10月12日と13日、仕事で山形へ行った。
山形県米沢市は、皆さんご存じのとおり、上杉景勝が新潟(現在の地名で言います。以下同じ)から移封されていったところ。その際、「地元」の寺などを一緒に連れて行った。米沢の法音寺、春日山林泉寺などがそれだ。
かねてより、訪れてみたいと思っていたところ、幸運にも山形へ行く機会に恵まれた。この猫は、米沢法音寺の隣にある上杉家の墓の入り口に行ったら近寄ってきた猫。
▼これが米沢の「八海山法音寺」。意外に小さい。大きさは新潟の法音寺の80%ぐらいという感じ。看板の由緒には「藤原の里」や「新潟県南魚沼市六日町」の文言が出てくる。
▼これは法音寺のすぐ近くにある上杉家の墓地。朝まだ早く開いていなかったので法音寺の門から入り口を撮る。
▼上杉神社。これも意外に小ぶりな感じ。だいたい、この近くにある城跡が「城」というイメージからするとかなり小さい。城趾はうちの敷地より小さい感じだ。
▼上杉神社近くにたつ上杉謙信像と樅の木。逆光で見えにくいかな(中央よりやや右に謙信像があります)。米沢は伊達政宗の生誕の地だそうだが、この謙信像の後ろにあるモミの木の2本が昔のNHK大河ドラマ「樅の木は残った」の樅の木だ、とタクシーの運転手さんが言っていた。そうか、今はテレビを全く見ないおれも、昔の「樅の木は残った」は印象にある。
▼春日山林泉寺にある直江兼続夫婦の墓。左が兼続の、右がお船の。米沢に特有の墓の形だという。屋根の下の四角の石はくりぬかれ、そのなかにさらに石が入っている。洪水が出たときにも水を防ぐために使えるのだとかいう話し。
米沢は俺も一度だけ、仕事の帰りに回り道をして通ったことが有る。通り過ぎただけだけど。
その時は上杉家と越後・米沢の関係など殆ど問題意識になかった頃だ。
今ならもう少し気合を入れて見て回ったかもな。
米沢出身の人に聞くと、謙信より圧倒的に鷹山のようだ。
「なせば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」は米沢の各学校に額として飾られているらしい。
マッ、直江兼続もそうだが、どっちにしても豪雪地帯の越後に根を持つ上杉の、人材だけが頼りの治世だったんだろうな。
コメントありがとう。
写真の上杉家歴代藩主の墓地に、当然ながら鷹山の墓もあるわけだが、タクシーの運転手の話しでは、たしか入り口向かって左に偶数の代の、右に奇数の代の殿様の墓があるんだとか。あれ、逆だったかな? ま、左右に分かれているって事だな。