かっぱらい
現在、「新編城内郷土誌」の制作を手伝っている。そこで久しぶりに出会ったのが「学校林」という言葉。季節は忘れたが(秋だったか?)、中学校全員総出で広堀の上(かみ)の方まで歩いて行って、1日がかりで「かっぱらい」をしたことを思い出す。この場合の「かっぱらい」は城内人なら説明不要だろうが、下草刈りのことだ。我々の時代はみんな鎌を持って行って、小木や草を適当に刈った。弁当持参、適当にサボれるとあって結構楽しく、ほとんど遠足状態であった気がする。昭和50年頃の話。
学校林とは
郷土誌関係で預かった原稿や資料を参考に記すと、学校林が出来たのが昭和24年11月。第二次大戦後の資材不足の折、学校建設の資材にしようと文部省、農林省が中心になって学校林設置運動というものを始めた。これにしたがって全国的に学校林が作られることとなった。「学校」が自ら木を植えて育て、後々それを学校の施設などに利用しようとしたものだ。城内では、もと地元の入会地、当時国有地となっていた八海山の、まず釜沢地区4.6ヘクタールを、後に広沢地区の5.6ヘクタールを国から借りて学校林を運営した。借り入れの契約期間は釜沢地区が60年、広沢地区が50年。伐採林を売って得た収益の取り分は城内村8、国2。両地区でこれまで約3万本の杉が植栽されたが、契約期間終了により平成22年、釜沢地区の杉は伐採され、城内中学の図書室書棚や長椅子となったりしている(広沢地区も契約期間終了のはずだがその記述見当たらず)。
昭和25年には学校林コンクール全国予選新潟県予選第3位。33年、学校林郡育林コンクール表彰状・賞品受領。35年、県育林コンクール入賞等々。
写真は学校林の30年記念誌(表紙)、だから昭和54年発行のもの。なお、私はこの本を持っているわけではなく、この本の10ページ分のコピーを持っているだけ。どなたかこの本持っていたら貸してください。
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