【ウバユリの花】・・・2004 年7月18日、知床・羅臼にて(爽やかな香りも素敵だった)知床・羅臼の【ウバユリ】 2004.07.18A.jpg

    後にボケて写っているピンクの花はオニシモツケ(シモツケソウよりかなり大きい)

私が初めてこの花に興味を持ったのはこの、写真を撮影した時からだった。

以来、これから梅雨明け1ヶ月位迄の期間に自然に分け入る時は、必ずこの【ウバユリ】の花を

探して歩く事となった。

 

まずは知らない人も案外多い様なので、

【姥百合(ウバユリ)】についての概要 ・・以下【ウバユリ】とする

   植物学的な基礎知識については省略:詳しくはNET検索や山野草図鑑をご覧下さい。

  ◆ 自生環境 ・・・・ 主に山間地の里山境界地で、木漏れ日の入る杉林やナラ・クヌギ等の
              雑木林と自然な小川等の水際周辺を好む様です。

  ◆ 種類 ・・・・・・ 分類上は【ウバユリ】と【オオウバユリ】に分かれるが、背丈が1m
              位で分けられる小振りのものを【ウバユリ】と言い、主に中部以南に
              自生と言われる。
              (実際、岡山県でニッコウキスゲ程度のウバユリの花を見た事がある)

              標高の高い中部山岳地域から緯度の高い東北・北海道には1.5m以上
              の物が多く、2m以上も少なくない。 その為これを【オオウバユリ】
              と呼んでいる。(私たちの故郷に咲く花も、オオウバユリとだ思う)
              しかし厳密には生育環境に依る差であろうと考えられ、外観や花の形
              状などの相異点を見分ける事は難しい。(遺伝子レベルの話は?)

              そこで本稿では便宜上、以降を【ウバユリ】に統一してすすめます。

  ◆ 花期 ・・・・・・ 開花の季節は、およそ『6月中旬~8月中旬』頃、ただし各地域別で
              考えると『梅雨末期から約1ヶ月』位と考えると良いでしょう。

             花は【下の蕾から順次上の蕾へ】と咲き登るものと、逆に【上から下
             へと咲き降りる】ものがある様だ。

              初年度の開花は1~2輪、次の年から3~5~10輪~と増え 一般的
              には20~30輪位咲くと根球迄枯れるらしい。
               例外として、100輪位の花を付け、4~5m位の背丈に延びる
               事もある様で、ネット上でも写真が掲載されて居た。

              また土壌や気温・湿度・日照時間等で、花数や開花時期・期間が変る
              らしく、同じ様な大きさの株でも開花数が変る事がある。

              なお、同じ年に蒔かれた種も発芽に数年掛るものや、発芽して最初の
              開花迄3~5年位かかると聞くが、正確な所は不明。

  ◆ 【ウバユリ】の成長画像 (ネット画像引用で構成)・・・・・ 芽吹き~開花~実~種へ

     芽吹き 種から発芽したばかりの1~2年ものは除外、花芽となるものは葉が複数枚
          出て、この様に巻いた形で芽吹きをする。(発芽数年後から巻く)

【ウバユリ】の成長 (ネット画像引用合成).jpg

 

【ウバユリの郷】・・・越後:八海山の山懐(ふところ)

 

   前置きが長くなりましたが、その【ウバユリ】が今年は我等の故郷で豊作(?)の様だ

   冒頭で触れた様に 2004年にウバユリの花に興味を持ってから、我等の故郷の【ウバユリ】

   について生育の実態を3~5年に一度は調べて見ていた。

   特に故郷の山 “八海山” 里宮(城内口)の森に焦点を当て、毎回調べていたが、4年前に調べ

   た時迄、咲きそうな【ウバユリ】又は咲いたと思われる【ウバユリの実】は多い年でも、

   全体で 7~8本程度しか確認出来なかった。(葉は見掛けるが、花はめったに見掛けない)

   所が、今年5月23日 予定外のスケジュールだったが、ごく調べやすい里宮・社殿周辺と前の

   杉林エリアを調べて驚いた、少なくとも 20~30株位 花を付けそうな【ウバユリの株】

   確認出来た のである。(まだ花芽は立ち上がっていなかったが・・・)

   たったこれだけのエリアに、これ程の株数が見付かったと言う事は、似た様な環境の地域を調

   べたら、更に多くの【ウバユリ】密生地が見付かる事と思う。

   まさに、【ウバユリの郷】と言っても過言ではないと思われる状況でしょう。

 

     ただ、【ウバユリ】は “山菜” としてや “華道の素材” 等としてなどの為に乱獲
     される懸念もあり、投稿に躊躇を覚えて居たが、管理の仕方によっては観光ィ
     ベントの好材料としても故郷の役に立つものと思い
『保護』を検討して欲しい
     気がする。

     もし何も『保護』をしなければ、2~3年で花は見られなくなるでしょう。

 

  ◆ 地理的イメージ   

   【参考 1】 「霊峰・八海山」(登山案内板より)・・・越後三山のひとつ
2017.05.23 -B068A 【ウバユリ関連】 八海山登山案内.jpg

 

   【参考 2】 「八海山・里宮周辺地図」Google Map より
八海神社(里宮)周辺 1.JPG

 

   【参考 3】 「里宮周辺拡大版」〇印のエリアが今回の調査エリア
八海神社(里宮)周辺 2.JPG

 

 

  ◆ 調査結果

       正確には確認数を数えていなかったが、花が咲くと思われる株が20本は確認済で、
       細かくチェックすれば最低でも30本以上が有りそうだった。
       以下【参考 4】に代表的な場所の株を写して見ました。

 

   【参考 4】 「八海山・里宮」の森周辺の代表的【ウバユリの株】
【ウバユリの株】里宮 (2017.05.23).jpg

 

 

もう一つの【ウバユリの郷】

    ・・・・【長森山】裾野、登山道沿い小川の両岸

 

     ここは今年、偶然見つけた場所ですが、調査と言う程調べて無いが登山道の沿道と
     小川の両岸を眺めて歩いただけで20本位が咲きそうで、対岸の林の中にも何本かが
     確認出来た。(多分これからも大きくなる株が増えるでしょう)

 

    【事例 5】 【長森山】裾野・小川沿いに自生する【ウバユリの株】事例

【ウバユリの株】長森山登山口・雪室側(2017.05.23).jpg

 

   ◆ Map 

       【長森山】登山道入口・ウバユリ群生地(〇印の中)
【長森山裾野・MAP】 ウバユリ群生エリア.jpg

 

     そう、ここは清酒「八海山」の 蔵元【八海醸造】が経営する【雪室】の隣接地
     画面右側、黒い屋根の工場が【八海醸造・魚沼の里】。

       ※ この写真は雪室の施設内から五日町スキー場方向
        (写真右、黄色い屋根の向うの森が【ウバユリ】群生地)
2017.05.10 -D041A  【長森山裾野・雪室】 11.30 ・・13・30 頃.jpg

     正面の山に広がるゲレンデが「五日町スキー場」、ゲレンデ中央の 白い建物 が
     スキー場のレストハウス。

     その レストハウスからのライブカメラ がこちら(八海山)を向いて、24時間
     稼働している。
     これは「インディーテクノロジー」と言う地元の企業が運営する【ゆきぐに
      ネット】のサイトで【八海山】に向けての定点ライブがネット公開されている。

   【八海山ライブ】例 A  (2016-12-01 10:00AM)
2016-12-01-10-00.jpg

   【八海山ライブ】例 B  (2016-12-24 10:00AM)
2016-12-24-10-00.jpg

  ※ お気付きですか? (上に掲載の2枚の写真の共通点について) 

    そう、「撮影月が同じ:昨年12月」「撮影時間が同じ:午前10時」そして「画面
    右側山裾の同じ位置から同時に煙が登っている」事。

    これは、この2本の煙り(水蒸気と思われる)が登っている場所のイメージを持っ
    て頂くと、次の Map の理解がし易いのではないかと思います。
    この2本の水蒸気煙は【清酒・八海山】等を醸造する為の仕込みの煙りとの事で、
    【八海醸造(株)】の下記 2つの工場からの煙りです。
       ☆ 中央寄りの煙り・・・・・八海j醸造(株) 魚沼の里(工場)
       ☆ 右端山裾先端の煙り・・・八海醸造(株) 本社工場

    毎年、12月から1月にかけてはお酒の仕込みで毎朝大量の炊飯をするのでこの様な
    煙り(蒸気煙)が決まった時間に出るらしい。 (杜氏さん達の一番忙しい時期)

 

   【八海醸造(株)】関連 Map
八海醸造 (株) Map.JPG

   【五日町スキー場 ⇒ 八海酒造】及び【六万騎山】周辺
八海山ライブカメラと八海醸造の位置関係.jpg

     ※ 参考用に、2本の煙りの位置と五日町スキー場とを直線で結んでみました


   話を【ウバユリ】に戻しましょう。

   今回【第2のウバユリの郷】とした場所のイメージは、上記 【八海醸造関連 Map】
   の【八海醸造・魚沼の里】の北側、「長森山」登山道 がその場所にあたる。

 

前回投稿の【カタクリ群生地 2017(関東編)】で案内したカタクリ群生地【三毳(みかも)山】の、

前回は殆んど咲いて居なかった、その後の開花状況が知りたくて4月4日 (火) 改めて行って見た。

 

快晴の日の夕方16時頃、東向き・雑木林のゆるい傾斜地に広がるカタクリ群生地は満開を迎え

ていた。 そして、その日夕映えの群生地は、めったに見られ無い今日・この時刻にしか見る事

の出来ない自然を見せてくれたのです。

 

三毳山・カタクリの園・・・【三毳山公園】最寄入口は東口

   ◆ 三毳山でも【この「カタクリ群生地」は独特】な風景
       (夕刻で陽光も少し赤味を帯びて来た所)
2017.04.04 - XPERIA  001B 三毳山 (カタクリの園).jpg

   他のカタクリ群生地の場合、この様に青々とした下草は無く、青葉としては
   落ち葉の中から発芽したカタクリ自身の葉と、点在して生えるスミレやイチ
   ゲ類、タンポポ等早春の山野草や雑草類で、この位広範囲で見ると、殆んど
   落ち葉の中からカタクリが咲いて居る様に見えるのが一般的

   ここは、下草の殆んどが「彼岸花科の【キツネノカミソリ】」と言う植物の
   葉で、見た目は彼岸花と同じく葉だけでの見分けは難しい。(ニラに似た葉)
   この様な群生地は、私は他では見た事がない。

   因みに、キツネノカミソリは7~8月頃 黄色~橙色 のニッコウキスゲを小さ
   くした様な花を複数付けて咲く。 これも群生して咲くので見事ですよ!

   ◆ キツネノカミソリ(ネット画像より)カタクリ園、第2東屋上部付近
三毳山・カタクリの園 (キツネノカンザシ).jpg

 

カタクリの花、4月4日に戻りましょう。

 

花のUPから群生写真へ

   ◆ カタクリの花
2017.04.04 - NICON  060 三毳山 (カタクリの園).jpg

2017.04.04 - NICON  016 三毳山 (カタクリの園).jpg

2017.04.04 - NICON  026 三毳山 (カタクリの園).jpg

2017.04.04 - NICON  027 三毳山 (カタクリの園).jpg

2017.04.04 - NICON  028 三毳山 (カタクリの園).jpg

     この緑色の葉がキツネノカミソリ

2017.04.04 - NICON  036 三毳山 (カタクリの園).jpg

2017.04.04 - NICON  045 三毳山 (カタクリの園).jpg

2017.04.04 - NICON  030 三毳山 (カタクリの園).jpg

   ◆ 陽ざしが傾くのをしばらく待って冒頭の写真、そして以下に続く
     (太い幹の影がカタクリの引き立て役として気に入った光景)
2017.04.04 - XPERIA  002B 三毳山 (カタクリの園).jpg

2017.04.04 - XPERIA  003B 三毳山 (カタクリの園).jpg

 

ここ関東平野で、春一番の 山野草の花園(群生花)と言えば、「フクジュソウ」「ニリンソウ」「アズマ

イチゲ」等、そして【カタクリ】が思い浮かぶ。

約1週間前、自宅から車で1時間(平日・渋滞時間以外)位の距離にある、東北自動車道・佐野SAの

東側の丘陵地【三毳山(みかもやま)】に行って来た。

そう、関東でも良く知られた【カタクリ】の 群生地 なのです。

 

ただ異常気象のせいか寒い気温の続く今年は、花の季節としてはまだ早すぎるかも知れないとは思って

いたが、『開花直前』と言う状況でした。 (撮影日、3月7日)

 

 

カタクリの現状

 

 ◆ 鑑賞用木道より・・・・今回一番開花が近そうな株(まだ蕾が固い)
A001 2017.03.07 - 045 三毳山 (カタクリの園・メイン部).jpg

    ニラみたいな緑の葉は「キツネノカミソリ」の葉、夏にはこの花の群生も壮観
     (曼珠沙華の仲間で、7~8月頃黄色い小さな日光キスゲの様な花が咲く)

 

 ◆ 平均より少し花芽(蕾)が伸びているカタクリの株
       平均的には蕾が出始めて見えるか見えないか位の株が多かった
A002 2017.03.07 - 044 三毳山 (カタクリの園・メイン部).jpg

   まだ、枯葉の下に隠れている株も大量に有った様でした。

 

 

三毳山 (みかもやま)公園

 

 ◆ 【三毳山公園】周辺図  Googie Map より  (写真をクリックすれば拡大出来ます)
A003 【三毳山】周辺図 (Google Map).jpg

 ◆ 【三毳山公園】東口 ~ 【カタクリ群生地】
A004 三毳山公園東口 からカタクリの園 (Google Map).jpg

 ◆東口の【案内図】
A005 2017.03.07 - 001 三毳山 (東門付近).jpg

   〇 案内図の下部に東口入口が有る。 (最大のカタクリの群生地はここからが近い)
   〇 群生規模の大小は有るが、公園のあちこちの雑木林などに植生が見られる。

   〇 高速道路で来る場合は東北自動車道・佐野藤岡ICを降り、R50号線を「小山・
     水戸」方面に向かって登り道となり、登り切るとすぐ左側に【道の駅みかも】が有
     る。 ちなみに、道の駅から【三毳山公園・南口】も繋がっていて入る事も出来る
     注:【三毳山公園・南口】から【カタクリ群生地】迄は歩くかシャトルバスとなる。

     カタクリ群生地へ直行する場合は、道の駅の信号から一つ目の信号を「岩舟」方面
     へ左折すると、行く手左側に【三毳山公園・東口】が見えて来る。(左右が駐車場)

   〇 電車で行かれる場合は、両毛線「岩舟」が最も近いが、電車の本数は少ない様です。

     東部佐野線の「佐野市駅」又は 東部日光線「静和駅」からタクシーが便利でしょう。

     尚、最盛期には主要駅からのシャトルバスが有るとも聞いた事があるが未確認です。

 

今回の順路

 

 ◆ 入口のシャトルバスのバス停付近
   「河津桜」と表示は付いて居たが、寒い為か「梅」の花みたいだ (2~3分咲き位)
A006 2017.03.07 - 013 三毳山 (東門付近).jpg

A007 2017.03.07 - 018 三毳山 (東門付近).jpg

 

 ◆ 最初の東屋付近迄の途中
A008 2017.03.07 - 019 三毳山 (東門付近).jpg

A009 2017.03.07 - 021 三毳山 (カタクリの園入り口).jpg

   ◆ アズマイチゲ (太陽が差しこんでいれば花が開いて居たと思う)
A010 2017.03.07 - 063 三毳山 (カタクリの園・メイン部).jpg

A011 2017.03.07 - 065 三毳山 (カタクリの園・メイン部).jpg

   ◆ カタクリの園分岐点(第一の東屋・左後ろ)・・・ 右へ川沿いに登る
A012 2017.03.07 - 023 三毳山 (カタクリの園入り口).jpg

   ◆ 第2の東屋に向かう川沿いの道 (正面に東屋の屋根が見える)
A013B 2017.03.07 - 025 三毳山 (カタクリの園入り口).jpg

   ◆ 第2の東屋から登って来た道を振り返った風景 (右、カタクリの園へ)
A013 2017.03.07 - 024 三毳山 (カタクリの園・東屋付近).jpg

   ◆ 第二の東屋から【カタクリの園】鑑賞用木道を見上げる (水平に見える木道)
A014 2017.03.07 - 022 三毳山 (カタクリの園・東屋付近).jpg

   ◆ 登り木道横に咲く「フクジュソウ」や「ニリンソウ」
A016 2017.03.07 - 033 三毳山 (カタクリの園・東屋上流付近).jpg

A015 2017.03.07 - 029 三毳山 (カタクリの園・東屋上流付近).jpg

    寒さと咲き始めで花が少なく、撮影位置のせいで正面からの花が撮れなかった
A017 2017.03.07 - 031 三毳山 (カタクリの園・東屋上流付近).jpg

   ◆ 鑑賞用木道(中央部)から第2の東屋方向を見下ろした光景
     カタクリも群生しているが、キツネノカミソリ(緑の葉)が勢力を伸ばしてる?
A018 2017.03.07 - 039 三毳山 (カタクリの園・メイン部).jpg

   ◆ 【観賞用木道】・・・この木道の上下が一番の群生地 (木道は行き止まりです)
      緑色の葉が繁っている所は「キツネノカミソリ」、夏には花で黄色く染まる
A019 2017.03.07 - 037 三毳山 (カタクリの園・メイン部).jpg

A020 2017.03.07 - 038 三毳山 (カタクリの園・メイン部).jpg

   ◆ 落ち葉だけの様に見える所も、良く見ると下の写真同様に小さな芽生えがいっぱい出てた
A021 2017.03.07 - 050 三毳山 (カタクリの園・メイン部).jpg

A021B 2017.03.07 - 052 三毳山 (カタクリの園・メイン部).jpg

A022 2017.03.07 - 042 三毳山 (カタクリの園・メイン部).jpg

A023 2017.03.07 - 048 三毳山 (カタクリの園・メイン部).jpg

A024 2017.03.07 - 041 三毳山 (カタクリの園・メイン部).jpg

A025 2017.03.07 - 049 三毳山 (カタクリの園・メイン部).jpg

  ◆ 帰路(鑑賞用木道)より
A025B 2017.03.07 - 053 三毳山 (カタクリの園・メイン部).jpg

A026 2017.03.07 - 054 三毳山 (カタクリの園・メイン部).jpg

 

  ご覧の通り、まだ満足に咲いて居るカタクリは一本も見る事は出来ませんでした。 残念!

  が、今週あたりから咲き始めるでしょう、またニリンソウもアズマイチゲも今からがシーズンです。

  なお、最盛期は、恐らくあと2~3週間後からで、4月上旬位迄はこの斜面がカタクリの紫で敷き

  詰められる事でしょう。

   (現在は落ち葉に隠れている株も、恐らく今出ている株数以上に有ると思われます)

 

  ネットで「三毳山」「カタクリ」「画像」のキーワード検索すれば過去の多くの綺麗な群生画像

  見られます、一度検索して見て下さい。 そして、実際に行って見る事をお薦めしたいと思います。

 

 

  ◆ 帰路、池が見え始めた頃 雑木林の小枝を渡り歩く小鳥が居た
       名前は知らないが、せわしなく飛び回る姿が可愛いくて1枚!
A027 2017.03.07 - 072 三毳山 (カタクリの園・メイン部).jpg

 

 

【 余 談 】

  冒頭で「河津桜」の写真をお目にかけましたが、樹木表示は「河津桜」でしたがどう見ても梅の花

  にしか見えず、念の為ネット検索で花を調べたら、本場伊豆半島の河津の桜とはかなり変形した花

  弁では有ったが、寒冷地では変形して来たのだろうとも解釈できる花が多数見つかった。

  従って、河津桜の仲間には間違い無さそうなので、本稿では「河津桜」として扱った

 

  河津桜の検索中メジロと桜の写真が多数あり、中にほのぼのとしたユニークな写真があり感動!

  目の保養に1枚借用、皆さんにも紹介したいので掲載しましょう。

    なお、作者の方にお断りしておりませんので、もしご本人様からお申入れが有った時は、
    削除致しますので悪しからずお願い致します。(営利目的ではありませんのでご容赦を)

  ◆ メジロの夫婦か兄弟か?・・・微笑ましいシーンですよね!
A028 -河津桜とメジロ.jpg

ご無沙汰してました。

 

昨日(2月7日)、西那須野に住む知人を訪ねた帰路、大田原市の【ザゼンソウ】

群生地を訪ねて見た。

 

寒さの続く今年の場合「まだ咲いて居ないだろう」と思ったが、春の息吹は確実

に近付いていた。

とは言え木道を一周しても13株しか確認出来ず、他の花芽は落ち葉の下で顔を

出すタイミング見計らっている様で、まだ群生地にしては物足りない。

見頃は3~4週間位後になると思われるが、やはり日照時間と温度次第ですね!

 

では、見付けたザゼンソウの中の幾つかをご覧頂きましょう。

 

 

春の息吹

 

 ◆ 日が陰った所でひっそりと咲くザゼンソウ(花が終る頃横の青い葉が開く)
2017.02.07 A03AH【大田原ザゼン草群生地】.jpg

 

 ◆ 群生地入口からの全景(木道の奥で木道が2つに分かれ周回して見て周れる)
     群生地と田んぼの境に見える小川の清流がこの群生地を育んでいる

2017.02.07 A10 ザゼンソウ群生地 【栃木県大田原市北金丸】 .jpg

  奥の日陰の部分も、見えている日向の部分とほゞ同じ面積で、群生地としては小規模だが、

  山地から離れた平地の小さな林の中ではやはり【群生】と言える個体数が自生している。

 

 ◆ ミズバショウよりは乾燥地を好むが、やはり水辺や湿地の近くを好む
    (この写真は上の写真の水溜りの一画に咲くザゼンソウ)

2017.02.07 A09H【大田原ザゼン草群生地】.jpg
 

  群生地に着いた時、時刻はすでに15時40分を回り、この写真の頃は16時を過ぎていた

  ものと思う。 ちょうど西日が差しこんで居て花の向きが東向きで有る事がわかる。

 

 

 ◆ 日向が好きなザゼンソウだが花は質素で趣がある
2017.02.07 A05H【大田原ザゼン草群生地】.jpg

 

 ◆ 木道から写せる被写体は殆んど逆光の位置だった
   (逆光の為ハレーションを除き切れなかった)

2017.02.07 A010H【大田原ザゼン草群生地】.jpg

 

 ◆ 写真を撮っていて気が付いた・・今咲いている花は殆んどが東を向いていた
    (偶然と言う可能性もあるが、咲いて居る13株すべて東向きなんてね?)

2017.02.07 A07H【大田原ザゼン草群生地】.jpg
 

あとのザゼンソウもすべて東向きなのだが、被写体が遠すぎたり周りの落ち葉や

木の枝等が邪魔であったり傷があったりで写す気になれませんでした。

最盛期には色々なな方向を向いたザゼンソウが咲くのだろうが、初めて見た光景

は何かミステリアスな現象に思えたね!

 

帰ろうとしたその時、雀の群れ(30羽以上居たと思う)が一時ザゼンソウの林

の梢に集まって来て騒がしく飛び交わして居た。

 

 ◆ 飛んで来たスズメの群れの一部
2017.02.07 B12 群れ雀H【大田原ザゼン草群生地】.jpg

 

 ◆ その後何処かへ飛び去ってしまった
2017.02.07 B11 群れ雀H【大田原ザゼン草群生地】.jpg

 

  最初はスズメと思っていたが、もしかしたら違う種類だったのかな~?

  少々雀より小さかった気がするし、羽根もスズメより鮮やかな気がする。

  鳴き声も「チュン チュン」では無く「チチツ チチツ」って感じだった様な・・?

 

 

【ザゼンソウ群生地】の場所・・・栃木県大田原市北金丸

      (道の駅「那須与一の郷」の 近く)

 

 ◆ 現地周辺MAP 大田原市発行観光MAP(るるぶ)より大田原市部分MAP.jpg

 

 ◆ 大田原市全体図 大田原市発行観光MAM(るるぶ)より
    (道の駅にて入手の資料から)

大田原市MAP.jpg

 

 

 

 

9月30日(金) 今年2回目、休みと久し振りの好天を利用して「巾着田」へ行って来ました。

まずは、9/30現在の【曼珠沙華】の写真から。

 

   ◆ 駐車場からの入口
2016.09.30 A 007 【巾着田】 入口(駐車場側).jpg

   ◆ 入口を入った中間地点付近・・・・残念ながら花は終わりの状況
2016.09.30 A 009 【巾着田】 入口(中間地点).jpg

   ◆ 中間地点中を探し周って、唯一のワンショット
2016.09.30 A 019 【巾着田】 ドレミファ橋付近(中間地点).jpg

   ◆ 今回は、遅咲きエリアでも6割は花が終わってUPに耐えられる花は少なくなった
2016.09.30 A 033 【巾着田】 遅咲きエリア.jpg

2016.09.30 A 032 【巾着田】 遅咲きエリア.jpg

   ◆ あいあい橋の上り坂 (途中から振り返った風景)2016.09.30 A 039 【巾着田】 遅咲きエリア(あいあい橋付近).jpg

   ◆ あいあい橋(上)より
2016.09.30 A 038 【巾着田】 遅咲きエリア(あいあい橋付近).jpg

2016.09.30 A 043 【巾着田】 遅咲きエリア(あいあい橋付近).jpg

2016.09.30 A 055 【巾着田】 遅咲きエリア(あいあい橋付近).jpg

2016.09.30 A 056 【巾着田】 遅咲きエリア(あいあい橋付近).jpg

   ◆ 橋の上から浅瀬を狙って見ました (数匹の魚影も見られました)2016.09.30 A 059 【巾着田】 遅咲きエリア(あいあい橋付近).jpg

   ◆ あいあい橋を引き返して、橋の下へ
2016.09.30 A 062 【巾着田】 遅咲きエリア(あいあい橋付近).jpg

2016.09.30 A 066 【巾着田】 遅咲きエリア(あいあい橋付近).jpg

2016.09.30 A 067 【巾着田】 遅咲きエリア(あいあい橋付近).jpg

   ◆ 「あいあい橋」 下付近にて2016.09.30 A 071 【巾着田】 遅咲きエリア(あいあい橋付近).jpg

2016.09.30 A 075 【巾着田】 遅咲きエリア(あいあい橋付近).jpg

2016.09.30 A 076 【巾着田】 遅咲きエリア(あいあい橋付近).jpg

2016.09.30 A 077 【巾着田】 遅咲きエリア(あいあい橋付近).jpg

2016.09.30 A 082 【巾着田】 遅咲きエリア(あいあい橋付近).jpg

   ◆ 遅咲きエリア出口付近2016.09.30 A 080 【巾着田】 遅咲きエリア(あいあい橋付近).jpg

2016.09.30 A 084D 【巾着田】 遅咲きエリア(出口付近).jpg

2016.09.30 A 085 【巾着田】 遅咲きエリア(出口付近).jpg

 

以下、工事中

 

  私には 【故郷の風景】 以外に 【忘れられない心の風景】 が幾つかある

        それは、そのシーズンになれば必ず一度は行って見たくなる場所


  そんな場所が、関東甲信越 圏内 に 5ヶ所 ある。
  ( 最近で体力不足の為、車で行ける場所にシフト傾向ですが!)

 

    ☆ 埼玉・日高市(高麗川)の【巾着田】 ・・・・・・・・・・曼珠沙華/彼岸花の群生地
         9/中~10/上 旬 ・・・・ 水辺の木立の中で咲く曼珠沙華は圧巻

      ◆ 最盛期の写真サンプル
曼珠沙華・巾着田A.jpg

 

    ☆ 群馬・鬼石(おにし)の【桜山公園】 ・・・・タイミング次第で紅葉と冬桜のコラボが
         
10/中~11/下 旬 ・・・ 紅葉と冬桜のコラボが見られたらララッキーな人

      ◆ 最盛期の写真サンプル
鬼石・冬桜 (1280×340).jpg


 

    ☆ 長野・豊科【光城(ひかるじょう)山】 ・・・・安曇野でここでしか見えない槍ヶ岳と
                             旧山城の桜のコラボレーション
         
4/中〜5/上 旬 ・・・・・ 安曇平野と北アルプスの展望と光山城址の桜が魅力

      ◆ 写真サンプル (光城山・山頂より)
光城山 A (1280×479).jpg

 

    ☆ 栃木・中禅寺湖畔【千手ヶ浜】 ・・・・・・・ロケーション抜群のクリンソウの群生地
         
5/中~下 旬 ・・・・・・・・ 木立の中を流れる清流がクリンソウの群落と相乗効果

      ◆ 写真サンプル
千手ヶ浜のクリンソウ(橋の向こうは中禅寺湖).jpg


 

    ☆ 長野・ビーナスライン【車山肩】 ~ 【美ヶ原・高原美術館】  (別々に行く事も)
                     ・・・・・・花と富士山~南・中・北アルプスの展望台
       
4/上~5/下 旬  ・・・・ 【美ヶ原】 穂高連峰等・残雪の北アルプスと春の山野草

      ◆ 写真サンプル  【左から、乗鞍岳~(手前:王ヶ塔/アンテナ)~穂高連峰~槍ヶ岳】
Dscn1100B.jpg
    【美ヶ原高原美術館】と、北アルプス【左から :手前は表銀座の山並/後は立山連峰
                            ~爺ヶ岳~鹿島槍ヶ岳~五竜岳~唐松岳】
Dscn1152.jpg


        6/上~7/下 旬  ・・・・ 【車山肩】 残雪のアルプスなどの山岳とコバイケイソウ
                  やレンゲツツジ・ニッコウキスゲ等「初夏から夏の花々」

      ◆ 写真サンプル  (車山肩 : 6月頃)
コバイケイソウ (車山肩)B.jpg

 

 

     上記6項目については過去ログ
       (右記 INDEX の 久′Page
  Page-INDEX (おひまなら来てよネ!) 

      から詳細記事を探す事が出来ます

 

  今回はその中の 【巾着田】 の今年 について書いて見ましょう。

   ◆ 周辺図
日高探訪「お散歩マプ」1600×.jpg

 


【台風16号前】 (9月16日現在の巾着田)

 

   ◆  早咲き(上流)エリアの状況
2016.09.16 A 026B 【巾着田】 .jpg

   台風13号が過ぎたばかりで花もかなりダメージを受けて居た様です
2016.09.16 A 034B 【巾着田】 .jpg

 

   ◆ 中間エリア付近
2016.09.16 A 022B 【巾着田】 .jpg

2016.09.16 A 030B 【巾着田】 .jpg

2016.09.16 A 052B 【巾着田】 .jpg

   高麗川河畔(ドレミファ橋付近)は日当たりが良いせいか早咲きエリア並みに咲いていた2016.09.16 A 051B 【巾着田】 .jpg

   中間地点近くにある公園入口 (正面)
2016.09.16 A 020B 【巾着田】 .jpg

 

   ◆ 遅咲(下流)きエリア
2016.09.16 A 021B 【巾着田】 .jpg

   あいあい橋への登り道土手にて
2016.09.16 A 066B 【巾着田】 .jpg

   あいあい橋 (巾着田入口方向)2016.09.16 A 093 【巾着田】 .jpg

   あいあい橋の下A
2016.09.16 A 094 【巾着田】 .jpg

   あいあい橋の下B
2016.09.16 A 092 【巾着田】 .jpg

   あいあい橋から高麗川上流(中間地点)方向
2016.09.16 A 089 【巾着田】 .jpg

 

   ◆ 帰路、公園入口から出たのだが、「酔芙蓉」 「コスモス畑」も見頃に ・・・・・
2016.09.16 A 008B 【巾着田】 .jpg

2016.09.16 A 010B 【巾着田】 .jpg

2016.09.16 A 007 【巾着田】 .jpg

 

 

【台風16号の後】、 ( この 巾着田 は?)

  残念ながら、私はまだ見て無いが、近況は日高市の情報サイト 【「巾着田」公式サイト】 
  ご覧下さい。

  公式サイト9月24日現在の概要からは、かなり台風の影響が出ているものと思われます。

   ◆ 参考 (公式サイトより一部抜粋 2016.09.24)
2016.09.24 巾着田.JPG

 

花の状況は例年より多少遅れ気味と思われるが、花の綺麗なUP写真を撮るには下流点(遅咲き)
エリアでも、10月5日位迄が限界でしょう。  今後も台風17号等の動向も影響しそうですね!

 

 

【故郷の風景】、今回の話題は八海山を背景に、            

    新潟県内限定「スペシャルな新幹線」撮影しようと言うもの。

 

この新幹線、今年4月29日から上越新幹線・越後湯沢新潟市で、原則 土・日と祝日に運行を始めた。

特徴は、有名アーテイストの絵や作品が車両ごとに展示されて楽しめると共に、外装もアーテイストの作品で
カラフルに彩られている事。

カタログコピーの為色彩がうまく出ないのだが、鉄道ファンならずとも自然の中を疾走する姿はカメラを向
けたくなるものと思う。 
  (たゞ、黑色が多い外装は、自然の中で走る姿は背景に溶け込み易く撮影が難しいかも?)

そして、その 背景に八海山  が入ったら これは 【絵】 になりますよ!

 

 

ところで、 参考ですが ≪ Win PC でご覧の方へ ≫

   文中の写真は「画像」をクリックすれば拡大モードとなります
      Win 7 以降のOSならキーボード上の位置操作 「→ ↑ ↓ ←」 対応
        キー操作でマウスだけでは見えなかったエリアも見る事が出来ます 

   Win 7 ~ Win 10 以外のOSでは未確認ですので動作保障はできません、念の為。

 

話を戻します。

その新幹線の名は、【現美新幹線】 (げんびしんかんせん) 

現美新幹線A.jpg

詳細は後述するとして、

  【現美新幹線】の運行区間を再確認して見ましょう。(下記、マップ参照)

   ◆ 運行区間:上越新幹線【新潟】⇔【越後湯沢】 (マピオン3Dマップより)新潟から水上 (Mapion 3Dmap より).jpg

   地図上、2重の輪の中(八海山の麓)が私達の故郷(旧“城内”)

   ◆ 故郷・旧 “城内” から仰ぎ見る 「八海山」 の風景20040514   八海山-011.JPG

   【岡】村上手、アズマイチゲ咲く宇田沢川畔より
2015.04.28G _125 故郷の春 【アズマイチゲと清流と八海山】銘酒は此処で生れる.jpg

   ある年の晩秋、里に初雪が積もった日の午後 (トミオカホワイト付近より)
里の初雪(直後)下薬師堂付近【宇田沢川】堰堤より (2008年12月上旬、前夜の里・初雪).jpg

   ある年の5月上旬、田植直前の風景 (雪国まいたけ工場付近より)六日町・城内雪国まいたけ工場付近より(1280×816).JPG

 

   ◆ 六日町庄ノ又付近より (庄ノ又川たもとより)六日町・R17庄之又川付近より (1280×816).JPG

 

   ◆ 魚沼スカイライン・発荷峠近くより魚沼スカイライン 枡形山付近より (1280×816).jpg

   ◆ 魚沼スカイライン・枡形山頂上付近より
         (雪国まいたけ工場付近への自然のスポットライト)2004.08.20 魚沼スカイラインより (スポットライト) (1280×960).jpg

 

   しかし、残念ながら「いち番欲しい 八海山 ・ 正面 のこの方向」から  は、

         ≪走っている新幹線を入れた写真≫を撮る事が不可能 なのである。

 

   それは、上越新幹線が越後湯沢を出るとすぐトンネルに入り、五日町スキー場のすぐ先
   魚沼丘陵の地下に潜ってしまう為である。

   

でも、真正面からの【八海山】は無理でも八海山と新幹線をテーマに出来る撮影エリアは結構ある。

それらの内の何ヵ所かの撮影スポットを参考としてご紹介しましょう。

 

その前に、【現美新幹線】について少し触れて置きましょう。

 

  (以下、JRびゅうのカタログ抜粋)

現美新幹線(1280×929).jpg

2016.09.18 A 001 【現美新幹線】 .jpg
2016.09.18 A 002 【現美新幹線】 .jpg
2016.09.18 A 003 【現美新幹線】 .jpg
2016.09.18 A 004 【現美新幹線】 .jpg
 

 

    と、豪華版の新幹線で、内装・外装ともに
              有名アーテイストによる装飾の【走る美術館】がコンセプト。

   注 : 現美新幹線の運行ダイヤは1~3ヶ月単位で変わります

        10~11月以外(9月も)の月の運行計画については各自で調査の上
        撮影スポット通過の時間を推定して下さい。
        各新幹線駅・旅行案内所や主要旅行会社で事前に「現美新幹線」の最新
        版カタログを入手するのが良いでしょう。

       

さて、こゝではその【走る美術(外装)館】を八海山とコラボしたら【芸術秋の良い作品】になるのでは?
と考えた訳。

もっと早く気が付いていてたら、稲刈前の「稲穂と新幹線と八海山」なんてトリプルコラボも狙えたかも?

 

 

それではどんなシーンが撮れそうか検討して見たいと思います。 
 (住まいが茨城なので Google Map ストリートビュー 等 から探って見ましょう)

 

 

1.八海山の「正面に、より近い方向から撮りたい」場合

   ☆ 新幹線がトンネルから出る位置に近い程、正面に近い画像になる。
     ただしあまりトンネルに近いと、下り(浦佐)方向へ向かう列車のシャッターチャンスを
     逃す可能性が多くなる。

   ◆ 上越新幹線の湯沢から来て、トンネル出口に一番近いライブカメラ映像
      (五日町スキー場からの八海山:2016.08.31 15時30分 ゆきぐにネット様より)雪国ネット・八海山ライブより(2016.08.31 16.35).JPG

     上越新幹線はこのライブカメラの設置されている建物の、まさに真下を潜って いて
     こゝ五日町スキー場から直線で約1.2km浦佐寄りの「城山新田」で地上に出る
     また、標高も80~90m位低くなり、仰角が変る為 山容も少し変って来る。

   ◆ 周辺地図 (YAHOO!地図より)
YAHOO! 地図より五日町スキー場A.jpg

 

 

2.現美新幹線と八海山が絵になりそうなエリア

   ☆ 城山新田~浦佐スキー場の間、特に九日町から浦佐スキー場を結ぶ、国道17号線の 東
     側にベストポジションがあるものと思われる。

     特に八海山に重点を置くなら九日町から天神川を結ぶR17号の東側(下記地図の右側)
     にベストポジションが有りそうだ。 (新幹線と八海山の写りのバランスが良さそう!)

     八海山にこだわらず、越後三山(越後駒ヶ岳・八海山・中の岳)にシフトして考えるなら
     案外、浦佐駅周辺からも意外なスポットが狙えるかも?

   ◆ 普通のカメラでも結構いい絵がとれそうなエリア
          (マークの辺りかな? ・・・・ ただし保証は有りませんよ!)九日町から浦佐 (Yahoo Mapy) A.jpg

 

3.Google Map (ストリートビュー)による参考画像

   ◆ R17号のレストラン・クルサレットの所(信号無し)を右折した道から
           (写真は通常の新幹線、現美新幹線はもっとカラフルだと思う)八海山・越後駒ヶ岳と新幹線(拡大)B.JPG

   ◆ 九日町(hakkai株式会社脇道より)九日町hakkai(株)横道付近からの新幹線と八海山(撮影スポット例 1).JPG

     実はこの場所にある hakkai(株)と言う会社、NHK の「サラメシ」と言う番組で【八海山】
     が良く見える社員食堂として紹介された事があり、また、同じく NHK 「小さな旅」で昨年夏
     頃、創業者の 会長(だったと思う)ご夫婦の400回目の八海山登山 を写した番組が 放映さ
     れた。
      (ちょうど、グレートトラバース(200名山)が八海山を通過した時期と重なって居たっけ)
     八海山  とは不思議な 縁 がある会社である。    

     小生としては何の縁も無いのだが、出来ればこの道からのワンショットを残したいと思う。
     もし、社員だったら、社員食堂(2F)からのビデオ映像も残せるだろう。
     (社員達の環境が羨ましいですね!)

 

   ◆ 浦佐周辺では 浦佐スキー場のレストハウス付近から  ・・・過去、何処かのサイトより入手
八海山 -  030 (Web) 浦佐スキー場-thumb-640x278-13701.jpg

   写真は、右端の山が「八海山」、その左側が「越後駒ヶ岳」、標高600m位迄雪が来た晩秋の
   季節と思われる。 空気が乾いて居ればこその風景で、春には殆んど望めない晴天です。

      写真の出典不明。 もし写真を撮影された方がご覧でしたらご連絡下さい。 
       もし、不都合が有りましたら掲載を削除致します。

      浦佐スキー場は 数年前廃止 になってしまった為、今では車では登れないかも知れ
       ません。
       また、スキー場への立ち入りには、「管理者の許可を得る必要がある」かも知れま
       せんのでご注意願います。

     レストハウス迄の途中でもOK(但し車道の邪魔をしない事)
     付近からの越後三山と新幹線は絵になると思う。 画面左に浦佐駅が見える。
     空気が澄む10月以降がよりスッキリとした映像に!
     新幹線迄遠いので、もしかしたら普通の新幹線が返ってハッキリ撮れるかも知れませ
     んね! (ズームUPすると山と新幹線の画像バランスが難しくなるかもしれません)

     こゝ、浦佐スキー場からは山と新幹線と欲張らず、山は山・新幹線は新幹線と別々に
     構図を作った方がいい写真になるかもしれませんね!

     この距離では、せっかく綺麗な【現美デザイン】写真にすると風景に負けてしまう
     が多いでしょう。
     ( 余程 乾燥 時の 快晴 で、西日に近い日差し の時で無いと、色彩が出ない でしょう )

 

   新幹線は浦佐駅を出るとすぐにまたトンネルに潜ってしまう

 

 

3.現美新幹線にも乗って、更に魚沼盆地を周るバスの旅
      【 JRと旅行会社のコラボ企画 】

 

   ◆ 越後湯沢からバスで「今泉記念館」「トミオカホワイト」等を周って長岡から湯沢に戻る
2016.09.18 A 005 【現美新幹線】 .jpg

 

    えっ

     「新ゴジラ」?って、・・・ 何の事?

 

これはある「道の駅」に隣接した、見応えのある【田んぼアート】のお話です。

 

もう1ヶ月と少し前の6月26日、北海道からの帰りに、もし天候が良かったら 岩木山か八甲田山を
周って帰ろうと函館から最終便のフェリーで青森に渡り、深夜【道の駅 いなかだて】に着いて朝迄仮
眠を取る事にした。

実はこの【道の駅 いなかだて】は岩木山や白神山地や日本海方面と八甲田山や十和田湖方面への中継
地点として、また中間地点として便利な位置に有り、過去幾度となくここで夜明かしをした所でした。

そこで、北海道では殆ど雨続きだった為、天気が良かったら A) 岩木山へ登って(と言っても車で
登れる8合目迄)日本海沿いに帰るか、 それとも B) 八甲田→十和田湖→東北自動車道ルートで
帰るか、 6月27日の朝の天気で決めようとした訳だ。

翌、27日、朝7時頃迄待つも残念ながら「岩木山」・「八甲田山」方面共に黒く どんよりとした雲
に覆われてしまって行く気持ちを挫かれてしまった。
 (9時頃まで様子見をしたが結局晴れず断念)

周辺を散歩してから、東北自動車道でゆっくり帰ろうと言う事にして、改めて道の駅の【案内MAP】
を見て 「そうだ、こゝ田舎館村は【田んぼアート】が有名だったんだ」  と言う事を思い出した。

ここの所、約5~6年ご無沙汰していたせいか、改めて【道の駅 いなかだて】の敷地を散策していた
ら、まったく見た事も無い「立派な展望塔」が建っていた。(展望デッキへのエレベーターまである)

 

 

【道の駅いなかだて】

 

八甲田山系や十和田湖・奥入瀬・酸ヶ湯方面から弘前や岩木山・白神山地、日本海沿岸を旅しようと
する人々なら一度は通過するであろう【国道102号線】沿いの、道の駅
東北自動車道 「黒石IC」 から R102号 に下り、弘前方面に向かって約2.5km 程の 左側に
位置している。

駐車スペースも広く、小生は十数年來のリピーターとしてここをベースに仕事やレジャーで使わせて
もらっている。
今回は、公衆トイレがまだ温水洗浄式で無かった事に少し時代遅れを感じたが、それ以外の点につい
ては清潔に整備されているし、各店舗対応も「おもてなし」の姿勢 は昔ながらの好印象であった。

 

   ◆  田んぼアート展望塔  ・・・・ この塔の右・北側に【新ゴジラ】が・・・
2016.06.27 AN  【青森】 067 田舎館道の駅  (NICON).jpg

快晴ならこの正面(塔の後方)に【岩木山】(別名:岩木富士)が見える。

 

   ◆ 展望塔の上から見た【新ゴジラ】の田んぼアート  (北側展望デッキより)
2016.06.27 AN  【たんぼアート・新ゴジラ】 田舎館道の駅  (NICON).jpg

普通のカメラでは全部が入らない。(18mm位の魚眼レンズだったら入るかな?)

この写真は2枚の写真を合成して作成。 細かく見れば不連続部分も・・・ご容赦を!

 

 

2年前からこんなアートも ・・・ ストーン(石=砂礫による)アート

 

   ◆ 西側展望デッキより : 高倉健 (電車の向こう、雲に隠れている山が「岩木山」
        電車(弘南鉄道線)の向かう踏切の左側が、臨時の【田んぼアート駅2016.06.27 AN  【砂礫アート・高倉健】 田舎館道の駅  (NICON).jpg

 

   ◆ 南側展望デッキより : 石原裕次郎 (大鰐・大館・・・秋田県県境方面) 
                  右端に、「田んぼアート駅」(臨時駅) ホームが見える
2016.06.27 AN  【砂礫アート・石原裕次郎】 田舎館道の駅  (NICON).jpg

この右側、人が4人作業している【田んぼアート駅】(田んぼアート用、臨時駅)前広場には今年、
【石文字のアート】を作るのだそうです。

 

個人的には、【石文字】よりも、このレイアウトなら「美空ひばりアートが似合うと思うけど
なあ! と、つい思ってしまったのだが?

 津軽と言えば「りんご追分」、りんご追分と言えば「美空ひばり」って、 日本人なら多くの人が
 パブロフの犬並みに、条件反射で名前が出て来る程、全国的に有名だ。

 また、レイアウトのバランスとしても女性 高倉健・石原裕次郎並び立てる貫禄を持っている
 人物 としては 丁度つり合いのいい人 だと思うのだけどね!

 

ところで、田舎館村にはもう一ヶ所 【田んぼアート】 が有る

今回は寄らなかったが、「道の駅いなかだて」 から約2.5km程離れた田舎館村役場の前に今年
のNHK大河ドラマ【真田丸】から「石田三成」(山本耕史)と「真田昌幸」(草刈正雄)をモチー
フにしていると言う【田んぼアート】がある。

石田三成の三女が津軽藩の正妻として嫁いでいた事も選択の理由の一つとの事。 
もう一人のモデルが主人公の真田幸村(信繁)ではなく、なぜ真田昌幸なのかについては不明。
恐らくテーマ選定時期のドラマの展開で、ちょうど主役的存在だった人物【真田昌幸(草刈政雄)】
が選定理由ではないかと思うのだが、田舎館村HPの中ではその理由は書かれてて居なかった。

その、第一会場での今年の「田んぼアート」については後述の ライブカメラ・URL からアクセス
してもらえれば 【田植の頃からの経過】 も画像で見る事が出来る。

そのライブカメラは下記掲載の 【田舎館村役場】 展望室(デッキのある櫓作りの部分)に設置。
 

   ◆ 田舎館村役場 (Googie Map より)田んぼアート 第1会場(村役場).JPG

 

 

 昨年の「田んぼアート」 

 

   ◆ 第一会場【風と共に去りぬ】がテーマ : 2015年(田舎館村観光課発行パンフレットより)
2015 たんぼアート 第1会場 【風と共に去りぬ】.jpg


   ◆ 第二会場 (道の駅いなかだて)のテーマ : 【スターウォーズ】 (同上、パンフレットより)2015 たんぼアート 第2会場 【スターウオーズ】.jpg

 

2014年以前

   ◆ 2012年~2014年のアート (田舎館村役場観光課発行パンフレットより)2012から2014 たんぼアート 第1・2会場 【展示作品集】.jpg

 

両会場ともに、ライブカメラが設置されており 自由にアクセス出来ます。

  ライブカメラの URL は http://www.inakadate-tanboart.net/livecam.html

詳細は 上記 URL にアクセスしてご覧下さい。

 

 

参考資料

 

   ◆ 二つの会場の位置関係
       (田舎館村HPより : 道の駅の方には弥生集落の遺構があり、弥生の里とも言う)
田舎館村・田んぼアート会場地図.JPG

 

   ◆ 周辺案内図 (【道の駅いなかだて】 に有った案内図)2016.06.27 AN  【田舎館道の駅周辺図】   (NICON).jpg

 

   ◆ 東北・道の駅 MAPより抜粋 
青森・道の駅 map.jpg

 

その始まりは何気なく撮影して回っていた故郷の棚田の片隅にひっそりと、しかし気高く咲き誇る
数群の野草の群れであった。
 
場所は 新潟県南魚沼市と十日町市を結ぶ国道235号線の沿線、発箇峠(トンネル)から十日町側へ
約1km位下った人家が見え始める直前の、左右に棚田が広がる付近
。  国道235号線両側の田圃の
畦道に生えた ツユクサの群れの各所に、掲載写真の様な風変りな小さな花のツユクサが群れを作っ
て咲いているのを発見
した事から始まった。 (名称:不明)
(普通のツユクサの群れの中に囲まれ、小さな花のツユクサが 0.5~1 ㎡ 位の島の様な小さな群れ
 を作って数ケ所に咲いていた ・・・ その時は国道235号沿いの両脇で、5ヶ所を確認していた )
 
   ◆ 新種? ツユクサの変種?  (2005年8月13日撮影)
           ・・・・・ 写真左後方の大きな花が普通のツユクサの花
2005.08.13 ツユクサ 001 (変種)R253十八箇峠→十日町寄り畔道にて(1280×955).jpg
 
最近では国道沿線の開発が進み棚田の趣も変ったり、人家も増えて来て当時の趣はなくなりつゝある
様ですが、当時は国道の両側に分散して普通のツユクサと混生していた。
 勿論、普通のツユクサは周りり一帯が群生地と言える位に密生していた。
混生と言っても、写真の様に小さな花のツユクサ群の中に、普通のツユクサがポツン・ポツンと咲い
ている状況で、その花の群れの隣には、普通のツユクサの花がやはり群れて咲いて居た。
(普通のツユクサの群れの中にこの小さな個体が混生している状況は無かった・・・数ケ所確認済)
小さい花のツユクサの特徴
   1.花の色が濃い青色である
   2.花びらの先端が丸く萎んだ感じになっている
   3.花の大きさは、普通のツユクサの 1/3~4 位 の大きさ
   4.草丈、葉の形状、色等は普通のツユクサと同じ
   (花以外では、普通のツユクサとまったく見分けが付かない)
などから、農薬等による「突然変異」か?とも疑って見たが、それにしては広範囲の田圃の畔や路傍
に植生が見られ、普通のツユクサも混植して居た。
2005年に見付けた時は深く考える事も無く写真を撮っただけであったが、以来11年間、毎年では 無
いが、この時期になると同じ場所 (付近) や 全国の行く先々で ツユクサを見付けると、探して見て
いるが、未だにあの花同じ花には出会えていない。
従って、農薬などに依る突然変だったのか、あの年だけで消滅したものだったのか、未だにミステリー
のまゝ
です。
 
添付写真では40~50本ほどの花の集団の中に数本だけ、普通のツユクサの花が混じっていたものです。
そんな花の集団が国道235号線の両側の田圃の畔際に計 5ヶ所は有ったと記憶していますが、2年後に
行った時には 1ヶ所 も(1本も)花が見当たりませんでした。(季節は同じ8月上旬)
普通のツユクサは、旺盛に咲いて居たし、大きく土地改良工事をした様子は見られ無かったと思う。
以降、同じ季節に何回か行っているが、やはり R235 沿線で見付ける事は出来ませんでした。
 
もし、花の名前をご存知だったり、何処かで同じものを見つけたら、是非 教えて下さいね!
宜しくお願い致します。
 
 
 
 

今日、【週刊現代】7月2日号を購入して毎号楽しみにしている「絶景日本遺産」のページを開いたら、ほゞ毎年、私が楽しみにしていたコバイケイソウの絶景スポットが紹介されていた。

 

ビーナスライン ・・・・ 霧ヶ峰・車山肩レストハウス付近


   ◆ 週刊現代・7月2日号のページより・・・・掲載の為簡易コピーとしてます、
       (掲載原画は週刊現代をご購入の上、ご鑑賞下さい。 綺麗ですよ!)週刊現代7/2号 (549×800).jpg

この写真の様な、若いコバイケイソウの白い花赤いレンゲツツジのコラボを見る為には、6月下旬から7月上旬頃がベストシーズンなのだが、コバイケイソウの開いた花は7月いっぱい位楽しめる。

ただし、この季節は梅雨の季節と重なるので写真の様な快晴に恵まれる事は少ない為、一度でこう言う晴天に出会えた人は、余程ラッキーな人と言える。

私の場合今の季節、こんな天気に巡り合えたのは10年で2回だけしか有りませんでした。
 過去ログ【花ドライブ】(山野草 初夏編) 参照。

ここはレンゲツツジが終わる頃、コバイケイソウとニッコウキスゲの季節となり、7月~8月頃迄楽しめる。
また、写真の奥に見える平坦な所は【八島ヶ原湿原】で、ここ霧ヶ峰「車山肩」からもハイキングコースが続き、車道もビーナスラインが続いているのでドライブコースとしても湿原散策と組み合わせると多くの山野草に出会えるでしょう。

また、よく晴れた日(特に早朝)には、ここ車山肩から写真の中央付近に穂高連峰が、右奥には白馬三山など、北アルプスの山並みが眺められ、四季を通じて楽しめるドライブスポットです。

勿論、御嶽山や乗鞍岳、東から東南方向八ヶ岳から富士山、南から南・中央アルプスと、ほゞ230°が見回わせる山岳展望台で、50倍以上のカメラ(ビデオ等)なら奥穂高岳と涸沢岳の間のコルに建つ【奥穂山荘】も見える機種が有るでしょう。

 

 

今日、古いソフトのメデアを整理していたら Win-XP 初期の頃入手した、昔懐かしいゲーム集のCDが出
て来た。 で、動くかどうか ダメ元で Win-7 今のPCにインストール して見た。

四柱推命や麻雀・上海・花札・その他10種類位有ったが、殆んどが予想通りインストール出来なかったが、
唯一【四字熟語パズル】と言うゲームが動いた。

このゲームは、四字熟語をあるルールに沿って当てながら四角に漢字で敷き詰められたパズルを解いて行くゲ
ーム。  けっこう知らない四字熟語が多く、頭の体操には良さそうだ。

TVを付けながらインストールして、テストの心算で何ゲームか・・のはずが、気が付いたら2時間位。
ふと気が付けば、TV は 東京都議会・舛添問題の集中審議をやっていた。

しばらくTVの集中審議を眺めていたが、相変わらずの舛添節を繰り返すのみで、それを突き崩せない与野党
の質問者にも歯痒い思い
で、再び【四字熟語パズル】に戻った。

しばらくして、とある四字熟語にたどり着き、ハツ !  とした、

 「 舛添さん!

           今の貴方の説明は、まさにこの四字熟語そのものだ!」

「牽強付会」(都知事の説明).JPG

 

  言い訳ばかりでは、増々疑惑がマスぞえ!

これから、ドライブや旅行等の多くなるシーズンになります。 そんな時、参考にして頂けると思われる過去
ログを検索し易い様に整理した【目次検索】についてご紹介します。 
  (特に関東以北方面の情報が多いですが・・・)

過去ログの中には結構参考にしたい、確認したいなどの有意義なデータも少なく有りませんが、特に古い記事
の検索は【慣れないと結構面倒】なものです。

これは「八海山倶楽部」私の投稿記事久'Pageの中で、もう一度見たい記事あそこへ旅行したいが
関連記事は?
などの検索が楽に出来る工夫で、既にご利用の方も多数いらっしゃると思いますが、改めて検
索方法をご紹介致しますので活用して頂ければ幸いです。 
(ただし「目次」は 私の 久’Page オリジナルで、他メンバーのページと共通したものでは有りません)

 

 

 

1.検索手順

 

   A) 八海山倶楽部 TOP画面 
久Page【目次】 操作ガイド 1 (TOP画面).jpg

 

   B) 久'Page のTOP画面
久Page【目次】 操作ガイド 2 (久PageTOP画面).jpg

 

   C) 目次画面 (上部抜粋サンプル)
久Page【目次】 操作ガイド 3 (サンプル).jpg

 

   D) 目次画面から【見たいタイトル】をクリックすると、当該記事にスキップします

 

 

 

2. 現在の目次(一覧表)

   ◆ 2016年6月11日現在  注 : この画像からはアクセス出来ません
久Page【目次】 2016.06.11現在.JPG

クリンソウ(2016.05.31)D.jpg

   「日光自然博物館」 ブログより写真借用、5月31日の開花状況です

 

今年もクリンソウの季節が始まっています

 

「クリンソウの群生地」の、イチ押しスポットを挙げるなら

   やはり日光中禅寺湖畔の【千手ヶ浜】が一番に浮かんで来る

 

此処のロケーションは、何回来ても 飽きる事が無い

ただ、最近は有名になり過ぎたせいか観光客が増えすぎて、休日や天気の良い日はゆっくり撮影も出来ない事が玉に傷。
それでも年に1回は行って見たくなる。

その魅力はクリンソウの花だけではなく、群生地の川や林などとのコラボレーションが、他では見られない 神聖な風景清涼感 を醸しだしてくれる。

私はそんな自然が好きでリピーターになった。

 

皆さんも一度如何ですか?  5/31(上の写真)の状況を見ると3~4分咲き位でしょう。
今月20日頃までは楽しめそうですね!  (最盛期は6月5日~15日頃か?)

広いコースには早咲き・遅咲きの場所があり、小雨程度なら結構楽しめる場所に苦労する事は無いでしょう。
ただし、雨の日は途中に泥濘(ぬかるみ)などがありますので行かれる方はキャラバンシューズなどの準備をお薦めします。

行き方や詳細については「日光自然博物館」ブログや、小生の過去ログ 【花ドライブ・九輪草群生地】2013実践編③ 等にアクセスして頂ければ調べが楽だと思います。

マイカー利用の場合は、首都圏からは平日約3~4時間位、我等の故郷・新潟県 南魚沼市からは金精峠ルートで約3時間位で【赤沼車庫】バス停に着くでしょう。 【赤沼】からは専用のシャトルバスを利用する事になります。

電車・バス利用の場合、都心からでも東部日光線で浅草から特急で日光へ行くルートなら充分日帰り出来るでしょう。東部観光では日光~赤沼間を直通バス運行するという話も聞いた事があるが未確認情報なので各位で調べてください。 【赤沼】からは、やはりシャトルバスになります。

 

地理的イメージ

   ◆ MAP 1  過去ログ【花ドライブ・九輪草群生地】2013実践編③ より 
中禅寺湖畔・千手ヶ浜(クリンソウ群生地).jpg

   ◆ MAP 2  「日光自然博物館」ブログより
kurinmap1.jpg

あのセミの声、幻聴だったのか?

先日(5/24)、久し振りに茨城・取手市の自宅迄、日帰りで帰宅して来た。

その際、昼過ぎ(13時頃/外気温:約31℃だった)自宅に着きマンションのベランダ側の窓を開けた途端、【ニイニイゼミ】の鳴き声が飛び込んで来た。

始め、まだセミの鳴く季節とは考え難いので気のせい(幻聴かも?)だろうとあまり気にせずに居たのだが、声が途切れたり、強弱が重なってきこえたりする事に気が付き、また幻聴を聞く様な健康面や精神面での要因にも思い当たる事は無く、やはり幻聴では無く【セミ】の鳴き声だと確信した。

改めて耳を澄ますと 聞こえるのは【ニイニイゼミ】1種類だけの声、

   ・ 声の個体数・・・セミの鳴く声の区切りがなどが重なって聞こえる (3匹位と思われる)

   ・ 声の方向・・・・・複数の方向から声が聞こえる (セミの位置に遠近も有ったと思う)

   ※ 【ニイニイゼミ】の場合、単体の鳴き声は一定の音程で鳴く為、個体数が少ない場合は
      声の方向は聞き分け易い

などの事が確認出来た。

我が家は13階建てマンションの10階、ベランダからは河川敷を直下に眺められる河川敷に生えた雑木林やマンション周囲の大小樹木が【セミ】達の集う場所になっているのだが、10年以上住んで居るが今迄に5月からセミの声を聞いた記憶は無かった

確かにこの地域で、例年最も早く鳴き始めるセミは【ニイニイゼミ】であるが、早くても 6月下旬~7月中旬頃で一般的には梅雨明け一番に鳴き始めると認識している人が多い様だ。

それが今年は1ヶ月以上も早く出て来たのだろうか?

最も、職場に戻る際(18時頃)エレベーターや駐車場等で会った顔見知り数人に【セミの鳴き声】を聞いたか否かを聞いて見たが、誰もセミの声など聞いて居ないと言う。
確かに15時を過ぎた頃にはセミの声は聞こえなくなっていた。

もしも空耳だったとしても、何とリアルなセミの声であった事か。
毎日が自宅を離れている今の生活では確かめる術が無いが、自分の耳を信じる事にしたいと思っていた。

 

ところが、一昨日(5/31)1週間振りに朝早くに帰宅して日暮れ迄自宅で用事をしていたが、セミの声は全く聞く事が出来なかった。

もっとも、朝8時頃で外気温(マンション中庭)約25℃、14時頃で約27℃(今日の最高気温)。 確かにセミが鳴き出すには厳しい気温だったかも知れないが ・・・・・・

それとも、私の幻聴だったのか?  正直私自身も、今は半信半疑? と言うところです。

 

野生キジの話

ちなみに一昨日のベランダからの風景(河川敷ゴルフ練習場)では、例年通り、【野生のキジ(雄)】の縄張り宣言の声 しか聞こえませんでした。

   ◆ ベランダからの河川敷風景(東北東方向)
自宅ベランダ(10F)からの風景.jpg

     写真右端から更に30~50m位の位置にゴルフの打ち放し地点がある

このゴルフ練習場をテリトリーとしている雄キジに、毎年私は春~夏にかけて楽しませてもらっている。

キジの寿命は5~8年位と聞く。 私が此処に越して来て10数年だから、もう何世代目かになるのだろうが 3.11のその年もそれからも、毎年変わらずに3月下旬~7月上旬位迄此処に見える範囲~左のゴルフ練習場エリア(約50m程左奥)をテリトリーにしている雄キジが居る。 日差しの強い日中等は写真の中の練習場の中の一本の樹の下や、小貝川沿いの雑木や草の藪の中に居る様だ。

定着している雄キジは、天気のいい日には早朝5時前から【雌キジを呼んだり、テリトリー宣言】の為に “高鳴き” を始める。

大抵の場合、雌キジは5月上旬迄にペアリング(交尾)を終え、5~6月上旬は抱卵・子育てを単独で行い雄キジは全く関知しないらしい。

その為か、雄キジは7月上旬頃迄しっかりとテリトリーを守って、新たな雌キジの来訪を誘い続けている。

もっとも、TVである生物学の先生(大学講座だったかな?)が話していたが、鳥類の場合も結構人間で言えば≪浮気≫になるがペアで子育てする様な夫婦仲のいい鳥でも親子関係を遺伝子レベルで調べると違う父親のヒナを育てている場合が結構多いらしい。
ある地域でのツバメの例では15~16%のペアで違う父親のヒナが確認され、中には3個体以上の父親のヒナが混じっていた巣も数%有ったそうで、キジ等の雌が単独で子育てをする様な鳥の場合、雌は産卵前に複数の雄と交尾して色々な父親のヒナを産むのが普通だそうだ。 これは、強い子孫を残す為に生まれた自然の知恵なんだろうとの事でした。

話を戻して、そんな理由からか一昨日も1羽の雌キジも来て久し振りにペアで見られました

以下、その時(一昨日)の動画撮影から、幾つかのシーンをピックアップして見ました。

 

食事風景


   ◆ イネ科の草が特に好きな様だ (赤マスクが雄、小柄で地味なのが雌)
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高鳴きシーン A

2016.05.27  【小貝川キジ】 001 A 高鳴き.JPG

2016.05.27  【小貝川キジ】 002 A 高鳴き.JPG

2016.05.27  【小貝川キジ】 003 A 高鳴き.JPG

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2016.05.27  【小貝川キジ】 005 A 高鳴き.JPG

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2016.05.27  【小貝川キジ】 007 A 高鳴き.JPG

2016.05.27  【小貝川キジ】 009 A 高鳴き.JPG

 

高鳴きシーン B

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因みに雌キジは高鳴きはしません、「クウー」「クウー」と小さい声で鳴く事は有るが、雄の様に高鳴きをする事は全く無い。

 

なお、実際の キジの高鳴きの【声】を聞いてみたい方は こちら(You Tube) クリックして下さい。

今回の撮影に使ったコンパクトデジカメの性能では音源が遠過ぎて収録したキジの音声が小さ過ぎた為、過去ログの【今年も健在「小貝川・ラブストーリー】の音声(you tube)にリンクしました。 悪しからず

 

 

  【アズマシロカネソウ】と言う山野草をご存知ですか?

    漢字で書けば【東白銀草】、その花は可憐で小さくて

       清楚な中に華やかさがあり、見れば見る程美しい

 

   ≪お詫びと訂正≫ ・・・・・ 開花時期の件
   下記文中、南魚沼地方では【田植前後の頃】と書きましたが、今年の場合は4月初旬には
   咲いていたとの事でした。 小生の経験則だけで記載して居ました事をお詫び致します。

   開花条件は植生地域・地形・標高・気温その他が影響する為毎年同じには行かない様です。
   今年は極端に積雪量が少なかった事が原因かも知れませんが、この地方の開花時期につい
   ては下記の通り訂正させて頂きます。
    【開花時期】 誤 : 田植前後の頃  ⇒ 正 : 3月下旬~5月上旬頃の間の約10日間 

   なお、下記本文は便宜上原文のまゝ訂正しませんので悪しからず願います。

 

アズマシロカネソウ(東白銀草)は、主に秋田~福井(京都・丹後半島でも確認報告あり)の日本海側の山間地に分布。 中でも新潟県はその愛好者が多いせいか自然の個体数が多く確認されている地域です。

私の故郷、新潟県の南魚沼地方では田植え前後の季節に可憐な花を開く山野草で、山裾の清水が湧きだす様な谷筋の岩に着いたコケに着生したり水流や風で飛ばされた種で下流の砂礫が多い岸辺に着生しているものが多く見られる。
この山野草は清流の証と言った人もある位、綺麗な水の流れている岩場や小流・その脇の湿った木陰を好む。

山菜採りで【ミヤマイラクサ】や【ミズ】などを求めて沢筋を歩くと、時々見かける花だ
開花期が終わると魚の尾の様な形の小さな種になるが葉と同色になり目立たなくなる

近畿地方では絶滅種、京都府では絶滅危惧寸前種に指定されているが、我等の故郷でも見られる場所は極めて山の裾野や山中の沢筋に限られる様になって来た希少種。

 何とか植生環境を守りたいものです。

不思議な事に、京都府~山口県にかけて日本海側には【サンインシロカネソウ】と言う同属の山野草があるとの事ですが、写真しか見た事が無いので違いが良く解らない。 日本海側の京都府から福井県南部を境に南は【山陰白銀草】、北は【東白銀草】が分布し、殆んど混生している所は無いらしい。
その内、何かの機会に実物を見てみたいと思っています。
しかし、本州の同じ日本海側で、ほゞ半分づつを同属の植物が済み分けているなんて不思議ですね?

 

それでは、アズマシロカネソウの写真を!

   ◆ 故郷・南魚沼市の、とある水源地にて、 【妖精達の集い】と命名してますアズマシロカネソウ (雷電様にて 2007.04.16).jpg

   この写真の水滴は、アズマシロカネソウ自身が体内から夜の間に余分な水分を吐き出して出来た
   もので夜明けと共に再度アズマシロカネソウの中に吸い上げられたり蒸発して数時間で無くなる

   写真の花はまだこれから咲くもので、今日(撮影日)は一輪、明日二~三輪・・・と咲いたと思う
   

対象とする花は小さく下向きにうつむいて咲く為花を被写体とするにはマクロレンズや高級カメラが欲しくなるが根気と工夫があれば思い掛けない写真が撮れる。
掲載の写真も800万画素のコンパクトデジカメ(以下、「コンデジ」と表記)で、中々焦点が合わなかったり背景のボカシが少なく立体感が出なかったりしましたが、思考錯誤しながら20枚近く撮影したモノの1枚をトリミング補正したものです。
勿論、高級カメラとマクロレンズで有れば、1~2枚で充分満足な撮影が出来る筈ですが、持ち合わせて居ない時も私はこうして対応して居ます。

 ※ デジカメ時代の有難さは、パチパチ何枚でも撮れる、失敗写真は何回でも消去出来撮影し直せる事。
   メモリ容量も大容量化した昨今、失敗を恐れず色々な撮影を試みて、後から選別すればいい

   ただ、逆光時の対処にはデータの差が大きく画像編集ソフトを使っても補正に限界があり正確な画像
   の復元が難しい場合が多い様です。

掲載の写真は約10年前のものですが、中々、この様なチャンスに恵まれず、【妖精の集い 2】は未だ撮れて居ません。
 (関東地域に住み、仕事を持って居ると、やはりベストチャンスには中々恵まれない様です)

 

なお、「アズマシロカネソウ」のキーワードでネット画像を検索すると、花々の写真が沢山見られますので、一般の写真はそちらにお任せし、此処では省略致します。

 

【アズマシロカネソウ】のファンは結構多い様ですが、くれぐれも自然界の個体採収はご遠慮願います。
自宅で栽培したければ、栽培ものを購入して下さい (自然個体採取よりも育て易い筈です)

また、被写体が小さい為写真撮影の為に自然を踏み荒らす事の無い様、皆で大切に守りましょう。

 

 

あの 【東日本大震災】 から もう5年目、私がこのルートを走ったのは

              その2年前、復興の実態 をこの目で見たくて、7年ぶりに辿って見た

 

 

 

国道45号線 沿線  (以下【R45号】と表記します)


R45号線は、仙台からほゞ太平洋岸に沿って北上し、青森県八戸市で内陸に入り十和田市でR4号線と
交差し、R45号線は実質ここ迄。
余談だが、R4号を右折すると青森市方向へ、そのまゝ直進すると国道名がR102に変わって十和田湖
(奥入瀬渓流)方面へ続く。
地図で見てもらえれば お分かりの事と思いますが R45号沿線の殆んどが 3.11の震災と津波の被災
地域に該当している、まさに【震災・津波ロード】なのです。

 

常磐自動車道 沿線  (今回は3.11関連テーマの為 いわき四倉PA 以北 とします)


震災前、 『常磐自動車道』  はまだ  首都圏 (三郷JCT) から 「常磐富岡IC」 (福島県大熊町)
 しか完成して居なかった。
仙台以北への車の多くは 『常磐自動車道』 の 「いわきJCT」 から 『磐越自道車道』 経由で 「郡山
JCT」 を経由して東北自動車道へ迂回していた。

それが現在では  「亘理 (わたり) IC」  迄、 ( 片側1車線区間が殆んどだが ) 完成し、そこから
更に  『仙台東部道路』  を経て 『 三陸自動車道 』  ・  『 東北自動車道 』  ・  『 山形自動車道 』 
等に接続している。

7年前『三陸自動車道』 もまだ開通しておらず、松島に繋がる 『仙台東部道路』 だけが完成していた
状況だったと記憶している。

 

三陸自動車道 ・・・・ 東松島以北の被災地への早道


今では『鳴瀬奥松島IC~登米東和IC(現・終点)』  の区間は 「無料区間」 として通行出来、南三
町 (志津川・歌津 等)や 気仙沼方面への時間も R45号線で北上する場合に比べかなり時間を短縮
出来る様になりました。  ※ 登米(とよま⇒と読む・・・漢字変換ではまだ『とめ』が出易い)

 


南三陸町(志津川と歌津)


先月末、 常磐自動車道 ⇒ 仙台東部道路 ⇒ 三陸自動車道(登米東和IC) ⇒ 南三陸町・ 志津川 経由で
歌津 迄、片道約 500km の津波ロード (被災地) を周って来ました。

志津川 と言えば、「若い女性職員が、防災無線で最後まで 避難 を呼び掛け続けて津波 に呑まれ 亡くな
られた」場所 【防災対策庁舎(の鉄骨残骸) (メデアによっては「防災庁舎」と略) が保存されて、
いる所。
震災報道でも様々なメデアで繰り返し報道され、陸前高田等と同様に 「壊滅と迄報道」 された象徴的街。

歌津 と言えば、志津川から直線で 約8km(車で15分位)、一村の殆んどが家や舟のすべてを津波で
流されるも、残った人達が助け合って【 いち早く、自力で昆布の養殖を再開 】させた漁村。
 (NHKスペシャル等でドキュメントされて居たのが印象的だった漁村)

5年目の3.11を迎え、それぞれの復興状況はどうなのか?  私は自分の目で確認して見たかった。

 

一泊しかスケジュールが出来ず、車で走りながらの見聞であったが、【旅を終えて振り返って】見れば、
【事前には「復興 とは言っても、言葉だけが先行している状況であろう」とは考えていたが 現地へ行く
復興現場の 余りにも静かである事(重機や作業員の余りにも少ない状況)が不思議であった】

5年と言えばもっと住宅が建ち始め、商業施設や民間企業の建物等も少しは建ち始めているだろうと思っ
ていた。
だが、確かに、高台移転で家が移転した部分は随所に見受けられたが、街としての機能については嵩上げ
工事の半分も済んで居ない様に見える。 (まだ、街並みなどは形もイメージ出来ない)

行政(特に中央の)考える復興と、現地の温度差が大きく乖離している証拠だろうと思う。

現地の以前からの知人達に聞いたら、「何をするにも作業員が集まらない」と言う事をよく聞く!

【経済原理に任せた野放しの復興では志津川の様な小さな街は息切れして復興計画そのものが瓦解しかね
ない】 と、痛感
したのが今回の旅での感想でした。

【金】と【口】だけ出して復興支援をしている政治家達に、国会の会議場を「地元」で実態を見ながら実
態に則した審議してもらいたいものだ。
何も全議員一同に会する必要は無い、共通のテーマ別に県単位でそれぞれの地域に取ってどうしたらベス
トかを、色々な地域からの議員から選抜(自選・多選)して審議して分科会形式で纏め、全国の最終摺合
せ議事を議事堂でやればいい。
それなら議員定数も現在の2/3も居れば充分だろう。議員達の定数削減も楽かも!

与党も野党も、国会議事堂の中でぬくぬくとしながらの論議では、「そう言う実態が、有るかどうもか分
らないので・・・」
安倍総理が答弁して物議を醸している待機児童問題も、復興問題 【根】 は同じ

国会議員にも 実態を見ない(見ようとしない?)で党利・党略有りきのあら探し論議(現地・庶民感情を
無視)を繰り返して時間だけを浪費している事に、何の疑問も持たない議員には退場して貰う仕組みが欲
しいもんだ。

 

なお、本投稿で 【常磐自動車道】 とする区間については、以下記事では便宜上 いわき四倉PA  以北を
対象とします。

 

1. 3.11 津波の爪痕

 

   時間が許すなら 【陸前高田】 付近迄足を延ばしたかったが、今回は 【歌津】 迄でタイムリミットでした

   ◆ 関係・広域Map (高速道路SAにて配布の Higway Walker 高速道路地図より抜粋)
仙台から大船渡.jpg


   今回は上記Mapの【歌津】(地図右中程の“東北”と言う文字の上付近の海岸)から始めましょう。


歌津 (うたつ)

   ◆ GoogleMapで見た、歌津駅(現在未開通)付近の 伊里前湾・・・志津川湾の一部map 歌津・伊里前湾.JPG

   ◆ 上記Mapの「伊里前」と表記の場所より伊里前湾を撮影
      (現在は歌津駅前商店街から移転した10軒程の仮設店舗がある)
2016.02.25 D002 【南三陸・歌津・伊里前湾】.jpg

 

   現在、気仙沼線は津波で寸断されたまゝで復旧の見通しは無いらしい。

   変わりにJR東日本が運行する【BRT】が3年前から運行されているとの事。

   ◆ BRT (バス高速輸送システム)HP抜粋 ・・・HPへのは リンクは遠慮しています
BRT 4.JPG
BRT 2.JPG
BRT 1.JPG

   BRTと言う代替輸送システムがあるとは言え、地元の人にとっては不便この上無い事で有ろう。

   また、寸断された気仙沼線は今も各所で無残な状態が続いて居る事を考えると、JR側は再整備
   については放棄しているのでは無いかとも思えてしかたがない。
   BRTと言う代替措置を恒久の物にする意向では? (果たして住民の同意は得たのかな?)

   話し変って、此処 歌津 でも各所で嵩上げ工事が行われて居る。 高さは比較的低いみたい?

   ◆ Google Map に見る嵩上げ事例(前述の伊里前商店街:現在はプレハブ11棟完成済)
歌津・伊里前商店街予定地(神社).JPG

 

 

志津川  (しずがわ) 


実は今回一番見たかった所だが、実際にはあまりにも嵩上げ工事が想像以上に遅れていて、中心部が
何処になるのか看板さえも見付からなかった。 (気付いたら 防災対策庁舎跡 の横を通り過ぎて居た)

上げ工事をどの程度にするのか嵩上げの為の土山なのかがわからないが、防災庁舎の回りを中心
に旧志津川市街地全体がピラミットの集合体の様になって居た。

   ◆ 志津川 ・・・・ Google Mapより
志津川・防災庁舎跡(周辺)B.JPG
志津川・防災庁舎跡(周辺)A.JPG

    (此処にもあるんですね! ・・・ 五日町 と 十日町)

 

   ◆ 志津川湾(志津川河口と旧街並みが有ったエリア) ・・・・ 参考
map 志津川・志津川港(志津川湾)B.JPG


   ◆ 【防災対策庁舎】跡  この下、R45の橋の直ぐ下、志津川左岸
志津川・防災庁舎跡(周辺拡大)B.JPG

 

   ◆ 5年前の東京新聞記事(写真は上記拡大 Map の志津川右側河畔の高台からの撮影と思われる)
「志津川防災庁舎」被災新聞記事.jpg

     この新聞記事に写って居た病院等の建物は、防災対策庁舎の鉄骨以外今は無い。

 

以下志津川関連の写真はテレビ朝日より今年3月11日に放送された【スーパーJチャンネル】
の 特別中継画像 と重なり、且つTV映像が綺麗でタイムリーな為、TV映像を撮影した写真を
使わせてもらいます。

テレビ朝日【スーパーJチャンネル】、3月11日特別中継より

   ◆ 今残って居る【防災対策庁舎】跡 (鉄骨だけの残骸)
2016.03.11 志津川001  【防災対策庁舎】Jチャンネルより.jpg

    【防災対策庁舎】の後ろに見える大きな盛り土は、恐らく今後の本格嵩上げ整備で平坦化されて
    行くのでしょう。

 

   ◆ 同番組関連画像も参考までに何枚か ・・・
        ①志津川小学校付近からと思われる

2016.03.11 志津川003  【防災対策庁舎】Jチャンネルより.jpg

        ② 【防災対策庁舎】方向ズームアップ
2016.03.11 志津川004  【防災対策庁舎】Jチャンネルより.jpg

        ③ 献花場
2016.03.11 志津川006  【防災対策庁舎】Jチャンネルより.jpg

        ④ 周辺整備の為、4月1日から2年間、防災対策庁舎周辺は立ち入り禁止となる2016.03.11 志津川007  【防災対策庁舎】Jチャンネルより.jpg

 

   ◆ 志津川湾全体 (志津川~歌津)イメージ   Google Mapより
志津川湾.JPG

     Map 中、中心の上部に【貞任山】(さだとう山)と言う地名が有る。
     そう言えばこの地はその昔、安倍一族の勢力圏で有った。

     安倍貞任の支城の一つが有ったと言う、また、前九年の役で源頼義に負けた時この山城
     で隠れ忍んでいたと言う伝説が有るそうだ。 (平安時代中期)

     安倍貞任と言えば、現総理は「私のルーツは安倍貞任だ」と言っているとか。
     それならば、ルーツの地元の災難に、もっと迅速な施策が行われても いいんじゃねェ

     冗談は兎も角として、安倍一族の中でも貞任は【奥州・藤原氏】の草創期に、大きく係
     わった人物。 (藤原氏の祖・清衡に嫁したのが貞任の妹)
     NHK大河ドラマ 『炎立つ』 などでも 準主役的存在だった人物。

脇道に反れてしまいましたが、話を戻しましょう、次は 【常磐自動車道】沿線 へ!

   

昨年12月から、プライベートな都合で中々記事投稿が出来ませんでしたが、ようやく落ち着いて投稿出来る
環境になりましたので再開したいと思います。

今日は3月3日、お雛様の話題がタイムリーなのかも知れませんが、ありふれた話題ではつまらないでしょう
から、今年初めての投稿は、キタキツネの話題からにしましょう。

 

キタキツネの村

【キタキツネ】 と言えば日本では北海道にしか自然に生息して居ないとされている固有種。
それが、東京近県で【より自然な状態】で見られる場所があると言う事で、先日友人と3人で行って来た。

 

   ◆ 居た居た! 確かにキタキツネでした!
2016.02.26 B003 【宮城キツネ村】にて.jpg

 

場所は、宮城県白石市(とは言っても山の中)市内から車で無雪期なら約20分位 【宮城蔵王キツネ村】
がそこ。

そう、そこはキタキツネをメインに銀ギツネや白ギツネ等を広い柵の中で放し飼いをしている観光施設。
冬毛のせいかどの個体も丸々と太って居た。
最も、餌付けされている為自然な個体に比べ全個体がメタボ気味で有っても不思議では無いが ・・・?

ただ、結構個体数が多い(数十~百匹近く居る様?)為、自然と言う感じの写真は撮り難い様です。

でも、お子さん連れでも結構楽しめそうな施設だと思う。
また、他に ヤギ や フェレット 等と触れ合える場所も有った。

 

   ◆ 以下にその時の写真を何枚か!

2016.02.26 B015 【宮城キツネ村】にて.jpg

2016.02.26 B025 【宮城キツネ村】にて.jpg

2016.02.26 B004 【宮城キツネ村】にて.jpg

2016.02.26 B019 【宮城キツネ村】にて.jpg

2016.02.26 B011 【宮城キツネ村】にて.jpg

 

 

【宮城蔵王キツネ村】 の詳細は左記のリンクからキツネ村HPへアクセスして下さい。

 

また、白石市周辺は温泉地も多く、仙台・松島や上ノ山、米沢へのアクセスも便利。
何処かへ行くついでに周って見る価値は有りそうですよ。

 

  少子化現象は我等の故郷も抗し難く、近隣3校統合に伴い母校「城内中学校」を、増・改築の上、
  2018年度より新たに、統合校・【八海中学校】として発足する事になった事はご存知の方も
  多いと思う。

  今年8月末起工式が行われ、9月からはすでに整地工事などが始まっているので従来の姿を見る
  機会も少なくなりつつある昨今、我等【城中】卒業生の心の原風景とも言える学校の姿を一部で
  すが紹介しましょう。

 

桜の季節・【グラウンドからの校舎】

今年の春、何気なく撮影した城内中学校の写真ですが、今となっては来年からは姿を変えてしまう為、
【2度と見られ無くなった風景】です。

 ※ 9月から着工の新校舎が、下記写真の左奥に見える体育館(青い屋根)の手前に建つ為と、
    学校の正門が左の宇田沢川・堤防道路側に移る事で、この景観もかなり変わる事と思う。

   ◆ 2015年4月28日 (写真は複数枚の合成ですので不連続部分は悪しからず)
2015.04.28F _23 城内中学校付近より.jpg
2015.04.28F _13 B 城内中学校.jpg
2015.04.28F 28・29F _16B 城内中学校付近より.jpg

 

新な統合校は「五十沢中学校」「大巻中学校」「城内中学校」の3校で、【八海中学校】となる。

   ◆ 【八海中学校】 起工式 (南魚沼市 HPよりワンカット)
八海中学校起工式(2015.08.31).JPG

 

とは言うものゝ、我等の年代では現在の「城内中学校・校舎」も新し過ぎて馴染が無い人も多いでしょう。
と、言ってもこう言う事態は想定外だった為手持ちの写真は下記1枚しか見付からない。

   ◆ 昭和30年代(小生が中学校時代)宇田沢川対岸「暮坪山」の上から義兄が写した風景
S30年代上原 (1280×388).jpg

   ◆ 上の写真を八海山倶楽部仲間の亘氏が絵にしてくれたもの  (こちらが非常にわかり易いと思う)
S30年代の学校全景(小・中学校).jpg

    左に合同製糸の煙突が、右側に城内中学校と小学校(一部)が見える。 後に宇田沢川の
    氾濫で、手前に見えるグラウンドの大半が流失、冒頭の写真はその後に再建された学校の
    グラウンド。

   ◆ 昭和30年代写真の撮影場所  :  現代の「暮坪山」 ・・・ 頂上に杉が数本見える所
          (右奥に続く尾根の山が「鬼の面山」、宇田沢川に落ち込む崖が「鬼の面」)
2015.04.28F 暮坪から鬼の面.jpg

    3月末、南国育ちの義兄が【凍み渡り】をしたいと言うので一緒に登った時写してもらった
    写真が思いがけない記念写真となった。

    此処から見える暮坪山の斜面は、春先にカタクリが真っ先に出て、麓(集落名)の六万騎
    山に匹敵する位(?)の群落が見られた所だった。 

    最近では山が人々の生活様式の変化で (芝刈り等の手入れが無くなり) 放置された為 、
    カタクリも減り、山頂の杉迄辿り付くにはかなりの藪漕ぎを覚悟しなければならない様だ。
      (何年か前、右側杉林から登ろうと試みたが昔の杣道は雑木の藪で消えて居た)

 

☆ 出来れば何処かに年代ごとの学校・城内関連写真を集めたコーナーでもあればいいかもね!

 

 

 

だけならがいい!

            でも、この季節の冬桜もまた特別な趣がある !

 

   ◆ 2002年11月22日、始めて冬桜を見物に行った時の【桜山公園】(3から5分咲き位?)02.11.22 冬桜・鬼石-桜山公園-00.jpg

02.11.22 冬桜・鬼石-桜山公園-02.jpg

02.11.22 冬桜・鬼石-桜山公園-04.jpg

02.11.22 冬桜・鬼石-桜山公園-06.jpg


  以来、ほゞ2年に1回位は行っているが仕事の休みにしか行けない事も有り、紅葉とのコラボとしては
  この時以上のシーンには巡り会えて居ない。
  でも、この時の感動は、その後も毎年この季節になると行きたい衝動に駆られている。

 

  冬桜:厳密には冬桜と10月桜とは種類が違うらしいのだが、混植されて居たりするので、以下は
     10月桜も含めて冬桜として書く事にします。

 

【桜山公園】・・・群馬県

毎年見られるとは限らないが、紅葉と冬桜のコラボレーションが山の斜面を覆うシーンを見た人は、おそらく来年も来たくなると思う。

そして、春には春で華やかな桜が普通に咲くから不思議だ。 同じ樹に春と秋の2回咲く。
 (花びらも春は大きめで、形状も丸味を佩びたものとなる)

   ◆ 桜山公園MAP・・・画像クリックし、拡大してご覧下さい
鬼石「桜山公園」P2(2048×1467).jpg

   ◆ 冬桜の花のUP事例
02.11.22 冬桜・鬼石-桜山公園-08.jpg

   ◆ 標高が下がった「道の駅 上州おにし」では温かいせいか、心なしか大きく花びらが丸い2014.11.06 A006 鬼石道の駅.jpg

 

ここ、群馬県藤岡市の「桜山公園」は冬桜が7,000本も有り、10月下旬から12月下旬迄楽しめる。
春の桜の様な華やかさは無いが、小振りの花の一輪毎の寿命が長いので結構見応えある枝振りに感動する。

そして、11月上旬前後(年に依ってズレるが)頃には落葉樹の紅葉と冬桜のコラボが最高潮になる。

そう!  ここは昔し「鬼石町(おにしまち)」と言った所で、その頃から【鬼石の冬桜】として、日本一の規模を誇る冬桜の名所なのです。(今では市町村合併で、藤岡市と合併した為鬼石と言う住居表示は無くなったが、交差点名など一部に名残がある)

 

因みに、昨年の冬桜と紅葉のコラボを2枚程

   ◆ 携帯カメラしか持って行かなかった事が残念!  (2015.11.16)
14.11.16 B - 035 鬼石「桜山公園」.jpg

   ◆ 少し欲張り過ぎて・・・モミジ、桜、山茶花と青空と・・・桜が引っ込んでしまいました14.11.16 B - 063 鬼石「桜山公園」.jpg

 

【城峯公園】・・・埼玉県

群馬県との県境、神流川の神流湖畔・埼玉県側「城峯山」にある【城峯公園】。
昨日11/4(水)の夜22時直前のNHK・二ユースウオッチのエンデング映像で【城峯公園】の桜が映っていた。

   ◆ NHK・二ユースウオッチより、エンデング映像のワンカット
2015.11.4b nhkニユースウオッチ  21.45 1024×.jpg

    冬桜のアップ画像だけしか映らなかった所を見ると、まだ咲き始めだろうと思う
    と、言う事はこれからが最盛期。恐らくあと1~3週間位が見頃だろう。

ここ【城峯公園】は  ミニ【桜山公園】的存在で、少し標高が低い為、およそ1週間位早く咲く。
だから紅葉とのコラボはこちらの方が確率が高い。 ただ、規模が小さい分駐車場も少なく、車の混雑等の問題も含めて満足度はいまいちか?

   ◆ 2012.11.20 【城峯公園】にて(白い木が冬桜、勿論これだけでは有りませんよ!)
2012.11.20B -  034 城峯山公園.JPG

   ◆ 桜をUPに!
2012.11.20B -  009 城峯山公園.JPG

   ◆ 展望台からの神流湖と桜山方向
2012.11.20B -  021 城峯山公園.JPG

   ◆ 桜山公園ズームUP(約30倍)
2012.11.20B -  020 城峯山公園.JPG

 

【桜山公園】も【城峯公園】も山の上、11月も下旬になると 霙(みぞれ)や雪が降り、時には数センチ程度積もる事が有ります。 雪が積もった桜の花も写真の被写体として面白いとは思いますが、急勾配が多くノーマルタイヤでは走れません
スタットレスでも、特に下りに注意が必要です。 また、スタットレス過信の都会人が、強引に走ってコントロール不能になり、それに巻き込まれた事故も数回見ています。
出来れば雨や雪の日の入山は止めましょう! また、散策中の天候急変で雪道を下る場合、ノーマルタイヤの場合は事故を起こす前に助け(JAF等)を呼ぶ決断も必要です。
(その場合ニッチもサッチも行かなくなる前に、広い車幅や退避所のある場所で呼ぶ事・・・近隣住民の生活道路を塞がない配慮を忘れずに!)

 

 

  周辺地図(参考用)

 

   ◆ 【桜山公園】と【城峯公園】・・・下久保ダム=別名:神流湖桜山公園 & 城峯(じょうみね)公園.JPG

 

プラスアルファコース例

   ◆ 秩父【三峰神社】と【桜山公園】の位置関係(イメージ)
【三峰神社】&冬桜の【桜山公園】.JPG

 

   ◆ 世界遺産・【富岡製糸場】他・・・図中 〇 印
桜山公園・富岡製糸場.jpg

 

 

 

柏崎刈羽原発も再稼働へ? 【1】   より続く

 

【立山・室堂】まで【紅葉狩り】に!

もう1ヶ月以上も経ってしまいましたが、古くからの友人の案内で9月24・25日の2日間で、サルが温泉に入ると言う事で有名な 長野・湯田中「地獄谷温泉」に1泊のドライブに行こうと言う事になった。

私はまだ 地獄谷 には行った事が無かったので楽しみにしていたのだが、彼とは3年振りのドライブで二人とも長距離運転は慣れている事も有って、紅葉も見たいとの話と前日TVで立山(室堂)の紅葉が放映されて居た事を見た為、立山(紅葉見物)⇒ 地獄谷 コースで1泊2日(宿は決めずに途中で探す)と、行動範囲が拡大してしまった。(走行距離で4割位増えた事になる)

そんな訳で小生宅の出発を9月24日午前1時半と、深夜に出て立山駅(ケーブル)着 8:00AM ⇒ 室堂・10:00AM頃着と紅葉見学にはベストな時間に着いた。
天候は、時々小雨がパラ付く状態だが、結構見晴しも良く草紅葉や周囲の山並みも見渡せる好条件で、室堂平散策を堪能出来た。

   ◆ 【天狗平・室堂平】周辺風景・・・高原バス車中より撮影
B2015.09.24 -B043BC 立山そうめん滝 (高原バスより).jpg

B2015.09.24 -B062BC 立山 (高原バス) 美女平から室堂.jpg

 

   ◆ 室堂(室堂平)散策

2015.09.24 -C076 立山 (室堂平).jpg

C2015.09.24 -C014C 立山 (室堂平).jpg

2015.09.24 -C082 立山 (室堂平).jpg

C2015.09.24 -C087BC 立山 (室堂平・みくりが池温泉).jpg

 

立山を下山後、称名滝を見て長野に向かった訳だが次の日は殆んど雨となり、サルも山から出て来ない為「地獄谷」は断念して早々に帰路に付いた。

称名滝の帰り、ヤマブドウの蔓があちこちに繁っていたのでブドウの実が有るのかと探して見たらたった1ヶ所だけ熟した房を見つける事が出来た。
残念ながら高い枝の先に繁っていた葉裏に隠れていたもの、手で採れ無いならせめて写真でもと、1枚撮って来た。

   ◆ 称名滝への途中の歩道脇で見付けた自然の恵み
F2015.09.24 -E018BC ヤマブドウ (称名滝途中).jpg

 

その立山も、今は冬籠り直前!  もう雨が降れば雪になる季節に入っていると思う。

その後、【温泉に入るサル】を見たいと長野・湯田中の「地獄谷」にも行ったが、残念ながら増々雨が強くなり温泉に入る為に山を下りて来るサルは居らず、早々に帰途に付いた。

 

と、ここ迄は単なる旅行記でしたが、以下本題に移りましょう

 

 

 

【立山・室堂】は「柏崎」から直線で約120~130km

 

1. 【3.11(福島・原発事故)】に学ぶ事

 

   「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言うのが人間の特性で、これが有るから辛い事にも耐えられたり
     気持ちの切り替えで新しい事にもチャレンジ出来る。
     一方、この特性の為に「同じ過ちを繰り返す」と言うマイナス面も持ち合わせている。

  1)放射性有害物質(放射能)の拡散範囲

    ◆ 福島第一原発からの拡散例(NHK放送大学・特別講座よりのTV画面)
Dscn2504.jpg

    出典:NHK・放送大学、特別講座【未来への教訓 検証・福島第一原発事故】より
    講師:社会技術システム安全研究所 所長 田辺文也 氏・・原子力関連のプロ、著書類も多出

    画像が不鮮明で数字は読みにくい点、ご容赦頂きたい。 またTV画面の右上に3.11震災時
    の転倒傷(液晶不良)が黒く広がり見難い点も重ねてご容赦願います。

    読みとって欲しい事は細かい数字では無く、日常生活を脅かす可能性が有るとされる放射能
    汚染レベル(当時ガイドラインとしては100ミリシーベルト以上)の拡散エリアです。

    上の写真で見ると、2015年10月13日(事故後6ヶ月)経っても高濃度の汚染物質(セシウム
    )が残留蓄積している部分が約200kmも離れた榛名湖や赤城大沼付近迄広がって居る事。

    そして、この影響で「榛名湖」・「赤城大沼」のワカサギ漁については4年後の今年の9月に
    今シーズンもまた、禁漁となりスポーツとしての釣りは出来るが釣った魚(食用)の持ち帰
    りは出来ない事となった。

    セシウム134・137の半減期が長く、また湖周囲の山々からの流入汚染物質で濃縮された物を
    ワカサギが餌にしている為と思われるが、現在の残留放射線レベルは 50~70ミリシーべ
    ルトを平均値として居り、安定して50ミリシーベルトを下回る事が無い為との事らしい。
    つまり、今は安全宣言は50ミリシーベルト以下で安定する事が条件と言う事の様だ。

  2)「福島」の厄災と同じ事故が「柏崎」で起きたとしたら(仮説)

    言うまでも無く、福島第一原発にしても、3月11日と言うあの日からメルトダウンと爆発事故
    が最低3回繰り返し、最低数か月に渡って「地形と季節風・その日の気象」に任せて360度
    の方向に放射能汚染物質が拡散された。

    中でもメルトダウンに伴う3回の爆発は高濃度の汚染物質を高・高度に吹上げ、この時の上空
    の風向きが拡散の濃淡エリアを決定する。
    言い換えれば「季節」「地形」「気象」「爆発規模(汚染物質の吹き上げ高度と量)」に依っ
    て「360度どの方向にでも汚染エリアの腕が延びて行く可能性が有る」と言う事。

    が、前提なのだがこれでは纏め様が無いので福島の事例を重ね併せる事で、厄災に依る影響に
    ついての仮説を想定して見たい。

    【柏崎】で【福島】と同じ季節に同等の事故が発生したとすると!

    この季節の風向きは季節の替わり目の為、厳密に言うと非常に読み難く、360度どちらに向
    かって吹いても可笑しく無い。 が、ここでは「福島」の時とほゞ同じ風向きとして海上方向
    へ抜ける無意味な論議を避ける為、知名度の高い「立山」方向に風向補正して考る事にします。
    ちなみに、2月~3月は時折通常の季節風と逆方向の強風が吹く事が有り、これが昔から日本
    では「東風(こち)」と言われる現象。
    中国史上で有名な古事「三国志・赤壁の戦い」も、この現象が勝敗を決めたとされている。

    話を戻して「柏崎」と「福島」考える前提の為の風向を表示したのが下記掲載のMAP。

   ◆ 【放射性汚染物質・降灰範囲】検討前提 ⇒ 風向定義(地図中の矢印) Goole Map
福島ー1A.JPG

    先に記した通り福島からの矢印は「実際に起きた汚染実態の例」、柏崎で同様の事故が起きた場合
    の一方向例である。(重ねるが、その時の気象や季節風で360度何処へ向かっても不思議では無い)

    そして「福島 ⇒ 赤城・大沼」迄 約180km、「榛名湖」迄 は 約200kmもの距離が60ミリシーベ
    ルト以上の「残留放射能汚染」ベルト地帯となってしまったのである。
    (後述するが、現在厚生省は公表して無い様だが漁協等へは50ミリ以下が安全圏としている様だ)

    この事例を上記掲載の 矢印 通り柏崎に置き換えて当て嵌めると、立山(室堂)迄は直線で 約120
    kmで、「汚染ベルトの到達範囲」を軽く超えた距離である。
    そして、何が起こるか?

    当然、室堂一帯の汚染に対する直接的影響は、勿論だが、観光地としての風評被害が一番大きな、
    ダメージになるだろう。

   ◆ 柏崎刈羽原発を起点とした直線距離イメージ (Mapion 3DMap に作図)
柏崎周辺地形図 C (Mapion 3Dmap より).jpg

 

        

            ◆ 福島第一原発➡赤城・大沼/柏崎刈羽原発➡立山・室堂、との距離比較
 

   

            ◆ 

 

 

 

 

 

 

鹿児島の「川内原発」は再稼働、いよいよ商業運転に入った。


予想された事とは言え「安保関連法」国会で足踏みして居た「原発再稼働」の流れが近く再浮上する事は間違いない。
恐らく今の政治体制が大きく変わらない限り、原発推進派に追い風が吹くのは間違いないと思う。

私は原発と言う手法そのものには、全否定派では無い。(エネルギー政策のひとつとしては有りだと思う)

ただ、

  ① 1基当たりを巨大化してしまった為、リスクも巨大化した現行原発での再稼働
  ②  使用済燃料(核廃棄物)処理問題をなおざりにしたまゝの再稼働


には、明確に反対する立場である。
 

そう言う観点から見た現状の「柏崎刈羽原発」は規模の上で、日本でも1・2を争う原発で、首都圏電力の供給原を目指して作られた施設、この巨大化した施設では、東日本大震災クラスの地震・津波の再来に耐えられると言う保証は疑わしい。

   ◆ 柏崎刈羽原子力発電所 (google Map より) 
柏崎原発.JPG

   ◆ 柏崎刈羽原発から30km 圏エリア 概略(目安)
柏崎原発MAP 1A.jpg

  (講談社発行ブルーブックシリーズ「日本の原子力施設全データ」(2012-2-20版)より)


福島の原発でも、計算上は安全だったはず・・・想定外の規模の災害と言うが、過去の歴史では貞観地震(869年:平安時代)と言う震源地も地震の規模・津波の規模も東日本大震災に非常に似ている地震が記録や被害地の調査結果等で実際に起きていた事が知られていた。にも係わらず、原発設置に当って調査・分析した形跡が無いとの指摘もある。
   (もしそうだとすれば、「想定外の災害・・・」の言い訳は論外であろう)

地下水脈が縦横に走る土地に現在の様な巨大な施設を作るのでは、いくら耐震規格を満足させたからと言っても所詮人間の考えた想定内のもの、制御不能・想定外の事態になっても他の方法で速やかに安全対処出来る大きさ・規模に絞る必要がある。
“福島の事故”はその現実を、様々な現象で見せつけている。

事故のトリガーは【地震】と【津波】であるが、それ以降の問題は人為的に予防できる現象。
【福島に見るこれからの原発設置で考えるべき主な問題点】は、例えば

  ・ メルトダウン対策  ・・1基辺りの燃料が多すぎて炉底を突き破る現象が出た。
                 本来なら有ってはならない現象、対策が軟弱だった。
                (想定外と言うにはあまりにもリスクが大き過ぎる)

  ・ 冷却(汚染)水漏れ・・・施設が巨大化する程パイプの総延長が延び、長さに比例
                して、冷却水漏れのリスクは増大する。

  ・ 地下水脈への汚染水漏れ・・・これについては過去の教訓・想定がなかったのか?
             ・・・そもそも、原発設置検討時に地下水脈の把握をして置く
                べき事と、万一の為の対策を施して置くべき事が教訓。

  ・ 施設が巨大   ・・・大きくなる程、耐震構造・事故対応が難しくなる

  ・ 汚染物質拡散情報のリアルタイムな公開
             ・・・季節風と近隣都市への拡散情報が後手後手で不審を買った

  ・ 広範に汚染レベルの高い汚染物質を撒き散らした結果
             ・・・故郷を離れざるを得ない人々、汚染風評被害で喘ぐ農林魚業、
                未だ先の見えない被災者達は、津波の被害の何倍も重荷を背
                負わせられているのが現状と言える。

 

もしも【柏崎刈羽原発】で  真冬に【福島原発】相当の事故が起きた場合


 【積雪が福島の被災地の数倍の「上越・中越」を中心に季節風に乗った汚染物質が撒き散らされる】
 事が想定される。(魚沼市・南魚沼市も、間違いなく被災地域になるでしょう)

     厚い積雪に降り積もった汚染物質は、春先に濃縮されて地域一帯に流れ出す。
     これは福島の被害とは異なり、より甚大な被害が推測出来る。


悪い事に越後山脈で上昇した雪雲が、上・中越に折り返して雪となって降る事から、この地域へは汚染物質が二重に降り積もる事になり、単純に30km 以上離れて居れば安全・・・なんて論理は成り立たない事を知って置く必要がある。
また、雪道の避難行動も、福島のケースと違い秩序ある避難が出来れば別だが現実には困難を極める事が予想される。
 

そんなワーストケースを考えると、今のまゝの【柏崎刈羽原発】再稼働  は、数十万人以上の人生を苦境に落し入れ、莫大な負債を負うリスク が有る事を考えなければならない。
 

私の考える原発は、【人間が容易に制御できる範囲の小型化が望ましい】と考えており、1,000戸~10,000戸単位程度の規模の電源供給を基本として原発を分散して作るのであれば耐震構造も津波や地震対策が取り易いはずである。
更に、最悪の場合でも様々なリスクをより小さい範囲に収める事が出来るでしょう。

複雑にプレートのぶつかり合う日本の大地には  揺れても 安全・【コンパクトな原発】こそが必要と、思っている。

現実に、原子力潜水艦や人工衛星で小型原子炉を稼働して制御も殆んど問題無く運用されている実績がある。
従って、技術的には実現可能な話である。勿論、建設コストなど巨大な物を1基作るのと、小さな物を多数作るのでは、合計は大きな物1基の方が安いかも知れないが、事故・災害に対するリスクと安全性では極めて有利になるはずで、数多く設置する必要があると言う事は、建設コストも低くなる可能性も大きい。
 

② の核廃棄物処理については、やはり政治的に透明性のある処分方法をまとめないと問題が残る

 

しかし、今のまゝだと必ず、現状設備の早期再稼働の次なるターゲットとして急浮上するだろう。

その際、原発再稼働の是非を問う論議が、今国会の「安保関連法案」の様に、満足な安全検討も無く数の論理でゴリ押しされない様に、今から備えて置く必要があると思う。

 

政治的な事については他の人にお任せするとして、次回からは「地盤」「地形」の観点から現状の【柏崎刈羽原発の安全性】を再確認して見よう!

今は夏から秋への端境期(ハザカイキ)、あと数週間で紅葉シーズンに突入だ!

そんな端境期の9/1(火)、世間一般とは違うけど久し振りの休日でTVを眺めていたら、

    【“八海山”、銀座のホテルとコラボで女性客向け宿泊サービス企画!】

と言う二ユースが流れた。 (TV東京、L4 you プラス と言う二ユース番組)

2015.09.01 -002 八海山&ホテルのコラボ (TV東京・L4you).jpg

2015.09.01 -003 八海山&ホテルのコラボ (TV東京・L4you).jpg

そう、『八海山』は八海山でも故郷の「酒造メーカーのブランド名」の『八海山』であった。

 

 

話題 1 ・・・ 銀座で泊って、八海山を堪能(女性限定)

その『八海山』と、銀座のホテル『三井ガーデンホテル・銀座プレミア』がコラボレーション企画
として、女性客向けの宿泊サービスを始めたとの事。(2016/3末迄)

2015.09.01 -007 八海山&ホテルのコラボ (TV東京・L4you).jpg2015.09.01 -009 八海山&ホテルのコラボ (TV東京・L4you).jpg

2015.09.01 -011 八海山&ホテルのコラボ (TV東京・L4you).jpg

女性ルームにはスパークリング仕立ての日本酒・八海山の他に、八海山をイメージしたデザインラベル「シャンプー、ボディソープ、洗顔クリーム等もセット」で準備してあるとの事。

それにしても、このラベルデザイン、城内育ちの私には一目で分かる、感動モノだ!(さすが、城内育ちの「八海山」目線)

霊峰・八海山(200名山のひとつ)から流れ出る「宇田沢川」の様子が簡潔にデザインされている。

参考迄に、今春の写真と見比べてみて下さい。

2015.04.28G _121 故郷の山 【八海山の春】.jpg

 霊峰・八海山から流れ、旧城内地域を貫き魚野川に流れ込む【宇田沢川 (うだぞう川)】
(雪解けの頃、今でも両岸には所処にアズマイチゲの群落が咲いていて、残したい自然だ)

 

 

 

話題 2  ・・・ 小さな旅で、八海山の岩峰

小さな旅:言う迄もなく、NHKの日曜朝8時からの自然・伝統文化などをテーマにした長寿番組。

その「小さな旅」で、この地域としては2回目の放送が有った。

1 回目は4~5年前、晩秋の八海山に2~3回目の降雪があり、里もいよいよ根雪が来ると言う、
冬直前の12月上旬、八海山麓の山口集落を中心に冬に備える為の【秋仕舞い(冬支度)】をテー
マとした【小さな旅】が放送された。  (写真はその放送のひとコマ)

 この地方には古くから、「八海山に3度雪が降ったら里にも根雪が来る」との言い伝えもある。

小さな旅・秋仕舞い.jpg

 

今回は山の上【八海山の岩峰】・・・“霊峰”と呼ばれる由来の修験道【八ツ峰】がテーマ。

取材は7月との事でしたが、地元に居る人さえも中々寄せ付けない、主稜の岩峰を辿る山旅8月
30日の放送で見せてくれました。
 山好きの私でしたが、主稜コースは2回しか行った事が無い、岩稜経験の無い人は巻道を!
   それ位、準備・体力なしでは危険なコースが続く場所。
(昨年も滑落事故2件ありとの事)

とは言え、八海山は我等に取っては『心の山』、この岩峰を晴れた日には毎日眺めながら育った山
なのである。

その山が今回の「小さな旅」で放映された。

2015.08.30 -001 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

 

以下、番組の進行を追って画面(TV画面写真)を抜粋して紹介しましょう。

   ◆ 登山口城内・上原付近からの八海山
2015.08.30 -011 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

 

   ◆ 八海山ロープウエイで4合目迄 
2015.08.30 -013 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

 

   ◆ 山頂駅前(4合目)登山口付近
2015.08.30 -015 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

2015.08.30 -014 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 地元のオシドリ夫婦、ご主人81歳・奥様75歳との事、歳もびっくりだが、
      12年前に仕事をリタイアして八海山登山を始め、今日で440回目との事
2015.08.30 -016 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 薬師岳(9合目)から千本檜小屋と、八ツ峰最初の地蔵岳2015.08.30 -017 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

 

こゝで、城内方面からの八ッ峰がどんな風に見えるかイメージして置くと参考になるでしょう。

   ◆ かってNHKドラマ『天地人』放映の頃作成した写真(拡大して見て下さい)
八海山 -  008上原からのズーム.jpg

        ※    八つ峰の最高峰「大日岳」の標高は1720m、八海山(全体)の
                 最高峰「入道岳」(大日岳の右側)の標高は、1778mです。

   ◆ 『天地人』でオープニング画面に使われた地蔵岳山頂シーン
2010 大河ドラマ 【天地人オープニング】.jpg

  主人公・直江兼続役の妻夫木聡さんが登ったと知って、一時多くの女性ファンが押し
  掛けたとの話も聞いた。(こゝ迄は容易に登る事が出来る為)

話を元に戻しましょう。

   ◆ 八ッ峰2つ目の不動岳から振り返った風景
           (手前から、地蔵岳・千本檜小屋・薬師岳)
2015.08.30 -018 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 不動岳山頂、こゝから先左奥の八ッ峰が鎖場・ハシゴが続く難所となる
2015.08.30 -020 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

2015.08.30 -019 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

2015.08.30 -005・6 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

    ◆ 摩利支岳からの下り2015.08.30 -021 八海山 (NHK・小さな旅).jpg
2015.08.30 -022 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 大日岳最後の登り
2015.08.30 -024 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 大日岳 山頂 (八ツ峰の最高峰=1,720m)2015.08.30 -030 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

2015.08.30 -032 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

2015.08.30 -031 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

2015.08.30 -034 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 大日岳からの遠望(西側:城内方向)
2015.08.30 -039 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 大日岳からの遠望(東北東側:越後駒ヶ岳~南南東側:入道岳)
2015.08.30 -041 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

 

 「小さな旅」はこゝ迄で、この後は巻道ルート経由で千本檜小屋迄戻り、ロープウエイ経由で下山
  したであろう事を、地蔵岳山頂で夕陽を浴び、ほら貝を吹く山伏のシーンで終わっている事が示唆
  している。

  下記【グレートトラバース 2】の 田中陽季氏 はこゝ大日岳から入道岳(大日岳下りの鎖場を下り
  れば入道岳迄岩場は無い)を経て左に見える尾根筋沿いに(途中右にカーブして)中ノ岳に行く事
  になる。
      【誤記訂正】 2015.09.15
              上記、「入道岳を経て左に見える尾根筋沿いに・・・」と書いたアンダーラインの部分
              実は尾根ひとつ間違えていましたこゝ大日岳から見えない、もうひとつ向う側の尾根
              でした。 訂正の上、お詫び致します。
          (中ノ岳へは先の五竜岳で左に分岐し少し右カーブしながら下って痩せ尾根に取り付く)

   ◆ 八海山~中ノ岳への分岐ルート (カシミール3Dより)
カシミール 八海山から五竜岳.JPG

   ◆ 関連地図(越後三山と二百名山・荒沢岳周辺・・・カシミール3Dより)
グレートトラバース2(八海山から平ケ岳1280).jpg

 

  ただ、このコースは痩せ尾根のアップダウンが続く上、アプローチが長く体力と高い登山技術 が
  求められる。
 (特に、普通の人には八海山➡中ノ岳ルートは逆ルートの1,3~1,8倍の時間が掛かると言われてる)

   単独行上級者リーダーの居ないパーテー体力の無いメンバーの居るパーテー  は入山しない事。

   特に八海山から中ノ岳方向へのルートは総合的に登りとなり天候によっては上級者でも避けるべき
   ルートになる / 越後三山を縦走するなら、越後駒ヶ岳 ⇒ 中ノ岳 ⇒ 八海山  のルートがお薦め

 

下記【グレートトラバース 2】では、「八海山」⇒「中ノ岳」⇒ 兎岳 ⇒「荒沢岳」と踏破する。
因みに荒沢岳の北側は銀山湖で、こちらの斜面は湖岸に沿って巨大な岸壁が続いている。
この屏風の様な人を寄せ付けない岸壁から幾筋もの沢が流れ出ている様を見ると、昔の人が「荒沢岳」
と名付けた事にも納得が行く。
紅葉の時期、銀山湖の湖岸を走るとひと際目立って荒々しい山肌と紅葉と湖水のコラボレーション
楽しめて美しいですよ!

 紅葉 : 9月末頃~10月15日頃迄・・今年は集中豪雨の後の為道路情報は必ず事前確認の事!

 

 

 

話題 3 ・・・ グレートトラバース 2(200名山シリーズ)

 

 ※ 9月12日(土)BSプレミアムの「第2集・東北~新潟編」で放送の予定。

          因みに、第1集は「北海道編」で放送済。 【 八海山~中ノ岳】は第2集、12日放送分に入る
             放送時間は午後9時~11時迄の約2時間。

 

   ◆ 取材風景:ブログ仲間の昇氏が投稿していたワンシーンを借用(8/3 八海山4合目にて)
15.08.02-1.jpg

 

       走者は 昨年の「日本百名山ひと筆書き~グレートトラバース1」と同じ『田中陽希』氏。

   掲載ブログ詳細は、昇page 参照 : http://hakkaisan-photo.com/non/2015/08/post-119.html

 

   NHK・BSの番組HPも参照すると、コースやこれからのスケジュールなど詳細が見られますよ!

        まだ許可を頂いて無いのでHPにリンクは差し控えますが、タイトル名とURLを下記して置きます。

                タイトル :   日本2百名山ひと筆書き~グレートトラバース2

                 URL      :    http://www.greattraverse.com/project.html

  このスケジュール表を見ると、5月29日に2百名山最北の、北海道・暑寒別岳(北海道の尾瀬と
  言う人も居る「雨竜沼(雨竜湿原)」から見るとちょうど「尾瀬ヶ原から見た至仏山」をイメージ
  させる山)をスタートして、八海山~中ノ岳は 8月3日(26及び27座目)、今日9月7日現在
  は「山梨県・乾徳山(49座目)だったそうです。  

  田中陽希氏 及び 撮影スタッフ達の 驚異的な体力・精神力に、唯々感服させられている。

お待たせしました。 ―――小名木川  ー おなぎがわ ーより続く―――

小名木川の同じ場所を、同じ方向から描いた「2枚の絵」の “謎!” 皆さんは解けましたか?

では、確認の為、謎を投げ掛けた「2枚の絵」をもう一度ご覧頂きましょう。

 

   ◆  1,834~1,836年頃 作成された「江戸名所会図」の中の 【小名木川 五本松】  
江戸名所会図 (小名木川・五本松).jpg

 

   ◆  1,857年に、歌川広重作「名所江戸百景」の中の 【小名木川 五本松】 

名所江戸百景 (小名木川・五本松).JPG

 

【2枚の絵の “謎” 】


   もうお気付きの事と思いますが、小名木川の
   曲り方が「左」と「右」に、まったく正反対
   の方向に曲がっていますよね!

   これが最大の “謎” なのです。

 

   色々な古地図や資料等を探して見ても小名木
   川が曲って居たと言う記録が見当たら無い。

   又、この絵の様な、曲って居た川を逆方向に
   改修工事(やったとすれば大工事)をしたと
   言う記録も無い。

   そもそも、5km弱位の見通し可能な距離の
   開削工事で、湿地帯の海岸線であれば直線工
   事が費用も安く効率的で工期も早いはず。
   従って、開削当初は直線状の運河で有ったも
   のと考える方が無理が無いと思う。

   しかし、それぞれの絵を描く時には曲って居
   たと言う事なのだろうか?

 

(掲載画出典:誌名不明、切抜き保存版より)
 

2,005年(だったと思う)、神保町の古本市で見付けた江戸時代の古地図や名所案内・浮世絵等が 掲載されていた雑誌を切り抜き目的で何冊か購入し、切り抜いた記事を整理していてこの「小名木川の謎」に気が付いた。

しかし、その時は「後で気が向いたら調べて見よう」位の気持ちで絵の切り抜きをファイルしただけで、その後は忘れてしまって居た。

今年4月、偶然今の仕事の縁で「小名木川」の傍らで仕事をする事になり、再び「小名木川の謎」について思い出した。

そんな訳で小名木川河畔を歩き回ったり、図書館や資料館巡り等をしながら色々調べて見たが小名木川が曲げて作られた記録も、曲げられる要因を想定させる事柄も見付ける事が出来なかった。
最も、小名木川が「一直線である」と明記された文書も無いが、古地図等では直線で描かれている。

そこで、【2枚の絵の“謎”】に付いて改めて考えて見ると、まずは第一の絵「江戸名所会図」。
上記の通り、小名木川は一直線だったのではないかと思うのだが、取りあえずここでは百歩譲って描かれた絵の通り、左に湾曲して居たものと仮定しましょう。
第二の絵、歌川広重が描く「名所江戸百景」迄は約20年の時が流れて居る訳だが、その20年間に特に焦点を当てて調べて見たが、川の湾曲を右へ反転させる様な「天変地異・事件・事故等の要因」見付ける事が出来なかった
先にも書いたが、川の湾曲を左右反転する程の出来事と言えば大工事を伴うはず。
そんな出来事ならば、「記録に残らないはずが無い」と思って調べて見た訳だが痕跡が見い出せない。

そんなある日(およそ1ヶ月前)、とある本屋の平積コーナー(主に新刊本などを紹介するコーナー)で出会った1冊の本に「明快な解釈があり納得」、今回はそれをご紹介したいと思う。

 

   ◆ 新たに出会った本とは PHP文庫の一冊
日本史の謎は「地形」で解ける 1.jpg

 

この本は中々解けなかった「小名木川の謎」に納得
させてくれる “解” を与えてくれた。

 

正直驚いた。
私が何年も前から疑問に思って居た2枚の絵に描か
れた「小名木川の謎」について、同様に疑問を持っ
ていた人が他にも居て、その真実を解明しようとし
た人が居た。 と言う事が何だか嬉しくなったね!

更に、今回のテーマとは違うが本書を読み進めて行
くと「地形」や「地質」、それと「地勢学的」要素
を絡めて歴史を解き明かそうとする論法は、非常に
目新しくて説得力がある。

小名木川の開削目的等の点でも塩の運搬以外の目的
が重要と思って居たが、武村氏は小名木川の開削は
「早期関東平定が主目的」とまで言い切っている。

 

さて。此処では
 【2枚の絵から生じた小名木川の曲り方向の謎】
の話に戻りましょう。

 

 

武村公太郎氏の 

【2枚の絵の “謎” への “解” 】

 

著者・武村氏の文章をそっくりお借りする訳にもいかないので、箇条書きとします。

 

    1.小名木川は昔も今も、本当は真っ直ぐである。

    2.江戸名所会図の絵は、作者が絵画の中で【遠近感】を強調したい為に
      奥行として川を左側に曲げて描いた。

    3.歌川広重は現場を見ると真っ直ぐの小名木川なのに江戸名所会図では  
      なぜ川を曲げて描いたか、作者の意図を【遠近感】とすぐに理解した
      事だろう。
      プロの絵師として、先輩の手法も尊重しながら、自分流の遊び心から
      右奥へ曲らせて【遠近感】を織り込んで描いた。

 

    ※ 振り返って見ると、歌麿と言う人は川の曲りを反対にした他に「船の
      方向を逆」にしたり、東に太陽が昇って(月ではなさそう)いる江戸
      名所会図に対して「日の出前の朝焼け(東の空だから夕焼けではない)
      を演出」するなどの仕掛けが凄い

      もしかしたら、後の世にこれ等の仕掛けに気付いた人々が頭を悩ませ
      るだろう事を予測して楽しんでいたのかも知れませんね!

 

と言う事で、絵というものは、やはり作者の考え方で遠近感の取り方なども違う事が有り得る事。
「さも有らん」と、納得できる説明である。

 

なお、原文は上記 PHP文庫【日本史の謎は「地形」で解ける】(第9章)をご参照下さい。

 

小名木川  ー おなぎがわ ー

「小名木川」とは? 

 

時代劇・鬼平犯科帳や下町・人情物など小説やドラマの舞台としてよく登場して来る【小名木川】。

名前は昔から良く知って居たが、最近その小名木川の近くで仕事をする様になって、妙にその成り立ちに
興味が湧いて来た。  しかしこの川、調べてみたら納得行かない疑問を投げかけて来る。

そんな訳で、今回は東京・隅田川(深川)から荒川迄を結ぶ【小名木川】と言う “江戸草創期” に開削され、
江戸時代成立に重要な役割を果たした【一直線の運河】がテーマ。

まず、現代の「小名木川」とその地理的位置関係を簡単に整理して見ましょう。

   ◆ 小名木川全景イメージ(出典:国土交通省が航空写真5枚を元に作成公開のもの)
小名木川(国土交通省より)   1927×644.jpg

    左側の大きな川が隅田川、右側の大河は現・荒川、更に右側の川が中川、小名木川の突き当りの
    川が 旧・中川となるが、江戸時代のこの辺りは荒川と中川が合流して大河を成していたらしい。

   ◆ 小名木川を中心に、俯瞰地域を広げて見ると (Google Map より)
清澄白河・小名木川 B.JPG

    あまり聞き慣れない「前島」と言う名前と、「行徳」と言う地名、覚えていて下さいね!
 

   ◆ 更に広域を地図で見ると (Google Map より)
関東主河川地図.jpg

    現在の河川の流れ、これから話題にする江戸草創期とはかなり変化してますので現代の様相と
    比較して見て下さい。

    特に注目すべき河川「利根川」、「荒川」、「中川」でしょうか?

 

 

 春爛漫の「小名木川」隅田川口、河口付近 

 

今年初めて見る小名木川の春、4月1日からの赴任地で、スッキリ晴れた日の撮影チャンスも無かった為、
桜の写真はこの日だけでスッキリと快晴の日の桜シーンは撮れませんでしたが小名木川から隅田川に出る
河口付近の現代の風景です。

   ◆ 小名木川・高橋(たかばし)からの隅田川河口方向
2015.04.01A _03 小名木川・桜.jpg

    正面の青い施設が水門で、東京湾の潮汐と隅田川上流での降雨などによる水位の変化に対して
    小名木川の水位が上がり過ぎない様に調整する為の水門。
    なお、すぐ向こう側には「萬年橋」が架かっている。
    反対側・荒川口や、小名木川に繋がる各河川にも大河に繋がる出入り口に同様の水門を設けて
    江東・ゼロメートル地帯を水害から守っている。 水門が開いている時は、隅田川まで見える。


   ◆ 水門(新小名木川水門)をくぐって見ると、そこは隅田川2015.04.01A _18 小名木川・桜.jpg

    高倍率ズームの為、遠近感に乏しいのですが、対岸は浜町・金毘羅宮付近の河川敷公園。

     は~るの~  うら~ら~の~  す~み~だ~が~わ~・・・なんて聞こえて来そう

 撮影日は変わって5月

   ◆ 河口(隅田川方向)から見た小名木川(萬年橋)
2015.05.30A _042 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

    萬年橋の向こう側が「新小名木川水門」。  撮影位置の左上が「芭蕉庵史跡展望公園」。

   ◆ 「芭蕉庵史跡展望公園」より小名木川河口と清州橋(隅田川下流方向)
2015.05.30A _049 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

    写真左側が小名木川河口。(万年橋の写真は釣り人の左側の位置で撮影)

   ◆ 「芭蕉庵史跡展望公園」より新大橋(隅田川上流)方向
2015.05.30A _050 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

 

   ◆ この地域のマップ (出典:JTBパブリッシング「詳細地図で歩きたい町・東京2015」より)
周辺地図A地域旧跡等(清澄白河周辺).jpg

そして、現「荒川」迄 一直線で繋がっているのが「小名木川」である。

 

 

「小名木川」誕生ストーリー

 

事実として伝わっている事を纏めると、以下の通りとなっている。

 1.小名木川は德川家康の関東入り直後に造られた人工の運河である。(最優先で開削された)

 2.その目的は【「行徳」(当時海水から塩を作っていた)の塩を運ぶ為】とされていた。

 3.同時期に「道三堀」と荒川から旧・利根川(現・江戸川)を結ぶ「新川(船堀川)」
   (既存の川)を整備して、家康は江戸城から行徳間の輸送路を確保した。

 4.このルートは当初德川幕府が厳しく管理、一般人への解禁は約30年後らしい。

 5.家康が来た頃の江戸城(太田道灌が作った城)は、湿地帯と海が囲む砦程度であった。

 6.新領地・関東の早急な掌握と家臣たちの生活基盤確保のインフラが急務だった為の開削。
  (恐らく、軍事面でも重要な役割、荒川・利根川経由で関東各地への機動力が格段にUP)

 

 関東入りした家康達が見たであろう江戸城周辺の情景 

 

   ◆ NHK「歴史秘話ヒストリア」よりのイメージ (東京地方放送:H27/4/22)
家康以前.jpg

    「歴史秘話ヒストリア」の放送タイトル : 「 がんばれ東京~泣いて笑って400年~ 」

 

 

 家康による「江戸の城下町作り」

 

 当時の地形 


   ◆ 1,590年(天正18年)頃(便宜上JR主要駅や現代の外堀などの重ね記載あり)008.jpg
            (出典:法政大学エコ地域デザイン研究所編「外濠・江戸東京の水廻廊」より)

    德川家康が関東入りした1,590年(天正18年)当時、江戸湾の一部の「日比谷入り江」
    と呼ばれる海岸線が入り込み、およそ現在の外堀通りと内堀通りを挟むエリア大の前島が「
    入り江」を守る形で存在していた。(現在の銀座~日本橋を含む図中の白い岬状のエリア)

    家康の来た当時の江戸城の規模は、全体でも図中の「江戸城・本丸」程度のエリアに 城(
    恐らく城と呼ぶには貧弱な建物)があり、城下町などは無く、周囲には田畑も殆んど無い湿
    地帯に囲まれた武蔵野台地・最先端の高台だった。
    

 

 家康が置かれた地勢学的背景 

 

    秀吉の天下統一は成ったとは言え、家康にとっては秀吉との間には確執もあり上杉・伊達等の
    隣藩からの脅威に対しても一刻も早く自領の基盤固めをする必要が有った。
    その基盤とは、

       1.家臣達の生活基盤を確立・安定化する事
         ・・・・・「衣・食・住・物流」の インフラ 整備、日比谷入り江の埋め立て(家臣達 
               達の家を建てる宅地確保)及び「小名木川」「道三堀」の開削により彼等
               や城中の生活物資確保を図る

       2.城下町作り(経済活動の活性化)・・・商人等の厚遇招聘

       3.領地・領民の掌握・・・・当然旧領主(北条氏)の影響力や、隣国との摩擦処理等へ
                     の効果的対応力が評価されれば短期に掌握出来る様になる
                     (圧倒的軍事力のデモ・・鷹狩もそのひとつでしょう)

       4.秀吉に取って最大の要注意人物は、誰の目にも「德川家康」と写っている。
                      早急に対抗出来る体制(軍事力・政治力)を整えなければ
                     ならない。

       5.北条が滅んだ後、上杉景勝・伊達正宗と言った有力大名の脅威が直接的なものとなる。

 

 

 NHK「歴史秘話ヒステリア」による家康の「江戸」の町作り 

 

  ◆ 利根川流域等河川上流域に豊富な米や野菜がある、行徳では塩の生産がある
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    利根川流域を中心に米や野菜の生産地が、行徳には塩田が有ったが、船で日比谷入り江迄運ぶ
    場合、湿地帯や浅瀬が遠浅で広がる海を遠回りして運ばないといけないが、嵐等により安定し
    ての物資輸送が難しい。(大船では浅瀬が多く、小舟では高波等に弱く欠航し易い)

    そこで陸地に堀を設けて物資の輸送路を作ろうと言う事になり、行徳から荒川迄は既存の新川
    に少し手を加えて使い、「荒川~隅田川」迄は小名木川を、「隅田川~現・和田倉門付近」迄
    道三掘開削した

   ◆ つまり、確実に運ぶには行徳から水路を舟で運ぶのが安全⇒水路(運河)を作れ!
Dscf0023.jpg

    と言う事で、「小名木川」「道三堀」が 最優先で開削された
    (注)道三堀の一部は後年、平川を合流させて「日本橋川」となった。

    また、城下町振興策としては、全国から商人や職人などをを募集して優遇し、商・工業の振興を
    図ったとの事であるが、「小名木川」のテーマからは外れるので此処では省略します。

 

と、此処迄はだいたいどの資料を見てもほゞ大同小異。いわゆる定説である。

 

 

 小名木川の不思議 

 

小名木川のほゞ中間地点、現代の 四ツ目通り が交叉する地点に【小名木川橋】が有り、その橋の袂(たもと
)に「五本松跡」と言う標柱が立っている。(下記ストリートビューのひとコマを参照)

今は原木は無くなって後に植えられた松が有るが、江戸時代、此処には五本の松が有り、江戸の名所として、
著名な名所案内に2回も描かれた絵が今も貴重な美術品として残っている。
 

 

   ◆ 「小名木川五本松」の有った所、現在は標柱と後植えの松数本があるのみ
名所江戸百景 (小名木川・五本松跡)ストリートビュー.JPG

 

   ◆ 周辺 Map
名所江戸百景 (小名木川・五本松跡)四ツ目通り.JPG

 

 

 2枚の絵 :「江戸名所会図」と「名所江戸百景」の【小名木川五本松】  

 

   ◆ 江戸名所会図の中の【小名木川五本松】

江戸名所会図 (小名木川・五本松).jpg

 

出典

古書(タイトル不明)
より抜粋

 

2,005年頃神保町
古本市で買った古書
の切り抜き保存版

 

 

 

 

 

 

   ◆ 名所江戸百景の中の【小名木川五本松】  (歌川広重作)
名所江戸百景 (小名木川・五本松).JPG

 

 

 

 

出典

古書(タイトル不明)
より抜粋

同上、切り抜き保存版

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  ほゞ同じ場所から同じ風景を描いているのに何かがおかしい!・・・・と、思いませんか?

 制作年代は、江戸名所会図が1,834~1,836年頃、名所江戸百景は1,857年と言われ、
 約20年の隔たりがあるが、基本的な違いにお気づきでしょうか?

 

2,005年以来、私がこの切り抜きを持っていた理由はこの謎を何時か解いて見たいと思って居た
からです。

実はこの謎解きを既にされた方の本を見付けました。私も納得させられた内容ですが、取りあえず
「謎 !」のまゝとしましょう。

 

その内容については、次回投稿【小名木川 ー 2】でご紹介致します。

    が、「皆さんも、謎解きにチャレンジ」して見ませんか?   ーーー 続く ーーー

 

予告しています「小名木川」、中々奥が深くもう少し調べたい事が出てきたのでもう少しお時間を!

一昨日、小名木川が繋がる(始まると言うべきか?)一方の大河「隅田川」その合流点に行って来た。

そこはかって、あの松尾芭蕉が庵を構え、隅田川を行き交う舟や対岸に沈む夕日を眺めながら俳句の
草案や詠んだ句の推敲(すいこう)をして、多くの名句を生み出した場所でもあった。
そんな場所の、現代の情景をお楽しみ下さい。

 

【芭蕉史跡展望庭園】にて

 

   ◆ 松尾芭蕉像 (写真は隅田川上流方向を向いた芭蕉像)
     朝10時~16時は隅田川上流、17時~翌朝9時迄は下流・清洲橋方向へと向きを変えるそうだ
2015.05.30A _047 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

   ◆ 芭蕉像の視線方向(昼の時間帯) ・・・ 隅田川上流(新大橋)方向
2015.05.30A _050 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

   ◆ 17時~(夜間)の視線方向 ・・・ 隅田川下流「清洲橋」方向
2015.05.30A _049A 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

   写真、左側が【小名木川の河口】で、正面の吊り橋型の橋が「清洲橋(重要文化財)」

   ここからの眺めは抜群、「清洲橋」や ビル群等も 絵になるが、何と言っても上下行き交う様々
   な舟が、見て居て飽きさせない事だ。

   水は澄んで居て、我々が集団就職した頃の悪臭のする川のイメージは殆んど無い。

   その川を行き交う舟の種類の豊富な事、昔懐かしい遊覧舟から大中小の観光船・SFの世界から
   抜け出て来たかの様な特殊な観光船迄、15分も眺めて居たら数十隻もが通り過ぎて行き、見飽
   きさせる事がない。

   ◆ 代表的な通過船たち(ハシケや貨物船は除外)
2015.05.30A _035 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

2015.05.30A _034 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

   ◆ 謎の乗り物・・・007か、SFに出て来そうな乗り物が近付いて来る2015.05.30A _011 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

2015.05.30A _014 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

   隅田川にこんな船が走って居たなんて、知らなかったなあ! 観光船らしいのだが?

   ◆ またしても同じ船?・・・いや、違う! 小さい!
2015.05.30A _046 芭蕉史跡展望公園周辺(13.00頃).jpg

   さっきの船の2/3位の大きさだが、形は類似している。
   これなら一度乗って見たい気もするね! (何処から何処迄行くのかな?)

 

最後は話題を変えて、私の勤務先の屋上からの「東京スカイツリー」写真を紹介しましょう。

 

「東京スカイツリーをメイン」に撮ってみました

   ◆ 午後4時頃、標準撮影

2015.05.31_001 寮屋上から(18.00頃).jpg

   ◆ ズームアップ2015.05.31_008 寮屋上から(18.00頃).jpg

2015.05.31_019 寮屋上から(18.00頃).jpg

   ◆ 夜景2015.05.30B _002 寮屋上からの夜景(13.00頃).jpg

2015.05.30B _004 寮屋上からの夜景(13.00頃).JPG

   夜景を写すと「東京スカイツリー」が、なぜか曲ってしまったかと錯覚してしまう

   どうしてかな?

映画やドラマで、江戸時代の庶民生活を舞台とする時代劇や物語に、必ずと言う程出て来る川の名前が
【小名木川】。

山手喜一郎、池波正太郎、山本一力、佐伯泰英、門田泰明・・・・・色々な作家がこの川を描いた。

仕事の関係で、今年4月から転勤して来た所がこの【小名木川】に架かる、隅田川から数えて2つ目の
橋【高橋(“たかばし”と読む)】の、すぐ近く。
そこでこの【小名木川】について、前から興味があり少し調べてみる事にしたが、新たに調べて見て今
迄の認識を覆す新説も浮かび上がって来て、中々面白い。

今日の所はまだ、一番最新の情報(書籍)を手にしたばかりなのでもう少し読んでから書きたいと思い、
予告編に留める。

取りあえず、現代の小名木川近況編として、以下小生赴任・4月以降の近況写真でも見てお待ち下さい。

 

   ◆ 小名木川:【高橋 (たかばし)】袂からの「東京スカイツリー」 (最近の写真)
20150520_高橋よりのTSK.jpg

 

桜全盛の頃(3月末~4月上旬頃)

   ◆ 4月上旬:隅田川口の水門・・・一番高いビルは隅田川対岸の「トルナーレ日本橋浜町」
    (水門の向こうに橋があり、その向こうが隅田川。手前の青い管は水道管)
2015.04.01A _03 小名木川・桜.jpg

   ◆ 水門の下には隅田川を運行する水上バスも見える(対岸/箱崎方向を歩く人も)
2015.04.01A _18 小名木川・桜.jpg

   ◆ 高橋(青い水道管の向こう側)を潜って隅田側に向かう観桜船
          (ガイドが説明しながら通過して行く)
2015.04.01A _16 小名木川・桜.jpg

   ◆ 水門を潜って隅田川へ(殆んどは右、浅草方面「隅田堤」へ向かう)
2015.04.01A _20 小名木川・桜.jpg

   ◆ 高橋にて:帰り舟 (多分、隅田堤でお客さんを降ろして帰る所でしょう)20150409_高橋からTSKT.jpg

 

桜は散って・・・(4月末~5月現在)

   ◆ 小名木川/高橋より : 正面の隅田川対岸(高いビルの左付近)が箱崎ターミナル方面
20150426_高橋から下流(隅田川)方向.jpg

   ◆ 小名木川/高橋より :ほゞ直線の川筋、 中川・行徳方面迄
20150426_高橋から上流方向.jpg

   ◆ 地図で見ると、意外に近い範囲に意外なスポットや旧跡が沢山有った
周辺地図A(清澄白河周辺).jpg

   地図出典 :JTBパブリッシング発行、「詳細地図で歩きたい町・東京 2015」より引用

 

私はまだ殆んど歩いて居ないが、小名木川関連以外でも、深川と言う地域は

   ・松尾芭蕉関連  ・平賀源内関連  ・のらくろ  ・北の海部屋 ・・・・・etc.

等々、歴史以外でも面白そうだ!

 

さて、【小名木川】本編について少しだけ触れて置きましょう。

 

【小名木川】は、德川家康が豊臣秀吉に依って関東への国替え(移封)させられて直ぐに着工し作られた、
言わば江戸草創期からの人工の川である。
つまり、我等の故郷に根付いて居た越後上杉家が会津移封となったその時と、ほゞ同じ時期なのである。

しかも、その川は隅田川~中川迄、ほゞ一直線に、当時としては川幅も広い独特な運河である事。

開削から約30年間は、一般人の通行が禁じられて居たと言う事。

など、定説(德川の記録等)では、【小名木川】開削の目的が、「行徳(千葉)の塩を確保するのが目的」
とされているが、しかし「【塩】だけの目的でこれだけ大規模な運河を作るだろうか?」と言う疑問が私の
中では、何かスッキリしない違和感として引っ掛って居た。

所が最近手にした本で、かなり論理的な説明がなされ、納得が得られた気がしている。
まだ、主流の説明として認知されたものでは無い様だが、私的には納得出来るものであった。

そんな事から【德川家康と小名木川】の関連をもう一度整理して見ようと、思って居る。

近日公開予定!   江戸時代草創期の歴史に興味ある方は是非ご覧下さい。

 

城内漫遊記

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かねてより六万騎山のカタクリ最盛期に行って見たいと思っていたら、GW直前の4/28(火)1日だけ休みがとれる事になり友人に声を掛けたら午前11時頃迄ならOKとの事で、夜10時の仕事を終えてから自宅に帰り、深夜の関越道を走って塩沢の「道の駅・雪あかり」で仮眠、午前7時40分頃友人宅に着いた。

天気は快晴、

   ◆ 友人T氏宅の立派な桜が丁度満開だった
2015.04.28C _02 智通宅・桜(満開).jpg

 

  8:00AM、六万騎山の麓には更に2人の友人が、仕事をやりくりしてくれて同行すると言う。 感激だ!


 

六万騎山登山(と、言うより軽ハイキング)

 

   ◆ 六万騎山・登り口にて、友人一同を1枚 (T氏・M氏・N氏)
2015.04.28D _03 六万騎山.jpg

 

 登り口から足元一帯にカタクリが群生していたが、残念ながらもう殆んどが花期を終え、中には
 かなり実が成熟している物も見られて少し落胆しながら登り始めた。

 登り始めて直ぐの所で青いカタクリの花を教えてもらったが、一部を心無い人にむしり取られて
 いて、無残な姿にカメラを向ける気もしなくなった。 非常に残念な事である。
 (この青いカタクリについてはT氏のページで紹介されている

 気を取り直して登って行くと、懐かしい花々のオンパレードで落ち込んだ気持ちを癒してくれる。

 

   ◆ 登り口からの途中の花々、ニオイコブシ(タムシバ)・・・いい匂いですよ!2015.04.28D _11 六万騎山.jpg

   ◆ イワウチワ ・・・ 葉っぱの形、昔の団扇ににてません?2015.04.28D _12 六万騎山.jpg

   ◆ ユキツバキ・・・花は散り方に意味が有るらしい。 普通の椿は花全体がポトリと落ちる。
             従って昔、武士達は「首が落ちる」と、縁起をかつぎ、庭木にしなかっ
             たが、「ユキツバキ」は花びらで散るので武家の庭木に喜ばれたと言う。
2015.04.28D _15 六万騎山.jpg

 

    その他、イカリソウ・キクザキイチゲ・各種のスミレ・マンサク・ブナ 等々が競って咲き誇
    っていた。
    そして本命カタクリも、標高が上がるにつれてまだまだ健在。 最盛期は過ぎたが十二分に
    UP写真も撮れる立派な花があちこちに群生していた。

 

   ◆ 念願の【カタクリ群生】
2015.04.28D _51 六万騎山.jpg

2015.04.28D _46 六万騎山.jpg

2015.04.28D _48 六万騎山.jpg
 


 

六万騎山・山頂展望台


   ◆ 山頂展望台にて全員で! (同行者T氏のカメラ映像)左よりT・M・N・H(小生)
六万騎山・山頂にて.jpg

   ◆ 山頂からの六日町方向、1週間前(N氏撮影)と残雪量を比較して見ました
六万騎山 から 六日町方向.jpg

    1週間前の写真(上)撮影者N氏のブログ(ここ)より借用、こちらもご覧下さい。
 

   ◆ 巻機山~魚沼丘陵枡形山・パノラマ写真(合成)
2015.04.28D _27B 六万騎山.jpg

   ◆ 山頂の案内板
2015.04.28D _44 六万騎山.jpg

   ◆ 左上、枡形山スキー場 : 右端、五日町スキー場方向
2015.04.28D _53 六万騎山.jpg

   ◆ 六万騎山からの「八海山」2015.04.28D _43 六万騎山.jpg

 

   ◆ 六万騎山から「大崎(大和)」・「守門岳」方向
2015.04.28D _35 六万騎山.jpg

   ◆ ブナの開花 : 春紅葉と呼ばれる要因のひとつ
2015.04.28D _37 六万騎山.jpg

   ◆ ブナの花 : 開花して数日すると、赤い葉も・黄色い花も黄緑色に変る
2015.04.28D _39 六万騎山.jpg

 

    勿論、「春紅葉(モミジ)」はブナの開花だけでは無く、芽吹きの時や花芽が開花する直前は
    多くの植物が表皮を赤くして赤外線を集め暖める事により、成長を促す。
    それが秋の紅葉の様に山肌を赤く見せる事から「春紅葉」と呼ばれる様になったのだそうだ。

 

  さて、下山後、本来のスケジュールではトンボ返りで東京へ戻る予定だったが、あまりに快晴の天気に
  緑と残雪の山々、こんなチャンスは滅多に無い為「城内漫遊」にと予定変更をした。

 

 

城内漫遊

 

   ◆ 城内Map(Google)
六日町・城内 MAP.jpg

 

  今回は城内エリアを貫く宇田沢川に沿って遡り、八海山里宮迄を辿って見る事にした。
  まずは我等の母校、城内中学校。(我等の頃は小学校も一緒で、母校と言えばここだけ)

 

   ◆ 桜吹雪のグラウンドから
2015.04.28F _23C 城内中学校付近より.jpg

   ◆ 後の藤原山(桂山)は子供の頃良くウドやクタチ等の山菜を採りに登った山
2015.04.28F _05 城内中学校付近より.jpg

    我等が入学した頃は一学年で200人・一教室50人と言う大所帯で有ったが、少子化の波は
    故郷でも抗し難く、3年後には大牧中学・五十沢中学が統合されてここに通う事になる。

    一方、宇田沢(うだぞう)川の対岸の風景は、

   ◆ 中央の「暮坪山」~「鬼の面(おんのつら)山」が迫って来る2015.04.28F 暮坪から鬼の面.JPG

    昔は「暮坪山(中央)」も「鬼の面山(右)」も一部特別な急斜面を除き、芝刈りをして
    いた為、この季節にはどの斜面を登ってもカタクリやイワカガミ、山菜等の宝庫であった。
    最近では雑木や下草が繁茂して山菜も少なく登る人も無くなり、尾根筋でさえ登り下りが
    薮コギとなる為、大変である。

 

   ◆ 昭和30年代、3月の凍み渡りで上の写真中央・暮坪山に登り
          大杉2本が見える稜線からこちら向き(上原方向)を撮った写真
S30年代上原.jpg

 

   ◆ 上原集落開発センター前から、鬼の面・八海山方向 (宇田沢川上流)
2015.04.28G _20C 集落センター付近より.jpg

 

   ◆ 岡付近(旧・蕎麦屋付近の宇田沢川河畔・アズマイチゲの群落より)
2015.04.28G _121 岡付近より.jpg

   ◆ 左:アズマイチゲのクローズアップ 右:キクザキイチゲ (宇田沢・堤防にて)
アズマイチゲとキクザキイチゲ.jpg

  ◆ 富岡ホワイトの上流堤防、数か所で群生     ◆ 出浦(イズナ)橋下流域堤防に数株ずつ散在

 

     アズマイチゲとキクザキイチゲの花は殆んど同じで見分け難い。色も互いに白と紫がある。
     困った事に両者とも同じ様な環境に生育するので間違えやすい。
     

     見分け方は、アズマイチゲは花の下にアケビの葉の様な細長い葉が6~8枚輪状に付く
     事、キクザキイチゲの場合、葉に深い切れ込みが無数に入っている事が大きな違い。
     また、キクザキイチゲは比較的紫の花が多く(白もあるが)、アズマイチゲには紫色は
     極めて少ない。(全く無い訳では無いので、目安と思って下さい)

 

     こんな所にアズマイチゲの群落とは予想外、多分八海山の何処かの沢筋から流れ着いた
     ものが増えたものだろう。 群生は、川沿いに4~5個所確認出来た。

 

   ◆ 岡村の山際、城内の春爛漫を絵にした様な原風景
        「里には桜、山にはブナの新緑と白い残雪、所処に春紅葉」2015.04.28G _83 野際から岡付近より.jpg

   ◆ 岡村付近からの八海山2015.04.28G _120 B.jpg

 

    ここから山口の友人宅前を抜けて里宮へ
 

   ◆ 里宮(正面より)と参道(雪山の上から手洗い場方向)2015.04.28H _13 B 八海山・里宮本殿と参道.jpg

   ◆ 池
2015.04.28H _09 B 八海山・里宮の池.jpg

   ◆ 池から流れ出る森の中の小川
2015.04.28H _05 八海山・里宮.jpg

   ◆ ミズバショウも咲き始めた(小川に沿って大分株数が増えている)
2015.04.28H _06 八海山・里宮.jpg

   ◆ 目覚めつつある里宮の森、消えた雪の隙間からいち早く日陰を好む野草達が!
2015.04.28H _02C 八海山・里宮.jpg

    左 : ウバユリの若い株・・・この株は少し巻いている所を見ると、もしかしたら
                   今年は花を付ける迄育つかも知れない。
                   種を蒔いても数年に分かれて発芽する。発芽はしても
                   5~6年は株が大きく育つ迄花芽を付けず、途中で枯
                   れて消えてしまう事も多く、育てるのが難しい花だ。
    右 : エンレイソウ・・・・・これは、比較的どこでも育つ良く知られた野草。
 

 

城内中学校・第16回卒業生の42歳厄払い記念碑

 

  里宮の左下、そこに鎮座して旧城内村を見守っている。

   ◆ 最近では【子宝祈願のパワースポット】だとか?
2015.04.28H _15 八海山・里宮.jpg

    まだ雪解け中の為、スギっ葉(杉の枝葉)等の落ち葉で汚れているが、これが入口
    からの全景。

   ◆ 別の角度から
2015.04.28H _17 八海山・里宮.jpg

   ◆ 付近で見付けたショウジョウバカマ
2015.04.28H _19 B 八海山・里宮 滝周辺の花.jpg

 

    ここで、帰宅時間のタイムリミット。
    実家に顔を出してから帰途に付き21時頃、藤代の自宅に着いた。
    その後東京の職場に移動、結論として4月28日中に就寝出来、翌朝6時30分始業は
    支障無く対応出来た。

 

 

転勤日程や職務上への影響も考えると、先の投稿【「伊勢参り+アルファ」ドライブ(計画編) 】 が、旅行そのものが出来るかどうかも危ぶまれて居たのですが、上司や周囲の方々のご理解も頂き予定通り無事行って来る事が出来ました。

今回、ご協力・ご支援頂きました皆様方に、改めて御礼申し上げます。 有難うございました。

さて、その様な状況の中「ドライブそのものはほゞ予定通り」無事に回って帰って来たのですが、仕事上の変化で中々ブログUPの余裕が作れず、今日に至ってしまう事となりました。
そんな訳で、いささかタイミングはズレましたが、説明文は最少に、普段あまり観光目線に触れない部分(観光バス等では出て来ない視点・角度からの写真など)を中心にご覧頂く事に致します。

 

旅の初日(3月28日)土曜日

 コース : 埼玉県(吹上5:10発)~圏央道〜東名~伊良湖岬~鳥羽~二見浦(ふたみがうら)
           ~伊勢神宮(内宮)~伊勢志摩スカイライン~鳥羽(18:30、泊)

 【写真は伊良湖岬から】・・・ 吹上~圏央道〜伊良湖岬間省略(伊良湖岬着、10:50AM)

   ◆ 道の駅・伊良湖 = 伊勢湾フェリー旅客ターミナル
2015.03.28A 01 (11:00から11:30 頃)伊良湖岬.jpg

   ◆ ターミナル待合室より、フェリー船体
2015.03.28A 06 (11:00から11:30 頃)伊良湖岬.jpg

   ◆ 乗船口
2015.03.28A 08 (11:00から11:30 頃)伊良湖岬.jpg

   ◆ 11:35AM 出航

   ◆ 12:35AM頃、フェリー右舷後方の?島(鳥羽に近い所)
                  山頂に展望台らしき建物有り2015.03.28B 26 (11:35から12:45 頃)伊勢湾フェリー.jpg

   ◆ 右奥、鳥羽港(到着約15分前)2015.03.28B 34 (11:35から12:45 頃)伊勢湾フェリー.jpg

   ◆ 12:50 鳥羽港フェリーターミナル着 ~ 二見浦へ、此処で昼食。(13:20頃)

   ◆ 二見浦・夫婦岩 (朝日はこの方向から昇るらしい)
2015.03.28C 04 (13:10から14:10 頃)夫婦岩.jpg2015.03.28C 19 (13:10から14:10 頃)夫婦岩.jpg

   ◆ 別の方向から
2015.03.28C 32 (13:10から14:10 頃)夫婦岩.jpg

   ◆ 二見浦ではこんな桜(?)が満開だった
2015.03.28C 26 (13:10から14:10 頃)夫婦岩.jpg

   ◆ 14:10  伊勢神宮(内宮)へ向かう

   ◆ 15:00頃、内宮着 駐車場より内宮入口方向
2015.03.28D 68 (15:00から16:30 頃)伊勢神宮・内宮.jpg

   ◆ 五十鈴川を渡る最初の橋
2015.03.28D 60 (15:00から16:30 頃)伊勢神宮・内宮.jpg

   ◆ 橋の下には五十鈴川(下流)・・・昔とは大分違う様な??
2015.03.28D 12 (15:00から16:30 頃)伊勢神宮・内宮.jpg

   ◆ 川下では川鵜(?)が潜ったり出たり漁をしていた
2015.03.28D 05 (15:00から16:30 頃)伊勢神宮・内宮.jpg

   ◆ 上流が内宮の中を流れる五十鈴川、そこでは賽銭が投げ込まれていた(禁止行為)
2015.03.28D 23 (15:00から16:30 頃)伊勢神宮・内宮.jpg

   ※ 良く見ると小さなカジカみたいなものとハヤか何かの幼魚が沢山居たが、昔の様な
     清流の趣は失われてしまってもの悲しい。

   ◆ 神社・仏閣についてはガイドブックなどとダブるので割愛、ここでは目に入った樹木等
2015.03.28D 28 (15:00から16:30 頃)伊勢神宮・内宮.jpg
2015.03.28D 29 (15:00から16:30 頃)伊勢神宮・内宮.jpg

   ◆ 内宮の中で数少ない桜(山桜?でも無さそう?)は満開だった2015.03.28D 55 (15:00から16:30 頃)伊勢神宮・内宮.jpg

2015.03.28D 57 (15:00から16:30 頃)伊勢神宮・内宮.jpg

   ◆ おかげ横丁
2015.03.28D 66 (15:00から16:30 頃)伊勢神宮・内宮.jpg

   ◆ おかげ横丁のファミマ(こんな風情の店、いいね!)
2015.03.28D 65 (15:00から16:30 頃)伊勢神宮・内宮.jpg

   ◆ 駐車場入り口突き当りの史跡、私的にはこちらがおおいに気になったのだが?
            ・・・ 殆んどの人は見向きもしないで通り過ぎて居た。
2015.03.28D 71 (15:00から16:30 頃)伊勢神宮・内宮.jpg2015.03.28D 72 (15:00から16:30 頃)伊勢神宮・内宮.jpg

 

   ◆ 16:30 内宮を後に、伊勢志摩スカイラインに向かう

 

2015.03.28E 01 (16:55から17:30 頃)伊勢志摩スカイライン.jpg

   ◆ 伊勢・志摩の海の展望台だが、遠くを見渡すには春は無理か?
2015.03.28E 12 (16:55から17:30 頃)伊勢志摩スカイライン.jpg

    やはり伊勢湾を堪能するには「大王崎」や「英虞湾」迄行かないと無理かな~?

    今回はここ迄とし、鳥羽の宿に下る。

    17:40 予約していた【かんぽの宿鳥羽】に到着。

 

2日目 (3月29日)日曜日

 コース : 鳥羽(9:15発)~吉野山~奈良(東大寺)~奈良・平城宮跡近くの宿(18:00、泊)

 

   ◆ 穏やかな朝日の中、花喰い鳥の声に起こされた
2015.03.29A 23 (6:00から7:30 頃)かんぽの宿・鳥羽.jpg

   ◆ 窓からは、昨日着いた鳥羽のフェリーポートも見える
2015.03.29B 35 (9:00から9:10 頃)かんぽの宿・鳥羽.jpg

 

    9:15AM、今日は真っ直ぐ吉野山を目指して出発。

 

    途中から雨となる・・・11:10AM 吉野山(入口)着、雨が激しくなる。

 

   ◆ この看板は下千本の駐車場にあったもの
2015.03.29D 01 (12:20から14:20 頃)吉野山.jpg

    残念ながら吉野山の桜は、最も早く咲く下千本でも桜の蕾もまだ堅く、気温・天候にも依るが、
    開花迄約一週間位早かった様だ。

    雨も激しくなったのだが、車で中千本辺り迄一周して見る事にした。

   ◆ 中千本付近2015.03.29D 12 (12:20から14:20 頃)吉野山.jpg

2015.03.29D 05 (12:20から14:20 頃)吉野山.jpg

    時期になるとこの辺り一帯が桜の花で、染まるのだそうだ。

    中千本からトンネルをくぐり、下って行くと吉野山駅の横に下りて来る。

   ◆ 吉野駅付近 (この方向から下りて来る) 右側がロープウエイ駅
2015.03.29D 22 (12:20から14:20 頃)吉野山.jpg

   ◆ 鉄道の吉野駅からロープウェイ駅間を結ぶ通路
2015.03.29D 25 (12:20から14:20 頃)吉野山.jpg

   ◆ 吉野駅
2015.03.29D 26 (12:20から14:20 頃)吉野山.jpg
2015.03.29D 28 (12:20から14:20 頃)吉野山.jpg

 

    雨は降ったり止んだり、とても桜見物の雰囲気にはほど遠い状況。

    途中で遅い昼食をとりながら、奈良を目指す事にした。(12:40頃)

    吉野山を下りると雨は上がり、途中桜井で給油及び昼食をする。

    昨日、吹上を出てここ桜井迄、走行距離は793km、燃費は21.3km/リットル。
    平均50kgの大人4人を載せ、結構UP―DOWNの激しいコースも走り、高速道路も
    平均より早いグループで走っていた事を考えたら納得の燃費であった。
     (想定では20km/リットル以下と予想していた)

 

    さて、今日の最大の目的は、奈良。そう、東大寺の大仏様です。
    15:10、桜井発 ⇒ 東大寺近くの駐車場、15:50 着

 

   ◆ 転害門から大仏殿に向かう途中で・・・
2015.03.29E 04 道案内.jpg

  ◆ 池の向こうが大仏殿
2015.03.29E 07 (16:10から17:30 頃)奈良東大寺.jpg

   ◆ 大仏殿近くで
2015.03.29E 16 (16:10から17:30 頃)奈良東大寺.jpg

   ◆ 大仏殿 (正面)
2015.03.29E 21 (16:10から17:30 頃)奈良東大寺.jpg

  ◆ 大仏殿の中 (以外に、撮影自由だったのが不思議)
2015.03.29E 26 (16:10から17:30 頃)奈良東大寺.jpg2015.03.29E 27 (16:10から17:30 頃)奈良東大寺.jpg2015.03.29E 30 (16:10から17:30 頃)奈良東大寺.jpg

   ◆ 大仏様の後ろ姿2015.03.29E 44 (16:10から17:30 頃)奈良東大寺.jpg

   ◆ 虚空蔵菩薩
2015.03.29E 32 (16:10から17:30 頃)奈良東大寺.jpg

   ◆ その他 (東大寺大仏殿関連施設)
2015.03.29E 51 (16:10から17:30 頃)奈良東大寺.jpg

   大仏殿から見た正面玄関2015.03.29E 53 (16:10から17:30 頃)奈良東大寺.jpg

 

    17時、大仏殿のすべての扉が閉められ拝観時間は終了となった。

    17時20 今夜の宿【かんぽの宿奈良】に到着

   ◆ 20時頃、平城宮跡の朱雀門(再現建築)ライトアップ
        (かんぽの宿奈良、自室よりズームアップ)
2015.03.29F 08 (20:00から20:30 頃)平城京跡朱雀門・かんぽの宿奈良より.jpg

 

 

3日目 (3月30日)月曜日 (最終日)

 コース : 奈良(9:10発)~京都(渡月橋)~名神・東名・圏央道〜吹上(帰着:22:40)

 

    今日は天気が良かったら、若草山に登って見ようと思っていた。
    早朝から快晴、予定通り若草山・山頂を目指す。 と言っても山頂直下迄車で登る事が出来る。

    観光バスは登らないコースなので、車ならではの展望台。 意外に穴場・スポットである。
    ただ、この季節は大気中の水分が多い為、遠望はあまり期待出来ないと思う。
    (奈良盆地全体が眺められるのは、大気の澄んだ秋~冬だと聞いている)

 

   ◆ 若草山・山頂でくつろぐシカたち ・・・ こんな群れがあちこちに!2015.03.30B 33 (10:10から10:45 頃)若草山.jpg

   ◆ 若草山からの展望・・・奈良県庁舎(右)と興福寺五重の塔(左)が見える
2015.03.30B 14 (10:10から10:45 頃)若草山.jpg

   ◆ 若草山からの大仏殿(の屋根しか見えないが・・・金色の馬頭ほこの建物)
2015.03.30B 16 (10:10から10:45 頃)若草山.jpg

   ◆ 【興福寺の五重の塔】ズームアップ
2015.03.30B 20 (10:10から10:45 頃)若草山.jpg

 

    やはり春霞のせいで、平城宮や色々な古墳群等は見分ける事が出来なかったが、大気の綺麗な
    季節に再び来て見たい場所が、ここ「若草山の山頂展望台」でした。

 

    10:40AM頃若草山・山頂を後に、京都・渡月橋あたりで昼食を採り一路埼玉へ帰るべく
    出発した。

 

    12:10頃渡月橋付近に着いたが、駐車場を探したが30分以上並ばないと入れない所ばか
    りで足の悪い同行者に20分以上歩かせる訳には行かない為、渡月橋はあきらめた。
    この時点で、13:30。 帰路の行程を考えると、京都での滞在時間はタイムリミット。
    結局、このまま帰路とする事にした。

    桜も満開、京都は何処へ行っても車と人の行列で渋滞。やはり観光シーズンは車で来るべきで
    は無い場所であったと反省。

    「京都南」から阪神高速に入り、15:10頃「黒丸PA」でようやく遅い昼食を済ませる。
    ここはトラックの休憩が多いせいか、定食メニューが充実。 千円以下で味・ボリューム共
    大満足だった。

    16:00「黒丸PA」発 ⇒ 途中省略 ⇒ 22:40 無事「吹上」帰着でした。 

仕事の都合で長い間留守にしていた自宅に、ひさし振りに帰った翌朝の事だった。
4月24日早朝6時半、“ケーン”(とは聞こえないのだが通称で)と言うかん高い声に起されて
ひさし振りにマンション眼下の河川敷を見ると、
居た居た!
ここ、河川敷ゴルフ練習場をテリトリーにしているキジのオスが、テリトリーの見回りと朝食(?)
であちこちを歩き回って居た。
   ◆ ただ今見回り中!
2015.04.24 小貝川のキジ 01.jpg

5~10分に1回位の間隔で、【テリトリー宣言とメスを呼ぶ目的(だろうと勝手に解釈)】で
“ケーン”と一声づつ鳴く。(キジの高鳴きシーンは
こちら youtube をご覧下さい
 ※ 通常“ケーン、ケーン”と続けて鳴く事は無い。
  (一度だけ続けて鳴いた所を見た事が有る。震度5弱の地震の時、地震と同時に・・・)
   ◆ キジの高鳴きと言われる、雄キジの顕示行動2015.04.24 小貝川のキジ 02.jpg
キジの周囲が白くなって居るのは「ムラサキサギゴケ」の花に朝日が反射して居た為。
   
◆ 「ムラサキサギゴケ」の花
ムラサキサギゴケ.jpg
 
そして、何処からか雌が飛来すると信じられない位のスピードで雌キジの元に駆け寄り、
恋のアプローチをする。 この季節の年中行事である。
   ◆ 雌キジ飛来、駆け寄る雄キジ
2015.04.24 小貝川のキジ 03.jpg
   ◆ 盛んにアプローチする雄キジ
2015.04.24 小貝川のキジ 04.jpg

面白い事に、テリトリー内に雄キジが飛来すると空を飛んで行って侵入者を追い払うのに、雌キジ
の場合、どんなに遠くても走って行く様だ。 雌キジを驚かせない為の行動だろうが、感心する。
(最も、この個体だけが身に付けた習性か、種全体の習性かは分からないが・・・)

そして今回のアプローチ結果は?
   ◆ 去って行く雌を、茫然と見守る雄キジ
2015.04.24 小貝川のキジ 05.jpg
     実らなかったみたいですね!  今回は!
この後雌キジは何処かへ飛んで行ってしまいました。
4月24日早朝、僅か1時間程のドラマでした。
 
ちなみに、このドラマの舞台【小貝川河川敷のゴルフ練習場】は私の部屋から見ると、
次の写真のベランダ・フェンス越しに見える所がその場所です。
   ◆ ベランダ越しにに見えるゴルフ練習場
2015.03.21 藤代自宅ベランダより.jpg
 
 

ドローン

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昨年末頃迄は、確か「マルチコプター」と言う名前で話題になった無線操縦・無人機について、最近では「ドローン」と言う名前が一般化されつゝある、と言うより【ドローン】に統一されつゝある。
更に言えば、【ドローン】と言うカテゴリーのひとつに【マルチ(4ローターヘリ)コプター】が有ったと言う事の様だ。

 

ドローンとは?

皆さんは【ドローン】について、どんなイメージを持って居ますか?

改めて「ドローン」と言う言葉、Googleで検索したら色々出て来たが、今回の話題に該当する、代表的項目を抜粋すると以下の通り。

   ◆ Googleで、「ドローン」をキーワードに検索の結果 (音楽用語もあるが、今回は除外)
ドローン 1.JPG

  ※ wikipedia 情報の信憑性には一応距離を置いているが、これについては疑うべき理由は無い

  ※ 【ドローン】と一口に言っても、オモチャの無人へりから軍用無人偵察機や農業用無人ヘリまで
    がドローンのカテゴリーに入る。
  ※ プロペラの数は2個~8個位のもので、あくまでも無線操縦の無人機の事を総称してドローンと
    言うらしい。 基本的にはGPS機能付きで、飛行ルートや姿勢の補正を自動で行う為、操縦が
    簡単に行えるのが特徴である。

さて、その【ドローン】について最近のメデアの取り扱い方や技術動向を見て行くと、「非常に将来性のある技術」と言う面だけが先行して、「使い方によっては、危険(武器にもなり得る)なもの」、或いは「プライバシーの侵害」や「交通事故の誘引」等に繋がるマイナス面の報道が極めて少ない事を懸念している。

 

 

ドローンの【有効性と危険性】


【有効性】(効果的活用方法)


    現在すでに実用化して居る活用例としてはカメラ(ビデオ等)を搭載したドローンで、
      ① 人が行けない場所からの自然景観・災害現場などの撮影     
      ② 動植物の生態観察
      ③ 太陽光発電パネルや橋・建造物の検査・診断や簡単な補修等々
     ※ ③の事例では最近では原子力建屋の損壊調査等が話題になって知っている人も多い
       と思う、また、①の事例はNHKや民放の自然景観紹介や旅番組でよく使われる様
       になって来た。

    或いは農業関連の場合、GPS機能を活用して下記の事例がある。 (無人ヘリ/ヤマハ製等)
      ① 農薬散布
      ② 種蒔き(散布形式の栽培の場合)作業、 その他 etc.・・・

    将来的活用方法(提唱例)
      ① セキュリテイ(見張り番・泥棒除け等):今年(2015年)中には商品化見込み
      ② 宅配(アメリカ・Amazon):地域限定なら技術的には殆んどクリアーだが、法的
        な問題等実用化迄のハードルは高い様だ
      ③ 災害救助 etc.

 

【危険性】(或いはネガテブ用途)


私の懸念が懸念で終わる事を祈るが、その【手軽さ=操縦のし易さ】、【低価格化=目的次第であるが、数千円台~数千万円台】と、子供から企業及び公共事業~軍事利用迄応用範囲が広い事。

裏を返せば、これ等が何の制約(ルール)も無く野放しで、正しい使い方の知識も乏しいまゝの拡散は不都合な事件を招くのでは無いかとの懸念がある。

例えば、

     ① 鳥獣保護・自然景観保護に対するリスクが大きい
          貴重な野鳥の営巣地で勝手にドローンを飛ばしたら、その生態に悪影響が出ない
          筈は無い
          また、観光地(寺社仏閣等や景勝地)で勝手にドローンがブンブン飛んでいては、
          第三者(旅行者)にとっては迷惑この上ない事である  (勿論、安全上も問題)
     ② 制御ミス(遠隔範囲離脱を含む)による事故リスク大 【オモチャで有っても同じ】
          遊びの積りでも、各自が勝手に飛ばす状況を想像すると、自分達自身の危険(ド
          ローンとの衝突、ドローン同志の衝突に伴う二次被害など)は勿論だが、通行中
          の第三者(歩行者や自転車・自動車・鳥類等)との衝突等は、時には大きな事故
          の引き金になり得る
          【第三者には未知方向からの衝突の為、防御が難しく、場合に依っては致命的】
     ③ 自然保護・踏込禁止地域への侵入横行の増加が予想される
          墜落したドローンの回収名目で、踏込み禁止区域(尾瀬などの環境保護区域等々)
          での【自然破壊】や【踏み荒らし】が横行する可能性が大
     ④ 山岳等などでの遭難事故増加(誘発)の懸念がある
          アマチュアカメラマン達がドローンを利用して、独自の作品を撮ろうとする現象が
          始まっているが、墜落機体の回収捜索中での滑落や沢筋等への迷い込み等の遭難事
          故が懸念される  (数年後にはかなり増えそうだ)
     ⑤ 犯罪への悪用懸念
          どんな用途かについては敢て此処では書かない(真似たがる人のヒントにしたく無
          い)が、ドローンを使った犯罪が出て来る

 

    近未来、まるでスマホの【LINE】の様に!

                 使い方ひとつでドローンも悪役にされてしまうかもね?

 

 

 

数年前から「伊勢参りがしたい」と姉夫婦が言って居て、今年は私の都合も何とかなりそうな為、
1月頃から計画して来た。

何しろ姉夫婦は二人の歳を合計すると160歳オーバーで、義兄は少し脚が弱っている。
伊勢神宮の玉砂利の参道等は苦労すると思ったのだが、念願の旅行でもあり張り切っている様子を見たら
「大丈夫そうだな!」って思い、少し強行軍だが、時期も良し! 吉野山や奈良迄足を延ばす事にした。

 

日程は2泊3日

   3月28日(土)~3月30日(月)・・・・雨天決行

   出発・帰着(起点)・・・姉夫婦宅 (高崎線「吹上駅」近くの為以後、【吹上】とします)

   ラフ企画 ・・・・・・・往路・復路を各1日、主要参拝・観光で中1日とし、鳥羽と奈良に宿を確保

 

ドライブスケジュール(案)

   ◆ 往路は関越⇒圏央道⇒東名⇒伊良湖岬ルート(雨天時:名古屋⇒松坂回り)   
旅程表 1 .jpg

       ※ 上記車移動中の時間は、トイレ休憩(各10分程度)以外は含まない計算

       ※ 帰路は渋滞想定から、中央高速経由としたが、時間帯・天候により変更

       ※ 中央高速経由の場合も「甲府昭和」又は「甲府南」で下りてR140号線
         (秩父)経由で一般道を走る方が、渋滞の状況に依っては早く帰着出来る

 

問題点

   ◆ 伊勢神宮は、【内宮】と【外宮】があり、各々広い為【内宮】をメインとしたが・・?

   ◆ 吉野山は、開花の時期的に下千本が見られゝばラッキーだろう。
     が、車の混雑状況が予測出来ない為、ここがスケジュール通りに行くかどうか?

   ◆ 3日目は天候次第であるが、京都市内を車で少し見回りながら抜ける予定だが、ここも
     渋滞の懸念がある。

   ◆ 名古屋市内で遅い昼食をして帰路の予定だが、時間・天候等の状況に依っては変更する
     場合がある。

   ◆ 最近ではかなりハードスケジュールである事。 (安全運転を心掛けます!)

 

と、問題点もあるが、結果は後日をお楽しみに!

本格的な桜の季節には、まだ3週間位あるけれど、ひと足早い【桜の話】

河津桜の系譜、神奈川県・松田町、松田山の桜が 先日(3月3日現在)5分咲きだそうだ。

河津は遠いが松田山なら近い、東名「大井松田IC」を下りてすぐ、松田山西平畑公園がその場所。 
今、【桜まつり】の真っ最中。 (写真は観光協会パンフのワンカット)

   ◆ 【まつだ桜まつり】観光パンフレット抜粋
桜まつり(松田山ハーブガーデン).JPG

   【松田桜まつりの詳細はここ【松田町公式サイト】からアクセスしてご覧下さい。
    最新の開花近況確認や上記掲載パンフレット(PDF
)のダウンロードも出来ます。
 

ここは、天気が良ければ富士山も見えるし、菜の花もこれに合わせて咲かせる為、ロケーションに恵まれた
山上公園である。

東京からなら電車が便利だが、渋滞を別にすれば車で2時間前後、私の故郷・南魚沼市からなら、関越道⇒
圏央道⇒東名と高速道路を乗り継げば、3~3時間半位で着ける距離でもある。
 (六日町ICから西平畑公園迄、片道約260kmの距離)

長距離運転の不得意な人でも、2人以上の運転手が居れば楽勝の距離でしょう。
天気予報と相談して、およそ3週間位早いですが、桜見物はいかが?
近くの小田原・箱根や富士山周辺と組み合わせても面白そうですよ。

でも、途中渋滞ポイントが何ヵ所も有る事を考えると、電車と言う選択肢も 此処なら便利でしょう。
小田急新宿から新松田駅迄直通一本で、またはJR御殿場線・松田駅へ。 そこからはシャトルバスがある。

 

出来れば私も行きたいと思っていたが、どうやら今年は行けそうに無い。 ・・・ 残念だなあ!

幼い頃、有線放送で、吉永小百合さんの「赤胴鈴の助」を始めて聞いた頃だった。

やはり夕方のNHK番組で「千夜一夜」と言う物語を知り、その後本やラジオ、TVや映画で、月の砂漠
夢に描き、
シンドバットアラジンランプの精空飛ぶ絨毯物語」 に思いを馳せて、いつの日にか、
彼の国に行って見たい
【夢の国】のひとつであった。


そこは今、宗教の名を借りて無用な対立に民衆を引き込む為政者たち、そして ISIS (又は ISIL 
などと言う盗賊団が支配する、混沌の国(国々)となってしまった。

 (ここでは敢て、盗賊団名:イスラム国 は使いまません。以後は便宜上「 ISIS  」とします)

 ※ 国会答弁などで政府答弁では「 ISIL 」の名前を使う様になったみたいですが、ネットや
   イスラム国からの脱出者も多くは「 ISIS 」と呼ぶ人が多い為、本稿もこの呼称を採用す
   る事に致します。

なお、政治的な事や宗教的な事を書くつもりはありません。
が、ここでは人間として、日本人として、今回の出来事にどう立ち向かうべきかを考えて見たい
そう言う観点では政府の対応についても最後の方で多少触れざるを得ないと思います。

 

二人の日本人 (後藤健二さんと湯川遥菜さん)

 

まずは被害に遭われたお二人への、お悔やみを申し上げると共に、ご冥福をお祈り致します。

ここでは人間として、日本人としてのお二人の行動規範について、整理してみましょう。
読者にも、改めてお考え頂く為の切っ掛けになればれば幸いです。

なお、以下の 私見は、「新聞・週刊誌・TV・ラジオ」 と言った一般メデイアからと、ネット情報
基に判断したもので、実際には別の真実が有るかも知れない事を念頭に置いて、最終的には読者ご自身
が適正なご判断
をして頂く様お願い致します。

 ※ ネット情報については特に、一般メデイアと違い極端に偏った意見・誤った情報も多く、
   常に一般メデイア情報などとの整合性を検証しながら判断する必要があります。

    特に個人の【ブログ記事などの情報】 鵜呑みは間違いの元 となりますのでご注意を!
    私の場合内容に疑問を感じた時は、前後の別の話題や、一般メデイア情報との比較
    など、記載内容の整合性や筆者の思考バランスなどを判断させてもらっています。 

さて、メデイア情報によると、お二人の接点はシリアで拘束されていた湯川さんを後藤さんが、交渉
して救出したのが切っ掛けで交際が始まったと言われている。

その後、湯川さんが再びISISに拘束され、帰国して居た後藤さんが湯川さん救出に向かい、同じ
ISISに拘束されて、その後については各メデイアが詳しく報ずる通りの悲しい結果になってしま
った事は皆さんご承知の通りです。

ところで【今回の人質事件】、改めて考えて見ると結果が残虐で非道な結末で有った事は別として、
今回の事件は起こるべくして起こった事件と言えないだろうか?

相手がISISで無くとも紛争地域に足を踏み入れると言う事は、人質事件や誤射・誤爆に遭わない
保障が無い事を充分に承知して居るべき人で無ければならず、また、例え足を踏み入れる理由が世間
を納得させ得るものであっても、万一の時に第三者を巻き込まない配慮も必要である。
 (と、私の常識は考えている)

そもそも、お二人が彼の地に行かなければならない理由から見て行きましょう。
 

 

二人の行動規範   (一般メデイア、及び ネットからの情報を基にした【私見】です)

 

  【湯川遙菜さん】の場合


    最終渡航時の目的 : 【イスラム戦線(イスラム国との)戦闘取材】だそうであるが・・・

    活動実態 : 現地からの戦闘員気取りの写真入りブログや設立した会社名からは、とても
           ジャーナリストとは思えない。
           むしろ、ヨーロッパ等の傭兵請負会社を連想させる構想を持って居たのでは
           無いかとも思われる活動が実態の様だ。

    行動規範 : 紛争地域にビジネス(戦争ビジネス?)チャンスありと、 自らの経歴に箔 
           付ける為のパフォーマンス・・・と、言うのが行動規範として随所に伺える。
             (亡くなられた方に鞭打つつもりは無いのですが)
           残念ながら、「自分の行動が誰かに迷惑を?」 などの考えは無い方の様だ。

 

  【後藤健二さん】の場合

 

    最終渡航時の目的 : 【湯川遙菜さん救出】

    活動実態 : ジャーナリストとしてもバリバリの現役。
           国内外での数々の実績も有り、特に紛争地域の子供達に関する取材の本は高い
           評価を受ける等、これからも期待されて居た人材。

    行動規範 : 国際感覚、責任感などジャーナリストとしての行動規範は普通以上にバランス
           の良い方だと思う。

           不思議に思うのはそんな規範バランスの取れた人が湯川さんの様な人の為に、
           なぜ単身でISISの勢力エリア迄行こうとしたのかが疑問である。
           かなりの期間、湯川さんと行動を共にしていた事が伺える事から、彼の行動規
           範を知らなかったとは思えないのだが・・・?
           紛争地の子供達に思いを馳せる後藤さんと、紛争をビジネスチャンスにしよう
           とする湯川さんとでは、かなり規範の違いが有り過ぎると考えるのは私だけで
           は無いでしょう。

 

 

なぜ、この時期に?  ( この地域への渡航の必然性 )

 

    二人がなぜこの時期に渡航しなければならなかったのかに付いて、再度確認して見よう。

    後藤さんについてはジャーナリストとしての職業的理由と、知り合いの湯川さんが ISIS
    の捕虜になっていると言う背景を考えれば、納得出来る行動と言える。
    もしかしたら、【湯川さん引き渡しを口実に、ISIS に誘導された可能性】も考えられる。
    (最後の渡航で性急に ISIS 勢力圏に入った事からも、湯川さんから何かの連絡が?)

    一方、湯川さんについては【利己的理由】以外に、今この地域に足を踏み入れ無ければなら
    ない理由が見当たらない。

 

 

国の対応   (本当に、日本人の安全を守る為の活動をしたのか?)

 

    少なくとも、現地対策本部などに居た要員や中山外務副大臣は、最大限の努力をされて居られ
    た事と見受けられる。

    しかし、総指揮官であるべき安倍首相の言動には疑問が有る。

    まず、ISIS による湯川さん拘束が明確になった昨年8月からの経過を追って見ましょう。

      2014/08    ISIS 、湯川さん拘束をネットに公開 
               政府対応 ⇒ 「不当な拘束に対し即時解放要求」と「関係諸国に解放
                     に向けた交渉活動の協力を依頼して居る」との官房長官
                     談話を出した (国内向け・・実際の外交実態は不明) 
      2014/10/25  後藤さん出国、(湯川さん救出に向かったものと思われている)
               ⇒ その後、消息不明となる
      2014/12/02  ISIS 関係者から後藤さんの家族(妻)にメール (内容は非公開)
               後藤さんが、ISIS に拘束されている事が家族に明かにされた
               (この時点で、家族と政府のコネクションがあったかどうかは不明)
               政府対応 ⇒ メデイアを含め、一般には非公開で動いていた形跡あり
      2015/01/17  中東歴訪中の安倍首相、エジプトで演説
               「 ISIS 非難」と「周辺国の難民支援などとして、2億ドル拠出」
               を要旨とした内容
                 参考: 2億ドル ≒ 約235億円/当時の円建換算 
      2015/01/20  ISIS、後藤さんと湯川さん拘束と、エジプトで表明した支援金2
               億ドルと同額の身代金要求動画がネットで公開された

               その後は各メデイアが競って報道している通り、1/24湯川さん殺害
               が公開され、1/31後藤さんの殺害が明らかになった
 

    経過を見て行くと、明らかなターニングポイントは、2015/1/17 のエジプト演説であろう。

    なぜこのタイミングで、日本人拘束事件のお膝元と言えるエジプトで、こんな挑発とも取れる
    演説をする必要が有るのか? 同じ事をするにしても、事件の解決迄は公表するべき内容では
    無かったのか、政治的センスを疑わざるを得ない失態だ
    人質の人命に対する配慮も全く感じられない事に、同じ日本人として怒りを感じる。

    それまでの ISIS は恐らくこんなシナリオは考えても居なかっただろうと思われる。
    これが20年前の【阪神淡路大震災】の慰霊式典を蹴飛ばして迄出掛けた成果なのだろうか。
    (奇しくも、阪神淡路大震災は1975年1月17日だった・・・なんて関係無かったですね!)

    冗談は兎も角として、ISIS に二人の人質が居る事を承知(国会答弁でも承知と明言)して
    居ながら、この様な演説内容てはどう考えても ISIS を刺激する内容以外何物でも無い。

    支援金は「難民医療」と「教育の為」、などと言った所で言葉通りに受け取る相手では無いし、
    その上 ISIS を直接非難したその場での支援うんぬんでは、 ISIS で無くとも反発する
    だろう。

    何よりも、人質の有効利用を考えて居た ISIS に取っては金も欲しかっただろうが、ヨルダ
    ンを揺さぶる利用価値を見出した。 言わば【とって置きの口実】を与えてしまった訳だ。

    安倍首相の周辺にその様なリスクに付いてアドバイスする人材が居なかったのだろうか?
    はたまた、アドバイスを無視して自身の良識を過信して居たのだろうか?

    【人命最優先】と何度も言って居ながら、自らの発言が、最悪のタイミングで発せられた事
    を誰よりも反省すべきなのに、平然と「私は間違った事は言って居ない」等と、国会答弁をし
    ている。  しかし、今回は 二人の日本人の命を縮めたトリガーになった事 は事実である。

 

 

今、日本として出来る【国際貢献】  (私の考える国際貢献)


    ISIS(イスラム国)問題以外にも、世界には「反体制紛争を抱える国」、「国境紛争」、
    そし「国境をまたぐ資源争奪紛争」等々紛争は数え切れない。
    それ等の抑止策として武力政策で対応しようとすれば、膨大な軍事力と、その為の経費もまた
    膨大な金額になる事は誰にでもわかる。 (軍師官兵衛なら、「下の下策」だと・・・)

    今の様な日本にとって最もあるべき貢献、それは【軍事的貢献】でもなく、【金のバラ撒き】
    でも無い。
         蒔くべきものは【平和の種】ではないだろうか?  ⇒  【教育支援】

    それは、千夜一夜の彼の国々に限らず、パキスタン、インド、アフリカ各国その他の国々の
    識字率向上こそが紛争抑止の根本だと思う。

    つまり、軍事支援の代わりの様な経済支援・は一切止めて、【貧困者の教育支援】に的を絞っ
    た教育プログラム支援を国策とする事で、世界の人材を育てゝ行けば、遠回りの様であっても
    確実に【紛争の芽】を減らせられ、日本の国としての評価も高くなるだろう。

      教育支援と言っても、金だけ出すのではなく、【人 ・ 物 ・ 金 + ノウハウ 】の援助
      及び、留学生の受け入れ ( 希望者には小学校~大学迄のコースも日本に整備 )

    10年、20年の長いスパンで見れば、同じ支援金額相当であっても効果の差は雲泥の差にな
    るものと思う。

    何よりも、戦争放棄・平和日本の基本が守れて、尚且つその信頼が深まれば、経済・技術輸出
    等の面でもより活性化して来る筈である。

    
始めの一歩

    最年少ノーベル賞受賞者、マララ・ユスフザイさんは、女性の地位向上の為に教育が必要と訴えて
    【マララ基金】を立ち上げて実行しているが、目指す所は同じ。

    日本もまず、後藤さんが目指した難民(特に子供達)救済で子供達の教育を担うべく出来れば彼等
    の身代金相当額を国から拠出して、仮称【後藤基金】を立ち上げ現地へ教育施設を立ち上げるのは
    どうでしょうか?

      (アベさん、国際世論の動向からは、今が一番タイミングがいいと思いますけどね!)

 

 

    シンジロウくん! そろそろ出番が近いんじゃないかい!     (大泉にて!)

 

    追申 : 湯川遙菜さんについては書くべき内容が無い、敢て書くなら 【夏炉冬扇】だった為
         メデイアも扱わなくなった。  第二・第三の湯川さんが出ない事を望む。

2015 年、プライベートでは何かと忙しい年になりそうだ。
 (暮れからずっと投稿も出来なかったし・・・想定外のスケジュールがメジロ押しで・・・)

政治的にも、経済的にも、「良くも悪くも節目の年になりそう」ですね!
 

さて、ひさしぶりの投稿、今年初めての投稿に相応しいテーマが見当たらないので、休みを利用して
今年になってたゞ一度わずか7時間だけのドライブについて書く事にします。

仕事の滞在先・群馬県太田市(住居は大泉町だけど)から今の季節・自然派の私が選ぶ、7時間位で
往復できる好みのドライブ先としては、やはり中禅寺湖~戦場ヶ原方面。
 

と言う事で、朝7時太田市から国道122号線で日光方面に向かった。

 

目的地は【中禅寺湖~戦場ヶ原】

   ◆ 広域イメージ地図 ・・・ 便宜上、故郷の「八海山」迄のエリア (Google Map より)
中禅寺湖ー日光 .JPG

   ◆ 中禅寺湖~日光周辺 (拡大図)
戦場ヶ原から日光市内.JPG

参考メモ : 上記エリアで道路が冬季閉鎖以外の季節の注目スポット

  下記URLから、関連記事にリンクします

    ◆ 半月山・日光白根山~草津白根山・・・・・・春と秋(紅葉)が特にお薦め
         http://hakkaisan-photo.com/q/2012/09/siranesan.html  参照

    ◆ 中禅寺湖畔・千手ヶ原(せんじゅがはら)・・・クリンソウの群落(6/中~7/上)
         http://hakkaisan-photo.com/q/2014/07/kurin-2.html  参照

    ◆ 明智平からの「華厳の滝」・・・・・・ここはスタットレス履いていれば冬季も可
         http://hakkaisan-photo.com/q/2012/10/kegonnotaki.html  参照
             雪道の運転は、スタットレスでも特に慎重に!

 

今回の計画ルート

  太田市 ⇒ R122(草木ダム、足尾)経由 ⇒ 細尾大橋でR120を左折 ⇒ いろは坂

     ⇒ 明智平 ・・・天気が良ければロープウェイで展望台へ・・・ 華厳の滝展望期待
                 ( 天候・混み具合に依ってはPASS  )

     ⇒ 中禅寺湖畔(立木観音付近の湖岸) ・・・ 湖畔からの男体山や白根山期待

     ⇒ 竜頭ノ滝 ⇒ 戦場ヶ原 ・・・ 可能なら散策1時間程度

        ※ すべて天候と車の運行状況で、計画ルートは変更予定

        副案ルート :  ① 華厳の滝  ② 東照宮  ③ 東部ワールドスクエア

     ⇒ 帰路は原則往路R122経由で計画、ただし、時間と状況によって今市・佐野周り
       の高速道路経由も選択肢とする

 

想定時間

  往復・・・・片道 : 標準約 2時間 + 渋滞・雪道加算 30分 ⇒ 往復 約 5時間

  自由時間・・・・・1 時間 (実質は帰宅時間猶予+1 時間の、計7 時間で計画)

  食事・休憩など・・・・・・上記時間に含む
   (正直、あまりゆっくり食事する様な習慣が無い、湖畔の車の中で何かを食べながら
        15~20分程度休めれば充分、それより白い雪原や木立の中を歩き周りたい)

 

実際のドライブ  (草木ダム付近からスタットレスでないと走れない雪道だった)

      ⇒ 結果的に【戦場ヶ原】はPASS、副案①・②にルート変更となった

 

   スタート(7:00AM) ⇒ 明智平(8:45)、曇りの為ロープウェイはPASS ⇒ 
   立木観音前駐車場(9:10) ⇒ 竜頭ノ滝 ⇒ 天候が悪くなった為戦場ヶ原は中止
   ⇒ 副案①【華厳の滝】に変更 ⇒ 華厳の滝(10:15) ⇒ 昼食(10:50) ⇒ 
   副案②【東照宮】に変更 ⇒ 東照宮(11:20)⇒(13:20) ⇒ 帰着(15:30)

   予定より 1 時間 30 分時間オーバーとなってしまったのは、中学校の修学旅行以来の
   【日光東照宮】 で意外にじっくり見学が出来、時間を取られてしまった為。

   じっくり見ると、彫り物や建物等、やはり見るべき物が多い。 ただ、有名な【三猿】
   が野ざらしで、激しく劣化している事に驚かされた。(保護の対象では無いのかな?)
   【泣き龍】や【眠り猫】が屋内で保護されているのに比べ、取扱いは差がある様だ。

     だから日光でサル達が暴れ回っているのかな?
            ・・・・・な~んて、非論理的な考えにもコジ付けたくなるね!

   「日光は一度で結構」等と、今迄は興味が湧かなかったけど色々な季節・日差しの具合
   等で、変化する東照宮の施設を撮り周って見たい気もする。

   正月明けだった為か、車も人も以外に少なく、この位ならもっとゆっくり見るつもりで
   来れば良かったと思った。
      (でも、今はまだ自然の風景や草花の方に魅力を感じるけどね!)

 

 

フォトレポート

 

【中禅寺湖畔】

   ◆ 男体山方向 ・・・・・ 立木観音前駐車場より
2015.01.03B1- 002  中禅寺湖畔(立木観音前駐車場).jpg

   ◆ 湖岸の氷柱・・・・湖の波のしぶきが氷柱を成長させる
2015.01.03B1- 003  中禅寺湖畔(立木観音前駐車場).jpg

   ◆ 駐車場にて (モデルは同行者)2015.01.03B1- 008  中禅寺湖畔(立木観音前駐車場).jpg

   寒かった~!
   風花(雪)交じりの寒風に、長時間居られなかった。  早々に竜頭の滝へ!

 

【竜頭の滝】

   ◆ 滝見台(茶屋)入口・・・この時は快晴、 ただしこの方向だけ!
2015.01.03B2- 001  竜頭の滝.jpg

2015.01.03B2- 003  竜頭の滝.jpg

 

   此処から戦場ヶ原に向かう積りだったが、向うから来た車の殆んどが雪まみれ!

   聞いて見たら、戦場ヶ原は地吹雪で【歩き回るなどとんでもない!】との事で断念。

   方向転換して、副案ルート②の【華厳の滝】に向かう。
 

【華厳の滝】

   ◆ 展望台エレベーター前広場から
2015.01.03C- 001  華厳の滝.jpg

   ◆ ありふれた景色だが、冬の【華厳の滝】に来るのは初めてだ (展望台より)
2015.01.03C- 008  華厳の滝.jpg

2015.01.03C- 007  華厳の滝.jpg

2015.01.03C- 004  華厳の滝.jpg

 

   次の副案ルート②【東照宮】に移動。 

 

【日光東照宮】 ・・・・ 中学の修学旅行以来、約50数年ぶりである

   ◆ パンフレット抜粋周辺イメージ
2015.01.03A- 001 日光イメージ図.jpg

日光観光map.jpg

 

 【輪王寺・三仏堂】から

   ◆ 三仏堂 ・・・・・ 残念ながら、修理中で覆いの上から絵に描いたもの

2015.01.03D- 003  輪王寺(三仏堂・修理中).jpg

   ◆ 東照宮 参道にて   (この建物は輪王寺・護摩堂、参道は左に登って行く)
2015.01.03E- 003  東照宮(参道から見た輪王寺・護摩堂).jpg

2015.01.03E- 002  東照宮(参道).jpg

   ◆ 参道・石鳥居
2015.01.03E- 006  東照宮(参道・石鳥居前).jpg

   ◆ 五重塔
2015.01.03F- 001  東照宮(五重塔).jpg

   ◆ 【三猿】(聞かざる・言わざる・見ざる) ・・・ 俺達何で野ざらしなんだ!
2015.01.03F- 002  東照宮(三猿).jpg

2015.01.03F- 004  東照宮(三猿前にて).jpg

 

   ◆ 【三猿】前から本地堂~陽明門方向 (右奥の白い囲いの中が陽明門)
                  ・・・・・ 陽明門は補修工事の為2018年迄見られません
2015.01.03F- 005  東照宮(三猿前より本地堂から陽明門方向).jpg

 

   ◆ 陽明門前より本地堂(鳴き龍が有る)方向
2015.01.03G- 003  東照宮(陽明門前より本地堂方向).jpg

 

   ◆ 唐門(陽明門=工事中だが潜れる、 の奥)と、奥は拝殿及び本殿
2015.01.03H- 002  東照宮(唐門).jpg

2015.01.03H- 003  東照宮(唐門).jpg

 

  と、周ったが、建物内は撮影禁止なので「鳴き龍」や「眠り猫」等は見るだけでした。 

  勿論、拝観料が必要ですが。

 

  最後に、入る時 輪王寺【三仏堂】で今年の運勢を占う【おみくじ】を引いて見た。
   ( おみくじなんて何年ぶりだろう? 普段、占いやおみくじ等やった事は無いのだが )

  なんと【大吉】 、「嬉しい!」っと喜びたい所では有るが、私の前に引いた人も【大吉】だった。

  正月だから大吉のくじが多くして有ったのではないか? なんて勘ぐって居る内に、後から来

  た人が【大凶】を引いて落ち込んでいた。  果たして私の本当の運命はどうなのか?

  とりあえずはプラス思考で、【大吉】を信じる事にしよう。

2015 日光・輪王寺おみくじ.jpg

 

【切り菜(きりざい)】、それは新潟県の、南北・魚沼地方で広く食べられている郷土食の事。
それが一番美味しい時期は、やはりこれからの“冬”が一番だと思う。

今回はそんな【切り菜】の話。

調べてみると同じ【切り菜】と言っても使われる材料や調味の方法はその家々で少しずつ違う様である。
ただ、【納豆をベースに野菜や漬物、“ゆず”等を細かく刻んで納豆とかき混ぜる】と言う調理方法は共通
である。

 

Simple is Best

最近は【切り菜】も学校のレシピに出たりB級グルメで【切り菜丼】なんてものが出たりして、結構メジャーなものになりつゝ有るが、正直な所我等が子供の頃、母が作ってくれた【野沢菜の漬菜を刻んで、納豆と少しの醤油でかき混ぜただけ】のシンプルな【切り菜】が、私にとってのおふくろの味。

それも、毎年11月下旬頃になると何処の家でも春先迄の保存食として、母達が手に赤切れを作りながら一生懸命大きな樽に野沢菜を漬け込んだものだが、丁度今頃からその【野沢菜漬け】が食卓にお目見えする様になる。
樽から出したばかりの野沢菜は、一旦そのまゝ食べるのが美味しいが、一晩もすると味が変る。 【残り物の漬菜】、多くの場合これが【切り菜の素】となった。

そして、その【漬菜(野沢菜漬け)】も樽の中で熟成して行く為、最初はショッパイ(塩っポイ)だけの味が、正月を過ぎる頃には発酵して少し酸味が出て旨味も加わり最高の【野沢菜漬け】となる。
やがて発酵が進んで行くと、野沢菜漬けも酸味が強くなる為 直接食べるより【切り菜の素】としたり「煮干しなどと一緒に煮込んで」【煮菜(にいな)】として食卓に乗る事が多くなる。(2月~3月頃)

従って同じ【切り菜】でも作る時期に依って味わいが変化したのも結構楽しかった。
今回は切り菜の話なので割愛するが、【煮菜】についても忘れられない味だった。

さて、先日そんな思い出を思い出しながら利根川の橋を渡って居たら去年【からし菜】を摘んだ堤防の斜面にびっしりと美味しそうな菜花の葉が繁っていたのでつい摘んで来た。
残念ながら【からし菜】では無かったが、大根かカキ菜みたいだったので比較的柔かそうな部分(芯の部分)を、片手で握れる程度(下記写真)を摘み取って来て、浅漬けにしてみた。

   ◆ 利根川堤防産、「?菜」
利根川産2014.12.10.jpg

 

昨日それを食べてみた。

うーん、漬物として美味しいには違い無いのだが、自然の中で育って居たせいか 結構繊維質で固い。
そこでヒラメイたのが【切り菜】である。
早速近所のスーパーで一番安い3パック48円の納豆を買って来て、2種類の【切り菜】を作ってみた。

ひとつは「利根川産?菜」の浅漬けを微塵切りにしたものに大根ナスの柴漬け人参各々を微塵切りにしたものを加え、納豆で和えてワケギを少し加えて出来上がり。 (パターン A)

もうひとつはシンプルに、【利根川産?菜】の浅漬けの微塵切り納豆ゆずの皮の微塵切り少々でかき混ぜ和えて出来上がり。 (パターンB)

半日冷蔵庫で馴染ませてから試食。
見た目豪華なパターン Aが美味しいだろうと思って居たのだが、NG。 好みの問題だとも思うが、味・舌触りなど私の好みとは何かが違う気がした。
最初は「結構いけるかも?」 って思えたのだが、パターン Bのシンプル版を食べたら 「私の好みはこれだ!」って思った訳。 それが次の写真。

   ◆ シンプル版【切り菜】
「切り菜」.jpg

 

漬菜は市販の野沢菜漬けで作れば手軽だと思うが、今回は野生化した菜花に拘ってみた。
ゆずの皮は入れなくとも充分に美味しいが、私流では入れた方が上品な香りがプラスだと思う。

いずれにしても、Simple is Best がお薦めの様だ。

納豆の量も納豆好きな私には多い方が美味しい。 (全量の 1/4 ~ 1/3 位が目安でしょう)


なお、容器は適当な器が無かった為豆腐の容器を使用。 豆つながりでご容赦を!

 

浅草と言えば「浅草寺」「雷門」、そして最近では浅草では無いが「東京スカイツリー」も観光客にとっては浅草と言えるエリアでしょう。

今回も、兄(義兄)から頼まれた昔のネガフィルム整理で見付かった懐かしい写真をご紹介しましょう。
現在の写真が有れば比較すると面白いでしょうが、残念ながら私の手元には現在の同じ所からの写真は有りません。
みなさんで現在の風景と比較して見て下さい。
(現在の風景なら、ネットだけでも色々な画像検索で変化の比較・類推が出来ると思います)

現在ではこういう写真には中々触れられる事は無いと思いますので、繁華街の写真は有りませんが、昭和33年頃の浅草の街のノスタルジーに思いを馳せては如何でしょうか?

 

 

昭和33年当時の浅草寺付近

   ◆ 「松屋 浅草店」屋上より ・・・・・ 最近行ってないが、今も屋上へ登れるのかなあ?
S33年6月9日(浅草寺方向).JPG

  ・ 当時は「浅草寺」周辺も、こんなにスッキリして居たんですね!

※ 残念ながら、「雷門」方向の写真は有りませんでしたので悪しからず。

 

   ◆ 同じく、業平橋(なりひらばし=現在の「東京スカイツリー」駅)方向S33年6月9日(業平橋方向).JPG

  ・ 隅田川の向こう側は、今では高速道路に隠れてしまい、見えるのは首都高より高いものだけ
  ・ 浅草駅からこの鉄橋を渡って北十間川沿いに進んで一駅目が業平橋駅(現在の東京スカイ
    ツリー駅)
この辺の現在の状況は、我等の倶楽部仲間・秀一君のブログ「北十間川を歩く」
    が詳しい。
  ・ 隅田川沿いに見える白い建物は、アサヒビール本社・工場。 今はこの北十間川側の一部が
    隅田区役所となっている

 

   ◆ 上の写真の右方向、右側の橋は「吾妻橋」、川沿いの工場はアサヒビール本社・工場
S33年6月9日(吾妻橋方向).JPG

  ・ 正面の煙の出ている所は「アサヒビール・本社」で、現在は首都高の上にアサヒビール社屋の
    屋上に、不思議なモニュメント」が見える

 

   ◆ 隅田川下流方向 ・・・ 橋は手前から、「吾妻橋」「駒形橋」「蔵前橋」 ・・・・
S33年6月9日(蔵前方向).JPG

  ・ この時代、まだ都電が走っていたんだよねー!
  ・ 写真の中の都電は浅草橋の方から浅草経由で三ノ輪橋に行き、更に現在の都電荒川線に接続
    していたものと思う

 

 

関係エリアMAP

   ◆ Google Map より
      撮影場所:現在の「東部浅草駅ビル」屋上とほゞ同じ「松屋デパート」浅草店屋上にて
浅草付近Map.JPG
 

 

いよいよ来週から師走!

師走になると毎年思い出す事がある、それは雪国ならではの事で、もはや忘れ去られてしまいそうな小さな事だが、恐らく同年代の人達には共感頂ける事だろうと思う。

ちょっと話題にするには季節が早いかも知れないが、「クシキ」「ガッチャン」と言う言葉、だんだん忘れ去られる運命なのかなあ!

最も、「クシキ」はそのまゝだと思うが、「ガッチャン」は恐らくこの地方だけの呼び名だと思う。

現在の平均的父親・母親世代位から若い世代の人には、同じ雪国暮らしでも殆んど知らない言葉であり、今では知る人の方が少ないのではないかな?

何はともあれ、写真を見た方がわかり易いでしょう!

 

【クシキ】

   ◆ 昭和37年1月中旬の写真・・・家の前の雪かきや屋根の雪降ろしには必需品だったS37年1月 13・14・15日 - 005 (田舎・上原).jpg

    我が家の玄関前、当時12月末~2月下旬迄は早朝自宅前から公道迄、各戸毎に除雪するが、
    大抵の家では小学校上級生頃から、これが通学前の我等の仕事になっていた。
    そんな時、クシキはシャベル(スコップ)より軽くて扱い易い道具であった。

    屋根の雪降しはやはり、雪が締まってクシキよりシャベルが便利になる2月下旬迄、軽くて軽快
    に使えるクシキはプラスチックのスコップが出て来る迄、無くてはならない雪国の必需品。

    自分の背丈以上に降り積もった雪壁にクシキで縦に切れ目を入れ50cm~1m四方の、大き目な
    豆腐の様な雪のブロックを切りだし、思った所に投げ降ろせた時は妙に感動した事も有ったっけ。

 

【ガッチャン】

   ◆ スキー靴など学校の体育教師しか履いて居ない時代、我等にはガッチャンが有った
S37年1月 13・14・15日 - 008 (田舎・上原).jpg

   そう、普通のゴム長靴でスキーを履く為の金具、我々はそれを【ガッチャン】と呼んで居た。
   スキーを履く時、金具を締める音が「ガッチャン」と聞こえるのが名前の由来と思うが、本当の製
   品名かどうかは知らない。

   残念ながらボケた写真しか無いが、【スキーに長靴の先端(爪先部)を保持する金具を取り付け
   そこからカカト迄革で繋ぎ長靴のカカトを金具で止める事で、スキーを保持する金具】
である。

   現在の、ノルデックスキーをイメージして貰えればわかり易いと思うが、カカトが持ち上がる構造。
   (勿論、現在のノルデックスキー用金具とは根本的に構造や耐久性が違い、比べ物にならない)

   この(昭和37年)頃にはスキー技術も進みつつある途上で、写真では付けて無いが、カカトを固
   定する為の「ゼンケイ」と言う物が使われる様になっていた。
    (名前の由来は、これを付けると前傾姿勢をとれるから ・・・ だと思うのだが?)
   これはカカトの後部に金具を取り付け革紐で長靴の上からくるぶし付近に巻き付け固定するもので、
   これにより ボーゲン直滑降斜滑降 程度しか出来なかったスキーが、簡単なスラローム位迄出来
   る様になったものだ。 (ただし、競技用には無理があったと思う)

 

【スケート】

   残念ながら氷の上で滑れる様な場所は我らの故郷(魚沼地方全体)には無く、スケート文化は遅れ
   て居たのだと思う。 (本格的スケート靴では歯が雪にメリ込んで滑る事が出来ない為)

   が、遊びとしてのスケート文化は先輩から確実に受け継いで居た。
   写真は無いが、誰が考案したのか、遊び心には感服する。
   【スケート靴の歯型の部分を厚さ1~2cmの1枚の板(木)で切り出し、長靴を結わえ付ける
   為の板を歯型の上(カカトの方から見ればT字型)に付けて紐を付ければ外形的には完成】。

   更に、氷上・と言うより、固くなった雪面を滑る為には
    「歯型の接氷面に、ワックス(鳥獣の油やロウ等)を塗ったり、薄く削った竹の皮やトタン板
    を貼って」 滑りを良くする工夫

   を加えてスケートが完成する。

   と、言う構造のもので、当然市販品は無く各自・自作(もしくは誰かに作ってもらう)もので有っ
   たと思う。  (大工であった私の親父も時々頼まれて作っていた様だ)

   いつ滑るか? ・・・・・ 今でしょ! なんて言いません!
   やっぱり滑るには「雪の固まる条件」が揃わないと滑れません。
   雪国育ちの皆さんならもうお気づきと思いますが!・・・ そうです、凍み渡りの時。
   田圃や畑の上がちょうど良いスケートリンクとなる訳だ。

   でも、個人的には同じ所をぐるぐる回るだけの遊びにはすぐ飽きてしまい、スキー担いで野山に
   出かけて、キジ や ヤマドリ、ウサギ 等を追いかける事に熱中する事が多かった。
    (今では狩猟免許が無いと出来ない事ではあるが ・・・)

 

 【雪国の朝】・・・・晴れた日に玄関を開けると

   上記・記事とは直接関係ないのだが、思い出深い光景が同時期のネガに見付かった。

   ◆ 昭和37年1月中旬、【晴天の朝10時頃】、自宅玄関前からの藤原山(桂山)方向
S37年1月 13・14・15日 - 003 (田舎・上原).jpg

   この眺めが好きだった!

           厳しい吹雪も 暗い雪雲の日々も、

                   この、凛とした空気と陽光がすべてを洗い流す

             こんな日差しが1日有ればこそ、10日の吹雪にも耐えられる

                        今の私の原点を育てた風景が、ここに有った。
  

11/16 (日曜日) 実際にこの目で見たくて鬼石の【桜山公園】に行って来ました。

先般は知人が行って来た時の様子で投稿したが、それから10日を経て、どう変わったか?
皆さんの参考になれば幸いです。

なお、10日前の投稿記事はこちらから・・・【「冬桜」は 今 ①(11/6 、鬼石・桜山公園)】

 

散策所見


【見頃について】

   「冬桜」 ・・・ 11/16現在、およそ2~3分咲き(全体平均)

       ☆ 日当たり、南向きの斜面では4分咲き位の個体もあるが、平均では物足りない開花
         恐らく来週(23日)頃から今月一杯位が見頃になるでしょう。
         天候によっては12月10日頃迄楽しめそう!

   「紅葉」 ・・・ 11/16現在、楓・紅葉(もみじ)系統は見頃、来週中頃迄楽しめるでしょう。

       ☆  ミズナラや栗等の広葉樹は、すでに大半が落葉の段階。
          木枯らしが吹いたりしたら、枯葉も枝を離れるでしょう。 今週一杯が限界か?

   「山茶花」 ・・・ 山頂付近の山茶花(ピンクや白等)が沢山咲いて居て、今月一杯は次々と咲く
            でしょう。
           (16日現在、咲き始めたばかりで、古い=咲き終わった花はあまり無かった)

【参考】  

    ◆ 紅葉と、冬桜のコラボ撮影を狙うなら、恐らく今月一杯が、限界でしょう。
       (山頂付近から、第二駐車場方向が紅葉・楓類と桜の開花が早く狙い目でしょう)

    ◆ 桜だけが狙い目なら、12月に入っても沢山咲いているシーンは各所に有ります。

    ◆ 第一駐車場に近い、「日本庭園」付近の紅葉(もみじも含む)は来週中頃が限界か?
       (毎年落葉が早い・・・色も褪せて来るでしょう)

【今回の散策路】 ・・・ 散策MAP はこちら 【「冬桜」は 今 ①(11/6 、鬼石・桜山公園)】 から

    ◆ 第一駐車場日本庭園芝生広場桜山山頂山頂の道日本庭園第一駐車場

 

写真集

    今回、「第一駐車場」から「日本庭園」への途中(道路際)の林は落葉してた為、紅葉写真は
    撮りませんでした。

【日本庭園】

   ◆ 入口付近 (モデルは同行のGさん御一家)
14.11.16 B - 001 鬼石「桜山公園」.jpg

14.11.16 B - 004 鬼石「桜山公園」.jpg

14.11.16 B - 005 鬼石「桜山公園」.jpg


   ◆ 展望台付近14.11.16 B - 015 鬼石「桜山公園」.jpg

14.11.16 B - 017 鬼石「桜山公園」.jpg

 

【芝生広場】

   ◆ 広場14.11.16 B - 029 鬼石「桜山公園」.jpg

14.11.16 B - 028 鬼石「桜山公園」.jpg

   ◆ 広場から山頂への道14.11.16 B - 032 鬼石「桜山公園」.jpg

   ◆ 広場から見上げた所の立派な紅葉樹、恐らく来週中には落葉するでしょう
14.11.16 B - 031 鬼石「桜山公園」.jpg

 

【桜山山頂付近】

   ◆ 鬼石市街地方向
14.11.16 B - 033 鬼石「桜山公園」.jpg

   ◆ 第2駐車場方向
14.11.16 B - 034 鬼石「桜山公園」.jpg

   ◆ 山頂付近
14.11.16 B - 035 鬼石「桜山公園」.jpg

14.11.16 B - 036 鬼石「桜山公園」.jpg

14.11.16 B - 064 鬼石「桜山公園」.jpg

14.11.16 B - 069 鬼石「桜山公園」.jpg

14.11.16 B - 057 鬼石「桜山公園」.jpg

 

【日本庭園】・・・帰路

   ◆ 滝 ・・・ 庭園・東屋横に流れ出て池へ注がれる
14.11.16 B - 084 鬼石「桜山公園」.jpg

 

 

【足元・路傍の自然】 ・・・・ 何処にでも有るものだが ・・・

 

14.11.16 B - 023 鬼石「桜山公園」.jpg

14.11.16 B - 024 鬼石「桜山公園」.jpg

 

今日、知人が群馬・藤岡市の「桜山公園」に行って来たとの事で、ブログ用にと写真とパンフレットを
置いて行ってくれた。

藤岡の「桜山公園」と言えば、「鬼石の冬桜」 として昔から有名な、冬桜(約7,000本)の名所
私もすでに2回 取り上げている場所で、今年も見に行く予定です。 近況情報は大変ありがたい。 
 ☆ 末尾【参考】の項に リンク を設けて有りますので、そちらもご覧下さい。

今年は近くの【世界遺産「富岡製糸場」】と組み合わせて見学するのもいいかも知れませんね。

行きに「冬桜」を見てから「富岡製糸場」へ、帰りは近くの富岡インターから高速に入り帰るなんてコ
ース、又は「富岡製糸場」を見てから「冬桜」を見る、逆コースもいいかも知れません。

「鬼石・桜山」から「富岡製糸場」迄は、一般道で約30km~40km、渋滞が無ければ1時間強な
のですがこの季節、どちらも渋滞は半端では有りませんので、時間の余裕は充分に取って下さい。

桜山公園は夜間のライトアップも始めたそうで、午後4時以降(8~9時頃迄?)も見られるとの事。

何はともあれ、早速いたゞいた写真から見て頂きましょう、今日 11/6(木)PM の写真です。

 

 

冬桜 : 鬼石(おにし)市街地は3分咲き、桜山は1分咲き

 

   ◆ 【道の駅 上州 おにし】 付近
2014.11.06 A016 鬼石道の駅.jpg

2014.11.06 A006 鬼石道の駅.jpg

2014.11.06 A004 鬼石道の駅.jpg

 

   ◆  「桜山公園」 : 第一駐車場入口付近から桜山山頂方向  (1分咲き未満)
         (日当たりの良い斜面は開花率が高い)
2014.11.06 B001 鬼石「桜山公園」.jpg

   ◆ 日当たり地の桜の例  (この様に咲いている所はまだ一部との事)
2014.11.06 A009 鬼石道の駅 2.jpg

 

 

「桜山公園」、今は紅葉が真っ盛り

 

   ◆ 第一駐車場(参考掲載MAPの左上)から日本庭園への登り口付近
2014.11.06 B003 鬼石「桜山公園」.jpg

2014.11.06 B004 鬼石「桜山公園」.jpg

 

   ◆ 日本庭園
2014.11.06 B026 鬼石「桜山公園」.jpg

2014.11.06 B011 鬼石「桜山公園」.jpg

2014.11.06 B015 鬼石「桜山公園」.jpg

 

それにしても いい紅葉だ!
これで晴天か、雨上りだったら申し分無い美しさなのだが・・・ハハハ、私は欲張りですね!

 

紅葉は頂上から麓へ降りて来て、桜は麓から頂上へ向かって咲き登る、桜の位置と紅葉の位置がバランス良く一致するタイミングは、中々難しい。

この分では紅葉は来週一杯位で落葉となり、冬桜の本番は11/20以降となりそうですね!

 

【参考】

 

   ◆ 「桜山公園散策マップ」 ・・・・・・・・ 藤岡市発行パンフレットより
           (少しデータサイズが大きい為、スクロールバーをご利用下さい)
鬼石「桜山公園」P2(2048×1467).jpg

 

   ◆ 冬桜関連、私の過去ログ

             【 紅葉と桜の競演 】           【「冬桜」 again-2012 】 

 

 

この所、(12分以上前には)誰も予測出来る事が出来なかった(御嶽山の噴火)とか「観測史上最大の台風(18、19号)とかが続いて居たが、今日10/20、また政界に前代未聞の辞任劇が発生した。

今回はこの話題を「駄洒落」と「市民目線」で書いて見ましょう。

 

大臣2人の同時辞任劇

始めに、報道関係では「女性大臣が・・・」等と≪女性≫が特に強調される傾向があるが、これは 差別・偏見の上で問題の本質を逸脱させる恐れが有る。今回の問題は男女(機能・能力)の問題では無い事を改めて提起して置きたいと思う。

 

10月20日、今日の出来事概要 (具体的事象)

    午前 : 小渕優子氏・・・・「経済産業大臣」 辞任、
    午後 : 松嶋みどり氏・・・「法務大臣」 辞任
 

 

      ◆ 辞任理由・・小渕優子氏・・・疑惑【政治資金収支報告書】虚偽記載利益供与等
            (歌舞伎座招待、下仁田ネギ・身内業者商品の代金等で不明瞭収支が発端)

         【本人辞任コメント要旨】

            「指摘内容は、知らなかったでは済まないので責任を取る。 外部の専門家も
             入れて再調査し、問題点の解明をしたい」
                 
      ◆ 辞任理由・・松島みどり氏・・・疑惑【政治資金収支報告書】記載漏れ寄付等 
            (うちわの無料配布が「寄付」に当たると野党から追及されて問題化した) 

         【本人辞任コメント要旨】

            「地元選挙区でのうちわ無料配布については違法と思って無いが、これ以上国
             会や安倍内閣の足を引っ張る事は出来ない」

      ◆ その他、関連事項

           小渕優子氏の私設秘書「折田謙一郎」氏=中之条町・町長が、町長辞表を提出
             (折田氏は小渕優子の関連政治団体の政治資金収支報告書作成責任者)

 

駄洒落・時事放談

 

 今日、大臣2人が辞めたんだってね!

 そう! 「小渕経済産業大臣」と「松島みどり法務大臣」だって言ってたよ。

 で、理由は何なんだ?

 ま、「金額の大小」、「やり方は違うけど」 どちらも【政治資金規制法違反】容疑と言う事だ!

 何だそりゃ! 経産大臣も法務大臣も、法律違反って事か?

 そうだな、どっちも  法無大臣 って訳だ!

 小渕優子にはかなり期待の声も多かった様だけど?

 本人は知らなかったと言ってるが、それは本当かもね! 世襲議員の特徴、の氷山の一角だろう
  世襲議員はほとんどが親族が築いた有権者の支持基盤と人脈・金脈・組織をそっくり受け継ぐ訳
  だから、その組織に自浄作用を期待する事は難しいだろう。 (神輿に載せられただけ)
  そんな議員達が牛耳っている政界自体にも自浄作用が期待出来ない現実では、小渕本人に忠告し
  てくれる人も居なかったのじゃ無いかな? (失敗を知らない人ほど足元が疎かになり易い)
  何も考えず、既成のレールに乗っかって居た事の迂闊さに気付けば将来もあるかもね。

 ナーるほど! それはそうと、松島みどりの場合はどうなんだ?

 彼女の場合、女性活用と言う安倍のミクスのお蔭で拾ったラッキーポジションに浮かれて、自滅
  した(と言うより周りに詰め腹を切らされた)ものらしい。
  法務省官僚との不協和音や周りとの醜聞が多すぎて野党からの格好の標的。
  安倍首相の人選失敗だね、適材適所とはどう考えても思えなかったな!

 納得だな! 国会答弁や辞任会見でも薄っぺらな人間性がわかり易いコメントして居たな!
  うちわ(団扇)を配るより、内輪を纏められる人間性の磨きが必要だ。 年齢的に、もう無理か?
  そうだ、団扇も薄っぺらだもんね! 法律無視で平気な人に、法務大臣なんて任せられないよね

 そうそう! 小渕優子の私設秘書で、今回の発端「政治資金収支報告書」を作る責任者の「折田
  町長」が中之条町町長の職をオリタんだってさ!

 

 

【編集後記】

  法律を無視した2人の大臣、本来ならば「GO! ホーム」(法無では無く、議員辞職して選挙
  民のもとに帰れの意味)で、出直すべきだ。(再選されたら議員に戻ればいい)

  大臣の椅子は投げ出すが、議員は辞めないで済ます風潮がまかり通っている現在の仕組みにこそ、
  こう言う不正を醸成する政界の癌だ。 (と、思う)

  罪の大小(金額の大小や認識しながらの行為か過失なのか)は問わず、「説明出来ない不正疑惑
  が明るみに出た段階で、一旦議員辞職させるか、議員資格の一時停止(支給歳費を即凍結し身の
  潔白が証明されたらその時点から再開)する事で、辞職しないメリットを無くする様な仕組み
  を作れば、各議員とも不明瞭な会計のデメリットを重く見る様になるはず。

  因みに現在は不正疑惑が有る議員でも、裁判で有罪判決が出る迄の間、議員が辞職するか国会の
  懲罰動議で可決、又は任期切れ迄は、議員手当・政務調査費等々の諸費用はすべて支払われ、国
  会議員の様々な特権も変らない。 (議員宿舎使用その他の特権)
  裁判等 の場合は、その為の調査費や弁護士手当(本来は個人的な経費)迄もこの 政務調査費 等
  から支出していた人も多いらしい。 (有罪結審の後返却したと言う話は聞いた事が無いが?)

 

   我々の税金がこんな風に消えるなら、「母子貧困家庭」や「3.11関連被災者」の生活
   立て直し支援等に回すべきではないでしょうか?

     ( どちらも 一時金や パート労働でなく、安定収入の為の支援施策が急務!)

 

           「ふるさと今昔物語 Part-1」  より続く

 

再び、実家の周辺図から始めましょう。

   ◆ 不完全ですが、「昭和30年代の屋号」上原十字路下(しも)の図
       本図は小生の記憶の範囲で作成、後日修正版との差し替えを予定中。
S30年代上原十字路(下).jpg

    上図中、少なくとも実家を中心とした薬師様・役場・鎮守様・映画管周辺のエリアについては
    間違い無いと思う。(城内文化・映画館通りの上下エリア)

 

【新田掘】

我が家の前の川が【新田掘】で、上流は田崎の先、【三国川(さくりごう)】・深沢(ふかそう)の八ヶ堰から取水して上原のほゞ中央を横切り、【宇田沢(うだぞう)川】の河底を潜り、長森新田の灌漑用水として、現在もその田畑を潤している。

   ◆ 我が家の前での【ママ探り(魚の手掴み漁)】 ・・・・ ヤマメやイワナも捕れた
故郷の昔 - 020 (抜粋).jpg

   注 : 前の家に渡る橋がコンクリート製になっている (以前の写真では木製の橋)

実はこの灌漑用水、徳川・四代将軍家綱の時代、藩(越後高田藩)の「米(年貢米)増産」政策での長森ヶ原新田開発計画が発端
山懐の浅い宇田沢川の水量だけではそれまでの田畑で限界があり、山懐の深い三国川の豊富な水を引こうと言う事になったのが理由。
しかし、これには藩内では裁き切れない反対運動が起き幕府を巻き込んだ裁定の結果計画通り推進となったと伝えられている。
   (最新版、「新編 城内郷土誌」より、
             以下の内容も、同郷土誌の解説に私の推論を加えたもの

単なる村人の反対運動だけでなく、当時まだ寺領や格式が10万石(これは?)相当の【法音寺】が係わって居て、その結果は反対運動側の敗訴、法音寺も反対の立場だった。 (法音寺の場合、工事に伴って寺領地の削減などの不利益生じる為)
現在の法音寺の侘しさを考えると、もしかしてこの事件が凋落の一因ともなっているのかも知れない。

法音寺の件は、別の機会にするとして、新田掘の規模は、とても江戸時代初期のものとは思えない大工事を行って作られている事に、今でも驚かされる。

私が実際に見て感動するポイントを幾つか挙げると、
   ① 測量技術
       三国川から宇田沢川を抜けて長森新田に流す為の傾斜をどの様にして作ったのか?
       直線では無く干溝からハコドヨ迄の傾斜丘陵台地を、深さ10m以上まで開削して作っ
       ている。
       もっとも、もし自然傾斜で流すと地形的に丘陵台地の端、石万川(ごくまんごう)と並
       行に流すしか無くなり、長森新田の半分も灌漑に使えなくなる事も想像出来る。
   ② ハコドヨ(水路の大規模立体交差点)の発想
       実は新田掘開削前からの川だったものと思うが、私の知る限りでは湧水等の水源を持た
       ない川の様で、雪解け時期や雨の後数日で干上がり、灌漑用水の役割は少なかった様だ
       が、雨が続いたり集中豪雨の様な時は異常な増水が見られた事から災害対策の安全弁的
       な川であった様だ。
       因みに下流でも石万川に合流させずに下原新田で宇田沢川に流していたのも同様の理由
       からと思われる。
       従って、人家の多い方に向かって流れる新田掘に合流させると災害も予想される為、立
       体交差で従来通りの方向へ流す構造を作ったものと思うが、発想が凄い。
       ハコドヨの上流は杉や雑木の林に囲まれて藤原まで続いていたが、その川ををミズオシ
       と呼んでいたのも「水が押し出して来る」と言う意味だったのかも知れない。
   ③ 宇田沢川の川底を渡して長森ヶ原の新田開発が出来ると言う発想
       これは当時としては奇想天外な発想で有った事と思う。
       この発想をした人とそれを認めて実行した高田藩為政者に敬意を表したい。
       先に書いた反対運動や技術的な困難等、余程の実行力が無ければ成し得ない事である。

   注 :  「新編 城内郷土誌」の中では高田藩主を「松平上総之輔」とだけ記載している為誤記
       かどうか、真偽はわからないが「 松平姓」で「上総之輔」と言う高田藩主は存在せず、
       【松平上総介(かずさのすけ)忠輝】と言う藩主が居た事は有るが 四代将軍家綱の時
       代にはすでに改易されて後任が2代も代わっている。
       将軍家綱の時代の藩主は【松平越後守(えちごのかみ)光永】、この頃家老・小栗美
       作(みまさか)と美作が招聘した家臣・河村瑞賢(ずいけん)の指揮で新田開発・殖
       産興業等を行った事が周知の事実として記録されている。
       つまり、【「新田掘 開削事業]と「長森ヶ原の新田開発」】はこれ等藩政の一環事業
       のひとつで有った事が推測できる。
       小栗美作や河村瑞賢が推進者として係わっているなら、奇想天外な案も有りだろう。

 

【新田堀】の現在 ・・・・・ (実家周辺) 

    以下現在の写真は Google Map ストリートビューよりの画像です。

   ◆ 実家前 : 新田堀は道路の下を流れている
sv 実家.jpg

     道路の中央は消雪パイプのラインで、新田堀はその右側の舗装の下を流れている。
     左側、沼田屋の向こう、県道を越えると新田堀が道路の左に姿を現す。

   ◆ 県道から先の新田堀 ・・・・ 道路の左側     (この写真は自分の撮影)
2007.05.21 _ A (1280×711).jpg

     左に現われた新田堀、宇田沢川堰堤道路(薬師様や墓地のある所)の手前で土管に
     吸い込まれ、対岸の長森新田で再び地上に現われる。

   ◆ ストリートビューが行ける限界、薬師様は右手前の家に隠れて見えない
sv 上原・薬師様.jpg


再度、実家前より新田堀の今

   ◆ 映画館通り、左右の風景 (新田堀・下流方向)sv 新田堀下流方向.jpg

   ◆ 映画管通り、左右の風景 (新田堀・上流方向)
sv 新田堀上流方向.jpg

     この写真の道幅のほゞ中央から左側(橙色の線の間)が【新田堀】、赤い鉄の板は
     消雪作業時などに開けて使う部分のフタ。 (右端は普通の側溝で、雨は新田堀へ)

     昭和30年代はこの道の突き当りに、【城内文化】と言う映画館が有った。
     (突き当りと言っても当時の突き当りは、奥に見える三角屋根の家位の場所)

もう一度、県道の上手(八海山方向)と、下手(下原方向)
   (下手は県道がカーブの為、鎮守の森迄しか見えない)

   ◆ 沼田屋前から左の道が上原十字路から山口・八海山方向、右は映画館通り
sv 沼田屋角から八海山方向.jpg

     冒頭の「昭和30年代地図」にも記載した、昔の薬師様の境内に有った「半鐘」が、今は
     こうして消防小屋の前に吊るされている。 (やはり懐かしい気がするものだ)

   ◆ 下原方向 : 正面の杉が数本見える所が鎮守の森 (今は林とも言えないが)
sv 旧役場前から鎮守様方向.JPG

     昭和30年代は鎮守の森と呼ぶにふさわしい杉林の中に、ご神木と言ってもいい欅の巨木が
     そびえていた。
     そんな神社の境内で、毎年行われた盆踊りも、今はただ懐かしい思い出だけになってしまった。 

 

 

昭和30年代の遊びと「自然の味覚」・・・自然の中で!

     ※ この時代、子供と言えど大人の手伝いが多く仕事の間に行われる遊びも多い。
       それ等は遊びと言わないものもあるかも知れないが、私の独断で代表的な幾つかを!

【春】 3月~5月 (魚沼地方:南魚沼市・湯沢町・十日町市・魚沼市周辺)

  ◆ 凍み渡り ・・・・ しみわたり (魚沼地方の表現) ・・・ 仕事上でも活用
       ・ 雪国であれば何処でもする事だが、全国的な共通表現かどうかは不明。
        雪国以外の方の為に、現象の概略
          冬から春に季節が変わる時、大量に積もった雪は春雨や温かくなりつつある南風
          や日中の陽光で、溶けた雪の水滴で表層と大地両側から雪質はザラメ雪に変わる。
          この状態で、昼の間に溶けて表層に残った水滴が、夜間の寒気で氷結し最中の皮
          の様に雪面が凍る。 これが何回か重なり、次第に表層の氷結層が厚くなり、や
          がて人が乗っても沈まなくなる。
          これを利用して、道以外の雪上を移動手段に使う事を【凍み渡り】と呼んで居る。
        遊び : 通常、地上で行う遊びはほとんど実行可、以下はこの時のみの遊び
         ・ そり(橇)遊び      ・ ウサギ・キジ・ヤマドリ追い(捕獲猟)
         ・ 杉っ葉(すぎっぱ)滑り・・杉の葉を尻の下に敷き山の斜面を滑り降りる
         ・ ドッポ(この呼称は城内でも知らない人が多い様だ)
             「落とし穴」の事、表層を丸く切り取りフタにして、その下に穴を掘り
             下に罠を仕掛けてシカ・イノシシ等大・中型動物を捕獲する猟だ。
               (熊には使えない法方らしい)
             子供達の遊びでは罠は無く、危険の無い様浅く掘って悪戯に使った。
         ・ スキー、その他
        仕事・手伝い : 遊びとは言えないが、凍み渡りを利用した作業
         ・ 施肥・肥え撒き
               ・・・施肥と消雪の目的で、人や牛馬の糞尿・堆肥を田畑に撒く作業
         ・ 灰撒き・・・・・・・・青菜(青物野菜)の畑や稲の苗床等の場所の消雪目的
         ・ 炭出し・・・・・・・・・・・・・・・・・・・炭焼きした木炭の出荷(運搬)
         ・ 山林伐採と運搬・・・・ソリが使え、大きな杉やヒノキ等が運び出し易い時期
         ・ 春山・・・・・・・・・・・・・山林管理やマキ(燃料等の為)の柴刈り作業
         ・ 杉っ葉拾い・・・・焚きつけ(点火)用に杉の葉の枯れ葉を集める子供の仕事

     【注意】 凍み渡りは目に見えない危険もあり、地形を知らない所は行かないのが原則
           夏から秋には水が枯れてしまう様な小川でも、雪解けのこの時期の水量は半端
           では有りません。 また、雪原に隠れた小川の上はアーチ型に抉られて、非常
           に薄くなり、人が上に乗ると、まさに落とし穴(ドッポ)の様に抜け落ちて、
           冷たい水に押し流されて亡くなると言う事故も少なく有りません。
           地元の人でも深い霧に包まれたりすると、雪原の中では方向感覚が狂い、事故
           に遭った事例が有る程、むやみに凍み渡りをする事は危険を伴います。
           特に温暖地域から来られる方々は地元の人に良く確かめて、くれぐれも 知らな
           いエリアに足を踏みいれない様ご注意下さい。

  ◆ 山菜採り ・・・・ 当時は主に自分の家で食べる為に採っていた
         ・ アサヅキ堀り・・・・主に雪解け直後の場所に芽吹く黄色いモヤシ状の新芽。
                     土改(土地改良)後はあまり採れる所が無くなった。
                     最近秋田・山形の一部では、栽培品を別名で売ってい
                     るが、日に当てて栽培しているので普通のワケギと変
                     らない様だ。 それに比べて雪の下からのアサヅキは
                     生で味噌を付けてもヌタや味噌汁等に使うと美味しい。
         ・ 木の芽摘み・・・・・ 魚沼地方ではアケビの新芽(蔓の新芽と葉の新芽、両
                     方とも食べるが、メインは蔓の方)を木の芽と言う。
                     因みにサンショウの葉も最近では木の芽と言うらしい。
         ・ 竹の子採り・・・・・・言わずと知れた、根曲り竹の新芽 (5/末~6月)

         ・ その他・・・・・・・コゴミ、ゼンマイ、ワラビ、ウルイ、ウド、etc.

【夏】 6月~8月

  ◆ トンボ捕り・・・早朝、小川の縁の草を利用して夜の間に這い上がったトンボのヤゴが羽化
            して、まだ飛べないトンボを採集して来て飛び立つ迄を観察する
            (注 : 羽化の途中で羽を掴むと変態が途中で止まり羽が歪み飛べなくなる)

            遊びの対象は、やはりトンボの王者、ヤマドンボ(オニヤンマ)。
            その、羽化したばかりの時は全身が黄色なのに、時間と共に黒と黄色の鎧の
            様な体と大きな透き通った四枚の羽に変わって行く。
            特にヤマドンボのメスはオスより一回り大きな体型で、見飽きなかった。
            当時は捕っては来たが、無事羽化が終えて自然に飛び立つのを見て満足した
            ものである。  (勿論、羽化現場の自然の中で観察する事の方が多い

  ◆ トンボ釣り・・・こちらは日中、やはり殆んどがヤマドンボを対象の捕獲遊び。(他のトンボ
            でも同様に出来たが、遊びとしての面白味は格段に違った様に思う)
            ヤマドンボのメスは小川等の小さな綺麗な水辺をテリトリーにする習性があ
            り日中はこのテリトリーを往復している事が多い。
            そこで、この(主に)メスを網等で捕獲して、これに糸を付けて囮にする

            この囮で多くの場合はオスが飛んで来て、交尾しようと絡み付いた所を捕ま
            える。 この場合、手で簡単に捕獲出来る。
            この捕り方を、トンボを釣る(魚釣りになぞらえてか?)と言う
            別のメスのテリトリーで放すと、攻撃する為か、やはり絡み付く場合があり、
            これも捕獲し易いが、この場合素早くしなければ逃げられる確率も高かった。

  ◆ セミ捕り・・・・これは全国同じ方法だと思うので省略。 ただ羽化について少し参考迄に!
            私の場合、羽化の観察は大抵近くの鎮守様が一番の観察スポットで、アブラ
            ゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシ等の羽化が、晴れた日の夜明けから日の出頃
            迄、飽きさせる事無くあちこちの木の幹で続く。 これは捕ると言う目的よ
            り観察が主で、意外に感動させられたのはアブラゼミの羽化直後
            成虫としてのアブラゼミは良く知られている様に、ミンミンゼミやヒグラシ
            に比べ全身(羽も含み)焦げ茶色系の地味な色をしている。
            それが幼虫から脱皮した直後から羽が伸びきって数分の間全身が【黄緑色】
            のセミが出現する、やがて全身が変色して見慣れたアブラゼミになる。
            その色彩の変化が成虫とのイメージの落差が大きい事に、感動したものだ。

            そう言えばトンボも脱皮直後は黄緑色系の体色で、ミンミンゼミやヒグラシ
            も、なぜか黄緑系の色で羽の成長が完結すると、それぞれの種の本来の色に
            変化して行く。 (ハチやカブトムシも、脱皮直後は黄色系だったと思う)
            脱皮する昆虫に共通で、血液か何かのホルモンに秘密があるかも知れないが、
            これは大学か何処かの研究所にお任せする事にしたい。
            クラゲで貰った人も居る、もしかしたらノーベル賞級の秘密があるかもね

  ◆ 魚捕り・・・・・これについては城内地域独特と言うものは無いが、清流の流れる宇田沢川と
            三国川、そして魚沼盆地を貫いて流れる魚野川。
            それらの河川を主な水源として、縦横に張り巡らせた田畑の小川や導水路が、
            その遊びの場である事から、主に以下の様な遊びになる。

            ☆ ざっこすき(雑魚すき=すくい) 
                     ・・・・「ドジョウすくい」と同じだが、網を使用して
                          小川や水路等での追い込み漁

            ☆ 魚突き(「ヤス突き」とも言ってた様な?) 
                     ・・・・ まさに「ヤス」で突いて捕る漁

            ☆ まゝ探り(前出) 
                     ・・・・ 大きな石や岩の下に出来た窪みに隠れている
                          魚を素手で捕まえる漁
             ※ 岩の窪みや石垣・堰堤の隙間、大きな石の下等を【まま】と言っていた

                    ◆ 

                    ◆

                    ◆

                    e t c .

 

今、我々の故郷でさえ冒頭の写真の様な「ママ探り」や「トンボ釣り」、「杉鉄砲」等、自然の中での遊びをする子供達の姿はほとんど見る事が出来なくなって久しい。
勿論、そう言う自然が少なくなっている事も事実だが、私はすぐ身の回りに遊びの環境が有っても遊べない子供が増えている事に危惧を感じている。

子供達の、【創意工夫】【社会性・協調性・思いやり】【ケンカの限度・危険察知力】【忍耐力】等々は、TVゲームや学校教育で醸成される事よりも、日常の遊びの中で学び・実践しながら覚えて身に付くものではないかと思う。 

一方、家庭内でも家族構成の分散化と仕事の形態が教育環境と乖離(かいり)して、利益優先の社会システムが躾けの崩壊を促進させている。 (経済的弱者の急増も問題)

小人数で、自然の中で、そこに有るもので創意工夫をし、遊ぶルールも自分達で作りながら意見を交換又は戦わせ時にはケンカもしながら自分たちの社会を作って行く事で成長して行く事が本当の教育だと思う。
今の様に無闇に大人が干渉しない。 ただし、放任・無関心は最悪の事態を招く可能性大。
社会秩序を外れたり、危険な行為についてのみ助言・支援をする程度がベスト。

ただ、現代の親世代が、すでに【個の時代】と叫ばれ【TVゲーム】【遊びよりも塾】優先の教育環境で大人への道を歩いた人々の為、急に【子供達を自然へ!】なんて言っても笑われてしまうかも知れない。

しかし、最近の異常な犯罪や限度を知らない若者達の暴行事件、折れ易い精神が原因と思われる切れ易い人の増加が、形を変えて我が子への虐待・・・等々の現象を引き起こしているのではないかと思われる。

詳細な分析はしてないが、本質的な問題点の7割以上が子供時代の躾け環境と育て方に原因があるのではないかと思われる。
従って、これからは学校の授業以外の教育に自然の中での、遊びを通じた情操教育】が、見直され、重要視される時期に来て居ると思う。

発想を変えれば → ビジネスチャンスにも !

首都圏に近い自然も多い我等の故郷は、そんな社会に【子供達の情操教育の場】として廃校などを利用して短期カリキュラムなどを提供すれば、新しいビジネスチャンスが生まれるのでは? と思う。 (南魚沼市全体での取り組みがベスト)
もし、実現すれば子供達の合宿場所の他に、期間(1週間~1ヶ月単位位)中に親達の出入りも予想されるので土産物・道の駅や温泉等の需要も期待出来る。 (あくまでも私見です)

 

この「八海山倶楽部」の仲間、智通君の投稿【懐かしい昭和30年代の上原家屋図】に触発されて、少年時代の古い写真を探して見た。

昭和30年代と言えば、まさに我々が少年時代を過ごしたその時期である。
ただ、実際に写真や資料を探すとなると、学校の卒業記念アルバムや文集など僅かなものしか無い事を痛感させられる。

私の場合、その卒業アルバムや文集なども、転勤先の住居で「阪神淡路大震災」に遭い、住んで居たマンションの上階で下水管が破損、居室内に漏れて来た下水の為に思い出の写真や文集など書類の殆んどを失ってしまった。
そんな状況から僅かに残された写真の中に、義兄(姉のダンナさん)が帰省の都度撮り溜めた写真が数枚残って居たので、今回はその写真と、智通の作ってくれた【昭和30年代上原家屋図】、Google Map(ストリートビュー含む) 等から得られた画像を元に構成してみました。

 

故郷の現在と郷土史の城内全図

   ◆ 南魚沼市の中の故郷周辺 (Google Map より)
六日町・城内 MAP A.jpg

最初に、私達の故郷の昭和30年代を語るには、その頃の行政区割を知っているとわかり易いでしょう。
そう、何回かの市町村合併を繰り返して現在の【南魚沼市】となった訳だが、我々の故郷はその頃【城内村(じょうないむら)】と呼ばれる地域で、現在は学校名等の施設名の一部にその名残りを残すのみで、住所や地名からは【城内】の名前は消えてしまった。

上記のMAP(写真)の左下から上に向かって流れる【魚野川】と、写真下部の中程から左上に向かい魚野川に合流する【三国川(さくりごう)】、それに【桂山】【高倉山】【阿寺山】【八海山】【猿倉山】【六万騎山】から【魚野川】を繋ぐ線で囲まれた地域が、【城内村】とされていた。

   ◆ 城内村全図:昭和35年発行「城内郷土誌」より (I Nagumo 君ご好意による)
                     (下記地図の中で〇印・上原(かみはら)が私の実家周辺)
城内村全図(S35年発行・城内郷土誌より)  (1280×749).jpg

   ◆ 現代の観光周辺Map (南魚沼市観光協会発行パンフより抜粋)
六日町周辺マップ.JPG

   注) このMapは便宜上約90°程、右に回転して作られて居ます。(左側が南、右が北)


さて、ちょっと寄り道になりますが、故郷は今【秋真っ只中】。 
山では紅葉が始まり、里では秋の味覚が色々と登場して来て居る頃、今では中々見る事はなくなったが 私達の少年時代、下記掲載の写真の様な【ハッテ(ハサ掛け)】が、家々の回りや畦道沿いに所狭しと並んで居た事を思い出す。

   ◆ 【ハッテ】掛けの風景
      (数年前のNHK番組のワンシーン/画面写真だけなので番組名・場所不明)
ハッテ 1B  (814×534).jpg

私達が子供の頃の【ハッテ】は横には竹竿などを使ったと記憶しているが、この映像はナイロンの綱の様でより密集して干されている様に思う。
こんな所も近代化した訳だが今はそれも殆んどがカントリーエレベーターで強制乾燥・選別・貯蔵用処理する方式に変わっている。

それにしても、この「稲束を投げ・受け取り干す所作」が、懐かしいのでつい写真に残した。
風景としては残して行きたい光景だが、この後の脱穀や選別等の手間を考えると、TPP対策は別としても労働環境改善の為には不可欠な事だろうと思う。

そうそう、その当時【稲刈り(手刈)】と、【ハッテ掛け】【ハッテ外し(降し)】の作業に関連した【稲束運び】の手伝いがモッパラ子供達の仕事になる訳だが、【稲刈り】や【稲束運び】を手伝った初日の夜は、体中チクチクと痛痒くて眠れない事が有ったなあ!
(次の日位から体が慣れて殆んど気にならなくなるのだが・・・人に依って反応も違った様だ)

昭和30年代の農業は 米の増産・増産が叫ばれ、これを目的の秋田・八郎潟干拓が始まったのも昭和32年でした。 (昭和42年から入植開始→昭和52年竣工)

 

昭和30年代の秋景色(生活編)

そんな時代、【生活面で城内の一般的な村の秋】を思い起こして見ると、

9月「稲刈り」に始まり→10月:「米の出荷」「果実・野菜類の収穫」→11月:「文化祭/野菜などの品評会」「漬菜(野沢菜漬け作り)」→11/末~12月中旬:「雪囲い、家に依っては雪池(ゆきだな)作り」で雪の季節に備える事になる。

一方、【自然界の秋】は、
平均的に9月末:標高の高い「八海山の頂上」の紅葉に始まり、里の秋の紅葉は11月上旬に盛りを迎えた。
(年に依って1週間位前後のズレ有り・・・何故か、昨今は更に季節のズレが大きい様である)

   今では八海山の紅葉も、ロープウエイで気軽に見に行ける様になった。

そして【山の幸】。 この時期になると、キノコ、ヤマブドウ、ミヤマツ、エブ(エビヅル/サンカクヅル)、山栗、クルミ、トチの実、アケブ(アケビ)、カヤの実、サルナシ、etc.
そう言えば、良く熟れた【マタタビ】も甘いキウイの様で、サルナシ同様美味しかったな!

その秋も、11月中~下旬には八海山に初雪(冠雪)が来て、「山に3回雪が降ったら次は里に雪が来る」と言われ、里人は根雪が近い事を想定して【ダイコダテ】(冬の間の野菜:大根・白菜・人参などの雪中保管庫)作りなど、雪に閉じ込められる冬の準備を進めてて行く。

   ◆ 城内とは角度は違うが、五日町スキー場からの【根雪直前の雪前線】の例
         雪で白くなる等高線が下がって来る (ゆきぐにネット・ライブ映像より)
hv2012-11-28-12-20 八海山.jpg

この頃だったと思う、宇田沢川や三国川、魚野川に、石の下に産み付けられた【カジカ(魚)の卵】を捕りに行ったっ事が今では懐かしい。

当時は道路の消雪設備も無く、道路の除雪も国道17号線がやっと始まった位で城内村等は対象外、根雪が降ると陸の孤島に近く、自動車も止り、春までは ソリ(橇)を使うか人が担ぐしか物流通の手段が無くなるのである。
現代の若者達には想像も付かない事と思う。
こんな生活についても絵にして残せたらいいのだが、残念ながら私にはその様な絵心が無い。

絵心と言えば、初雪の頃にはこんな(下記・写真)素晴らしい場所が今でも随所に有る、残したい風景のひとつだ。

   ◆ 下薬師堂付近【宇田沢川】堰堤より (2008年12月上旬、前夜の里・初雪)
里の初雪(直後).jpg

    写真下の住宅地、30年代はどんな風景だったのだろうか?

 

昭和30年代の冬景色

今では登る人も居ないだろう「鬼の面山」の尾根繋がりで、私達遊び仲間の間で「暮坪山」と呼んでいた山(小中学校と宇田沢川を挟んだ対岸の山/この山の向こう側では学校のスキー実習も行って居た)の中腹からの写真である。

   ◆ 昭和36年3月末頃、暮坪山中腹よりの上原方向
         (長崎出身・義兄撮影、凍み渡り体験時に撮影したもの)
S36年暮坪山からから上原方向  (1280×388).jpg

下を流れる【宇田沢川】の左対岸に「合同製糸」工場と煙突が、川下(右)には「城内中学校と小学校の校舎」が見える。
背後の山は「金城山」(左)と「坂戸山」(右)。

それにしても、
 「坂戸山(標高634m)」と同じ高さの「東京スカイツリー」が出来るなど、想像も出来なかったなあ!

   ◆ 宇田沢川下流方向 (新堀新田~下原新田・長森方向と魚沼丘陵)
故郷の昔 - 013 (抜粋).jpg

   ◆ 東を見ると【八海山】、手前の集落は【下出浦(しもいずな)】(右奥:上出浦)
故郷の昔 - 010 (抜粋).jpg

 

   ◆ 上記写真の撮影場所:現在の【城内小学校】付近から(早春春)

2007.05.21 _ C (1599×615).jpg

 

写真集・少年時代

個人情報保護の見地からは顔を隠した方がいいかも知れないのだが、何十年も前の顔やすでに鬼籍に入られて居られる方も多い為、写真はそのまゝ掲載する事にします。

なお、写真撮影の年・月・日等は「震災」時にアルバムから剥がしたまゝだった為情報が曖昧になり、年代順で無い場合がありますのでご容赦願います。

   ◆ 昭和30年代の【八海山】と【合同製糸】 ・・・ 左の山が【鬼の面】と呼ばれる崖
故郷の昔 - 001 (抜粋).jpg

    ※ 1  【合同製糸】 ・・・・ 富岡製糸のミニ版、城内周辺での養蚕繭から生糸にする工場。
              近くに行くと繭を茹でる時の独特なニオイが結構強烈に漂って来たものだ。
              当時はあまり良いニオイと感じたことは無かったが、今では懐かしい。

    ※ 2  【鬼の面】 ・・・・・ 昔話・言い伝え等も有るが、宇田沢川に削られた、急峻な崖。
              写真の【合同製糸】と【宇田沢川】を挟んだ対岸の岩壁。
              地層は古いので雑木は繁茂しているが、高さ約80m/約60°位の急斜面。

   ◆ 現在の鬼の面 ・・・ 【宇田沢川】堰堤より (5月上旬)
八海山 -  009 上原 640x480.jpg

    昭和30年代、此処は流が左側の山に直接ぶつかり岩肌を抉(えぐ)って深さ1.5m位、
       幅5~10m、長さ15~20m位の淵を作って居て、我々少年達には格好の「流れるプ
       ール」であった。

     私が泳ぎを覚えたのも、この【鬼の面】の「流れるプール」でした。

    【合同製糸】はこの写真の右堤防、ちょうど写真が切れた辺りから手前右側に有った。
      撮影位置が、ちょうど【合同製糸の煙突が有った辺りのだと記憶している。

 

我が家の周辺

   ◆ 周辺地図 【昭和30年代=屋号の時代・・・上原十字路から下(しも)の範囲】
       (個人情報保護の見地から、直結し易い氏名=屋号の家は空欄にしました)
      なお、本地図は修正要因が多々あると思われる為、情報をお願いしますS30年代上原十字路(下).jpg

智通君が作成した【懐かしの昭和30年代・上原十字路付近地図】をベースに、上原十字路から下の部分を思い起こして作成して見ました。

およそ半世紀前の状況を思い出しながら作成してますので違う所も有ろうかと思いますが、お気付きの点が有りましたら是非教えて頂ければ幸いです。 (必要に応じて修正・補正をして行きます)

なお、細かい文字も、PCで拡大すれば楽に読めると思います。
 (携帯の場合、見難いかも知れませんが、ご容赦を!)

   ◆ 我が家の前の風景
       (前の川が新田堀、前の家のヤギは草を求めて下を覗いている状況)
故郷の昔 - 007 (抜粋).jpg

   ◆ 我が家(左)と隣家(右)の間から前の家の作業小屋兼ヤギ小屋
       (石垣の上が、通称「映画館通り」、とは言っても砂利道、遠くは八海山の裾野)
故郷の昔 - 006 (抜粋).jpg

   ◆ 前の家に行く橋を渡った所での「お袋」と「上原薬師」  (早春の頃)
       (この頃は橋が板橋である事にご注目、背景の建物は上原の「薬師堂」)
       上原の薬師様、言い伝えを信じれば、法音寺成立の歴史と深く係わっているらしい。
       御本尊の薬師像は江戸時代の洪水で右腕を失ったが、近年その右腕が帰って来た
       と言う、数奇な経過を持ち、もしかしたら重要文化財級かも知れない。(盗難が心配)
故郷の昔 - 003 (抜粋).jpg
 
    「薬師様の腕帰る」の新聞記事 ・・・ 新潟日報だったかと思う  (I Nagumo君より)
上原薬師.jpg

   ◆ 2年位後の夏、母と近所の人々
       (背景の建物は「城内役場」と「薬師堂」、その前の大きな石は「二十三夜塔」)
故郷の昔 - 004 (抜粋).jpg

   ◆ 小5の頃の3月頃、隣家の前にて
       (道路が雪で高くなっている事から、村内一斉に行う除雪行事、「雪割り」の前だと思う)
故郷の昔 - 008 (抜粋).jpg

   ◆ 小6の時だが、卒業式の日では無かったと思うけど? (TI 君・SS 君と)
故郷の昔 - 015 (抜粋).jpg

   ◆ 我が家 (年代不明  : 小学校4~6年頃)
        隣に美容室が建つ前で沼田屋が写っている事や、道路から玄関の下り口が
        新しいスロープになっている所から、井戸→水道に変わった頃と思われる。
         前の家の板橋(4枚上の写真)がコンクリート製に変わったのもこの頃。
故郷の昔 - 005 (抜粋).jpg

   ◆ 【一家団欒】 この頃「囲炉裏」が消え「箱膳」が「チャボ台」に、でも「団欒」の時は有った
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           「ふるさと今昔物語 Part-2」  へ続く

 

木曽・【御嶽山】噴火

   一昨日(9/27)、御嶽山の突然の噴火、思いがけない大惨事となってしまった。

   噴火に巻き込まれ、亡くなられた方々に、心より哀悼の意を表します。
   また、怪我をされた方々にも改めてお見舞いを申し上げます。


御嶽山と言えば20代~30代に3回登り、またスキー場(長野県側)へは数回スキーバスの添乗員で行った事が有り、休火山である事は認識して居たが「今回の様な“危険”」について、一昨日迄は、まったく認識しては居なかった。

皮肉な事に、我々が景勝地・絶景スポット等としている場所(又は近く)には少なからず「活火山」や「休火山」が有り、普段はそんな危険に無関心で居る事が多いだけに【火山由来の各地の観光地】でも、今回の【御嶽山噴火】は、警鐘と受け止めて【安全対策】の見直しをして欲しいものである。

例えば、御嶽山の今回規模の噴火が、【富士山】の登山シーズンの、同様に昼頃の時間帯で起きたと仮定したら、・・・・ 死傷者は、恐らく 数100人を越える事だろう。(考えただけでも恐ろしい事だ)

 

 

茨城(取手市)でも降灰か?

一昨日(土曜)の夜(取手の自宅へ)帰宅する際、車に給油と同時に洗車して帰り、昨日の夜20時頃再び車で群馬の職場に向かったのだが、その際車のフロントガラスが異常に曇っている事に気が付いた。

通常、私の駐車スペースでは強風の後でも無ければ一昼夜程度でフロントガラスが気になる程曇る事は無いのだが、前夜から風が吹いた気配は無い。
また、付着物は非常に細かく「乾いたモップで拭けば簡単に取れるが、湿り気の有るガラスクリーナーでは一度では取れない現象(水溶性?)」が見られた事から火山灰の微粒子ではないかと思われる。

科学的に分析した訳では無いが、黄砂の時期でも無く自動車や風で巻き上げられた粉塵で無いとすれば、御嶽山噴火の降灰とも考えられるのだが ・・・・ ?

 

 

それにしても最近、地震も多い!

2週間前(9/16)にはここ群馬でも震度5弱の揺れ(余震は殆んど無く、いきなりグラグラっと来た)が有り、昨日は取手で震度2。

最も最近では震度2程度では誰も騒がなくなった。 逆に、この騒がなくなった事に一抹の不安を感じる。

約2年前、【巨大地震】の直近・危険エリア と言うタイトルで投稿した中で、下記掲載写真(Google Mapより)を事例として、要約すれば【太平洋プレート上の巨大海底火山がユーラシアプレートに沈み込む時、巨大な山塊が潜り込む為に大きなストレスを溜め込んで、その為解放される時の地震を巨大な物にする】と言う内容を書いた事がある。

   ◆ 日本周辺・海底地形 (Google Map)
A 2 日本 全図.jpg

   ◆ 福島県沖~静岡県沖海底地形 (拡大)
A3 (関東).jpg

最近迄は私の勝手な推測の域を出なかったのだが、最近放送されたNHKの番組・NHKスペシャル「巨大災害・第3集【巨大地震・・・】」に依ると、この推測がほゞ間違って居なかった事が解説されていた。
3年前の東日本大震災をモデルとした解析の結果と言う事で有った。
 

御嶽山噴火の1日前、9/26にはNHKスペシャル「巨大災害・第4集【火山大噴火・・・】」が再放送されて居た。
偶然では有っても何故か関連して考えたくなるのが人間の非論理的思考の為せる所であろう。

 

   今回は“5年振り”に埼玉県日高市の【巾着田】へ

         季節の花【曼珠沙華】の群生”を見に行って来ました!


   ◆ 一昨年「【巾着田】(きんちゃくだ)」と言うタイトルで投稿、
                     しかしそれ以来、見に行く機会が無かったもの 

 
集団就職した最初の秋に、関東平野のあちこちで見た【曼珠沙華】の花。 強烈な印象だったなあ!

雪国である我等のふる里には当時、曼珠沙華は分布して無かったと思う。 (新潟平野には有ったのかも?)
そんな田舎育ちの私にとって花の色と形と葉が無い(実際は季節を変えて有るのだが)不思議が魅力になった。

幼心に良く聞いた懐メロに、「♪ 赤い花なら曼珠沙華・・・」 と言う歌詞が有る事は良く知って居たが、集団就職の秋、改めてその花の名前が心に刻まれた事を今でも鮮やかに思い出す。

所でこの【曼珠沙華】、別名を【彼岸花】と呼ばれているが、まさに「言い得て妙」。
地球温暖化と人間の感じる季節感には関係無く、毎年決まって秋の彼岸に花開く。 これもまた魅力!

 

9/20(土)、早朝の【巾着田】

仕事の都合で朝8時半には帰って居る必要があり、朝6時頃から現地で太陽を待ったが雲が厚く、陰影の薄い面白みの無い写真しか撮れず、今回は在り来たりのシーンしかお見せ出来ないのが残念。

もう一つ残念なのは朝露が付くほど冷え込まず、雨上りでも無い為「花のみずみずしさ」が無い為単体で綺麗な花が少なかった事。
私の安いカメラでは、花のUP写真を撮ろうとすると、隣会った花の粗(アラ)迄ボカシ切れずに写り込んでしまう。
その点、朝露や雨上がりの時は花々のすべてに張りが有り、私の様なバカチョンカメラマンでもいい写真が撮れるチャンスに恵まれる可能性が多くなる訳だ。

等と思いながらも、何枚かは撮って来たのが以下の写真です。

   ◆ A 早咲き群生地、「ドレミファ橋」への下り口からの巾着田2014.09.20_140 曼珠沙華・巾着田A.jpg

   ◆ B 早咲き群生地 (7~8分咲き位)2014.09.20_106 曼珠沙華・巾着田A.jpg

   ◆ C 早咲き群生地河岸・上流方向
2014.09.20_135 曼珠沙華・巾着田A.jpg

   ◆ D 早咲き群生地河岸・下流方向 (河原に架かる橋が「ドレミファ橋」)
2014.09.20_113 曼珠沙華・巾着田A.jpg

 

5年間もブランクが有ると色々と様変わりしている様だ。
ただ、自然を少しいじり回してしまっている様に感じているのは私だけだろうか?

高麗川の両岸や河床も、やがてセメントで囲んでしまうのかと心配になる位である。
  観光客誘致の為であろうが、河岸を削り河床を傷めたりドレミファ橋などは
  自然破壊の象徴であろう。
    (かわせみの営巣地も、いつ迄鳥が来てくれる事やら・・・?)

ここからは少し違った視点での写真を何枚かお見せしましょう。

写真Cの左対岸の崖がカワセミの営巣地で、この崖の上部に巣穴を掘って子育てをする。
従って、写真Cに見える流れから写真Dのドレミファ橋下流域迄が採餌場だった訳だ。
その、ほゞ中央部をドレミファ橋で人が行き来するとしたら採餌場を分断されたカワセミの
ストレスは、恐らく人間の想像を超える出来事だろうと思う。

   ◆ E カワセミの採餌場付近の川の中 ・・・ 結構魚影は濃さそうだ
        (偏光フィルターが有ればもう少しハッキリ写るのだが、ウグイかな~・・・)
2014.09.20_143 曼珠沙華・巾着田A.jpg

わかりますか? ・・・ この写真の中に、何匹の小魚が写っているか? (右が上流です)

ざっと数えて10匹以上居る筈なのですが? ・・・・・ 答えは?

 

曼珠沙華に話を戻しましょう。


   ◆ F 珍しいコラボ (1) 【キノコと曼珠沙華】
2014.09.20_128 曼珠沙華・巾着田.jpg

   ◆ G 珍しいコラボ (2) 【梅の枝に曼珠沙華】なんて誰のアイデア?
2014.09.20_130 曼珠沙華・巾着田.jpg

曼珠沙華は球根で増える、自然に木の上に球根が上がる事は有り得ない事。
でも、残念!あと2~3日後なら【梅の木の上で咲いている曼珠沙華】の写真が撮れただろう。

   ◆ H 珍しいコラボ (3) 遅咲き群生付近【馬と曼珠沙華】
               ・・・・実は駐車場入り口、乗馬クラブの馬2014.09.20_150 曼珠沙華・巾着田A.jpg

 

   ◆ I 日陰部分ではまだまだ蕾みも多かった
2014.09.20_119 曼珠沙華・巾着田.jpg

 

これからひと雨降った後、晴れたら絶好の花見日和です、今月下旬頃迄見る事が出来ます。

 

   ◆ 巾着田MAP (2014) MAP上部道路の右方向が日高市・鶴ヶ島・川越方面巾着田散策MAP (2014).jpg

仕事柄、通常の休みはカレンダーの日曜日(土曜・祝祭日は関係無く)しか休みが無い私には、ワン・デイ・ドライブ等その日の内に帰れる範囲での制約が有る為、同行メンバー構成やルートの渋滞具合などを予想しながら旅を楽しんでいるが、そんな私が行けそうで、中々行けなかった【尾瀬】に無理なく行ける事になり、友人2名と行って来ました。

実施日は9月7日。 行き先は【大江湿原~尾瀬沼】。 ルートは新潟県側から入って御池・沼山峠から。

    ◆ アクセス MAP (会津高原ふるさと推進協議会「会津高原GUIDE MAP」より抜粋)
会津MAP - 002 (抜粋).jpg

    ◆ 檜枝岐付近イメージMAP  (同上、「会津高原GUIDE MAP」より抜粋)

会津MAP - 003 (抜粋).jpg

 

    ◆ 御池~沼山峠~尾瀬沼周辺図  (「御池ロッジ案内パンフレット」より抜粋)
尾瀬沼・燧ケ岳 MAP.jpg

と、地理的イメージを描いて頂いた所で、本題に入りましょう。

 

 

入山ルート  ( 沼山峠口 )

 

尾瀬へ入るルートは幾つも有るが、アプローチが楽な入山口としてはは今回の「沼山峠口」か「鳩待峠口」が一般的なルートでしょう。

    ◆ 尾瀬全体図  (同上、「御池ロッジ案内パンフレット」より抜粋)
尾瀬 MAP.JPG

  ※ これ以上リサイズすると文字データが読めなくなる為、画像サイズを大きくしてます。
    携帯やスマートフォンでは表示出来ない機種があるかも知れませんが、悪しからず。

この、他の入山口(群馬側では大清水・富士見下、福島側では御池・小沢平、等)は「尾瀬ヶ原」又は「尾瀬沼」へたどり着く迄のアプローチが長く、普通の人に日帰りは難しい。

また、水芭蕉・ニッコウキスゲなどの季節なら「鳩待口」から入って田代十字路付近迄行って来れば日帰りでも十二分に楽しめるのだが、草紅葉にも時期が早く、花も一番少ない今頃の時期、早朝・夕暮れ時の風景も見られずに単調な湿原を歩くだけの日帰りコースは魅力に欠ける。

そんな訳で、「湿原歩きも出来て、尾瀬沼も見られる」そんな最短コースの「沼山峠」を入山口とした。

なお、今回のルートは関東圏から車で日帰りするにはあまりお薦め出来ないルートです。
 (ただし、交代運転手が居れば問題は無いでしょう)
長距離運転によく行く若い人ならまだ体力・気力で何とかなるだろうが、50歳以上の人や普段あまり長距離運転をしない人の一人運転では特に帰路の安全面を考えるとお薦め出来ない。
 (どのルートを回っても往復で、約600km位の距離がある)

例え交代要員が居ても、帰路については1人で2時間以上の連続運転は止めましょう。
自覚は無くとも2~3時間以上の山歩きは、無意識の疲れに依る注意力散漫に繋がり、事故に直結する。

 

 

尾瀬へ

 

Ⅰ. 御池まで

   9/6夜、熊谷にも近い私のマンション(宿所)に友人が集まり9/7、朝3時15分マンションより
   車1台で出発。 (前夜から出発時、強めの雨天・・・尾瀬の天気予報も、午前中雨/午後曇り)
   それでも、天候回復にささやかな希望をかけて我等は出発した。

   3:15AM発伊勢崎IC関越自動車道小出IC枝折峠R352御池着(9:00AM頃)
    (雨は小出ICを出る頃から曇り/時々小雨に変わり、御池に着く頃には少し青空が出て来た)

   このルートについては私のブログ「紅葉と百名山、眺めてゆったり白銀の湯」又は「心の道・奥只見
   シルバーライン 錦秋」が参考になるでしょう。

Ⅱ. 沼山峠、そして尾瀬へ

   御池発(9:25AM)沼山峠着(9:40AM)
       ・・・御池でほゞ晴れて日差しも出て来た    (快晴の予感)

    ◆ 沼山峠バス停より・・・・右の看板と小屋の間が尾瀬沼への登り口
14.09.07-003 尾瀬 U 沼山峠.jpg

   ※ 今朝までの雨と、天気予報のせいか、殆んど登山者も居ませんでした。

ここで、お詫び!

   上の写真と、これ以降の写真は同行者2名のご好意に依る提供で構成されています。

   え! 「お前の写真はどうしたのか?」って?
   ・・・・・ 
   実はドジって、カメラを沼山峠の帰り、シャトルバスの中に置いて来たらしいんです。 (涙涙!)
      (シャトルバスの中で荷物の整理をした時忘れたらしい)
   ザックの中に入っているものと思って居た為家に帰るまで気付かず、翌日TELで調べてもらったが
   後の祭りでした。 (「恐らく後で乗ったお客が持って帰ったのだろう」との事でした) 残念!

   とは言え、こうしてブログが書けるのも友人のおかげ!  2人には重ねて感謝している。

さて、本題に戻りましょう。

 

   ◆ 沼山峠出発 (9:55AM)・・・・石積の階段状の道を登ると、木道の登りが続く
14.09.07-045 尾瀬 U 沼山峠.jpg

    ◆ しばらく木道を登った後、ここから下りが始まる・・・日差しが強くなって来た様だ
14.09.07-005 尾瀬 U 沼山峠.jpg

14.09.07-006 尾瀬 U 沼山峠.jpg

    ◆ 今回、沼山峠~大江湿原までの間にはこの様なリンドウが数多く見られた
       (気のせいか、少しスリムで小型の様だった。 もしかして、記憶のものと別種?)14.09.07-008 尾瀬 U 沼山峠.jpg

     ◆ いよいよ大江湿原に出る所・・・・この辺迄30分位
14.09.07-007 尾瀬 U 沼山峠.jpg

    ◆ 大江湿原の始まり ・・・・ 天気も更に回復、空の青さが感動的
14.09.07-009 尾瀬 U 大江湿原.jpg

    ◆ 湿原の名前の由来、大江川
       ・・・川の両側の青い花はトリカブト、右の白い(細長い)花はサラシナショウマ
14.09.07-011 尾瀬 U 大江湿原.jpg

    ◆ いよいよ尾瀬沼が見えて来た ・・・・ 右手奥にヤナギランの丘も見えてきた
14.09.07-014 尾瀬 U 大江湿原.jpg

    ◆ 本道を外れ、ヤナギランの丘に向かう ・・・・ 7~8月にはヤナギランが咲き乱れる所
       旧沼田街道を自動車用にする計画が持ち上がった時、尾瀬貫通道路開削による破壊から
       尾瀬沼~大江湿原等の自然を守った長蔵小屋の3代目・平野長靖(ひらのちょうせい)
       氏や平野家の古老たちの眠る丘。 この丘から尾瀬沼や長蔵小屋などを見守っている。14.09.07-016 尾瀬 U ヤナギランの丘.jpg

14.09.07-018 尾瀬 U ヤナギランの丘.jpg

    ◆ ヤナギランの丘には花が終わって綿毛を飛ばすヤナギランしか無かったが
         丘の正面には晴れ渡った青空の下に、尾瀬沼と長蔵小屋の屋根が光っていた
           湿原の左側を大江川が尾瀬沼に向かって流れている
14.09.07-017 尾瀬 U ヤナギランの丘.jpg

    ◆ 燧ケ岳のビュースポット (撮影姿勢でカメラの形が想像出来るのも面白い)
       --- ここはヤナギランの丘から本道に戻り、少し尾瀬沼方向に歩いた所---
14.09.07-021 尾瀬 U ヤナギランの丘分岐点付近.jpg

    ◆ ビュースポットからの「燧ケ岳」 ・・・ 画面右側の丘が「ヤナギランの丘」
14.09.07-020 尾瀬 U ヤナギランの丘分岐点付近.jpg

    ◆ 同じ場所、同じ時間でも、カメラと視線の高さが30cm位高くなると・・こんなに違う14.09.07-105 尾瀬 S ヤナギランの丘分岐点付近877×585.JPG

    ◆ まもなく尾瀬ヶ原からの道と合流点・・・2人の人が覗いている川が「大江川」
14.09.07-025 尾瀬 U ヤナギランの丘分岐点付近.jpg

    ◆ 大江川を覗くと・・・コイか?(フナかも?) 昔はイワナが見えた・・・と?!
14.09.07-027 尾瀬 U 尾瀬ヶ原・ヤナギランの丘分岐点付近.jpg

    ◆ 大江川の上流方向14.09.07-029 尾瀬 U 尾瀬ヶ原・燧ケ岳方面分岐点付近.jpg

    ◆ 三本松からの長蔵小屋/ビジターセンター方向
14.09.07-026 尾瀬 U 尾瀬ヶ原・ヤナギランの丘分岐点付近.jpg

    ◆ 長蔵小屋周辺 
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    ◆ 旧長蔵小屋付近からの「燧ケ岳」
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この後、簡単な昼食の後帰路となる。(往路を辿る道)

 

 

帰路

Ⅰ. 長蔵小屋~御池

   「長蔵小屋」出発(12:20)沼山峠展望台(13:05)

    ◆ 沼山峠展望台 ・・・ 尾瀬沼が見える最後(最初)の場所14.09.07-044 尾瀬 U 沼山峠.jpg

    写真はここで終ります。

    沼山峠展望台沼山峠着(13:20)シャトルバス発(13:25)御池(13:40)

 

Ⅱ. 御池~群馬(出発点)・・・・・車移動


    御池発(14:00頃)檜枝岐R401R289只見(R252)六十里越え

    小出(R17)小出IC関越自動車道北関東自動車道伊勢崎IC帰着(18:50頃)


 

ドライブデータ


    走行距離合計 ・・・・・ 約600km     (メータ読み:595.8km)

    平均燃費 ・・・・・・・ 22.1km/リットル  ( 26.9 リットル/総消費量)

    ガソリン単価 ・・・・・・ 160円/リットル             4,304 円

    御池・駐車料金 ・・・・ 1,000円/day        1,000 円

    高速料金概算計 ・・・・ 4,600円/往復         4,600 円

   ―――――――――――――――――――――――――――――――――――

        共通経費概算合計               9,900 円
   ―――――――――――――――――――――――――――――――――――

        一人当り経費 (1/3人)              3,300 円 
                + シャトルバス代        1,040 円/往復

        ※ シャトルバス代は、飲食費同様各自清算とした

      

昨日は8月13日、多くの地方では≪盆の入り≫の行事が行われていた事でしょうね。
一昨日の群馬、太田・館林周辺は最高気温29℃と少し涼しいと思ったら今朝方は外気温23℃と戸を開けて寝て居たら寒くて目が覚めた位である。

そして今夜は戸外で24℃、室内でも25~6℃と扇風機で丁度いい。 そのせいか、早くも庭から鈴虫の声が聞こえて来る。(今迄エアコンを使っていて気付かずに居たのかも知れないが、)今年初めて聞いた様に思う。

そうか、それにしても虫達は気温に敏感だね!  なんだか急に秋めいた様だ。

さて、今日のテーマ 【しょうたれぞうめん】と【ナス漬け】

 

【しょうたれぞうめん】

同郷の人なら、「あゝ、あれか!」ってすぐ思い当たる事でしょうね。
ま、細かい説明は後にして、今日は少し涼しくなったので夕食は【しょうたれぞうめん】にしました。

作り方は超簡単、まずは素麺を茹でる→茹で上がった素麺を直接食器に盛り付け生醤油を掛けて食べる。
これが昔のスタイル。
現在では、さすがに生醤油だけで食べる事は無くなったが、昆布つゆ等を茹で上がった熱い素麺に掛け、唐辛子等の薬味を添えて食べる。 いわゆる、≪釜揚げうどんの素麺版≫と考えればいいでしょう。

これに季節の漬物や惣菜、等が有り盛り付け方に依っては立派な和食になる。

しかし、これがなぜ【しょうたれぞうめん】と言われたのか? 正確な理由は分からない。
    私達の故郷では 「しょうたれる」、「しょうたれ」、と言った方言があるが、
       「しょうたれる」・・・・・汚れる、身形(みなり)がだらしない等
       「しょうたれ」・・・・・・汚れ、みすぼらしい
    等の意味に使う、あまりいいイメージの言葉では無い。
それが、なぜ食べ物の素麺と結びついたのかは非常に不思議である。

それはさて置き、この季節の【しょうたれぞうめん】で忘れられない付け合わせがある。
それが今でこそ故郷でも幻の特産物「巾着ナス」の【丸漬け】である。

 

【ナス漬け】・・・・魚沼巾着ナスの丸漬け(塩漬け)

今でこそ巾着ナスは生産者が少なくなり、「幻のナス」と言われて入手困難なナスになっているが、私達が小さい頃、故郷でナス漬けと言えば【巾着ナスの丸漬け】の事を指した。

この【魚沼巾着ナス】、前回投稿『梅雨明けや冷むぎそうめんみょうがたけ』でも少し触れてみましたが、ナスの皮が比較的薄く、実の部分が普通のナスよりしっかり絞まり、漬けても歯応えが良く甘みが有り煮ても煮崩れしない特徴がある。
京ナス系統で、基本的には丸ナス、今市場で多く見られる丸ナスよりは幾分小さい様な気がする。

これを各家庭で大抵は丸のまゝ樽で塩漬けして、1週間目頃から少しずつ食べるのである。

勿論、食卓には丸のまゝ出されるが、これにかぶり付くのも食べる楽しみのひとつ。
     1週間目頃からのナス漬けは、皮の部分が塩味に漬かり、実の部分はまだ生で甘みが強く
     かぶり付くと実の部分が「カリッ」と音を立てる位の歯応えと共に実の甘さと皮のしょっ
     ぱさ、そして新鮮なナス漬けの香りのハーモニーが口に広がる。これぞ新鮮ナス漬けだ!
     ナス漬けの実の中が、徐々に漬かって行く過程がまた美味い。(日々味が変化して行く)
     満遍なく漬かって本格的発酵が進行して行くと、幾分柔らかくなり酸味が出て来る。
     じっくり漬けこまれたナス漬けはそのまゝ漬物として食べても美味しいが、味噌漬け等に
     転用すれば更に美味しい。(でもそれ迄に完食、此処まで残る家は、殆んど無かった様だ)

ちょうど、6月~9月頃が収穫期で、今頃からが秋ナスの季節で、実のしまりも強く甘くなる事から、昔は「秋ナスは嫁に食わすな」と言われた位美味しくなる。
    注 : 「秋ナスは・・・」については別の意味もあるとの説もあるが、それはまた別の機会に・・・

 

【橘 曙覧(たちばな あけみ)】・・・・ならどんな歌を詠む?

唐突ではあるが、久し振りの“しょうたれぞうめん”と“ナス漬け(巾着ナスでは無かったが)”を楽しみながら、もし“橘 曙覧”だったら「この食事風景をどんな表現で詠むのだろうか?」 と、興味が出て来た。

  橘 曙覧 : 坂本竜馬と同じ時代、福井に居て藩主・松平春嶽などとの親交が有りながらも政治に
         流されず 貧しいながらも家族との日常を楽しみとした歌人であり国学者でもある。
          (生家は福井城下の商家)

“曙覧”なら、「熱い素麺とナス漬け」の家族の団欒を、もしかしたらこんな風に詠んだかも知れませんね。


   【 たのしみは汗を拭き拭き麺を喰う子ら眺め見し漬けナスにかぶり付く時 】

 

 

7月28日、 「北陸・東北地方も梅雨明けしたと見られる」 と
     梅雨明け宣言があった、これで全国的に梅雨明けした訳だ。

 

やっと鬱陶しい梅雨空から解放されるかと、ホッとする一方でまた今年もゲリラ豪雨に悩ませられ
る夏では無いかと、一抹の不安も残る。  相変わらず暑い毎日が続いている。

そんな中ですが、私の幼い頃の、「夏の思い出」に少しだけお付き合い頂く事にしましょう。

 

【梅雨明け時期の母の味】

幼い頃、梅雨明けと言えば我が家の夕食には何故か冷麦か素麺が頻繁に登場する様になるのが恒例
だった。

今にし考えて見れば水道の無い時代、冷麦や素麺を冷水で洗う作業は 井戸水か 川水しか無かった
訳で、家の前の小川の水も、雨期には田圃の泥水が結構混じって麺類を洗う気にもならなかったと
推測出来る。
一方で、井戸水となると、手押し式のポンプを使う訳だが、ひとり仕事としては結構大変だった様
だ、そう考えて見ると、梅雨が明けて田圃の水もかき回す事が少なくなり、従って、家の前の小川
の水も清流となるこの季節に隣近所を含め、その【清流で冷麦や素麺をさわす】風習が出来たので
あろう。
 ◆ さわす : 醂すと書くらしい、 柿の渋を抜く為に流水に浸す事 等を言うが、当時、 我が家や
       近所の家々では、麺類を流水で洗う時にも 『さわす』 と言っていた.。

そして小学生の頃、水道が完備してからは川でさわす事は無くなったが、梅雨が明ける頃から麺類
が多くなるサイクルは続いている。
  (最も、全国平均でも夏に冷麦・素麺・うどんの消費が多くなる傾向らしいが ・・・・)

そんな梅雨明けの頃の夕餉に、母が良く作ってくれたのが「冷麦」と「素麺」で、タレは単純に焼
き干し(煮干し)を入れて作ったた醤油味のつけ汁、薬味は 刻んだネギや 七味唐辛子が 定番であ
った。

また、今回のテーマからは離れるが、「ナスやキウリの漬物」はこの季節、食卓から欠いた事の無
い母だった。
特にナス(巾着ナス)の漬物は、巾着ナスの産地以外のスーパーやコンビニでは殆ど売っていない。
皮が薄く、身は歯応えが有り独特の甘みが有る。
半分位漬かった新鮮な丸いナス漬けにかぶり付くと、「カリ」っと音がする。
口の中に広がる半生の甘い中身と、塩加減の効いた皮の部分を口の中で【口中調味】しながら味を
楽しむ。 「記憶の中の母の味」、と言うより 『故郷の味』だが、これについては別の機会に!

 

さて本題の、冷麦・素麺に関する【母の味】

冷麦・素麺に焼き干しで採った醤油味のダシと定番の薬味が多かった夕餉の食卓、この季節だけは
時々変った薬味が出て来た。
実はこの薬味が、私にとって記憶の中の【この季節の母の味】なのである。 それが【茗荷タケ】

    ◆ 食卓の薬味としても、使われる【茗荷タケ】
         (信州伊那谷・Tさんのブログから、ご好意により写真をお借りしました
Taki-01.jpg

   この様な【茗荷タケ】を、細かく刻んで冷麦・素麺・うどん等の薬味として使う。

私の故郷では、昔は大抵の家の敷地内に何故か茗荷が植えてある一画があり、私の家にも御多分に
漏れず茗荷のエリアが有った。
通常、梅雨明けのこの時期には茗荷は葉を繁らせている状態なのだが、時には時期外れの【茗荷タ
ケ】が顔を出す。母は時々これを探し出して、冷麦や素麺の薬味として付け合わせていたのである。

これが私にとって「忘れ得ぬ味覚・風味」 になったのである。

しかし不思議なのは、故郷にいる時は当たり前の事として、周りの人も当然食べている事と思って
いた為、確かめた事は無かったが東京に出てから数十年経ってから、故郷の友人達との会話でその
事を聞いて見たら、「【茗荷タケ】?何それ!」と、誰も知らないと言われてショックを受けた。

故郷を出て50数年以上、私の知る懐かしい【茗荷タケ】には縁が無くなり忘れかけていたのだが、
先日、茨城の知り合いの農家にお邪魔した際、庭の茗荷の中に数本の【茗荷タケ】を見付け、農家
の人が怪訝そうに「食べられるの?」って聞くので、麺類の薬味や納豆に混ぜる等の食べ方を教え、
3本ばかり頂いて来た。

ひさしぶりに冷麦と【茗荷タケ】の風味を味わって、古の母の味をハタと思い出し、この記事を投
稿しようと思い付いた。

実は、【茗荷タケ】と言えば、京茗荷として、室栽培された茗荷タケが料亭などで使われている事
は30代前半頃から、ビジネスで使った料亭などで 夏料理のお品書きに出て来て知っていた( こ
の頃は【茗荷茸】のお品書きが殆んどだった様に思う)のだが、母が出してくれた、あの【茗荷タ
ケ】と元が同じものとは知らなかった。

それにしても故郷では、まさか、私の家だけが【茗荷タケ】をたべていたのだろうか?
少なくとも今日迄は故郷の人達からは聞いた事がない。

不思議な思い出なので【茗荷タケ】について、少し調べて見る事にしました。

ところでこの【茗荷タケ】、商品としては「似て非」なるものが“同じ名前で扱われている事から
混乱を生じない様に、現在の実態をざっと整理して見ましょう。

 

【茗荷タケ】 ・・・・ みょうがたけ

漢字は 『茗荷竹』 , 『茗荷茸』 など諸説有る為、便宜上ここでは 【茗荷タケ】 と致します。

「茗荷タケ? 何だそれ?」 って言う人が意外に多いので最初に概要を書きましょう。

通称【茗荷】と言えば【花茗荷】とも言い、最近ではスーパーやコンビニの野菜コーナーでは殆んど季節に
関係なく売られる様になった、あの【茗荷】は誰でも知っていると思います。

一方の【茗荷タケ】、これも実は花茗荷と基(もと)は同じで花芽(開花前)は【花茗荷】葉になる部分
の発芽直後の状態(偽茎=ぎけい)を【茗荷タケ】
と呼んでいるが、これを食材とする文化は限られた地域
・業
界が殆んどで、東京を始め、大半の地域では大手スーパーでさえ店頭に並ぶ事は稀だった。
その為、一般消費者は知らない人が多いのでは無いかと思う。

意外に、皆さんの自宅の庭、せっかくそこに有るにもかかわらず、花芽の【茗荷】の部分は食べて
も【茗荷タケ】は食べられない部分、と思っているかも知れませんね?

【名前の由来】
  発芽直後の姿が、ちょうど竹の子に似ている事から、最初は【茗荷竹】と呼ばれていたのが後に何かの
  理由で【茗荷茸】と変わって行った地域・業界が有ったものと思われる。
  現在では【茗荷竹】及
び【茗荷茸】の名前が混用されている。
  この為苦肉の策で、流通 商品名は「ひらがな」や「カタカナ」表記が増えている。
  ※ 本ブログでは便宜上【茗荷タケ】と表記する事に致します。

【室(むろ)栽培と路地(ろじ)栽培】
  今、商品として流通している主流の【茗荷タケ】は、昔からの京料理に多く使われるニーズ
  に応える為、大陽光を遮蔽コントロールして、偽茎を薄紅色に着色し、茎を柔らかく長くす
  る為【室栽培】されたものです。 
  【室栽培】の事を【軟白(なんぱく)栽培】とも言う。
  軟白とは、光を当てずに柔らかく白く、エグミの少ない【茗荷タケ】に育てる事。
  ウド(独活)の栽培も同様の原理の軟白栽培が行われている。
  路地栽培は消費地が極めて限定されていて、地産地消的な栽培・物流の形態が多い。

  ◆ 室栽培のワラ室 (例 : 宮城県名取市)
       NHK総合・5月の放送番組:「うまい!」より、TV画面をカメラで撮影
05.25 - 009 (NHK番組【うまい!】みょうがたけ).jpg

    ◆ 室の中、敷きワラの下から出た【茗荷タケ】の新芽
             ・・・ もしかして、この姿が【茗荷茸】の語源?05.25 - 001B (NHK番組【うまい!】みょうがたけ).jpg

    ◆ 室の中で育った【茗荷タケ】の収穫
05.25 - 008 (NHK番組【うまい!】みょうがたけ).jpg

    ◆ 高級食材としての【茗荷タケ】・・・名取市は室栽培【茗荷タケ】の生産量日本一
     (仙台で野菜ソムリエをされているさんのご好意で【MIDORIなヤサイ】サイトより1枚
みょうがたけ みどりな野菜.JPG

         左側のパックに切り揃えられたものが出荷用のもの、右の長いものが収穫時の状態
 

【露地栽培】 ・・・・・ 発芽直後は【茗荷竹】の名がピッタリ

  これは、【茗荷タケ】の為に植えている所は極めて少ない様だ。  むしろ【花茗荷】の為の
  栽培の一部を道の駅などで地産地消で販売される程度。  スーパー等で売られている所は
  長野県南部の一部地域 他、全国ではごく一部の地域に限定されている様である。 

   ◆ 路地栽培の例
      画像検索写真、著作権侵害の恐れがありますが、再度検索しても出展元が見付
      からなかった為、無断掲載させて頂きました。(お心当りの方はお知らせ下さい)

茗荷茸 1.jpg

  通常、これ程育ってしまうと固くなり、あまり美味しくありません。 が、地方に依ってはこの位
  迄、食用にしている様です。
 (外の皮を剥ぐと、偽茎は柔らかい)

  発芽前に、稲ワラや籾殻を数センチ敷き詰めて光を当てないで白い部分を長く育てたもの等も良く
  見受けられる

  【タケ=茸】の漢字を使う様になった由来の推論 ・・・( あくまでも私の推論です)
  京都及び、料亭など一部の地域・業界では【茗荷タケ】を【茗荷茸】と書いている所がありる。
  最も、【タケ=竹】の漢字も正しい名前かどうかわからないが、路地栽培物は【竹の子】に良く似
  ている。
  所が前記の様な【室栽培】で栽培中の室の中を覗くと暗い地中から茗荷タケが発芽している様子は
  【竹の子】と言うよりも、むしろ白いキノコ(菌類) の様に見える。
  そんな光景を見た誰かが【竹】の発音を【茸】と勘違いか、又は意識的に変えた。
  それが商品名として巷(ちまた:料亭等)の支持を受けて【茗荷茸】として広がって行った。
  と言う仮説も成り立つ。

 

【茗荷タケ】の産地

  現在、どんな生産地があるのかザッと調べてみたが、『旬の食材百科』と言うHPの中に、非常に
  良く纏めた記事が有りますので、サイト管理者フーズリンク様からお許しを頂いて下記の通り、記
  事の一部をお借りして掲載しました。(元のサイトにもリンクしてありますのでご覧下さい)

    ◆ 『旬の食材百科』より
旬の食材百科HP―2.JPG

  ご覧の通り、宮城県と京都府で、全国の81%を占めている事が一目瞭然。

  とは言えデータは見方によって色々な意味を持つ。
  データは平成22年度の生産量で、3年前の東日本大震災の影響もあり、現在の比率は恐らく宮城
  県の比率は下がっているだろう事と、室栽培品(伏込み)76トン/路地栽培16トンの比率も変
  って来ているものと思いますが、恐らく増えているのは販売単価の高い室栽培=新規参入の生産地
  で、果たしてこれが栽培農家に取って良い事か否かについては熟考する必要があると思う。

【このグラフで何が見える?】

  私の杞憂であればいいのだが、このデータで見る限り、室栽培物の価格低下か、路地栽培物の生産
  が伸びない限り、【茗荷タケ】全体のマーケットは頭打ちか微増程度であろう。
  しかし、現状では薄利な露地栽培物が増加するとは思えない。一方で一般消費者が高額な室栽培物
  に飛びつく要因が、今は無い。

  もう一度グラフを見て頂きたい。  宮城・京都で81%も占めているマーケットに魅力を感じて
  いない他の産地が幾つあると思いますか?  (潜在的な競争相手の存在)
  もうひとつは、大量に生産されている室栽培品の販売先=ユーザーが料亭や高級レストラン(ホテ
  ルも含む)等高級食材の購買力があるマーケットに限られている事が、逆にマーケットの拡大を阻
  んでいる。
  言い換えると、花茗荷に負けない潜在マーケットが期待出来るのに、高級食材と言う目先のマーケ
  ットだけに囚われた商品戦略では、価格競争の泥沼に、まっしぐらな未来が見えていると言える。

  現在のまゝ何も対策を取らないで推移すると、マーケットサイズの頭打ちと、

     1. 室栽培の生産地が拡大 → 価格競争 → 価格下落 → 生産者の淘汰
        と言う、過去に様々な産物で繰り返された経過が見えて来る。
        新規競争相手としては、あえて取引単価の安い路地物を選ぶ事は考え難い。

     2. 高級食材としての価格が値崩れしても、一般消費者に流通出来なければ、
        同じマーケットサイズでの競争になる → 更に価格低下→ 生産地の衰退。

  となる事は明白。

【どんな対策が有るか?】 

  【茗荷タケ】の産地・農家ではそれぞれにマーケット拡大について、努力されている事と思います。
  しかし、一般消費者への浸透を目指した活動が、中々見えて来ず、生産地に近い地域でさえマイナ
  ーな食材でとして認識されているのが現状だと思う。

  もし、私が【茗荷農家】なら、何をするだろうか?。

  専業の皆さんを差し置いてあれこれ言う立場に無いので、素人目に見た【室栽培】と【路地栽培】
  の、各々についてワンポイントだけ、対策案を挙げて見ましょう。

  【室栽培農家】なら

    3~5年以内には始まるだろう、価格競争への備えを最優先課題として考える。
    (マーケットサイズの拡大より産地間競争拡大 → 海外生産品の脅威も始まるでしょう)

     → 低コスト化・生産効率UPが鍵 → 何件かの農家又はJA単位で【野菜工場化】する。

     ※ 温度・湿度・紫外線コントロール等はレタスなどの野菜工場が先行して成功例は多数。
       室栽培は殆んどの育成行程がこれに置き換えられる上に農家自身の重労働も、かなり
       軽減出来るものと思われる。
       確証は無いが、年間を通じて栽培が可能になる事から、収量も上げられるだろう。
       最大の問題は、イニシャルコストであろう。

  【路地栽培農家】なら

    やはり、【花茗荷】と【茗荷タケ】は車の両輪にするべく、【茗荷タケ】の振興をめざす。

      ① 【茗荷タケ】の漬物等を作り、【花茗荷】の出荷時等にサンプルを付けて送るなど、
         商品化と、知名度向上を計る。(Webサイトでの通販なども活用する)

      ② 同業の仲間とスーパーでも売れる【茗荷タケ】の開発とセールスを積極的に進める。
            スーパー等で扱う条件のクリアー
                   → 第1歩:【茗荷タケ】の「知名度向上」と「安定供給」 

      ③ 生産コスト低減と、栽培効率の改善

      ※ 室栽培同様、野菜工場化は理想的だが、取引単価は1/5以下であろう事から、イニ
        シャルコストの回収を考えると、一般消費者に受け入れられる目安が付く迄はリスク
        が大き過ぎる。

   等と、勝手な事を書きましたが、世界的な和食ブームも手伝って、ブレークの可能性もある【茗
   荷タケ】、近々マイナーでは無くなる可能性も大いに秘めた食材なのである。

 

【母の味再び】

 

【茗荷タケ】、知名度としてはイマイチな食材だが、生産地などではどんな料理で食べられているのか
 調べて見ると、意外に幅広く応用されていて、やはり【花茗荷】と同様の 潜在的マーケット力を持っ
 た食材である。 むしろ、応用食材としては【花茗荷】以上かも知れない。

    薬味・天ぷら・サラダ~カルパッチョ・シャブシャブ、浅漬け・甘酢漬・味噌漬け・・・ 等々

   勿論、【花茗荷】と同じ食べ方もあるが、味噌漬けなどは茗荷タケの方が美味しそうだ。

   以下に幾つか料理のサンプルをご紹介しましょう。

   ◆ 薬味 ・・・・・ 路地物
          まさに、このブログを書く発端となった母の味。細かく刻んで冷麦や素麺の薬味
          として、また同様に刻んで、納豆に混ぜても美味しい。

   ◆ 鰹の付け合わせ ・・・・ 室栽培
          仙台の野菜ソムリエ S さんのブログ MIDORI な ヤサイ より、写真をお借り
          しました。
茗荷タケ料理-MIDORI.JPG

          新鮮なカツオにシャキシャキな茗荷タケ、美味しそう!
 

    ◆ 味噌漬け ・・・・・ 路地物

          実は私もまだ食べた事は無いが、韓流ドラマ・チャングムみたいに、茗荷タケの味
          を思い描いて見ると、およそ想像が付く。
          冒頭に掲載した写真を提供して頂いた、信州・伊那谷のTさんのブログ を見て、な
          るほどこう言う食べ方も有ったか、って改めて気付かされた気がする。
                (花茗荷の味噌漬けは知って居たのにね!)
          そのブログからお借りした写真がこれ、暖かいご飯がぴったり合いそう!
Taki-02.jpg

    ◆ 天ぷら ・・・・・ 室栽培 (路地物も有りだと思う)

          これは、特に説明は要らないでしょう ・・・・・ 省略します。

 

等々勝手な事を色々書きましたが、【茗荷タケ】は、もっとメジャーな食材としてブレークする可能性を持つ
美味しい食材である事に、お気付き頂ければ嬉しいですね。

 

【“九輪草”(クリンソウ)】、この花の原産国が日本である事は意外に知られていない様です。

    クリンソウ : サクラソウの仲間。単体の花は世界で400種以上と言われているサクラ
            ソウの仲間に共通で、花の外形からは殆んど同じで見分けが付き難い。
            しかし花の集合体である草としての体形は、サクラソウの仲間でも最も見
            見分け易い種類と言える。

            ハクサンコザクラやミチノクコザクラ等も同じ仲間であるが、専門家でも
            見分けが難しく、葉の形状・大きさ、植生地域、等で分類されているのが
            実態の様である。

            【クリンソウの】場合、花の付き方に特徴があり、一本の茎を中心に寺社
            の九輪塔の先端部の様に花が輪形に咲き、その輪形が段々と重なって咲く
            姿が、九輪塔に似て居る事から名付けられたと言われて居ます。
            花は下の輪形から段々と咲き登り、やはり下の段から順番に散って行く。
            個々の花の開花期間も1週間位ある為鑑賞期間も長く 千手ヶ浜の場合、約
            3~5週間位は楽しめる様です。 (年によって異なる)

昔は北海道から九州まで、日本の何処にでも自生していて「サクラソウ」の仲間では大型の花として
良く知られた花だそうである。

いつの間にか洋種の「プリムラ (Primula) / サクラソウラソウの仲間」が販売され、一般に広がった
為、「クリンソウ」も元来は外来種だと勘違いして居る人が多いのだろうか。


ともあれ、今年の花期は過ぎてしまったが、そんな日本原種の【クリンソウ群生の原風景】の一部を
ご覧頂きましょう。

 

   ◆ 日光中禅寺湖畔、千手ヶ浜・「乙次郎橋」付近
     ・・・ 左上に見える橋が「乙次郎橋」、橋が通る道の向こうが中禅寺湖2014.06.22  - 076B クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

 

   ◆ 千手ヶ浜 ・・・ こんな素晴らしい自然がこんな身近に
      (赤沼バス停・情報センターで購入=50円のガイドMAPより抜粋)
中禅寺湖畔・千手ヶ浜(クリンソウ群生地).jpg

    此処を訪ねるには、国道120号線の「菖蒲ヶ浜」か、「竜頭の滝」駐車場から、湖岸沿いに
    歩くのが一番いいと思う。

    軽いハイキングと花を楽しみ、晴れれば男体山等対岸のビューポイントも多数有り、時間と共
    に移りゆく風景は、行きも帰りも飽きさせない。 (片道約100分位)

    「歩くのが苦手」と言う方は、赤沼バス停(自然情報センター前)から シャトルバスを利用す
    る事になる。
    この場合、 ①時間帯に依って駐車場確保が難しい ②バス待ち行列が、行きも帰りも有る 
    ので時間にゆとりを持ったスケジュールが必要です。
       (クリンソウ最盛期はどちらも1~2時間待ちは、当たり前らしい)
    ただ、クリンソウの咲く頃は、小田代ヶ原や戦場ヶ原はワタスゲやレンゲツツジも見頃となる
    季節、帰り道は「小田代ヶ原」や「戦場ヶ原」を散策しながら帰るのもお薦めコースです。

    詳細情報は、「千手ヶ浜」「クリンソウ」をキーワードにWEB検索すれば、色々な、サイト
    が検索出来ます。

    私の前回の投稿、 【花ドライブ】(山野草 ・ 初夏 編) からも、日光市観光協会等へ リンク
    出来ますのでご利用下さい。

 

    今年はすでにクリンソウの花は盛りを過ぎてしまいましたが、  「来年は!」  とお考えの方
    は、以下の【クリンソウ見学ドライブ 実践録】が参考になると思います。
 

【クリンソウ見学ドライブ 実践録】


   ◆ 2014 - 6 / 22 (日曜日) 天気:雨天 ・・・ 同行者:兄夫婦

       朝6時20分、赤沼駐車場着 → バスは雨天で季節運行との事で、7:50発
       → 8:20 千手ヶ浜着 → 千手ヶ浜・クリンソウ散策
       → 10:40 千手ヶ浜発 → 11:10 赤沼バス停 → 他へ (以下省略)

   ◆ 千手ヶ浜バス停着時の風景
2014.06.22  - 001 クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

   ◆ 千手ヶ浜への途中にて
2014.06.22  - 008B クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

   ◆ 「外山沢橋」 ・・・ 後は中禅寺湖、下は泳ぐ魚が見える清流
                 日光白根山を源流として、中禅寺湖に注ぐ川2014.06.22  - 013 クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

   ◆ 千手ヶ浜に広がる、【クリンソウの群落】様々
2014.06.22  - 023B クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

2014.06.22  - 030B クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

2014.06.22  - 053B クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

   ◆ 川にはこんな魚も (24~25cm?位のサクラマスと思われた)
2014.06.22  - 048 クリンソウ群生(千手ヶ浜).JPG

   ◆ 近くを歩いていた小学生らしい子供が、 「ゴジラだ!」 って言ってたっけ
        (言われて見れば、納得! 何となく哀愁を漂わせた後姿に見えなくもない)2014.06.22  - 063 クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

2014.06.22  - 045B クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

2014.06.22  - 074B クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

 

 実はこの日、雨の為殆んど雨傘が手放せない状況で有ったが、思ったより発色が良く見た目とほゞ
 変わらない写真になった。

 カメラはコンパクトタイプですべてカメラ任せ、おまけに花は最盛期を過ぎて “残り花” に近い為、
 クローズアップ写真は撮らなかったが、思ったより群落らしさが伝わる写真になったのではないか
 と思う。

 来る前にはこんなに花が見られるとは考えて居らず、「もう花期は過ぎてしまって、咲き残りの花
 が見られたら上出来」、「天気予報も降水確率60%」、今回は コンパクトデジカメ(コンデジ)
 で充分だろう ・・・ って思って来たのが、誤算でした。

 「もっとズームやマクロで撮れるカメラと三脚を持って来れば良かった!」 と、反省。

 その上で、来年はもっと早く、最盛期に来たいものと、痛感している。 

 出来ればもっと晴れた日に!!

         ・・・・・  私も リピーター になりそうです!

 

 参考 : 故郷・南魚沼市からも、意外に近いですよ!  

   ◆ Google マップのナビ検索で、兄夫婦が来るルートを検索した例
      (城内・上原~沼田~金精峠~赤沼茶屋・シャトルバス発着場)

      実際には、この時間に渋滞や休憩時間等をプラスして下さい。
南魚沼市・上原→赤沼茶屋.JPG

 

二十四節季では【小満】(しょうまん)と言われる季節、今年の場合は5月21日~6月5日にあたる。
【小満】とは「様々な命(植物や昆虫、動物達)が大地に満ち溢れる季節」、と言う意味だそうである。

その意味の通り【山野草】たちも、この季節、一気に花開く!   まさに、【野】に! 【山】に!

恐らく、一年で一番多くの種類の花々が咲き誇り、又は蕾みを膨らませる季節でしょう。

今回は、そんな花々の中で これから(6~7月)見頃を迎える【花の群生地】について関東起点の、
ドライブと言う視点で、代表的な幾つかをピックアップして見ましょう。
(下記、開花期・見頃については、一般的な例年の場合。 地形や気候変動により前後します)

 

 

シラネアオイ群生地  ・・・ 見頃:5/下~6/中 頃

   ◆ 春の山野草としては最も良く知られた見応えのある花ですが、
            深山に分け入らずに見られる【自然の群生地】は極めて少ない
2005.06.01 シラネアオイ.JPG

 

     一体どれぐらいの花が有れば【群生】と言うのだろうか?
     多分、此処の【シラネアオイの群落】は、誰が見ても納得出来る群生地であろう!

 

① 群馬県【野反湖・富士見峠群生地】

   ◆ 先々週、5月18日(日)の状況 ・・・・・ まだ1週間以上早く、殆んど芽吹き・蕾状況だった
2014.05.18  野反湖 A5.jpg

2014.05.18  野反湖 シラネアオイ 1.jpg
 

    すでに花芽は開き始めていたが、5月18日現在は上記写真の状況、恐らく約2週間後の6月
    1日頃からは、写真の斜面がびっしりと、シラネアオイで覆われている事と思う。

   ◆ 周辺地図
野反湖 Yahoo! 地図 2.JPG

野反湖 google Map 写真1.JPG

   ◆ 富士見峠周辺
2014.05.18 - 野反湖 (1280×370).jpg

   ◆ その名の通り、富士山も見える2014.05.18 - 野反湖 富士見峠 (2).jpg

     また、上越国境・谷川岳にもシラネアオイの群生が、容易に見られる所がある。

 

② 【谷川岳・天神平スキー場】

     此処は【野反湖】程密生して無いが、十二分に楽しめる株数と、時期に依ってはイワウチワや
     コバイケイソウ等の山野草、或いは天気が良ければ谷川岳等の山岳背景が素晴らしい。

   ◆ 天神平、リフト最高地点(天神峠)A02 谷川岳・天神峠 (リフト山頂駅).jpg

     シラネアオイはこの写真の向こう側(リフトの向こう側)の斜面(ゲレンデ)に、
     比較的多く自生して居ます。

A09 シラネアオイ 谷川岳・天神平 .jpg

A08 コバイケイソウ-1 谷川岳・天神平 .jpg

   ◆ 参考までに、谷川岳ロープウエイの公式サイトからワンカットだけ
谷川岳・天神平ロープウエイ.JPG

 

    標高がほゞ同じ為か、毎年の開花期は野反湖とほゞ同じと考えて良いでしょう。

 

  なお、この他にも交通費や時間に余裕が有れば、佐渡のアオネバ渓谷も有名ですが、標高が低い
  せいか開花時期が少し早いので、もしかしたら今年はもう最盛期を過ぎたかも知れません。

  また、山歩きをするので有れば、 シラネアオイ命名由来の地、日光白根山   に登る事もお薦めです。
  此処は、丸沼スキー場からロープウェイで標高2000m迄登り、群生地迄は、片道2時間位で行ける
  と思います。
   (なお、山頂迄は多少危険な所があります不用意に行く所では有りません。
        ロープウエイは有っても2000m以上の山、軽装登山は事故の元ですのでご注意を!)

 

クリンソウ群生地  ・・・ 見頃:6/中~7/上

◎ 【日光・中禅寺湖畔・千手ヶ浜(せんじゅがはま)】

    此処は、私が毎年行こうと思いながら花の季節に行った事が無い、憧れの地です。

    写真は私の画像が無い為、 日光観光協会のHP からお借りしたものです。
    今年こそは行くつもりですが、「私もこんな素敵な写真が撮りたいもの」と期待して居ます。

   ◆ 千手ヶ浜の【クリンソウ(九輪草)】群落
千手ケ浜 2B.jpg

    此処は環境保護の為マイカー乗り入れは禁止され、タクシーでさえ乗り入れ禁止。
    その為此処に来るには下記の3種類の方法しか有りません。

     A シャトルバス ・・・ 戦場ヶ原の手前・赤沼(茶屋)バス停からのシャトルバス利用

     B 船 ・・・・・・・・ 中禅寺湖を観光船で渡る (対岸2ヶ所から乗れる)

     C 徒歩 ・・・・・・・ 最短は菖蒲ヶ浜(竜頭の滝近く)から湖岸沿いに歩いて約2時間
                   (往復すると、休憩を除いて山道を約4時間です!)

    ◆ 略図 (日光観光協会HPより)
千手ケ浜 1B.jpg

    ☆ バス時刻 等 最新情報は、上記「日光観光協会」又は下記「日光市・観光課」にTEL
      確認してから行かれる事をお薦めします。

    ◆ 日光市HPより (抜粋) ・・・ H26年度は 6月14日現在、およそ6分咲き との事
クリンソウ 日光市HPより抜粋.JPG

 

 

ヒメサユリ群生地  ・・・ 見頃:6/中~7/上

◎ 福島・奥会津【高清水自然公園】 

    新潟県~福島県には【ヒメサユリ】の群生地が、数多く有る。
    中でも此処は、私がリピーターとして、数年に一度は訪ねているお薦めのスポット。
    【大内宿】や【会津若松】等と組み合わせても丁度いい観光ルートかも?

   ◆  高清水自然公園内の【ヒメサユリ】群生地 2012.06.27C -017 高清水・ヒメサユリ.JPG

    シラネアオイ等と違い、草原に咲く花は周りの緑に打ち消される為か、写真にすると、意外に
    群生を表現するのが難しいが、清楚でありながら存在感のあるヒメサユリは、やはり毎年会い
    に行きたくなる花である。

 

 

ハクサンコザクラ ・・・ 見頃:6/上~7/中 

    自生のこの花を見ようと思えば、恐らく1000m以上の残雪が残る様な山を歩かないと
    出会えない花ですが、最近はロープウエイ等で高山に登ると、思いがけず見かける事
    がある。
    しかし、自然の群生地と言うと事情が変る。
    関東圏で、一番近い群生地としたら、日光白根山、木曽駒・千畳敷カール、八方尾根
    位しか、ロープウエイを降りて歩いて2時間以内に群生している所を知らない。
      (数株程度の植生の場所は、数多く見る事は出来るが!)

    もちろん、それ以外の地でも登山をせずに、群生地を見た記憶は無い。

   ◆ 谷川岳・天神峠で見かけた【ハクサンコザクラ】、2株A05 ハクサンコザクラ 谷川岳・天神平 .JPG

    しかし【ドライブ】と言うカテゴリーを離れ、【登山】と言う事になれば話はガラリと変わる。

    3~5時間歩く(登る)だけで様々な所で群落に出会える。
    その中の2ヶ所を挙げるとすると【苗場、山】【会津駒ヶ岳】であろうか。

    どちらも山頂が平な湿原状態になっていて、特に【会津駒ヶ岳】のハクサンコザクラの群落は
    感動ものであった。 (写真が見付からない、DISKクラッシュ時消失? ・・・ “涙” )

    「感動もの」と言えば、少し遠くなるが、  青森県の【岩木山】   には【ミチノクコザクラ】(私
    にはハクサンコザクラとの違いは分からないが)の群生地が山頂近くにある。
    此処の群生地は見事。 花好きの人は近くに行ったら是非とも見て欲しいスポットです。
    しかも、八合目迄はドライブウエイが完備、九合目迄はリフト、そこから歩いて約40分位で
    群生地に行ける
。 (但し、ハイキング程度の装備は必須)

 

コバイケイソウ ・・・・・ 見頃:6/上~7/中 

① 信州・霧ヶ峰高原 (ビーナスライン)

    ビーナスラインと言えば、ニッコウキスゲが有名ですが、レンゲツツジとコバイケイソウの群生
    コラボが見られるこの風景は格別で、個人的にはニッコウキスゲよりも気に入っている。

   ◆ 車山肩バス停近くにて2004.06.18  - 007 コバイケイソウ (車山).jpg

2004.06.18  - 005 コバイケイソウ (車山).jpg

   ◆ 遠くに見える山塊は南アルプス、左側のピークが【甲斐駒ケ岳】
     その右側のピークが【北岳~農鳥岳?】、右のなだらかな山が【千丈ヶ岳】        2004.06.18  - 003 コバイケイソウ (車山).jpg

2004.06.18  - 004 コバイケイソウ (車山).jpg

   ◆ ビーナスライン・イメージ図  (さわやか信州旅.net : 長野県公式観光ウェブサイトより)
ビーナスライン (A).jpg

    ビーナスラインでは【コバイケイソウ】の群生が各所で見られるが、私の好きなロケーションは、
    上図の〇印(車山肩から歩いてすぐ)の所。 (掲載の写真はすべて、この辺で撮影)

 

② 木曽駒ヶ岳【千畳敷カール】 

    此処の【コバイケイソウ】は観光ガイドやパンフレット等で良く知られているので割愛します。
    しかし、一度は行って見たい【コバイケイソウ】の群生地で、他の山野草も豊かなお薦めスポット。

 

 

ビーナスラインで、特に気になる山野草2点 (場所は上記MAP参照)

キンバイソウグンナイフウロ

             ・・・ 見頃:6/中~8/上 頃

◎ 霧ヶ峰・強清水(こわしみず)湿原及び八島ヶ原湿原

   ※  両湿原共に【ビーナスラインの一画】:上記MAP左側上下、〇 印の場所を参照。

    どちらの湿原も季節に準じて多彩な山野草が見られるが、特に【強清水湿原】は昔の田圃1~
    2枚位の極小湿原の中に多彩な山野草が凝縮されている様な、湧水を水源とした湿原なのが
    珍しい。 2013年に新しい遊歩道が整備された。

    目の前の霧ヶ峰ヒュッテに泊って、カッコウの声を聴きながら早朝散歩なんて、贅沢かも?

    【八島ヶ原湿原】については旅行雑誌やガイド・パンフレットなどに詳しく出ているので割愛
    する
が、特に  キンバイソウ  については、最近個体数が激減している様に見えるのが悲しい。

   ◆ 【キンバイソウ】
キンバイソウA.jpg

キンバイソウ.jpg

   ◆ 【グンナイフウロ】
グンナイフウロA.jpg

グンナイフウロ.jpg

 

    両湿原にはこの他に、「アカバナシモツケ」、「霧ヶ峰ヒオウギアヤメ」、「クガイソウ」、
    「オオカサモチ」、「チダケサシ」
等々、数えきれない位の山野草達がこれから 秋 にかけて
    楽しめると思います。

 

 

 

今回の【花ドライブ】(実践編 ②)は、前回 (実践編 ①で) 心残りだった光城山~長峰山の桜です。

GW前半の 4月29日。 天気予報では夕方から雨(現地も群馬も)との事で出発時は曇りでした。 

早朝6時、職場近く・群馬県の宿舎を出発、伊勢崎ICから高速へ→長野道・姨捨SA(約15分休憩)
→安曇野ICで高速を降り(午前9時10分頃)一般道へ→(一気に光城山へ)→山頂駐車場着:9時
20分頃。
天気予報通り、遠くの山は殆んど霞んで見えない状況だが、雲の間から北アルプスの山並みが垣間見え
る状況で、思ったより天気に恵まれた様だ。
桜も散り始めの状況だが、ハラハラと散る桜もまた風流で、残っている花も十二分であった。

 

目的地周辺MAP

   ◆ 安曇野市観光協会発行のガイドMAPより
安曇野MAP  A.jpg
 
  ◆ 上記MAPの今回ルート対象部分抜粋
安曇野 MAP B (光城山・長峰山・大王わさび田).jpg

   ※ MAP中の【安曇野IC】で降りたらすぐに信号を右折、田沢駅前を左折し、次の信号を右折。
     道なりに行って2つ目の左折路を左折して山道を登る。(入口が分かり難いので注意)
       山道をジグザグに登り、上り切った所を左に入ると光城山山頂駐車場が有る。(5~6台分)

 

【光城山】・・・桜と雲海・北アルプスの展望台

   ◆ 山頂の桜
2014.04.29 A- 019 光城山 (9.25 to 10.10).JPG

   ◆ 少し前後するが、【長峰山・展望台】から見た光城山・山頂の桜(ズームUP)
2014.04.29 B- 005 長峰山 (10.08 to 10.31).JPG

   ※ 右側の尾根伝いに【桜並木の登山道が下から続いている】
         ・・・大きな杉に囲まれて、山頂に「古峯神社」が祀られている。

   ※ この光城山・山頂からのみ、晴天で空気の澄んでいる時には【槍ヶ岳】の山頂が見える。
     その【槍ヶ岳】に流れを発して【上高地】(ここから見ると蝶ヶ岳やその左の大滝山の
     向こう側)を周って流れ出る【梓川】になり梓川SA付近で奈良井川と合流し、眼下を
     流れる【犀川】となる。   (「安曇野MAP」参照)
     前の投稿にも書いた通り、この【犀川】が、上杉謙信と武田信玄の戦いで有名な古戦場、
     「川中島」で【千曲川】と合流して【信濃川】となる。

 

   ◆ 光城山・山頂からの【槍ヶ岳】方向 (残念ながら、今回は雲の中!)
     ・・・晴れならばカラスが飛んでいる少し左上、常念岳と横通岳の鞍部に見えるのだが!
2014.04.29 A- 008 光城山 (9.25 to 10.10).jpg

   ◆ 少し移動して、【槍ヶ岳】(上からの桜の枝先端)方向をズームUP
2014.04.29 A- 022A 光城山 (9.25 to 10.10).jpg

   ※ やはり無理でした。【長峰山】からも同様に北アルプスの稜線が眺められるるが【槍ヶ岳】
      は【横通岳】に隠れて見えなくなる。

   ◆ 天気が良ければこんじな風に見えたでしょう  (2012年撮影の例)
光城山 1 (1).jpg
      手前に見える北アルプスの山名は【安曇野MAP】をご覧下さい。 わかり易いでしょう。

   ◆ 山頂でのスペシャルショット
2014.04.29 A- 027 光城山 (9.25 to 10.10).jpg

2014.04.29 A- 024 光城山 (9.25 to 10.10).jpg

2014.04.29 A- 025 光城山 (9.25 to 10.10).jpg

   ◆ 眼下には犀川を渡る長野自動車道と、ドライブイン【安曇野スイス村】2014.04.29 A- 016 光城山 (9.25 to 10.10).jpg

 

 

【長峰山】

  光城山から、車で約10分(今回は空いて居て、7~8分?)で【長峰山・山頂駐車場】。
   (駐車場は10台位のスペース有り)
  昨年は来られなかった為気が付かなかったのだが、山頂には立派な展望台が再建されて居た。

   ◆ 長峰山・展望台
2014.04.29 B- 004 長峰山 (10.08 to 10.31).JPG

   ※ 一昨年、旧展望台(展望櫓)の有った位置に建て直したのだそうで、頑丈で一回り大きく
      立派な建物に変わっていた。
      (一昨年4月末、友人と来た時にはまだ着工されて居なかったもの)

   ◆ 展望台からの眺め・・・残念ながら、アルプス展望は雲の為ほとんど見えない
2014.04.29 B- 015 長峰山 (10.08 to 10.31).JPG

     因みに、晴れて居ればこんな風に見えるはずでした (まだ桜には早い季節)
長峰山 3.jpg

   ◆ 長峰山の山頂では、桜がちょうど満開!2014.04.29 B- 016 長峰山 (10.08 to 10.31).jpg

2014.04.29 B- 044 長峰山 (10.08 to 10.31).jpg

   ◆ 眼下は「安曇野湧水群」のひとつ、【大王わさび田農場】 ・・・ 丸印2014.04.29 B- 018 長峰山 (10.08 to 10.31).JPG

   ◆ 【大王わさび田農場】ズームUP2014.04.29 B- 031 長峰山 (10.08 to 10.31).JPG

   ◆ 長野方向 : 右に見える高速道路はこの山の下を抜けて、安曇野IC方向へ2014.04.29 B- 033 長峰山 (10.08 to 10.31).jpg

   ◆ 長野自動車道・長野方向2014.04.29 B- 037 長峰山 (10.08 to 10.31).JPG

   ◆ 【光城山】方向2014.04.29 B- 011 長峰山 (10.08 to 10.31).JPG

  午前10時35分頃、長峰山・山頂を後にした。

  そして帰り道、山頂からも良く見えて、この前にも立ち寄った
  【大王わさび田農場】へ寄って見る事にした。

 

 

【大王わさび田農場】

  ほゞ午前11時、大王わさび田農場に到着。

  ここ【安曇野湧水群】を利用した【大王わさび田農場】は、何故か故郷・南魚沼市の【泉】
  と呼ばれる地域の昔の風景とよく似た、綺麗な湧水に恵まれた環境で、その川の流れや水中
  の水草等は、幼い頃魚を釣ったりカモの卵を探して遊んだあの頃を思い出させてくれる風景
  である。
  最も、故郷の【泉】では鱒の養魚場は有ったが、わさび田は無かったと記憶している。

   ◆ なぜか懐かしい湧水の川
2014.04.29 C- 009 大王 (11.03 to 12.05).JPG

   ◆ 作られたものと分かって居ても「癒される風景」
2014.04.29 C- 015 大王 (11.03 to 12.05).JPG

   ※ 川上に見えるボートで水路の散策も出来る様です。(勿論有料でしょうが)

   わさび田の写真は前回4/13のドライブで友人投稿の記事とダブる為、今回は1枚だけにします。

   ◆ 4/13 は真っ盛りだったわさびの花が終り、植え替え作業の様子だった
2014.04.29 C- 018 大王 (11.03 to 12.05).JPG

   ◆ わさび田の全体イメージ
2014.04.29 C- 001 大王 (11.03 to 12.05).jpg

 

  軽く昼食を済ませ、午後0時10分頃「大王わさび田農場」を出発。
  真っ直ぐに来たルートを辿り、(群馬の社員寮へ)帰宅。 (帰着:午後3時20分頃)

  

  【安曇野わさび田湧水群】と呼ばれるこの周辺は、数多くの道祖神も多く、天気が良ければ自転車
  でも借りてゆっくり道祖神巡りをしながら水辺や水田に映るアルプスの山並み等をゆっくりと眺め
  たい地域です。

  冒頭の【安曇野ガイドマップ】にも大王わさび田農場の右上に、【早春賦の碑】と言う文字が見え
  ますが、そこからの常念岳~有明山等も絵になります。
  「え! 早春賦の碑って、あの唱歌の?・・」って思い出された方も居られたかも知れませんね!

  そう、あの学校唱歌で知られた【早春賦】の碑です。 この地をイメージして作られたものとの事
  だそうです。   (参考までにYou tube の中の安曇野を背景とした【早春賦】にリンク)

  時にはこんな楽しみ方もいいのでは無いでしょうか?

 

  【参考データ】 (往復)
  走行距離:約440km、ガソリン代:約3,200円(156円/ℓ)、 高速代:約4,400円

 

  天候も、曇りでは有ったが雨にも逢わず、心身共に充実のドライブでした。
 

  しかし、分散型連休とは言えGWのさなか、渋滞を予測して早出をした甲斐も有ったのだろうが、
  光城山や長峰山が殆んど渋滞無く充分堪能出来た事はラッキーとしか言えないと、思う。
  大王わさび田農場でも、店の人に聞いたら、普段の休日と変わらず、との事。

  最も、ここ大王わさび田農場は午後の方が来客数が多いのだそうで、午後3時前後がピークになる
  のだそうだ。 (思うに、帰路、安曇野ICに入る前に立ち寄る人が多いのであろうか?)

   ☆ ドライブは、回る順路に依って、混み具合も大幅に変わるので、柔軟に工夫しましょう!

 

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