富士塚

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富士講と富士塚

 10月19日朝、富士山を見ると白くなっていた。18日は雨だったので見えなかったが、たぶん18日から19日にかけて初めて雪が積もったのだろう。私の部屋からは富士山が見えるので、毎朝富士山を拝んでいる、ということはないが、山岳信仰は昔からあるようで……。我らが故郷の八海山も信仰の対象として有名で、八海講というのも組織されている。
 富士山信仰者の集団である富士講は最も有名だし人も多い。今でも、信仰としての登山ではないが、富士登山は大流行で、特に御来光の見られる時間帯の頂上付近は超混雑している。台東区下谷の小野照崎神社にある台東区教育委員会の掲示板によると、富士山信仰は室町時代末期頃に起こり、江戸時代中期にはかなり流行った。富士山に似せて作った富士塚も数多く作られ、江戸近郊で50以上はあったという。
 富士講ではみんなで富士山の麓辺りにある御師(おし=指導者)の家に泊まって富士山を目指した。が、実際登るとなるとお金もかかるし時間もかかるし、それに当時は交通事情も悪いしで、皆が登れるわけではなかった。で、それが出来ない人のためにも、模造の富士山を作ってこれに登る。そうすれば本物の富士山に登ったのと同じ御利益があるというわけだ。

 先日、近所の富士塚のある(あった)神社に行ってみた。(写真やっぱり傾いてますね(^^;))

浅草富士浅間神社(台東区浅草5丁目)

 浅草寺の北というか裏手といって真っ先に思い浮かぶのが吉原だが、その手前、浅草寺裏から300メートルほど北に行ったところに浅間神社(元禄年間1688~1703の創建とのこと)がある。ここに富士塚があったという。現在、富士塚はないが、手水鉢に富士山の溶岩が使われており、その名残を見せている。またこの辺は、台東区立富士小学校や富士公園があり、富士と因縁深い感じ。
 祭神は浅間神社の代表的パターンの一つ木花咲耶比売命(このはなさくやひめのみこと)。

 ●浅間神社の手水場

浅草富士30%.jpgのサムネイル画像

 ●浅草の浅間神社社殿     ●おまけ-吉原大門(よしわらおおもん)に立つ何代目かの見返り柳

浅草富士浅間神社30%.jpgのサムネイル画像吉原見返り柳 30%.jpgのサムネイル画像

 

 

 

 

 

 

 

 

石浜神社(荒川区南千住3丁目)

 浅草寺から隅田川沿いに上流(北東)へ向かい、白鬚橋を右に見ながら数十メートル行くと石浜神社があり、この境内に富士塚がある。宝暦8年(1758)の建立という。
 またこの境内には、真崎(先)稲荷があり、池波正太郎の小説「剣客商売」の主人公、秋山大治郎の道場兼住居はこの近くにあったという設定。真崎稲荷は小説中に頻繁に登場するので知っている人も多い。しかし、実際石浜神社に行ってみると、大々的に真崎稲荷神社を宣伝しているわけではないので注意して見ないと見落としてしまいそう。大正15年(1926)、石浜神社に併合されたとのこと。
 祭神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)と豊受姫神(とようけひめのかみ)。なお、豊受姫神は真崎稲荷の祭神。

 ●石浜神社境内にある富士塚

石浜神社富士塚30%.jpgのサムネイル画像

 ●石浜神社本殿     ●石浜神社の一部と隣にある東京ガスのタンク

石浜神社30%.jpgのサムネイル画像DSCF2388 30%.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

小野照崎神社(台東区下谷2丁目)

 小野照崎神社(寛永2年1625年創建?)は、浅草寺から行くと、石浜神社と反対側、西北方向にある。 ここの富士塚は、下谷坂本の富士塚として有名で、昭和54年、国の重要有形民族文化財に指定されている。高さ約5m、直径約16m。坂本というのは昔の村の名前。
 平成24年10月現在、重要有形文化財の数は212。東京都ではこのほか、江古田の富士塚と豊島長崎の富士塚がやはり昭和54年に重要有形文化財に指定されている。
 小野照の祭神は、小野篁命(おののたかむら)と菅原道真命(すがわらみちざね)である。

 ●小野照崎神社内にある藤塚

20121020小野照62%.jpgのサムネイル画像


上原の富士塚(城内)

 城内にも富士塚があるということは知らなかった。上原の故廣井正さんの文章を引用すると、「上原の西方、下原と新堀の境に接して、大字上原新田字富士塚がある」。場所はたぶん今の上原保育園の前をとおる道を下原方面に下ったところだと思う。だだっぴろい田んぼの真ん中にぽつんとある林の中が多分そこだろう。ここには2つの塚と稲荷様が祀られているが、創立等については不明だという。伝説によれば、源頼朝が富士の裾野で巻き狩りをしていたときに逃げ延びた狐が住み着いたとのことだが、この話は私もどっかで見たことがある。天和の検地帳には「藤塚」と記されているという。富士山信仰なのだろうか? 八海山の下にありながら?

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コメント(7)

千駄ヶ谷の鳩森八幡にも富士塚が有って「登山」したことが有る。
東京の富士塚の中で、ここが高さでは一番だとか聞いたことが有るなあ。
城内に富士塚が有るとは知らなかった。

上原の藤塚(子供の頃は富士塚とは教わった記憶がない)は子供の頃の遊びのメインエリア。
雪解け前の凍み渡りで藤塚の雑木林に赤木(あかっき)を取りに行ったり野兎やキジ・ヤマドリを捕まえに行ったっけ!
場所は秀一君の言う通り、今の保育園から新堀新田へ行く途中の左側に今もある。
(トモミチの家から八海山を写した写真に時々うつってた)
土改前は、藤塚の左側を通って新堀新田に通じてた。

藤塚の周りは今と違ってかなり広い範囲が雑木林で、キツネは見た事無かったが 野兎、キジ、ヤマドリ、はよく罠(今は禁止だが)を作って捕まえたっけなー。
今は大きな杉が数本で囲んでるが、当時は周りの雑木と背比べをしている程度の若木だった。

そう言えば、藤塚の後ろを流れていた川を「ザッポリ川」と呼んでいた気がする。
(今も川はあるが、同じ川かどうかは不明)
藤原からミズオシ→ハコドヨ→と、流れて来て藤塚の後ろを流れ西珠院(下原)の方へ流れる小川。(城内郷土誌では石万川となっているが?)
ザッコスキをしたり、菖蒲湯用の節句菖蒲も大抵ここで採ったなも。

もう1本藤原から上原へ流れて来る川は上原の旧・城内映画館前(実際はゲンロクの前)でオラショ(実家)の前の川に半分合流、あと半分はトヨで渡して下原の方へ流れて行く。(これは今も同じらしい)

コメントありがとうございます。
藤塚はやはりあそこでしたか。今度のぞいてみます。
それにしても「藤塚」とは、城内には「藤原」もあるし、「藤原麻呂公」の話しもあるしで、「富士山」とは関係なく、そっちの関係ですかね。そのほうがしっくりはきますが。
久さんのいうザッポリはたぶん藤原でもそう呼んでいる川と同じだと思いますが(?)。ん~でもよくわからんです。藤原のほうから流れるとドイノホリへ流れ込むような気がするし・・・。「城内の水路」も面白いテーマですね。東京みたいに「見えない川」も作られているし。
あと教えてほしいのが、寺浦(裏?)百塚のあった(ある)場所です。郷土誌読んでもいまいちわからないのです。そのへん記事で書いてもらっても面白そうです。

>寺浦(裏?)百塚のあった(ある)場所・・・
ちょっとわからない!
ただ、小千谷の三仏生遺跡について調べて居た時、此処にも百塚と言う所があった。
夕日長者・朝日長者の伝説もある様だし、何か城内との係わりがあるのかも知れない。

三仏生百塚については下記URLから概要がわかると思う。
http://www1.ocn.ne.jp/~odiya/home2/bunkazai/keshiki/sanbusyo.html

寺浦百塚はおれも郷土誌やって知ったんです。たぶん上原と下原の間あたりです。郷土誌にあるその部分を要約してみます。要は昔の遺跡なんです。
三国川の氾濫によってできた河岸段丘にある遺跡で、昭和47年魚野川東部開拓建設事業による土地改良工事を始めるに当り、急遽六日町教育委員会が新潟県文化行政課の応援を得て発掘調査を行ったといいます。
従来下原百塚と呼ばれてきましたが、上原の小字寺浦であることから寺浦百塚と呼称することにしたそうです。以下、郷土誌そのまま載せます。版権大丈夫かな? これ、おれだとわからんのです。(版権やばいなら削除します)

一連の塚群の配列は、下原の諏訪神社が西珠院の南三百メートルにある。西珠院の東浦一帯のおよそ一キロメートル、南北四百米が小字寺浦であり、諏訪神社を中心に北西三○度の方向で約六百メートル、幅二百メートルの小字上ノ前がある。この西南面に比高三メートルの段丘崖が東南に向かい伸びている。段丘下に石万川がながれている。下原百塚のある小字上ノ前と寺浦を境にして城内八ヶ堰(通称ザッポリ川)が流れている。

ん~! 
どうも俺の見て居る郷土誌とは違う様だ、こちらはS34年発行版のコピーで、秀一君の見て居るものは最新版と思われる。

こちらの郷土誌には百塚の事は載って居ない様だ。(スキャンコピーデータの為見逃しているかも知れないが)

ただし、藤塚の後ろを流れていた川の(新堀新田側)の土手が2~3m位の段丘で西珠院のほうへ行くと段差は小さくなったと思う。
この段差はハコドヨで10m位(以上?)の大きなものだったと記憶。

ただ、書いてくれた文章から推測すると、現小学校のあたりから藤塚の雑木林の横を通り新堀新田に行く道とザッポリ川(?)が交叉する(ちょうどザッポリ川が下原の方に大きくカーブした)あたりから段丘の下にも川が平行に流れていた様な気がする。(これが石万川?)・・こちらは水量も多く深い為子供が遊べる所では無く記憶も乏しい。
とすると、寺浦百塚は藤塚の川下の方では?・・・?

>版権大丈夫かな?
利益目的でなく、出所を明記してあれば原則問題無い。
ただし、Web等からの流用は、原稿を盗用(無断借用)しているものもあるので注意が必要。
このばあい、連座して訴えられる可能性もある。
(必ず掲載許諾のメール等を残して置くと良いでしょう)

上原の富士塚、或いは藤塚の場所、実は最近まで知らなかった。
2、3年前、車で走っていた時、田んぼの中に何やら変った雰囲気の一角が有って、その時初めて覗いてみた。

おそらく亘の「新堀新田」の中に書かれている『こうえん墓の森』のことだろう。
http://hakkaisan-photo.com/wataru/2012/06/niiborisinndenn.html#kokumango

こう云う話題が出る度痛感するのだが、地元のメンバーが欲しい。
遠く離れている者が「ああだ、こうだ」と言っている時、地元にいれば直ぐにでも写真をアップして貰えるだろうに、と。
智道が若しこれを読んでいたら、是非お願いしたい所だ。


それは兎も角として、藤原からは雑堀、そして池田原から池田川が上原・新堀方面に流れている。
今のその川は当然行方を辿れるが、土改前、下流がどうなっていたかハッキリしたイメージが持てない。

上原から、今の保育園の有る前の道を通って、干溝・法音寺方面へ行くとき、少し高くなって道を横断し、橋が掛かっていた川が多分雑堀だったと思うが、では池田川はどこに流れて行ったのか。
その橋を過ぎると、道の右側に「コクマンゴー」が有った。これはどこから来てどこに流れて行ったのか。

土改当時、どうでも良かったその前の風景が、今やたら懐かしい。
土改の事務所(今有るかどうか分からないが)には当然その前の図面が有る筈だが、今となっては文化財とも言えるな。

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このページは、秀一が2012年10月22日 01:19に書いたブログ記事です。

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