ズーズー弁
私が出た高校は新潟県内全域を学区としていて、遠方からの生徒の為に寮が有った。
遠く魚沼からの私は、県内のアチコチから来た生徒と共にこの寮で3年間過ごした。
既に半世紀も前の話で、当時、寮に入った一年生は掃除や上級生のお使い等、旧軍隊内務班の新兵と同じような扱いだった。それだけに「新兵」同士の意思疎通が、日常のそう言ったアレコレをつつがなくこなし、上級生に怒鳴られずに済む為にも必須のことだったのだが………、
私と相部屋になったもう一人の一年生が、岩船郡山北村、今は村上市に合併されているが、兎も角新潟県の最北端、山形との県境からの出身だった。
…で、この男の言葉がサッパリ分からない。我が人生で初めて聞く生のズーズー弁なんだな。
ズーズー弁は新発田(すんばた)辺りから始まるが、北上するにつれてその度合いが顕著になり、県境の岩船で最高潮に達する。
同じ岩船からの出身者は何人か居たのだが、この男はその中で、おおらかに育ったと言うか天真爛漫と言うか、生まれ育ったままの言葉を何も飾ることなくそのまま話す。
意志疎通の前にそもそも言っていることが分からない。
そのうち、多少その訛りが取れたのかこちらが慣れたのか、「日常業務」をこなす上で支障無くなったが、暫くは本当に往生した。
南北に長い海岸線を持つ新潟県、かと言って南端の糸魚川や西頸城で、言葉に極端な違和感を感じたことは無いから、やはり言葉に関して岩船は、同じ新潟県でも別の世界と言う印象だった。
四文字言葉
この母校で、いつの頃の話か分からないのだが、先輩たちの武勇伝が伝わっている。それはあの四文字言葉に関する話。
「四文字言葉」と言うだけで、或いは文中で「○○○○」と書いて有るだけで、その中身を言わなくても大方の日本人は「アッ、あのことか」と分かって、男はニヤリとするし、女性は目を伏せてうつむく(…振りをする)。
四文字言葉の前に「あの」を付けて、「あの四文字言葉」と言えばより完璧。
新潟にも、同じモノを指す同じく四文字言葉が有って、ただこちらの方は同じ四文字でも、○○○○と、途中に促音と最後に拗音が入る。
同じ四文字言葉でも我が故郷の○○○○は、○○○○と比べてさえその語感が遥かにどぎつく、ボクのような純情な人間は口にするだに恥ずかしさで身がすくむ。
さて………、
昔新潟の高校の修学旅行と言えば、おおかたは関西・四国方面が定番だった。
四国の旅館に泊まった先輩たちの部屋に、旅館の女将だか女中さんだかが来て、「新潟では『さよなら』のことをなんて言うの?」と聞いたんだそうだ。
で、先輩は、「新潟では『○○○○、○○○○』と言う」と教えたそうだ。
翌朝、旅館から出発する先輩たちの一行に向かって、ズラリと並んだ宿のスタッフたちが、それぞれ手を振りながら「○○○○、○○○○、○○○○、○○○○」と大きな声で別れの挨拶をしてくれたんだそうな。
魚沼弁は全国区入り出来るか
我々の子供の頃、方言は恥ずかしいもの、標準語で話すべきものと思わされてきた。
その辺の矯正指導は特に東北辺りで厳しかったらしく、「罰札」なるものが有って、ウッカリ方言を話すその都度、その罰札を首から掛けさせられたとの話を、複数の筋から読んだり聞いたりしている。
丁度我々の子供の時、廊下を走ると週番から紙の札を渡されたのと同じようなもんだが、"屈辱"と言う点では方言の罰札が遥かに重いし、今にして思えば罪が深い。
その辺の事情は、ここでも何回か紹介している「吉里吉里人」の中で詳細に、やや戯曲的な書き方で出てくる。
しかし今状況は大きく変っている。
方言に対する抵抗感は、言う方も聞く方にも薄くなっている。それどころか積極的に方言を語り、それを歓迎する雰囲気すら感じる。
京都ことばを話す女性に雅な魅力を感じたり、商売や営業に向いていると言われる大阪弁が既に共通語並みに定着したり。かって蔑まれた東北のズーズー弁も独特の温かみで、ファンが増えている。
映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の中で、堀北真希扮する主人公のロクが、つい方言を使って恐縮するのに対し、もたいまさこ扮するタバコ屋のババアが、キッパリと「謝ることは無い!、お国言葉は大事にしなさい」と言うシーンが有る。
この一言だけで「ああ、この監督はいい人なんだな」と思わせるに足るセリフだった。
そこで詩を一発。
青森放送だったかに勤めながら(今はもう辞めただろうな)色々幅広い活躍をしている、伊奈かっぺいの『雪』。
出典を明らかにしているので著作権侵害にはならないと思うから、全文を掲載します。なおカッコの中は読み。
初めての人は勿論、既に知っている人も改めて方言、特に津軽弁の温かみを感じて下さい。出来れば声に出して読んで貰うとより効果的かも。
雪(ほんもの) 伊奈かっぺい
あんだぁ
あんだ、芝居コで降る雪(ゆぎ)
見だごと、あれしがぁ?
あれだきゃ
白い紙ば 細(こめ)ぐ切たぎて
舞台(ぶだい)の上がら投げでるんだぉん
あれぁ
切たぎた紙コだどわがてでも
寒び寒びィどした場面になれば
落ぢで来るもんだどごで
見でる方(ほ)も
寒び寒びィど思(おも)らさてまる
テレビの雪(ゆぎ)だきゃ
あれ
発泡スチロール(しちろーる)とがいうもだそォで
やっぱし
寒び寒びィどした場面になれば
降(ふ)て来るもだどごで
見でる方(ほ)も
寒び寒びィど思(おも)らさてまる
作りものの雪(ゆぎ)ァ
寒びィど思わへるために
降らさへるんだもの
あれァ……寒び……
したばて あんだぁ
本当(ほんと)に天がら落ぢで来る
本物(ほもの)の雪(ゆぎ)ぁ
あたらに寒(さ)びぐねぇ
まぁるいぼやらどした
電信柱の光の輪の中(なが)さだけ見(め)る
本物(ほもの)の雪(ゆぎ)ぁ
襟立ででも ぼのごサ入(はい)てくる
サラサラどした
本物(ほもの)の雪(ゆぎ)ぁ
眼鏡サねぱて ―― 溶げで
世の中(なが) にじんで見(め)さへる
本物(ほもの)の雪(ゆぎ)ぁ
あんだぁ
暖(ぬぐ)い ―― ど思いませんが?
可愛(めご)い ―― ど思(おも)らさった事(ごと)ぁ
ありませんが?
私(おら)ぁ
津軽 好ぎだんだ
私(おら)ぁ
津軽(こご)の人達(ふとだぢ)好ぎだんだ
私(おら)ぁ
津軽(こご)サ降る本物(ほもの)の雪(ゆぎ)
好ぎだんだ
したはで ――
暖(ぬぐ)いど思(おも)らさるんだべが……
可愛(めご)いど 思(おも)らさるんだべが……
あんだぁ
暖(ぬぐ)いど思(おも)らさった事(ごと)ぁ……?
可愛(めご)いど 思(おも)らさった事(ごと)ぁ……?
思(おも)らさった事(ごと)ぁ……?
さて本題に戻って(長い前振りだったなあ)………、
京都弁や大阪弁程には無理としても、我が魚沼弁が津軽弁並みに全国的に認知され通用することは有るのだろうか?
この可能性は殆ど有りそうにない、と言うのがおいらの感想。
理由は?と問われて、ハッキリ答えられないんだが、そもそもハッキリした「魚沼弁」と言うのが有るのだろうか?
『方言シリーズ第二弾(イとエ)』でも触れた通り、「イとエ」の混同が有るにしても他に訛りと言ったものは殆ど無い。アクセントや言葉の抑揚も(多分)特別なことは無い。
方言は有るが、これは直る。訛りと違って「一生モノ」にはならない。
要するに標準語との垣根が低いと言うことでもあって、事実言葉で苦労したとの話はあまり聞かない。
言い換えればあまり特徴が無いと言うことで、こう云うモノは逆に特別に認知されると言うことも無い。
強いて特徴を上げると「…が」だろうか。「そういがだて」「駄目んがぁて」等々。
この辺は栃木の「そうだけっとも」等と同レベルの『方言度』だと思うが、これと比べてもどうもあまり品が有るとは言えない。
例えば、「そんなこと言っても駄目だよ」と言うのを、
薩摩の西郷ドンならさしずめ「そげなこつば、言うても駄目でごわす」とか言うんじゃないだろうか。
東北(一口に括れないが)なら、例えば「ほだなごと言(ゆ)たっちゃ、まいね」とか言うんだろうな。
どちらもそれぞれに輪郭のハッキリした特徴が有って、なおかつ味が有る。
それに対し、「すっけぁんこと言ったって駄目だこっつぉお」との言い方が、どうも全国区入り出来るとは思えないんだよなあ。自分でも自信を持って人前で言えそうに思えないし。
九州では○○○○のことをボボという。昔九州の友人が言ってた。ボボブラジル(プロレスラー)が出たときは大変だったと。
おれも「・・・が」は新潟だけだよな、と思っていたら、似たような使い方を高知でしてた。坂本龍馬のところ。
それにしても雄の方言シリーズは面白い。おれも言葉には特に関心があるので方言については何かの折に書こうと思う。
そう言えば沖縄・普天間基地移設予定地も、前後が無くて単語の発音だけ聞けばほゞ90%以上の人は隠語の方を連想するよな!
アッ! 失礼しました、これは地名であって方言では無かった。
方言の方は15年位前ホンダが販売していた車種の名前、これが沖縄の知人の話では“ぼぼ”の隠語だそうだ。
かれこれ10年以上付き合いが切れている。 が、この車種がどれだけ沖縄で売れたのか興味深いね!
雄へ
「東京駅・光のショー」WMV版のUP、今日気が付いて見た。
(気付くのが遅れてゴメン! 別の書き込みとしてUPすると思ってた)
いいね! 迫力がある、動画の良さはこう言う使い方にあると思う。
YouTubeで見るのとは迫力の差は歴然と言える様に感じたよ。
ただ、WMV版は古いバージョンのPCでは再生出来ない事があるのがネックなんだよね!
>おれも「・・・が」は新潟だけだよな、と思っていたら、似たような使い方を高知でしてた。坂本龍馬のところ。
確かにNHK大河ドラマの『龍馬伝』の中で、「そういがですき」とか言っていたな。