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お水のお話

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雷電様の水

おいらの出身部落、藤原は新潟県名水百選にもなっている「雷電様の水」を持っていて、と云うより、清酒八海山の仕込み水と言った方が、今は早いか。
八海山の今が有るのは雷電様のお陰だと、藤原の者は控えめだから口では云わないが、みんなそう思っている。
その割に八海山酒造が水の年貢として払う金額の、余りの少なさに驚いたことが有った。桁が違うんじゃないかと。しかしそれでも有り難がっている一部の人も居たそうだが………、まあしかし飛び出してきた人間がアレコレ言うことではないか。

俺たちが小学校の頃、この豊富な雷電様の湧水を水源として、集落に水道を引いた。集落総出で道路を掘りパイプを伏せて各戸に配水した、当時としては部落挙げての大工事だった。子供の俺たちは所どころに顔を出す青色の粘土を貰って遊んだものだった。

集落だけの簡易水道だし、水源は豊富だし、当初、蛇口一個に付き、使用量に係わらず月10円と云うことで、どこの家も鷹揚に流しっ放しで使っていたものだ。流しっ放しだから何時でも冷たい水が飲める。今考えると贅沢の極み。
おいらは高校の時、寄宿舎生活をしていて、その夏休みの帰省で上原から暑い中歩いて来ては、消防小屋の流しっ放しの蛇口の水を久しぶりに飲んで、その冷たさと旨さに改めて唸った鮮烈な記憶が有る。比べて初めて分かる恩恵だった。

今は広域水道に組み込まれ、昔の味と冷たさは到底望むべくもないが、鎮守様にはパイプで引いた雷電様の水を、今でも流しっ放しにしており、県外を含めて水汲みの車が頻繁に訪れる。
汲み置きしても長い間腐らない、とか聞いたことが有るな。群馬だったか埼玉だったかの喫茶店が、コーヒーを淹れる為に定期的に汲みに来る、とかも聞いたことが有る。
話もここまでになると、控え目な藤原もんは少しばかり気恥ずかしくなる。

 

決めごと

水道が引かれる前は、飲み用掘り(のみよぼりと呼んでいた)を通って流れてくる山からの水を、台所(水屋=みんじゃ)の水船に引きこんで使っていた。みん じゃの土間に石をくり抜いたり、木で枠を作ったり、中にはコンクリートで作った家も有ったかもしれないが、そう云う船を伏せ、川の水を流していた訳だ。風呂の水はそこから桶で汲みこんだ。

水道(上水)がないのだから下水など当然有る筈も無く、川上の家で使った水はそのまま川下に流れる。そこで集落内で決まりを作り、風呂などの使い湯を流す時には夕方と決めていた。
各戸とも朝一番に水を汲み、それをやかんや鉄瓶で沸かし冷ましにし、1日の飲み水としていた。子供なんか時に川に直接顔を突っ込んでその水を飲んだものだ。

赤ん坊のおしめだけは集落内の一番下、小路新宅の前に洗い場を決め、雨で有ろうが雪であろうがそこで洗い流した。
陽気のいい時期には、若しかして女しょの格好の「井戸端会議」になっていたかも知れないな。いや、きっとそうだ。
赤ん坊を持つ若妻達が、姑や小姑、時に旦那の悪口を言い合いながら、そのはけ口としたのだろう。

とまあ、これは水道が引かれる前の昔のことで、こう云った決まりごとも当たり前で普通なことと、最近まで特に疑問を感じることは無かった。
しかしある時、これは普通でなど無くトンデモナイことだったんだな、と気が付いた。

 

十間も流れりゃ………

そりゃ、藤原はそれでいい。
時間を決めて風呂の水を流し、部落の一番下でおしめ洗いをしている分には、藤原は安泰だ。
藤原に限らず山際の部落は、山からの水を使って、同じようにしていれば安泰で済む。
だがその下の部落はどう言うことになるのだろう。
例えば新堀や新堀新田、下原や下原新田、泉、泉新田等など。
各戸に全て井戸が有ったとは考えにくいし。

或る人にその話をしたら「そんなの、チョッと流れれば何でも無くなる」と、俺の懸念があたかも見当外れであるかのように、一笑に付されたことが有るが、そう云う観念的な話でもないだろうに。

3、4年前、実家の雪下ろしの際に、一緒に雪下ろしをしてくれた妹の旦那に聞いたことが有る。義弟の家は下原で水道屋をしている。
その話では、確かにそう云うことで赤痢や疫痢が頻発したのだそうだ。それで義弟の祖父が「こんなことをやっていたら城内が絶えてしまう」と、井戸掘りの仕事を始めたんだそうな。
やっぱり杞憂で済む話では無かったんだなあ。


俺たちが小学校に入学したばかりの頃、確か手漕ぎのポンプが用務員室と体育館脇の水飲み場に有ったような記憶が有るが、水道はどうなっていたのかなあ。
藤原にあまり間をおかず、同じ水源から上原も水道を引いた。だから学校も水道が引かれていた記憶が有るが、どちらにしても俺たちが小学校に入ってからのことだったと思う。その前はどうしていたんだろう。

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コメント(3)

上原のおら家(うち)も雷電様の御利益に助けられている。
なにしろ、蛇口を捻れば好きな時・好きなだけ雷電様の水が使えるのだから!

いつから水道が使える様になったかは記憶を呼び起こせないが、それ迄は手押しポンプ式の井戸水を使って居たと記憶するが。
でも家の前の小川の水もけっこう併用していたっけな。
例えば、そうめんをサワス(水洗いの)時や甘ウリやスイカを冷やす時、勿論
洗濯や漬け菜(野沢菜)洗いは殆んど川の水だった。
やはり「十間も流れりゃ・・・」がまかり通ってた時代は意外と最近までの様だ。
さすがに、上流に東邦亜鉛の従業員団地が出来てからは此処からの下水やゴミが捨てられて来る様になり、直接口にするものは洗わなくなったが・・・

ま、使用済みのコンドウさんが川底の石に引っかかっているのを見たりしたら誰だって考えてしまうわなあ!

さすがに歳が一回り違うと、ある部分おれとは別世界だなあ。おれ水に興味があるので、水の話面白く読ませてもらった。生き字引だな。雄は。

ただ、たしか雷電様の水は広域水道には組み込まれずにすんだはず。「城内水を守る会」みたいなのが前にあって、上原の大和屋とかおら家のしょがそこで雷電様の水を守ろうみたいなことやってた。
当初、法音寺(村の)も入っていたんだけど、なんやかやで一番先に脱退したとか。で、おらしょはその当事者(現市長)にちょっと怒ってた、という話。

>たしか雷電様の水は広域水道には組み込まれずにすんだはず。

うん、雷電様の水が広域水道に組み込まれたと言うことで無く、藤原が広域水道に組み込まれてしまった、と言うこと。
色々、衛生基準やなんかであのまま行くのは無理が有ったのかも知れないが。

雷電様の水については、鎮守様の下あたりに八海酒造が醸造所を作りたいとかの話も有ったやに聞いている。
一部の人たちが(飲まされて)積極的に動いたとか。

その頃俺は家に居なかったし、詳しい顛末は聞いていないが結局その話は実現に至らないで済んだ。
そりゃ幾らかの金にはなるだろうが、そんな根もとのところで営利企業の意のままに任せたら、どんなことになるか分かったもんじゃない。

千秋も反対したらしく、「水が余るんだったら、雑掘りに流して置けばいいんだ」と言ったのを聞いたことが有るが、中々気概が有るなあと思ったことだ。

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