泊ると晒す、妾と姿
中学の時、国語の先生は浅島先生だった。
三合のかまどの灰も無かったらしく、地元の佐渡で婿に行き児玉姓になったのだが、この浅島先生から、「泊と晒は、昔の国語の学者が間違えたんだ」と聞かされたことが有る。
どう言うことかと言うと、泊は、水に白だから、本来「晒す」の意味だし、晒は、日が西に、と言う字づらだから、本来「泊まる」の意味になるべきで、そこを双方入れ違ってしまったと言う訳。
先生の話の、一つひとつは殆ど覚えていない中、この話だけは大人になってもずーっと覚えていたし、実際そう信じていて、回りにも何かの機会に「智的な受け狙い」として披露して来た。
しかしある時、相手の人から「その『都市伝説』は間違いで、入れ違った訳でも何でも無い」と言われて、実際ネットなどで調べなおしてみた。やはりこの「泊る」と「晒す」は間違っている訳ではなく、これでいいらしい。
元々は漢字のふるさと、中国からこの二つの文字も伝わった訳だが、その時にはもっと難しい字だったのが、日本で言わば略字となったものだ。と言った事情がそこに有るらしい。
なるほど、「昔の国語の学者が間違えた」と言う、気を引く話じゃ無く言わば偶然の話になってしまったが、それでも中々面白い関係ではある。
ネットで調べている内、「妾」と「姿」も同じような関係だって事が分かった。
「姿」は次の女と書くから、めかけにぴったりだし、「妾」は立っている女だから、こちらの方がすがたに相応しいって訳だ。
他にないのかな。
歳を取ると何故、1年が短くなるのか
還暦をとうの昔に過ぎたジジイに取って、1年は本当に短い。これは歳をとるに従ってそのように感じるし、オイラだけでなく皆そう言う。何故か?
3歳の子供に取っての1年は、人生の3分の1を占める長さなのに対し、60歳の人に取っての1年は60分の1に過ぎない。
故キンさん、ギンさんのように100歳を過ぎた人に取っての1年は、100分の1にも満たない瞬間的な時間と言うことになる。
……、何か文句ある?
母乳のメリット
子供に取って
- 栄養のバランス
- 免疫の継承
- 母親とのスキンシップ
等など
母親に取って
- 携帯に便利
父親に取って
- 容器が魅力的
「智的な受け狙い」から始まった今回の閑話休題も「乳的」な話で終わってしまった。
泊と晒の話は既に「知的」な話だし、おまえの話は「痴的」過ぎるって?、スンマセン、「恥的」でした。
「血的」になる前に退散したほうが無難なようだ。「遅的」にならないうちに。
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