猫も杓子も規制緩和
総選挙も最終盤、長引く不景気・デフレ対策が大きな争点となっているが、一部の政党を除く各党が口を揃えて「規制緩和」「競争原理の推進」を主張している。
素朴な疑問
この、新自由主義的「規制緩和」「自由競争推進」手放し肯定論に対し、言いたいことはいっぱいあるが、その前に先ず素朴な疑問。
- 規制緩和を唱える人は、一体今、どんな規制が障害となって自由な企業活動が妨げられ、経済の成長を損なっていると言うのだろうか?
- 一体これ以上、日本のどこを規制緩和し、自由競争を推進したらデフレから脱却でき、景気が上向くと言うのだろうか?
聞こえてくるのはスローガンだけで、項目を挙げての具体的な答えは誰からも聞こえてこない。
維新の会の石原代表が、政見放送の中で「例えば……」として唯一持ち出して来たのが、何と日本の会計制度が単式簿記だと言うこと。それで官僚がちゃんとした見通しを持てないんだと。
具体的に問われればこんなことしか挙げることが出来ない。「言うにコト欠いて」とはこう云うことだろう。呆れてモノも言えない。
デフレが続き、日本経済が落ち込んでいるのは事実だ。先進国の中で唯一「成長の止まった国」と言われて10年以上にもなる。
その間、一貫して政権を握り、やろうと思えば規制緩和でも何でも出来た筈のアレコレの政党とそこから枝分かれした連中が、選挙を前にして官僚に罪をなすりつけてのいい訳が、「規制緩和」のスローガンじゃないのか。
ついでにここで(高級)官僚について云っておけば、この「官僚バッシング」は出来レースだ。選挙の洗礼を受けない官僚に取って、こんなバッシングは痛くも痒くも無い。
高級官僚に取って一番の痛手は「天下りの禁止」。国会で根本的な禁止が決められたことは無い。
新自由主義
日本は既に、これ以上に無い程規制緩和がされていると思うし、自由な企業活動に障害となっている法規制等、殆ど無いと私は思っている。不景気の原因は別の所に有る。
「規制緩和」と「自由競争」が一番声高に叫ばれ、実行に移されたのは小泉・竹中路線の5年間だが、その後も竹中平蔵は壊れたレコードのように「日本が不景気から脱却できないのは、規制緩和が不十分だからだ」と繰り返し、今回維新の会のブレーンとして、相も変わらず規制緩和・自由競争を叫び続けている。
この竹中の「規制緩和不十分」説に対し、辻井喬(堤清二)氏が、痛烈に皮肉っているのが面白い。
「竹中のこの言い分は毛生え薬売りと同じだ。つまり、毛が生えてこないのは未だ薬が足らないからだ、と言っているに過ぎない」と。
今選挙で規制緩和・自由競争を叫んでいる連中は、さしずめインチキ毛生え薬のセールスマンと言うことか。
竹中は労働法制の規制緩和を極限まで推し進め、曲がりなりにも正社員が当たり前だった雇用を、非正規当たり前の世にしてしまった。
そのしわ寄せは新卒を含めた若者と、シングルマザーに特に深刻だが、竹中は日本の雇用を壊すだけ壊し、その政策で最も恩恵を受けた派遣会社パソナの特別顧問に就いた。その後代表権が無いまでも会長に就任している。
利益供与とその見返りを、このゲス男は絵に描いたように見せてくれた。実に分かりやすい男だ。
現実とその解決法
インチキ毛生え薬で無く、では本当の処方箋はどうなのか?
私は新自由主義とは反対に、適切な規制と、計画性を持った経済の導入だと思っている。
労働者の非正規への置き換えや企業の都合に合わせた解雇の自由は、当該企業にとっては経費の削減に繋がり、経営の最適化かも知れない。
終身雇用を止め、社内研修などのコストを掛けずに、他社で「育った」人材を中途入社させれば、その企業は有利だ。
だが、各社一斉にこれをやったらどうなる?
今日本で起きている現実を見ればその答えが分かる。
賃金の減少(2000年の月収35万5470円から、11年の31万6790円-厚労省「毎月勤労統計調査」)、雇用の不安定、年金などの先行き不安で内需がガタ落ちしている。これは少子化だけのせいではない。
企業が人件費を削れば削る程、作ったものが国内で売れなくなると言うことだ。
企業は中国やアジア市場、アメリカ等海外への売り込みに凌ぎを削る。TPP参加もそうした意図のもと、経団連などが尻押しをしているのだが、輸出頼みの販売は又、一層の円高を招き収益性の悪化につながる。
雇用の非正規化、解雇の横行は企業への帰属意識を削ぎ、忠誠心を損なう。企業が人を切り捨てるなら労働者は企業を切り捨てる。
いい悪いは別として、昔、内部告発等と言うものは無かった。
正社員としての終身雇用は、一部非効率を含めながら、日本の分厚いモノ作りの技術と人材を育て継承して来た。
今電器産業で13万人の解雇がやられようとしているが、工場労働者だけでなくベテラン技術者も対象になっている。
目先の利益確保の為、こんなことをやっていて「国際競争力」など、つく筈が無い。
日本でリストラされた技術者が、アジアの振興途上国から破格の待遇で招請される例が有ると言う。こうやって日本のモノ作りのノウハウが人材ごと海外に流れ、それが日本の首を絞める。
日本のお家芸だった液晶パネルやTVは、すっかり韓国などにお株を奪われ、液晶トップメーカーだったシャープが今やあのザマだ。そしてその穴埋めに又人減らしを図る。
あのパナソニックでさえ、昨年に続き今年も巨額の赤字を計上している。
繰り返すが、非正規化もリストラも、その企業にとっては目先、最適化である場合が多い。しかしそれは長く続かない。企業全体がそれをやることで、日本全体が沈没して行く。それが20年になろうとしている「失われた10年」じゃないのか。
政治の役割
ではどうすればいいか?
この是正は個々の企業の「良心」や「改革」では解決しない。その理由は正に「自由競争」にある。
一つの企業が「良心」を発揮して労働者への手厚い「改革」をやったら、その企業は弱肉強食の自由競争に負けて倒産してしまう。
実はもう20年以上前、今とは事情が違うが同じように、日本の過度な低賃金・長時間労働を憂いて警鐘を鳴らした経済人がいた。
日米貿易摩擦が勃発、日本車や日の丸が焼き討ちに有った時のことだ。
ソニーの創業者の一人、盛田昭夫氏が「世界に通用しないこんな無法な働かせ方をしていたら、日本は世界から爪はじきされるし、ドルが溜まるばかりだ。日本もルールに則った働かせ方をするべきだ」と述べ、しかし、と盛田氏は続ける「それは個々の企業では出来ない。それをやった企業は真っ先に競争に負けて倒産してしまう。だから政治が全ての企業に網を掛ける形で規制する必要が有る」と。
四半世紀を経て今やソニーもリストラの先頭に立っているが、兎も角この盛田氏の発言は卓見だった。
かっての護送船団方式に戻せとは言わないが、今日本経済に必要なのは規制緩和ではなく、政治による適切な規制・ルールだし、行き過ぎた競争の制限だと思う。
モノが売れず市場が飽和状態になっている時、自由競争の矛先は市場よりもライバル企業との食い合いに向かうしかない。激しい価格競争で、売っても売っても儲からない商売になっている。TVはその典型だし、ケータイやスマホの顧客の奪い合いも同じこと。どちらが先に音を上げるか、そう言うチキンレースに陥っている。
ライバル企業の倒産は自企業にとっては喜ばしいことかも知れないが、日本全体としては大きな損失になる。雇用環境が失われ、技術が途絶える。
大店法(「消費者の利益の保護に配慮しつつ、大規模小売店舗の事業活動を調整することにより、その周辺の中小小売業者の事業活動の機会を適正に保護し、小売業の正常な発展を図ることを目的」とした法律)の規制が、主にアメリカからの外圧で骨抜きにされ、1990年頃から各地の郊外に大型店が立ち並んだ。
最初に起きたことは地元の商店街のシャッター通り化と、車に乗れない年寄りの買い物難民化。
次に今起きていることは、進出した大型店舗同士の競争で、採算の合わない店舗の撤退。
酒のディスカウンターも1000円床屋も、お客からすれば有りがたいことでは有るが、これも結局総体的には市場の縮小・デフレにつながる。昔からの酒屋さんや家族経営の床屋さんを廃業にしながら、今競争はディスカウンター同士に移っている。至る所に出来たコンビニも、今その熾烈な競争で、収益の二極化が進行している。
規制緩和による新しいビジネスモデルは、最初にそれをやった所は瞬間的には客が増え儲かる。しかし自由競争の元、必ず競争相手が現れ、食い合いになる。
自由競争が経済を引っ張り、それによって右肩上がりに伸びる時期はもう終わったのではないか。
どう言う形になるか分からないが、ここにも又、国が乗り出しての計画経済の導入が必要な時期になっている。
………と私は思う。
同感!
10年、20年先のビジョンも語れなくて規制緩和だのTPP参加を唱える政治屋や評論家にはうんざりだ。
今回の選挙もそんな連中が殆んどだ、早ければ来年また総選挙かも?
話を戻すが、やはり今の日本の雇用制度は国を滅ぼす。
企業は終身雇用又は10年単位以上の雇用であるべきだと思う。 でなければ従業員の生活が安定出来ず、市町村・県・国としての基盤(税収)も不安定になり共倒れとなる。
現実に、今の雇用不安・税収不足はそれを裏付けて共倒れへまっしぐらの状況だ。
パート労働者の賃金が安す過ぎる事が安易な雇用を生み出す。 そして知らず知らずに価格競争の渦に巻き込まれ、デフレ・スパイラルを加速させる。
まさに、目先の利益しか見えない経済界と自己中の無策な政治屋達の所業の結果である。
パート労働の賃金程高くするべきだと思う。例えば雇用契約1ヶ月未満の場合最低3,000~5,000円/H 以上、とか。
ただし、5年程度の期間限定として零細企業の救済(雇用資金援助など)措置も必要だと思うが。
TPP、これは5年以内に破綻する。(あまりにも大国・特に米国に有利すぎる)
韓国は早ければ来年秋には悲鳴を上げるだろう、日本は会議参加はいいが急いで加盟しない方が、破綻の際実害が少ないと思う。
通貨・物価などが共通であればこそ経済の共通性が平等に物を言うのであってこれ等のバランスを取る為に現状では関税は必要悪なもの。
TPPを語る以前に自国のあるべき姿を模索すべきではないかと思うな。
おれが一番不思議に思うのは、「民営化」。なんかバカっぽい。国鉄からJR、専売公社からJT、郵政民営化とかあるけど、民営化すればよくなるって意味不明。細かいことは言わないが、とにかく、こういわれるとこいつバカだと思ってしまう。
同じ郵便局の中なのに、ゆうちょ銀行だの郵便局会社だのに分かれてしまって、相手の仕事を手伝うことが出来ないんだそうな。ホントーにバカバカしい。
民営化の前なら、バイクに乗ってる郵便やさんに気軽に保険や貯金の相談も出来たんだが、多分今はそれも別会社でままならないんだろうな。
昔城内みたいな田舎では、小学校や中学校の入学式・卒業式の来賓挨拶には、役場や派出所と共に、必ず郵便局長が来ていた。それだけ郵便局は生活に密着していたんだが。
回って見ると分かるが、酒屋と郵便局だけはどんな田舎に行っても有ったものだ。生活の必需品だったんだな。
それが結局郵便局も「採算」と言う経済原理に放り込まれることになって、あっちこっちで統廃合が進んでいる。
酒屋はディスカウンターの出現で青息吐息だが。
結局小泉・竹中がやった郵政民営化は、国民の立場に立っての規制緩和じゃなく、当時350兆円の郵便貯金や簡保を狙ったアメリカの金融資本の圧力を受けてのものだったんだな。
何でもかんでも民営化すれば、みんなうまく行くなんてのは幻想だと思う。
第一、自衛隊の民営化なんて話は一度も出てこない。
消防だとか警察だとか教育だとか、本来民営化してはいけないものが有るんだよな。消防が民営化されたら金を出さない所は火も消して貰えなくなる。
俺は百姓こそ公務員にすべきだと思っている。
何と言っても国民の食料を賄っているんだし、国土保全、水資源の確保を担っている。この機能を金に換算すると年間何兆円にもなるらしい。
こんなものを、市場経済に任せていい筈が無い。
……ってのは、いつもの井上ひさし「吉里吉里人」の受け売りなんだが。
そうか、「吉里吉里人」(井上ひさし)もそんな事を言っていたのか?
恥かしながら今迄彼の書物を読んだ事が無かった。
今度読んでみよう!
実は俺もTPP参加の場合、農業・林業・水産業の一時産業従事者の公務員化と、その管理地の国有化しか、産業として守る方法は無いだろうと考えていた。
もちろん企業として独自に出来る人は公務員化の必要は無いと思うが!
吉里吉里駅と言う駅が、たしか岩手県大槌町にあったと記憶しているが、この「吉里吉里人」と関係あるのかなあ? (津波で被害を受けた地域だった様な気がするが)
だけど井上ひさしと言えば、たしか一関の人ではなかったか?
『吉里吉里人』を切っ掛けにして、井上ひさしの小説・戯曲は概ね読んでいる。代表作を挙げるのは難しいんだが、『吉里吉里人』に次いで『父と暮らせば』その次『雨』かな。
『父と暮らせば』は黒木和夫監督、宮沢りえ、原田芳雄主演で映画化されているし、本家こまつ座の舞台も、役者を変えて2回程NHKで放映されている。涙なしでは見れない。『雨』も一度NHKで放映された。
このどちらも井上作品の特徴である「最後のどんでん返し(の又どんでん返し)」を楽しめる。
井上ひさしフェチになってから、昔子供の頃夢中で見ていた『ひょっこりひょうたん島』の作者がそうだと分かり、驚いたと同時にさも有りなん、と思ったものだ。
『吉里吉里人』は、20年以上前の日本中の「独立国」ブームの引き金になった小説で、現代性は少し薄れたが1度は読んでおいた方がいい。
国際法、農業問題、医療問題などてんこ盛り。特に国語と吉里吉里語(ズーズー弁)のお勉強になる。
わざと冗長な文体で、小説の様々なテクニックを露骨に盛り込んで、げらげら笑いさせながら分厚い本を飽きさせない。
昨日、選挙のついでに『吉里吉里人』を買おうと隣町・竜ケ崎の本屋に行ったら店が無くなってた。
考えて見れば、こゝ5年程、仕事の関係で千葉県の木更津市と取手市(藤代)を往復するだけで、本を買うのもこのルートの途中で、隣町の方まで行く事が無かった。
5年と言う月日は本屋を無くし、細かった道が片側2車線の道路に変わり、田畑は無機的な宅地に変貌して居た。
と言う話は置いといて、他の本屋を探すのも面倒なので帰宅後、Amazonの通販で買う事にした。 我が人生初の通販による購買経験である。
それが、16日の午後2時頃発注の本が今日の昼に届いたのにはびっくりした。納期は明日とは聞いて居たが、まさか昼に届くとは思わなかった。Amazon恐るべし。
おかげで今日から『吉里吉里人』が読める。 でも、上・中・下の3巻もあると読み終えるのは年を越す事になりそうだ。
でも、雄のお蔭だ、何だか楽しみだな~!
そうそう、昨日ネットで調べて居たら物語の、『吉里吉里国』はやはり岩手・大槌町の吉里吉里駅とは別ものだった。大槌町の吉里吉里駅が井上ひさしの小説にあやかって命名されたものらしい。
俺が見たあの駅舎やその周りの風景も、3.11の津波に消えた。
Google Map で見る大槌町は吉里吉里駅を含めて、未だにさら地状況なのが国政の無策の結果だろう。
アマゾンもいいが、我々貧乏人は図書館が一番だと思うよ。
近くに公立の図書館、無いか?
有るには有るが、都内と違い、あんまり行きたい雰囲気で無いので最近は行った事が無い。歩いて行ける所ならもう少し利用するだろうがね!
それに、古いかも知れないが本はやっぱり新しい方がいい。