いよいよ来週から師走!
師走になると毎年思い出す事がある、それは雪国ならではの事で、もはや忘れ去られてしまいそうな小さな事だが、恐らく同年代の人達には共感頂ける事だろうと思う。
ちょっと話題にするには季節が早いかも知れないが、「クシキ」と「ガッチャン」と言う言葉、だんだん忘れ去られる運命なのかなあ!
最も、「クシキ」はそのまゝだと思うが、「ガッチャン」は恐らくこの地方だけの呼び名だと思う。
現在の平均的父親・母親世代位から若い世代の人には、同じ雪国暮らしでも殆んど知らない言葉であり、今では知る人の方が少ないのではないかな?
何はともあれ、写真を見た方がわかり易いでしょう!
【クシキ】
◆ 昭和37年1月中旬の写真・・・家の前の雪かきや屋根の雪降ろしには必需品だった
我が家の玄関前、当時12月末~2月下旬迄は早朝自宅前から公道迄、各戸毎に除雪するが、
大抵の家では小学校上級生頃から、これが通学前の我等の仕事になっていた。
そんな時、クシキはシャベル(スコップ)より軽くて扱い易い道具であった。
屋根の雪降しはやはり、雪が締まってクシキよりシャベルが便利になる2月下旬迄、軽くて軽快
に使えるクシキはプラスチックのスコップが出て来る迄、無くてはならない雪国の必需品。
自分の背丈以上に降り積もった雪壁にクシキで縦に切れ目を入れ50cm~1m四方の、大き目な
豆腐の様な雪のブロックを切りだし、思った所に投げ降ろせた時は妙に感動した事も有ったっけ。
【ガッチャン】
◆ スキー靴など学校の体育教師しか履いて居ない時代、我等にはガッチャンが有った
そう、普通のゴム長靴でスキーを履く為の金具、我々はそれを【ガッチャン】と呼んで居た。
スキーを履く時、金具を締める音が「ガッチャン」と聞こえるのが名前の由来と思うが、本当の製
品名かどうかは知らない。
残念ながらボケた写真しか無いが、【スキーに長靴の先端(爪先部)を保持する金具を取り付け
そこからカカト迄革で繋ぎ長靴のカカトを金具で止める事で、スキーを保持する金具】である。
現在の、ノルデックスキーをイメージして貰えればわかり易いと思うが、カカトが持ち上がる構造。
(勿論、現在のノルデックスキー用金具とは根本的に構造や耐久性が違い、比べ物にならない)
この(昭和37年)頃にはスキー技術も進みつつある途上で、写真では付けて無いが、カカトを固
定する為の「ゼンケイ」と言う物が使われる様になっていた。
(名前の由来は、これを付けると前傾姿勢をとれるから ・・・ だと思うのだが?)
これはカカトの後部に金具を取り付け革紐で長靴の上からくるぶし付近に巻き付け固定するもので、
これにより ボーゲン・直滑降・斜滑降 程度しか出来なかったスキーが、簡単なスラローム位迄出来
る様になったものだ。 (ただし、競技用には無理があったと思う)
【スケート】
残念ながら氷の上で滑れる様な場所は我らの故郷(魚沼地方全体)には無く、スケート文化は遅れ
て居たのだと思う。 (本格的スケート靴では歯が雪にメリ込んで滑る事が出来ない為)
が、遊びとしてのスケート文化は先輩から確実に受け継いで居た。
写真は無いが、誰が考案したのか、遊び心には感服する。
【スケート靴の歯型の部分を厚さ1~2cmの1枚の板(木)で切り出し、長靴を結わえ付ける
為の板を歯型の上(カカトの方から見ればT字型)に付けて紐を付ければ外形的には完成】。
更に、氷上・と言うより、固くなった雪面を滑る為には
「歯型の接氷面に、ワックス(鳥獣の油やロウ等)を塗ったり、薄く削った竹の皮やトタン板
を貼って」 滑りを良くする工夫
を加えてスケートが完成する。
と、言う構造のもので、当然市販品は無く各自・自作(もしくは誰かに作ってもらう)もので有っ
たと思う。 (大工であった私の親父も時々頼まれて作っていた様だ)
いつ滑るか? ・・・・・ 今でしょ! なんて言いません!
やっぱり滑るには「雪の固まる条件」が揃わないと滑れません。
雪国育ちの皆さんならもうお気づきと思いますが!・・・ そうです、凍み渡りの時。
田圃や畑の上がちょうど良いスケートリンクとなる訳だ。
でも、個人的には同じ所をぐるぐる回るだけの遊びにはすぐ飽きてしまい、スキー担いで野山に
出かけて、キジ や ヤマドリ、ウサギ 等を追いかける事に熱中する事が多かった。
(今では狩猟免許が無いと出来ない事ではあるが ・・・)
【雪国の朝】・・・・晴れた日に玄関を開けると
上記・記事とは直接関係ないのだが、思い出深い光景が同時期のネガに見付かった。
◆ 昭和37年1月中旬、【晴天の朝10時頃】、自宅玄関前からの藤原山(桂山)方向
この眺めが好きだった!
厳しい吹雪も 暗い雪雲の日々も、
この、凛とした空気と陽光がすべてを洗い流す
こんな日差しが1日有ればこそ、10日の吹雪にも耐えられる
今の私の原点を育てた風景が、ここに有った。
クシキとガッチャンなつかしい言葉だな~。
クシキはスノーダンプに変わった。スノーダンプの登場で屋根雪の除雪は一挙に短縮された。
クシキの使い方は平行を取ってバランスを崩さないように投げおろすのがコツだった。あの頃は時間がかかった。忍耐で乗り切るしかなかった。
スノーダンプの登場は革命的だった。
ガッチャンの金具?の付いた自分の背丈よりはるかに長いスキーを買ってもらった。長年使っている内に板が弓なりになった。
中学時代は暮坪山と奥の長森山で滑ったように思うがどうだったのかはっきりしない。
新堀新田は山が近くになかったのでスキーはうまくならなかった。
朝、寝ている布団の上に吹雪の雪がかぶっていたこともあったな~。
連日の雪の後の太陽の日差しは目を開けらないほどにまぶしかった。
ポンコツPCの通信機能が故障した為、2日近く使えず、返信も出来ずゴメン!
(今日12/1、修理は完了したが仕事の月次報告などで、この時間になってしまった)
クシキについては日本海側の雪国では結構広く使われていた様で、秋田・青森は勿論鳥取でも昔出張先で見た事が有った。 確かにスノーダンプは革命的だったのだろうな。
俺に亘さんの様な絵心が有れば、クシキを使った雪降しの風景なんかを書いて残したいものだが、残念ながらその才能は無いらしい。
ガッチャンについてはもっといい写真が有れば良かったのだが、使った事の有る人にはかろうじて思い出してもらえるだろうと思い、あの写真を使った。
社会人になっても「スキー場で滑った事が無い事」を、同僚達にばかにされ、始めてスキー靴で滑った時、意外にゼンケイを付けて滑って居るのと同じ感覚で滑れてばかにしていた同僚達もびっくりした事が思い出される。(正直、俺自身ももっと難しいと思ってた)・・・ 20才位の時だった
やっぱり暮坪山での学校のスキー授業や野山を駆け回って居た事が基礎となっていた様だ。
吹雪等の後の快晴の朝の思い出は、特に強烈に印象に残るね!
おら家の雨戸(表側の板戸)は所々節穴が有って、明るい朝日に照らされた光が小さな節穴から漏れて来て内側の障子戸に外の様子を映し出す。
そう、自然の作った幻灯機(或いは、針孔写真機)って訳。上下逆さまだけど、外を人や子供が通ったり遊んだりするのが良く見えた。
これを寝床から見て楽しんで居て、いつまでも布団から出ないもんで良く「おっつぁれた」もんだった。
この写真最高です!!
そう言ってもらって良かった。
実は俺も最近迄存在を知らなかった写真で、義兄からTVで見られる様に整理を頼まれた古いネガフィルムから見つけたもの。
特に最後の玄関前からの藤原山の写真は俺にとっては一番欲しかった雪景色。
栄進の家と作業小屋の間からこの角度で見える景色は中学卒業迄、ずっと見ながら育ったた風景だった。
作業小屋から映画館迄の法音寺から田崎方向も探したがこちらの写真は残念ながら無かった。
そうそう、今回の写真より4年前(昭和33年)の写真だけど!
現在の浅草駅(当時は松屋デパート?)の屋上からの、現スカイツリー方向や駒形橋・蔵前橋方向の写真も見付かった。
そのうちブログに載せたいと思って居るよ!
(「乞うご期待」と言いたい所だが、何分白黒で6×6版のシロート撮り、現在補正中だけど画質はあまり期待しないでね!)