あの 【東日本大震災】 から もう5年目、私がこのルートを走ったのは
その2年前、復興の実態 をこの目で見たくて、7年ぶりに辿って見た
国道45号線 沿線 (以下【R45号】と表記します)
R45号線は、仙台からほゞ太平洋岸に沿って北上し、青森県八戸市で内陸に入り十和田市でR4号線と
交差し、R45号線は実質ここ迄。
余談だが、R4号を右折すると青森市方向へ、そのまゝ直進すると国道名がR102に変わって十和田湖
(奥入瀬渓流)方面へ続く。
地図で見てもらえれば お分かりの事と思いますが R45号沿線の殆んどが 3.11の震災と津波の被災
地域に該当している、まさに【震災・津波ロード】なのです。
常磐自動車道 沿線 (今回は3.11関連テーマの為 いわき四倉PA 以北 とします)
震災前、 『常磐自動車道』 はまだ 首都圏 (三郷JCT) から 「常磐富岡IC」 (福島県大熊町)
迄 しか完成して居なかった。
仙台以北への車の多くは 『常磐自動車道』 の 「いわきJCT」 から 『磐越自道車道』 経由で 「郡山
JCT」 を経由して東北自動車道へ迂回していた。
それが現在では 「亘理 (わたり) IC」 迄、 ( 片側1車線区間が殆んどだが ) 完成し、そこから
更に 『仙台東部道路』 を経て 『 三陸自動車道 』 ・ 『 東北自動車道 』 ・ 『 山形自動車道 』
等に接続している。
7年前『三陸自動車道』 もまだ開通しておらず、松島に繋がる 『仙台東部道路』 だけが完成していた
状況だったと記憶している。
三陸自動車道 ・・・・ 東松島以北の被災地への早道
今では『鳴瀬奥松島IC~登米東和IC(現・終点)』 の区間は 「無料区間」 として通行出来、南三
陸町 (志津川・歌津 等)や 気仙沼方面への時間も R45号線で北上する場合に比べかなり時間を短縮
出来る様になりました。 ※ 登米(とよま⇒と読む・・・漢字変換ではまだ『とめ』が出易い)
南三陸町(志津川と歌津)
先月末、 常磐自動車道 ⇒ 仙台東部道路 ⇒ 三陸自動車道(登米東和IC) ⇒ 南三陸町・ 志津川 経由で
歌津 迄、片道約 500km の津波ロード (被災地) を周って来ました。
志津川 と言えば、「若い女性職員が、防災無線で最後まで 避難 を呼び掛け続けて津波 に呑まれ 亡くな
られた」場所 【防災対策庁舎(の鉄骨残骸)】 (メデアによっては「防災庁舎」と略) が保存されて、
いる所。
震災報道でも様々なメデアで繰り返し報道され、陸前高田等と同様に 「壊滅と迄報道」 された象徴的街。
歌津 と言えば、志津川から直線で 約8km(車で15分位)、一村の殆んどが家や舟のすべてを津波で
流されるも、残った人達が助け合って【 いち早く、自力で昆布の養殖を再開 】させた漁村。
(NHKスペシャル等でドキュメントされて居たのが印象的だった漁村)
5年目の3.11を迎え、それぞれの復興状況はどうなのか? 私は自分の目で確認して見たかった。
一泊しかスケジュールが出来ず、車で走りながらの見聞であったが、【旅を終えて振り返って】見れば、
【事前には「復興 とは言っても、言葉だけが先行している状況であろう」とは考えていたが 現地へ行く
と復興現場の 余りにも静かである事(重機や作業員の余りにも少ない状況)が不思議であった】
5年と言えばもっと住宅が建ち始め、商業施設や民間企業の建物等も少しは建ち始めているだろうと思っ
ていた。
だが、確かに、高台移転で家が移転した部分は随所に見受けられたが、街としての機能については嵩上げ
工事の半分も済んで居ない様に見える。 (まだ、街並みなどは形もイメージ出来ない)
行政(特に中央の)考える復興と、現地の温度差が大きく乖離している証拠だろうと思う。
現地の以前からの知人達に聞いたら、「何をするにも作業員が集まらない」と言う事をよく聞く!
【経済原理に任せた野放しの復興では志津川の様な小さな街は息切れして復興計画そのものが瓦解しかね
ない】 と、痛感したのが今回の旅での感想でした。
【金】と【口】だけ出して復興支援をしている政治家達に、国会の会議場を「地元」で実態を見ながら実
態に則した審議してもらいたいものだ。
何も全議員一同に会する必要は無い、共通のテーマ別に県単位でそれぞれの地域に取ってどうしたらベス
トかを、色々な地域からの議員から選抜(自選・多選)して審議して分科会形式で纏め、全国の最終摺合
せ議事を議事堂でやればいい。
それなら議員定数も現在の2/3も居れば充分だろう。議員達の定数削減も楽かも!
与党も野党も、国会議事堂の中でぬくぬくとしながらの論議では、「そう言う実態が、有るかどうもか分
らないので・・・」と安倍総理が答弁して物議を醸している待機児童問題も、復興問題と 【根】 は同じ。
国会議員にも 実態を見ない(見ようとしない?)で党利・党略有りきのあら探し論議(現地・庶民感情を
無視)を繰り返して時間だけを浪費している事に、何の疑問も持たない議員には退場して貰う仕組みが欲
しいもんだ。
なお、本投稿で 【常磐自動車道】 とする区間については、以下記事では便宜上 いわき四倉PA 以北を
対象とします。
1. 3.11 津波の爪痕
時間が許すなら 【陸前高田】 付近迄足を延ばしたかったが、今回は 【歌津】 迄でタイムリミットでした
◆ 関係・広域Map (高速道路SAにて配布の Higway Walker 高速道路地図より抜粋)
今回は上記Mapの【歌津】(地図右中程の“東北”と言う文字の上付近の海岸)から始めましょう。
歌津 (うたつ)
◆ GoogleMapで見た、歌津駅(現在未開通)付近の 伊里前湾・・・志津川湾の一部
◆ 上記Mapの「伊里前」と表記の場所より伊里前湾を撮影
(現在は歌津駅前商店街から移転した10軒程の仮設店舗がある)
現在、気仙沼線は津波で寸断されたまゝで復旧の見通しは無いらしい。
変わりにJR東日本が運行する【BRT】が3年前から運行されているとの事。
◆ BRT (バス高速輸送システム)HP抜粋 ・・・HPへのは リンクは遠慮しています
BRTと言う代替輸送システムがあるとは言え、地元の人にとっては不便この上無い事で有ろう。
また、寸断された気仙沼線は今も各所で無残な状態が続いて居る事を考えると、JR側は再整備
については放棄しているのでは無いかとも思えてしかたがない。
BRTと言う代替措置を恒久の物にする意向では? (果たして住民の同意は得たのかな?)
話し変って、此処 歌津 でも各所で嵩上げ工事が行われて居る。 高さは比較的低いみたい?
◆ Google Map に見る嵩上げ事例(前述の伊里前商店街:現在はプレハブ11棟完成済)
志津川 (しずがわ)
実は今回一番見たかった所だが、実際にはあまりにも嵩上げ工事が想像以上に遅れていて、中心部が
何処になるのか看板さえも見付からなかった。 (気付いたら 防災対策庁舎跡 の横を通り過ぎて居た)
嵩上げ工事をどの程度にするのか、嵩上げの為の土山なのかがわからないが、防災庁舎の回りを中心
に旧志津川市街地全体がピラミットの集合体の様になって居た。
(此処にもあるんですね! ・・・ 五日町 と 十日町)
◆ 志津川湾(志津川河口と旧街並みが有ったエリア) ・・・・ 参考
◆ 【防災対策庁舎】跡 ↓ この下、R45の橋の直ぐ下、志津川左岸
◆ 5年前の東京新聞記事(写真は上記拡大 Map の志津川右側河畔の高台からの撮影と思われる)
この新聞記事に写って居た病院等の建物は、防災対策庁舎の鉄骨以外今は無い。
以下志津川関連の写真はテレビ朝日より今年3月11日に放送された【スーパーJチャンネル】
の 特別中継画像 と重なり、且つTV映像が綺麗でタイムリーな為、TV映像を撮影した写真を
使わせてもらいます。
テレビ朝日【スーパーJチャンネル】、3月11日特別中継より
【防災対策庁舎】の後ろに見える大きな盛り土は、恐らく今後の本格嵩上げ整備で平坦化されて
行くのでしょう。
◆ 同番組の関連画像も参考までに何枚か ・・・
①志津川小学校付近からと思われる
④ 周辺整備の為、4月1日から2年間、防災対策庁舎周辺は立ち入り禁止となる
◆ 志津川湾全体 (志津川~歌津)イメージ Google Mapより
そう言えばこの地はその昔、安倍一族の勢力圏で有った。
安倍貞任の支城の一つが有ったと言う、また、前九年の役で源頼義に負けた時この山城
で隠れ忍んでいたと言う伝説が有るそうだ。 (平安時代中期)
安倍貞任と言えば、現総理は「私のルーツは安倍貞任だ」と言っているとか。
それならば、ルーツの地元の災難に、もっと迅速な施策が行われても いいんじゃねェ!
冗談は兎も角として、安倍一族の中でも貞任は【奥州・藤原氏】の草創期に、大きく係
わった人物。 (藤原氏の祖・清衡に嫁したのが貞任の妹)
NHK大河ドラマ 『炎立つ』 などでも 準主役的存在だった人物。
脇道に反れてしまいましたが、話を戻しましょう、次は 【常磐自動車道】沿線 へ!
2.津波と原発事故に翻弄され続ける沿線
南三陸町(志津川)からR398を登米市方面に戻り、【登米東和IC】から 『三陸自動車道』⇒
『仙台東部道路』⇒『常磐自動車道』 と、高速道路を乗り継いで【南相馬鹿島SA】迄、一気に
南下。 (約2~3時間:時間帯等に依って変わりますので注意)
◆ 常磐自動車道 : 【仙台・亘理(わたり)IC】~【いわきJCT】迄が今回のエリア
2-1. 津波被災地帯 (津波に呑み込まれた穀倉地帯)
震災前、仙台から南相馬付近迄は 『常磐自動車道』 沿線で最大の穀倉地帯。
(2000年頃から減反政策の影響で野菜や果実へシフトする農家も多くなって居たが・・・)
勿論、海岸沿いには漁業もあるが、メインはやはり稲作を中心の穀倉地帯が広がる平野であった。
今回の旅で目立った事は、平野で有るがゆえに津波の影響が海岸から3~5km位の奥迄広く侵入し
特に塩害の影響が、5年経った現在でもかなり残って居る様だった事。
今、【常磐自動車道】の名取~山元付近を走ると高速道路の両脇の整地された田圃のそこ此処に各々
10kg位入っていると思われる青い袋が1区画に付き 数十〜50個以上置かれているのが見えた。
(聞く所に依ると、塩害の中和剤との事)
≪疑問点≫
★ これ程多くの中和剤を撒いて迄手を入れないと、作物が出来ないものだろうか?
★ 中和剤とは言え、出来た作物の安全性に問題は無いのだろうか?
等々と、被災され復興を急ぐ方々には申し訳ないが、一抹の不安を感じさせられる光景でも有った。
また、特に 名取・亘理・山元 付近の農地整理が急速に進み、急激に大型化していたのが気になって
居た。 たが最近の NHKやTV各局の【震災5年目関連の報道】によると、震災の後、
【復興にあたって農業の大型化と生産性向上・先進農業(野菜工場・IT化)等が推奨(行政指導?)され、
多くの小規模農家が何軒か集まって会社組織化して復興資金を元に現状の風景が作られた】
との事でした。
ところが、3年前位からそれ等の会社が経営に行き詰まり始め、今では復興事業で始めた事業者の 約
3割が倒産 又は 危ない状況との事であるらしい。 (TVや新聞等に依る報道情報から)
破綻理由は明らかで、
① 当事者(農家)達が持っている従来のノウハウが先進農業にそのまゝ通用しなかった事
(提案者が、その点の リスクも、事前に説明して指導をして居たかどうかは疑問?)
② 販売ノウハウが等も無く、物は作れても、販路開拓出来ずに売れない (商品と製品は違う)
(これまでは作った物をJAに納めれば良かった人達が殆んどで、販売・物流は素人のまゝ)
③ IT機器・野菜工場等の機器を使いこなせる人材不足・・・・等々
④ 予想以上の残存塩害の影響 (震災由来の塩害)
① ~ ③ の問題については明らかに復興政策上の問題だと思う。
さて、『常磐自動車道』 を【南相馬SA】から更に東京方面に南下し始めると【常磐自動車道】の両側で
風景が一変する。
2-2. 原発事故の影 ・・・ 多重苦を負わされる被災地域
(地震・津波より割り切れない厄災で先が見えない復興の不安)
帰路は16時を過ぎて【南相馬SA】を出発した。
『常磐自動車道』が丘陵地帯を抜ける様な地形になると、ちらほらと見える左右平坦地に地震で屋根や
ガラス窓が壊れた家屋、築数年程度と思えるのだが人が住んで居る気配がしない住宅や集落等が、電
気の明かりも無く、暮れなずむ沿線の暗闇に解け混んで行く。
往路(昨日の午前中)に見た、沿線各地の両側の田畑の随所に大量に積まれた黒い袋は日没と共に、
見えなくなり、段々と常磐自動車道のランプと時折一般道を走る車の明かりがみえるだけとなり、まるで
異次元の世界に入り込んだ様な錯覚に襲われそうだった。
そう、そこは原発事故に依って強制避難を強いられ、当時はまだ帰村が認められて居なかった【浪江町】
や【双葉町】【大熊町】【富岡町】等、帰還困難指定区域を通過する区間でした。
高速道路では運転中の為写真を撮れ無かったので、Googl Map と「ストリートビュー」より
下記参考写真を載せてみました。
◆ 浪江付近の 除染土の一時集積所 (写真下は集積所・拡大写真)
◆ 楢葉地域の除染土一時置き場例 (写真下は ◎部分置き場のストリートビュー)
◆ 富岡地区(相馬方向大熊IC手前) 左側が除染土の一時集積所
今回は『常磐自動車道』を往復しながら目に付いた除染土(放射能汚染土及び汚染ゴミ)の仮置き場について、比較的規模の大きなものをGoogle Map 及びストリートビューから拾って掲載しましたが、『常磐自動車道』から見えただけでも数え切れない位の数が有り今なお除染作業が続いており増え続けています。
更に問題なのはその【除染土】の最終処分方法・保管場所などが未だ( ’16年4月現在 )決まっていない事です。
現状は比較的人目に付かない僻地の【山野】や【山間地・谷筋】への埋め立てでの候補地を物色している様ですが、一歩間違えると【50~100年後の人々の生活空間や水源地等を汚染させる原因】 にもなり兼ねない事を想定して取り組む必要があります。
また、未だ(2月末時点)先の見えない状況で避難生活をしいられている人達の仮設住宅群のひとつ、
相馬市【大野台応急仮設住宅群】も『常磐自動車道』の脇に見る事が出来る。
◆ 相馬市【大野台応急仮設住宅】群
(仮設住宅側は高速より低いので注意して居ないと見逃すかも?)
★ 『常磐自動車道』上の【線量計】表示について
高速道路上の【線量計】は多分片側5個所、往復で10個所設置されていたと思う。
旅の往路、その中の下り(仙台方向)車線4個目の表示が非常に高くて気になっていた。
帰路、反対車線(上り)の同じ位置(だと思う)の表示もやはり同様に高い線量を示していた。
その測定値は、他の測定ポイントの表示は 0.01~0.05 マイクロシーベルトであったが
2/25 往路 (下り) 0.47 マイクロシーベルト (11.00 AM 頃)
2/26 帰路 (上り) 0.58 マイクロシーベルト (17.30 AM 頃)
基本的にはこの数値が直ちに人体に影響を与える値では無い事は分かるのだが、
1) 何故この場所の数値だけこんなに高い値になるのだろうか?
2) 数値の変動幅が、何故 0.1マイクロシーベルト以上/day も振れるのか?
と言う事が疑問になって来た。
もし、2)の変動理由が原発から未だに排出され続ける換気由来のものとすれば、除染作業
が終えた地域でも、数年後には再び汚染の問題が再発するでしょう。
また、もし原発からの排出が続いていると仮定すると 1)の疑問、【風向きに依っては特定
の方向の汚染物質が濃くなる現象】も現象としては説明出来る。
(微量で有っても新な汚染物質が放出され続けて、長期間積もれば問題は大きい筈だが?)
当時は往路も帰路も(原発方向からの)海風で、正確な地名は分らないが【線量計】の位置
は東京から仙台に向かい、原発方向からの海風が谷筋を吹上げて来ていた。
【常磐自動車道】がその谷筋を渡る様に高架橋を連ねていたが、南相馬の丘陵地帯の入口に
位置していた様に記憶している。
(前記掲載Google Map /【福島第二原発】周辺Map・岩井戸農場付近?)
勿論晴天時の事、原発由来だけでなく除染作業や自然の風で舞い上げられた砂塵などの原因
も可能性の一つと考えられる事も併記して置きたい。
2-3. 農産物の風評被害は未だに回復して居ない
2-4. 原発の影響は漁業にも! (これも殆んどは風評被害なのだが)
福島県には大きな漁港は2ヶ所あり、上記掲載Mapの【相馬港】と【小名浜】である。
現在は、いずれも“福島産”と言うだけで市場から冷遇されてしまっている。
(大口のスーパーやデパート・料亭等が敬遠、安値買いたたきなどが横行しているらしい)
その為、福島の漁船も他県の漁港で水揚げしている船が多いと言う、悲しい現実があるとの事。
同じ漁場で捕った魚が「福島産」(福島の水揚げ)と言うだけで取り引き拒否や3~10分の1の
価格で買いたたかれてしまうのは風評による「偏見」でしか無い。
これこそ東京電力や官公庁の食堂などでの御用達として率先して使う事で風評を払拭するべき
責任があるのではないか、と思う。 (農作物についても同様でしょう)
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