故郷を離れて既に40年 東京・武蔵野の水辺を中心とした身近な風景と駄文を発信します

雑堀、墓場、おりょう塚

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以前、Community掲示板に掲載した文章を、掲示板閉鎖に伴いこちらに移転しました。若干の補足を加えて。
地元以外の人には勝手が分からないかも知れませんが、悪しからず。

 

ランドマークとしての、墓場

※ 下の図をクリック、拡大表示すると文字が読みやすくなります。

墓場.jpg

 

近年しきりに昔の、具体的には土改前の故郷の風景が懐かしく思い出される。
特に比較的記憶が鮮明なのが墓場。昔はアチコチ大小取り混ぜて墓場が点在していた。共同でなく1軒で持っている家もあった。
おっかなくて子供心に印象深かった、と言うことも有るだろうし、墓場には栗やクルミの木が植えてあって、秋にその実を拾いに頻繁に行ったと云うことも有るのだろう。
兎も角おいらの記憶の中で墓場は、言わばランドマーク。

この点在する墓場を点として、点と点を結ぶ線を思い出そうとするのだが、或る程度ハッキリ思い出せるところも有れば、モヤが掛かったように曖昧なところも有る。
今回もGoogle Mapからの航空写真を掲載するに当たって、昔の道を書き込もうとしたが記憶が定かでなく、うまく道が繋がらず書き込み出来なかった。

無くなって初めてその存在の大きさが感じられるのだが、若し当時今の気持ちとカメラが有ったなら、土改前の故郷の風景を撮りまくっていただろうにと、所詮叶わぬ想いで振り返る。

幾つかあった墓場の中でやはり存在感の有ったのは、藤原のしんばか(新墓じゃないよ、死ん墓)とみょっち(妙音寺)の死ん墓。
俺たちの子供の頃は既に火葬になっていた筈だがその昔は土葬だった訳で、土饅頭になって少しばかり盛り上がっているところに石が置いて有ったりした。
今ああ云う怖くて気持ちの悪い場所が有れば、逆にカメラマンの格好の撮影場所になっているかもな。

秀一の家の脇の道を、かじ(屋号)の前を通り雑堀の橋を渡ってみょっちに抜ける道の途中にも、小さな墓(図、1の墓)みたいな場所が有ったし、その先には地蔵様だかなんかの祠が有った。
いずれもその近くに栗や椎の木が有って、カブトムシのかっこうの採取場所だった。

藤原からみょっちまでのこの道、今は長い田んぼ3枚で繋がっている、見通せば僅かな距離なのだが、当時子供にとっては異世界に通ずる道だった。
今のように道も真直ぐじゃ無かったし、アチコチ木も生えていて見通しが利かなかったことも有るのだろう。

この墓場が有った場所は、籐助の前から雑堀の橋を渡って、その雑堀沿いに細い道を下った、その交差した場所に有った訳だが、この堀沿いの小路も同じで、今見れば直ぐそこの100メートル余りの距離なのだが、やはり当時は随分長い道に思えた。

現在コンクリートで固められている雑堀も、当時はその川沿いが雑木で藪になっていて木の芽(アケビの芽)のこれ又格好の採取場所になっていた。
俺の家の裏から、かつおの家のうら、亘の家の裏を通って、かじの家に至る、200メートル有るか無いかの藪を探すとそれでも1回分位の木の芽が採れた。
不思議なことにここでアケビの実を取った記憶は無いんだな。子供にしてみれば木の芽よりその実の方が興味が有った筈なのに。

一度、ばあちゃんと一緒にこの雑堀沿いで木の芽を採っていた時、肝をつぶしたことが有った。
藪の地面に枯葉が敷かれているようなところが有って、ばあちゃんがそれを足で払ったところ、何とその下に蛇が何匹もとぐろを巻いて冬眠していたんだ。だしぬけに現れる蛇はいつもドキっとするが、この時にもビックリした。

藤原のしもにも、みょっちと野際のほぼ中間点に抜ける道が有って、その途中にも両側に墓場(図、2の墓)が有ったし、栗やクルミの木が有って、秋の朝早く、他の子供が拾いに行かないうちにと、競って拾いに行ったものだ。
この道から畑の中に細い道が別れて、そこを行くとみょっちの死ん墓に繋がる。
昔みょっちに豆腐屋が有って、時たまそこに豆腐買いに行かされた訳だが、その都度この前を通る。気持ちのいいものでは無かったなあ。

 

おりょう塚

この、2の墓場を少し行った途中に「おりょう塚」があった筈だ。「筈だ」って言うのは、実はその場所を正確には知らないからだが、大方の見当だけは付く。

このおりょう塚の由来を俺はずっと次のように覚えていた。

昔、おりょうと言う母親と娘の二人連れが部落を通り一夜の宿を乞うたが、どの家からも断られ母子は止むなく鎮守様かどこかの御堂で野宿した。
その夜部落に火事が有り、母子が宿を断られた腹いせに放火したんじゃないかと、2人は部落の住民になぶり殺された。
その後火災の本当の原因が分かり、母子の無実が判明したが後の祭り。二人の亡骸を手厚く葬り、おりょう塚とした。

こう言った話は内容を変えて同じ展開のものが各地に有り、若しかしたら「おりょう塚」の名前から勝手に連想したおいらの空想物語だったのかも知れない。
3、4年前、親父に聞いてみたところ全く違った話だった。

藤原が飢饉かなんかで困っていた時、おりょうと言う比丘尼か何かが、自ら生きながら穴に入り、救済を願って念仏を唱え生き仏となった、と言うことだった。
ふーむ、おれの作り話の方が、話としては面白いのにな、と思ったことだ。

 

焼き場

ところで………、
墓と言えば、下原の花水に向かう道の、こちらから行くと左側に「焼き場」が有った。
これも強烈な印象を与えた筈だが、どうもその佇まいと言うか、風景を思い出せない。小さなお堂のような、微かな記憶が有るが。
藤原からすれば城内の反対側で通ることが少なかったからだが、地元の人たちにとっては夜の往来には鬼門だったんだろうな。
史料が有れば亘にでも描いて貰いたいものだが。

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コメント(1)

>秀一の家の脇の道を~~通り雑堀の橋を渡ってみょっちに抜ける道の途中にも、小さな墓~~みたいな場所が有ったし、その先には地蔵様だかなんかの祠が有った。
>藤原からみょっちまでのこの道、今は長い田んぼ3枚で繋がっている、見通せば僅かな距離なのだが、当時子供にとっては異世界に通ずる道だった。

これはまさにおれも書こうと思っていたところ。おれが5歳だったかの時、ひいじいさんが死んで、そのときは確かひつぎを担いで家の裏の墓に埋めに行った。おれはなぜかそのときスキップして棺について行ったような記憶がある。棺は金色に輝いていてきれいだった・・・・。

本当に隣村までの距離は遠かった。みょっちまでなんてうちの裏から行ったけど桑の木やら何やらの木のトンネルを通っていく感じだったもんな。一度みょっちの池のあるでかい家(どこんしょだっけ)の近辺で迷ったことがある。で、その隣の家の人に途中まで送ってもらったっけ。
今は全然木がなくなって殺風景。今なら迷いたいくらいだ。

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