が火山である物証としてもう一つを挙げるとすれば、金属鉱床だ。
かなり以前に廃坑となってはいるが、東邦亜鉛の採掘抗があった。 普通、亜鉛の様な金属鉱床はマグマの様な高温と高圧の条件が無ければ生成されない。
つまり八海山の地下には過去にそう言う条件を満たす状況が存在したと言う証拠であろう。
ただし、先に書いた通りホットスポットが東へ移動しているので、現在は噴火の心配は全く無い。

また外輪山は、越後駒ヶ岳・中ノ岳・巻機山・金城山などによって構成されていたと推定して居る。

一方、かって太古の信濃川・河川敷(扇状地)だっ堆積物層は圧縮されて隆起し、現在の魚沼丘陵を(新潟付近まで) 形成する事になる。
   ☆ 魚沼丘陵が大河の下流だったことは各峠道などで玉石を含む堆積地層が露出している事など
   からも 証明できる。
   また、これらの点は地震や原子力関係の地質学的各調査でも、証明されている。
そして新しい信濃川が、現代の十日町付近から小千谷へ向かって流れ始めると同時に、魚沼丘陵で塞がれた地域はほゞ現在の魚沼盆地の形を形成。そしてその盆地は巨大な湖に成長して行った。
  (便宜上これ以降、この魚沼盆地側の淡水湖を【大沼 A】と呼ぶ事にする)
その後も地殻変動などで喫水の変動はあったものと思うが、人類が登場する頃以降は有史時代に入ってもかなり新しい時代まで、更に巨大になった湖が存在していたと思われる。 理由は後述。

 (魚沼盆地が湖だった頃の八海山を想像すると、こんな景色かな!)2005.05.20 -L N-001A 六日町・城内.jpg

 

【魚沼”のルーツ】

その後、中越地震を起こした断層が動いて魚沼丘陵に亀裂が入り、“大沼 A”と新信濃川をつなぐルート (堀ノ内付近) が出来、一旦ほとんどの水が流出したと思う。
その後も地殻変動や気候の変動で【大沼 A】の規模は縮小・拡大を繰り返したものと思われるが、最も大きな変動は【信濃川西岸の隆起】地震だと考えられる。
小千谷付近から長野県の飯山付近まで、長大な河岸段丘を作った大変動で、この時の力は想像を絶する巨大地震を生んだ事だろう。
  (数10万年~数万年前の出来事、今の所隆起年代特定などの資料が不足の為、小生の推測)

これにより信濃川の川口~小千谷間が堰き止められて、信濃川流域に【大沼 B】を形成し、やがて魚沼盆地の【大沼 A】と繋がって “ユ” の字形の湖 【超大沼】 を形成した。

  (便宜上この【超大沼】= 大沼 A + 大沼 Bを、以降は簡略化して【大沼】と呼ぶ事にします)

“魚沼”のルーツはこの【大沼】に由来するものでは無いかと思う。
古代人が【大沼】の形状が “ユ” の字をして居る事を認識して居たとは思わないし、魚沼丘陵を挟んだ2つの湖が実は繋がって居る一つの湖だと知る人もほとんど居かったのではないかと思う。
実際はどちらか一方の湖を見ただけでも【大沼】と認識する事と思う、そんな状況を記憶していた先人の言い伝えか、又は実際にそれを見た昔の人々が、大きな沼・【大沼】と言う意味で名付けたものと推測する。

話し言葉としての発音「大」が“オー”も“ウォー”も“ウオ”も混同され易く、後の世「魚」に変化して(もしくは変化させて)【魚沼】に変わって行ったものと考えられる。
また、【大沼】の最大期は長野県・飯山市付近にまで水位を上げていたものと思われ、縄文~古墳時代がこの時期に重なって見えて来る。

 

【古代人と【大沼】】 (縄文から古墳時代)

新潟県立歴史博物館の資料から“魚沼地域”で古墳時代以前の遺跡・史跡を調べた結果、添付の表になった。

uonuma-kodai iseki.jpg

注目すべき点は、信濃川流域(現在では合併して十日町市)には旧石器時代から古墳時代までの遺跡が115ヶ所も有るのに対して、魚沼盆地(湯沢~小出~越後須原)では同じ時代のものはわずか 8ヶ所しか見付かって居ない事だ。
また、所在の明確な十日町と 魚沼盆地 の遺跡の 標高 を調べたら、魚沼盆地では 海抜 200m~250m前後。
十日町の縄文中期位までのものはやはり海抜  200m~250m 前後、その後の遺跡を含めても海抜 200m 以上の高台に住んでいた事になる。
そして十日町の場合、例外はあるがほとんどの遺跡は現在の国道117号線から魚沼丘陵側に分布している。

中里村は更に標高が高い地域なので特に標高は調べて見なかったが同様で、ほとんどが国道117号線より山側に分布。 十日町地域と様子が異なるのは信濃川東岸の川岸がかなり急峻な所が多くなる為か、かなり山側に入り込んで分布している遺跡がある事だ。

津南町、こちらは古いもの程、清津川沿いに分布している事から、石器材採掘の為の住居跡が多いものと見られる。
 (今風に言えば、石器ビジネスの為の採掘場、東北の遺跡でも清津川産の石器が多く出ている)

話を戻そう、

河岸段丘の隆起で堰き止められた信濃川・下流域の最上流部に位置する遺跡に、小千谷市の三仏生(さぶしょう)遺跡がある。9月の奉納花火大会で有名な片貝に近い遺跡で、その標高は海抜 約 50m。
そこ迄の信濃川上流河畔の遺跡については、データの有る所(現・十日町市・下条付近から上流)の標高は、すべて海抜 200m~250以上で有った。

そこで、古代人と【大沼】に係わる疑問をまとめると下記の3点が浮上して来る。

 Q1 「三仏生遺跡と、その上流の流域遺跡との、標高差 150m~200m は何を意味するのか?」

 Q2 「信濃川流域の遺跡も魚沼盆地側の遺跡も、同じ海抜 200m~250m 前後のなのは何故か?」

 Q3 「十日町より上流の信濃川流域の遺跡数と、魚沼盆地側の遺跡数の極端な差は何故か?」

これらの事実は何を物語るのだろうか? 類推して行くと、次の様な答えが出て来た。

 A1 (Q1に対して)
    理由は、三仏生遺跡より上流域の遺跡では生活圏を標高差150m~200m以上の地域に選ぶしか
    選択肢が無かった事。
    原因は、河岸段丘の隆起で堰き止められ、信濃川と魚野川で作られた湖(ダム湖)の水位。

 A2 (Q2に対して)
    魚沼盆地側の遺跡の標高も信濃川流域遺跡と同じ理由で標高の高い場所が選ばれた。
     「魚沼盆地側も信濃川流域のダム湖も同じ水位、つまり両方の湖が繋がっている」
    と言う事であろう。 この事実があったからこそ【大沼】はひとつとの結論が見付かった。

 A3 (Q3に対して)
    信濃川流域遺跡で遺跡数が特に多いのは縄文時代以前の遺跡数103遺跡、一方同じ縄文時代
    魚沼盆地側の遺跡数はわずかに3遺跡。
    縄文時代、魚沼盆地側は限りなく住み難い所だったらしい。
    魚沼丘陵の山容から、信濃川流域の縄文人が1万年近く山を越えられなかったなんて考え難い。
       (縄文時代は、前期・中期・後期を合わせると約1万年もあると言われている)
    考えられるのは、山を越えても“彼等が住み付く事を許さない状況、又はメリットが無かった事だ。
    なぜか?
    推測の域を出ないのだが、魚沼盆地側は人の住める台地が極めて少なかっただろう事と、信濃川
    流域には石器時代からの 「物流ルートが出来上がって居た為ではないか」 と考えている。
       (糸魚川から東北へヒスイを運んだヒスイロードの一部だったのかも知れない)
    縄文時代とは言えそんな物流ルートに人が集まるのではないか、やはりルートから外れた魚沼盆
    地側には人々が定住しにくかったのではないか? と考えられる。
    縄文後期に入ると新しい遺跡は少なくなるが、古墳時代になると状況が変わり、魚沼盆地側への
    入植も始まった。

    もう一つの理由は湖(ダム湖)の水位の増減。
    縄文時代、約1万年もの間湖水の水位が常に一定だったとは考えられない。  そこで、例えば魚
    沼盆地側と信濃川流域が同時に水位が変動したとして、減水期に増える集落数が同じとしても高
    台が多い信濃川流域の集落は、比較的従来と同じ地域に近接して高所に居を構えるだろうと思う。
    一方、魚沼盆地側は高所の平地が少なく未開の所へ水位が下がって居れば、必然的に低地の居住
    地で集落を創る事になる。
    再び増水した時、どちらがどれだけ残れるか?  それが1万年の間に何回繰り返されたのか?
    例え一回だけの減水→増水だったとしても、魚沼盆地側の集落はほとんどが湖水に沈み、痕跡は
    泥濘の中に埋もれてしまった可能性が高い。

 

【エピローグ】

その後の歴史を眺めて行くと、魚沼盆地が歴史上確実な痕跡として登場して来るのは8世紀・平安時代の頃~11世紀・鎌倉時代の頃。
例え湖が無くなっても、大小の沼や湿地帯が散在する湖底付近まで人間が入植するには、更に100年以上が必要だったからであろう。

ちなみに、2009年のNHK大河ドラマ天地人で現在の六日町一帯を“上田の庄(荘)”と言う表現をしていたが、これは7世紀中頃に始まった荘園制度の名残りである。
とは言え、この地に荘園制度が伝わるのは40~50年後の8世紀に入ってからと思われる。

8世紀初めと言えば坂上田村麻呂が東北遠征を行っていた頃だ、その頃の“魚沼盆地”では広大な多くの湿地帯や大小の沼が多数残り、そこにはトキや鶴・コウノトリなどが自由に飛びまわっていた事だろう と思う。

【大沼】の一部で有った魚沼盆地、この湖底に降り積もったミネラルなどが 今日の“魚沼コシヒカリ”の源でも あろうと思われる。

なお、冒頭で触れた通り古代の魚沼と八海山については、【「故郷の古代史」と「八海山」】 の様に考察してみましたので読んで居られない方は、是非一度ご覧ください。

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はちゃ! (南魚沼地方の方言 ・・・ それでは、またの機会に! の意味)

今日、イチローの【マリナーズからヤンキースへ電撃移籍】と言う二ユースが流れた。
正直な所、不振が伝えられていた事もあり、今年あたり移籍問題が浮上するのでは? と、予感させ
られて居た所だけにマスコミのキャッチコピー通り “電撃” とは思わないが、移籍先をヤンキースと
選択した所にイチローらしさを感じる。

たぶん、水面下では何チームかとの交渉があり、最終選択をイチローみずから行ったものと思うが、
記者会見を見て居てNYヤンキースというチームの選択は、今回の話が浮上する以前からイチロー
の念頭にあったのでは無いかと思った。

いや、憶測でものを言うのはよそう。

とは言え、NYヤンキースを選択したと言う事は彼のチャレンジ精神の現われで、今度は個人記録
よりもチーム優勝が彼の新たな主目標ではないかと思う。
深読みすれば、彼の性格や年齢から考えて、「NYヤンキースを優勝させたら引退しよう」 なんて
計算もあるのかも知れない。

それにしても彼が日本でイチロー人気急上昇の頃の出来事を思い出す。

当時私は仕事の関係で名古屋に住んで居た。
仕事から帰ってTVを付け、イチローの対戦中継野球を見て居ると、マンションの隣家から奥さん
が来て 「すみませんが、他の番組を見るか音を小さくして頂けませんか」  と言って来た。

「音を小さく」 だけならわかるが、 「他の番組」 ならいいと言うのが分からない。

後で近所の人に聞いたらこう言う事だった、
 隣の家には昨年大学受験に失敗した受験生が居た。
 その学生が、イチロー イチローと騒ぐ世間の言葉に過剰反応してノイローゼ状態との事。
 要するに、彼の耳には 「イチロー」 = 「一浪」 と聞こえるらしいのである。
 家族にとっては思いがけない災難だったに違いない。

と言う、笑うに笑えない出来事であった。

そうそう、我等が級友・南魚沼市長も【イチロー】であった。 こちらは元気はつらつ、・・だと思う。
まだまだ、頑張ってもらわねば!
我々がこんな事を言って居られるのも、「安心して帰れる故郷があればこそ」 だから!

 

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光城山

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長野・安曇野の片隅に、周りのアルプスに比べればたいして高くも無いその山は、普段はただひっそり
とたたずんでいる山である。

そんな 「光城山(ひかるじょうやま)」 が、年に一度だけ華やぐ時がある。

その名の通り光るがごとく、山裾から頂上まで桜並木が咲き登り、山頂は桜の園となるのである。
そして何よりも素晴らしいのは、安曇野で唯一「槍ヶ岳」が見えるアルプス展望台である事だ。
 (特に桜の季節には、残雪をまとったアルプスの峰々がくっきりと見えて素晴らしい)
そんな事もあって、私は桜の季節の 「光城山」 を故郷の 「八海山」  同様、こよなく愛している山である。

今年も友を誘って素晴らしい眺めを満喫させてもらった、晴れ男の友人に感謝!

「光城山」 山頂付近・・・裾野から登山道を登って来た人          2012.04.28hikarujyou yama -001.jpg

「光城山」 山頂からの北アルプス(主に、裏銀座コースの山々)、 ここからのみ、槍ヶ岳の先端が見えるhikarujyou yama -002 (640×480).jpg

「槍ヶ岳」 付近を拡大hikarujyou yama -003 (640×480).jpg

 

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