飛水峡ー日本列島誕生の由来を示す地形と地質の景観
飛水峡は岐阜県加茂群七宗町から加茂郡白川町までの全長約12Kmにわたる峡谷。
流れに沿って国道41号線と高山本線が通っている。
日本列島の背骨
実は飛水峡を知ったのはNHKの『ジオジャパン』と言う、日本列島の成り立ちを取り上げた番組からだった。ここは日本列島の成り立ちを示す一つのキーポイント地で有るらしい。
飛水峡の両岸は「チャート」と呼ばれる、非常に固い岩石層が続いているのだが、ここのチャートと全く同じものが、1400キロも離れたロシアのハバロフスクで見られるのだと言う。つまりかって大陸に有ったこの地層が、大陸の縁が引きちぎられる形で剥がされ今の地まで移動、それが今の日本列島の骨格を形成していると言う訳だ。剥がされた割れ目は今の日本海になっている。
飛水峡とチャート(chert、角岩)
チャートは堆積岩の一種。主成分は石英や水晶と同じ二酸化ケイ素(SiO2)で、その成分の殻をもつ放散虫等の微生物の死骸が堆積してできた岩石(生物由来でなく熱水噴出孔からの成分由来のものも有ると言う)。
遠洋深海底で堆積されたもので、その為陸からの砂や泥、火山灰などを含まず、炭酸塩鉱物も水溶されて含まれない。その点で炭酸カルシウムを成分とする石灰岩とは大きく違う。深海の水圧で押し固められ極めて硬く、堆積のスピードも1000年に数mm或は0.3mmとか言う超スローだと言う。
チャートそのものは上述のように、砂・泥・火山灰などを含まないが、堆積に伴い砂岩や泥岩などを挟んで層状を呈している場合が多い。深海にまで及ぶ大規模な「地球事変」によるものだろうか。
又含まれる金属元素などによってさまざまな色を呈する。例えば飛水峡にも赤い色のチャート層が見られるが、当然鉄分(酸化鉄)を含んだ層であると言うことと、この層が堆積した時代、旺盛な植物の繁茂が続き、地球規模で酸素濃度が高かったと言うことが分かる。
チャートも石灰岩も日本の至る所で見られるが、東京でも奥多摩の海沢川上流部などで特徴的なチャート岩を見られる。
又硬い、と言うことで風化を免れたチャートが河床の礫の中に頻繁に見られる。
渓谷と甌穴群(おうけつぐん)
硬い、と言うことで水の浸食は外側に広がらず、河床を深くえぐり渓谷を形成する。
狭い渓谷を流れる激流によって運ばれた石が、岩盤表面に引っ掛かり流速による渦巻き運動でそこに円形の穴をあける。甌穴(ポットホール)と呼ばれるが、飛水峡の「甌穴群」は有名で国の天然記念物になっている。
日本最古の岩石
七宗町上麻生付近の飛騨川河床で、日本最古(20億年前)の岩石が見つかっている(もう1ヶ所、島根県隠岐島後)。
…と言っても飛水峡のチャートや砂岩の地層全体が20億年前に形成されたと言うことでは無く(地層の形成は中生代の三畳紀~ジュラ紀ー約2億4000万~約1億6000万年前)、地層に挟まれた礫岩層の中に20億年前とされる片麻岩礫が見つかったと言うことらしい。つまり20億年前に当時の大陸に分布していた岩石が、約2億年程前に礫として運ばれ海底に堆積、地層に紛れ込んだのだろう。
いずれにしてもこの地が、列島の中でも最も古い時代に形成されたことには違いない。
撮影Map
クリックするとGooglemapと連動して表示されます。
ここでは特徴的な景観のみ写真を掲載しました。
全ての写真はこちら
上麻生ダム
飛水峡はこのダム下から続く。
飛騨川バス事故と天心白菊の塔
「飛騨川バス事故」と言う言葉はおぼろげに記憶に有るが、これほどの事故がここで有ったことは全く知らなかった。
バスを襲った土石流は、飛騨川に注ぐ支流からのものだったそうだが、通り合わせた人の話では、普段は遥か下に細く流れている飛騨川の水が、増水の際は国道を洗う程に激流となるのだそうだ。
国道41号線と高山本線
飛山橋上から
ドライブイン「美濃路」脇
ロックガーデンと甌穴群
赤池弁財天の幟と展望台、トイレなど。
展望台からの眺めは大したことは無い。ここからロックガーデンに降りることが出来る。チャート岩はゴツゴツして滑りにくいが、足場はけっしてよくはない。転べばゴツゴツに身体を打つ。
甌穴群
到底撮影することは出来なかったが、写真下側中央、垂直に落ち込んでいる。
ロックガーデンから離れて
上麻生橋
日本最古の石
ページ冒頭で若干触れたが、ここから少し離れた場所で1970(昭和45年)、日本列島最古の石が発見されたそうだ。
それにちなんで1996(平成8年)建てられた博物館。今回は中には入らなかった。
飛騨川の河床の礫岩に含まれていた片麻岩は1970年(昭和45年)に足立守(名古屋大学博物館・教授、平成20年4月現在)によって約20億年前の岩石と推定された。この礫岩(上麻生礫岩)は約1億6000万年前に出来た。(wikipediaより)
コメントする