映画やドラマで、江戸時代の庶民生活を舞台とする時代劇や物語に、必ずと言う程出て来る川の名前が
【小名木川】。
山手喜一郎、池波正太郎、山本一力、佐伯泰英、門田泰明・・・・・色々な作家がこの川を描いた。
仕事の関係で、今年4月から転勤して来た所がこの【小名木川】に架かる、隅田川から数えて2つ目の
橋【高橋(“たかばし”と読む)】の、すぐ近く。
そこでこの【小名木川】について、前から興味があり少し調べてみる事にしたが、新たに調べて見て今
迄の認識を覆す新説も浮かび上がって来て、中々面白い。
今日の所はまだ、一番最新の情報(書籍)を手にしたばかりなのでもう少し読んでから書きたいと思い、
予告編に留める。
取りあえず、現代の小名木川近況編として、以下小生赴任・4月以降の近況写真でも見てお待ち下さい。
◆ 小名木川:【高橋 (たかばし)】袂からの「東京スカイツリー」 (最近の写真)
桜全盛の頃(3月末~4月上旬頃)
◆ 4月上旬:隅田川口の水門・・・一番高いビルは隅田川対岸の「トルナーレ日本橋浜町」
(水門の向こうに橋があり、その向こうが隅田川。手前の青い管は水道管)
◆ 水門の下には隅田川を運行する水上バスも見える(対岸/箱崎方向を歩く人も)
◆ 高橋(青い水道管の向こう側)を潜って隅田側に向かう観桜船
(ガイドが説明しながら通過して行く)
◆ 水門を潜って隅田川へ(殆んどは右、浅草方面「隅田堤」へ向かう)
◆ 高橋にて:帰り舟 (多分、隅田堤でお客さんを降ろして帰る所でしょう)
桜は散って・・・(4月末~5月現在)
◆ 小名木川/高橋より : 正面の隅田川対岸(高いビルの左付近)が箱崎ターミナル方面
◆ 小名木川/高橋より :ほゞ直線の川筋、 中川・行徳方面迄
◆ 地図で見ると、意外に近い範囲に意外なスポットや旧跡が沢山有った
地図出典 :JTBパブリッシング発行、「詳細地図で歩きたい町・東京 2015」より引用
私はまだ殆んど歩いて居ないが、小名木川関連以外でも、深川と言う地域は
・松尾芭蕉関連 ・平賀源内関連 ・のらくろ ・北の海部屋 ・・・・・etc.
等々、歴史以外でも面白そうだ!
さて、【小名木川】本編について少しだけ触れて置きましょう。
【小名木川】は、德川家康が豊臣秀吉に依って関東への国替え(移封)させられて直ぐに着工し作られた、
言わば江戸草創期からの人工の川である。
つまり、我等の故郷に根付いて居た越後上杉家が会津移封となったその時と、ほゞ同じ時期なのである。
しかも、その川は隅田川~中川迄、ほゞ一直線に、当時としては川幅も広い独特な運河である事。
開削から約30年間は、一般人の通行が禁じられて居たと言う事。
など、定説(德川の記録等)では、【小名木川】開削の目的が、「行徳(千葉)の塩を確保するのが目的」
とされているが、しかし「【塩】だけの目的でこれだけ大規模な運河を作るだろうか?」と言う疑問が私の
中では、何かスッキリしない違和感として引っ掛って居た。
所が最近手にした本で、かなり論理的な説明がなされ、納得が得られた気がしている。
まだ、主流の説明として認知されたものでは無い様だが、私的には納得出来るものであった。
そんな事から【德川家康と小名木川】の関連をもう一度整理して見ようと、思って居る。
近日公開予定! 江戸時代草創期の歴史に興味ある方は是非ご覧下さい。
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