土改前の風景が時々頭をかすめる。ハッキリ思い描ける場所も有るし、おぼろげにしか思い出せない所も有る。
その中で、昨夜、唐突に「かざんぱら」を、そのことばと共に思い出した。
…と言っても、藤原以外の人には何のことか分からないだろう。
亘は当然分かるだろうが、秀一は分かるかな?
かざんぱら、おそらく「風の原」が元になっての地名だが、なんと風雅な呼び名だ。それに茫漠とした語感もある。
場所は今の「藤原団地」、前の東邦亜鉛社宅団地の、一番藤原よりの辺り。
土改前はあの辺一帯畑で、かざんぱらには、畑から拾い上げたのだと思うが、石藪みたいなのが有って、木が3、4本立っていた。
かざんぱらで道が二つに分かれて、少し右寄りの道を100メートル足らず歩くと、畑が切れてそこから池田原の田んぼが広がっていたし、池田川を超えて上原に続いていた。今のメインロード。
左の細い道を下がると、池田川の下流に繋がる筈だが、子供の頃はそこまで行ったことは多分無かった。今なら幾らでも無い距離だが。
昔の、土改前の風景を思い出す時、墓場がランドマークになっている。墓場が記憶の点となって、それを繋ぐ形で道や周りの風景が思い出されてくる。
中でやはり一番強烈なのは、自分たち藤原のしん墓(死ん墓)と、みょっちの墓だったな。
今、当時のまま残されていれば結構な被写体になっているだろうが。
かざんぱら、わからんなあ。その辺りはおれが物心ついた時には、既に東方亜鉛のグランドあたりだったし。たしかに石はごろごろしてた。かざんぱらと使っていたような気もするが、はっきりしねえな。
その辺、藤原から行って左の方は林になっていた気がする。
しん墓は、しょっちゅう聞いていたからわかるが。なんでだろ? その辺にウチの田んぼがあったからか?