3月です
まだ外は一面の雪野原で、見た目は真冬と変わりませんが、日ざしは日一日と強くなり、春の陽光が野山を駆け巡ります。
朝、雪面にしみが張り(アイスバーン状態になり)全世界、どこでも自由に走りまわることができます。
子供たちは道なんて関係ない、好きな所を歩いて学校に行きます。これをしみ渡りと言います。
1日
しみ渡り
2日
アッパまき
しみ渡りは危険が伴うので、行ってはいけない場所がありました。
藤原の場合――、
道から大きく外れ野際サイドに迂回すると、池田川橋の上流あたりに篤農家の畑(田んぼかもしんない)があって、そこには大量のアッパ(糞)がまいてありました。
冬の間たっぷり貯め込み、じゅうぶんに醗酵(はっこう)させたアッパです。
これをまくことによって、そこだけ早く雪が消える。消えた後、下肥になる。といった一石二鳥の効果を狙ったものですね。
うかつにそのエリアに足を踏み入れると・・・そのあまりの臭さに、
頭はクラクラ、鼻はバカになりました。
もっと危険なのは川。
雪におおわれて、表面上は平地ですが、下はマンホール状になっていて、地下水流がある。
雪は下部から解けだし、3月になるとマンホールは日ごとに大きくなり、水量も増します。
うっかりこの上に乗って落ちたら、出場所がない。
まあ、死ぬしかないだろうなあ。
3日
さんげつみっか(三月三日)
浦佐・普光寺の祭りで通称「サンゲツミッカ」。
そもそもは、1月3日に毘沙門堂の御開帳があり、この日はたくさんの信者が集まり、そこでは施しがなされていた。
これが祭りの端で、後の時代に3月3日に移された、のだそうです。
施しとは、いってみればバラマキ。ちょうど家を新築した時のモチまきをイメージしてもらえばいいかな。弓張提灯や福モチといった縁起ものをばらまく。信者たちが、我先にとこれに群がる。
サンヨーサンヨーという声が飛び交う。漢字で書くと参与。
まく方が発するサンヨーは。(参与して)あげます、という意味。
拾う方が発するサンヨーは。(参与して)ちょうだい、というおねだり意味。
この掛け合いがだんだんエスカレートして堂内は、押し合いへし合いのキリモミ状態になる。
そうしているうちに人息と熱気でもうもうと湯気が立ち込め、汗だくになる。
熱いので着物を脱いで裸になる。またある者は外に飛び出し手水鉢(ちょうずばち)の中に飛び込む。
3月の雪国の夜である。手水鉢の水は凍てつくほどに冷たく、キンタマがちぢみあがる。
こりゃあたまらんと再度、堂内に戻り、押し合に加わり、さらにエスカレートしていく。
大昔はこのようにして行われていた。
それが時代とともにパターン化し、まず裸になり、水行して、押し合いに参加する――という今の形式になった、と聞いたことがあります(ほんとのとこは知らんけど)。
また近くに国際大学ができてからは、けっこう外国人の参加者もあるらしい。
もうひとつ、この祭りの付きものに大ろうそくがあるのだが、その意味は知らない。
それから、関係ないんだけれど――、
サンヨ(バラマキ)とオネダリの構図は、昭和における田中角栄とこの地方を、ちょっとだけ連想してしまいます。
そういえば、浦佐駅の玄関口に角栄さんの肖像が立っています。
4日
ねこやなぎ
雪どけは川のほとりから始まる。
表面を覆っていた雪がなくなり、川の姿が現れると、マンサクが咲き、ネコヤナギが春を告げます。
まんさく
豊年満作の満作、それから万作、金縷梅などの字があてられます。でも語源は「まず咲く」で、これは東北地方で「まんずさく」が訛ったものと言われています。
面白いですね、ふつうは「まず咲く」が訛って「まんず咲く」になるんだけれど、東北では「まんず咲く」が標準語だから、これが訛ると「まずさく→まんさく」になるわけ。
5日
けいちつ(啓蟄)
啓蟄とは虫が土から出てくる日ですが、魚沼地方まだ一面の雪野雪で、土そのものが顔を出していない。したがって、虫なぞ出ようがない。
「いや、おら家ではもう出てきた。ぞろぞろと」
「ほんとかよ。おらあ、昆虫好き人間だから、ぜひ見たいな。手に取って しみじみ匂いもかぎたい」
「いいとも、家へ来な。そしてたっぷり匂いをかぎな、しみじみと」
スキー宿では、乾燥室などの関係で、夜間もストーブをつけっぱなしにしておくので暖かい。
これを春の暖気と勘違いしたのか? 冬でもゾロゾロわいてくる。--ヘクサ虫が。
6日
火の用心
これは子供の仕事。2人1組の輪番制。私のパートナーはとなりのカツオ。
でも小学1年の時だけだったような気がするので、昭和20年代までの習慣だったのかもしれない。
7日
花いちもんめ
8日
寒梅
魚沼は梅、桜、桃が一度に咲く。
でも、雪の中に咲いている梅を湯沢で見ました。
そういう種類なんだろうね。
9日
かもしか
岩原スキー場の第3リフトを降りると、リフト番をしていたおじさんが、
「あそこにカモシカがいますよ」と、指差してくれました。
遠目ですが、山すその木の間を、ゆっくり移動していました。
10日
卒業
3月はまた別れの月。
ずーっと一緒だった学友とも別れなければなりません。
図は、昭和30年代の卒業式。送辞(答辞かも)を読んでいるところ。
卒業式の歌は「ほたるの光」か「仰げば尊し」だったが、こんな歌も記憶にあります。
~♪年月めぐりて早ここに
卒業証書受くる身と
なりつる君らの嬉しさは
そもそも何にかたとうべき
11日
雪さらし
塩沢の風物詩、越後上布を雪にさらすシーン。
雪中に糸となし
雪中に織り
雪水にそそぎ
雪上に晒す
雪ありて縮あり
されば越後縮は雪と人と気力相半ばして、名産の名あり
魚沼郡の雪は縮の親といふべし
『北越雪譜』
12日
十二講
図は『城内郷土誌・貝瀬幸咲著』の表紙に載っていた昔の十二講風景。
新堀新田では今でも続いているようです。友通ページに詳しく載っています。
未だ雪の残る早朝、鎮守様に集まって、名前は忘れたがもち米をすり鉢で擂ったものを持ち寄って、お互いやり取りして食う。そんなもんでも子供としては楽しみだった(雄)。
13日
一宮の市
ザルやミノといった生活用品、あるいはクワやカマといった農機具が、大々的に並ぶ市。
もともとは2月の初申の日に行われたそうですが、一宮神社の祭礼にあわせて、この日に変えたそうです。
魚沼では浦佐の「さんげつみっか」に次いで知れ渡っていて、この日は大沢駅から魚野川を渡って大里(中の島)にあるこの神社まで、ズラーっと人の列ができたとか。
14日
かんずり
妙高の風物詩 かんずりの雪さらし
秋に収穫したトウガラシをいったん塩に漬ける。
冬、これを雪の上にまいて、3~4日さらし、塩抜きをする。
このことによって尖った辛みが抜け、マイルドな味になる。
「よおし、酒のサカナにちょっと失敬しよう。なーに、数本ならわかりゃあしない」
などと、誰もいない時を見計らってポッポし(盗み)に行っても、まだ食べれない。
ここから先、かんずりになるまで3年かかるらしい。
雪さらしの後、柚子や塩を入れた糠(ぬか)床をつくり、再度漬けこむ。
かき混ぜ作業を繰り返しながら3年間寝かせる。しかるのちに初めて製品になる。
15日
うろ(穴)
川のマンホールがどんどん拡大していくころ、似たような現象が木の根元からもおこってきます。
根元の部分から雪が消え、その周囲が穴になります。これを「うろ」と言ったようです。
このころになると、雪はまるで音でも立てるように、ガサッ、ガサッと勢いよく消えていくのです。
おやっ 陽気に誘われてウサギが出てきたようです。
16日
うさぎ
ウサギは、何かの気配を感じたようた。瞬転、身をひる返して走り出しました。
きょう16日は「しろう様」といい、 蚕の豊作祈願。女衆が集まって、ごっつおを食べたり、甘酒を飲んだりした。
17日
まるかけ
ヒューン、ブーメランのようなものが頭上をかすめていきました。
ウサギはうろの中に飛び込みました。
そこで死んだふりをします。ワシやタカが相手だとこれで助かるのですが、今日は相手が悪かった。なんしろ悪がしこい人間。
それでつかまってしまいました。
東北地方ではこれを「まるかけ」と呼んでいるそうですが、魚沼にもあったとiいうことは、以前どこかで入れていただいた、Qサンのコメンで初めて知りました。
以下、Qサンのコメントの引用です。
まだ小学生の頃だったが春まだ浅い良く晴れた寒い朝、しんばいこんばい(凍み渡り)をして田崎の先のサクリゴウ(三国川)の河川敷・雑木林でアカッキ(枝が赤い小木)の枝を探して居たら、突然頭上を「バサバサッ」と何かが通過した。
なんだ?! と、周りを見回すと、ミノ・笠姿の爺さんが小走りに、とある雪のウロ(穴)に駆け寄って、なんと野ウサギを掴み出した。
聞けばイカゾウ(五十沢)の猟師だとの事。
ウサギやキジ・ヤマドリなどは地上に居る時、天敵の鷹や鷲の羽音を聞くと近くのウロに飛び込んで、しばらく動かなくなる習性があるそうで、米俵の蓋を投げると鷹や鷲の羽音に似せられるのだそうだ。
そう、さっきの「バサバサ」音はこの音だったのだ。
この爺さん、かなりベテランらしく出会った時捕まえたウサギはその朝3羽目だった。
投げ方を教えてもらったが、その後の人生で一度も成功した経験は無い。
やはり投げるタイミングや投げ方にノウハウが有りそうだ。
そんな猟が出来る場所も人材も、今は昔の話になってしまったな~。(2012 12 28Q)
※余談・狸寝入り
タヌキはたいそう臆病な動物で、強いショックを受けると気絶して仮死状態になる。
これが周囲から気配を消し、外敵から身を守ることになるのだそうです。だから狸寝入りは生きのびるるための秘策。
もしかしたらウサギにもそういう傾向があるのかもしれませんね。
18日
なだれ
19日
みのむし(蓑虫)
形が蓑(みの)に似ていることからミノムシ。
ミノガの幼虫が周囲の木や葉の繊維を使って、繭(まゆ)のようなものを作り、その中でサナギになった(で、いいのかな? 違うかな?)。
この幼虫を飼育して、飼育箱の中に糸クズや毛糸を入れておくと、それを材料にミノを作るそうですよ。
みのむしの音をききにこよ 草の庵(芭蕉)
20日
やまびこ
何にもない雪の原野。
まるでワンポイントアクセサリーのように、緑の繭(まゆ)が木にぶら下がっています。
風が吹くとカラカラと音を立てることからヤマビコと呼ばれています。
実はウスカビガのまゆ。
21日
けやき(欅)
南魚沼の三名木は雷(いかづち)の大けやき、薬照寺(大沢)の大かつら、法音寺(城内)の大いちょう。
これはそのうちの雷の大けやき(雷新田かもしんない)。
22日
はだかぎ(裸木)
裸木は見た目、枯れ木と変わらない。でもまぎれもなく生きています。
例えばケヤキの大木の下に行くと、あたり一面、おそろしいほどの「気」が漂っているのがわかります。
北風に吹きつけられ、雪にさらされ、それでもなお「りんとして寒に立ち向かっている」そんな感じ。
これがあればこそ春、あの息をのむような見事な新緑に変わるのでしょう。
春近し
昭和30年代の上原遠景
手前に宇田沢川。左手にゴウドウ(城内製糸)。右手に城内小中学校。
Qさんから頂いた当時の写真をイラスト化してみました。
23日
じじいごたち
春分の日(秋分の日も)は太陽が真東から昇り、真西に沈む。
その沈む方向を目指してどんどん行くと――、
今の地球は、一周して元の所へ戻ってしまうけど、昔の地球は、ある所で終わった。
そして、その彼方に岸が見え、極楽浄土(ごくらくじょうど)があった。
これが彼岸。
そこには私たちの祖霊(それい・亡くなったお爺さん・お婆さん、そのまたお爺さん・お婆さん・・・)がいなさる。
「じいじごたち」とは、里帰りする祖霊たちを迎えるため、彼岸の入りに子供たちが歌った歌。
24日
きりぜえ
切菜と書くのかな?
漬菜(野沢菜漬け)を細かく切って、納豆とまぶしたもの。
ご飯がいくらでも入る郷愁の味。
25日
集団就職
昭和39年の東京オリンピックのころがピークだったろうか? 新潟や東北の子が東京へ就職した。
まだ15歳、やはり別れがつらいのだろう。汽車の窓越しにカッカ(母親)にくっついて泣いている。
ふくじゅ草
26日
いぬのふぐり
ひどい名前やね。
フグリってキンタマ・・・いやキンタマ袋のことだろう。
何ちゅう・・・。
犬のキンタマブクロみたいなもん、しみじみ観察したことないからよく知らんけど。
早春をいろどるルリ色の可憐な花だよ。
27日
ひめおどりこ草
冬期間、湯沢で暮らしている私は、ちょうど単身赴任者のように、1ヶ月に1回里帰り(?)します。四日市へ戻る。
すると、日本列島は長いとつくづく感じます。
向こうはまだ雪の中ですが、こっちの日だまりには、イヌノフグリ、ホトケノザ、ヒメオドリコソウが3点セットのように咲き、公園では(名前は英語なので分からないが)菜の花系統の園芸種が咲いています。
ほとけのざ
28日
公園の花
29日
きんりょう
30日
大崎菜
雪の下で、すでに緑の葉を出している野菜、城内でいうところの青菜。
大崎菜とはこの青菜のこととばかり思っていましたが、どんでもない思い込み違いでした。
青菜はたぶんナバナ系統で、花芽も食べます。
大崎菜は、野沢菜系統だそうです。
あおな
むかしは冬の間、青物野菜のない雪国でこれが食卓にのるようになると、「ああ春だなあ」と気持ちがうきうきしたもんです。
たぶん、秋に種をまくのでしょう。雪の下で発芽し、雪の下から葉が出てきます。
いわば野菜版・春一番というところですね。
もっとも、一番葉は(ちょうどキャベツの外側の葉のようなもんで)食べられませんが、数日をまたずしてどんどん葉が増えてきます。
これを青菜と称し大崎菜のこと――とばかり思っていたのですが、どうやら私の思い込み違いで、
ナバナが正解のようです。
たしかホウレンソウも同じような作り方(秋まき)をした、と記憶しています。
31日
浜千鳥
大正6年、若き日の鹿島鳴秋氏が、柏崎の友人のところへふらりと遊びにきて、浦浜から番神海岸を歩いた時、ポケットから手帳を取り出し書きつけたのが、この浜千鳥の詩だそうです。
追加
ハイビスカス
雪国では雪の中、キタンバイとやらにたかられて、さぞ往生してなさっていることでござんしょう。
ここ沖縄では、もうハイビスカスが咲いていますよ。
いやー、もう・・・
あっしのほうは女にたかられて往生しておりやす。
岩っ原
懐かしいな。
子供の頃、オラしょ(家)の斜め裏がエンキョ(屋号・岡村性)で上原の鎮守様の横の家だった。
鎮守様からコウエン墓の森に向かう道の入口を挟んだ左側の家と言った方がわかり易いかな?
そのエンキョ(多分「隠居」の事とは思うが確かめた事は無い)のショが家の前の畑(オラショの真後ろ)で毎年行う行事がこれ、【十二講】だった。(最も、これが【十二講】である事を知ったのは還暦過ぎて【城内郷土誌】を見て以降だった)
雪面の畑の上に雪で祭壇を作り、祭主(エンキョの親父)が備えものとお祈りをした最後に、
「テッジョウ(天上?)くり、ヤマ(山?)ックリ
XXX XXX・・・何て言っているか覚えていない・・・
スッテンドー~!」
って叫びながら天に向かって弓矢を射る姿が目に浮かぶ。 祭り事はそれで終わるのだが、
「スッテンドー~!」と叫ぶ前の「XXX XXX・・・・」の言葉、覚えて居ないのだが、何だかかなり“H”な内容だった様な?気がする(Q)。