城内に生まれてもう少しで古希、定年後は田んぼと畑で農作業の毎日です。

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4/30 トミオカホワイト美術館に八海山倶楽部仲間3人と分館長、地域づくり協議会会長の5人が集合してスケッチ絵画の貼り替え作業をわいわい言いながら楽しく行なった。

美術館職員の女性が中心になって写真を貼ってもらった。

気になる入場者数をそれとなく聞いたら、新聞掲載の翌日は十数人の見学者が来場したと聞かされた。それを聞いて先ずはホッとした。

これから1年間の長丁場の展示であるので何か工夫しなければと考えているがなにをすればいいのか今のところ思い浮かばないでいる。

そんな中、丁度タイミングよく「城内さんぽ」コーナーの対面の壁に八海山倶楽部仲間の昇さんの写真が展示された。

主に八海山の写真であるが田んぼの水面に映った対の八海山も美しく撮られていた。 

ここには4月まで新堀新田の若井健一さんの写真が展示されていた。 

先ず、4月からの「やまびこの歌」中手原、広堀、山口のスケッチ絵を皆で剥いだ。       IMG_2591.jpg     

壁にピンで四隅を止めてあったものを抜いて行った。        IMG_2592.jpg

5月の展示地区は「しゃぼん玉の歌」長森新田と「じぞうさまの歌」麓を展示した。 じぞうさまの歌で分館長をスケッチしたのがすぐに分かった。               IMG_2593.jpg

皆で配置を考えながら、絵とコメント片を会わせながら張った。        IMG_2594.jpg

職員が水平器を絵に沿えながら縦横を確認しながら決めて行った。手なれた作業だった。   IMG_2596.jpg

5月から八海山倶楽部仲間の昇さんの写真が展示されました。    IMG_2598.jpg

ロビーに八海山の雪絵(雪形)の写真が置かれていた。 昔から語り伝えられている雪絵で農耕作業の目安となっているものもある。  IMG_2599.jpg

私の知っている「裃の武士」と大きな「ペンギン」の雪絵も追加したかった。  IMG_2600.jpg

ヒバの木? 根が長く広がって地面に出ていてめずらしかった。       IMG_2588.jpg

たまにはゆっくり時間を取って芝生のお庭で椅子に腰かけて若かりし頃を思いながら八海山をスケッチしたいものですね。    IMG_2590.jpg

5月の展示地区は長森新田、麓です。      image2.jpg

 

 

 

 

 

新潟日報に妙音寺の白山神社の「大きくなる石」が掲載されていた。

ミステリアス的に取り上げられていたので一度は登って拝んで来たいと思っていた。

運よく妙音寺出身の同級生に案内していただき内孫と3人で登って来た。

白山神社の御神体の大きな石H27-10-8IMG_0111.jpg

小さな石を持っていき大石に置くと年ごとに大きくなると言い伝えられている。小さい頃はこの石の周りを回られたが今は無理とのことだった。H27-10-8IMG_0119.jpg

小石を持って行き御神体に供える。H27-10-8IMG_0112.jpg

妙音寺区上手から参道を入ると林の中に水神様の手水鉢があった。清い水が流れていた。昔はスイカなどを冷やして食べたようだ。IMG_0098.JPG

手水鉢を通り過ぎると小さな社があり、その脇に小さな境内があった。猫の額ほどの広さであるが戦後の30年代に若き浪曲師・南條文若、後の三波春夫がここで興行した思い出の場所があった。 そこを過ぎると前に147段の石段が一直線に伸びている。H27-10-8IMG_0102.jpg

147の石段を休憩しながら登り切ると。今度はスギ林の中を登る。H27-10-8IMG_0104.jpg

途中の大きなブナの木に昔の子供達が刻んだサイン跡があった。H27-10-8IMG_0106.jpg

同級生が奉納した剣が飾ってあった。H27-10-8IMG_0117.jpg

この白山様は城内で一番高い場所にある神社と聞いた。ブナ林がまだ低かった頃は眼下に城内の村々が一望できた。眺めが一番素晴らしかった。北向きの斜面には山菜が一杯自生していたようだ。 H27-10-8IMG_0128.jpg

村内の中ほどから山手側に入って行くと森の中に「妙音比丘尼」”みょうおんびくに”の石碑があった。遠い昔のロマンに思いを馳せた。H27-10-8IMG_0157.jpg

城内の中でも知られていないホットスポットの一つである。地元出身の同級生の昔の話を楽しく聞きながら「大きくなる石」を拝んで来ました。

 先日、山菜採りに八海山に行った帰りに八海神社参道入り口で真新しい寄付金の立て看板が目に付いた。車を止めて写真を撮った。
 三代目の三枡京昇の顕彰碑が新たに建っていた。
 以前、このサイトで掲載したのが二代目の三枡京昇顕彰碑であった。
 説明は「新編城内郷土誌」から引用しました。

 

村山清子(三代目三枡京昇)は昭和22年に生まれ、二歳から舞台に立つ。現在は沼田に在住し五十沢、塩沢、小出、佐渡の歌舞伎保存会の指導に当たっている。去年、市民会館で歌舞伎を行ったのを見に行った。三代目が最後に挨拶をした。

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 真新しい寄付金の立て看板には同級生の名前もみられる。1-IMG_8739.jpg

二代目三枡京昇顕彰碑 六郎は三歳から舞台に立つ。養子縁組し村山六郎となる。S50年に引退公演を城内小学校山口分校のグランドで興行された。3-IMG_0370.jpg

初代三枡京昇顕彰碑 明治初期に山口(明川新田)から二日町に移住した髪結の上村家の長男清八郎として生まれた。5-IMG_0373.jpg

先日、山菜採りを兼ねて中手原の開墾地のあたりをうろちょろして歩いた。木の芽が少しあったので摘んで来た。ゼンマイやワラビなどは見つからなかった。

そもそも、この歳になって初めて山菜採り行ったので山菜が何処に出ているかさっぱり分からなかった。私の地区は山手から大分離れているために滅多に山に入る機会がなかった。里山が近くにあれば、足を踏み入れる機会もあったのだが残念である。

昔、母親が良く五十沢の山に入って山菜を採ってきた時があった。その頃は母親の送り迎いに行ったくらいであまり山菜採りには関心がなかった。

定年退職してからは暇が出来て、今まで時間がなくて出来なかったことや季節に合ったことなどをやって見たくなった。

思いついて、中手原をドンドンと車で登って行ったら、八海山登山口二合目まで辿りついた。

今までの記憶になかった場所であった。しかし、20代の頃、友達と屏風コースを途中まで登ったことがあった。

この道を通ったのだと思った。

7-八海山登山口二合目の駐車場、車はここで終点となる。左が屏風道コースで千本檜小屋まで3.9km、下りは山口里宮まで2Kmと出ていた。7-IMG_8664.jpg

8-屏風道コース入口。20代の頃、このコースに挑戦したが覗きの松の手前でリタイヤしてしまった。8-IMG_8636.JPG

 

10-入口から少し進んで屏風沢に降りる。雪融け水が冷たかった。100m先に砂防ダムが見える。10-IMG_8642.jpg

11-砂防ダムまでの登山道の脇に咲いた白い花。アズマイチゲか?、白くて綺麗だった。11-IMG_8643.jpg

12-屏風沢に掛かる砂防ダム。カラフルで立派なダムだった。この下流にもう一つ大きな砂防ダムがある。60年近く前に小学生の遠足で見学に行ったような記憶がある。

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9-砂防ダムから採った豊富な用水が中手原の田畑を潤おす。先達の霊神碑が祀られていた。9-IMG_8647.jpg

6-少し下った旧南越鉱山入口。立ち入り禁止となっていた。

6-IMG_8661.JPG

 

5-紫の藤が木に絡んで高く伸びていた。八海山を背に綺麗だった。この付近で木の芽を採った。5-IMG_8627.jpg

4-下った処に南越鉱山中手原見張所があった。この場所より上部の原野が鉱山跡となっていた。4-IMG_8666.jpg

3-小さな池に二羽の鴨が泳いでいた。3-IMG_8617.jpg

2-上と同じ場所。中手原開墾上部にある自然公園。ビオトープ池に鴨が二羽仲良く泳いでいた。2-IMG_8607.jpg

1-池の付近一帯に水芭蕉の群生があちこちにあった。1-IMG_8604.jpg

上記写真の位置図です。

H27-5-10屏風沢.JPG

八海山登山コース案内板H27-5-14IMG_8706.jpg

 この日は写真撮りに代わってしまった。後日山菜採りに挑戦した。

 屏風道コースの挑戦者のBlogです。大層難儀なコースです。

http://mb923.net/2014/07/08/hakkaisan-climbing-10-2/

 

4/22 快晴の暖かい春の日差しを受けて、麓地区の六万騎山のカタクリ散策に行ってきた。

当日は城内中学の同級生が6人真浄寺入口の駐車場に集合した。少し歩いて、麓の地蔵尊境内から登山を開始した。最初に待っていたのが登山守地蔵尊でした。皆で登山の安全を願って手を合わせた。1-IMG_8073.JPG

地蔵尊を過ぎると急な地蔵坂の階段が続いている。2-IMG_8076.JPG

 頂上手前の平地のカタクリ群生と桜の木。3-IMG_8090.JPG

頂上手前の平地のカタクリ群生。4-IMG_8082.JPG

頂上が目の前になってきた。     7-1-IMG_8100.JPG

頂上(321m)の広い平地には「六萬騎城跡」の石碑が立っている。ベンチも設置されている。眼下を眺めて休憩した。上りは0.5Kで30分くらいのところを1時間掛けてゆっくり登った。ピンクの山桜が満開であった。 頂上より少し下りたところで昼食を取った。    8-1-IMG_8108.JPG

眼下には魚野川に掛かる八海橋、関越高速、麓地区が見える。4-2-IMG_8081.JPG

頂上から一段下った平地のカタクリの群生です。9-1-IMG_8112.JPG 

カタクリの花

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イカリ草

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ツバキ

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下山道のイワウチワ    17-1-IMG_8138.JPG

注意しながら下山して来てやっと見つけた緑色のカタクリです。手前の花。18-1-IMG_8148.JPG

前の緑のカタクリを反対側から写す。18-2-IMG_8149.JPG

出口の庚申搭に下りた。 ゾッキが伐採されて明るくなった。   19-1-IMG_8152.JPG

時間があったので皆で、近くの八海山雪室へ行って休憩しホッとコーヒーをいただいた。  20-1-IMG_8156.JPG

 

 

 

泉地区でのジュンサイ採り

秋の稲刈り時期の最盛期になってきました。

なにか掲載したいと思っていたら夏に撮った写真を思い出して掲載した。

城内全域に無料で配布されている「魚沼へ」夏号の表紙写真にジュンサイ採りが掲載されていた。

てっきり「お松の池」の写真と思ったが城内にもこんな所があったのに驚きました。

早速、近くの泉のジュンサイ池へ行って、写真を撮らせてもらった。

池の周りはアジサイの花が咲いていた。道路からはジュンサイ池があることは分からなかった。

お松の池から株分けしてもらったものを休耕田で栽培したようです。

泉地区の立ち葵1 道路脇に延々と咲いていた。

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泉地区の立ち葵2

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泉(中村)アジサイ1 家の裏の排水路に沿ってアジサイが一杯咲いていました。

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泉(中村)アジサイ2 排水路の両脇の石宮とアジサイ

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八海醸造Kk「魚沼へ」の表紙から借用しました。

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泉のしもむら ジュンサイ採り1 静かなジュンサイ池で手ずくりの舟で採取していました。

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ジュンサイ採り2 棒を前に突いて漕いで前進する。

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ジュンサイ採り3 用水路から綺麗な水が入っている。菖蒲も咲いていた。

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10/29 今日、午後八海山ロープウエ―に載ってきた。山頂駅舎を降りたら、下りを待つ長い行列が続いていた。下りるのが心配になった。

ロープウエ―中腹あたりから紅葉が始まっていた。

山頂駅舎の外は、大勢の人でごった返していた。見晴らし台まで登る人が多かったが私は下りる列の最後に並んだ。

妹の友人連れと一緒であったので、陣取りとして並んだ。周りは美しい黄色のブナ林が続いていた。

ロープウエー中腹はブナ林の紅葉で綺麗でした。H25-10-29八海山ロープウエイー9.jpg

頂上駅舎には降りる人が長蛇の列を作っていた。降りるのが心配だった。H25-10-29八海山ロープウエイー.jpg

駅舎より上の見晴らし台まで登る人が大半でした。ブナ林ともみじが美しかった。H25-10-29八海山ロープウエイー4.jpg

頂上八峰への登山道入口H25-10-29八海山ロープウエイー8.jpg

ブナ林と下山者の列、30分待ち?、今日のロープウエーはピストン運転であった。H25-10-29八海山ロープウエイー5.jpg

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登山道入り口 、入口門と安全絵馬    H25-10-29八海山ロープウエイー7.jpg

登山下山者がここで靴を洗ってから乗る。H25-10-29八海山ロープウエイー14.jpg

ロープウエー内から写す。山の下部はまだ緑でした。H25-10-29八海山ロープウエイー15.jpg

 

 

 

 

 

 

 

田植えの頃に表れる山の雪形を写真に撮って見た。普段は気にもかけていないが、この時期は山を見上げれば無意識になんとなく雪模様を探すことが常となった。

自分の分かる範囲のものしかマークできませんが昔から云われてきた雪形を探すのも面白いものです。徐々に雪形が消えて行くにつれて田んぼの苗も少しずつ大きくなっていくようです。

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6-2八海山雪形かみしも人形.JPG

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「新編 城内郷土誌」から興味が湧いた新田堀に続いて、新堀新田の近くを通る石万川(こくまんごう)について辿ってみた。

昔は、通学道路の途中で渡って、コウエンバカマ?を通って通学していた。(セッカリドウとも言った)そんなに大きな巾の川でもなかった。

昭和40年代に入り土地改良事業が行われて現在の形になった。今はこの石万川は幹線排水路として重要な役目を果たしている。

田崎から始まって、法音寺からの排水、藤原川からの排水、上原新田の排水、下原、泉、泉新田などの排水路がつながっている。

昔から比べれば何倍もの排水路になっている。最後は下原新田の花水橋から泉ビレッジ脇の清水川に合流して魚野川へ出ている。

石万川上8.jpg

石万川6.jpg

石万川排水路には古い橋の名前柱も使われているようです。花水橋、下新橋など。

支流の千溝橋、藤原橋などはどこにあるのか全く知らなかったが歩いてみて初めて確認できた。

石万川排水路は城内の中央からの縦の排水路を扇状地の端で横断して集めている川である。新堀新田の中にもかっては3本の大きな堀が通っていた。飯島川(イイジマゴウ)、新堀(シンボリ)、田川(タゴウ)である。今は排水路として2本が生きている。

この前、「新編 城内郷土誌」が手元に届きました。各集落の歴史や名所などを中心に興味深く書かれていた。その中に「新田堀(土井の堀)の由来」が書かれていた。

新田堀(しんでんぼり)と聞けば、私の住んでいる新堀新田かと思ったがそうではなかった。長森新田への堀であった。なんと今は田崎の山王様の深沢寄りの取水口から採っているが、約370年前にはこの辺に堀を掘った。三国川に堰を作って、田崎、法音寺、上原、長森、長森新田までの約三Kmの長い堀であった。

興味が湧き、今の「新田堀」を自転車で追って見た。田崎の山王様上手の取水口(分流)から始まって、

すぐ山王様の下のトンネル隧道に入り、そこから、開田の田んぼの地下を通り、千溝地区に出ていた。藤原川を通過し、上原川を通り、小学校前の伊藤屋さんの裏から地下に入り上原消防庫の脇を通って、薬師様境内に出て、サイホン方式で宇田沢川の下を通過して、暮坪に出ている。長森新田の田畑を潤おして麓へ出ている。王様  

山王様の裏のトンネル隧道は昭和年代に機戒で掘ったと聞いた。昔の新田堀の掘削に関わる、関係集落との利害関係による争いなど貴重な記録が書かれていた。今も五城土改の幹線用水路として、その役目を脈々と受け継いでいる堀である。一方、新堀新田近くを流れる石万川(こくまんごう)は土改以降、幹線排水路として残っている。新田掘上1-6.JPG

新田掘下3.JPG

この約三Kmの新田堀を追ってみて、昔の人達の水にかける思いがひしひしと感じる。取水口の水量に比べれば最後の麓集落の水量は微々たるものです。田植え時期は小さな水争いも多くあったことでしょう。渇水が少ない三国川水系から延々と引いた昔の人達の苦労が少しは解ったように感じた。

昔もこのサイフォン方式を使ったかは定かではない。上原の人に聞いてみたいと思っている。

 

※ 写真、画像は縮小されています
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