青梅街道に掛かる伊勢橋(関町一丁目交差点)を超えて
こちら青梅街道(荻窪方向)
関町一丁目交差点の場所はかって、千川上水からの六ヶ村分水取水口で、六ヶ村分水はこの青梅街道に沿って流されていた。
千川通り
伊勢橋(関町一丁目交差点)で千川上水は暗渠となり、千川通りとして続く。道路右側が「千川上水緑地」として200メートル程の間整備されている。
但し千川上水の水は伊勢橋で全て汲み上げられ、現在、その暗渠に水は流れていない。
バス車庫の手前で千川緑地は終了。一般道と変わりが無くなる。
路傍の庚申塔・観音供養塔と、千川上水案内板
上石仙川児童公園
公園内の案内板
「千川通り」とはなっているが、歩道が幾分広いか、と言う程度で一般道と変わりなし。
西武新宿線
西武新宿線上井草駅の西250メートル程、線路をくぐって両側に、僅かに開渠として姿を現す。しかし流れている水は無い。
この先、全て暗渠。
千川上水公園案内板に有った、当時の写真。
線路をくぐる水路(跡)
線路を超えて再び暗渠に。
千川通り
西武線を超えて北東方向に続く千川通り。
道路左側歩道の植栽(グリーンベルト)部分に千川上水暗渠が通っているのだろう。
この先も千川通りは続くのだが水路は無く、有っても所どころのグリーンベルト程度で、単に道路を歩くだけなので千川上水探索はこれで終了。
途中の「千川通り」を飛ばして………、
千川上水公園(千川上水調節池跡)
かっての千川上水地上部、最後の場所。現在の豊島区西巣鴨2丁目39-5。
豊島区のホームページによると、
千川上水公園は、豊島区のなかでもっとも古い公園で、その歴史は旧千川上水水路敷地を市民により旧東京市へ寄付された、明治13年にさかのぼります。千川上水は、かつてこの場所にあった堀割を経て、分水は六義園や、本郷、湯島のあたりまで流れていました。
現在のような公園として開放されたのは昭和15年。
開園当初は都の公園でしたが、豊島区にとっては初めての公園であり、古くから区民に親しまれてきたものです。
公園の地下には、現在でも水流を調節するために設けられた分水堰や、六義園に水路を引くために作られた由緒ある沈殿池が残っています。
なお、下掲「千川上水調節池跡」案内板参照。
千川上水公園
都道305からの千川上水公園。それ程大きくはない。
写真左側、50メートル弱に「掘割」交差点が有る。
案内板
沈殿池
下の「千川上水流路図」掲載の写真を、原寸に戻して表示しました。
池の両側に巻揚機が見える。
六義園方面への送水に使われていたバルブ(巻揚機)
これを含め公園内に同じものが2基。勿論現在は使われていない。
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