暗渠の迷宮-3、今川支流(桃井四丁目から観泉寺まで)
下井草4丁目26、井草川(緑道)に流れ込む長い支流が有る。便宜上「今川支流(仮称)」とし、2回に分けて取り上げる。最初にその上流部。
今川と観泉寺
今川支流(仮称)を歩くうえで、どうしても仁義を切っておかなければならない場所が有る。観泉寺。観泉寺は今川家の菩提寺で今川家累代の墓がある。伽藍も境内も立派で、春の枝垂桜、秋の紅葉も見どころだと言う。
今川氏は、室町時代・戦国時代は駿河国(現静岡県)などを治めた一大大名であったが、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れたのち没落した。義元の子今川氏真は徳川家康の庇護を受けて京などで暮らし、慶長19年(1614年)に江戸で没した。氏真の嫡孫今川直房は高家として江戸幕府に仕え、朝廷との交渉の功績によって正保2年(1645年)に徳川家光から当地(井草村)を含む新たな知行地を与えられた。以後、当地は幕末まで今川家一円知行の所領として続くことになる。
江戸時代の観泉寺は、今川氏の知行地支配の拠点でもあり、領民からの年貢の取立てや裁判なども寺の門前で行われていた。
今川氏は明治時代に断絶したが、現在の当地の地名「今川」の由来となっている。(Wikより引用)
地形図
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撮影Map
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※ 井草川上流域全体のPhoto_mapリストは、こちら。
今川支流(仮称)上流部から
杉並区今川3丁目9辺り、バス通りの脇から暗渠が始まっている。
合流点
120メートル程進むと、南側から入ってくる支流が有る。便宜上、杉並区役所勤労福祉会館からの傍流(仮称)と呼ぶ(って、どっちが支流でどっちが傍流か分からないんだけど)。
一旦今川支流(仮称)から離れ、この傍流(ややこしい!)の上流端から辿ってみる。
杉並区役所勤労福祉会館からの傍流(仮称)
直ぐ脇を通る青梅街道から杉並区勤労福祉会館を見る。写真中央右寄りの所から暗渠を確認できる。
暗渠スタート
上の写真とは反対側から見た、会館脇の水路跡。
勤労福祉会館から一旦一般道に出た後、160メートル程先で住宅街に入る(写真中央部、駐車中の車のところ)。
山谷南公園
合流点
ここで今川支流(仮称)に合流。
今川支流(仮称)に戻って
観泉寺境内域
写真の左側は観泉寺関連の施設・境内。
中央大学杉並高等学校
写真右側は中央大学杉並高等学校校舎。左側は観泉寺の境内。
写真中央、高校グラウンドにぶつかり暗渠道はここで終了。グラウンドを超えて再度始まる。
※ 番外編-観泉寺
順不同です。
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