ウオーキングを兼ねて近くの集落まで歩いている。小春日和の一日であったので晩秋の下原新田まで足を伸ばして見た。この集落は立派な石垣が続いている。その上には大きな庭木が育っている。冬囲いも手を掛けた作りになっている。これだけ立派な庭木が揃っているのも他にはないようだ。
新田堀の開削と同時に開村が進められた。開村は慶長2年・1597年(約400年前)(新編城内郷土誌より)
長くて大きな棒で回りを囲んでそれを2段の横棒で組む。とても一人では無理と思うが、昔のハッテ場の棒を思い出した。
竹林と用水路:水量が豊富で巾1mの川が区内の中央を流れているのはめずらしい。昔は各戸の石垣の前を流れていたのだろう。苔むしっていて綺麗だ。
総鎮守(稲荷神社)境内の二十三夜塔(太良兵衛作文政二年八月・1819)(約200年前)
関東管領 上杉顕定(あきさだ)公史跡公園 横に河邉清隆揮毫 S63建設)(新編城内郷土誌より)
上船地蔵尊:昔、花水は御蔵米の積み出し地であった。川舟は「こうりんぼう」と言った。魚野川和南津は船の難所であった。船の安全を願って地蔵尊を船に載せた。(新編 城内郷土誌より)
智通さん、秋餅会の時はどうもです。
下原新田は昔風の家というか風情というかが残ってますよね。面白い部落だと思います。ちなみに、上杉顕定公史跡公園の字を揮毫した河邉清隆はおれのじいさんです。智通さんの部落は新堀新田ですか?
秀一さん
先般の秋餅会に遠方からの参加、御苦労さまでした。
わたしも思いがけない参加で城内の伝統料理を楽しむことが出来ました。
秀一さんは、モチつきを体験して昔を思い出したのではないでしょうか。
公園の文字を書かれたのは秀一さんの祖父ですよね。
昔、清隆さんには遺族の手続きで御尽力をいただきました。
大変立派な揮毫ですね。
私は新堀新田神社から下手で3軒目の家です。