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故郷を離れて既に40年 東京・武蔵野の水辺を中心とした身近な風景と駄文を発信します
 

 

みちのく巡り、至福の9日間

2019年10月31日から11月8日までの9日間、東北を旅してきた。
「東北に入り浸りたい」と言うのは年来の夢で、今まで断片的に足を踏み入れたことは有っても、今回のようにまとめて、しかも紅葉真っ盛りの時期に9日間、幸いにも雨に降られることも無く、下北半島を含め東北一円の魅力を堪能できた9日間は「至福」の一言に尽きた。今回相当欲張ったスケジュールで回った9日間だったが、しかし「入り浸る」と言う程には東北はあまりに広く魅力が多すぎて、それを満喫し尽くすには到底9日や10日では事足りず、又いつの日か、今度はもう少し余裕のあるスケジュールで回ってみたいと、改めて強く思った次第。

 

写真の表示

以下、基本的に回った順にその情景を写真でご紹介します。
掲載してある写真をクリックすると、アルバム形式で写真の一覧が表示されます。その一覧の写真をクリック、以下「前へ」「次へ」で写真を表示して下さい

 

 


 

山居倉庫・鳥海山

山形県のホームページによると、「山居倉庫は1893年(明治26)に酒田米穀取引所の付属倉庫として、旧庄内藩酒井家により最上川と新井田川に挟まれた通称『山居島』に建てられた」とある。12棟の巨大な倉庫群は当時も空調や風よけの為の様々な工夫がされていたが、現在は更に機械設備による空調などにより、立派に現役を務めている。

鳥海山は山形を代表する独立名峰で、鳥海ブルーラインは海抜ほぼ0メートルから1,100メートルの4合目まで一気に登る。只この最頂部付近は今回、周遊期間唯一雨に振り込められた場所で風も強くなり、撮影はおろか散策もままならず、下りの山道での車の横転なども頭をかすめ、早々の下山となった


ブルーライン下山口の近く、秋田県にかほ市の「奈曽川公園キャンプ場」で第1日目の車中泊となった。

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十和田・奥入瀬・酸ヶ湯

言わずと知れた日本でも1、2を争う紅葉の名所。
行く前、既に東北の紅葉には少し遅いのでは? と思っていて、事実標高の高い酸ヶ湯付近はブナが殆ど落葉して、白い幹が坊主になっていた。しかしその手前の十和田・奥入瀬は正に紅葉真っ盛り(もう1日・2日早かったら最高か?)。特に奥入瀬から蔦温泉に至る間は、それまでのクヌギやミズナラ交じりの雑木林から、ブナの純林、それも幹の太さの揃った二次林に変わり、見事さに息を呑みながらの運転だった。

酸ヶ湯の千人風呂に入り、その駐車場で車中泊。

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下北半島

酸ヶ湯から青森に下って、下北半島に入った。
下北で圧倒されたのが仏が浦の奇岩・巨岩。約2000万年前、日本列島が大陸から切り離された時期の、地球の歴史上でも有数とされる海底火山の連続によって火山灰が積み重なり、それが固まった凝灰岩が波や風に侵食されてできた風景。浸食が激しい為、逆に植物が根付かずこの奇岩となったようだ。
海からそそり立つ崖を形成し、海岸に沿っての道路は無く、陸上からのアクセスは国道338から高低差100m徒歩20分程、階段状の遊歩道が唯一。只海岸に沿って展開する長大な全体像を見るには遊覧船など、海からしかなさそうだ。船が泊まる岸壁も整備されている。

大間崎は本州最北端の地で有ると共に、大間はクロマグロの1本釣りで知られる。尻屋崎は下北半島東の突端。灯台と寒立馬の放牧が見られる。車は夜間通行止めのゲートを通って出入りする。牧場内は馬優先。

恐山は着いた時間が遅かった為、中に入るのは諦めて、宇曽利湖脇の広い駐車場で車中泊。

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五所掛け温泉自然研究路

八幡平アスピーテライン、西端入口近くに有る五所掛け温泉に隣接する散策路。オナメ・モトメの噴気孔、紺屋地獄、大泥火山や大湯沼など。1周約40分、足元はよく整備されている。

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八幡平・玉川温泉・乳頭温泉郷

八幡平はアスピーテラインを1周してきたが、標高も高く、この時期車から降りて散策するには寒すぎた。ブナやクヌギ、ミズナラなど紅葉を楽しむコースでもなく、夏場に訪れた方がいいと思った。

玉川温泉はPH1.05の強酸湯が1分間9000ℓ自噴する。どちらも日本一。源泉温度は92℃。
日本で唯一北投石を存し「ラジウム温泉」として知られていて、「末期がんが治った」など、観光より湯治で有名。自然研究路沿いには無料の岩盤浴に浸る大勢の湯治客が横たわっている。かって秋田大学医学部の出張所だったか研究所が併設されている、と聞いたことが有ったが今はどうなんだろう?
今回で3回目の入浴だったが、昔は湯に入ると必ず、見ず知らずの脇の人からその効能を講釈されたものだった。実際、インキン・タムシなどが有れば局所はピリピリするし、1週間も入っていれば完治するんじゃないか、と思わせる。
昔は混浴だったが時代の変化か外国人観光客を考慮してか、今回はしっかりした仕切りが有った。この歳になってスケベ心で言う訳じゃないが、みちのくのおおらかな混浴文化が残されてもいいんじゃないか、と思った今回だった。

既に冬季閉鎖になっていた乳頭温泉郷キャンプ場で車中泊。周りのブナ林は既に時期的に遅かったのか、紅葉を過ぎて枯葉になっていた。
入浴はしなかったが、黒湯温泉、鶴の湯を回ってきた。

田沢湖は日本一の深さを持つ湖。かって玉川温泉の強力な酸性水が流れ込み、田沢湖固有のクニマスなども絶滅したとされたらしい。
2010年、お馴染みのさかなクンが山梨県西湖の「ヒメマス」の中に、「クニマスではないか」と推察される個体が有ったため、専門家に分析を依頼、クニマスであると判断された。1935年、田沢湖から西湖に送られたクニマスの受精卵10万個を孵化後放流したものが、繁殖を繰り返して現在に至ったと考えられているようだ。田沢湖に里帰りさせ、育成しようとの試みも有ったらしいが、残念ながら田沢湖の酸性度がそれを許していないようだ。

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角館・銀山温泉・山寺

角館、春は枝垂桜、秋はカエデ(モミジ)の紅葉が武家屋敷の佇まいと相まって風情がある。
銀山温泉も木造三階建ての佇まいなど、特に雪の風情が写真愛好家に好まれる。
山寺立石寺は山腹に築かれた伽藍群と、芭蕉の「静かさや岩にしみいるせみの声」の句で有名。

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裏磐梯

磐梯山の大噴火によって作られた景観。
浄土平、五色沼、檜原湖等など。

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大内宿

江戸時代における会津西街道(下野街道)の、旧宿場。中山道の奈良井宿、妻籠、馬籠などとはまた違った雰囲気の宿場(跡)。
中国からと思しき観光客が多かった。それにしてもこれだけの家屋を維持するだけの茅を確保するのも大変だろう。

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国道352を、桧枝岐から奥只見湖、シルバーラインを経て大湯に

桧枝岐に近い「道の駅きらら289」で最後の車中泊。道の駅とは行っても駐車場での煮炊きははばかられるのが普通だが、ここは駐車場の奥、川(伊南川)の脇にベンチが有って、火を使うことも出来そうだったので、お湯を沸かしてラーメンで乾杯。兎も角温かいものが一番。
翌日桧枝岐から御池、奥只見湖脇を走り、シルバーラインのトンネルを通って大湯に抜けた。

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2019/10 梅花藻とイトヨ 清流の里、醒ヶ井宿

中山道61番宿場

醒ヶ井宿は中山道61番宿場で、今もその風情が街並みに見られる。現在「米原市醒ヶ井資料館」となっている建物は当時、大名や役人の街道往来の様々な便宜を図っていた問屋場だったもので、それが完全な形で残っているのは全国でも珍しいとのこと。

イトヨが泳ぎ、梅花藻揺れる清流

しかし今、醒ヶ井が人を惹きつけるのは、中山道の旧宿場町としてより(中山道宿場町としては、妻籠や馬籠、奈良井宿などには及ばない、とみるのはおいらだけか?)居醒(いさめ)の清水と地蔵川の清流に依ってだろう。
居醒の清水は、醒ヶ井の南ほぼ6Kmに位置する霊仙山(りょうぜんさん)からの豊富な伏流水が、街の東側に建つ加茂神社脇に湧き出すもので、古事記や日本書紀に登場する日本武尊が傷を癒したとの伝説もあり、2008年「平成の名水百選第一位」にも選出されているとのこと。
地蔵川はこの居醒の清水や同じく霊仙山からの湧水である十王水などを水源として、街道に沿って流れる清流。この地蔵川の清流が特に貴重とされているのは、絶滅危惧種となっているイトヨと、やはり冷たい清流でしか見られない梅花藻が一緒に生息していることだろう。

 

居醒の清水と地蔵川動画

下の画像をクリックすると居醒の清水と地蔵川のYou Tube動画が開きます。

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醒ヶ井宿写真

こちらをクリックして下さい。アルバム形式で写真が表示されます。
「前へ」「次へ」で、写真の表示を切り替えて下さい。

2019/8 宮本武蔵修行伝説も残る「五宝滝」

岐阜県八百津町、「五宝滝」を2019年8月9日訪ねてみた。
一の滝・二の滝・三の滝と連なる、落差80メートルの滝と、宮本武蔵が修行したとされる二天の滝・円明の滝。
滝に沿ってこちらも高低差のある遊歩道が整備されていて、それぞれに滝の表情を楽しめる。

動画は(You Tube)にUpしてあります。クリックして下さい。

 

2019/6 岐阜の絶景 川浦渓谷

岐阜県関市、長良川の支流、板取川の上流に刻まれた「川浦渓谷」を、2019年6月1日訪ねてみた。
主に花崗岩の節理(花崗岩は方状節理を持つ。寝覚ノ床が有名)を縫って流れる細くて切り立った渓谷美は両白 (美濃) 山地随一と言われる。 流れる水の透明度も特筆もの。岩ばかりだから水も濁らないんだろう。
岐阜県紅葉33選にもなっていて、秋は一段と見事。

動画は(You Tube)にUpしてあります。クリックして下さい。

 

 

2019 海野宿

海野宿は元々、平安・鎌倉時代の海野氏の領地として栄えた城下町だったが、江戸時代(1625年ー寛永2年)、中山道の軽井沢と北陸道を結ぶ北国街道の宿駅として開設され、佐渡金山からの金の輸送、北陸諸大名の参勤交代、善行寺参りの参詣客などで賑わった。
明治・大正に入り鉄道網の発達に伴い、宿場町としての機能が失われると共に養蚕業を中心として発展、その名残は今の街並みにも見られる。

古くは日本武尊の東方遠征、木曽義仲の挙兵などに係わりのある地でも有ったらしい。

1986(昭和61)年8月10日、「日本の道100選」に、翌1987年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、それを契機に1989(平成元)年から海野宿内の道路環境整備事業を実施、中央水路の改修・道路や植栽の整備、電柱の撤去などがなされ、現在の景観に至る。
通りは非常にきれいに整備されているが、妻籠、馬籠、奈良井などと比較して、自動車での往来も許されているようだ。

 

海野宿の街並み

動画は(You Tube)にUpしてあります。クリックして下さい。
撮影者の影が映りこんだり、画面が揺れたりしていますがご勘弁を。

 

付知峡、観音滝と不動滝

付知峡は岐阜県中津川の、付知川(とその支流)沿いに広がる渓谷美。
2月の最終末日(28日)、渋谷から岐阜に移住して1ヶ月あまり、未だ殆ど歩けていない中で、最初に訪ねたのがこの付知峡。未だ新芽も開き揃わぬ4月2日、しかも寒の戻りと早朝の放射冷却で辺り一面霜で真っ白の付知峡を、かじかむ手でカメラを持ちながら歩いて来た。

付知峡は又紅葉の名所でもある。その時期に、今度は少しばかり動画撮影に慣れた状況で再度訪れてみたい。

付知峡動画

動画は(You Tube)にUpしてあります。クリックして下さい。

 

 

 

「阿寺ブルー」の名を持つ清流、阿寺渓谷

阿寺渓谷は長野県木曽郡大桑村、木曽川支流阿寺川の、主に「阿寺渓谷キャンプ場」から木曽川にそそぐ迄6キロ余りの景観。
”エメラルドグリーンの清流、ヒノキ美林、切り立った岩が折りなす自然の造形美が見どころです”(長野県、阿寺渓谷公式サイトより)。
エメラルドグリーンの清流は、「阿寺ブルー」とも呼ばれている。

 

阿寺渓谷動画

動画は(You Tube)にUpしてあります。クリックして下さい。

 

阿寺渓谷は又、紅葉の名所でもある。
今回は未だ新芽も出揃わぬ早春だったが、紅葉の時期、再度訪ねてみたい。

 

不忍通り猫又坂から神田川合流

 

撮影Map

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JR埼京線板橋駅から不忍通りまで

板橋駅脇で線路下をくぐり、埼京線の東側に出る。ここから谷端川(暗渠)は南下して行く。

 

撮影Map

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谷端川緑道を歩く

引き続き谷端川暗渠を歩きます。今回は「谷端川緑道」として整備されている区間。

豊島区西池袋4丁目36、西武池袋線脇から、東武東上線下板橋駅自転車置き場脇を経て埼京線板橋駅まで。
途中の国道254(川越街道)を境に、上流側の「谷端川南緑道」と「谷端川北緑道」とされる。

北緑道のほぼ全区間と、南緑道最後の一部区間は、板橋区と豊島区の区界となっている。

 

 

撮影Map

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谷端川、源流部から谷端川緑道スタート地点まで

谷端川(やばたがわ)は、東京都豊島区および北区、文京区をかつて流れていた河川。現在はほぼすべての区間が暗渠の下水道幹線となっている。(Wikipediaより)

 

現在全区間暗渠、一部緑道

谷端川は元々、豊島区要町の粟島神社弁天池の湧水を源流とする神田川水系の細流だった。後に千川上水からの助水を得て水量が増加、周辺の水田開拓が進み、灌漑水路としての役割を果たすようになった。
しかし現在は上記Wikの記述にもある通り全区間暗渠・下水幹線となり、緑道となっている一部区間を除き大半は都市化に紛れ、暗渠道と一般道の区別さえ判別が難しい。その為も有って同じ神田川水系の、例えば善福寺川や妙正寺川、更には妙正寺川の支流の江古田川と比べてさえ認知度は低い。おいらも殆ど知らなかった。

 

神田川水系最長の川

谷端川の総延長は11キロメートルで、実は長さだけで言えば善福寺川(10キロ)や妙正寺川(9.7キロ)を超える。
長さが影響しているのかどうか、文京区に入って「小石川」或いは「礫川(こいしかわ、れきせん)」と別の名称で呼ばれていたようだし、千川上水からの助水を得ていた関係で特に大正、昭和になってから下流部を「千川」と呼ぶようにもなったとも言う。「小石川」は現在も地名に刻まれ、歴史的にも重要な一画を占める。

 

南流・北流、両方を持つ川

谷端川は長さだけでなく、上流部で南北双方の流れを持つと言う点で、武蔵野台地の河川としては非常に珍しい特徴を持っている。元々武蔵野台地は北の青梅を扇頂とする扇状台地だから、そこを流れる河川は標高の関係で殆どが北から南に流れる。
谷端川の源流、粟島神社弁天池から西武池袋線を超えるまでは、他の武蔵野台地河川と同様南に流れているが、西武池袋線を超えてほぼ180度のUターンで北流する。これは要町付近を中心とする舌状台地を迂回する為の流路と言うことだろう。なお埼京線板橋駅を超えて再度Uターン、南に流れて最後神田川に注ぐ。
地形図を掲載しておきます。クリック・拡大表示でご覧下さい。

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千川上水、開渠部を超えて(青梅街道から西武新宿線)

 

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千川上水、開渠部を歩く(電通研究所前交差点から青梅街道)

 

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千川上水、開渠部を歩く(武蔵野大学前から電通研究所前交差点)

 

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千川上水、開渠部を歩く

 

千川上水

千川上水(せんかわじょうすい)は、徳川綱吉の命により、1696年(元禄9年)完成の江戸六上水の一つ。設計は河村瑞賢、開削に当たったのは多摩群仙川村の太兵衛、徳兵衛。
玉川上水を水源とし、境橋から江戸城の城北地域ー小石川御殿(綱吉の別荘)、湯島聖堂(幕府学問所)、上野寛永寺(徳川家菩提寺)、浅草浅草寺(幕府祈願所)、及び六義園(綱吉寵愛の家臣、柳澤吉保下屋敷)ーへの給水を目的として掘削された総延長約22kmの用水路(上水)である。(Wikipediaからの参照)

元々はこのように水道用水としての利用が主要な目的で開削されたのだが、1707年(宝永4年)、農業用水としての利用が許可になった以降、何本もの分水路が引かれ沿線の水田灌漑に利用される(六ヶ村分水原窪支流中新井分水、矢端川の長崎村分水等々)。
明治以降は水車による精米・精麦・製粉などが行われ、鹿島紡績所、王子製紙、大蔵省紙幣寮抄紙局など、工業用水としても使われていたと言う。

それら水の需要の終わった1971年(昭和46年)、玉川上水からの取水が止められ、水の流れも途絶えていたが、1989年(平成元年)、東京都の清流復活事業により高度処理再生水が日量2000㎥流され、上流部約5キロがせせらぎとして復活した。この再生水は開渠部の終わる伊勢橋(関町一丁目交差点)で全て汲み上げられ、善福寺池池尻に放水、善福寺川の渇水対策に役立てられる。

 

撮影Map

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又も発見、武蔵野台地を貫く直線道路

地図(Google map)を見ていて偶然に見つけた、不自然に真っ直ぐな細い道路。こう言う直線道路は先ず水道道路だと思って間違いない。しかも何度も通っている野火止用水の直ぐ脇から始まっているのに今迄気が付かないでいた。
ネットで検索してみたら、なんと、小平監視所で汲み上げた玉川上水の最後の水を、東村山浄水場に送る導水管が埋まっているのだそうだ。

水道道路砂川線(小平監視所から東村山浄水場まで)

玉川上水と野火止用水は、おいらが最初に武蔵野の水辺に興味を持ち始めた切っ掛けでも有り、その後も何度通ったか分からない、いわばライフワーク的な存在。

江戸時代に掘削された玉川上水は、現在も東京の水道水を賄う現役の大動脈(東京の水道水源、78%が利根川・荒川水系、19%が多摩川水系)。
羽村堰で多摩川から取水した後、現在は500メートル余り下流の第三水門で大半の水が汲み上げられ、村山・山口貯水池に送られる(その導水管ルートが羽村山口軽便鉄道跡)。
その後幾つかの分水路に今でも水を供給しながら最後、小平監視所で全量を汲み上げられて東村山浄水場に送られる。このことは今まで漠然と承知していた。しかしその導水管がどこを通っているか、等、殆ど関心を持たないままで来た。

その導水管ルートを偶然地図上に発見、しかも上流側で野火止用水とルートを共有し、野火止用水緑地で別れた後、典型的な水道道路としての直線を保ちながらほぼ2キロ(小平監視所からは約4キロ)、武蔵野台地を貫いている。
この水道道路は「砂川線」、「水道緑地」、「富士見緑道」などと呼ばれているようだが、兎も角これは行ってみる他は無い。

 

撮影Map

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撮影Album

本文では主要な写真だけを掲載しています。全部の写真はこちら

 

 昨年秋、紅葉の散策に続き、新緑のこの時期、同じ奥多摩に行って来た。若葉の森林浴も又、紅葉とは別の趣があって癒される。

 

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東京に見る、苔むす巨岩と滝、新緑

昨年秋、紅葉の散策に続き、新緑のこの時期、同じ奥多摩に行って来た。若葉の森林浴も又、紅葉とは別の趣があって癒される。

 

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飛水峡ー日本列島誕生の由来を示す地形と地質の景観

飛水峡は岐阜県加茂群七宗町から加茂郡白川町までの全長約12Kmにわたる峡谷。
流れに沿って国道41号線と高山本線が通っている。

日本列島の背骨

実は飛水峡を知ったのはNHKの『ジオジャパン』と言う、日本列島の成り立ちを取り上げた番組からだった。ここは日本列島の成り立ちを示す一つのキーポイント地で有るらしい。
飛水峡の両岸は「チャート」と呼ばれる、非常に固い岩石層が続いているのだが、ここのチャートと全く同じものが、1400キロも離れたロシアのハバロフスクで見られるのだと言う。つまりかって大陸に有ったこの地層が、大陸の縁が引きちぎられる形で剥がされ今の地まで移動、それが今の日本列島の骨格を形成していると言う訳だ。剥がされた割れ目は今の日本海になっている。

飛水峡とチャート(chert、角岩)

チャートは堆積岩の一種。主成分は石英や水晶と同じ二酸化ケイ素(SiO2)で、その成分の殻をもつ放散虫等の微生物の死骸が堆積してできた岩石(生物由来でなく熱水噴出孔からの成分由来のものも有ると言う)。
遠洋深海底で堆積されたもので、その為陸からの砂や泥、火山灰などを含まず、炭酸塩鉱物も水溶されて含まれない。その点で炭酸カルシウムを成分とする石灰岩とは大きく違う。深海の水圧で押し固められ極めて硬く、堆積のスピードも1000年に数mm或は0.3mmとか言う超スローだと言う。
チャートそのものは上述のように、砂・泥・火山灰などを含まないが、堆積に伴い砂岩や泥岩などを挟んで層状を呈している場合が多い。深海にまで及ぶ大規模な「地球事変」によるものだろうか。
又含まれる金属元素などによってさまざまな色を呈する。例えば飛水峡にも赤い色のチャート層が見られるが、当然鉄分(酸化鉄)を含んだ層であると言うことと、この層が堆積した時代、旺盛な植物の繁茂が続き、地球規模で酸素濃度が高かったと言うことが分かる。

チャートも石灰岩も日本の至る所で見られるが、東京でも奥多摩の海沢川上流部などで特徴的なチャート岩を見られる。
又硬い、と言うことで風化を免れたチャートが河床の礫の中に頻繁に見られる。

渓谷と甌穴群(おうけつぐん)

硬い、と言うことで水の浸食は外側に広がらず、河床を深くえぐり渓谷を形成する。
狭い渓谷を流れる激流によって運ばれた石が、岩盤表面に引っ掛かり流速による渦巻き運動でそこに円形の穴をあける。甌穴(ポットホール)と呼ばれるが、飛水峡の「甌穴群」は有名で国の天然記念物になっている。

日本最古の岩石

七宗町上麻生付近の飛騨川河床で、日本最古(20億年前)の岩石が見つかっている(もう1ヶ所、島根県隠岐島後)。
…と言っても飛水峡のチャートや砂岩の地層全体が20億年前に形成されたと言うことでは無く(地層の形成は中生代の三畳紀~ジュラ紀ー約2億4000万~約1億6000万年前)、地層に挟まれた礫岩層の中に20億年前とされる片麻岩礫が見つかったと言うことらしい。つまり20億年前に当時の大陸に分布していた岩石が、約2億年程前に礫として運ばれ海底に堆積、地層に紛れ込んだのだろう。
いずれにしてもこの地が、列島の中でも最も古い時代に形成されたことには違いない。

 

撮影Map

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ここでは特徴的な景観のみ写真を掲載しました。

全ての写真はこちら

 

2018年春、飛鳥山の桜と音無し渓谷の景観

2018年3月24日、例年よりだいぶ早い桜の開花に、王子の飛鳥山と直ぐ脇の音無し親水公園で爛漫たる満開の桜を堪能してきた。
更に、4月の14日、レンズを替えて音無し親水公園を撮って来た。

※ 2017年の飛鳥山・音無し親水公園はこちら

 

地形図

クリック、拡大表示でご覧下さい。

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撮影Map

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アルバム形式で表示

下の写真をクリックして下さい。アルバム形式で表示されるので写真をクリック、拡大表示でご覧下さい。
「前へ」「次へ」で写真が切り替わります。

「インデックス」(右下の数字)の6までが、ほぼ3月撮影、7以降が4月撮影のものです。

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飛鳥山と音無し親水公園

絶好の花見日和となった3月24日の土曜日、王子の飛鳥山とその下の音無し親水公園に行って来た。
桜は満開、天気は快晴風も無し。
去年も同じ時期(4月2日)に行って来たので、地形図など含め参照してください。

東京のサクラ、三大名所

東京にサクラの名所は数々ある中で、おいらの独断で言わせて貰えば、先ずは千鳥ヶ淵か。皇居とお濠、威風堂々たる英国大使館とが相まって気品ある桜風景が続く。ただ場所が場所だけに宴会が出来るのは一部のみ。

次に上野公園とこの飛鳥山が、甲乙つけがたい順序で続く。
ただやはり飛鳥山は直ぐ下に音無し親水公園と言う、非常に趣のあるエリアを併せ持っていて、おいらとしては僅差でこちらに一票。

 

撮影アルバム

マッ、余計な説明は抜きに写真での花見をどうぞ。
下の写真をクリックすればアルバム形式で表示されます。ぐるぐる回りながらの撮影なので順不同です。

 

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「桃園川について」、こちらに若干まとめてあります。

 

主に阿佐ヶ谷地内の支流網-暗渠の迷宮

阿佐ヶ谷を歩いていると至る所で暗渠道に出くわす。
桃園川について」でも述べたように、唐突に現れる暗渠道を歩いているだけではその全体像もつながり具合も到底把握できない。写真のGPSデータを地図上にプロットして初めてつながりがおぼろげに見えてくる。それも完全にではなく、既に所どころ痕跡が分からなくなっている場所もある。
その中で今回は、歩いていてたまたま出くわした水路跡・暗渠を確認できる限り追ってみた。おそらくここに掲載した以外にも有るのだろう。

 

地形図

クリック、拡大表示でご覧下さい

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撮影Map

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「桃園川について」、こちらに若干まとめてあります。

 

天沼1丁目方向からの支流-桃園川最長の支流

「暗渠の迷宮」とも言うべき桃園川沿線で、最も長く、一貫してそのつながりも理解しやすく、主要な支流と言える「天沼1丁目支流(仮称)」を、おそらく本流からの分水地点近くから、桃園川緑道への合流まで辿る。
 このコースは、荻窪・阿佐ヶ谷の谷の北端部を通っており、これが桃園川水系の最北水路だと思われる。

 

地形図

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撮影Map

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「桃園川について」、こちらに若干まとめてあります。

 

桃園川緑道、神田川合流

阿佐ヶ谷駅から約500メートル東、JR中央本線を潜った所から「桃園川緑道」が始まる。暗渠迷宮状態だった阿佐ヶ谷地内から一変、きれいに整備された緑道が神田川合流までの約5キロ続く。もうこの先迷う必要は無い。
5キロと続く、ここまで整備された暗渠・緑道は東京でも珍しい。

 

地形図

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撮影Map

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「桃園川について」、こちらに若干まとめてあります。

 

暗渠の迷宮阿佐ヶ谷に、桃園川本流を探し、辿る

桃園川について」で述べたように、特に阿佐ヶ谷地内に入った桃園川は、今の中杉通りを前後して支流が網の目のように入り組み、その痕跡である暗渠網が至る所で、いわば唐突に現れる。
その中で兎も角、中杉通までの桃園川上流部と、JR中央本線を潜って「桃園川緑道」となる中・下流部との連結を見ながら、「おそらくここが本流なのだろう」と思われるコースを辿ってみた。多分間違いないものと思うが。

 

地形図

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撮影Map

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桃園川について

 

桃園川は神田川の支流で、源流は荻窪の天沼弁天池とされる。全ルートが暗渠化され本流部分の大半が緑道となっている。特に阿佐ヶ谷でJR中央本線を超えた所から神田川合流まで、「桃園川緑道」としてきれいに整備されている。
桃園川緑道だけ取っても約5キロ弱、これだけの長さでこれだけ整備された暗渠緑道は東京でも珍しい。

 

水田灌漑用水と「暗渠の迷宮」

桃園川流域は、荻窪・阿佐ヶ谷の地名が示す通り、上流部から神田川合流まで、ゆるい谷が帯状に続いている(地形図参照)。かってそこに水田が広がり、桃園川はそれを潤す灌漑用水としての役割を持っていた。
広がる田一枚一枚にまんべんなく水を供給する必要上、灌漑用水路の常として細かく枝分かれし細流が網の目のように入り組んでいたことだろう。
関東大震災以降移り住む人が増加、宅地開発の為水田はつぶされ水路も1本化されたようだが、今でも支流・細流の跡は主に阿佐ヶ谷地内で至る所に現れる暗渠道に見る事ができる。
迷宮のようなこの暗渠道を歩いているだけでは、その全体像もつながり具合も到底把握できない。写真のGPSデータを地図上にプロットして初めてつながりがおぼろげに見えてくる。しかしそれも完全にではなく、既に所どころ痕跡が分からなくなっている場所もある。

 

このシリーズでは、上流部沿線の支流は『桃園川-1(源流部)』で本流と共に扱い、最も長く一貫していて主要な支流だと思われる「天沼1丁目支流(仮称)」は独立にページを設け『桃園川-4(天沼1丁目支流)』で扱っています。その他阿佐ヶ谷地内の至る所で見られる暗渠網は、確認できる範囲で『桃園川-5(阿佐ヶ谷地内、支流網)』で扱っています。

 

源流天沼弁天池と千川上水からの助水

水源となっていた天沼弁天池は既に湧水が枯渇し、現在は公園となっている敷地の片隅に、後から造られた人工池があるのみとなっている。
下掲地形図を見ても分かる通り、弁天池周辺はそれ程際立った谷地と言う訳ではない。おそらく湧水量にも限りが有っただろうし、周辺の都市化と共に枯れるのも無理からぬことだったのだろう。
この弁天池からの湧水だけでは流域の水田用水を賄えず、1707(宝永4)年、千川用水から青梅街道に沿って「六ヶ村分水」と呼ばれる水路を切り助水を得ていたそうだ。工事尽力者、井口半兵衛・相澤喜兵衛の名をを取り、半兵衛・相沢堀とも呼ぶ。

 

本流、支流

「天沼1丁目支流」にしても、又ここに掲載してある「河北総合病院脇の支流(仮称)」にしても、本来支流とか本流とかの区別は無いのかも知れない。
水田が広がり、そこに張り巡らされた水路に「○○川」「××堀」などの各々の呼び方は有っても、本流・支流等と区別しての意識はなかったんじゃないか。魚沼の農家出身である私自身の経験から言っても多分そうだと思う。
源流部から、現在「桃園川緑道」となっている下流部との一貫した繋がりを持った水路跡、宅地化に伴い一本化されたらしいその水路を、便宜上「本流」としてここでは扱い、それ以外を「支流」として扱っているにすぎません。

 

桃園川全体の撮影Map

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六ヶ村分水追分、荻窪天沼弁天池から阿佐ヶ谷まで、本流と幾つかの支流

ここでは追分から始まる桃園川暗渠道を、天沼弁天池も経由し、途中の支流も取り上げながら、阿佐ヶ谷の中杉通りまで辿る。

 

地形図

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撮影Map

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小平地内玉川上水緑道の紅葉

玉川上水43キロは、一部を除き緑道が整備されていてそれぞれに趣がある。中で玉川上水駅から小金井公園に掛けて、取り分け小平桜橋までの約6キロが歩いていて最も気持ちがいい。………と個人的には思っている。
2017/12/2、欲を言えば2,3日遅かった感も有ったがしかし、東京での紅葉の最盛期、充分に武蔵野雑木林の紅葉を堪能出来た。

 

撮影Map

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2017/11/19

 

紅葉と巨岩の絶景、鳩ノ巣渓谷

青梅線白丸駅から鳩ノ巣駅に掛けての約2キロメートル、多摩川に沿って広がる鳩ノ巣渓谷の景観。右岸に遊歩道が整備されている。
特に白丸ダムから下流側半分の景観は素晴らしい。
遊歩道の階段、若干の登り下りは有るもののそれ程きつい勾配は無く、駅から駅までの間、手ごろなハイキングコースと言えよう。

 

撮影Map

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鳩ノ巣渓谷アルバム

全部の写真はここに掲載してあります。
写真をクリックすると拡大表示されます。「次へ」「前へ」で写真を切り替えて下さい。

 



 

2017/11/19

 

奥多摩、紅葉と滝の絶景

海沢(うなざわ)三滝に行って来た。本当は四滝らしいのだが最上流の滝はまともな道も無いらしいので、そこまで行く人はあまりいないようだ。
電車では青梅線奥多摩駅か、一つ手前の白丸駅から。滝巡りの起点とも言うべき海沢園まで結構歩く。車ならこの梅沢園迄行けるから登り下り2時間位で滝巡りが出来る。

紅葉も最盛期、見ごたえのある景観を楽しんできた。

 

撮影Map

クリックするとGooglemapと連動して表示されます。鳩ノ巣渓谷ルートと共有掲載です。

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海沢3滝アルバム

ブログには一部の写真しか掲載してありません。全部の写真はここに掲載してあります。関心のある方はご覧ください。
写真をクリックすると拡大表示されます。「次へ」「前へ」で写真を切り替えて下さい。

 


 

 

御岳山ロックガーデン(岩石園)に紅葉を求めて

御岳山(御嶽神社)は4、5回登っているし、そこから続く大岳山も20年以上前に別なルートから登ったことが有った。
御岳山から大岳山に至る途中に「七代の滝」「ロックガーデン」などと言うポイントが有るようなので出かけてみた。
いつもはバスもケーブルカーを使わず、御嶽駅から山頂・御嶽神社まで徒歩で登るのだが、今回はその先が目的だったので時間の関係上バス、ケーブルカーで御岳山頂駅まで行った。帰りはケーブルカーを使わず徒歩で降りたが、転がるように急いで降りたので2、3日筋肉痛に悩まされることとなった。

巨岩と清流・滝、紅葉

七代の滝もロックガーデンも、今盛りの紅葉と相まって東京離れした景観を見せてくれた。ロックガーデンは「東京の奥入瀬」とも呼ばれているらしい。
お陰で当初大岳山まで行く積りだったが時間が足りなくなり、ロックガーデンを歩き終えた地点で引き返した。
何回か登っている御嶽神社から少し足を延ばしたその先に、こんな景観が広がっていたとは今回初めて知った。来年の紅葉シーズンには予め計画を立てて再度登ってみよう。

 

撮影Map

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御岳山・御嶽神社はこちら

御岳渓谷の紅葉はこちら

 

紅葉の上高地、日帰り撮影行

10月14(土)溌の夜行高速バスで上高地入り、翌日未明から、15時発の帰りバス時間まで紅葉の上高地を歩いてきた。
1週間前辺りから当日の天気を気にしてチェックしていたんだが、日が近づくにつれ予報は悪くなる一方、前日の予報はもう最悪。完全に雨を覚悟しながら運を天に任せて出発した。
未明の5時過ぎ大正池でバスを降りたら、空は暗かったが道は乾いていて雨は落ちていなかった。結果的に午前中は曇りのままで持ってくれた。

実は今回、一つの計画が有った。岳沢への登りだ。
岳沢は上高地の至る所で正面に見える穂高の中腹から下の部分、ガレ場のところ。下から眺める岳沢から逆に上高地を見下ろしてみたかった。黄色が主の紅葉も見ごたえがあるようだし。
しかしこれは実現しなかった。昼頃から雨が降り出してカメラが心配だったし、仮に登っても眺望は利かなかっただろう。登山道の途中で引き返した。

兎も角朝から雨っぽかった天気用法が、半日後に押してくれたお陰で、上高地の「銀座通り」紅葉は何とか写真に納めることができた。
今回は岳沢登攀計画も有り、雨も降って来たので小梨平、岳沢湿原から奥には行かなかった。

新緑の上高地」も併せてご覧ください。

 

下田橋

妙正寺川が中野通りと交差する地点が、哲学堂公園への入り口の一つ。中野通りに沿って公園が広がっている。

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クリックすると、文字が判別するよう拡大表示されます。

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下田橋からの妙正寺川

右岸に「哲学の庭」が広がり、その下に「妙正寺川第二調節池」の取水口が開いている。
左岸は10メートルを超える台地から妙正寺川に落ち込んでいて、その崖と台地上に「哲学堂公園」が展開している。

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右岸、哲学の庭

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左岸、哲学堂公園

妙正寺川直ぐ脇の、崖下。崖に決まりごとの湧水箇所が幾つかある、…が、おそらくポンプアップによるものだろうな。

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かっては豊富な湧水が見られたのだろうが。

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妙正寺川脇から、台地上に繋がる石段。

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三祖碑

崖の途中

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台地に上がって

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哲理門

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茶会が開かれていた。
建物の中に、一般入園者は原則入れない。

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六賢臺

右脇の案内板には以下のような文章

ここに東洋的六賢人として、日本の聖徳太子・菅原道真、中国の荘子・朱子、印度の龍樹・迦毘羅を祀っている。

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三角尽くしの三学亭

おそらく公園での最高地点だろう。

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硯塚

筆塚と対をなす碑だと思われる。
脇の案内板には以下の文が記されている。

硯塚
井上円了が全国巡游中、求められて各地で揮毫した際に用いた硯を供養した記念碑で、筆塚とともに貴重なものである。

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四聖堂

井上円了が最初に建設した建物で、ソクラテス、カント、孔子、釈迦の四賢人を祀ったこの四聖堂を「哲学堂」と称し、これがそのまま公園の名、公園の始まりとなった。

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宇宙館

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絶対城

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筆塚

崖の途中。
上掲硯塚と対をなす碑だと思われる。脇の案内板には次のような文が記されている。

筆塚
字を書きて、恥をかくのも今暫し
哲学堂の出来るまで

哲学堂は井上円了博士が全国巡游中求められて各地で揮毫した際の謝礼を基金として開設されたのであるが、その謝意を含め、かつ、その筆供養のための記念碑として造られたのがこの筆塚である。

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台地から降りて

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菖蒲池

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江古田川を辿る

 

源流と千川上水からの分水

江古田川は練馬区豊玉地区から中野区江古田地域を流れ、江古田公園(江古田古戦場跡)脇で妙正寺川に注ぐ一級河川。中新井川とも呼ばれる。
練馬区豊玉南1丁目の下篠田橋(交差点)迄暗渠、そこから妙正寺川合流までの下流が開渠となっている。
武蔵野台地の他の河川同様、普段は一級河川のイメージに程遠く、幅数10センチ程の細く僅かな流れしかない。しかし一旦大雨になると溢れんばかりに増水、それを回避する為下流に調整池が設けられている。

元々は現在の練馬区豊玉南三丁目、学田公園付近の中新井池湧き水を源流とした、とされるがその湧水が江戸時代後期に枯れ、北側の千川上水から3本の分水路を切り、水田灌漑に使った後江古田川に落としていたそうだ。そのうちの1本(中新井分水)が千川上水(千川通り)から学田公園までハッキリ確認でき、そのまま江古田川に続いている。
今回はこの中新井分水跡を含め、妙正寺川合流まで辿る。
 

学田公園

1887年(明治20年)、溜池を村人が開墾・埋め立てて水田を作り小作に出して、その小作料を小学校運営の一部に充てたことで、ここを「学田」と称した。1955年(昭和30年)に公園整備した際、公園名称を学田公園としたとされる。

 

地形図

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撮影Map

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妙正寺川、平和の森公園から神田川合流まで

引き続き妙正寺川を、平和の森公園から神田川合流まで辿る。
途中、江古田川の合流、江古田の森公園、哲学堂公園などを経て、神田川合流に至る。

 

撮影Map

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妙正寺川(本流)を歩く ― 妙正寺池から平和の森公園

「暗渠の迷宮」とでも言うべき、妙正寺川の支流網・井草川源流部を迷宮に迷いつつ歩いてみた。しかし多分アチコチに歩き残しを残したままだと思うが、キリがないので本命の妙正寺川の本流を辿ってみた。

 

撮影Map

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百花園に萩を求めて

子供の頃、雑草としか見ていなかった萩が、今は一番好もしく趣を感じる花になった。
紅葉の少し前のこの時期、最盛期を迎える萩を求めて向島百花園に行ってみた。百花園は都内では有数の萩の名所で、30メートルにも及ぶ萩のトンネルがある。
トンネルを彩る紅いミヤギノハギは、既に若干(多分2、3日)遅かったが未だ十分見られたし、シロバナハギは今が盛りと咲き誇っていた。

野草園

向島百花園については、下の案内板「向島百花園の沿革」を見て頂くとして(写真をクリックすれば拡大表示されます)、一般の庭園と違って植えられているのは野草、これはこれで中々奥ゆかしい。
開園当初は梅が主体だったようだが、その後ハギやススキなど万葉集や中国、日本の古典に詠まれている植物を集めて、四季を通じ花を見られるようにしたと言う。

掲載写真は全く順不同です。説明も付けていません。
園内のどこに咲いているかなど、撮影Mapを参照しながらご覧ください。

 

フォトギャラリー(全ての写真はこちら)

 

撮影Map

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皇居一般参観-宮殿と反対側から見る二重橋と

 

皇居一般参観に行って来た

宮内庁も今は相当こなれている、と言うか気さくになっていて、公式行事などの無い平日は、午前と午後の二回一般参観を受け付けている。それも特に事前の申請を必要とせず、時間までに参集場所(桔梗門前)に行けば当日その場で受け付けてくれる。手続きも至って簡単。但し免許証などの身分証明書が必要。

一般参観についての宮内庁のホームページはこちら

 

…と言うことで行って来たのだが、手当たり次第にシャッターを押して来たので、画像アプリの助けを借りて並べてみました。
基本的にコースに沿っての写真ですが、振り返っての撮影だったり、往きと帰りで同じ場所を撮ったりと、その辺全く整理していません。

見どころとしては普段立ち入ることのできない宮殿(中には入れない)、正門鉄橋(本来、正式な二重橋)を渡り、正門石橋(一般的にはこちらを二重橋と思っている人が多い)を、普段見慣れているのとは逆方向から見る、等。
今回のコースでも、宮殿やその前の広場などの広さに圧倒されるが、それでも皇居(主に西の丸エリア)全体から見ればホンの一部。

 

大半が外国人だった

受付を経ての参集場所である窓明館にも、何人かの紅毛碧眼を見たが、歩き出してから聞こえてくる言葉は殆ど中国語(だと思う)。アジア系を含めるとおそらく大半が外国人だと思われる。東御苑でも半分は外人だと思われるし、逆に日本人の間ではこの一般参観や東御苑一般開放のことがあまり知られていないのではないか。

東京駅から直ぐ近く、東京のど真ん中に広がる「日本」を堪能出来る皇居は、外国人にとって格好の探索場所になっているのだろう。

 

当日貰った案内図

参観コースは図下側の、赤点線です。

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正門鉄橋から見た正門石橋

下の写真をクリックして下さい。アルバムが開きます。

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乾通り春の一般公開

乾通り秋の一般公開

皇居東御苑

等も併せて参照してください。

 

暗渠の迷宮、桃井支流(仮称)

 

地形図

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撮影Map

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※ 井草川上流域全体のPhoto_mapリストは、こちら

 

暗渠の迷宮-4、今川支流(観泉寺から井草川合流まで)

 

地形図

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※ 井草川上流域全体のPhoto_mapリストは、こちら

 

 

暗渠の迷宮-3、今川支流(桃井四丁目から観泉寺まで)

下井草4丁目26、井草川(緑道)に流れ込む長い支流が有る。便宜上「今川支流(仮称)」とし、2回に分けて取り上げる。最初にその上流部。

 

今川と観泉寺

今川支流(仮称)を歩くうえで、どうしても仁義を切っておかなければならない場所が有る。観泉寺。観泉寺は今川家の菩提寺で今川家累代の墓がある。伽藍も境内も立派で、春の枝垂桜、秋の紅葉も見どころだと言う。

今川氏は、室町時代・戦国時代は駿河国(現静岡県)などを治めた一大大名であったが、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れたのち没落した。義元の子今川氏真は徳川家康の庇護を受けて京などで暮らし、慶長19年(1614年)に江戸で没した。氏真の嫡孫今川直房は高家として江戸幕府に仕え、朝廷との交渉の功績によって正保2年(1645年)に徳川家光から当地(井草村)を含む新たな知行地を与えられた。以後、当地は幕末まで今川家一円知行の所領として続くことになる。
江戸時代の観泉寺は、今川氏の知行地支配の拠点でもあり、領民からの年貢の取立てや裁判なども寺の門前で行われていた。
今川氏は明治時代に断絶したが、現在の当地の地名「今川」の由来となっている。(Wikより引用)

 

地形図

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※ 井草川上流域全体のPhoto_mapリストは、こちら

 

  

暗渠の迷宮、井草川源流部-2(井草川、三谷公園から妙正寺池)

 

地形図

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撮影Map

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※ 井草川上流域全体のPhoto_mapリストは、こちら

 

 

暗渠の迷宮、井草川源流部-1(井草川源流、切通し公園から三谷公園)

妙正寺川と井草川

妙正寺川は東京を流れる1級河川で、杉並区妙正寺池に端を発し豊島区高田で神田川に合流する長さ9.7kmの川である(…とされている)。井草川はその妙正寺川の支流で、妙正寺池の上流部に広がり現在全て暗渠化されている(ここでも「水路」「流れ」などと記載する場合も有るが、全て暗渠・緑道である)。
しかしかって、現在の妙正寺川を含めた流域全体を井草川と称していたらしく、途中妙正寺池から注ぐ妙正寺川の方が、その支流の一つに過ぎなかったのだそうだ。又江戸時代以降近年まで、千川上水から井草川に分水を引き、流域の田畑を潤していた時期も有ったそうだ。
いずれにしてもその「歴史物語」はここでは本旨ではないので、現在の姿をそのまま辿ることにする。

暗渠の迷宮、井草川

今回取材してみて驚いたことがある。鹿の角のように入り組んだ妙正寺川と井草川の支流が、ホンの小さな傍流と思われるような川筋まで含めて、、それが暗渠・緑道としてちゃんと住宅街に残っていることだ。ここまでの支流網が形として残っている河川は、武蔵野台地上ではおそらく他に見られない。勿論その支流・傍流の大半は名称さえない。正に「暗渠の迷宮」だ。ここでも説明の便宜上、勝手に支流に名前を付けて(仮称)として扱っている
今回その暗渠の迷宮を、Googlemapストリートビューの助けも借りて、極力忠実に辿ってみた積りだが、お陰でページ数が相当膨らんだ。しかしおそらく見逃している川筋もアチコチ残っているだろう。

切り通し公園と三谷(さんや)公園

切り通し公園は井草川の源流とされる。
三方を高台に囲まれた谷地形の斜面から水が湧き、かっては滝が有ったとされる程に豊富だったのだろう。この湧水源からの流れが井草川の谷を刻み、いわば自然の切り通し地形となっている(地形図参照のこと)。
三谷公園は切り通し公園からの2本の流れと、井草川最上流部とされる原窪支流(仮称)を合わせた3本の流れが合流し、井草川として1本にまとまって妙正寺池目指して流れてゆく、いわば井草川源流部の結節点とも言える場所である。
切り通し公園と三谷公園は、間に杉並工業高校を挟み直線距離で200メートル強。この僅かなエリアに源流部3本の支流がが絡み合う。

西山田んぼ

なお切り通し公園から東側に伸びる井草川の谷筋には、井草川と千川上水からの分水を利用した田んぼが広がっていたようだ。
特に源流部から下のエリアは、所有者の名前からとった「西山田んぼ」が広がっていたらしい。現在の杉並工高はその田んぼを都が買い取って建てたのだそうだ。三谷公園とか都立農芸高校なども同じく、元はこの田んぼだったんだろう。
切り通し公園の近くに、西山屋敷林と言う、「ヤマ」と呼ばれる杉並区でも最大級の林と、その中に、如何にも旧家と思しき「西山家」の屋敷がある。多分この西山田んぼの地主だった人だろう(勝手な憶測で、間違っていたらゴメン)。

これは私の憶測だが、田んぼの用水として使われていたことが、源流部川筋の「鹿の角」を作りだしたのではないだろうか。田んぼにまんべんなく水を行き渡らせる為の水路が、今の暗渠迷宮の元ではなかっただろうか、と。

 

地形図

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※ 井草川上流域全体のPhoto_mapリストは、こちら

 

 

「木曽のマチュピチュ」苗木城址

苗木城(なえぎじょう)は、岐阜県中津川市にあった日本の城。別名は霞ケ城。苗木藩の藩庁が置かれた。国の史跡に指定されている(Wikipediaから引用)。

マチュピチュと言うのは私の勝手な命名だが、チョットした空中城郭の景観だ。

 

 

撮影Map

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浦島太郎が玉手箱を開けた寝覚ノ床

 

木曽川が作った自然地形

国の名勝に指定されている。
元々は木曽川の水の中で浸食された花崗岩が、上流に設けられた木曽ダム(1968年に運用開始)などにより水位が下がった為に姿を現した景観なんだそうだ。
花崗岩の方状節理と柱状節理、それを侵食する木曽川の急流によってこのような岩の表情が生まれたのだろうが、ダムが出来る前は水の中だった訳だ。

中央本線と寝覚ノ床

もう50年近く前になるが、寝覚ノ床の脇を通る中央本線に乗ったことが有って、列車が寝覚ノ床に差し掛かると、車内放送で寝覚ノ床の案内が流れると共に、徐行しながら走ってくれた。乗客はその案内に従って、遥か下に見える寝覚ノ床を眺めたものだった。当時は鈍行列車だった。
今、そんな計らいも無いんだろうな。

浦島太郎伝説

寝覚の床には、浦島太郎が竜宮城から帰ってきた後の伝説が残っている。

浦島太郎は竜宮城から地上へ帰るが、まわりの風景は変わっており、知人もおらず、旅に出ることにした。旅の途中、木曽川の風景の美しい里にたどり着き、竜宮の美しさを思い出し、乙姫にもらった玉手箱をあけた。玉手箱からは白煙が出て、白髪の翁になってしまう。浦島太郎には、今までの出来事がまるで「夢」であったかのように思われ、目が覚めたかのように思われた。このことから、この里を「寝覚め」、岩が床のようであったことから「床」、すなわち「寝覚の床」と呼ぶようになったという(Wikipedia引用)。

 

撮影Map

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中山道奈良井宿

中山道

中山道は江戸と京都を結ぶ五街道の一つ。山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていた。
距離的には東海道が近いのだが、東海道は途中大井川の渡しなどが有り、雨で足止めを食うことも有って、日程の計算が立ちやすい中山道を選ぶ旅人も多かったようだ。なお和宮降嫁の際も東海道でなく中山道を通ったとのこと。

奈良井宿

中山道69次のうち江戸から数えて34番目、木曽路11宿の中で北から2番目の宿場。
奈良井観光協会にリンクを張らせて貰いましたので、詳細はこちらを参照して下さい。

私の印象としては、を扱っているお店や工房らしきものが大半を占めていたように思える。

撮影

2017年7月、訪ねて来ました。比較的早い時間だったのであまり人けのない奈良井宿を撮ることが出来ました。
基本的に北の端から順に撮ってありますが、必ずしも順番どおりでは有りません。撮影Mapと合わせてご覧ください。
写真枚数が多いので、アプリの力を借りてPhoto Galleryとしてまとめました。

 

撮影Map

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中山道馬篭宿

中山道

中山道は江戸と京都を結ぶ五街道の一つ。山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていた。
距離的には東海道が近いのだが、東海道は途中大井川の渡しなどが有り、雨で足止めを食うことも有って、日程の計算が立ちやすい中山道を選ぶ旅人も多かったようだ。なお和宮降嫁の際も東海道でなく中山道を通ったとのこと。

 

馬篭宿

中山道中山道六十九次の中、43番目の宿場で、木曽11宿の一番南の宿場町。
島崎藤村の出身地(生家は馬篭で、本陣、庄屋、問屋を兼ねた旧家)でもある。
なお馬篭宿の街並みは、1895年(明治28年)と1915年(大正4年)の火災により石畳と枡形以外はすべて消失、現在の景観はその後復元されたもの。
馬篭観光協会にリンクを張らせて貰いましたので、詳細はこちらを参照して下さい。

 

撮影

2017年7月、訪ねて来ました。
馬篭は坂の宿場町でもあります。基本的に北の端、坂の上部から順に撮ってありますが、必ずしも順番どおりでは有りません。撮影Mapと合わせてご覧ください。
写真枚数が多いので、アプリの力を借りてPhoto Galleryとしてまとめました。

 

 

撮影Map

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中山道妻籠宿

中山道

中山道は江戸と京都を結ぶ五街道の一つ。山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていた。
距離的には東海道が近いのだが、東海道は途中大井川の渡しなどが有り、雨で足止めを食うことも有って、日程の計算が立ちやすい中山道を選ぶ旅人も多かったようだ。なお和宮降嫁の際も東海道でなく中山道を通ったとのこと。

妻籠宿

中山道69次のうち江戸から数えて42番目の宿場は、中山道と伊那街道が交叉する交通の要衝として古くから賑わいをみせいたそうだ。
妻籠観光協会と、観光協会による『妻籠の歴史』にリンクを張らせて貰いましたので、詳細はこちらを参照して下さい。

三原則

妻籠は日本初の重要伝統的建造物群保存地区。
妻籠の人たちは街並みを守るために、家や土地を、「売らない・貸さない・壊さない」の三原則を守って、歴史ある街並みを後世に伝えていると言うことだが、これも中々容易なことじゃないだろう。

観光資源と言っても、そんなに大きなお金が動く訳じゃないだろうし、補助金が下りる訳でもないだろう。
第一、「三原則」に則ってスーパーもコンビニも無い訳で、市街からも遠いし、住人自身の毎日の生活も大きな制約を受けざるを得まい。

 

撮影

2017年7月、訪ねて来ました。早朝と言うことも有って殆ど人けのない妻籠宿を撮ることが出来ました。
基本的に北の端から順に撮ってありますが、必ずしも順番どおりでは有りません。撮影Mapと合わせてご覧ください。
写真枚数が多いので、アプリの力を借りてPhoto Galleryとしてまとめました。

 

撮影Map

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禿坂支流と、林試の森公園

禿坂支流(ハゲ坂ではなく、かむろ坂)は、品川区小山台1丁目の都立小山台高校近と思われる地点に端を発し、北上して林試の森公園中央部を、水車門から入ってせせらぎ門までを縦断、公園を抜けた所で羅漢寺川に注ぐ500メートル程の短い支流。
林試の森公園内では、流れや池を構成し、公園内で一番のビューポイントとなっている。が、ただこれがかっての禿坂支流の様相をどれだけ反映しているモノかは分からない。公園内の流れ・池以外は全て暗渠。

ここでは上流端と思われるところから禿坂支流を辿るとともに、林試の森公園も取り上げてみる。

 

地形図

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羅漢寺川地形図.jpg

 

撮影Map

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羅漢寺川支流、六畝川と入谷川

六畝川も入谷川も、北側から小さな谷を刻んで羅漢寺川に注ぐ支流。特に入谷川は、現在暗渠ながら羅漢寺川水系の中で多分一番かっての姿を彷彿させる。

 

地形図

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羅漢寺川地形図.jpg

 

撮影Map

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羅漢寺川本流(暗渠)を辿る-目黒不動から目黒川合流

 

目黒不動尊脇で羅漢寺川本流と入谷川が合流、目黒不動尊境内に沿って流れた後、川の名前の由来となった五百羅漢寺脇を通り、山手通りを超えた後目黒川に注ぐ。

 

地形図

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羅漢寺川地形図.jpg

 

撮影Map

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羅漢寺川本流(暗渠)を辿る-目黒通りから目黒不動

東京都目黒区目黒本町一丁目8辺りに端を発し、下目黒で目黒川に合流する、比較的短い目黒川水系の河川。何本かの支流を持つ。
1964年の東京オリンピックの前後に暗渠化されていて、現在支流を含めて一部が緑道として整備されている。
沿線には林試の森公園、目黒不動尊などが有り、そこからの湧水も集めて流れる。

 

羅漢寺川、名前の由来

目黒不動尊の脇、下目黒三丁目に五百羅漢寺と言う寺院が有って、川の名前はここに由来するのだが、この五百羅漢寺そのものがこの地に移されたのが1908(明治41)年と言うから、そんなに昔からのことじゃなく、かって「不動川」と呼ばれた時期も有ったらしい。現在、規模も知名度も五百羅漢寺より目黒不動尊の方が上だと、私は思うのだがどうして不動川の名が定着せず羅漢寺川になったか?
しかし寺院のサイトなどを見ると五百羅漢寺の羅漢像は中々凄い。拝観が有料で撮影禁止になっているから余り知られていないのかも。
 

 

地形

下の地形図を見て分かるように、複雑に切れ込んでいる山の手台地の、一つの谷地地形に沿って、その両側の崖からの湧水を集めて流れる、武蔵野台地典型的な小河川だっただろうことが推測される。
山の手台地の旧河川の多くに共通のことだが、地下水の供給源であるべき地上が現在はコンクリートやアスファルトで覆われ、かって豊富であっただろう湧水も乏しくなっている。羅漢寺川も目黒川への合流口(排水口)を見ても、普段は殆ど水の流出を見られない。しかし一旦雨が降れば、逆に地中に浸透する余地が無くなった水が側溝等を通して一気に集中、現在下水道に転用されている暗渠は急速に水量が増すのだろう。

 

地形図

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羅漢寺川地形図.jpg

 

撮影Map

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北沢川緑道、せせらぎの流れ、目黒川緑道合流まで

将軍池付近から続いてきた北沢川緑道は、環七との交差点である宮前橋を越えたところから、せせらぎが整備されていて、「ふれあいの水辺」として市民に親しまれている。

 

 

環七、宮前橋(前回、ここまで)

北沢川緑道-109.jpg

 

地形図

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横に広いのでスクロールして見てください。

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撮影Map

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北沢川緑道photomap.jpg

 

 

北沢川

目黒川の支流の一つ。世田谷区上北沢2丁目から3丁目に広がる、都立松沢病院の敷地にある「将軍池」が一応源流とされている。
ただ松沢病院も将軍池も出来たのは近年のことだから、当然その前からこの辺の湧水を源として細々と流れていたのだろう。

1658年(万治元年)、玉川上水からの分水(北澤分水はこちら)が認められ、以来代沢用水として流域の田畑を潤し地域の開発に大きな影響を及ぼしてきた。
1970年代から1980年代にかけ、その全域が暗渠となって地下を流れ、下水としての扱いになっているようだ。その地上部は現在緑道として整備され、特に環七の宮前橋から下流には、人口のせせらぎも作られ、桜の名所、都・区民の憩いの場となっている。
ここでは源流とされている将軍池から、池尻4丁目、目黒川への合流地点までの全ルートを歩いてみた。なお合流地点では烏山川も合流している。

宮前橋から下流はこちら。目黒川緑道はこちら

 

北沢川緑道、再掲

実は八海山倶楽部初期の頃、北沢川緑道を1度取り上げたことが有る。その後写真の整理をした時に、一緒にこのWebデータも廃棄してしまい、ずっと表示されないままだった。
それで今回、再度全コースを辿り直してみた次第。

北沢川緑道はおいらにとって、いわゆる「せせらぎ」に初めて触れた場所。その後の各地の「せせらぎ」、玉川上水などの水辺に興味を持った、いわば原点みたいなところでもある。

 

地形図

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横に広いのでスクロールして見てください。

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撮影Map

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北沢川緑道photomap.jpg

 

 

日帰り上高地撮影行

5月19日(金)夜発の夜行高速バスで上高地に行って来た。
翌朝5時半頃大正池に到着、順次梓川を遡りながら、16時15分溌の帰りバスに乗り込むまでの約11時間歩き回って来た(最後の3時間位はベンチで飲んだりうたた寝をして過ごしたけど)。

上高地は今更ここで説明するまでもなく、日本でも指折りの景勝地。
しょっちゅう行けるところでもないので手当たり次第にシャッターを押したのだが、写真を選別したりするのも面倒なので味噌くそ一緒にUPしておきます。枚数が多いので専用のアプリの力を借りて、Photo Gallery として掲載します。

 

上高地Photo Gallery

下の写真をクリックして下さい。フォトギャラリー形式で全部の写真が表示されます(パノラマ、動画は下の「ビューポイント」から)。
撮影Mapも下に掲載しておきますので、一緒にコースを辿ってみて下さい。

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撮影Map

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花とせせらぎの道、目黒川緑道

目黒川

西北西からの北沢川と、南西からの烏山川が三宿の東仲橋付近で合流、目黒川として南東に流れる。
かっては北沢川も烏山川も、目黒川も自然の川として、当然地表部を流れていたのだが、現在北沢川も烏山川もその全流域が暗渠となり、地下を流れているし、目黒川もこのページ掲載のように、三宿の起点から国道246号の大橋(池尻大橋)までの600メートルが暗渠となっている。大橋で国道を潜りその下流は開渠となって地上に顔を出し都市河川となる。
大橋から下流の目黒川は又、桜の名所でもあり花見の時には多いに賑わう。

緑道、せせらぎの道

今回取り上げるのは北沢川と烏山川が合流し目黒川となる、三宿から大橋までの暗渠化された地上部600メートル程の区間。この区間は目黒川緑道として整備され、地下の暗渠とは別に地上部で「せせらぎ」が流れ、大橋で顔を出す目黒川本流に合流される。
このせせらぎの水は実は、都水道局落合水再生センターからの高度処理水が使われている。こう言う形での水流復活は「せせらぎ」のみならず本流も含め都内の至る所で見られ、目黒川本流も例外ではない。処理水の助けを借りず自前で水流を維持している川を探す方が都内では困難かも知れない。

緑道部のせせらぎは、目黒川本流への高度処理水通水事業の際、これに上乗せする形で世田谷区と東京都の間で契約が結ばれ、実現したとのこと。
なおこの時、都との申し合わせで「水質を劣化させることなく目黒川へ水を落とすこと」となっており、送られてきた高度処理水をさらに浄化した上で放流しているとのこと。

 

花の道

上記したように「せせらぎ」復活事業は何ヶ所か見られ、目黒川緑道の上流部、北沢川緑道も趣のあるせせらぎの道が見られる。
その中で特にこの目黒川緑道は、流れに沿って咲き乱れる「花の道」として特筆されるだろう。

年間を通し、いつ行っても季節の花が途絶えることはない。逆においらのような「水辺フェチ」にとって、時に花が邪魔で水が見えにくいと言う贅沢な恨みを感じることさえある。
聞けばこの花の景観を維持する為に、中心となってボランティアで献身的に世話をしている人が居ると言う。或いは掃除や草むしりなど折に触れて近隣が協力しているらしい。さも有りなん。

季節によって表情を変える目黒川緑道花の道を、折に触れご紹介しよう。

 

撮影Map

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王子から遡って氷川台駅脇、正久保橋まで

撮影Map(クリックするとGooglemapと連動して表示されます)

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錦絵でも知られた景勝の地

桜の名所・飛鳥山

千鳥ヶ淵、上野公園などと並び東京でも指折りの桜の名所、飛鳥山。江戸享保年間、徳川吉宗が享保の改革の一貫として整備・造成した公園で、桜もその際に植えられたものらしい。

 

石神井川が刻んだ音無し渓谷

名前としては飛鳥山程有名ではないが、飛鳥山の直ぐ脇に広がる「音無親水公園」は、かっての石神井川流路を整備して造られた公園。私としては飛鳥山よりこちらの方に風情を感じる。

石神井川との関係、地形などについては別途参照して貰うとして、ここでは桜の飛鳥山と、かっての音無渓谷の景観を見て頂きたい。

 

地形図

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撮影Map

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石神井川を下流から辿る

 

石神井川終焉の地、王子

この駄サイトで取り上げている幾つかの川・流れは、原則として上流から歩き始めている。
今回石神井川は反対に、下流側から歩くことにした。理由は特に有りません。敢えて言えば河口に近い王子の地が、地形との関係で非常に興味深く最初に取り上げたかったこと。又丁度花見の季節を迎え、桜の名所王子の飛鳥山から取材を始めようと思ったことなど。

小平市に端を発した石神井川が、北区掘舟三丁目で隅田川に合流、終焉を迎える。
王子はその手前に有って、昔の流路と今の流路の関わりを、地形との関係で見せてくれる貴重な場所。
又江戸時代から行楽の名所とされた飛鳥山や音無し渓谷が、王子駅の直ぐ脇に広がり、こちらも見どころが有る。

 

地形図

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撮影Map

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多摩湖自転車道起点(終点)まで

 

撮影Map

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武蔵野台地中央を貫く直線道路を歩く

 

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