お待たせしました。 ―――【小名木川 ー おなぎがわ ー】より続く―――
小名木川の同じ場所を、同じ方向から描いた「2枚の絵」の “謎!” 皆さんは解けましたか?
では、確認の為、謎を投げ掛けた「2枚の絵」をもう一度ご覧頂きましょう。
◆ 1,834~1,836年頃 作成された「江戸名所会図」の中の 【小名木川 五本松】
◆ 1,857年に、歌川広重作「名所江戸百景」の中の 【小名木川 五本松】
【2枚の絵の “謎” 】
もうお気付きの事と思いますが、小名木川の
曲り方が「左」と「右」に、まったく正反対
の方向に曲がっていますよね!
これが最大の “謎” なのです。
色々な古地図や資料等を探して見ても小名木
川が曲って居たと言う記録が見当たら無い。
又、この絵の様な、曲って居た川を逆方向に
改修工事(やったとすれば大工事)をしたと
言う記録も無い。
そもそも、5km弱位の見通し可能な距離の
開削工事で、湿地帯の海岸線であれば直線工
事が費用も安く効率的で工期も早いはず。
従って、開削当初は直線状の運河で有ったも
のと考える方が無理が無いと思う。
しかし、それぞれの絵を描く時には曲って居
たと言う事なのだろうか?
(掲載画出典:誌名不明、切抜き保存版より)
2,005年(だったと思う)、神保町の古本市で見付けた江戸時代の古地図や名所案内・浮世絵等が 掲載されていた雑誌を切り抜き目的で何冊か購入し、切り抜いた記事を整理していてこの「小名木川の謎」に気が付いた。
しかし、その時は「後で気が向いたら調べて見よう」位の気持ちで絵の切り抜きをファイルしただけで、その後は忘れてしまって居た。
今年4月、偶然今の仕事の縁で「小名木川」の傍らで仕事をする事になり、再び「小名木川の謎」について思い出した。
そんな訳で小名木川河畔を歩き回ったり、図書館や資料館巡り等をしながら色々調べて見たが小名木川が曲げて作られた記録も、曲げられる要因を想定させる事柄も見付ける事が出来なかった。
最も、小名木川が「一直線である」と明記された文書も無いが、古地図等では直線で描かれている。
そこで、【2枚の絵の“謎”】に付いて改めて考えて見ると、まずは第一の絵「江戸名所会図」。
上記の通り、小名木川は一直線だったのではないかと思うのだが、取りあえずここでは百歩譲って描かれた絵の通り、左に湾曲して居たものと仮定しましょう。
第二の絵、歌川広重が描く「名所江戸百景」迄は約20年の時が流れて居る訳だが、その20年間に特に焦点を当てて調べて見たが、川の湾曲を右へ反転させる様な「天変地異・事件・事故等の要因」は見付ける事が出来なかった。
先にも書いたが、川の湾曲を左右反転する程の出来事と言えば大工事を伴うはず。
そんな出来事ならば、「記録に残らないはずが無い」と思って調べて見た訳だが痕跡が見い出せない。
そんなある日(およそ1ヶ月前)、とある本屋の平積コーナー(主に新刊本などを紹介するコーナー)で出会った1冊の本に「明快な解釈があり納得」、今回はそれをご紹介したいと思う。
この本は中々解けなかった「小名木川の謎」に納得
させてくれる “解” を与えてくれた。
正直驚いた。
私が何年も前から疑問に思って居た2枚の絵に描か
れた「小名木川の謎」について、同様に疑問を持っ
ていた人が他にも居て、その真実を解明しようとし
た人が居た。 と言う事が何だか嬉しくなったね!
更に、今回のテーマとは違うが本書を読み進めて行
くと「地形」や「地質」、それと「地勢学的」要素
を絡めて歴史を解き明かそうとする論法は、非常に
目新しくて説得力がある。
小名木川の開削目的等の点でも塩の運搬以外の目的
が重要と思って居たが、武村氏は小名木川の開削は
「早期関東平定が主目的」とまで言い切っている。
さて。此処では
【2枚の絵から生じた小名木川の曲り方向の謎】
の話に戻りましょう。
武村公太郎氏の
【2枚の絵の “謎” への “解” 】
著者・武村氏の文章をそっくりお借りする訳にもいかないので、箇条書きとします。
1.小名木川は昔も今も、本当は真っ直ぐである。
2.江戸名所会図の絵は、作者が絵画の中で【遠近感】を強調したい為に
奥行として川を左側に曲げて描いた。
3.歌川広重は現場を見ると真っ直ぐの小名木川なのに江戸名所会図では
なぜ川を曲げて描いたか、作者の意図を【遠近感】とすぐに理解した
事だろう。
プロの絵師として、先輩の手法も尊重しながら、自分流の遊び心から
右奥へ曲らせて【遠近感】を織り込んで描いた。
※ 振り返って見ると、歌麿と言う人は川の曲りを反対にした他に「船の
方向を逆」にしたり、東に太陽が昇って(月ではなさそう)いる江戸
名所会図に対して「日の出前の朝焼け(東の空だから夕焼けではない)
を演出」するなどの仕掛けが凄い。
もしかしたら、後の世にこれ等の仕掛けに気付いた人々が頭を悩ませ
るだろう事を予測して楽しんでいたのかも知れませんね!
と言う事で、絵というものは、やはり作者の考え方で遠近感の取り方なども違う事が有り得る事。
「さも有らん」と、納得できる説明である。
なお、原文は上記 PHP文庫【日本史の謎は「地形」で解ける】(第9章)をご参照下さい。
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