ふるさと今昔物語 Part -1

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この「八海山倶楽部」の仲間、智通君の投稿【懐かしい昭和30年代の上原家屋図】に触発されて、少年時代の古い写真を探して見た。

昭和30年代と言えば、まさに我々が少年時代を過ごしたその時期である。
ただ、実際に写真や資料を探すとなると、学校の卒業記念アルバムや文集など僅かなものしか無い事を痛感させられる。

私の場合、その卒業アルバムや文集なども、転勤先の住居で「阪神淡路大震災」に遭い、住んで居たマンションの上階で下水管が破損、居室内に漏れて来た下水の為に思い出の写真や文集など書類の殆んどを失ってしまった。
そんな状況から僅かに残された写真の中に、義兄(姉のダンナさん)が帰省の都度撮り溜めた写真が数枚残って居たので、今回はその写真と、智通の作ってくれた【昭和30年代上原家屋図】、Google Map(ストリートビュー含む) 等から得られた画像を元に構成してみました。

 

故郷の現在と郷土史の城内全図

   ◆ 南魚沼市の中の故郷周辺 (Google Map より)
六日町・城内 MAP A.jpg

最初に、私達の故郷の昭和30年代を語るには、その頃の行政区割を知っているとわかり易いでしょう。
そう、何回かの市町村合併を繰り返して現在の【南魚沼市】となった訳だが、我々の故郷はその頃【城内村(じょうないむら)】と呼ばれる地域で、現在は学校名等の施設名の一部にその名残りを残すのみで、住所や地名からは【城内】の名前は消えてしまった。

上記のMAP(写真)の左下から上に向かって流れる【魚野川】と、写真下部の中程から左上に向かい魚野川に合流する【三国川(さくりごう)】、それに【桂山】【高倉山】【阿寺山】【八海山】【猿倉山】【六万騎山】から【魚野川】を繋ぐ線で囲まれた地域が、【城内村】とされていた。

   ◆ 城内村全図:昭和35年発行「城内郷土誌」より (I Nagumo 君ご好意による)
                     (下記地図の中で〇印・上原(かみはら)が私の実家周辺)
城内村全図(S35年発行・城内郷土誌より)  (1280×749).jpg

   ◆ 現代の観光周辺Map (南魚沼市観光協会発行パンフより抜粋)
六日町周辺マップ.JPG

   注) このMapは便宜上約90°程、右に回転して作られて居ます。(左側が南、右が北)


さて、ちょっと寄り道になりますが、故郷は今【秋真っ只中】。 
山では紅葉が始まり、里では秋の味覚が色々と登場して来て居る頃、今では中々見る事はなくなったが 私達の少年時代、下記掲載の写真の様な【ハッテ(ハサ掛け)】が、家々の回りや畦道沿いに所狭しと並んで居た事を思い出す。

   ◆ 【ハッテ】掛けの風景
      (数年前のNHK番組のワンシーン/画面写真だけなので番組名・場所不明)
ハッテ 1B  (814×534).jpg

私達が子供の頃の【ハッテ】は横には竹竿などを使ったと記憶しているが、この映像はナイロンの綱の様でより密集して干されている様に思う。
こんな所も近代化した訳だが今はそれも殆んどがカントリーエレベーターで強制乾燥・選別・貯蔵用処理する方式に変わっている。

それにしても、この「稲束を投げ・受け取り干す所作」が、懐かしいのでつい写真に残した。
風景としては残して行きたい光景だが、この後の脱穀や選別等の手間を考えると、TPP対策は別としても労働環境改善の為には不可欠な事だろうと思う。

そうそう、その当時【稲刈り(手刈)】と、【ハッテ掛け】【ハッテ外し(降し)】の作業に関連した【稲束運び】の手伝いがモッパラ子供達の仕事になる訳だが、【稲刈り】や【稲束運び】を手伝った初日の夜は、体中チクチクと痛痒くて眠れない事が有ったなあ!
(次の日位から体が慣れて殆んど気にならなくなるのだが・・・人に依って反応も違った様だ)

昭和30年代の農業は 米の増産・増産が叫ばれ、これを目的の秋田・八郎潟干拓が始まったのも昭和32年でした。 (昭和42年から入植開始→昭和52年竣工)

 

昭和30年代の秋景色(生活編)

そんな時代、【生活面で城内の一般的な村の秋】を思い起こして見ると、

9月「稲刈り」に始まり→10月:「米の出荷」「果実・野菜類の収穫」→11月:「文化祭/野菜などの品評会」「漬菜(野沢菜漬け作り)」→11/末~12月中旬:「雪囲い、家に依っては雪池(ゆきだな)作り」で雪の季節に備える事になる。

一方、【自然界の秋】は、
平均的に9月末:標高の高い「八海山の頂上」の紅葉に始まり、里の秋の紅葉は11月上旬に盛りを迎えた。
(年に依って1週間位前後のズレ有り・・・何故か、昨今は更に季節のズレが大きい様である)

   今では八海山の紅葉も、ロープウエイで気軽に見に行ける様になった。

そして【山の幸】。 この時期になると、キノコ、ヤマブドウ、ミヤマツ、エブ(エビヅル/サンカクヅル)、山栗、クルミ、トチの実、アケブ(アケビ)、カヤの実、サルナシ、etc.
そう言えば、良く熟れた【マタタビ】も甘いキウイの様で、サルナシ同様美味しかったな!

その秋も、11月中~下旬には八海山に初雪(冠雪)が来て、「山に3回雪が降ったら次は里に雪が来る」と言われ、里人は根雪が近い事を想定して【ダイコダテ】(冬の間の野菜:大根・白菜・人参などの雪中保管庫)作りなど、雪に閉じ込められる冬の準備を進めてて行く。

   ◆ 城内とは角度は違うが、五日町スキー場からの【根雪直前の雪前線】の例
         雪で白くなる等高線が下がって来る (ゆきぐにネット・ライブ映像より)
hv2012-11-28-12-20 八海山.jpg

この頃だったと思う、宇田沢川や三国川、魚野川に、石の下に産み付けられた【カジカ(魚)の卵】を捕りに行ったっ事が今では懐かしい。

当時は道路の消雪設備も無く、道路の除雪も国道17号線がやっと始まった位で城内村等は対象外、根雪が降ると陸の孤島に近く、自動車も止り、春までは ソリ(橇)を使うか人が担ぐしか物流通の手段が無くなるのである。
現代の若者達には想像も付かない事と思う。
こんな生活についても絵にして残せたらいいのだが、残念ながら私にはその様な絵心が無い。

絵心と言えば、初雪の頃にはこんな(下記・写真)素晴らしい場所が今でも随所に有る、残したい風景のひとつだ。

   ◆ 下薬師堂付近【宇田沢川】堰堤より (2008年12月上旬、前夜の里・初雪)
里の初雪(直後).jpg

    写真下の住宅地、30年代はどんな風景だったのだろうか?

 

昭和30年代の冬景色

今では登る人も居ないだろう「鬼の面山」の尾根繋がりで、私達遊び仲間の間で「暮坪山」と呼んでいた山(小中学校と宇田沢川を挟んだ対岸の山/この山の向こう側では学校のスキー実習も行って居た)の中腹からの写真である。

   ◆ 昭和36年3月末頃、暮坪山中腹よりの上原方向
         (長崎出身・義兄撮影、凍み渡り体験時に撮影したもの)
S36年暮坪山からから上原方向  (1280×388).jpg

下を流れる【宇田沢川】の左対岸に「合同製糸」工場と煙突が、川下(右)には「城内中学校と小学校の校舎」が見える。
背後の山は「金城山」(左)と「坂戸山」(右)。

それにしても、
 「坂戸山(標高634m)」と同じ高さの「東京スカイツリー」が出来るなど、想像も出来なかったなあ!

   ◆ 宇田沢川下流方向 (新堀新田~下原新田・長森方向と魚沼丘陵)
故郷の昔 - 013 (抜粋).jpg

   ◆ 東を見ると【八海山】、手前の集落は【下出浦(しもいずな)】(右奥:上出浦)
故郷の昔 - 010 (抜粋).jpg

 

   ◆ 上記写真の撮影場所:現在の【城内小学校】付近から(早春春)

2007.05.21 _ C (1599×615).jpg

 

写真集・少年時代

個人情報保護の見地からは顔を隠した方がいいかも知れないのだが、何十年も前の顔やすでに鬼籍に入られて居られる方も多い為、写真はそのまゝ掲載する事にします。

なお、写真撮影の年・月・日等は「震災」時にアルバムから剥がしたまゝだった為情報が曖昧になり、年代順で無い場合がありますのでご容赦願います。

   ◆ 昭和30年代の【八海山】と【合同製糸】 ・・・ 左の山が【鬼の面】と呼ばれる崖
故郷の昔 - 001 (抜粋).jpg

    ※ 1  【合同製糸】 ・・・・ 富岡製糸のミニ版、城内周辺での養蚕繭から生糸にする工場。
              近くに行くと繭を茹でる時の独特なニオイが結構強烈に漂って来たものだ。
              当時はあまり良いニオイと感じたことは無かったが、今では懐かしい。

    ※ 2  【鬼の面】 ・・・・・ 昔話・言い伝え等も有るが、宇田沢川に削られた、急峻な崖。
              写真の【合同製糸】と【宇田沢川】を挟んだ対岸の岩壁。
              地層は古いので雑木は繁茂しているが、高さ約80m/約60°位の急斜面。

   ◆ 現在の鬼の面 ・・・ 【宇田沢川】堰堤より (5月上旬)
八海山 -  009 上原 640x480.jpg

    昭和30年代、此処は流が左側の山に直接ぶつかり岩肌を抉(えぐ)って深さ1.5m位、
       幅5~10m、長さ15~20m位の淵を作って居て、我々少年達には格好の「流れるプ
       ール」であった。

     私が泳ぎを覚えたのも、この【鬼の面】の「流れるプール」でした。

    【合同製糸】はこの写真の右堤防、ちょうど写真が切れた辺りから手前右側に有った。
      撮影位置が、ちょうど【合同製糸の煙突が有った辺りのだと記憶している。

 

我が家の周辺

   ◆ 周辺地図 【昭和30年代=屋号の時代・・・上原十字路から下(しも)の範囲】
       (個人情報保護の見地から、直結し易い氏名=屋号の家は空欄にしました)
      なお、本地図は修正要因が多々あると思われる為、情報をお願いしますS30年代上原十字路(下).jpg

智通君が作成した【懐かしの昭和30年代・上原十字路付近地図】をベースに、上原十字路から下の部分を思い起こして作成して見ました。

およそ半世紀前の状況を思い出しながら作成してますので違う所も有ろうかと思いますが、お気付きの点が有りましたら是非教えて頂ければ幸いです。 (必要に応じて修正・補正をして行きます)

なお、細かい文字も、PCで拡大すれば楽に読めると思います。
 (携帯の場合、見難いかも知れませんが、ご容赦を!)

   ◆ 我が家の前の風景
       (前の川が新田堀、前の家のヤギは草を求めて下を覗いている状況)
故郷の昔 - 007 (抜粋).jpg

   ◆ 我が家(左)と隣家(右)の間から前の家の作業小屋兼ヤギ小屋
       (石垣の上が、通称「映画館通り」、とは言っても砂利道、遠くは八海山の裾野)
故郷の昔 - 006 (抜粋).jpg

   ◆ 前の家に行く橋を渡った所での「お袋」と「上原薬師」  (早春の頃)
       (この頃は橋が板橋である事にご注目、背景の建物は上原の「薬師堂」)
       上原の薬師様、言い伝えを信じれば、法音寺成立の歴史と深く係わっているらしい。
       御本尊の薬師像は江戸時代の洪水で右腕を失ったが、近年その右腕が帰って来た
       と言う、数奇な経過を持ち、もしかしたら重要文化財級かも知れない。(盗難が心配)
故郷の昔 - 003 (抜粋).jpg
 
    「薬師様の腕帰る」の新聞記事 ・・・ 新潟日報だったかと思う  (I Nagumo君より)
上原薬師.jpg

   ◆ 2年位後の夏、母と近所の人々
       (背景の建物は「城内役場」と「薬師堂」、その前の大きな石は「二十三夜塔」)
故郷の昔 - 004 (抜粋).jpg

   ◆ 小5の頃の3月頃、隣家の前にて
       (道路が雪で高くなっている事から、村内一斉に行う除雪行事、「雪割り」の前だと思う)
故郷の昔 - 008 (抜粋).jpg

   ◆ 小6の時だが、卒業式の日では無かったと思うけど? (TI 君・SS 君と)
故郷の昔 - 015 (抜粋).jpg

   ◆ 我が家 (年代不明  : 小学校4~6年頃)
        隣に美容室が建つ前で沼田屋が写っている事や、道路から玄関の下り口が
        新しいスロープになっている所から、井戸→水道に変わった頃と思われる。
         前の家の板橋(4枚上の写真)がコンクリート製に変わったのもこの頃。
故郷の昔 - 005 (抜粋).jpg

   ◆ 【一家団欒】 この頃「囲炉裏」が消え「箱膳」が「チャボ台」に、でも「団欒」の時は有った
故郷の昔 - 014 (抜粋).jpg

 

           「ふるさと今昔物語 Part-2」  へ続く

 

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コメント(6)

久さん おはようございます。
懐かしい上原の風景を拝見しました。昔の写真よく大事していましたね。
他所生まれの、私がコメントはおこがましいですが。
昔の写真、私も分かる人がいらっしゃしますよ。重兵衛のおばあちゃんや徳右衛門のおばあちゃんや栄進のじいさまはわかりますよ。私も上原は長いんだなと、振り返っています。
相棒は懐かしく拝見していますよ。余計な事ですが上原のイラスト少し家の順序が違っていますよ、昨日智道さんと、確認しました。

こんな懐かしい家族写真があったのかと改めて驚きました。
私の作った地図からこんなに懐かしいストーリーに発展するとは思はなかった。久の文章力と構成力にはただただ驚いている。
「一家団欒」風景や「ヤギ」「雪割り」前の写真、お母さん、役場の写っている集合写真など、あの頃はまだ物がなく、誰も等しい生活をしていた時代であった。写真の中の何人かは昔の面影が思い出される。
学校前の同級生写真はめずらしい。よく撮影したもんだ。
今回、私が地図を作るに何人かの上原在住の先輩から聞いた話が、この写真の中にいっぱい詰まっていました。
Part-2が楽しみです。
今行われている古希展のように、昔の懐かしい上原付近の写真展などがあると楽しいのだろうと思う。
二枚の地図がスクロールが掛かっていなくて、縮小出来ない状態ですよ。
いや~、見ごたえがあった。

進さん、有難うございます。
今では私よりも遙かに長く住んで馴染んで居られる【城内人】ですよね!
そんな方に「おこがましいですが」なんて言われると、其処で生まれたとは言えタカだか16年程度しか居なかった私は【故郷】について語り難くなります。
今後はこの様な気使いはお互いに止めましょう。
これからは同じ【同郷人】【サイト仲間】として無駄な敬語・敬称なし、友人同士の会話形式にしましょう、気楽に会話するつもりで。
早速、私から実施;メール文は、私→俺・進さん→さん付け無しで!

> 上原のイラスト少し家の順序が違っています・・・

俺もあちこち自信の無い点が多く間違って居る所も多いだろうと思っています。
気付いた点はメール貰えたらブログ記事にフィードバックして行きたいと思っています。是非情報を!
文章が面倒ならフリーハンドで紙に書いたものを、写真に撮ったりスキャナーでコピーしたファイルを添付してもらってもOKです。 宜しく!

智通、有難う!
「阪神淡路大震災」の時、上階から漏れた汚水にたっぷり漬かったアルバムは一時捨てようと思ったが、ふやけてない写真だけ剥がして水洗いして残して置いた訳だが、こうして活用できるとは思って無かったよ。(暮坪山からの写真など何枚かは以前使ったものと同じだが・・・)

> 二枚の地図がスクロールが掛かっていなくて、縮小出来ない状態・・・
メールで送ったパワーポイントのファイルの事?
スクロール設定等は特に変更した事無い筈だけど? 智通のくれたファイルに1ページ追加して、上原十字路からしも(下)の部分をコピーして追加修正しただけだよ。
パワーポイントのバージョンの違いかな? (俺の使用中のソフトは、MSオフィス2010です)

以前メール添付してくれたパワーポイント地図はうまく出来ていました。
問題なくオープン出来ました。
今回のスクロールの件は、このpart-1の中の「城内村全図」、「昭和30年代の屋号」の原画の大きさが大きすぎてPC画面に収まりきれないため全体が見られなくなっている。原画の横幅を1200ピクセル位にして、スクロール機能を付ければ全体を見れると思うがどうでしょうか。

鬼の面山、堂平山、猿倉山、阿寺山、高倉山、桂山など城内を取り囲み毎日見ている山であるが、なんとなく見ているせいか山の名前がすぐに出てこない。
改めて地図で見ると、山の名前が頭の中に入って行くようだ。
ありがたい地図である。

【城内村全図】については横1280×縦749ピクセルに縮小して置き替えたが、やはり文字の判別が難しくなった。(山の標高等は判別不可)

ま、これはやむを得ないとしても【昭和30年代の屋号】についてはやはり横1280にすると、知っていれば判別できる程度にはなるがそんな事をせずに綺麗に読める方法あるならその方が読者に親切だと考える。
そんな理由から、最適な縮小サイズを検討したら、掲載の画像2048×1451がベストと判断した。

ガラ携では無理だろうが、スマホやタブレットではまったく問題無く拡大・縮小が出来るし、PC( Windows 以外は使った事無いので Mac PC 等では違うかも?)では表示画面より大きなサイズの写真を開くと【水平スクロールバーが Windows のツールバーで隠されてしまう現象】を解決すれば容易に見られる様になる。

【ツールバーで隠れた水平スクロールバーの表示方法】
① 表示された画像の上の縁にアイコンを持って行って、ツールバーの分相当を下にドラッグして画像
  の縦幅表示を縮める。
② 画像(表示)の位置を縮めた分だけ上に移動させると水平スクロールバーが出て来るので見えなか
  った部分の表示操作が出来る様になる。

注:この場合、タブレットの様に画像全体の拡大・縮小をするのでは無く、開いた大きな画像
  の表示エリアをスライドさせる機能です。

  マウスで全体の拡大・縮小したい時には一度画像をダウンロードして開き直すと良いでしょう。
  (このブログとは全く関係なくなり、単純に画像操作となります)

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このブログ記事について

このページは、久が2014年10月10日 03:05に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「御嶽山からの火山灰?」です。

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