帰省中の8月15日、鎮守様(藤原神社)の祭りの準備を手伝う。
祭りの準備は、各班1年おきに担当する。今年は1、2班が担当で、その中にウチも入っている。前も手伝ったが、今回はいつもビールを飲んで酔っ払っていた気が・・・。翌日は後片付けで、やはりビールを飲みながら(?)のような感じ。
夏の祭りは、昔は8月25日におこなっていたという話しだが、おれの子供の頃にはすでに15日になっていた。ちなみに、成人式も盆にやっていた。だからみんなジーパンにTシャツのようなラフな格好がほとんどだった。面白い。
祭りの準備のときの写真をいくつか、それと祭り本番の写真を2つ。
▲神社入り口の幟。幟竿は、昔は祭りのたびに法音寺の縁の下から木の棒を担いでたてていたが、平成18年からはステンレス製。「新編城内郷土誌」によると、向かって右側の幟(写真に見えている方)には「霊気飛珠雨」と、左側の幟には「感応同電光」と書かれている。明治41年、細貝請逸の書。
▲境内手水場の前で休憩。手前の提灯にぶらさがっている木札を見ると、偶然にも「くーじ」だった。
▲「燈籠」というのでしょうか(?)、それに字を書いているところ(書いているのはおれの父)。左にいるのは南新宅。
▲参道から。奥の方が本社。左が太鼓の櫓。踊る人はほとんどいない。昔はジロベエの人なんかよく踊っていたが。右が手水場=水祖神(雷電様の水が出てくるところ)。
俺たちの若い頃は「盆踊り」が、若い衆の出会い・交流の場だったなあ。俺はバイクが無かったからあまり騒がなかったが、後ろに女の子を載せたり、行く先での出会いに期待を掛けて、盆踊りのハシゴをした者も多かった筈だ。
自然、大きな祭りの立つお宮、例えば15日の上原とか、16日の田崎の山王様とかに集中する。逆に上原と同じ日の藤原の祭礼は、地元の若い者さえ閑散とする傾向さえあった。
今、出会いの場があまりにも日常的に有りすぎて、そう言った「夜遊び」のニーズ・雰囲気が無くなったかも。地元で現場を見ていない人間の、単なる推測だが。
せめて祭礼くらいは、と言うことで老若男女、逆に地元の鎮守様が盛り上がるのかも知れないな。
たしかに俺たちもよその村の祭りにいってたなあ。屋台が楽しかったから。上原とか法音寺は店が出ていた。
ちなみに、田埼は祭りの日を16日から14日に変更した。今年から。16日だと雨に降られることが多いとかで。