『団塊の世代』で、目先に迫った親父の死、それに続く葬式への懸念に触れたら、秀一から「しんごと(死に事)は『仕事』で、大変だな」と言うようなコメントを貰った。
確かに葬式は大仕事だ。
葬儀は今も昔も大イベント、特に昔は………、
今は葬祭センターのようなところで、通夜から告別式、会葬者へのお斎(おとき)まで全部お任せが普通で、金は掛かるが施主側の手間は相当シンプルなものになっている。
昔は全部自宅でやっていて、結婚式と違って時に予告なしに突然発生する死に事に、家の片付けから始まって、会葬者の名簿作り、そこへの連絡、通夜や葬儀の段取りなど、てんてこ舞いだった(筈だ)。
施主側も大変だったが、回りも大変だった。
巻とか隣組、五人組みたいなモノが有って、巻は本家・分家を基本とした、岡村なら岡村の眷族と言うことだし、隣組は隣近所の関係でそれぞれ役割がある。
五人組は出棺の際、棺桶を担ぐ役割だったと記憶している。で、ユニークなのはなるべく巻だの隣組だのとダブらないような組み合わせになっていたようだ。つまり巻や隣組だと、会葬やお手伝いで拘束されるので、そうでない組み合わせで棺桶担ぎをして貰おう、と言うことらしい。勿論五人組の起源は葬式だけに有る訳じゃないと思うけど。
葬儀の式そのものの大変さと別に、特に大仕事だったのが巻や隣近所が分担する、会葬者へのお斎(食事)作りで、葬儀の後、四十九日日も一緒にやってしまう場合が多く、最後の精進上げまで2、3日に渡って続くことが多かった。
今は葬祭センターにしろ、仕出し屋からの折にしろ、刺身やてんぷら、或いは肉を使った洋式のオードブルが普通に出るが、昔は当然精進料理だったし、メニューは大体決まっていた。
殆ど忘れてしまったが、中で、からしなますだとかごま豆腐、けんちん汁等が定番だったことと、それが本当に旨かったことを覚えている。
けんちん汁
精進料理でややもすると淡泊過ぎてもの足りなさに欠ける中、油を使うけんちんはメインディッシュで、葬式に参列する時には不謹慎ながらそれを楽しみに出席したものだ。
作る方もその道のベテランが、けんちん方に回り、若い者を指図しながら気合を入れて作っていた。
藤原で岡村巻きの葬儀では、伊之助の今は亡き親父がいつもこのけんちん方の統領を務めていた。今の親父も腕は利くらしい。
牛蒡やカンピョー、豆腐やこんにゃくが入った、具だくさんの油汁だったが、一度だけこの豆腐を締めて、締め豆腐にしたけんちん汁作りに立ち会ったことが有る。
私の二十歳前後のことだったと思うが、我が家の前の、久左衛門新宅、ミネオの家だが、その髭の爺さんが死んだ時の葬式だった。私も使いっ走りでお手伝いに上がっていた。
豆腐をそのまま汁に入れると、かき回している内に崩れる。普通はそれをしょうがないものとしているのだが、この時には豆腐を藁つとこに入れ、縛ってから大きな鍋で茹で、締め豆腐にすると云う、ひと手間もふた手間も掛けてからけんちんに入れていた。
締め豆腐等と言うものを初めて知ったし、そのやり方も初めて見たものだった。
けんちんは葬式ごっつぉのメインディッシュで、多分集落が変っても概ねこれは定番だったと思う。
ただその食べ方と言うか作法には部落による違いが有るらしく、藤原と下出浦でその違いに出くわし、これも少し意外に思ったことだった。
藤原ではけんちんのお代りをすることは普通のことだったと思う。作る方もそれが嬉しくてそれを見込んで沢山作って置いた筈だ。
ところが妻の実家で親の葬儀が有った時、同じ感覚でお代りをしたら、けんちんのお代りは基本的にしないものだと言われた。まあしかし「美味しいからお代り」 と言われたことがやはり嬉しかったらしく、そう言いながらもお代りに応じてくれたし、私も恐縮しながら二杯目を頂いた。
けんちんを含めたこれら葬式料理は、作る方も大変では有るが当時、この伝統は残すべきだなあと思っていたものだ。
それが今自分自身、親父の葬式を目先に控え、到底それが叶わないことを思っている。
家で葬儀をやることも、あのボロ屋では無理だし、隣近所にお願いしてそんなゴッタクをすることも無理だ。全部葬祭センターにお任せ方針を、先日兄弟・姉妹で決めて来た。
今昔通りの葬式ごっつぉを用意して会席者に出している家は有るのだろうか。
あのけんちんを今、家で味わいたいと作って見ても、到底その味を再現することは出来なかった。
これも古き良き時代の思い出の一つになった。
人の死は突然だ! そうだよな!
外に出て居て、数十年前の実態しか見てないが何に付けても隣組・巻と言う結束が機能して居ればこそ、こう言う事態には心強かった。
向う3軒両隣は、ほゞ無条件に手伝うのが当たり前の世の中だったな!
(生活様式の変わった現代の尺度で見れば、良し悪しも色々あるが)
俺がまだ田舎に居た頃、おら家(うち)は親父が大工の棟梁やってた関係で、誰かが亡くなると棺桶作りを頼まれた。
棺桶と言っても丸い桶や長方形の棺では無い、お神輿形そのもので有った。
人がしゃがんだ形で入れる四角い木箱の四方には欄間の透かし彫りの様に切り出した板などで飾りを付け、天井には四隅を反り返らせた屋根をのせ天辺には、棒の先に紙で作った短冊(?神社でお祓いの時など使う四角の紙が繋がっているやつ)を付ける。
勿論親父1人で作る訳では無く、弟子や大工仲間をかき集めて半日か1日で仕上げるのだが、正業を止めてでもやらなければならない事が多く、こちらも大変だったらしい。
それに、事が事だけに手間賃も弟子や仲間にも満足に払えない事が多かったと聞く。(実際、作業中の食事や完成時の飲食代は殆んど持ち出しと、よく母がこぼしていた)
それでも、断る事を考えた事は無かった親父(と母が言ってた)に敬意を持つな。
けんちん汁
確かに最近は美味いけんちん汁に出会った事はない。
食いたいなー! 満足できる様な美味いけんちん汁!
けんちん汁って、鎌倉・建長寺の精進料理が始まりなんだって? そう言えば、けんちょん汁って言う人も居る様な・・・?
確かに藤原はおかわりする、というか給仕の方から「もういっぺいもろうか」みたいなことを言ってくる。
あとやっぱり「けんちょん」と発音するな。
うまいけんちょんは、おれ的には「あまんだれ」(キノコ)の入ったやつかな。もちろんかんぴょうと豆腐、ゴボウ、こんにゃくは必須だが。
>うまいけんちょんは、おれ的には「あまんだれ」(キノコ)の入ったやつかな。
あまんだれは確かにキノコの王様だ。見た目はヒョロっとして歩(ふ)みたいだけど………。
だがこのあまんだれって名称、どの範囲まで通用するのだろう。
山形の小国だったか秋山郷だったか、道端でキノコを売っていたので「あまんだれって知っているか?」と聞いてみたが通用しなかった。
新潟県内でも通用しないところが多いんじゃないかな。
第一、標準語と言うか全国での統一的な名称が、有るのか無いのか今になっても分からない。
誰かが「モタレ」のことじゃないか?って言ったのを記憶しているが。
統一した名称が無い、或いは非常に狭い範囲でそれぞれ呼び名が違うその原因は、あまんだれの寿命によるものだと思っている。
あまんだれは軸も細く傘も薄っぺらで、直ぐへたる。だから流通に乗りにくい。地元の産物を売っているところでさえさえあまり見掛けることが無い。まして全国的な流通においておや、だ。
2、3年前に城内のAコープであまんだれの塩漬けが売られているのを見たことが有るが、殆どは自家用で消費されて終わる。
多分そのことが全国的な統一名称の無い理由なんだろうな。
シイタケやシメジ、マイタケのように人工培養が出来れば売れるんだろうが、これもへたり易いことが理由で出来ないのかも。