11月4日、墨田区の北十間川を端から端まで歩いてみた。城内の新田堀=土井の堀や石万川(こくまんごう)、清水川(しみずこう)をいつか辿ってみるときのためのシミュレーションのつもり。
北十間川は、西は隅田川、東は旧中川に接続するこぢんまりしたバイパスのような川。墨田区の資料によれば、もともと江戸時代、材木を運ぶために開かれた掘り割り。総延長は3.264キロメートルとか。吾妻橋東詰めに建つ墨田区役所の北側、源森川水門から始まり、スカイツリー横を通って墨田区と江東区の境を流れ、最終的には隅田区、江東区、江戸川区の交差する旧中川へと流れ込む(といっても、どっちへ流れているか見た目ほとんどわからず)。 名前の由来は川幅が「十間」だからだそうだ。資料にはたしかに「幅18メートル」とあるが、水のある部分だけだともっと狭く感じる。実際、「墨田区では一番狭い川」とある。読みは「きたじゅっけんがわ」とされているが、本来的には「きたじっけんがわ」のような気がするが……。
浅草・吾妻橋から北十間川樋門
朝九時半、東武線の浅草駅を出発、吾妻橋を渡り、北十間川と隅田川との接続部に。ここが源森川水門。北十間川なのに、なぜ源森川の水門なのかというと、昔この墨田川との合流点から大横川(現在ほとんど公園)までを源森川といったからだそうだ。で、大横川から先の方を北十間川といった。何の「北」なのか? 本所の北又はつながっている横十間川の北だから。今は現森川も北十間川もまとめて「北十間川」とされている。落語に「宮戸川」というのがあるが、これは隅田川の駒形橋辺りから橋場辺りまでの隅田川を表現する古い言い方だ。現森川、北十間川という言い方もこれと似たようなものか。
▲吾妻橋赤ら墨田区方面を望む。スカイツリー左の建物が墨田区役所。その左下、わずかに見える東武線の鉄橋の下辺りが北十間川入り口の源森川水門。なお、中央の金色のビルとその右の人魂のようなもの(実は炎だという話)が乗っている建物はアサヒビール本社。
▲源森川水門。写真左が隅田川、右が北十間川。青い水門の下にちょっと見えるのが枕橋。左上の鉄橋は東武伊勢崎線。
北十間川にかかる橋など
水門から少し行くと「枕橋」(平仮名表記は「まくらはし」)。ここから北十間川の旧中川までに架かる橋や水門を見ると以下のとおりである(青い水道管みたいなものもかかっているがこれは省略)。かっこ内は橋に表示してある読みで、右・左は橋を渡ろうとするときにどっちの方に表示してあるかを示す。隅田川に架かる橋は向かって左が「○○はし」とひらがな表記、右が「○○橋」と漢字表記であるが、北十間川ではこれが揃っていないので、対比がわかるようにこのようにした。
1.源森川水門 2.枕橋(左まくらはし) 3.源森橋(左げんもりはし) 4.小梅橋(左こうめはし)
5.北十間川樋門 6.東武橋(右とうぶばし) 7.おしなり橋(右おしなりはし)
8.京成橋(左けいせいばし) 9.西十間橋(右にしじゅっけんばし) 10.十間橋(左じゅっけんはし)
11.境橋(中央左さかいばし) 12.福神橋(右ふくじんばし) 13.東武亀戸線の橋
14.小原橋(左おはらばし) 15.新小原橋
これら橋がいつ作られたのかは調べていないのでほとんど分からないが、一番新しい橋は7.の「おしなり橋」だ。スカイツリーとともに作られた。名前もご当地キャラの「おしなりくん」と同じで、「押上(おしあげ)」と「業平(なりひら)」の地名の合成。11.境橋は、渡りはじめでなく、欄干の中央に表示されている。
ちなみに「源森川」の北側辺りを昔「小梅」と言った。今でも小梅小学校や小梅通りなどの名前に残っているが、この「小梅」、古い東京下町の人は「こうめ」とは言わない。「こんめ」と言う。しかも「こ」にアクセントを置いて「こんめ」。
▲現森橋の上にあるオブジェ。
▲北十間川樋門。枕橋、源森橋、小梅橋と来ると次に北十間川樋門に突き当たる。
近所の名所 など
▲左から隅田公園の沿革看板、牛嶋神社、大横川親水公園入り口にあるの看板
東武橋から西十間橋
この辺は今一番脚光を浴びているところ。スカイツリー効果は相当大きい。浅草からスカイツリー周辺は人気の散歩コースと言える。
▲東武橋から東。ちょうどスカイツリーの前。
▲おしなり橋。
▲西十間橋。一部工事中。
近所の名所
▲左から大横川親水公園、春慶寺(今はビル)、岸井左馬之助(鬼平犯科帳の主人公の友達)寄宿の碑
十間橋、横十間川から旧中川
十間橋から南に行くと横十間川になる。その向こうが江東区。錦糸町方面に向かう。右手に見えるのは柳の木。この辺柳島といい、柳が多い。
▲十間橋から東方向を望む。横十間川との交差点。右手が横十間川。
▲北十間側と横十間側の交差点にある河川通航標識。一つ前の写真でも右側の柳の木の間辺りに見えている。意味は、左から①船幅の制限。幅3.6メートルまで。②追い越し禁止。③速度制限。④東行き郵優先。東は左の旧中川方面。
▲境橋の南西側に建つ六字名号(南無阿弥陀仏)供養塔・祐天堂。ビニルが被せてあるのが木下川やくしみち道標。
▲福神橋から境橋方面(西)を振り返る。
近所の名所
▲左から吾嬬神社、墨田区緑と花の学習園、同園になっているミカン。
▲ちょっと重なってわかりづらいが、東武亀戸線の橋と小原橋、新小原橋。この辺はススキが多い。さすがにマタイムの屋根を葺き替えられるほどはないが。
▲前の写真よりさらに近づいて撮った。手前が東武亀戸線、奥の青いのが新小原橋、その下が小原橋だがこの位置からだとよく見えない。
▲手前が小原橋で、上の方が新小原橋。小原橋は人や自転車しか通れないが、新小原橋は自動車も通れる。
▲終点の旧中川との接続部。この時期、ハゼ釣りの人が多い。ハゼもたくさん釣れていた。
ボクは山の手渋谷のシチイボーイをしていて、下町エリアはせいぜい浅草に行く程度。隅田川を渡った向こう側に行くことは無かった。
それがこの前、向島百花園に行こうと思い自転車を転がして行って来た。江戸東京博物館にも行ってみたし。
行ってみて気が付いたことは、あの辺の地理や町並みには全く無知なのだが、懐かしい地名がいっぱい有った事。橋の名前にしてもそう。
昔結構読んだ山本周五郎だとか藤沢周平、北原亜以子、池波正太郎等の小説に頻繁に出てくる。北十間川もそのうちのどれかの小説の舞台になっている筈だ。あの辺は時代小説の宝庫みたいなもんだな。
その点では東京スカイツリーなんかよりも、そう言った橋や地名に興味を引かれた。
そうそう、総武本線は藤圭子の歌う『はしご酒』の舞台でも有るな。
♪ 人の情けがひとしずく しみて苦労を忘れ酒 昔恋しい下町の 夢が花咲く錦糸町 よってらっしゃい よってらっしゃい お兄さん
……てか。
自転車を転がしながら、いつかゆっくりこの辺を、地名を確認しながら散策したいものだと思ったが、やはり渋谷からではいささか遠い。
秀一がこれからもこの辺を紹介してくれると嬉しい。
春慶寺に「岸井左馬之助寄宿の碑」(しかも、江守徹が建てた?)が有ったとは知らなかったな~。
(多分、作者の池波正太郎も知らなかったのでは?)
ご本家の「長谷川平蔵の〇〇碑」ってのは何処かに有るのかな?
福神橋には時々お客さんを案内して行った事がある。
スカイツリー全体を入れて水に映せる場所は、この橋が最高。 特に晴れた日の朝方、無風の時はみんなが喜んでくれた。
子供達が手をつないだ間にスカイツリーを入れた構図なんて、意外と喜ばれたね!
昼頃からは逆光気味になるので人物を入れた写真には向かなくなる。
この、北十間川を逆方向に突き当たると、対岸が江戸時代の平井村。
最近の時代劇小説でも佐伯泰英や山本一力などがよく舞台として使う地名だね!
秀一君の所から亀戸は近いと思うけど、亀戸天神と亀戸水神って別なんだね!
恥ずかしながら最近まで同じ場所に祀ってあるものと思ってた。
まだ、どちらも境内に入った事が無いので時間のある時紹介してもらえたらありがたいな!
ありがとうございます。
亀戸天神と亀戸水神は間違える人が多いらしく、東武亀戸線の車内アナウンスでも言ってます。亀戸天神と亀戸水神は違いますみたいなこと。
たぶん亀戸天神のほうが有名で、落語の初天神やおさんの森(これはちょっとマニアックですが)などにも出てきます。
雄も言ってたように墨田区周辺は歴史小説に関係する場所がたくさんあるのでその辺紹介できればと思ってます。ただし、ウィキペディアとかどっかのウェブに載っているようなことはなるべくなら避けたいですけど。
>ウィキペディアとかどっかのウェブに載っているようなこと・・・
は、やっぱりいらないよね!
今回みたいに写真が多い方がうれしいね!
と、言いながら、人一倍文章の多い投稿をしている自分に反省しているのだが、
「近い内に」改善したいと思ってます!
って言っても今は「改善しません」と同義語になるんだよね!
この言葉、こんな不名誉意味で流行語にはしたくないのだが・・・有力候補なんだよね!
もし流行語に入って、表彰式にでもノコノコ出て来たら卵でも投げ付けてやりたいよ!
「何処かに引っ込んで、独りで“のだめカンタービレ”でも歌っていろ!」ってネ!