まだ外は一面の雪野原で、見た目は真冬と変わりませんが、日ざしは日一日と強くなり、春の陽光が野山を駆け巡ります。
朝、雪面にしみが張り(アイスバーン状態になり)全世界、どこでも自由に走りまわることができます。
子供たちは道なんて関係ない、好きな所を歩いて学校に行きます。これをしみ渡りと言います。
しみ渡りは危険が伴うので、行ってはいけない場所がありました。
藤原の場合――、
道から大きく外れ野際サイドに迂回すると、池田川橋の上流あたりに篤農家の畑(田んぼかもしんない)があって、そこには大量のアッパ(糞)がまいてありました。
冬の間たっぷり貯め込み、じゅうぶんに醗酵(はっこう)させたアッパです。
これをまくことによって、そこだけ早く雪が消える。消えた後、下肥になる。といった一石二鳥の効果を狙ったものですね。
うかつにそのエリアに足を踏み入れると・・・そのあまりの臭さに、
頭はクラクラ、鼻はバカになりました。
もっと危険なのは川。
雪におおわれて、表面上は平地ですが、下はマンホール状になっていて、地下水流がある。
雪は下部から解けだし、3月になるとマンホールは日ごとに大きくなり、水量も増します。
うっかりこの上に乗って落ちたら、出場所がない。
まあ、死ぬしかないだろうなあ。
浦佐・普光寺の祭りで通称「サンゲツミッカ」。
そもそもは、1月3日に毘沙門堂の御開帳があり、この日はたくさんの信者が集まり、そこでは施しがなされていた。
これが祭りの端で、後の時代に3月3日に移された、のだそうです。
施しとは、いってみればバラマキ。ちょうど家を新築した時のモチまきをイメージしてもらえばいいかな。弓張提灯や福モチといった縁起ものをばらまく。信者たちが、我先にとこれに群がる。
サンヨーサンヨーという声が飛び交う。漢字で書くと参与。
まく方が発するサンヨーは。(参与して)あげます、という意味。
拾う方が発するサンヨーは。(参与して)ちょうだい、というおねだり意味。
この掛け合いがだんだんエスカレートして堂内は、押し合いへし合いのキリモミ状態になる。
そうしているうちに人息と熱気でもうもうと湯気が立ち込め、汗だくになる。
熱いので着物を脱いで裸になる。またある者は外に飛び出し手水鉢(ちょうずばち)の中に飛び込む。
3月の雪国の夜である。手水鉢の水は凍てつくほどに冷たく、キンタマがちぢみあがる。
こりゃあたまらんと再度、堂内に戻り、押し合に加わり、さらにエスカレートしていく。
大昔はこのようにして行われていた。
それが時代とともにパターン化し、まず裸になり、水行して、押し合いに参加する――という今の形式になった、と聞いたことがあります(ほんとのとこは知らんけど)。
また近くに国際大学ができてからは、けっこう外国人の参加者もあるらしい。
もうひとつ、この祭りの付きものに大ろうそくがあるのだが、その意味は知らない。
それから、関係ないんだけれど――、
サンヨ(バラマキ)とオネダリの構図は、昭和における田中角栄とこの地方を、ちょっとだけ連想してしまいます。
そういえば、浦佐駅の玄関口に角栄さんの肖像が立っています。
雪どけは川のほとりから始まる。
表面を覆っていた雪がなくなり、川の姿が現れると、マンサクが咲き、ネコヤナギが春を告げます。
豊年満作の満作、それから万作、金縷梅などの字があてられます。でも語源は「まず咲く」で、これは東北地方で「まんずさく」が訛ったものと言われています。
面白いですね、ふつうは「まず咲く」が訛って「まんず咲く」になるんだけれど、東北では「まんず咲く」が標準語だから、これが訛ると「まずさく→まんさく」になるわけ。
啓蟄とは虫が土から出てくる日ですが、魚沼地方まだ一面の雪野雪で、土そのものが顔を出していない。したがって、虫なぞ出ようがない。
「いや、おら家ではもう出てきた。ぞろぞろと」
「ほんとかよ。おらあ、昆虫好き人間だから、ぜひ見たいな。手に取って しみじみ匂いもかぎたい」
「いいとも、家へ来な。そしてたっぷり匂いをかぎな、しみじみと」
スキー宿では、乾燥室などの関係で、夜間もストーブをつけっぱなしにしておくので暖かい。
これを春の暖気と勘違いしたのか? 冬でもゾロゾロわいてくる。--ヘクサ虫が。
これは子供の仕事。2人1組の輪番制。私のパートナーはとなりのカツオ。
でも小学1年の時だけだったような気がするので、昭和20年代までの習慣だったのかもしれない。
魚沼は梅、桜、桃が一度に咲く。
でも、雪の中に咲いている梅を湯沢で見ました。
そういう種類なんだろうね。
岩原スキー場の第3リフトを降りると、リフト番をしていたおじさんが、
「あそこにカモシカがいますよ」と、指差してくれました。
遠目ですが、山すその木の間を、ゆっくり移動していました。
3月はまた別れの月。
ずーっと一緒だった学友とも別れなければなりません。
図は、昭和30年代の卒業式。送辞(答辞かも)を読んでいるところ。
卒業式の歌は「ほたるの光」か「仰げば尊し」だったが、こんな歌も記憶にあります。
塩沢の風物詩、越後上布を雪にさらすシーン。
『北越雪譜』
図は『城内郷土誌・貝瀬幸咲著』の表紙に載っていた昔の十二講風景。
新堀新田では今でも続いているようです。友通ページに詳しく載っています。
未だ雪の残る早朝、鎮守様に集まって、名前は忘れたがもち米をすり鉢で擂ったものを持ち寄って、お互いやり取りして食う。そんなもんでも子供としては楽しみだった(雄)。
ザルやミノといった生活用品、あるいはクワやカマといった農機具が、大々的に並ぶ市。
もともとは2月の初申の日に行われたそうですが、一宮神社の祭礼にあわせて、この日に変えたそうです。
魚沼では浦佐の「さんげつみっか」に次いで知れ渡っていて、この日は大沢駅から魚野川を渡って大里(中の島)にあるこの神社まで、ズラーっと人の列ができたとか。
妙高の風物詩 かんずりの雪さらし
秋に収穫したトウガラシをいったん塩に漬ける。
冬、これを雪の上にまいて、3~4日さらし、塩抜きをする。
このことによって尖った辛みが抜け、マイルドな味になる。
「よおし、酒のサカナにちょっと失敬しよう。なーに、数本ならわかりゃあしない」
などと、誰もいない時を見計らってポッポし(盗み)に行っても、まだ食べれない。
ここから先、かんずりになるまで3年かかるらしい。
雪さらしの後、柚子や塩を入れた糠(ぬか)床をつくり、再度漬けこむ。
かき混ぜ作業を繰り返しながら3年間寝かせる。しかるのちに初めて製品になる。
川のマンホールがどんどん拡大していくころ、似たような現象が木の根元からもおこってきます。
根元の部分から雪が消え、その周囲が穴になります。これを「うろ」と言ったようです。
このころになると、雪はまるで音でも立てるように、ガサッ、ガサッと勢いよく消えていくのです。
おやっ 陽気に誘われてウサギが出てきたようです。
ウサギは、何かの気配を感じたようた。瞬転、身をひる返して走り出しました。
きょう16日は「しろう様」といい、 蚕の豊作祈願。女衆が集まって、ごっつおを食べたり、甘酒を飲んだりした。
ヒューン、ブーメランのようなものが頭上をかすめていきました。
ウサギはうろの中に飛び込みました。
そこで死んだふりをします。ワシやタカが相手だとこれで助かるのですが、今日は相手が悪かった。なんしろ悪がしこい人間。
それでつかまってしまいました。
東北地方ではこれを「まるかけ」と呼んでいるそうですが、魚沼にもあったとiいうことは、以前どこかで入れていただいた、Qサンのコメンで初めて知りました。
以下、Qサンのコメントの引用です。
まだ小学生の頃だったが春まだ浅い良く晴れた寒い朝、しんばいこんばい(凍み渡り)をして田崎の先のサクリゴウ(三国川)の河川敷・雑木林でアカッキ(枝が赤い小木)の枝を探して居たら、突然頭上を「バサバサッ」と何かが通過した。
なんだ?! と、周りを見回すと、ミノ・笠姿の爺さんが小走りに、とある雪のウロ(穴)に駆け寄って、なんと野ウサギを掴み出した。
聞けばイカゾウ(五十沢)の猟師だとの事。
ウサギやキジ・ヤマドリなどは地上に居る時、天敵の鷹や鷲の羽音を聞くと近くのウロに飛び込んで、しばらく動かなくなる習性があるそうで、米俵の蓋を投げると鷹や鷲の羽音に似せられるのだそうだ。
そう、さっきの「バサバサ」音はこの音だったのだ。
この爺さん、かなりベテランらしく出会った時捕まえたウサギはその朝3羽目だった。
投げ方を教えてもらったが、その後の人生で一度も成功した経験は無い。
やはり投げるタイミングや投げ方にノウハウが有りそうだ。
そんな猟が出来る場所も人材も、今は昔の話になってしまったな~。(2012 12 28Q)
※余談・狸寝入り
タヌキはたいそう臆病な動物で、強いショックを受けると気絶して仮死状態になる。
これが周囲から気配を消し、外敵から身を守ることになるのだそうです。だから狸寝入りは生きのびるるための秘策。
もしかしたらウサギにもそういう傾向があるのかもしれませんね。
形が蓑(みの)に似ていることからミノムシ。
ミノガの幼虫が周囲の木や葉の繊維を使って、繭(まゆ)のようなものを作り、その中でサナギになった(で、いいのかな? 違うかな?)。
この幼虫を飼育して、飼育箱の中に糸クズや毛糸を入れておくと、それを材料にミノを作るそうですよ。
何にもない雪の原野。
まるでワンポイントアクセサリーのように、緑の繭(まゆ)が木にぶら下がっています。
風が吹くとカラカラと音を立てることからヤマビコと呼ばれています。
実はウスカビガのまゆ。
南魚沼の三名木は雷(いかづち)の大けやき、薬照寺(大沢)の大かつら、法音寺(城内)の大いちょう。
これはそのうちの雷の大けやき(雷新田かもしんない)。
裸木は見た目、枯れ木と変わらない。でもまぎれもなく生きています。
例えばケヤキの大木の下に行くと、あたり一面、おそろしいほどの「気」が漂っているのがわかります。
北風に吹きつけられ、雪にさらされ、それでもなお「りんとして寒に立ち向かっている」そんな感じ。
これがあればこそ春、あの息をのむような見事な新緑に変わるのでしょう。
昭和30年代の上原遠景
手前に宇田沢川。左手にゴウドウ(城内製糸)。右手に城内小中学校。
Qさんから頂いた当時の写真をイラスト化してみました。
春分の日(秋分の日も)は太陽が真東から昇り、真西に沈む。
その沈む方向を目指してどんどん行くと――、
今の地球は、一周して元の所へ戻ってしまうけど、昔の地球は、ある所で終わった。
そして、その彼方に岸が見え、極楽浄土(ごくらくじょうど)があった。
これが彼岸。
そこには私たちの祖霊(それい・亡くなったお爺さん・お婆さん、そのまたお爺さん・お婆さん・・・)がいなさる。
「じいじごたち」とは、里帰りする祖霊たちを迎えるため、彼岸の入りに子供たちが歌った歌。
切菜と書くのかな?
漬菜(野沢菜漬け)を細かく切って、納豆とまぶしたもの。
ご飯がいくらでも入る郷愁の味。
昭和39年の東京オリンピックのころがピークだったろうか? 新潟や東北の子が東京へ就職した。
まだ15歳、やはり別れがつらいのだろう。汽車の窓越しにカッカ(母親)にくっついて泣いている。
ひどい名前やね。
フグリってキンタマ・・・いやキンタマ袋のことだろう。
何ちゅう・・・。
犬のキンタマブクロみたいなもん、しみじみ観察したことないからよく知らんけど。
早春をいろどるルリ色の可憐な花だよ。
冬期間、湯沢で暮らしている私は、ちょうど単身赴任者のように、1ヶ月に1回里帰り(?)します。四日市へ戻る。
すると、日本列島は長いとつくづく感じます。
向こうはまだ雪の中ですが、こっちの日だまりには、イヌノフグリ、ホトケノザ、ヒメオドリコソウが3点セットのように咲き、公園では(名前は英語なので分からないが)菜の花系統の園芸種が咲いています。
雪の下で、すでに緑の葉を出している野菜、城内でいうところの青菜。
大崎菜とはこの青菜のこととばかり思っていましたが、どんでもない思い込み違いでした。
青菜はたぶんナバナ系統で、花芽も食べます。
大崎菜は、野沢菜系統だそうです。
むかしは冬の間、青物野菜のない雪国でこれが食卓にのるようになると、「ああ春だなあ」と気持ちがうきうきしたもんです。
たぶん、秋に種をまくのでしょう。雪の下で発芽し、雪の下から葉が出てきます。
いわば野菜版・春一番というところですね。
もっとも、一番葉は(ちょうどキャベツの外側の葉のようなもんで)食べられませんが、数日をまたずしてどんどん葉が増えてきます。
これを青菜と称し大崎菜のこと――とばかり思っていたのですが、どうやら私の思い込み違いで、
ナバナが正解のようです。
たしかホウレンソウも同じような作り方(秋まき)をした、と記憶しています。
大正6年、若き日の鹿島鳴秋氏が、柏崎の友人のところへふらりと遊びにきて、浦浜から番神海岸を歩いた時、ポケットから手帳を取り出し書きつけたのが、この浜千鳥の詩だそうです。
雪国では雪の中、キタンバイとやらにたかられて、さぞ往生してなさっていることでござんしょう。
ここ沖縄では、もうハイビスカスが咲いていますよ。
いやー、もう・・・
あっしのほうは女にたかられて往生しておりやす。
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「だんだんどうも、ごにょごにょごにょ・・・」
「だんだんどうも、ごにょごにょごにょ・・・」
雪国の人は礼儀正しい。いくら気の置けない仲でも、道で会うと必ずこう言って、3べんづつ頭を下げ合います。
「ごにょごにょごにょ」のところは語尾がだんだん小さくなって、何を言っているかわからない。
よく葬儀のとき「このたびはご愁傷様でした。ごにょごにょごにょ」と語尾をだんだん小さくしますよね。あんな感じ。
当の本人も何を言っているかわからない、のだと思います。
口の悪いスキー仲間は、信州のパウダースノー(粉雪)に対して、上越の腐っれ雪などとぬかしてけつかる(おれも口が悪いけど)。
グーラ雪と言ったかな? 水分が多い。
そのため、握るとすぐ固まる。しるが出るほどぎゅーぎゅーに固めて、この球をぶつけっこする。割れた方が負け。
これをこんばっかちといいました。
立春の前日(2日または3日)は節分で、豆まきをする。旧暦時代は大みそかに行われました。
[福は内、鬼は外」と言って、家の中に巣くう鬼どもに豆をぶつけて追い出す行事です。、
追い出された鬼は、寒空に腰みの一つの裸でさまようことになります。
鬼とは、その家に禍(わざわい)をもたらす厄(やく)を象徴したもの。
貧乏、災害、病気、交通事故、受験失敗、失恋、リストラ・・・
我々の年代になるとボケ、老化、そして死、ということになりますね。
これを追い出しましょう。
ところが地方によっては、「福はうち、鬼はうち」と言いながら豆をまく風習もあるそうです。
外をさまよっている鬼を「なんぼか寒いべす」と、家に招き入れ、酒をふるまってもてなすわけです。
鬼はうれし涙を流しながら、酒をよばれます。
敵を根絶やしにするまで叩きのめすのではなく、あるところで妥協し、そっと逃げ道を作っておく。
そうすることによって、鬼はもうその家に厄害をもたらしません。
そうしないと、もっと悪い鬼に進化して、またとりつく。新型ウイルスと抗生物質の関係に似ていますね。
昔の村落共同体には、そんな知恵がありました。
ミカンの空き箱に古くなったスキーを打ち付けてソリを作ってもらった。
モウソウタケを二つに割って、火であぶり、足にすることも。
この地方は、ミカン箱でなくてりんご箱だったかもしれない。
雪でつくったすべり台。
ヘヘーン、今日は2(ふ)月6(ろ)日だから、たぶん風呂の日だな。そうに決まっている。
と思ってネットで検索してみたら違っていた。11月26日が「いい風呂の日」だそうです。
ところで、
私が冬季間生活している湯沢のマンションは、何もいいとこないが、一つだけ、大浴場がいい。高半ホテルより大きいし、明るいよ。
定住者は東京方面からのリタイヤ組が多く、みなさん紳士で、風呂のマナーもちゃんとしています。
気持ちよく朝風呂につかっている時のことでした。隣に老紳士が入ってきた。
「新品ですので、ちょっとだけお湯につけてもいいですか?」
とタオルを見せる。もちろん新品ならOK。
こんなささいなことまでちゃんと断るなんて、やっぱ、東京人は礼儀をわきまえているし、気配りもできている。このへんが関西人(特に河内のおっさん)と違うところ。
何に使うのだろうと見ていると、テルテル坊主のような形にふくらまして、湯の中へ引きずり込んで、握りつぶす。
ブクブクとアワがたつ。
何と、いい年をして、子どもみたいな他愛のない遊びをしてました。
ところが、そのアワがゆら~と、こっちに浮いてきて、鼻先でパチンとはじけた。
くっさ!
ヤロー、へをこいて、それをタオルのブクブクでカムフラージュしやがった。
そ、それにしても・・・、
「あんた、夕べ、なに食った?」
「玉ねぎ。生のまま まるごと一個」
スルメはストーブで焼くに限ります。
今日9日は、初午。小豆飯を稲荷様にあげて豊作祈願。
あわびはちょうど殻が二枚貝の片方だけのように見えることから片貝。
その「片」に「片思い」の「片」をかけて「磯のあわびの片思い」なんて言います。
語源は『万葉集』の「伊勢の白水郎の朝な夕なかづくてふ鮑の独念(かたおもひ)にして」からきているそうです。
すると磯のあわびはの「磯」は、伊勢のあわびの「伊勢」からの転化かもしれませんね。
伊勢湾にいくらでもいます。
一時、絶滅危惧が伝えられましたが、いまはまた増えているようです。
食べ方は至ってシンプル。
鍋に湯を張り、ぐつぐつ煮え立ったところで、放り込む(生きたやつなら最高)。
甲羅の色が赤く変わったらOK。
ちょうど二枚貝を開く感じでパカンと二つに割り、甲羅と身を離す。
まず、甲羅の隅を指でなぞらってカニみそを出して、食べる。
次に身を食べる。
最後は、脚を折って、ガシガシっと歯で噛んで、肉を口の中へしごき落とす。
噛みカスをぺっと吐き捨てる。
こぶりでもけっこう食べでがある。
味は濃厚だけれど、くどくなくていくらでも食べられます。
と『十日町小唄』に歌われているトンネルとは、このがんぎ道のこと。
2月に入って、雪の洞を作り始める。
当日の夜はその中で過ごし、上でワラ火を焚いて「鳥追い」の歌を歌う(雄)。
城内はイラスト内にある「♪~鳥追いだ 鳥追いだ だいろうどんの・・・」
塩沢湯沢方面は
山古志地方では
今日はバレンタインデー 元々はキリスト教由来の、聖の日(根拠はハッキリしないようだが)。今日本では本命男性の気を引くチョコを探して、女性が眼の色を変える。お菓子屋さんの陰謀か?(雄)
写真は昭和38年の六日町上町通りの風景。
道が屋根と同じくらい高くなっています。
横から地下道のようなところへ降りると、そこが がんぎ道。
雪の落とし穴。
作り方は簡単。道の真ん中に穴をほり、やわらかい雪をかぶせておく。
するとそこに足をとられて転倒する。
夏の「草のわな」と同じように、いささか危険な遊び。
われわれ世代は雪下駄に情緒を感じますね。
雪下駄ではないけれど、ゲタがほしくなって買おうと思ったことがあります。
ところがいまどこを探しても売ってないんだね。
むかしは城内にも上原の角のあたりにゲタ屋サンがあったよね。
かくまきは雪国女性の防寒具。なかなか色っぽいですね。
湯沢駅に駒子(小説『雪国』)のかくまき姿の人形が立っているけど、これが当時の芸者さん姿。
女性のかくまきに対して、男性はトンビとマント。こっちはぜんぜん色っぽくないですね。
トンビはケーブのついた外套旦(がいとう)で旦那衆が婚礼や葬式などに着用した。広げるとトンビのように見えたためそういわれたとか。
マントは子供たちも、通学のときなども着用しました。
わたしたちが中学生になるころから、防寒着はアノラックに変わっていきました。
どてらではありません。冬用の綿の入った布団。
首回りが暖かい。
塩沢の国道通りにある資料館で、女性従業員の方が、機織りをちょっとだけ実演してくれました。
トントンという音がいいね。
越後上布はこの後、雪にさらします。
今年も城内雪と炎の祭典開催の運びとなりました。
去年より参加箇所も増え、年々賑やかになってきました。
少し心配なのが雪の量です、なるようにしかならないのですが、その対策も少し考えておかないとと思っています。
皆様のご協力もお願いします。
(写真・昇)
こんな夜は、あつあつの鍋に限ります。
地吹雪のこと。道が見えなくなるので、車を運転するときは、この現象が一番怖い。
あんまり描きたくない画材ですが、これはシラミ。
地表に置くと北へ向かって這い出すのでキタンバイ(北ン這イ)とも言うそうです。
私たちのころは、さすがにシラミはもういなかったが(ノミはいたけど)、DDT(殺虫剤)が登場するまではすごかったらしい。
何でも服の襟の縫い目にズラーッと並んでもぐりこんでいたそうです。
でも利用価値もありました。
ホワイトアウトで方向感覚を失ったとき、襟から2~3匹抜き取って、地面に置く。
すると北ん這い(北へ向かう)。
磁石代わりになって、冬山でも遭難することがなかったそうです?
荒野や目立たない裏庭などにひっそり咲く、白い小さな花です。
北風に震えている風情はいかにも寂しい。
ところが同じ水仙でも(もちろん種類の違いによるものですが)魚沼地方は。
「オーイ、カモメよ。どこまで行くんだい。江戸川を上って柴又まで行くんかい」
「ばーか、おいらはカモメじゃなくてあほう鳥。つまりあんたと同類よ」
冬になるとアラスカの方からやってきて、日本近海の島で繁殖した。
何しろアホなもんで、人間の姿をみるとよたよたと寄ってくる。それで次々と乱獲され日本近海にはいなくなった。
でもまだ尖閣諸島にはやってくるそうです。
したがって、図のように江戸川を上ってくることはありません。
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新年明けましておめでとうございます.
旧年中ははずかしきことの数々、ひたすら反省の日々を送っておりますので、どうぞ見捨てることなく、本年もよろしくお願い申し上げます。
「帰省していたんだってね。それで土産はどうした? 六日町土産は」
「うん、笹だんごにハッカ棒に車ふ」
「おっ、いろいろだね。早くおくれ」
「いや、おれが買ったのはそのうちの車ふだけ」
「なんだ、ふかよ。まあいいや、すぐおくれ」
「面倒なので、土産物屋から直接おまえ宛に送った」
「おかしいな。宅急便なら1日で着くはず。まだ着いてねえよ」
「そういえば、在庫切れだとかで、着が遅れると言っていたな。ちょと待ちィ」
といいながら、宅急便の控えを取り出す。
「10日着になっている。えーと今日が4日だから、あと・・・6日待ちィ(六日町ィ)」
(われながらくだれねえダジャレ)
江戸時代より園芸植物の一つとして栽培された正月の縁起物。
別名藪柑子(やぶこうじ)。
正月の縁起物で、別名草さんご。
正月の縁起物で、別名藪橘(やぶたちばな)。
正月の縁起物は、ほかに――
いちりょう=別名蟻通(ありどおし)。
ひゃくりょう=別名唐橘(からたちばな)。
ーーがあります。どれも常緑樹のため冬でも緑の葉がつき、赤い実がなります。
中国の南天燭(しょく)の略。
庭木として「難を転ずる」ので、縁起の良い木とされ、鬼門(裏庭・北庭)に植えると良いなどといわれます。
また福寿草とセットで植えると、「災い転じて福となす」そうですよ
晩秋から冬にかけての寒い時期に、みごとな花を咲かせる。
冬のツバキとどう違うの? 寒椿は園芸用作られたもので、ツバキとサザンカを種間交雑したもの。
ところで――山茶花と書いてなんでサザンカと読むんだろ、当て字かな? と思っていたら、これは音位転換だとか。
つまり山(サン)茶(チャ=サ)花(カ)でサンサカが正解。このンとサが音位転換してササンカ。
新(あらた)しい→あたらしい。秋葉原(あきばはら)→あきばはら。なども、音位転換したんだそうですよ。
恵比寿様は、城内ではオーべス様、一般的にはエベっさんと呼ばれ、今でも七福神の中ではもっとも人気のある神様。
この神様を祀ってある神社は、(他の神様を祀ってある神社に比べ)立派な建物が多いようです。
それは――、
恵比寿様が商売繁盛の神様のため、参詣人は商売人が多く、
商売人は金持ちだから賽銭や寄進も多く、
したがって建物も大きくなった。
――のだと思います。
今日は「十日恵比寿」といい、その恵比寿の正月です。
「十日恵比寿」で有名なのは兵庫・西宮神社の福男。
冬まだ暗い朝6時、大太鼓がドーンとなり、神社の表大門が開くと、同時に参拝者がワッとなだれ込み、本殿まで走りぬく。
1等から3等までがその年の福男に認証されるという、あれですね。
この日テレビをつけると、たいていどこかの局で中継していますよ。
平地から低山地の比較的明るい森林や竹林を好み、これに近接する市街地などでも見られる。
全長は 40cm 弱で、キジバトより一回り大きい。ただその約半分は尾羽。
1970年代までは本州全土で観察されたが、80年代以降、西日本から姿を消した。わずか10年足らずでなぜ西日本からいなくなったのかわからないが、東日本では増加の傾向にある。
――そうです。
塩沢名物・越後上布の工程は、雪消え時の野焼きに始まる。
荒野に芽を出した苧(お)をいったん焼き払う。2番目芽のほうが成長したとき長さが揃うためらしい。
※苧(お)とはカラムシの一種。青苧(アオソ)、赤苧(アカソ)がある。
春先、巻機山麓のあちこちに野焼きの煙が立つ。
初夏のころ、中之島から上田にかけて一面の苧畑が広がる。
盆過ぎに刈入れ、乾燥させる。
水に浸す。叩く。繊維を取り出す。煮る。絞る。糸にする。紡(つむ)ぐ。撚(よ)る・・・このように何十もの工程を経て、ようやく織物用の糸ができる。
いま、その糸を巻いているところ。
これから、いよいよ機織りにかかります。
カモの親戚で、冬、池や湖にやって来ては、つがいで仲良く泳いでいます。
そのことから仲のいい夫婦をおしどり夫婦といいます。
でもこの鳥、けっこう飽きっぽくて夫婦関係は長続きしない。毎年パートナーを変えているらしいですよ。
南魚沼出身者の「子供のころの冬の思い出」といえば、必ず出てくるのがこれ。
塩沢、湯沢、中の島、六日町・・・、でも城内ではやらなかったと思うが。
一度だけ六日町の現郵便局の裏手のあたりにある神社(だと思ったが)で行われたのを見た記憶がある。
別名、塞(さい)の祭りといわれ、道祖神(どうそしん)のお祭り。
ただ、もしかしたら魚沼地方では1月遅れの2月15日にやったんだっけ?
今日16日は「藪入り」といって、大店の小僧(奉公している少年たち)が実家へ帰る日だった。
また魚沼では、ほつけ(仏)様正月といって、女衆が前年亡くなった新仏のある家を回ったもんです。
この鳥は夏は北の方の山中で生活し、冬、里へ下りてきます。
口笛を古語で「うそ」というそうですが、この鳥をそう呼ぶのは、その細く悲しげな調子を帯びた鳴き声を口笛になぞらえたのでしょう。
江戸時代には弾琴鳥とも呼ばれていたそうです。
白鳥といえば、水原の瓢湖(ひょうこ)。
昭和29年に、白鳥おじさんが野生の白鳥の餌付けに成功し、全国的に有名になった、とテレビで見た記憶があります。
冬鳥で、寒さに強く雪が降っても大丈夫。
でも雪が降ると木の実がなくなるので、それを求めて南下していくそうです。
天の牢屋に入れられその中は雪地獄。
ここ4年ばかり、冬季間、湯沢生活をしていますが、まさに湯沢はそんなところです。
12月中旬から1月中は太陽の顔を出す日が極度に少ない。まさに太陽のない町――そんな印象です。
最初のころは天を呪いましたが、もう慣れました。
慣れると、スキーヤーにとってこれほどおいしい所はありません。
だって毎日、新雪が楽しめるわけですから。
湯沢がが天牢雪獄のころ、山一つ越えた群馬県では緑の大地が開けています。
天気図を見ても西高東低のため、晴マークが並んでいます。
白一色から緑の大地へ、上越線に乗って一番に感じるのは、この違い。
緑は麦の色です。
でも最近は麦作農家がなくなったためか、車窓から見えるのは家並みや工場の看板ばかりで、緑はほとんどありません。東海道線と同じ眺めやね。
雪のダンプなんていうから、どんな大がかりなものかと思ったら
一輪車の車輪を外したようなもの。
これを雪面にさして、すくう。なるほど、シャベルやコシキより効率がよさそうだ。
大雪の日が続くと、道が雪に埋もれて、集落は孤立。
このため、暗いうちに起きて、道づくり。
カンジキで一足一足、雪を踏み固めていく。
たいへんな重労働です。
藤原(部落)の場合、メインの上原のほか、じけ(法音寺)、みょっち(妙音寺)とも、このやりかたで結んだはず。分担制、当番制で。
そうして道が出来てから、子供たちは一列に並んで登校したもんです。
今じゃ、集落内には除雪パイプが通り、街道では大型除雪車(ショベルカー)が出動します。
道路の真ん中に点々と穴をあけ、そこに水道を通しておく。
これで道踏みの必要がなくなりました。
つららのこと。
古くなったセーターを解きほぐし、次の編み物に使うため、玉にする。
その手伝いをさせられたものです。
「まーだかよ。手がだるくなった」
「ごめんよ。もう少し辛抱しておくれ」
「うん」
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夕べの嵐で、木の葉がみんな散ってしまいました。
いや、まだ、たった1枚だけ残っています。
そういえば、O・ヘンリーに『最後の一葉』という短編がありましたね。
炎天に燃えるように咲く真夏の花。
今見ると、また趣が違います。
皮が裂け、真っ赤な実(種)が顔を出しました。メジロがやってきました。
この木は材質が強くよくしなるので、古来より弓の材料に使われたそうです。
梓(あずさ)も弓材として知られていますね――梓弓。
すぐ、うるしかぶれが連想され、あんまりオトモダチになりたくない木ですね。
でも昔はたいへん重宝な植物でした。
まず誰もが知っている漆塗り用の塗料。これは幹に傷をつけ、樹液を垂らして採った。
実は木蝋(もくろう)といって、ロウソクの原料。
さらに春先の新芽は、汁の実や天ぷらにすると絶品だそうですよ。でも口がかぶれるような気がして、ふつうの人は食べません。
それから紅葉の赤がまた、すごく鮮やかですね。
城内にいたころは知らない植物なので、まぎれもない外来植物だと思っていたら、とびら(扉)と表記し、昔からあったようだ。
海岸の森林の最前線に群生するそうだから、潮風に強いのかな。
都市圏では垣根用の植込みなんかに、よく見られます。
この時期、割れた実が綿状になって、遠目には白い花が咲いたようです。
夕飯に「ごっつお」を作って豊作の感謝と身上(しんしょう)がよくなることを祈る。
なお、オオベス様の正月は1月10日になります。
味噌作り、これも懐かしい光景だな。
味噌作りの自家製をやらなくなった時期は囲炉裏がなくなった頃からだ。
大きな理由は市販の味噌が簡単に手に入る様になったからだが、もう一つの原因は生活様式の変化で味噌玉の乾燥がうまく行かなくなった事。
昔、おらしょも味噌玉を家の2階で乾燥させていたが、囲炉裏を無くしてガスに切り替えて2年目から味噌作りを止めた。
かっかが言うには、前年は味噌玉の1/4が腐ってしまい、残った味噌玉で作った味噌も出来がわるかったと言う。(「20年以上そっけん事はねかったもの
を」って! 言ってた)
味噌玉が美味しく熟成させる囲炉裏のある日常と、柔らかく燻蒸できる高い天井が消えると、味噌作りと言う文化も消えた。
(2012 10 27Q)
冬季間、大根を保管する天然冷蔵庫。
針仕事は、主婦の毎日の勤めだった。
8日を「事納め」といい、この日ばかりは仕事を休み、針箱の掃除をし、豆腐やコンニャクに古針を刺して、針への感謝と裁縫上達を祈ります(図は淡島神社)。
大黒様の年取り・こがね飯(白米に粟を少し混ぜた飯)をたく。
オバケの親子にこんな会話があります。
母オバケ「だめじゃないの。昼間から出たら」
子オバケ「だって夜は怖いもん」
これは風車を作ってあげたジー様と作ってもらった孫の会話です。
「おっ、ちょうどいい。外でやってこい」
「やだ、だって風があるもん」
大きさはスズメとカラスの中間ぐらい。
もともと群れで行動しますが、この時期になると、その群れ同士が合流し、大集団をなします。
そのためか? 江戸っ子は、冬、集団で出稼ぎにやって来る越後や東北人を「椋鳥」と呼んだそうです。
街路や校庭でよく見かける落葉高木。
広い葉を付けます。これを見て西洋人はプラタナスと名付けました。プラタナスとはギリシャ語のplatys(広いという意味)だそうです。
その葉が散ると、ズラリ鈴をぶら下げたような格好で実が姿を現します。日本人はこれを見て鈴懸と名付けました。
昭和38年(サンパチ豪雪の年)から30年近く、カマキリの卵塊を観測して天気予報をしてきた人がいたそうです。
長岡市の酒井与喜夫さん。
38年の大雪で、長岡市中、テレビのアンテナが全滅。部品も手に入らない。
当時、家電販売をしていた酒井さんは、この大雪が予測出来たらなあ、と歯ぎしりした。
翌年は、部品などをそれなりに準備していたのかな? でも暖冬異変で雪が降らない。またも大空振り。
そこで「気象庁より、カマキリさんのほうがよっぽどあてになる」ということから、自分で予報を始めた。
この卵塊が高い所にある年は大雪、低い年は小雪。その理由も説得力があって面白いんですが、書き出すときりがないので、このへんにします。
この話は『雪国大全』(佐藤国雄・箸)より引用。
そういえば、湯沢の天気予報も当たったためしがないなあ。
霜柱を踏んだ時のザクッとした足裏感覚が・・・。
初雪や二の字二の字のゲタの跡
賢島の料理屋で、近くの漁業組合の連中が一杯飲み会を開きました。
そこに参加した漁師の丸吉さん。
「なんやテッサか。こんなもの、ワシャ、毎日とっている」
「ドアホ、お前の揚げた安物フグとはわけが違う。本場の下関から取り寄せたもんだ。眼ん玉が飛び出るほど高かったけどな」
「そりゃあな・・・いいか、よく聞けよ。ワシんとこが下関へ出荷して、それを下関の人が下関名物の銘をつけて出しているんやんか」
「ほんまかよ」
「その証拠に、まだ さばいていないやつがあったら、尻尾のところを見てみろ」
「あら、〇吉の刻印が押してある」
まさかフグの尻尾に刻印はしないだろうが、下関名産だから下関の海で揚ったものとは限らないそうです(聞いた話だけど)。
近場の海のもので上等。
ひよどりは里山の鳥ですが、都市圏でも見られます。
ヒーヨ! ヒーヨ! と鳴くからそうつけられたとか(そんな声、聞いたことはないけれど)。
ヒヨドリジョウゴは、蔓(つる)性の植物。その実がひよどりの大好物だからそうつけられたとか。
でも、ひよどりに言わせれば
「特別好きってことァないが、この季節ほかに食べ物がないからね。ただ真っ赤な実がよく目立つので探しやすいからね」
ということらしいですよ。
日本中どこの海辺にもいる大衆鳥――大衆鳥なんて言葉ないか――まあそれほど馴染みの濃い鳥という意味。
幼鳥の斑紋が籠の目(かごめ)のように見えることからカモメ。
漢字の鴎という文字は、その鳴き声を表しているそうだが、どんな鳴き声? 海猫とも書くから猫の鳴き声かな?
また、波止場、連絡船、別れ・・・なんかとセットで、歌の世界によく登場しますね。その中でわたしの好きなのは、
もとは関西の田楽(でんがく)。
それが関東に移り、丁寧語の「お」がついてお田(でん)。
関西では味噌で食べたが、関東では芥子で食べた。
――そうです。
そういえば、私がこちら(三重県)に来たころ、このあたりではまだ「おでん」と言わず「関東煮」と言っていた。
今はもう統一されている。
それから、あのころ「おでん」と言えば、屋台の赤ちょうちんが思い浮かんだが
いま「おでん」と言えば、コンビニが思い浮かびます。
つなぎの小麦粉2、そば粉8で作る。だから二八そば。
あるいは江戸時代、一杯の値段が16文だった。2X8=16(にはち じゅうろく)で二八そば。
――と、よく言われますね。
でも、どっちが正解か、そんなもん 江戸時代からわからなかったそうですよ。
それにしても16文は高い。
当時の夜鷹(安女郎)の値段が24文。
客一人とっても、帰りにそば一杯食べれば、手元に8文しか残らない。
あまりといえば、夜鷹さんが、あまりにかわいそう。
二八そばは、その夜鷹がよく食べたことから夜鷹そば、また夜泣きそばとも言われていたそうです。
夜泣きそばといえば――。
屋台のラーメンのことをそう呼んでいた。
二十歳前、鶴見(神奈川県)の町工場にいたことがあるが、小雪の舞いそうな寒い夜、チャルメラの音が聞こえてくる。
そっと寮を抜け出して、食べに行く。
薄いチャーシューにナルトにメンマに、あと刻み葱をほんの少々・・・だったかな?
汁まですすった。
あれから約46年、以降、あんな うみゃー(美味い)もん、食ったことがねえ。
10日から20日くらいの間に、村の男女別・年代別の「よーれっこ}が行われた。
「よーれ」とは城内では「ゆうれ」と言ったと記憶しているが、共有という意味。親が兄弟に一つのボールを買って与え、「ゆうれ」で使え、こう言う。
そこから、「よーれっこ」とは場所と食材と労働力を出し合い、みんなで「ごっつぉ(ご馳走)」を作って楽しむ忘年会のようなもの。
その日は、午前10時には集合。はねるのは夜の11時ごろ。
とりわけ姉さ衆(若奥さんたち)の「よーれっこ」は、同じ境遇同士が寄合い、うるさい姑・小姑から解放されて、ひときわ楽しくにぎやかだったことだろう。
城内では、「よーれっこ」とは呼ばず、ずばり「出し合い」といったと思う。
子供たちだけの「出し合い」もあった。
誰かが、親から「バサっ鳥(老いて卵を産まなくなった鶏」を1羽ひねってもらって持ってくる。
それで「だいすかれー(カレーラス)」を作る。
とうじ肉入りのだいすかれーなんて、めったに口にすることはできない。だから大変なごっつぉ。
ところがバサっ鳥のほとんどは骨と皮だから、口にできるのは(いわゆる鳥肌といわれる毛をむしった後のブツブツ状の)皮ばかり。ぶつぶつの上にむしり残しの毛が付いている。それにゴムのようでなかなか噛みきれない。
それでも楽しい一夜だった。
今の忘年会は、2~3時間の宴席をもうけ、2次会はカラオケと相場が決まっているようですね。
カラオケのなかったころは、みんなで手拍子をとりながら歌った。「♪~ ひとつと出たほいのよさほいほい」
かくし芸も面白かった。
会社では超真面目係長が、空になった一升瓶を手に、ヨカチンチンを踊りだす。これがまた、ものすごくうまい。
あの真面目人間がいったい、どこで練習をしたんだろう?
かくし芸の極めつけは、カッパらしいですよ。
一匹が、もう一匹のけつの穴に火吹き竹を突っ込み、プッと吹く。すると頭の皿がポンと宙に浮く。プッ、ポン、プッ、ポン・・・。
芸を極めたカッパは、チャルメラの要領で吹く。ピホ、ピホ、プピー、それに合わせて皿が上下します。
今日は天皇誕生日。
お株をすっかりスカイツリーに奪われてしまいましたが、東京タワーが完成したのも昭和33年(1958)の今日。
今日はクリスマス・イヴ 。
雪の山国の「とと(魚)」といえば、身欠ニシンと棒ダラくらいだった。
今はスーパーへ行けば全国どこでも一緒。ノルウェー産からチリ産の「とと」まで置いてある。
置いてあるけれど、雪国(湯沢)のスーパーはかなり高いね(鮮度が良ければ納得するんだけど・・・)。
裏庭などに植えられている常緑低木。
葉の形が八つの手の手に見えるのでヤツデ――と言われれば、なるほどと錯覚しちゃうけど、よく考えると八つの手じゃないね。八本指の(一つの)手だよ。
この葉にはヤツデサポニンという物質が含まれ、昔はウジ(ハエの幼虫)用の殺虫剤に使われていた。そのため便所(汲み取り時代)の裏あたりに多く植えられていたようです。
こうのとりは田園循環の頂点の鳥、らしいですよ。
よく知らないけど稲、、虫、ドジョウ、タニシ、メダカ、イナゴ、カエル、ヘビ・・・と田園に生きる生物はたくさんいます。それで、稲を虫が食べる。その虫をカエルが食べる。カエルを蛇が食べる。蛇をコウノトリが食べる。
といった具合で、コウノトリのいる田園はその環境が健全に保たれている証拠、ということです。
でもコウノトリは現在、世界的絶滅危惧種だとかで、日本に飛来するのは冬場、渡りの途中に立ち寄るごく少数だそうです。
正月用の餅つきは今日28日、または30日で、29日にはつかなかったそうです。
茶は真冬に白い清楚な花を咲かせます。
清水トンネルが貫通したのが昭和4年(1929)の今日。
すす払い、年末の大掃除。
岩原スキー場の山頂リフトを降りて
直進すると――垂直な崖になっていて転落します。もっとも転落防止の策がありますが・・・。
崖の向こうには、石打から浦佐まで、ひょうたん形の魚沼盆地が一望できます。
右折すると、図の標識が立っていて、その向こうに八海山が見えます。
鎮守様に村人があつまり、正月用のしめなわをつくっています。
(※写真は智通サンから。次の鳥居の写真も同(少し加工しました)
鳥居にしめなわが飾られ 正月準備ができました
大みそかは年に一度のごっつぉを作る。
欠かせないのが塩引きさけ。
1匹なり買い、尻尾を神棚に吊るし、いちのひれをオーベス(恵比寿)様にあげる。
続いて、上から じさ、ばさ、とと、かっか、あんにゃ、おじ、あんね、おば(祖父、祖母、父、母、長男、次男以下、長女、次女以下)の順で、膳にもる。
男衆のお膳には酒がつき、この日ばかりは腹くちゃく(満腹に)なるまで、何度でもおかわりOK。
子供のお膳には歳暮銭(お年玉)がつく。
※『日本の食生活全集15』中魚沼郡川口町の年とりから引用。
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11月です。
哀れ秋風よ、男ありて、夕餉(ゆうげ)にサンマを焼いています。
あはれ 秋風よ 情(こころ)あらば伝えてよ
男ありて ネコにさんまを盗られて きょうの夕餉は こーこ三切れ・・・
木曽川河口のスズキ釣りも今月いっぱい。
スズキは出世魚。このあたりではセイゴ(30センチまで)マダカ(60センチまで)スズキ(60以上)と呼びます。
テレビで見ると、大都会の運河のよう所でも釣れるようです。いわゆるシーバス。
以前は、スズキの刺身ってあまり好きじゃなかった。タイなどに比べて、歯触りがベチョッとした感じでね。
ところが自分の釣ったススキを、その晩さばいいて食べたら、モチッとした歯触りで、どえれー、うみゃー(美味しい)。
でも、釣りの師匠・お隣の市川さんに言わせると、
この魚は2~3日、放置しておいてから食べろ。すると歯触りがベチョッとして、どえれー、うみゃー。
ということでした。
なに? このしょもない蛾は・・・。季節感もないし、きれいでもないし。
と思われるかもしれなせんね。
その通り、私もあまり描きたくない画材。
ところが、こいつが冬になると、雪の荒野を彩るワンポイントアクセサリーに変わります。
きようは文化の日。
昭和のころ、城内小中学で催された文化祭や運動会には、大人たちも仕事を休んで観覧にきたもんですが、
今はどうでしょう?
このまひわとか、じょうびたきは北からやってきて、冬を日本で過ごし、春になると再び北の国へ帰って行きます。
出る鳥、入る鳥、この季節、鳥たちの生活圏が入れ替わります。
いっぽう同じエリア(なわばり)に定住する鳥もいます。モズなど。
そのモズは速贄(はやにえ)といって、夏の間、汗水流して餌をとり、それをなわばり内の木の枝に刺しておきます。
さあ、ゆっくりゴチソウを食べようと思って、その枝のところへ行ってみると、ほかの鳥がやってきて、ぺろっと食べてしまいます。
そんなわけで、この鳥は侵入者とケンカしています。
胃腸の万能薬と言われています。たいそう苦く、千回振りだしてもまだ苦いことから千ブリ。
「良薬口に苦し」だから苦けりゃ効く。でもそう思っているのは思い込みで、この植物が胃の疾患に効果があるというわけでもないそうです。
でも、(薬なんて)思い込みが大きいよね。
飲んで、よーし、これで心配ないと思えばストレスが消えて胃も直る。
飲まずに、心配だなあ、心配だなあ思えばストレスが高じてもっと胃を悪化させる。
――そう思いませんか?
道端や田んぼのあぜ道で、秋になると、米粒のような真っ赤な、実とも花ともつかぬものを付ける。
別名、赤マンマ。
米粒のようだから赤マンマというのか、赤いまま(まんま)だから、そう呼ぶのかよくわかりません。
11月8日をかぶな正月といいました。
かぶ菜はこの日以降に収穫する。その区切りの日が8日だったそうです。
その昔は稲穂もこのように脱穀した。
足踏脱穀機が出て用済みになってからも、豆や小豆用に残しておく家があったようです。
へえー、上手に作ったね。この馬。
馬じゃなくて鹿。
あら、鹿かよ。馬と見分けがつかなかった。
そういう人を馬鹿という。
辛ろうござんす他国の空で ひとり干し柿を見る夕は。
干し柿といえば、長野県の市田柿と福島県のあんぽ柿。
あと甲州が有名だけど、図は甲州路(映画「男はつらいよ」のワンシーン)。
ところで、あんぽ柿は大正期に(福島県伊達郡)五十沢村で開発されたのだとか。
五十沢村は、同じ地名が城内の隣にもありますが、こちらは「いかぞう」と読み、あっちは「いささわ」と読むようです。
8日のかぶ菜正月に対して、この日がだいこ正月。同じように、大根の収穫を始める日。
いまは、関係ありませんけどね。
名前は白山の最高峰「御前峰」に由来。絶滅危惧種だそうでう。
大きなバラの実みたいですね。初めて(湯沢)で見ました。
今日は七五三
今年も北国からカモがやって来ました。ネギを背負って・・・。
でも、もともとカモが背負っていたのは、ネギでなくてセリだったようです。
なるほど、カモ鍋にセリかぁ。意外と合うかもね。
「ああ、おっかなかった。カーンという音が」
「何があったんだ?」
「いやー、あの家に忍び込もうと思ったら、シシ脅しが仕掛けてあった。あの甲高い音を聞くとおれたちシシはもうダメなんだ」
「バーカ。あれは本来はシカ脅しといって、おれ達シカの侵入を防ぐためにつくられたもの。お前ら、イノシシには何の関係もないよ」
「なーんだ、そうだったんか。アホくさ」
イヌタデの仲間で、葉の裏や茎にびっしりトゲがついている。
昔、継子(ままこ)はウンコをした後、紙が与えられず、これで尻を拭け、と言われたという。
また、韓国ではこの草を「嫁の尻ふき草」といった。
ということは、幼児虐待は昔からあったし、嫁いじめは韓国にもある、ということになりますすね。
モミをはがして米にする大型機械。
正確には覚えていないが、発動機付で、シャフト(だと思うが)の先に、ひものようなベルトを巻き、思い切り引っ張る。
するとストン・ストン・ド・ド・・・ドドドといった感じでエンジンがかかる。
吹き飛ばされたモミ殻から、禾(稲穂の先にあるごく小さなとげ)が家中に舞い、首筋から背中に入ってシバシバする。
――そんな思い出があります。
調整が終わってうず高く積まれた米俵。
このあと、供出したり、自家用に保管したりします。
米つきバッタとはショウリョウバッタのことだそうですが、するとこいつは何バッタ?
よく米櫃(びつ)の中にもぐりこんでいて、裏返すと、しばらく足をバタバタやっていて、それからピョンと跳ねて起き上がる。
オキアガリバッタというのかな?
鵜はこの近辺(四日市)の川でも、けっこう見かけます。川鵜のほうだけど。
ところで長良川の鵜飼いに使う鵜はこっち(図)ほうで、海鵜だそうです。
この風景は魚沼では見られないようです。ワラは束ねて厩(うまや)の二階に保管していたような記憶があります。
でも、全国的には、こんな感じで田圃に積んでおくケースが多かったようです。
釣り人はチヌと言います。南海の磯ではこれからが(釣り)本番かな?
木曽川河口にも上がってきます。梅雨時から真夏にかけてが一番かかるみたい。もう(黒鯛釣りは)終わりです。
昭和33年(1958)の今日、皇太子様(今上天皇)と正田美智子さんの婚約が発表されました。
皇太子が軽井沢に避暑に行って、そこでテニスを通じて知り合われたとか。
妃殿下の愛称が「ミッチ」だったことからミッチーブームが起こり、城内中学でも山本校長が先頭に立って(?)テニス部ができた。
また巷では「翌年の4月10日のご成婚までには買おう」ということで、白黒テレビが爆発的に売れた。
昭和の中でも一番輝きのある明るいニュース。
水辺に生息するイネ科の植物。
秋、固く黒い実を付ける。
実の中心に穴が空いていて、簡単に糸が通る。だから簡単に数珠(仏事に使う)ができる。
とはいえ、まさかそれで法事に行く人はいないだろうが、同じようなやり方で、ネックレスや腕輪を作ることもできる。
また実を小袋に詰めてお手玉にしたり、そのままおはじきにしたりと、昔の女の子にとっては、いろいろな遊び道具に変えることができる、重宝な植物でした
マッチから直接マキだと、火はなかなかつきにくい。
で、いったんこの杉っ葉につける。火を伝導する中間材です。
ニシキギ科の常緑低木。
海辺に多い。刈込みに強く、密生することから、生け垣や庭木として植えられています。
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作文集『昭和の子供』より引用しました。
「こころもそうしていたら」というフレーズがいいね。わたしも地蔵さんになりきってという意味でしょう。
アキアカネが標準名かな? 魚沼では十五夜ドンボといった。
きょう1日は更衣(ころもがえ)。
半袖から長袖へ。鳥や獣は夏毛から冬毛へ。自販機の缶コーヒーが「つめた~い」から「あたたかい」へ。でも温暖化の影響か、みんなもっと先のようです。
田んぼにひつぢが揃うころ。
ノギヘン(禾)にウオノメ(魯)と書いて、ひつぢ(穭)と読む。稲孫という当て字もあるようです。
稲株に出る新芽のこと。ほどなくひからびた穂がつく。
ほとんど実はないが、これを目当てに北の方から雁が渡ってくる、と言われていました。
雁は日本で越冬する渡り鳥。
♪~渡る雁がね乱れて啼いて~ これはたしか「名月赤城山」の一節。雁はこのように歌の文句や絵の世界にはけっこう登場していますよね。
でも実際は、雁なんて見たことがない。
そのはず、いまや日本ではほんの数か所にしか飛来してこなくなっているんだそうです。
むかしは日本中どこでもやって来たんだろうけどね。
道端の雑草。
トゲがあり、いかにも悪タレのような顔をしているが、花だけみるとけっこういい形をしています。
宮崎市の「徒歩を楽しむ会」では、今日を「徒歩の日」に制定しているそうです。
たぶん、10(トォ)・4(フォー)という変な語呂合わせだろうけど、歩くことは一番簡単な健康法、いいことです。
人間だけじゃなく犬の運動不足も解消しなくちゃ。
ざーますわね。どんどん散歩に連れ出しましょう。
というわけで、犬を台車に載せて散歩しているおばさんが、私の近所にもいますよ。
アユは河口で生まれ、そこから一たん海に出て稚魚となり、梅雨のころになると川の上流へ向かって上ります。シーズン到来、魚野川のあちらこちらに釣り人が姿を現します。
それから夏の間は、上流でたっぷりコケを食べて過ごします。秋口、丸々太ったアユは、お腹に卵を抱えます。このころのアユにスイカのような匂いがするのは、コケの匂いだそうです。
そして、秋風が吹くころ、産卵するため再び海を目指して川を下る。これが落ちアユ。
アユって、それほどうまいとも思わないけれど、この落ちアユはうまいよね、確かに。
原産地の熱帯アメリカでは野生の草らしいのですが、日本では園芸種。冬になると枯れるので、春蒔きの一年草として扱われるそうです。
なんか膏薬(こうやく)みたいな名前ですが、丸葉縷紅と書き、葉の丸い「るこう草」という意味らしい。
刈り入れの終わった田んぼの水たまりにひっそりと咲いていました。
るこう草が野生化し丸葉に進化したもの? ――かどうかは知らない。
このように動植物の名前って、ふつうカナ表記するから、意味を取り違えるよね。
マテバシイなんて何のことか分からなかったし、
ウスバ・カゲロウ(薄翅蜉蝣)なんて、ウスバカ・ゲロウ(薄馬鹿下郎)と読んでいた。
ムカゴとは、植物の茎にできたイボのような肉質(栄養繁殖器官と言うらしい)のこと。
ユリや山芋によく見かけます。
ユリの場合は葉の変形、山芋の場合は茎の変形。
これが地上に落ちて新しい芽をふく。
フライパンで煎って食べることもできます。
クマツヅラ科の落葉低木で、秋、小さな紫色の実をつける。
ただし、目にするのは庭木か公園樹に限られ、自生している姿にはいまだお目にかかったことがありません。
近くの公園でもみじ葉かえでが色づいていました。その下でへんなおっさんとおばさんが運動をしています。
もともとは、きょう10日が体育の日だっただけど、今は第2月曜日に変っているんだね。すると今年は13日かな。
各地で運動会が行われます。
元禄7年10月12日、松尾バナナが亡くなったことから、今日は芭蕉忌。
え?
いや これで正解ですよね。だって芭蕉=バナナでしょう。
それにしても江戸時代にバナナなんて俳号(ペンネーム)をつけていたくらいだから、彼はたいそう新しいもん好きで、目立ちたりがり屋だったんでしょうね。
それにかなり食いしん坊だったようです。一説によると、弟子のけんかの仲介のために大阪に渡り、そこでうまいもんを食いすぎて下痢になって寝込み、そのまま死んでしまったとか。
芭蕉といえば古今の文学界では最高峰のお方。
わび、さび・・・漂泊の聖人というイメージもあります。
名誉を求めず生涯清貧を通した。
そんなとてつもなく立派なお方が、バナナで目立ちたりがり屋で食いしん坊で――という人間的な一面も持っていた。ちょっとうれしくなりますね。
また芭蕉の句は、とてつもなく優れた句でありながら、解りやすい。中学生でもわかる。
アメリカ人でもわかるそうです(いま新聞などに載っている俳句は、ふつうの日本人にはわからないよね)。
このわかりやすさと、芭蕉の人間的な一面はどこか関係があるのだろうか? 直接はないけれど、どこか関係がある(ような気がします)。
スイカズラ科の落葉低木。
秋、光沢のある暗赤色の実をつける。食べられるそうですよ。
秋口つけた実が、だんだん赤くなり、初冬には黒くなる。これで鳥モチを作る。
――とばかり思っていたら、全然違うんだね。
鳥モチは皮をはがして、樹液から作るんだそうです。
10月13日に行われる 城内豊年ふるさと祭り。
今年は城内じゅう よってたかってのお祭りに成りました。
芸能大会有り、大花火大会有り、当日お金使って ビンゴ大会参加して 景品ゲットしてください。
去年までお盆に花火上げていたのですが、今年から秋に持ってきました。
新潟県で行われる花火大会で 一番遅い方です。
今年は刈取後の田んぼに 水を張り 花火を写そうとう試行です。
余り例が無いと思います。
拡散出来ればいいのですが。
今年 大判のパンフレット 沢山用意、、、さてさてどれくらいの人が見に来てくれるか。楽しみです。
(写真・昇)
城内豊年ふるさと祭り無事終了。
昨日22日 慰労会有りました。
来年が少し楽しみになってきました(昇)。
稲穂をしごき落とす作業。
今どきこんな作業をしている家はありませんね。コンバインで刈取りと同時に済ます。
むかしは、おおよその目安として――
稲刈りを9月中に終わらす。刈り取った順番にハッテに架けて干す。そして10月中旬までにこの脱穀を済ます。
――だったような気がします。
実の朱色がよく目立つため、紅葉とは別に、秋を彩る植物としてよく知られています。小鳥たちのえさにも。
ナナは七。カマドは竃(釜戸)。
この木をくべると火力も強く、七回使っても燃えきらないため、そうつけられた?
備長炭の材料としては極上品だそうです。
目に青葉 山ほととぎすに初かつお(山口素堂)。でも初がつおは高いばかりで、ちょっと生臭いようなところもあり、それでほど好きでない。これは登りかつお。
こいつが三陸沖でまるまる太り、秋の到来とともに遠州灘から熊野灘、四国へと南下してくる。こっちが戻りかつお。
これはうまい。
油がのっているのにクドさがない。
「芥子(からし)がなくて目に涙」「かつおは芥子に限ります」と昔から言われたように、たっぷりの芥子で食べるとさっぱりしていて、いくらでも入る。
もみじおろしもでもいいですよね。
それに値段が安い。
きょうは、広場で焼きイモです。
そろそろ焼けたかな? 香ばしい匂いが漂いだしました。
あれ、あのオッサン、鼻の頭がピクンと動いたよ。
ばか、あれは考える人。つまり哲学する人。そんなもん動くわけねえだろう。
そうかなあ。そんな気がしたけどなあ・・・。
秀サンのサイトをみて――
あれっ、あまんだれとなめこは違うの?
城内の方言であまんだれ、標準語でなめことばかり思っていた。写真一枚送ってよ。
写真送ります。
あまんだれは標準語で「ならたけ」というそうです。が、いまいちぴんとこないですね。なめことすごく似ています。傘の下、茎の途中にあるひだも一緒。ぬるぬるも一緒。
違うのは、あまんだれがすぐ黒くなって悪くなること。
悪くならなくても、煮たり、瓶詰め保存したりしても黒くなる。
あと、なめこより色が少し薄めだと思います。
決定的に違うのは味です。けっこう強烈に味がします。
きのこラーメンの中にも入っていましたが、あまんだれは食べるとすぐわかります。
――ということでした。
なめことあまんだれは違うよ。
あまんだれは傘の肉が薄く、軸も細い。なめこのようにむっくりしていない。だからへたりやすいんだろうな。色も少し黒っぽい、と俺は思っていたが。
秀一が言うように味も違う。なめこは単純だがあまんだれは味に深みが有る。
公園のユズリハの葉がはっきりと二層に分かれています。上の層は今年の若葉。下の層は去年の古葉。
この両者、最初はどっちがどっちか見分けがつきませんが、だんだん古い葉が若い葉に「いい場所」を譲ります。
そして人知れず散ります。
譲るという言葉は、「道を譲る」「身代を譲る」「席を譲る」などといった使い方をしますね。
戦後のベビーブームの中で生まれ、幼少時、兄弟とのおやつの奪い合いに始まり、受験戦争、モーレツ社員、出世競争などの中で育ってきた私たち世代は、譲ることをよしとせず、人に先んじることだけをよしとして来はしなかったか?
もう「まだまだ若いもんに負けない」などと先頭に立ちたがらず、いったん下層にさがり、そこで下支えをしながら少しずつノウハウを伝授し、若いもんが一人前になったら席を譲って静かに去る。
人生、かくありたいものです。
決して石原さん(維新の会・党首)に対する皮肉ではなく、自分自身への自戒として。
実家の土蔵の入り口付近に一本植えられていて、毎年秋になると実をつけた。
子供のころ、よくもいで食べたもんです。甘味もあってミニリンゴといった趣ですが、皮が厚く、種が大きくて、それほどおいしいものでもなかった。
そんなわけで、秋に実をつけることだけはしっかり覚えているのだが・・・「芽吹きはいつ?」と聞かれても、「え? 春だろう」という感じで、明確に覚えていない。
夏だそうです。夏、芽を出すから夏芽(ナツメ)。
棗(ナツメ)とも書きますね。そういえば枝に棘(トゲ)があったっけ?
こどものころ――
田んぼ道にいっぱい咲き乱れていました。
十五夜ドンボが、空いっぱい舞っていた。
トンボのお尻の部分を少しだけ爪で切り落とし、花の一輪を摘み取って、そこにさす。
すると、花とトンボがいっしょに宙を舞う。
――けっこう、ザンコクな遊びをしたものです
野菊には野紺菊系と嫁菜系があるそうです。最近はジオンもその仲間に入れている人もいます。
アメリカイモ、ブタイモとも言われるところからわかるように、豚の飼料用にアメリカから伝来した(江戸時代末期)。
今、民家の軒下などで見られるものは、これが半野生化したものでしょう。
秋口、ひまわりに似た花を咲かせます。
いかにも不味そうですが、これの味噌漬けを食べたような記憶がある。パリッとした歯ざわりが小気味よかった――ように覚えています。
実はナッツのような食感があります。
北米原産の帰化植物で、戦後の植物史上この草ほど急速に繁殖した例はないそうです。
一時期、空き地、線路脇、土手、田の畔に至るまで侵略して、このままでは日本古来の草花が凌駕されてしまう、いわゆる侵略的外来種、といわれました。
花はみごとといえば、みごとな黄。
考えてみると、この草の繁殖は日本の高度成長(またそれに伴う大気の汚れ)と符丁が合います。
そして高度成長の終焉とともにだんだん冴えなくなり、いまじゃ土手などでもススキやクズに押され、じじむさく咲いています。
え? おれたち団塊の世代にどこか似ているって・・・、そうかもしんないなあ。、、
種子がズボンにつくとたいへん。
木綿(もめん)。
このわたを採って、つむいで織る。これが綿織物。
今はまったく見る機会がありませんが、織物がさかんだった魚沼地方ではけっこう栽培されていたようです。山の畑などで。
全長約10センチ。国内ではもっとも小さな鳥だそうです。
夏は山で生活しましが、冬が近づき、庭先に下りてきました。
山上憶良(おくら)の歌がその由来とされています。
このうちの朝顔は、桔梗(ききょう)のことだと一般的には言われています。
なんで? 朝顔は朝顔だろう。
バァーカ、朝顔は夏の花じゃないか。だからあれは桔梗のこと、そうに決まっている。
と言われるかもしれませんが、秋でも林の中の小道なんかに、地味でこぶりな青い朝顔が咲いていますよ。
バァーカ、そんなん朝顔じゃない。朝顔って、青もあるけど赤や白や紫や筒白や、もっとハデハデで大輪な花。
と言われるかもしれませんが、ハデハデ朝顔のほうこそ、後の世のバイオ技術が生み出したもので、憶良さんの時代にはなかった。
――とまあ、私は思うんだけどなあ・・・どっちでもいいけど。
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え? 夏の間 遊びすぎてふところがスッカラカンだって。
なーに、そんなもん ケセラセラ(なるようになるさ)。
きょうは立春から数えて210日め。台風の厄日とされていますね。
それから関東大震災があったのが、大正12年のきょう。死者10~15万人。90年前のことです。
和名はヒゴロモソウ(緋衣草)だそうですが、知らなかった。
多年草ですが、多少寒さに弱く、北日本では冬越しできない。
そのくせ多少暑さにも弱く、中部山岳地帯などの夏の間冷涼なところの方が見事な花を咲かせる。
巨人の王が後楽園で通算756本目のホームランを打ち、ハンク・アーロンの持つ世界記録を更新したのが、昭和52年の9月3日だそうです。
その楽園球場が東京ドームに変わったのが、その10年後の昭和63年。
ここ2~3日の雨で露草が咲きました。古来、秋を告げる花として、多くの詩歌に歌われてきたようです。
琵琶湖の近く大津市では、この草(の一種)を栽培し、青花紙を生産している。友禅染めの業者がこれを買い取って、下絵の材料にする。
という話を、ずっと昔聞いたことがあるけど、今でも生産しているのだろうか?
乾いた路傍などに見られるイネ科の雑草
※ところで
この草の生えているような場所に、スス(城内でそう呼んでいた)という雑草があったのですが・・・。
やはりイネ科だと思うが、黒いススのようなものを付けた茎がスーッと伸びて、引っ張るとそれが抜ける。子供のころ、よく口にくわえたもんです。
ぜひこの『歳時記』に付け加えたいので、帰省した折など注意しているのですが、いっこうに見かけまぜん。
情報のある方は教えていただければありがたいのですが。
南米原産で 江戸時代始め渡来し、古くから観賞用に栽培されていたようです。
たくさん枝分かれし、灌木状に茂ります。
日の光に弱いらしく、昼間は花がしぼんで冴えませんが、夕暮れになると見事に開きます。
そのことから歓楽街を、ちょっと連想しますね。江戸時代ならさしずめ吉原。
「白粉の花」は俳句の季語にもなっています。
色は、白のほかに赤、紫などがある。図は赤。でも、赤い白粉花っても変だね。
万葉の昔から詩歌に歌われた日本人なじみの草。
根からクズ粉がとれる。
名前は、かつて大和国・国栖(くず)がクズ粉の産地であったことに由来しているそうです。
※日米侵略戦争・クズとセイダカアワダリソウ
20世紀前半、アメリカでクズがもてはやされた時期ありました。ポーチの飾りや緑化・土壌流失防止用などに最適だというわけです。
ところが、そのあまりの繁殖力と拡散の早さに収拾がつかなくなり、このままでは広いアメリがクズに埋まってしまう、ということで方向転換。
一転、これを侵略的外来種に指定し、米国では駆除に務めるようになりました。
一方、そのころ高度成長期にあった日本には、光化学スモックの量に比例するかのごとく、アメリカ原産のセイダカアワダチソウが各地を侵略し、土手や線路わきのみならず、工事現場の空き地にまで入り込んで来だ。
このままではスミレやリンドウといった日本古来の植物がなくなる。
そんなことで、この二つの植物を巡って、アメリカと日本が嫌い合いを始めた――なんて時代がありました。
大名バッタとも。その威風の立派なことからきているのでしょう。
主食がイネ科の植物(実は雑食らしいのですが)であるため、日当りのいい草原に生息する。
しかし、今の日本にはなかなかそういう草原はなくなり、せいぜい河川敷の草むらが彼らの生息地になっているようです。
きょうは9が二つ重なって9月9日。重陽(ちょうよう)の節句で、万葉の昔から菊酒を飲み、栗ごはんを食べた日だそうです。
長崎では、有名な「おくんち(九日)」。
でも、ともに旧暦時代の行事なので、菊も栗もまだのようです。
長崎で「おくんち」が行われるのも、そのまま1カ月後ろへスライドさせて、たしか10月9日でしたよね。
昔、女の子がよく、ほうづきの種だけ舌の先で器用に抜き、ブビー ブビ と鳴る、いささか下品な音のする笛をつくって遊んでいました。
北米東部原産の宿根草で、もともとは園芸植物。
地下茎でよく増え、半野生化したものが、民家の敷地内に咲いていました。
平成13年のきょう、まるで特撮映画のワンシーンのように、アメリカの世界貿易センタービルが崩壊・炎上する画像が、世界をかけめぐりました。
9・11(平成13年)の同時多発テロ事件。
9.11 同時多発テロの日
たまたまTVを見ていて、翌朝まで実況にくぎ付け(雄)。
みょうがの花は1日の命だそうです。
朝のうちに花ごと採って梅酢漬けにするとなかなかのもんらしいですよ。
みょうがの酢漬け
中国の洞庭湖の水の色から付けた名だとか。
若き日の皇后さまが山陰訪問された時、「きれいな花ですね」とおっしゃったことから、
この花の自生している隠岐の島では「美智子様の花」と呼んでいるそうです。
アラビア原産。メソポタミヤでは6000年以上前から栽培されおり、不老長寿の果物と言われるそうです。
日本には江戸初期、ペルシャから中国を経て薬用として長崎に伝来。
挿し木で簡単に増やせるので、庭木として流行し、果実も薬用というよりおいしい果物として味わうようになって――現代に至っている、ということです。
なお、エデンの園で禁断の果実を食べたアダムとイヴは、自分たちが裸であることに気づいて、いちじくの葉でミノを作り前に当てた――と『旧約聖書』の創世記・3章7節に載っているそうです。
ペルー原産の球根草で、秋口、土から直接 一本の花茎がすーっと伸び、花をつけます。
民家の軒下などで見かけるます。
実の皮をむいでこすり合わせると、せっけんみたいに泡だってきます。
魚沼地方で、私たちが子供のころ何処にでもあり、今、全く見かけなくなった樹木に、稲架(はさ)の木と、地梨があります。
稲架の方は、刈入れ後の稲穂をかけるハッテ用。
地梨の方は、屋敷林としてケヤキなどとも植えられているケースが多かった。かなりの高木になり、秋には実をつける。
台風の後などは、その実が地表に落ちている。よく拾いに行ったもんです。
きょう19日は俳人・正岡子規の命日で、糸瓜忌というそうです。
ベランダの珍客
ここは10階建マンションの10階。東京には及ぶべくもないが四日市では高い方。普段使っていない部屋のベランダにプランターが放置してある。昔はけっこう花苗などを植えていたが、ここ4年ばかり留守にすることが多く、水やりもままならない。それで空のまま放置してある。
去年(H24)の今ごろだったろうか? その部屋に入ったらカーテン越しにポオッーと赤らんでいる。
「何だろう?・・・」
開いてみると、プランターの中で何と、植えるはずもない彼岸花が3本 ツツーと伸びて、つぼみの先が赤らんでいる。
次の日はもう満開。
数日を待たず花は終わり、ほどなく(茎が枯れたのか腐ったのか)影も形もなくなった。
あっという間の珍客でした。
でもあれって、球根で増えるものなんだろう? それとも種子が風に乗って、こんな所まで舞い上がってきたんだろうか?
今年(H25年)はちょっと気になって、たまにプランターを覗いてみるのだが、まだ芽さえ出ていないようです。
別名・曼珠沙華(まんじゅしゃげ)。
山ブドウの一種だと思うのだが、城内で山ブドウと呼んでいるものに比べると、小粒で甘い。
里山のような低山に生え、実る時期も場所もアケビと共通していた。
だから私の場合、アケブ(アケビ)と言えばミヤマツがすぐ連想される。
今日は「秋分の日」で秋の彼岸。お天道様が真西に沈みます。昔はオハギを食べて祝ったようです。
ところで、オハギとボタモチはどう違うの?
ものは同じ。牡丹の咲くころ(春)つくればボタンモチ。萩の咲くころ(秋)つくればオハギ。
また、これを半殺しと呼ぶところもある。ご飯粒を半分つぶすからハンゴロシ。みんなつぶせばミナゴロシでモチになる。
いろいろな呼び方があるもんだ。
その呼び方だが、
ソバやうどんを「手打ち」とメニューしている店も多い。押し出し機などの機械で作ったものと区別するためだろう。
長野県の、ある民宿に泊まった客。
夜、自分の部屋に引き上げて寝ようとしているとき、居間の方から宿夫婦の会話が聞こえてきた。
「おい、明日のもてなしだけど、半殺しにするか、それとも皆殺しか?」
「いっそ手打ち(手討ち)のほうが、さっぱりするんじゃない?」
じ、じょうだんじゃない。客は、夜のうちにこっそり逃げ出した。
(このネタは落語の枕によく使われています)
さるなしと呼ぶところも。
キューイの仲間だそうです。
サツマイモに「川流れのキンタマ」などという、とんでもない品種がありました。
普通のに比べて表皮が白っぽい。かたも大きくたくさん採れるので家畜のエサ用に栽培した。
ふかして食べると、甘みはうすいが、ほくほくして、まずくはない。
まあしかし、名前を聞いただけで食う気は起らないだろう。
ヒコーキのような実がなります。
昭和30年代までの稲刈り風景
昭和40~50年代の稲刈り風景。
いまは大型コンバインであっという間に終わる。
その数日後、窓の外を見たら芽が出ていて、芽が出たと思ったら、あっという間に伸びて、今年(H25年)も咲きました。
写真では分かりずらいのですが、去年の3本から5本に増えています。
今年はもしやと思い、ほんのたまにですがプランターに水をまけていたので、下にカタバミが茂ってします。
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でも暦的には、夏はもう1週間も前(6・21夏至)にピークが過ぎているんです(H25年)。
ここから先、日一日と日照時間が短くなっていく。つまり確実に終りに向いつつあるのです。
(句は『毎日新聞・季語刻々』より引用)
娘は真夏の到来に心を弾ませ、将来の夢を語っています。
卓郎さんの方は、今が幸せのピーク、これから娘もだんだん親離れしていき、
「そのうち耳かきなんて、させてもらえなくなるんだろうなあ」
と、心のすみに、ちょっぴり影がさしています。
この季節に白い花をつける、ドクダミ科の葉が半分が白い草。
半化粧とも。
かつてはこの花の開花を見て、田植えを終了した。
それ以降に植た苗は、収穫が半分になるため、だとか。
それで、夏至から数えて11日目(だいたい7月の初めになる)を半夏生と呼んだ。
つまり6月いっぱい田植えをしていたことになりますね。今より1カ月程度、遅かった。
この花は現在、園芸店に出回っているため、庭花としてポピュラーですね。
紫のあでやかな花。
花名の由来は――
承久(しょうきゅう)の乱で敗れた順徳(じゅんとく)上皇は佐渡へ流される。
その途中、山道に咲いていた白い野菊に心をうたれ、これを御所へ移させた。
傷心の上皇は、この花を見ている時だけが、都を忘れられた、という。
――それで都忘れと命名されたとか。
ただ、上皇が愛(め)でた花は、現代のミヤコワスレではない。ミヤマヨメナ(深山嫁菜)という山野草。
このヨメナが何回か園芸用に品種改良され、現在のようなあでやかな花になったのだそうだ。
ミヤマヨメナは、現在でも里山のあぜ道でよく見かける、何の変哲もない白い地味な花。
ハイカー達は、そんなものは見向きもしないで、ふんづけて通り過ぎていく。
よく家の裏など、日当たりの悪い所に咲いていたのだが、すっかり見かけなくなったなあ。
葉っぱを一枚失敬して、ムシャムシャ食べた思い出がある。
味は酸っぱくて、まあスッカシ(スイバ)のようなもの。
田んぼやため池などに自生する水生植物。梅雨時から今頃にかけて、白い清楚な花をつけます。
名前のいわれははっきりしないようですが、葉が人の顔に似ていることから面高、という説が有力のようです。
おせち料理に使われるクワイはこの球根。
また、葉の形がカッコいいので、古来より武家の家紋に用いられています。
今日は七夕。天の川ほとりで、牽牛(けんぎゅう)と織姫(おりひめ)が年に一度デートする日です。
でも本当は今日ではない。
七夕はもともとは旧暦行事だから、今年だと8月20日過ぎになるのかな?
そのころになると空気が澄み、里芋の葉っぱに水滴が転がり、中空は抜けるほど高くなる。
日の暮れとともに、天頂にある二つの星がひときわ光を増す。これがひこ星(牽牛)とひめ星(織姫)。
この二つの星、地球からだと接近しているように見えても、実は15・5万光年の距離があるのだそうです。
織姫が「ケンさーん。愛しているよ」
と光のラブ・コールを送っても、届くのに15万年。
それを受けた牽牛が「オリちゃーん。おいらもだよ」
と返信して、届くのにまた15万年。
つごう30万年の往信。
星の恋愛はスケールが違う。
湿った水辺などに自生しています。
みずみずしい茎とか、種子が弾けるところなどは、ホウセンカによく似ていますね。
で、調べてみたら、なるほどホウセンカはツリフネソウ科に属していました。だから、ホウセンカの方がツリフネソウに似ている、といった方が正解のようです。
さて困った。この花名がわからない。
そこで確かこんな名前だった、とネットに「あいぜんかつら」と入力して検索してみた。
すると「もしかして愛染かつら?」と出でき、
その下の関連検索に「のうぜんかづら」と出てきた。 あっ、これだ。
西日本では、ゆうぜんかつらとも。
なるほどこの花は、京都の初夏の夕暮れ、鐘の音、友禅染などが似合いそうですね。
夕顔でいいのかな?
ゆうごうといえば、かんぴょう作りをしていた田舎のバサを思い出すし、
夕顔といえば、『源氏物語』を連想する。
この落差がね・・・。
ひょうたんは3個で「三拍子(三瓢子)揃う」、6個で「無病(六瓢)息災」となり、縁起の良い植物。
1000個で「千成びょうたん(豊臣秀吉の旗印で有名)」ということになります。
中身をくりぬいて干したものは、そのままひょうたんもと呼びますが、一般的にはひさごと呼びます。
6月30日に東京でクラス会があり、帰り、湯沢に一泊しました。
その道すがら、大源太川のほとりで、ムカゴを持ったような草の葉を見かけました。
よく見ると、ムカゴではなく、アマガエル。
もう、必死でしがみついている、といった感じ。
その後、雨らしい雨も降らず、真夏日がやってきました。いわゆる空梅雨。
あいつら、大丈夫かな?
道と林の境目のような所で見かけることがあります。
9階建のビルディングのように、段々に花をつけることから九階草(ほんまかいな?)。
とくにどうということのない花だけど、やさしい感じ。大柄でお人よしのお姉さんを連想する。
よほど居心地がいいとみえ、よくハチが、花袋の中にもぐりこんでいます。
釣の帰り、干潮時の夕暮れ時、河口堰近くの干潟(ひがた)のような所でした。
一瞬、白い花がパッと開いて、ソバ畑ができる。
なんだこりゃ。
すぐ閉じる。数秒後にまた開いてまた閉じる。
チゴガニが巣穴から出てきて、ラジオ体操を始めました。
ほんとうにラジオ体操そのものなんです。
「手を前から上にあげて背伸びの運動」だったかな? その後くらいに「胸の運動」というものがありますよね。いったん胸の前で手を交差させ、大きく開く。まさにあれ。
その数、数千匹、いや数万匹かも?
ちなみにリズムを測ってみました。
1、2・・・3で開いて、4で閉じる。5、6・・・7で開いて、8で閉じる。これを全員(?)いっしょにやる。
このカニはつめだけ白い。それで開いた時に、白い花が咲いたように見えたわけ。
それにしても、よくまあこれだけの数が同調できるものだ。
でもよく見ると、ワンテンポ遅れるやつがいる。
人間社会にもいるよね、ワンテンポずつ遅れる人が。
これは岡トラノオ。
上の平(石打の近く)で見かけたものです。
こちらが花トラノオ。
花壇に植えている家もありますね。
カンゾウ――なんか同級生みたいな名前ですね。
カンジ、カツゾウ、ヨウゾウ・・・近いけど、カンゾウずばりはいなかったかな?
藪がつくと(ヤブカンゾウ)、藪の勘三となり、『鬼平犯科帳』あたりに出てきそうな名前。
佐渡ではヨーラメというそうです。
ヨーは魚 ラメは卵で、魚(鯛)の産卵のころ咲くから。
正式には甘草と書き、あまい草という意味。
春先、若芽を食用にするためそう名付けられたのだとか。
原産地の中国では「忘れ草」というロマンチックな名前で呼んでいるそうです。
今日から夏休みという小中学校も多いようです。
小学低学年のころ、薬草採りをさせられた思い出があります。
ヨモギ、オオバコ、センブリ、ゲンノショウコ・・・。
ゲンノショウコは、腹痛の即効薬として知られています。
「かっかアッパタレだあ(お母さん、下痢になった)」
「しょうがない子だねえ。あちこちで拾い食いするから・・・。これを飲みなさい」
とゲンノショウコを煎じてのます。
「まじーぃ。でも効くの? こんなもんが」
「で、お腹の具合はどう?」
「あっ、なおった」
それが現の証拠。
西日本では晴天が続いているが、ニュースは静岡や山形の集中豪雨を伝えていました。雷の季節です。
雷が来るとよく蚊帳(かや)の中へもぐりこんだものだが、これは屋内での話。
外で出くわした時は、立ち木の陰に隠れてはダメ。逆に標的にされる。
これを避け、かつ雨をしのぐとなると難しい。
ボコサマ(蚕)を飼っていたころは、桑畑がたくさんあった。
そこで「桑原、桑原」といいながら、桑畑の中に逃げ込んだそうだ。
これが現在、恐いものに出くわしたとき使う「くわばら、くわばら」の語源。
土用うなぎ
現在は、高層マンションなど住宅事情もずいぶん変わってきましたが、これは「向こう三軒両隣」といった時代の話。
「うなぎは味はもちろんだが、何といっても焼いている時の匂いだね。あれがたまらない」
「じゃあ、今晩はうなぎだから、早く帰ってきて」
朝、そんな会話があったので、残業を断って帰って、食卓を見ると、
「何だ! これは。 コーコ三切れだけしゃないか。 うなぎはどうした。うなぎは」
「焼いているでしょ。お隣さんが」
(その匂いで食べろ――ってか)
たんぼの畔などで見かけます。
味噌でも溝でもなく、禊(みそぎ)萩が正解だそうです。
盆花として使うことからショウリョウバナ(精霊花)とも。
ひどい名前ですね。1週間風呂へ入らないジーサマのキンタマみたい。
でも、これも腐れ玉ではなく、蓮玉と書いて、お釈迦様の台座つまり蓮(はす)の花から来ている、そうです。
木の台座が木蓮(もくれん)で、
民主党の台座が蓮舫(れんほう)さん。
夏の庭先を涼しく感じさせてくれる白い花。
朝開いて夕方にはしぼんでしまう一日花であることから、ふるくは朝顔ともいったそうです。また、人の世のはかなさにたとえられました。
そのはかなさをあらわした「槿花(きんか)一朝の夢」なんていうことわざもありますね。
ある偉い人が50年ぶりに城内を訪れた。
何でも遠い親戚があって、子どもの頃、一度だけ来たことがあるそうだ。
あの日、農家の縁側でゴッツォになった黄色いあまうりの味が忘れられない。
まだ栽培している家があると聞いて、さっそくよばれることになった。
一口食べてみて、
「ん? ・・・」
似ているけど、微妙に違う。
ぶっちゃけた話、あの時ほどおいしくないわけ。
そうも言えないから、
「ま、その、これも何回か品種改良をば したんでしょうね」
「いや、それはやっていませんが、当時はまだ下肥。いや、アッパ・・・。つまりその・・・いわゆるアッパをかけて作ったわけで・・・。それでまあ、ひと味違ったかと」
「へえー、そうだったんですか。で、今でもあるんですか? そのアッパは」
「そ、そりゃあ、あるにはありますけど・・・」
「じゃあ、これにかけて下さい」
と、食べかけのあまうりをさし出した。
(※ネタ元は落語「目黒のさんま」)
江戸時代、南蛮から持ち込まれた園芸植物。
樹液が石鹸代わりになる。石鹸を昔、シャボンといった。それでシャボテン→サボテン。
三夜塔は下原の専売特許とばかり思っていたが、城内中にあるんだね。
これは江戸末期流行した二十三夜講のために建てられた石塔。
勢至菩薩(せいしぼさつ)をまつったものだそうです。新堀の石塔には、その勢至菩薩が彫られています(赤〇)。
私たちが子供のころにはまだ、天神講、十二講などの行事が残っていましたが、それと同じように23日の夜になると、みんなで塔の回りに集まり、月の出を待ちながらこの菩薩を祈る。
祈るというよりゴッツォを持ち寄って、飲み食いする方が主目的だったかもしれません。
城内中に石塔が残っているってことは、当時、この講が大流行したことをうかがわせます。。
今日は旧暦6月23日。
今日行われたかどうかわかりませんが、気候的にこのあたりかな? と想像しました。
風鬼ともいう。
何んにもない草っ原で転び、起き上がってみると、ひざ下にスパッと切り傷ができていた。
そんな経験、ありません?
これは転倒時、ひざ下に真空状態ができ、肉が裂けたため、と聞いたことがある。
んな、ばかな。
真空で人が斬れるのなら、刀なんていらない。
もっとも、むかし赤胴鈴之助の真空斬りなんてのもあったが、あれはマンガの話。
やっぱ、これはイタチの仕業だよ。
漢字で合歓と書く。ガッカン?
文字通り解釈すれば、合い歓(よろこ)ぶ、ということになりそう。これは昼の間、開いていたネムの葉が夜になると合わさって閉じる、という現象をさしているようです。
なるほど、すると「合」は解る。でも何でそこに「歓」がつくの?
夫婦を見なさい。夜、合わさるということは、イコール歓び、ではあーりませんか。
というわけで、ネムは原産地の中国では夫婦円満を象徴する木らしいですよ。
この時期実り、冬に花が咲く。
桃栗3年柿8年 枇杷は早くて13年。
なんて言われていますので、実がなるまでに10年以上かかります。
そのためか、ビワの木は硬くて粘りがあり、高級な杖の材料になるそうです。
池波正太郎の『鬼平犯科帳』に登場していましたね。鬼平が庭の枇杷の木を切って、それを削って杖を作り、改心した老盗にプレゼントする――なんで話が。
「ネコにマタタビ」は有名ですが、トラやライオンもこれを嗅ぐと恍惚状態になるそうですよ。
ところで、トラやライオンの舌はどうなんだろう? やっぱネコ舌?
ネコだけではなく、人間にも疲労回復などの効用があるとか。
疲れた旅人がこの実を食べたら元気になり「また旅を続けられる」といったことから復旅(またたび)。でもこの説は少し眉唾っぽい。
昔はすごかったねえ。
この蓄積がたぶん、田んぼの生態系を変えて、結果タニシやメダカがいなくなった。
そんな時代もありました。
いわゆる銀ヤンマのことだと思うが、
魚沼では里ドンボと呼んでいました。
水切と言ったかな?
淀みなどの流れのゆるい所に、アンダースローで石を投げ込むと、水面をポンポンポンと石が飛んでいく。
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これは梅雨時の花。8月1日と関係ないけれど、私は勝手にキンさん・ギンさんと呼んでいる。
キンさん・ギンさんとは、100歳を超えた双子の姉妹。その誕生日が今日、8月1日だったそうです。
もう20年も前になるかな?
バブルがはじけ、大手銀行が次々倒産し、幼児虐待にドメスティック・バイオレンスなどイヤな言葉がマスコミに登場し始めたころ、、
この二人がテレビに登場して、言いたいことを言っていると何かホッとしたものです。
ところで最近、そのギンさんの娘がまた、4姉妹で、長寿(平均年齢90歳を超えているとか)で、
これまたテレビに出て、言いたいことを言っているそうですよ。
「あらヤダ。おじいちゃん、生き返ったわよ」
「じ、冗談じゃねえぜ。今、焼き場へ火を入れるよう電話したとこなのに」
都会の庭木。
見事ではあるが、暑いさなか、見ただけで更に暑くなるような花で、すこしくどい。
地元にいた頃はこの花を知らなかったが、今、立柄橋(湯沢)から岩原へ向かう街道では、この木とカリンが交互に植えられ、並木になっている。
魚野川を背景にした並木なら、涼しさが入り、絵になるのでは?
この季節、帰ったことはありませんが、もう咲きましたか。
街中のちょっとした空き地やゴミ捨て場が、ふしぎと似合う。
夏の強い光を浴びてもみずみずしさを失わない。
♪~ほうせんか ほうせんか 命の限り街の花
という流行歌(島倉千代子・歌)が、むかしありました。
南の方(朝鮮や沖縄方面)では昔、小さな女の子がこの花の汁を爪に塗って遊ぶ習慣があったとか。マニキュアやね。
また沖縄では「てんさぐ」と呼び、『てんさぐの花』という民謡があります。
平成14年の今日、多摩川にアゴヒゲアザラシが出現。
タマちゃんと名付けられ、連日ニュースで報道されました。
芝生などの中にまぎれて咲く。
すねた少女みたいですが、拡大鏡でみるとはっとするほどきれいな花ですよ。
正式名称は知らないが、おらー辺りじゃ金魚草と言ってたと思う。
ラッパ状の花ビラを引っこ抜いて根本から吸うと甘い蜜が吸えるもんで、咲いてる花を片っ端から引っこ抜いてたら近所の親父におっつぁれた事がある。
たいていの家にはあったと思うが夏休み頃の花だと思う。(Q)
というわけで、学名を調べてみた。――姫檜扇水仙(ひめひおうぎすいせん)。
いかにも学識者が机上でひねったような つまらねえ名前。
第一、長ったらしくて覚えられない。金魚草でいこう。
花壇の花。
春咲き1年草らしいけど、近所の家の花壇では今が盛りと咲いています。秋も咲いていたんじゃないかな? いままで気にしたことはなかったけど、今年は注意して見ることにしましょう。
宿根草として冬を越すので、「冬知らず」として市場に出ているとか。
猛暑日が続いています。
こういう時は、せめて涼をよぶ言葉を並べてみよう。
緑陰、夏木立、涼み台、氷水、よしず、ラムネ、かちわり、噴水、打ち水、すだれ、夏のれん、ふうりん、ほうずき、つりしのぶ、朝顔、風知草、水草の花、走馬灯・・・・・・。
と、連想が続いた後、結局こうつぶやく。
言うまいと思えどきょうの暑さかな。
(1981・天声人語より引用)
アイスキャンデーが5円(昭和20年代)、ボンボンキャンデーが10円。
おっちゃんが自転車の後ろにクーラーボックス(ようなもの)をつけて売りに来たもんです。
これは中曽根康弘元首相の句だそうです。大いなる改憲論者だと聞いてましたが、さすがに彼の声はもう聞こえてきませんね。
代わりにこの方ががんばっているようです。
昭和44年の今日、城内・五十沢地区に大水害がありました。
図は逃げたコイをつ釣っている薫さん。
夏の花壇の花。
江戸時代、オランダから長崎に持ち込まれたのが初めとか。
これを見た日本人は、そのあまりの豪華さに、天竺牡丹(てんじくぼったん)と呼んだそうです。
今日は終戦記念日。
かつて「敗戦のころで記憶に残る植物は何ですか」という調査をし、一冊の本にまとめた人がいたそうだ。
それによると、まずヒマワリ。 カンナ、キョウチクトウと続き、意外なことにその後にアカザ(またはシロザ)が出てきた。
河川敷や空き地に生えるただの雑草だが、戦時中は汁の実や雑炊の実として食べた。
極限の食糧難が、生々しい記憶としてよみがえってくるのだろう。
大きな葉と独特の花は、何か地中海あたりを連想しますが、語源はギリシャ語のカンナ(Kanna=葉)。
花壇というより、庭先や軒下に自生に近い形で生えているケースが多い。球根なんですが、暖かい地方ではいちいち掘り上げなくても、そのままにしておけば宿根草として次の年、芽を出すそうです。
まだ60も70もの歌詞あるそうだ。踊っているうちに興にのり、即興でつくった歌も多かったのだろう。
小粋(こいき)なのは
娘島田に蝶々がとまる とまるはずだよコイツァー花だもの
しょうもないのは
ベベのベタ切りヘノコの輪切り(後は知らない)
や、やめろバカ! そんなもん、輪切りにされてたまるか
夏休みも終わりに近づき、カナカナぜみが鳴きだしました。
ノメシばかりこいていないで(ズボラばかりを決め込まずに)
そろそろ宿題にとりかかりましょう。
春先のふう(朴)の芽吹き、初夏の桐の花、今ごろのくるみの実。
魚沼ではごく普通の木ですが、他所(よそ)ではほとんど見かけません。
こういう木々に出会うと、ちょっぴり郷愁を覚えます。
仏教は約2500年前、インドのヒンズー川流域で生まれたそうですが、そのときすでにハスは、仏教のシンボルとして登場しています。お釈迦様はじめ、如来像の台座はハスの花。
花托がハチの巣に似ていることからハチスといわれ。これがハスになった。
漢字で書くと蓮。蓮華(れんげ)、木蓮(もくれん)、草連玉(くされだま)などは、ハスの花に似ている植物。
地下茎の蓮根(れんこん)は食用で、だれもが知っていますよね。
河口域では、満ち潮とともに浅瀬にやってきて、竿を出しているだけでいくらでもかかってきます。
ようするにダボハゼ。
そのためここに来たころは、夏休みの子供たちを表す風物詩だったのですが、今はあまり見かけません。
海で進化したらハゼ、清流で進化したらカジッカ・・・。
かどうか知りませんが、天ぷらにするとさっぱりしていて、ツマミに最高。形を崩さず、かといって揚げ過ぎず(パサパサになる)――そのためには2度揚げするのがコツだそうです。
ことにカジッカはそうしないと、砂をかんでいたり生臭かったり、せっかくの美味が台無しになるようです。
甲子園では高校野球たけなわ、ベスト8が出そろいました。
その始まりは大正4年の、きのう(18日)だそうです。でも、その時は甲子園でなく、豊中(大阪)球場。
炎天下に咲く。高度成長期には光化学スモックの花ともいわれました。
サルスベリと同じように、少しうっとおしいということで、人気はイマイチ。
でも逆に、炎暑や大気汚染に負けないわけだから、都心に緑を提供してくれる貴重な植物、という言い方もできますね。
事実、原爆投下で不毛と化した広島の街路に、最初に開いたのが、この夾竹桃の花だった、と聞いたことがあります。そのため、広島の花とも呼ばれているそうです。
また、うっとおしいのは茂りすぎた葉にあるようです。
一枝だけ失敬してきて、部屋に飾っておくと、また印象が違います。
風船状の果実に、白い小さな花が散らばり、清涼感のある植物です。門柱なんかに這わすと涼しげです。
川原など荒れ地でよく見ますが、近くの空き家の庭に咲いていました。
ところで、スーパーの漬物コーナーに、「ヤマゴボウの味噌漬け」がありますが、
あれはこれ?
真紅の花穂は、美しいというより、どぎついほど見事。これがニワトリのトサカに似ていることから鶏頭。
アフリカや東南アジアで食用として栽培し、朝鮮ではブタのエサに、日本でも食用にしていた時期があったそうです。
だけど、いかにもまずそう。
きょうは「愛酒の日」だそうです。
酒をこよなく愛した歌人・若山牧水の1885年の誕生日に因む――とのこと。
田んぼの雑草の中では、ひときわ憎たらしい悪役ですが、大昔は五穀(米・麦・粟・稗・豆)の一つに数えられ、貴重な主食の一つだった。
とはいえ、五穀の中で一番まずいのもこのヒエで、貧乏人の食べ物、あるいは家畜の飼料にと、かなり虐げられ穀物でもあったようです。なんしろ「禾(のぎ)へん」に「卑(いや)しい」と書くくらいだから。
でも、アイヌにはヒエから酒を造る習慣があり、これが最も美味であるとか。
また、米に比べ冷害や干ばつに強く、飢饉の非常食として最適。天保の大飢饉から多くの人々の命を救ったのも、このヒエだった、そうです。
日本を代表的する山野草で、古くから多くの詩歌に登場しています。
漢字で書くと「竜の胆(きも)」。これは竜胆(りゅうたん)という生薬があって、その原料にリンドウが使われていたからだそうです。何か苦そうですね。
花は、盛夏から秋口にかけて、日当りはいいけれどもムシムシしない、峠とか高原などの風通しのいい土地に咲きます。
日本にそういう土地が少なくなったためか、野生で見かけることは、まずなくなってしまいました。そのかわり、ホームセンターの園芸コーナーに、いっぱい置いてあります。
オニヤンマのことを魚沼地方ではそう呼ぶ。
これは加賀千代が最愛の息子を亡くした時に詠んだ句だそうです。
「おぼこ娘」「いなせ」「とどのゆまり」――この三つの言葉の語源は同じだそうです。それはボラ。
8月初旬、海辺の町では、小魚の大群が掘割にまで昇ってくる時期があります。
アユ? いや違います。
オボコです。今年生まれた1年魚。
また、ちょうど今の季節、河口でハゼ釣りをしてると、3~40センチの魚が背を反らせて水面を跳ねるシーンに出くわします。
威勢が良くて、あちこちで乱舞している日もあります。
これがイナで、2年魚。
東京湾に多かったのでしょう、威勢のいい江戸っ子のことを「いな背」と呼びますね。
3年魚がボラです。
普段は沖合で生活しているそうですが、夕暮れ時には岸辺に回遊してくる、という話は聞いたことがあります。
冬場は寒ボラといって、刺身にするとタイと変わらぬ味がします。
このボラが大きくなったのがトド。中にはメートル級のものも。
晩秋、魚沼では小雪のちらつき出すころ、トドは大群となって再び沿岸に押し寄せます。
油がのりすぎて目が見えなくなったために、防波堤に大挙して衝突するシーンを目にしたことがあります。
まるで集団自殺。
これは釣れません。ヒッカケで捕ります。もう食べられませんが、卵をカラスミにするため。
というわけで、
この魚は、オボコ→イナ→ボラ→トドと名前を変える出世魚です。
オボコ娘もとどのつまりは、食えないバアさんになるということ、
ですね。
でも集団自殺と思ったのは間違いで、その後遠海に戻り、そこで産卵するそうです。
夜行性で、昼間は人家に近い草むらなどに潜んでいるようです。
子供のころ、実家の小山(敷地内のゴミ捨て場)の辺りでよく見かけました。
盛夏が過ぎて、夜になるとコロコロ鳴く。秋の到来を感じたもんです。
日本の唱歌には夕べが多いですね。
魚沼で山寺の雰囲気があるのは、塩沢の泉盛寺(右図)あたりかな?
ここに登ると、段丘の向こう北東の方に、うっすら八海山が見えますよ。
ヨイマチ草、マツヨイ草とも。
そう言うと、「いや違う。マツヨイグサのうち白い花が月見草で、赤いのが夕化粧(ゆうげしょう)、黄色いのが宵待草(よいまちぐさ)」と、反論する学者さんもいるようです。でもあまり行き渡っていないようです。月見草でいいじゃん。
南米原産で、観賞用として日本に入って来たのが江戸時代。
これが野生化、帰化するわけですが、いわゆるパイオニア植物として、新しい環境にどんどん適応していく。例えば工事現場とか、造成中の駐車場とか。
その意味ではセイダカアワダチ草に似ているんですが、他の植物が生えてくると姿を消すので、セイダカアワダチ草のように嫌われることもなかったようです。
大正期、竹久夢二が例の詩歌のタイトルに使ってからは、外来種のイメージが消え、むしろ日本的な花としてもてはやされているようです。
和製レモンという感じの香酸柑橘類。
徳島県が原産地だそうですよ。
カボスとどう違うの? 知らんがね。ただカボスの原産地は、大分県の臼杵(うすき)市。
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6月と言えば、ジューン・ブライド(6月の花嫁)。
ヨーロッパではこの月に結婚するカップルが多いそうです。
それは3~5月と忙しく、6月が農閑期になるためらしい。。
その後、6月に結婚すると生涯幸せな夫婦生活をおくることができる、といわれるようになった。
日本でも、今は6月に式を挙げるカップルが多いようですね。
梅雨時だけれども「雨の花嫁」また、情緒があっていいかも。
近くにある結婚式場の門塀をおおうツタが、星屑のような小さな白い花をつけていました。
5枚の花びらは少しねじれていて、ちょうどインペラ(羽根車)のような形です。
今日は「きんぬぎついたち」。
「きん」とはたぶん「きぬ(衣)」の意、そこから衣替え。
ヘビの脱皮殻もキンといったが、おら土蔵に棲んでいた青大将も、ちょうど今ごろ脱皮、つまり衣替えをした。
雪国の魚沼地方では、まずお目にかかれない常緑高木。
この時期、花を開きます。花には見えないけど・・・。
南(四国、九州)に行くほど多くなり、このあたり(四日市)もけっこうあります。人間好きなのか、公園や街路といった人の行きかうところに多く生息しています。ことに神社仏閣が好きなようで、この木を「ご神木」としているところも多いようです。
アニメ『となりのトトロ』に出てくる「天まで続くナンジャモンジャの木」――あれは楠だそうです。
十二支かるたには、鳳凰(ほうおう)の止まる木として登場しますね。
下駄や箪笥の材料として重宝。
城内でも昭和30年代くらいまでは、女の子が生まれると、屋敷内とか裏の畑などに、この木を植えたもんです。嫁に行くとき、この木で箪笥(たんす)を作って持たすため。
小梨といえば上高地の小梨平。
その上高地では、今日3日が「ウェストン記念日」だそうです。
私は「ふう」と呼んでいるのだが、正しくは「ほう」。「ふう」は別途、楓と書く樹木が存在します。
でも私的にはやっぱり、この植物は、子供のころ呼び慣れた「ふう」なんです。かたくりをカタッコウ、すいばをスッカシと呼んでいるように。
それだけ、この花に対する思い入れが強いのでしょう。
春になると、山腹の比較的低いところに白く大きな花を咲かせます。近づくとあたり一面、強烈な芳香が漂います。
今住んでいる西日本ではまず見ることができない、北国の花、故郷の花です。
きょうは「虫歯予防デー」でしたよね。
6(ム)4(シ)の語呂合わせですね。これが「〇〇の日」を語呂合わせで決めるハシリだったんじゃないかな?
ハシリなればこそ、ウイットな(気のきいた)言葉だった。
ところが、いまネットで「今日は何の日だろう?」と調べると、もう毎日、このての語呂がごろごろ。
ちなみに明日は6・5(六・五)でロクゴ→ラクゴ(落語)の日。
ここまでくると、2番煎じどころか365番煎じ、という感じ。
、
茎を引き裂くと、(吊った蚊帳に似た)四角形ができるので蚊帳吊り草。
この草は、田んぼの代表的な雑草で、そのしぶとさたるや並じゃない、都会のコンクリートの割れ目なんかから芽を出しているのを見ることもあるけど、たぶんそこは昔、田んぼだった場所。
マンションの植込みを、時々を剪定(せんてい)したり、雑草を抜いたり)しているヒマなおじさんがいたのだが、今年は見かけないなあ。
そのためか、雑草に交じってうしはこべが咲いていました。
君は野に咲くあざみの花よ 見ればやさしや 寄れば刺す
――という都々逸があるけれど、花はきれいなんですが、いかんせんトゲがある。そのはず、あさみの語源は古語のあざむ(=傷つける、驚きあきれる)。
若芽は食用になる。でも若芽にだってトゲあるよね。
根も食用になって、「山ごぼう」の味噌漬けは、実は栽培されたモリアザミの根だとか。
蛙葉(かえるっぱ)ともいう。
よく二本の茎を交互にして引っ張りっこをして遊んだ。
でも。茎を構成している繊維が強靭で切れない。
だから、引っ張りっこというより擦(こす)りっこ。
茎が空を向くことから空木と書く。
花を卯の花といい、旧暦4月はこれからとって、卯月。
咲き始めは純白だが、だんだん赤が混じり、遠目にはきれいなピンク。
オラほうでは、ちょうどボコサマの「春ご」のころ、
「裏ン山」から「じけ(集落名)」につながる山すそで、よく見かけた。
トンプク、ケロリン、セメン圓、救命丸などの文字が読める。
薬売りがサービスにくれた
かっこうの親は子育てをしません。よしきりの巣に卵を産み落とすそうです。
そうとは知らずによしきりの母は――
例えば自分が四つの卵を産んだとすると、いつの間にか五つに増えているわけですが、五つの卵を暖めます
そして五羽のヒナがかえります。
一羽だけ大きいヒナで、これがかっこう。
こいつがエサを独り占めし、どんどん大きくなる。
そして、順次、よしきりのヒナを巣から追い落としていく。
巣立ってからもこうしてエサをねだります。
自分の何倍も大きくなったよその子に、母は必至でエサを運び続けます。
悲しき母性。
雨が似合う白く清楚な花。
十薬、白十字と書いてドクダミと読ませているようです。
10の症状(はれ、虫刺され、切り傷、洗眼、駆虫、皮膚病、胃腸病・・・など)に薬効があるとか。
正しくは毒痛(どくいたみ)。
北アメリカ原産の帰化植物で、大正時代の中頃に観賞用として日本に入ったと言われている。
都会を中心に見られたが、日本中に進出し、魚沼でも梅雨時の道端はこの花がずっーと並んでいる。
侵略的外来種として嫌っている人も多いそうだ。
ハリエンジュとも。
アメリカ原産で、明治期、日本に入り、札幌の街路を飾ったのがはじめとか。
当時は明石屋と表記されていたそうだ。
戦後になり、アメリカでいうアカシアは別物だということがわかり、ニセアカシアと命名され直した。
ニセというのもねえ・・・植物にニセもホンモノもないと思うが。
駅へ向かう途中、道路と駐車場を区切る鉄柵に、ヤブカラシが絡み付いていました。
藪(やぶ)でさえ枯らしてしまうのでそう命名されたそうだが、こうして見ると寄生植物ではないね。ツタのようなもんだろう。
であれば、都市圏の緑化に利用できそうな気がしないでもない。
でも。家の庭はまずい。他の植込みに絡み付いて収拾がつかなくなる。
「ヤダー、お前さん。庭にヤブカラシが生えている」
「何ィー、今のうちやっつけておかないと大変なことになるぞ。すぐ田中医院にテレして来てもらえ」
「お医者さんを呼んでどうするのさ?」
「あそこはヤブ医者だ」
ここは10階建てマンションの10階。大都会の高層ビルには比べるべくもないが、四日市では高いほう。
そのベランダに今年も珍客がやってきました。
茜(アカネ)です。
彼らは、梅雨の合間、少し薄日のさすような夕暮れ時に窓の外を飛び交います。
その日、その時間帯だけで、翌日はもういません。
初夏、里でヤゴから羽化したアカネは、夏の間、高原(御在所岳山頂)で過ごし、秋にUターンし、産卵して死ぬ。
――のだそうです。
高原に向かう途中で、わがマンションへ、ちょっと挨拶に立ち寄ったものと思われます。
昭和30年代に入ると、戦後のアメリカ文化は城内の地にまで及んできて、学校の講堂や映画館を借りて、青年団主催のダンス・パアチィが開催されました。
「結」「さなぶり」が済むと男衆や若いもんは夏の出稼ぎに出る。その前に催される娯楽の一夜。
ふつうの青年は、白いYシャツ姿という地味な格好で参加したようです。
でも、旦那衆のご子息ともなると、映画雑誌で見るプレスリーのようなイカすスタイルで参加したもんです。
※結(ゆい)とは、助け合い。田植えなど人海戦術を要する仕事は、大勢が助っ人に集まり、一気に片づけた。
さなぶりとは、このお礼。結に来てくれた人を招きゴッツォをしてもてなす一種の「ふるまい」。
白い上下のスーツに青の開襟シャツ――これぞプレスリールック。
①リーセントに②長いもみあげ。ポマードをこってこってにぬりたくる。50メートル先からも松ヤニの匂いが漂ってくる。この匂いに城内娘はころりとまいる。
②ベッコウ製のサングラス。夜かけたら真っ暗で何も見えない。でも心配ない。こうして鼻メガネふうにずらすからよく見える。
④ハイライト――当時の最先端のフィルター付き煙草。
ただ、旦那衆の子息といえどいかんせん城内の旦那衆、そこは予算に限りがある。したがって足らない部分もある。
⑤ネックレス――ブリキに亜鉛メッキをほどこしたもの。100円で合作(雑貨屋)から買ってきた。
⑥ハンカチ――物干しからトト(父親)のふんどしを外して代用したのだが、ニシメのように黄ばんでいて洗濯してもおちない。これぞ「幸せの黄色いハンカチ」。
⑦腕まくり――もう6月。暑いからこうするのだが、ここんトコがよくわからない。暑けりゃ脱げばいいやんか。
もっとも羽田孜元総理もそうしていたし、息子の雄一郎前国交大臣に至っては最初からちょん切ったものを着ている(冬でも)。
この青年の場合は、腕時計を見せびらかすため。
⑧ベルト代わりの荒縄(あらなわ)――これは上着のボタンを掛ければばバレない
⑨ラッパズボン――足が短いため裾が長すぎた。それでカッカ(母親)からミシンで詰めてもらったのだが、すこし詰め過ぎたようだ。
⑩ぐんそく――軍足と書くのかな? 地下足袋のようなもの。動きやすい。なーに、今日の会場は文化(城内文化=映画館のこと)だから、灯りはミラーボールだけで電気をつけない。だから足元なんてバレやしない。これでもオイラはハイカラなほう。中には3年間はき古したワラジを履いてくるやつもいる。
中学生だった私は、実際のプレスリーなんて見たことがないから、これでも「何ちゅうイカす男だべさ」と、羨望のまなざしで眺めていたもんだ。
NHKのど自慢がラジオで始まったのが1946年。
全国で、この真似をしたのど自慢大会が開かれた。城内でも学校の講堂などを借りて開催された。
「城内一イカスやつ」も、もちろん参加する。
優勝を目指して、裏の畑で練習に余念がない。そのへんで拾ったヒシャクをマイク代わりに。
うしろのオッサン「あれ?、アッパビシャクがなくなった」
泰山木から、原産地は世界遺産にもなっている中国の泰山かなと思ったら、大山木とも書き、アメリカ原産だそうだ。
花は素晴らしいのだが、葉が硬質な上、黒ずんだ緑で、全体的に見ればジジむさい感は否めない。
果実が漢方薬の原料となることから山梔子。
また果実が熟しても割れないため、口無し。
くちなしの実
アヤメとショウブって違うの? 漢字で書くと両方とも菖蒲だけど。
乾いた草地に生えるのがアヤメで、ショウブ(やカキツバタ)は水辺に生えるもの、だそうです(ほんまかいな)。
アヤメとカキツバタの違いも分かんないなあ。今時のこと、ネットで検索すれば一発で分かるんだろうけど、べつに分からんままでもいいと思っています。
分からないから「いずれがアヤメかカキツバタ」なんていう名言が生まれるんでしょう。
春先に、魚沼地方は水仙が沖縄のハイビスカスのように所かまわず咲いている、と記したことがあるけど・・・。
この季節はどこを歩いていても、あおいが咲いています。
下図は新堀新田の十字路の手前(H22年)。
水仙のように群落はなさないが、軒下、川ばた、道ばた、田んぼの畔・・・どこでも見かけます。
もともとは庭花で、それが庭から逃げ出して野生化したもの、と思われる。
村中どこを歩いても、あおいが咲いている風景。
こんなん、全国的にも珍しいんじゃない?
里山の木陰などに咲く山野草。
民家の敷地内に自生することがあります。それも山間部の集落で、都市圏には自生しない。
その意味で、城内あたりはころあい。この前帰省した時には、新宅の台所裏に自生していました。
色は赤紫のものと白とがある。私は白の方が好き、初夏らしくて。
朝開くのがアサガオで、昼開くのがヒルガオ?――いや、両方とも朝開きます
ただ、アサガオは昼になるとしぼむけれど、ヒルガオはしぼまない。
――のだ、そうです。
観賞用として栽培されているアサガオに対してヒルガオは雑草扱い。
でも、いかにも造られたという感じのアサガオの美しさ(大輪や筒白のように)に比べ、ヒルガオには野生の素朴な美しさがあります。
この花の花期は長い。
今の時期から、晩秋、霜の降りるころまで咲き続ける。
ハンミョウのこと。
道の真ん中に小さな虫がとまっている。
「よーし、捕まえよう」と、近づくとパッと飛び立って、数メートル先におりる。そこで待っている。
「よーし、今度こそ」 また飛び立って数メートル先へおりる。
これを繰り返して、道案内をしてくれるので、「みち教え」と言われるそうです。
じっさいに捕まえてダメ。
毒があって、伊賀忍者はトリカブトとともにこれを毒薬の元に使ったとか
水辺に群生する茅(かや)に似た植物。
神の宿る草と言われています。
根っこはフナの産卵場所にちょうどいい。
それから今、健康サプリが大ブームですが、このマコモこそ、カルシウム、ビタミンB群、亜鉛 ケイ素、SODという酵素等々(何が何やら私には分からんけど)を含んだ夢のスーパー健康食品だそうですよ。
鎮守横の湿った杉林に生えていました。
茎に紫褐色のまだらな模様があり、その模様がマムシに似ているところからまむし草。
食べると口中からのどまでに激痛がはしり、唾を飲み下すことすらできないほどだそうです。
私は植物を差別化しない方だけど、この草だけはオトモダチになりたくないね。
稲架木と書くのかな?
名前の通り、刈り取った稲を掛ける木。ハッテ用。
農地改革前(昭和40年代)の魚沼地方の田んぼ道には、この並木が必ずあったのだが、改革後は姿を消したようです。
これは田型といったかな?
転がすと、平面に縦横の筋が入る。
それにそって、苗を等間隔に差し込む。
「結ぶ」と書くから、助け合いと解釈したい。
田植えのような人海戦術を要する仕事は、親類縁者が集まり、一気に片づけた。
自分のところが終わると、今度は来てもらった人の家に行き、その家の田植えを手伝う。
初旬がピークで、15日ごろまでには終わる。
現在は、田植えは1カ月ほど前に終わり、もう稲が伸びて、水田の水を切るころですね。
腰が痛えなあ。
右下に吸血鬼ひるが忍び寄っている。
こんなもんに吸いつかれたら、たまったもんじゃない。
花(蕾)が鳴子状に垂れ下って付くことから、そう名付けられた。
若芽は食べるとぬめりがあって、山菜の女王と言われるそうです。
※鳴子は楽器。高知の「よさこい鳴子踊り」に使われる。更にそのもとは、穀物を野鳥から守るために、糸に竹筒をつるして音が出るようにしたもの。
バラの仲間。
この植物の名前を知ったのは映画『網走番外地』。
遥か、遥か、彼方にゃオホーツク
赤い、真っ赤なハマナスが
海を見てます、泣いてます
――だったかな?
尚、ハマナスは「浜の梨」が正解で、「茄子」じゃないそうです。でも「浜茄子」と書くよね・・・まあどっちでもいいけど。
図は湯沢で見つけたハマナス。でも湯沢には自生しない。だからたぶん、園芸用に品種改良したものを、コメリ(ホームセンター)の園芸コーナーで買ってきて植えたもの、だと思います。違うかな?
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花、なんて美人を形容しますが、これらは日本の固有種だそうで、
同じ美人でも日本美人ということになるのでしょうね。
ところで、ぼたんとしゃくやくは見た目、その違いがわかりませんよね。
しゃくやくは草、ぼたんは木と覚えておきましょう。
庭のサンショウ(山椒)の木に実がなりました。
この実が茶褐色に熟れてはじけるのは秋ですが、1本、庭木に植えておけば1年中楽しめます。
まず春先は、木の芽味噌や木の芽田楽に。
梅雨時は筍との相性が抜群。別に筍でなくても、煮物や吸い物に葉を一枚浮かせば(右下図)味がピリッと引き締まり彩りもいい。
夏場はウナギのかば焼きに。
あるいはじゃこと混ぜたちりめん山椒や、佃煮。
さらには七味唐辛子には欠かせませんし、木はすりこぎになります。
このようにとサンショウは日本人の生活にすっかり溶け込んでいますが、そのはず、サンショウと人との付き合いは古く、縄文遺跡からさんしょうの実が出てきた、なんて例があるそうです
山の緑、木々の緑、水田の緑・・・6月の城内は緑の風がさわやかでした。
※これは、生家裏から見た八海山の写真にカモシカのイラストを張り付けたもので、実写ではありません。
帰省中だった私は、朝、生家の縁側で一服していました。
すると、
「カモシカが出た。裏から雑堀(ざっぽり)を下ってみろ。(カモシカは)じっとしている」
と、新宅の旦那が教えてくれました。
私はさっそくカメラを持って、家の裏から「タガドンの橋」を渡り、堀沿いに下って行った。
すると確かにいました。
じっとして動かない。
でも腹部のあたりが脈動している(つまり呼吸をしている)。
生きている証拠。
日時
平成26年6月10日、朝6時ごろ。
場所
藤原雑堀(ざっぽり)の「下の橋」付近(地図の赤丸印)。
第一発見者
喜八のジーサマ(と思われる)
状況
上流の方で堀に入ったか、落ちたかしたカモシカが、堀に沿って下って行くうちに、堀から出られなくなった(ものと思われる)。
この堀は、下流に行くほどに幅が狭まり、その分深くなる。
両サイドはコンクリートの壁状なっており、この季節、水かさが多いこともあり、大人でも中へ入ったら、岸へ這い上がるのは至難。
さらに「下の橋」の10メートル程上方に堰(せき)があり、小さいながらも段差(滝)になっている。
カモシカは、この堰の前で立ち往生していた。
私が知っているのはここまでで、以下推測するに――。
展開
連絡を受けた区長さんが堰に近づくと、カモシカは方向転換し上へ向かって逃げた。
しかしすぐ(さらに10メートル程上方で)疲労のためか動かなくなってしまった。
近づいてみると、腹部が波打っている。
生きている。
でもこの辺りは、堀の深さにプラスすること足場が悪いこともあり、一人で岸に引きずり上ることは至難。
そこで区長さんは警察へ通報。
カモシカ救助対策本部を設置。
区長自ら本部長に就任(といってもメンバーは2,3人と思われる)。
「下の橋」付近で待機すること小一時間。
警察がやってきて、いよいよ救出作戦の開始。
しかし、その場へ行ってみると、もうカモシカの姿はない。
岸へ這い上がることは不可能なわけだから、堀の上流を目指したと思われる。
そこで区長さんは堀沿いに歩いて。
他のメンバーは、パトカーを先導に集落内の道路を――。
「上の橋」で合流。
「上の橋」辺りにもう一か所、堰があるのだが、そこにもカモシカはいなかった。
すると、これを超えてさらに上流に行った。
この上流ならば、脱出場所はいくらでもある。
つまり無事、山へ帰った。
そう判断して、本部は解散。
普段は何もない、まったく何もない山間の集落の、ちょっとしたできごとでした。
余禄
話は変わりますが、今回ロクブ御大と話す機会を得ました。
ロクブのバサ(先代)の方は、うちのお袋と仲が良く、いつもサベッチョ(おしゃべり)のため、相互で行き来していたようですが、現御大とはたぶん初めて。
面白い方ですね。
だから、ああいう息子ができるんだろうなあ?
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クレージー・メイです。
ただ、これを「気違い5月」と訳すと,なんかいやな感じ。 「酔狂(すいきょう)な5月」と訳すと、なんか愉快な感じ。
ふるさと城内では、この季節、2、3、4月の花が一度に咲き、百花繚乱(ひゃっかりょうらん)のことでしょう。
それから新緑。その枝に風が吹き抜ける。風が光る。小鳥たちが酔狂に歌う。足元ではテントウムシがサンバのリズムにのって踊りだす。
今夜も戸外からクレージー・キャッツ(気違いネコ)のクレージー・ラヴ(気違い恋)の声が聞こえてきます。
るっせーな、もう! バカネコどもが、さかりづきやがって。水、ぶっかけたろ。
でも、ネコにしてみれば――、
そんなこと言わないで。アタシたちネコにとっては一年一度の恋なの。だから大目に見てよ。
アンタら人間なんか365日、朝な夕なにさかっているやんか。
――と、なる。
他の部落は知らないが、藤原では各家を順繰りの会場として、子供は甘酒、大人は酒の飲み会だった。
時期的にはまだ早い、ウドだの山菜がこの日の為に持ち寄られた。子供の時、そのありがたさが分らなかった。
酔っぱらうと決まってひらを切る(自慢話をする)オヤジが、約1名いて皆のひんしゅくを買っていたが、そういうことはどこにも有って、今から思うとご愛敬か(雄)。
ナズナの別名。
種の形が三味線のバチに似ていることから、そう呼ばれているのだそうだ。
(林檎の花咲く街・上原賢六詩)
ネットで懐メロを聴きながら作画していたら、こんな歌が流れてきました。
今日は憲法記念日
静御前(しずかごぜん)の舞姿にちなんで命名されたと聞くが、このとびっきり優雅な名前を持つ花はいったいどんなに美しいのだろう?
そう思っていたが、図鑑で見てアレレレ・・・。
これって確か、子どものころ、杉っ葉拾いに行った時に林の薄暗いところで見たような・・・。特に珍しくも美しくもない、ただの雑草。
どこか静御前なの?
そのことはずーっと忘れていたのだが、最近になって熊堂(湯沢)で偶然、この花と再会した。
4枚の葉に囲まれた形で茎が立ち、先の方に火花を散らしたような白いものがついている。これはオシベで、花びらもガクもない。たったそれだけの、はだか花。
だが、すべてのアクセサリーをそぎ落とした居住まいには、寂しい中にも凜(りん)とした気品を感じさせる。――ようにも見える。
もしかしたら静御前も、私が想像していたようなハデハデ美人ではなく、楚々(そそ)たる美人だったのかもしれないね、この花のように。
きょうは、みどりの日。
※すぎっぱ。火を起こす時、マッチと柴木の伝導材に杉の枯葉を使った。キャンプでよく新聞紙をぐしゃぐしゃにして火を付けるが、あの新聞紙の役割。
なんていう川柳が新聞に載っていたことがありました。
心痛みますね。
今年(H23)のゴールデンウィークは寒かった。
おかげで、街路のつつじがまだ咲き続けている。
あの朱色の山つつじの方は、これから・・・。
中の豆を抜いてサヤだけにし、ピーと鳴らす。
草笛ならぬサヤ笛。
皮をつけたまま、茎を交互に折ってつくっていく。酸味が強烈で、食べすぎるとアッパッタレ(下痢)になる。
園芸種でポピーというのが、この花のことかな?
けっこう強い草みたいで、乾燥した道路脇などに自生しているのを、よく見かけます。
それから、いつの間にか庭に忍び込み、そこで花を咲かせている、なんてケースもありますね。
夏目漱石に『虞美人草』という小説がありますが、その虞美人草がこの花の別名。
花言葉は「恋の予感」だそうです。
北アメリカ原産。日本に入って来たのは100年前。当時の東京市長・尾崎行雄が、ワシントン(アメリカ合衆国)へサクラ(ソメイヨシノ)を贈った際、その返礼として1915年に贈られたのが、このハナミズキだそうです。
現在は街路樹、庭木、公園樹と、町中いたるところに見られます。春、桜が散るのを待ってたように、この花が町中を鮮やかに彩ります。
でも、花に見えるのは葉の一部・総苞(そうほう)で、花そのものは真ん中の目立たない塊。
きょうは母の日。
母の日にちなんで、いつか読んだことのある、こんな作文を思い出しました。うろ覚えだから、文面もタイトルも違っているかもしれません。
『作文集・昭和の子供』より。
先生
ことしは「お母さん」というだいの作文かかしたらあかんよ。
きょねん、キミちゃん、こっそりないていたんやで。
だって、キミちゃん、お母さん おらんさかいに。
先生、
きょう いちにち、キミちゃんのお母さんになってやりい。
そして あたまごと ぎゅーっとだいてやりい。
先生のこどもたちには うちからたのんであげてもええよ。
田打ちや、代(しろ)かきを牛馬を使ってやっていたころ、土の中から出てくる虫などを食べるために、あとからサギがついて回った。
城内にいたころには見た記憶はないが、元々サギの多い三重県では機械化された現在もこんな風景が見られる。
これを目にしたのが1週間ほど前。
きのう同じ場所を通ったら、もう田植えが済んでいた。
確かにサギは見なかったが、代わりにモズが集まって来た。耕運機で掘り返した後の、主にケラを狙って。
春耕では強烈な思い出が有る。我が家では牛の飼料に水田の裏作として牧草を作っていた。春耕の前にそれを刈るのだが、農協から草刈り機を借りて刈ったところ、後にブツ切れになった蛇が何匹も出て来た。未だ生きて動いているのも居た。
鎌で刈っていた時には気配を感じて蛇も逃げる余裕が有ったのだが、密集した草の中、春の陽気を楽しんでいた蛇に、その余裕が無かったのだろう。(雄)
前肢で土の割れ目などをかき分ける性質があるようです。
そっと握った状態でいると、手の中でこの運動を始める。
これがくすぐったくて、ヘンな気持ち。
去年の今ごろ、こんな意味の文が、毎日新聞の投稿欄に載っていたような記憶があります。
(句も文もかなり違っている、と思いますが・・・)。
がんの終末期を宣告された夫は、最後を自宅で過ごすため、家に帰ってきた。
庭には夫の好きなシャガが咲いていた。
1か月後、夫はその生涯をとじた。
不思議なことに、その日、庭のシャガがみんな散っていました。
陽気に誘われて、三滝川の土手から川原へおりてみました。
何の花か匂ってきます。
どうやら野茨のよう。
へえー、白色無臭の花だと思っていたが・・・。ふっくらとした淡い香りです。
梅雨入り前のほんの数日間、いっせいに白い花を咲かせる。
花びらは一枚一枚散ることなく、四枚くっついたまま、ポトリと落ちる。
よく小さな女の子がこれを拾い、オオバコやクローバーの茎に通し、王冠や首飾りなどをつくって遊んでいた。
(みずかみ かずよ)
じっさいにこの花を見たのは、青年時代、美ヶ原から三城牧場に移動した時に、途中でその群落に出会った思い出があるだけ。
この「乙女の涙」のような清楚な花も、北海道のある地方ではベコまたぎ(牛もまたいで通るまずい草)として敬遠されているとか。
別名・ねこじゃらし
歌詞は、たぶん五木ひろしが歌っていたと思うけど『千曲川』。
飯山線の車窓から映した千曲川の写真と、わすれな草を組み合わせて、絵にしてみました。
「ぼこさま」って新潟県の方言だと思うけど、長野県とか山形県でも通用するみたい。
もっとも「おんごさま」だったか?「おごさま」だったか? 発音は違うけど。
御子様と書くんだろうか。違うかな?
内緒だけど、画家・中島潔さんの絵をまねてみました。
各地でやな開き(あゆのつかみどり)が伝えられています。
浦佐のやな場はどうですか?
養蜂業という職業がありました。いわゆるハチミツ採取。
幌馬車に巣箱を積んで――
九州の菜の花に始まり、レンゲ
本州に渡ってはミカンの花
いまごろは、奥羽山中のトチの花
最後は北海道のクローバー
――を求めて、ミツバチと一緒に旅をする。
ずいぶんロマンティックな仕事だが、いまでもそんな人、いるんだろうか?
いちごの旬は、初夏。
初物にべらぼーな値がついた時代があった。マツタケ、カツオ・・・そしてこのイチゴ。
もう30年も前の話だが、一皿14万円、一粒あたり1万4000円のイチゴがあったそうだ。食べたのはアラブの大富豪。
昨今は年中ハウス物が出回っているので、いつが初物かわからない。
形もいいし粒も大きいが、ろう細工みたいで野趣がない。
湯沢の立柄橋の向こうでは、冬場、いちご園をやっている(行ったことはないが)ようだ。
雪の中(のハウス)で栽培されるところが売り、ということか。
外は真っ白な雪、中は真っ赤なイチゴの実。なるほど対比がいい。
で、かんじんの味はどうなのだろう?
行った人に聞いたら、
ほうばった時に値段を聞いて(一粒何百円だったかな?)もったいないので慌てていったん口から出し、二度分けして食べた。
そのせいか、味なんてわからなかったなあ、と言っていた。
ビユはヒユで、植物の種類名のようだ。
スベリヒユなんて野草がありますね。あの仲間。
ぎしぎし(羊蹄)または、うしぐさ(牛草)というらしい。
そったら名前は知らんかったなあ。
オラほーでは、どうずっかしという。
山菜のうわばみ草(ミズ)の通称がカタハだそうです。
でも城内でカタハといえばキノコ。ヒラタケの一種で、薄ヒラタケのこと。
杉の腐木なんかに生えるのかな?
汁の実よし、三杯酢よし。木の香りがツーンとして、いかにもキノコらしい味わいがある。
ところが、もう10年以上前だったか、これを食べて中毒死した人がいて、以降、毒ギノコに指定され、今じゃ食べる人はいないらしい。
でも、それって魚沼近辺だけの話じゃないかな。
たぶん、このネットで「ウスヒラタケの料理法」とでも入力して検索したら、ちゃんとレシビまで出てくるんじゃないかな? つまり全国の人はパカパカ食べている。
わらびのおひたしにトロロをかけたもの。
出回りだしたころの耕運機。
昭和30年代、はじめか?
それ以前は次。
牛馬を使っていた。
先導役をハナットリ(鼻取)といい、小学校高学年になるとこの役をおおせつかった。
イタドリ料理を食べたことがあるけど、ゆがくと茶色に変色し新鮮味ゼロ。食感も柔らかいというよりブヨブヨという感じで、うまくなかったなあ。
やっぱ、スッカンボは学校帰りの道草で、丸かじりするに限る。でも、しょう酸が含まれていて、食べすぎるとアッパたれ(下痢)になる。
春先の花、秋口の果実、晩秋の紅葉と、四季折々楽しめるため庭木に多い。
「金は貸し(樫)ても借りん(花梨)」の語呂から、表にカシノキ、裏庭にカリンを植えると商売繁盛するそうです。
また、湯沢(魚野川べり)には、このカリンとサルスベリが交互に植えられている並木があります。
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懐かしいな。
子供の頃、オラしょ(家)の斜め裏がエンキョ(屋号・岡村性)で上原の鎮守様の横の家だった。
鎮守様からコウエン墓の森に向かう道の入口を挟んだ左側の家と言った方がわかり易いかな?
そのエンキョ(多分「隠居」の事とは思うが確かめた事は無い)のショが家の前の畑(オラショの真後ろ)で毎年行う行事がこれ、【十二講】だった。(最も、これが【十二講】である事を知ったのは還暦過ぎて【城内郷土誌】を見て以降だった)
雪面の畑の上に雪で祭壇を作り、祭主(エンキョの親父)が備えものとお祈りをした最後に、
「テッジョウ(天上?)くり、ヤマ(山?)ックリ
XXX XXX・・・何て言っているか覚えていない・・・
スッテンドー~!」
って叫びながら天に向かって弓矢を射る姿が目に浮かぶ。 祭り事はそれで終わるのだが、
「スッテンドー~!」と叫ぶ前の「XXX XXX・・・・」の言葉、覚えて居ないのだが、何だかかなり“H”な内容だった様な?気がする(Q)。