実家の嫁さんは大事にした方がいいよ
お盆が終わった。
田舎に帰省し、故郷のお盆を満喫した向きも有っただろう。
まあしかし、あまり色々なことを考えずに、楽しみに故郷に帰れるのは、親の生きている間。
親が死んだあと、実家の権限を握っているのは、親が健在の間、その下で耐え忍んできた赤の他人である後継ぎの嫁さんだ。
あんた方が盆や正月に実家に帰って、日頃の仕事や旦那の世話を忘れて「じょん伸び、ジョンノビ」している時、実家の嫁さんがどんな思いで、他人であるあんた方の世話をしているか。
その辺の想像力が欠如している御仁は、親が死んだあと、途端に故郷・実家が遠くなってしまう。
尤も最近その辺は双方とも随分、ドライに改善されているとは思う。今実家に帰る時でも泊るのは五十沢温泉だったり、六日町温泉だったりするのが多いらしい。
それはそれで多いに結構なことだと思うが。
偉そうなことはおいらにも言えない。
親を置いて家を出てきた身としては、逆に親の生きている間、今、現におんぶにだっこで親の世話を任せている妹夫婦に足を向けて寝られない。
盆・正月とは言わず、しょっちゅう帰って少しでもそのお手伝いをしなければ、と思うのだが、仕事やら様々な現実が立ちはだかってそう云う訳にも行かない。
巻、本家、旦那しょ、分家
田舎暮らし
………と、愚痴を言う積りでこのページを新規に立ち上げた訳ではない。
テーマは「巻、本家、旦那しょ、分家」だ。
ここでも書いたが、藤原などと言う城内でも山際の集落で過ごしたおいらにとって、上原ですら憧れの地、六日町などは大都会だった。
その「憧れの地」を、遥かに飛び越えて今、東京は渋谷でシティボーイをしている。
しかしここ10年程の間、おいらの心を(時々だが)占めるのは「田舎暮らし」だ。
この「田舎暮らし」は、既に確立したキーワードとして、本や雑誌のタイトルにもなっている。
おいら自身、今それ程の確固とした気持ちが有る訳ではなく、なんとなくの憧れ、東京暮らしのアンチテーゼに過ぎないのだが、まあそれは兎も角………、
おれがこう云う話をすると、どこからも決まって「六日町に帰るんだな」と言われる。
そこに実家が有って、親族もいる訳だからごく自然の反応と言える。
だがしかし、「それは無い!」と何時でも言っている。田舎暮らしの実現可能性の是非は兎も角、実家の近くに帰ることは無いだろう。
交際費
その理由は一つ。
何しろあの辺りは、冠婚葬祭費、交際費が半端じゃないんだな。何かの度にン万円が平気で飛んでゆく。
おれの母方の叔父さんで、長い間北海道で働き、晩年地元に帰って来た人がいる。親戚の土地に家を建て、その意味では他の土地に居を構えるよりは地元のメリットが有ったと思う。
しかしその叔父さんが言っていた。「大変なところに来た」って。要するに地元に帰った時、その交際費が「大変な」ことになってしまう訳だ。年金暮らしの身にとってはバカに出来ない切実な実感だろう。
だからこそ同じ田舎暮らしでも、有る程度「知らん顔」の出来る、別の土地がいいんじゃないかと、都合のいいことを考えてしまう訳だ。
本家は大変なんだぞ!
しかし、ここまでは「叔父さん」だの、我が家みたいな本家からの「分家」の愚痴話。
本当に深刻なのは、地元の「旦那しょ」と言われる本家だろう。
これは本当になんとかしなくちゃならない問題だ。って、そう思うばかりで実際は何もしていないが。
本家の、冠婚葬祭を始めとする様々な負担は、本当に半端じゃない。
去年の秋、我が家ではお祖父ちゃん・お祖母ちゃんの33回忌のイベントを行った。
そもそもそんな話を提起してくれたのも、おれより2つ下の本家のおやじさん。こっちはそれ迄そんなこと全く意識すら無かった訳だ。つまり日常的にお寺さんとの連絡を密にして、岡村巻全体に目を配っていてくれたってことだ。
菩提寺との付き合いだって、時間も金もバカにはならない筈だ。
しかもその33回忌には本家として、当然参加してくれるし、これ又当然のこととして金一封を持ってきてくれる。
33回忌に限らず、結婚、葬式、様々な出来事が巻で起こるたびに、本家は仕事を休んで、金を包んで出席しなければならない。その額も分家を下回る訳には行かない。
昔はそれでも良かった
昔、封建的土地貸借を基礎にした時代は勿論、経済の基盤が田んぼや畑、つまり土地所有に有った時、この本家、分家の関係はちゃんとした経済的基礎を持っていたのだろう。
耕運機やトラクター、田植え機やコンバインが無かった時、二男や三男は飼い殺しみたいに貴重な労働力だったろうし、その働きに応じて分家もさせてやることができた。
分家させた後でも、忙しい時には労働力として自由に徴発して来ただろうし、その代わり本家は分家の面倒も見て来ただろうし、それが出来た。
本家の権限と分家の関係は、土地と言う確固とした経済基盤の上に、その意味では無理のない形で長い間機能して来たのだと思う。
しかし、今はどうだ。
城内で田んぼや畑に経済の主たる基盤を置いている家が何軒有るのだろう。殆どゼロだ。
城内に限らず今農業の担い手は、役場や農協などその地の公的機関を勤め上げ、退職金や年金で取りあえず生活出来る、60歳以上の「元、勤め人」に専ら委ねられている、と言っていい。
経済の基礎が土地からスッカリ離れている時、因習だけは土地を基盤とした封建的「本家・分家」の関係が残っている。それも本家の「権限」だけが抜け落ちる形で。
おれの下の妹の嫁ぎ先もいわゆる「旦那しょ」で、あまり口には出さないがその苦労たるや相当のものだろうと推測できる。
本当になんとかしないと、本家に嫁の来ては無くなる。
………と言いながら、何もせず傍観している私。
追伸
なお、この旦那しょの各位、私が知っている限りで本当に良く出来た人物だ。
ここでも紹介した藤原の岡村巻きの本家は、先代も今の親父も腹が据わっているし、家内の実家の本家の旦那は、若くして親父さんを無くして歳も私より若いが、回りが文句なしに認める人物。妹の嫁ぎ先の義弟も同じく穏やかな本当に良くできた婿だ。妹が嫁として務まったのは正にこの旦那のお陰だな。
地位がその人物を育てると言うが、いい悪いは別として、生まれながらにその自覚を叩きこまれてくるんだろうな、多分。
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