城内レポート~突然の大雪~

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12月8日(土)、新編城内郷土誌の関係もあり新潟に行った。

天気予報では雨だったが、幸い雨も降らず曇りながら穏やかな天気。

今は何気ない景色だが、何年か後にはまた変わっているんだろうなあ、と思いつつ写真を撮る。

翌9日(日)は前夜から降り続く雪で一面銀世界。一晩で30センチ近くも積もった。

10日(月)も降り続き私が帰る頃には60センチぐらいも積もっていたような気がする。いきなりの大雪だ。

雪の積もる前と積もった後の写真を比べてみた。

なお、月曜日も新潟にいたのは、有給取ったとかではなく、日曜日に新潟~燕三条間が停電で列車がほとんど動かなかったので、東京への帰りをあきらめたため。

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▲言わずと知れた(?)雷電様。雪のない方は12月8日、ある方は9日撮影(以下同じです)。

 

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▲藤原にある茅葺き屋根の家。城内でも茅葺きというのは珍しい。ほかにあったか?

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▲六部の前から下の方。

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▲12月8日撮影。左はドイノホリ、右はコクマンゴウ。

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▲上原の富士塚(富士塚)。遠景と近景。今回新潟に帰ったとき聞いたところ、「寺浦百塚」の古墳群のあった「寺浦」は、西珠院の東辺りからこの藤塚辺りにかけての場所だそうだ。下原の鎮守様(今回写真掲載していない)の裏辺りは確かに段丘になっている。

25%おんのつらDSC00394.jpg25%ざっぽりデンベエ裏DSC00402.jpg

 

 

 

 

 

 

 

▲左は、城内中学校の辺りから宇田沢川の上の方、つまり鬼の面方面を望む。昔はここら辺でよくハヨがとれたが。右は無残にもコンクリート詰めにされた藤原のザッポリ。竹林はデンベエので、椎茸を作っていた。

以上です。

 

 

 

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コメント(6)

フーム、
我が家も写っていて、懐かしいのう。
雷電様の写真もいい。

こう云う情報が地元から頻繁に届けばいいんだがなあ。
特に「芸術作品」でなくてもいいんだけど。

地元から聞こえてくる話では、今回のドカ雪は非常に重いそうだ。正月には帰省する積りだが雪おろしに明け暮れるか。
新幹線は雪に強いが、上越線だのほくほく線だの、在来線はホンの少し雪が降っただけで見通しの立たない不通になる。在来線には金も手も回らないようだ。

こう言う比較、いいね! (昨日と今日、或いは普通の景色と雪景色 etc.)
特に茅葺屋根の家、城内にもまだあったんだ!
柿の木がまたいい、この雪景色は俺達が東京へ集団就職をした頃の城内を、彷彿とさせる風景だ。
何処を歩いてもこんな風景だったなあ! 無機質な雪の白さの中に、赤い柿の実が余計に鮮やかに見えたっけ。
何だか囲炉裏で焼いた渋柿の、少し渋さも残るが温かく甘い味も思い出した。
茅葺の家と柿の木の雪景色、額になるな~!

富士塚、俺の遊んで居た頃は杉の木は2~3m位の幼木だった。稲荷様の社はもっと大きな建物でもっと鳥居に近かったと思う。(2つの塚の位置から推定)
周囲は富士塚の塚も社も見えない位の雑木林だった
その裏側に川が有って、これが新田掘かザッポリかゴクマンゴウ(石万川)か、俺の頭の中ではツツになっている。

この茅屋根が、もう2、3年で無人となる筈の我が家だ。

そうか、知らなかった。
今の内にいい写真をいっぱい残したいものだが、雄は東京だしいい写真のチャンスは中々難しそうだね!

>その裏側に川が有って、これが新田掘かザッポリかゴクマンゴウ(石万川)か、俺の頭の中ではツツになっている。

富士塚は新田堀(どいのほり)と石万川に挟まれています。東が新田堀、西が石万川。なんか意味ありげな位置関係ですね。

そうか、川の名前はあやふやだったが構造的には記憶が正しかったんだ!

つまり、石万川は藤原の山の反対側・深沢あたりで三国川から取水され、田崎付近で上原(俺ん家の前を通り)~宇田沢川の下を潜って長森新田へ行く川にと、田崎から新堀新田と上原の境界(富士塚の裏50m位の所の段差下)を流れる石万川に分流していたんだ。
そして、藤原からの新田堀(雑堀が上手の川だったっけ?)が上原では「ミズオシ」と呼んだ森を抜けて「ハコドヨ」を通り当時はやはり富士塚の裏の段差の上を石万川と並行して流れていた。
石万川は段差に沿って富士塚の200m位先で左へカーブし、「コウエン墓の森」の下原側へ周って行く。
一方、新田掘はほゞ直進していた。
土地改良事業の時に石万川も新田堀も整地に伴い直線化する過程で富士塚を挟む構造になったものと思う。

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