ツツ
地域的にどの範囲まで通用するのか知らないが、故郷には「ツツ」と言う言葉が有る。いや、「有った」と言うのが正確か。私の子供の頃は結構使った記憶が有るが今は殆ど使われていない。使われてはいないが、我々の年代なら言われれば多分思い出す言葉だろう。
意味は「もつれてほどけない」とか「こんがらがる」とか言うことで、糸や髪の毛などが絡み合っている状況を言う。
何故今使われなくなったのか?
それはラジオやTVを通して、方言一般が標準語に置き換わって行った事情が有るとして、ツツと言う言葉で表現される現象そのものが、身の回りから見られなくなったことが大きいのだろう。
今日はこのツツについての思い出と大考察
糸と髪の毛
魚沼に限らず昔、我々が生まれるか生まれないかの頃まで、女しょの冬仕事として機織りは広く行われていた筈だ。当然その記憶は私に無いが、我が家にも機織りの道具だけは残っていた。
私の小学校の頃だったと思うが、その機を使っておばあちゃんが機織りを再開したことが有る。
織っていたのは越後上布と言われる麻の織物で、織り元からの注文に応じて平織り、絽、紗等を織り分けていたが、この麻糸が頻繁に切れる。特に夏場など乾燥した時には、口に含んだ水で霧を吹きながら織るのだが、兎も角よく切れてもつれる。
その都度「ああ、又ツツになって」と言いながら、その糸を繋ぎ直しながら織っていたものだった。ツツはその言葉と共に日常的な出来事だった。
今その機織りは一般家庭で見られることは無い。越後上布が国の重要無形文化財に指定された後、昭和48年から後継者の育成事業が取り組まれて、平成20年までに魚沼地域で25人が技術を習得したとサイトにある。
すべて苧麻を手うみした糸を使用するとか、いざり機で織ることとか、さらしは雪ざらしによるとか、5つ程の厳格な規格が有るらしいが、出来あがった着物は何百万もするのだそうで、ビックリ。それと比べての織り子達への報酬の少なさは今も昔も変わらないらしいが、兎も角普通の人にとって機は今、縁遠いことになっている。
裁縫も子供の頃は普通に見られたことで、男の子でも家庭科の授業で雑巾やパンツを縫った覚えが有る。
これも今、せいぜいとれたボタンを付け直すのに針と糸を使う程度で、今の子供に「サイホー」と言ってもその意味を知らない子だっているだろう。
「糸がもつれる」等と言う経験を、したくても出来ないことになっている。
糸だけでなく髪の毛についても、昔は今のように朝シャン(この言葉自体、既に古語の部類か)は論外として、髪を洗うことすら何日に一度ってことも珍しく無かった。
今髪の毛をボサボサにし、もつれさせている女性など、わざと逆毛を立てている場合等を除けば先ずいないだろう。
糸にしろ髪の毛にしろ「ツツ」と言う現象そのものが見られなくなった時、それを表現する言葉も又衰退するのは自然の流れで、かくして我々が中学を卒業する頃から次第に使うことも聞くことも無くなり、今やツツは完全に絶滅危惧種と化し、記憶の底に深く沈んだ。
しかしこの「ツツ」の語感が、糸がもつれて解くのにイライラして歯がゆい感情と、微妙に重なって、私には何となく愛着を覚える言葉になっている。
願ってもかいの無いことかも知れないが、出来れば何らかの形で残せないものか。
受けるのだ、ツツは!!
実はこの、「子供の頃は使っていて、言われれば誰でも思い出すが、現在は使われず普段は忘れている」状態の言葉は、時として別の目的を持って復活することが有る。つまり「受け狙い」だ。そう、ツツは受けて笑いを取れる言葉として一時期、或るところで復活を遂げたことがある。
「或るところ」とは城内4Hクラブ。時期はその4Hクラブが活発に活動していた40数年前。
4Hクラブとはアメリカ渡りの、一応全国的な協議会を持つ農村青年組織、一言で言えば農業後継者の集まりで、当時そう云う若者も城内に結構居たから、城内4Hクラブも農協を中心に中々活発で生きのいい活動をしていたのだが………、ツツがここで復活した。受けを狙って。
勿論糸や髪の毛の話ではない。
例えば会議や打ち合わせで、話が錯綜して結論が出ない時「話がツツになって来たなあ」とか、「にしゃ(おまえは)、話がツツになってるぞ」とか。
或いはバレーボールの試合で(当時文化祭に様々なグループ同士、バレーボールの大会が行われた)、味方がクロスプレーとなり点を落とした時など「おーい、ツツになってんじゃねぇぞ」等と応援席からやじが飛ぶ。
この場合勿論、当のプレーヤーに向かってのやじでは有るにしても、廻りで一緒に応援している他のグループ、特に女性たちを意識して、そこに聞こえることを意図してのツツ、つまり真のターゲットは別のところに有ったりする。
本来の使い方でさえ
話の運びやましてバレーボール等、本来とは違った場面と使い方での、言わば「想定外」的効果を期待しての受け狙いだったが、時代が更に下がるとその本来正当な使い方でさえも場違いというか、今と昔の落差を感じさせて、そこに思わぬ効果を発揮することが有る。
35年ほど前、中学の同級会に参加した際、ヨシコが髪の毛を腰の辺まで伸ばして出席していた。横に座って「おまえ、頭洗う時、ツツにならんか?」と言ってみた。
ヨシコは一瞬、顔をクシャッと歪めたかと思うと、次の瞬間はじける様に大笑いしながら「ヤダー!!、雄、ツツだって!!」のけ反ったまま暫く笑いが止まらなかった。
既にこの頃、完全に古語となっていたが、記憶の底から突然目の前に持ち出されたツツは、不思議なユーモアを共有できる言葉になっていた。
あんたも私と一緒に、この味の有る言葉を残す為、意識的に使ってみませんか。ツツにならないよう気を付けながら。
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