新編城内郷土誌記念祝賀会に参加させてもらって酔っ払ってきました。
といってもいつも酔ってますが。
祝賀会前日 7月13日
帰省したついでにドライブと写真撮り。藤原-上原ロードを走っていると気になる風景が二つ。
一つは懐かしの木の電柱。マタイムの元牛小屋の前に立っている。ちゃんと電気がついている。なぜ電気がついているのか? 必要ないだろ!
これって宮沢賢治の話しに出てくる電柱そっくり!!
もう一つは久しぶりの舗装されていない道。拡張工事か何かでたまたまこんなでこぼこ道に。
懐かしい。
▲木の電柱 藤原sと池田原の中間辺り
▲でこぼこ道 上は方面から池田原、藤原方面を望む
祝賀会 7月14日
祝賀会はホテル木の芽坂で行なわれました。井口南魚沼市長、若井南魚沼市議会議員も出席され、祝辞を述べていただきました。
貝瀬幸咲先生による「城内郷土誌」が発刊されたのが昭和35年(1960)です。「新編城内郷土誌」はそれと関係あるわけではありませんが、城内全体の歴史をまとめるという意味では、静波遺稿、城内郷土誌の系譜を継承するものであるはずです。よくこんなものが出来たものだと、編集に携わらせてもらったものとしてもちょっとした驚きであります。書いてくれる人、そしてお金を出す人という面でもいまどき大変です。次の「郷土誌」はでるのか? 出せばいいというものではないかもしれませんが、こんな一文にもならない、だれが読むyかわからないような、しかもお時間と金のかかるものを作り上げたことは本当にすごいことだと思います。そんな気持ちを感じてくれる人たちがいて、次の「郷土誌」を作ってくれたらいいなあと思います。そのときは私は死んでいないでしょうが次の郷土誌は是非とも見たい。
▲郷土誌の表紙 ▲郷土誌の見返し
▲祝賀会参加者
秀一さん今日は、城内に帰られていたのですね、あいにくの天気でしたが梅雨時もまた楽しまれたようで何よりです。又こちらに帰られたおり連絡ください。
案外知られていない良い所いっぱいあります。
木の電柱ねえ!
最近はほとんど見なくなったな、数年前秋田から青森に抜ける途中、大館付近で見掛けて、何だか
懐かしかった記憶がある。
あの電柱には丸いアルミ(だと思う)の傘が付いた裸電球が1個だけ付いて居た。
藤原の電柱は蛍光灯、大館野に比べてこちらの方が、まだハイカラなのかも?
「新編 城内郷土誌」発刊ご苦労様!
秀一君より若いメンバーも多かったものと思って居たが、写真では秀一君が一番若そうに見える。
いずれにしても、ご苦労様でした。 色々知らなかった事も多くあり、こういう文化はやはり次の
世代に引き継いでもらいたいものだと思う。
編纂されたメンバーの皆さん、ご尽力に改めて感謝致します。