現在の小学校入口には二の宮金次郎の石像がたっている。
以前の小学校校舎から昭和48年に移築されたものです。
基礎台座石には「皇紀二千六百年記念」と刻まれていた。
この年は昭和15年で国を上げて各地で紀元2600年記念行事が行われた。
神武天皇即位2600年を祝った年であった。城内でも盛大に行事が行われたことでしょう。
そのような歴史を感じる二の宮金次郎の石像である。
私がこの石像の前を毎日通学した旧城内小学校の頃を思い起こして、懐かしい昭和30年代の上原の家並みをイメージして見ました。
確かな記憶でもないので年代がずれていたり、家並みが違っているかも知れませんがあしからず願います。
現城内小学校入口の二の宮金次郎石造
基礎台座石に「皇紀二千六百年記念」の文字
昭和30年代頃の上原家屋図(イメージ図です)
智通さんこんにちは。
昭和30年代の上原地図いいですね。どこかで使わせてもらいたいです。
小学校の建物、あれよかったですよね。中庭があって。保存しておけばよかったのにと思う。夏休みに体育館で映画を上映したり。
町並みも、地図を見るとよみがえってきます。郵便局や駐在の場所、便利、パン屋、谷口屋・・・。
いやあ! 城内映画管にオラウチ(家)まで、懐かしいねえ。
そうそう、前に秀一君の投稿で藤原の「半鐘」が話題になっていたが、この地図にある城内役場の前の
半鐘も沼田屋の前にある消防小屋の前の屋根(ヒサシ)にぶら下がって残っている。
(Google Map のストリートビュー で見られるよ)
実は俺もこの「昭和30年代上原十字路付近地図」はダウンロードして居たのだが、古い写真を使って
投稿の時使いたいと思ったが、ダウンロード先をメモって無くて掲載許諾をあきらめかけていた所。
作ったのはトモミチだったの?
原本はパワーポイントで作られていた様だったけど!(不都合ならメールで教えてくれそー)
秀一さん この地図を作るきっかけは、あまりにも現在の上原の交差点付近の家並みが昔と変わって頭が混乱したので昔はどうだったかなぁ~と思ってでした。
私は団塊世代で中学校同級生は213名で5クラスでした。
昼休みの体育館はイモを洗うような混雑であった。
一生競争だとも言われた。
60歳代後半ですが昔の学校の面影や通学経路などをじっくり思い出すのも又楽しいものですね。
遅くなりましたが先ほどメール添付しました。
原本はパワーポイントで作りました。
修正していただければ嬉しいです。
有難う、ひさしぶりにパワーポイント使ってみたが、智通の苦労が身に染みて解ったよ!
とりあえず、俺の記憶の情報を追記してみたのでファイルを返信して置いたが、また新しいものが出来そうだったら宜しく頼む。
或いは俺も手伝ってもいいので、この様な【昭和30年代・城内全図】を作って見たいものと思う。
今は廃れた感じの「屋号」も昭和30年代は普通に使われていて懐かしい。
お互いに「屋号で呼び合う」こんな習慣も大切にしたいものだと思う。