故郷を離れて既に40年 東京・武蔵野の水辺を中心とした身近な風景と駄文を発信します

おいらにとって子供の頃、六日町は文化の中心だった

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子供の頃、六日町はまばゆい程の大都会だった。
そもそも山際の部落で、他の集落同士の交通路にもなっていなかった藤原ッ子にとって、1キロ離れた上原でさえ、当時文化や情報の中心地だった。普段は毎日学校に行っているからあまりそれを意識しないで済んだだけだろう。
高校1年生の夏休み、便利屋でアルバイトをしたことが有った。
同級生だった連中や後輩、その中には憎からず思っていた女の子も頻繁に行き交い、藤原に引っ込んでいたら得られなかった「情報交換」の経験を味わったものだ。
そのバイトが終わった時、何となく喪失感みたいなものに陥った記憶が有る。

その喪失感は、2、3年後、未だ雪の残る弥生3月に思い切り感じることとなる。
巻の「専攻科」と云うところを卒業し家に入り、それまで寮生活でワイワイガヤガヤしていたのを、納屋の二階で一人、春の農作業前の縄ない機を踏む生活に入った時だった。
『尾瀬‐山小屋三代の記』を読んだ時、学校の先生を諦め尾瀬の山で暮らすことを自ら受け入れざるを得なかった、平野長英の気持ちが切なく胸に響いたものだ。
そのおいらが、新潟市在住を経て今、渋谷でシティボーイをしている。そして又今、田舎暮らしに目が向いたりする。いやはや。

 

1000円、1万円、今じゃ100万円か

六日町に話を戻して………、
当時六日町には、イズミヤと云う、元々は本屋だったのだろう、お店が本町(上町?)の方にあり、その後駅前通りに、本だけでなく文房具やスポーツ用品、カルタやトランプ、雑貨などの店を開き、文化の一大拠点となった。

番頭のようなオジサンが時々、バイクだかスクーターだかで学校を回っては本を配達していた。
クラスには一人か二人、小学館の「小学5年生」とか「小学6年生」とかを買える幸福な子がいて、毎月発行日には先生が教室に持って来ては、授業の始まりにその子に手渡していた。
今考えると、嫌味なことだったなあ。そんなの、その子を職員室に呼んでそっと渡しゃいいものを。

何年生の時か覚えていないのだが、1度このイズミヤに1000円持って遊びに行きたいものだ、って仲間同士で話したことが有る。当時1000円はおいらにとって夢の金だったんだな。
同じようなことはその数年後にも有って、新潟に居た頃、少し年上の、そう云う意味では俺たちよりも古い時代の人と云うことになるが、「1万円持ってダイエーで買い物をしてみたい」と言っているのを、微笑ましくもしかしそんなに違和感なく聞いたことが有る。
今の感覚なら、100万円持って秋葉原をうろついてみたい、そんなもんだろう。

 

「貧乏自慢」

中学の時だったが、川崎に就職していた叔父さんがお盆に帰省した時、六日町に連れて行ってくれた。駅前の食堂で昼飯を御馳走してくれたのだが、おいらにとって今でも忘れられないエピソードがある。

注文してくれたのは多分、卵丼か親子丼だった。塊が無かったからカツ丼では無かった筈だ。
それまでもラーメンは仲間と一緒に食ったことが有って、そのラーメンにしても長い間、シナチク(メンマ)を何かの肉だと思っていた程だから、田舎者ぶりを語るに不足は無いのだが、丼ものはその時が初めてだった。

ブツが運ばれて来た時、知らないものの悲しさ、俺は上の具がどんぶりの下までズッとそのまま詰まっているものだと勘違いし、上から順番に食い始めた。
叔父さんから「下に飯が有るんだぞ」と言われて初めてその構造が分かって、飯と具と混ぜて一緒に食うと云う、本来の作法を知ることとなった。

卵丼にしろ親子丼にしろ、今あの具をどんぶり一杯食えと言われたら、チョッと勘弁して欲しいと言いたいところだが、あの当時の、漬菜煮にホッケ位しか食っていない子供にとって、卵で甘くとじた具などはこの上ない御馳走に思えて、下は飯だと言われて少し残念だったような記憶さえ有る。その時代でもコメの飯だけは家でも不自由無く食えた。

今われわれの年代が酒を飲んだ時に盛り上がる話題の一つとして、子供の頃の「貧乏自慢」が有る。「俺もおれも…」とやたらテンションが上がる。
さしずめこの「どんぶり物語」など、数多いおいらの貧乏自慢の中でもひときわ受けるオハコの一つになっている。

 

栄枯盛衰

悲しくも懐かしいこの食堂は、屋号などとうに覚えていないが駅に向かって道の右側に有ったと思う。しかし今この食堂は既に無い。
かって「まばゆい程の大都会」で文化の中心地だった六日町の面影は、少なくとも駅前や旧商店街に限っては、見る影もない。
新幹線で越後湯沢に降り、ほくほく線か上越線で六日町駅に降りても、人影はまばら。乗降客も高校生が数人と言ったところ。

一度バスで上原の中学校前まで行ったことが有る。その時乗客はおいら一人。それを降ろして空のバスを八海山スキー場まで行くとのことで、降りしな「張り合いがないね」と運転手さんに言ったら、「そういがだて」の返事が帰って来た。

その代わり、と言っちゃなんだが、六日町も郊外は大型店やディスカウンターがひしめいて、なまじ渋谷などと比べてさえ買い物は便利になっている。
渋谷じゃチョッとした道具類を買おうと思っても、東急ハンズあたりに行くしかない。こんな時、コメリなど大きなホームセンターが有れば安くて便利なのに、と思うことは多々ある。
尤もこの郊外店を利用出来るのは、自動車有ってのことで、田舎じゃ1軒に大人の数だけの車が有る。これも中々大変なことではある。

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コメント(2)

「忘れられないエピソード」・・・・「どんぶり物語」か、

俺にも、
「もの悲しく恥ずかしい事なのだが、店の人の心温まる対応」に今でも感謝しているエピソードがある。
(親父の名誉に係わる事だけに今まで身内にも話した事はないが、鬼籍に入って20年以上経つ、もう親父も許してくれるだろう)

東京で働く様になって3年目(23歳)の夏だったと思うが何かの仕事で上京した親父を、数少ない親孝行のつもりで東京見物し別れ際に上野の「東天紅」と言う当時としては有名な中国料理店に入り、ちょっと背伸びしてコース料理を頼んだ。
料理が色々並んで食事が進んだある時点で親父がある料理(マーボ豆腐だったと思う)の取り皿を舐め
始めたのである。
慌てゝ止めたが後の祭り、周りのテーブルから含み笑いの声が幾つも聞こえて来た。
「穴が有ったら入りたい」とはこの様な時だと思いながらも、親父の「こっけにうんめーもん残したらもったいねーべやれ」と言った言葉に「こう言う所では不作法になると」言うのがやっとであった。
(俺達を育てたり毎日の生活に忙しく、働きずくめだった父に“こう言う所”の経験がなかっただろう事に思い至ったのである)

この時いち早く対応したのが東天紅の支配人であった。
こちらのテーブルに来て(多分わざと)隣席にも聞こえる声で
「お客様、当店の料理をお褒め頂きありがとうございます。当店ではお食事の方法については特別なマナーはございません、お客様の自由です」
「お好きな方法でご賞味下さい」
「なお、誤解される方があってもお困りでしょうからパーテーションをお持ちしましょうか?」
と言ってくれたのである。(この対応とこの言葉は今でもよく覚えている)
パーテーションで囲んで貰ってその後の食事が何事もなく済ませられた事は言うまでもない。

正直、不作法に一瞬怒りも覚えたが、高級料理とは無縁生活を強いられて来た親父を責めるよりも、もの悲しい思いに変わった事と、東天紅の支配人の粋な計らいについては、40年を経た今でも鮮やかに思い出せる。

ちなみに、2年後仕事の接待で東天紅を利用した時、その時の支配人にお礼をしようと思ったが退社されたとの事だった。

「子供の頃の『貧乏自慢』」は、おかしくもどこか悲しい。でもいい話だ。

高級フランス料理(俺も1度か2度位しか食べたことは無いが)では、皿を舐めはしないが、パンでソースを拭ってきれいに食べて貰うことを、コックは喜ぶそうだし、マナーにもかなっていると聞く。

それにしても東天紅の支配人は流石だね。
仕事上の気配りだけでなく、多分人の情けの分かる男だったんだろうな。

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