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貴ブログの「コチャルメルソウ ユキノシタ科 チャルメルソウ属 小蛸吶草」(2018年4月13日掲載)の記事一番下にあるコチャルメルソウ花の構造の画像は、当サイトのページの画像を無断で複写し転載しているものです。
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問い会えず当該画像を削除しました。失礼しました。
2019/12/13(Fri) 07:40:27 [ No.167 ] |
時々思い出してはこちらのHP拝見しています。
昇さんの写真、とてもすばらしいですね。 なかなか山に登れないので上からの景色を見せていただき 有難うございます。朝焼けもすてきです。 私は亘さんの絵がとても好きです。暖かく懐かしくて。 新作が見られなくなった事とても残念です。 いつか画集がもしできたなら絶対買いたいです。 また素敵な写真をお願いします。 2018/02/03(Sat) 11:19:23 [ No.163 ] |
今日、幾つかのルートを通してメンバーの亘が亡くなったことを知った。
実は丁度昨日、心配してのメールを出したばかりだった。「亘ページ」での更新が5月1日でストップしたままだったから。 こう言う点で彼は非常に律儀な男で(彼との電話やメールのやり取りで、ずぼらな俺は何度「なんて面倒な男だ!!」と思ったことか)何かの都合で投稿が出来ない場合、必ず事前にその旨コメントが有ったものだ。それがないままの更新ストップは不自然だし、心配してのメールだったが、懸念が最悪の形で現実になってしまった。 2011年初めてこの「八海山倶楽部」が設置された訳だが、私が何か貢献したことが有ったとすれば、その一番はそれまでNETに無縁な亘を引きずり込んだことだった。 お陰で1本背骨が通ったブログになったと思うし、智道始め地元メンバーの心意気で、今まさに「トミオカホワイト」での展示に繋がっている。 亘は初めのころ自分の作品が、NETを通して地球の反対側のアメリカから見られているなんてことに大感激だった。「雄、アメリカだぞ、アメリカ!」なんてメールを貰ったことが有った。 その亘が亡くなった。 亘は同じ藤原での遊び仲間だった。 その辺は……… http://hakkaisan-photo.com/y-ok/2012/06/memory1.html ここにも少しばかり書いておいたが、この頃亘にこんな絵の才能があるなんて、全然思っていなくて、『八海山のホラ』を見た時にはびっくりしたものだ。 まだまだ活躍の可能性が有る筈だった惜しい才能を失った。 合掌 追伸 「亘ページ」は現在独自のサーバーに置かれてNET上に配信されている。 直ぐにはサーバー契約が閉鎖されることはないだろうが、閉鎖される前に「八海山倶楽部」に移して残しておきたいと思う。 色々厳密には著作権だのなんだの有るかも知れないが、元々「八海山倶楽部」でのコンテンツだったし、亘も後に残ることことこそ望むものだろう。 2016/05/20(Fri) 13:41:25 [ No.153 ] |
トミオカホワイト美術館での、亘の『場内散歩』を、「南魚沼市女子力観光プロモーションチーム」にメールで案内をした。
その返事が来て、既に当該サイトでも取り上げてくれていたようだった。 又、その記事の中で、公民館城内分館のブログでも大きく取り上げて貰っていることも分かった。 1年間通しての企画だから、相当話題になることだろう。 おいらからのメールのコピー。 こんにちは 『八海山倶楽部』の雄です。 http://hakkaisan-photo.com/ ふるさと魚沼の、活きのいい女性の旺盛な活躍に敬意を表します。 実はメンバーの一人、亘の素晴らしいイラストが、4月から1年間を通し、トミオカホワイト美術館で展示されています。 http://www.6bun.jp/white/ ラウンジでの展示ですので入場無料です。 取材・拡散して頂けると有りがたいし、それだけのことは有る内容だと思います。 取りあえずはご案内まで。 今後ますますのご活躍、お祈りしております。 展示内容の案内 http://non.hakkaisan-photo.com/ 『亘の絵日記』ページ http://wataru-ig.com/ 「女子力」からの返信(概要) 雄さん、こんにちは。 南魚沼より女子力観光プロモーションチームの○○□□□です。 メールを頂きありがとうございます。 とっても嬉しかったです!! 城内の地域づくり協議会の会長 田鍋さんから情報はお聞きしていて 女子力のブログでもご案内しています(*^_^*) こちら▼ http://joshi-ryoku.jp/blog/?p=34409 私も行ってきましたので、またご紹介したいと思います! 本当に素晴らしいですよね! 気持ちが温かくなります。私の義理の母の実家も城内なので 母を毎月連れて行こうと思います! ありがとうございました!! 2016/04/19(Tue) 16:44:23 [ No.151 ] |
冒頭の写真、いいですね。
絵?でしょうか、心温まります。 これからも、よい写真見せてください。 目にとまっただけで、・・・ 2015/12/27(Sun) 21:28:28 [ No.145 ] |
○亀福寺についても教えて下さい。
十日町周辺の地名を「岡山県製鉄地名市町村小字一覧」であてはめると何故寺社が多いのか判ります。 直江兼続の出自、泉氏、樋口を追って見ると、神奈川県愛甲郡と、この地域の類似性に気付かされます。 宜しくお願いします。 2015/09/30(Wed) 13:12:45 [ No.142 ]
亀福寺については、平成25年4月10日、法音寺歴史の会発行の『法音寺村誌』20ページにも書かれていますが、名前の由来は一切書かれていません。位置づけとしては、「末寺」とかではなく、「別院」だったらしいです。勝手な想像をすると、いろいろと忙しくなったので、もう一つ作ろうかという感じでしょうか?
2015/10/24(Sat) 17:16:34 [ No.144 ] |
六分の秀一さんに連絡。
遅くなって申し訳ありません。 昨夜打ち合わせがあり、早速の連絡です。 狼煙は10月18日(日曜日)です。 午前9時に田崎の山王様に集合と決まりました。(雨天決行です)雨の場合は雨具を用意してください。 持参する物は山の上で呑むビールくらいで何もいりません。 下山したあとの慰労会は会で用意します。会費制ですのであしからず。 もし都合がつけば参加しませんか。 他の八海山倶楽部のメンバーも参加しませんか。大人の火遊び面白いですよ。 新潟狼煙プロジェクトin野際城メンバー正田進 2015/10/10(Sat) 11:01:49 [ No.143 ] |
村上様
ご連絡ありがとうございます、ぜひ、お譲りください、私の、住所は、370−0344、群馬県太田市、新田早川町412、多田秀美、電話は、090、ー3340−9068になります、送料、他を、お知らせください、よろしくお願いいたします。 2015/06/10(Wed) 06:48:57 [ No.139 ]
メールでのやり取りがうまく出来なくて済みませんでした。
早速、法音寺の方と連絡を取って見ます。 古文書の関連を少し聞きたいので後で電話致します。 2015/06/10(Wed) 08:25:37 [ No.141 ] |
この間、法音寺村誌が発行の記事を読みました、今私の手元に法音寺村と書かれた、幕末明治の古文書があり、この、村誌が読みたいのですが、購入は出来るのでしょうか。
2015/05/06(Wed) 06:43:24 [ No.132 ] 多田さん 掲示版を見るのが遅れてすみませんでした。 隣の藤原地区の知人に在庫の有無と地区外の方にやるのが可能なのかを調べてもらっています。 手元に法音寺村の古文書があるということは法音寺村につながりがある方でしょうか。 もう少しお待ちください。 2015/06/06(Sat) 17:40:05 [ No.133 ]
上記の知人からの返事だと、OKのようですので下記の私のメールアドレスに連絡ください。
m.tomomiti@ac.wakwak.com 2015/06/06(Sat) 20:54:23 [ No.134 ]
「法音寺村誌」には大いに興味がある。
以前ブログアップした藤原のルーツ(http://hakkaisan-photo.com/q/2012/11/fujiwara.html)にも関係有る事だろうし。 出来たら俺も読みたいんだが、頼めるだろうか? 一時借用でもいいのだが!(部分的にはコピーさせてもらうかも?) 2015/06/07(Sun) 15:17:04 [ No.135 ]
智道へ
多田さんの投稿は1月以上前になるから、もう見ていないかも知れないね。 多田さんの要望に応えられると言うことなら、連絡してやった方がいいかもしれない。 投稿名をクリックするとメールアドレスが表示される。 メールで直接連絡してもいいし、この掲示板を見るように言ってもいいと思う。 宜しく。 2015/06/09(Tue) 05:35:04 [ No.136 ]
雄へ
ありがとう。 早速、多田さんへメールしました。 秀一さんには手元にあるかどうか聞いていますが。 2015/06/09(Tue) 11:40:53 [ No.137 ]
法音寺村と書かれた古文書の方が気になりますがそれが村誌に出ているということでしょうか?投稿は。
法音寺村誌は持っていますが、購入できるかどうかはわかりません。私は実家でもらいました。素晴らしい出来です。親の話によると、法音寺には歴史好きの人たちがいて、いろいろと調べたりしているそうです。 村誌は平成25年4月10日発行、発行者は法音寺歴史の会(会長並木正弘さん)、編集は村誌発刊委員会、印刷所はケイフラップ。 2015/06/10(Wed) 05:43:08 [ No.138 ]
秀一さん
書き込み不足で済みませんでした。 ツバQの書き込みの件で、 そうですか。秀一さんの手元にあるようですので。 法音寺村誌をツバQへ貸出しをお願い出来ないでしょうか。 多田さんからの依頼の件は法音寺の編集担当者様へ依頼して見ます。 2015/06/10(Wed) 08:21:04 [ No.140 ] |
2014/11/02(Sun) 08:23:12 [ No.122 ]
そうか、小学校の北側には銀杏が有ったんだ!
正直、今迄此処には南・グランド側には桜が有ったので同じく桜だろうと思ってた。 改めて見たら「銀杏」もやはり素晴らしい! 我々が育った昔の小学校だったかJA倉庫辺りだったか? 何処かに1本大きな 銀杏の大木が有った様な気がする。 今の小学校のこちら、北側からの写真はあまり見た事なかったが、この角度もいいね! さらに銀杏の黄葉が加わって味わいの有る映像になっている。冠雪残る牛ヶ岳もいい。 2014/11/03(Mon) 21:12:36 [ No.123 ]
ツバQさん おはようございます。
寒くなりました、今朝はうっすら霜が降りています、菜園の野菜は、少し凍みています。 今年の魚沼の紅葉は本当に綺麗ですよ。 小学校の銀杏綺麗でしょ、南側も綺麗に紅葉しています。 2014/11/05(Wed) 06:57:13 [ No.124 ] |
2014/10/29(Wed) 18:18:31 [ No.121 ] |
2014/10/18(Sat) 10:02:33 [ No.120 ] |
はじめまして、北海道からです。私はこちらの神社の遠戚です(たぶん)。私は現在56歳ですが、母の母(おばあちゃん・すでに死亡・母も死亡)の弟さんが栗田さんという神主さんだったということを聞いています。
知りたいことがありまして書き込みします。第二次世界大戦終戦前後に、ここの神社の倉か何かを建て替えたそうで、出てきた物をおばあちゃんが少し頂いてきたそうなんです。その中に玉虫で出来た錦絵がありました。玉虫で出来た物と言えば、国宝で法隆寺にある玉虫厨子が有名ですが、昭和40年ころ、私が7歳くらいのときに、私の父が物置整理をしているときにこれを出してきたのですが、なんと鼠にかじられて穴があいていました。絵柄は良く覚えているのですが、中国か朝鮮半島的な彩色鮮やかな錦絵でした。私の父は無学で、なんと穴が空いてしまったからといって焼却してしまったのです、バカです。当時その絵は触ると羽がポロポロと落ちてくる本物でした。 このことから、神社は相当古い歴史を持っていると以前から考えておりましたが、歴史のお話をされているこのホームページを見つけて書き込みしてみました。 身内のバカを晒す内容ですが、何かのご参考になればと思いまして。同じような名前の神社が複数あるようですが、歴史を知りたく思っています。よろしくお願いいたします。 2014/03/23(Sun) 21:35:27 [ No.112 ]
佐藤さん投稿ありがとうございます。倶楽部のメンバーの秀一と言います。
非常に興味深い話しです。燃やしたのは残念ではありますが、昔の人はうちの親も含めてその辺余り頓着しなかったところがあるように感じます。 「法音寺由緒」によれば、法音寺は八海神社の事務を取り仕切る別当であったとあります。また、「城内郷土誌」によれば、創建は応神天皇(又はホンダワケノミコト)3年の頃とあり、法音寺に次いで多くのページが割かれています。 私は52歳なのでもしかしたら中学時代、佐藤さんと一緒だったかもしれませんね。今は東京墨田区に住んでいますが。うちの弟(数えで51)の同級生が暮坪生まれで栗田某といい、兄貴も居ます。 近々新潟に行くのでまわりの人に八海神社についてきいてみます。今後ともよろしくお願いします。 2014/03/27(Thu) 06:49:18 [ No.113 ]
秀一様、レスありがとうございます。私のおばあちゃんは当時栗田家の長女で、次の弟さんが神社を継承したと聞いています。今の神主さんはその弟さんのお孫さんくらいではないかと思います。いま親族を頼って当時分散した物が現存したら神社に戻そうという連絡を取り合っています。もしその中に貴重な歴史的資料があれば地域の宝ですので、、今のところおばあちゃんの子供(私の親の世代)で生存している2名に連絡を取ったり、亡くなってしまった子供(私から見て叔父・叔母にあたります)の遺族にも確認をしています。しかし短めに考えても60年以上経過しているので期待薄ではありますが、私の生存中に努力する義務を感じています。法音寺由緒のとおりであれば、西暦200年代からの神社ということになりまして、相当古く由緒ある神社ですので、郷土の歴史を保存するための意義を感じます。今後ともよろしくお願いいたします。
2014/04/01(Tue) 04:15:45 [ No.114 ]
おはようございます。余談にはなりますが、なぜ物品が分散したかについてわかってきました。
太平洋戦争当時、攻撃などで神社の消失があった場合に備えて、親族を頼りに分散保存したというのが真相のようです。その後平和な時代になっても戻さなかった。70年以上経過していますが、戻せるものがあるか探したいと思います。 2014/04/05(Sat) 07:17:11 [ No.115 ] |