12月です
夕べの嵐で、木の葉がみんな散ってしまいました。
いや、まだ、たった1枚だけ残っています。
そういえば、O・ヘンリーに『最後の一葉』という短編がありましたね。
1日
さるすべり(百日紅)
炎天に燃えるように咲く真夏の花。
今見ると、また趣が違います。
2日
まゆみ((檀、真弓)
皮が裂け、真っ赤な実(種)が顔を出しました。メジロがやってきました。
この木は材質が強くよくしなるので、古来より弓の材料に使われたそうです。
梓(あずさ)も弓材として知られていますね――梓弓。
3日
はなみずき(花水木)
4日
うるし(漆)
すぐ、うるしかぶれが連想され、あんまりオトモダチになりたくない木ですね。
でも昔はたいへん重宝な植物でした。
まず誰もが知っている漆塗り用の塗料。これは幹に傷をつけ、樹液を垂らして採った。
実は木蝋(もくろう)といって、ロウソクの原料。
さらに春先の新芽は、汁の実や天ぷらにすると絶品だそうですよ。でも口がかぶれるような気がして、ふつうの人は食べません。
それから紅葉の赤がまた、すごく鮮やかですね。
5日
とべら(扉)
城内にいたころは知らない植物なので、まぎれもない外来植物だと思っていたら、とびら(扉)と表記し、昔からあったようだ。
海岸の森林の最前線に群生するそうだから、潮風に強いのかな。
都市圏では垣根用の植込みなんかに、よく見られます。
この時期、割れた実が綿状になって、遠目には白い花が咲いたようです。
夕飯に「ごっつお」を作って豊作の感謝と身上(しんしょう)がよくなることを祈る。
なお、オオベス様の正月は1月10日になります。
6日
みそづくり(味噌作り)
味噌作り、これも懐かしい光景だな。
味噌作りの自家製をやらなくなった時期は囲炉裏がなくなった頃からだ。
大きな理由は市販の味噌が簡単に手に入る様になったからだが、もう一つの原因は生活様式の変化で味噌玉の乾燥がうまく行かなくなった事。
昔、おらしょも味噌玉を家の2階で乾燥させていたが、囲炉裏を無くしてガスに切り替えて2年目から味噌作りを止めた。
かっかが言うには、前年は味噌玉の1/4が腐ってしまい、残った味噌玉で作った味噌も出来がわるかったと言う。(「20年以上そっけん事はねかったもの
を」って! 言ってた)
味噌玉が美味しく熟成させる囲炉裏のある日常と、柔らかく燻蒸できる高い天井が消えると、味噌作りと言う文化も消えた。
(2012 10 27Q)
7日
だいこだて(大根立)
冬季間、大根を保管する天然冷蔵庫。
8日
はりくよう(針供養)
色さめし 針山並ぶ 供養かな(虚子)
針仕事は、主婦の毎日の勤めだった。
8日を「事納め」といい、この日ばかりは仕事を休み、針箱の掃除をし、豆腐やコンニャクに古針を刺して、針への感謝と裁縫上達を祈ります(図は淡島神社)。
大黒様の年取り・こがね飯(白米に粟を少し混ぜた飯)をたく。
9日
風車
オバケの親子にこんな会話があります。
母オバケ「だめじゃないの。昼間から出たら」
子オバケ「だって夜は怖いもん」
これは風車を作ってあげたジー様と作ってもらった孫の会話です。
「おっ、ちょうどいい。外でやってこい」
「やだ、だって風があるもん」
10日
ヒコーキ
むくどり(椋鳥)
大きさはスズメとカラスの中間ぐらい。
もともと群れで行動しますが、この時期になると、その群れ同士が合流し、大集団をなします。
そのためか? 江戸っ子は、冬、集団で出稼ぎにやって来る越後や東北人を「椋鳥」と呼んだそうです。
椋鳥と人に呼ばるる寒さか(一茶)
11日
プラタナス(鈴懸)
街路や校庭でよく見かける落葉高木。
広い葉を付けます。これを見て西洋人はプラタナスと名付けました。プラタナスとはギリシャ語のplatys(広いという意味)だそうです。
その葉が散ると、ズラリ鈴をぶら下げたような格好で実が姿を現します。日本人はこれを見て鈴懸と名付けました。
せんだん草
12日
大雪注意報 カマキリの卵塊
昭和38年(サンパチ豪雪の年)から30年近く、カマキリの卵塊を観測して天気予報をしてきた人がいたそうです。
長岡市の酒井与喜夫さん。
38年の大雪で、長岡市中、テレビのアンテナが全滅。部品も手に入らない。
当時、家電販売をしていた酒井さんは、この大雪が予測出来たらなあ、と歯ぎしりした。
翌年は、部品などをそれなりに準備していたのかな? でも暖冬異変で雪が降らない。またも大空振り。
そこで「気象庁より、カマキリさんのほうがよっぽどあてになる」ということから、自分で予報を始めた。
この卵塊が高い所にある年は大雪、低い年は小雪。その理由も説得力があって面白いんですが、書き出すときりがないので、このへんにします。
この話は『雪国大全』(佐藤国雄・箸)より引用。
そういえば、湯沢の天気予報も当たったためしがないなあ。
13日
しもばしら(霜柱)
霜柱を踏んだ時のザクッとした足裏感覚が・・・。
14日
初雪
初雪や二の字二の字のゲタの跡
15日
ふぐ(河豚)
賢島の料理屋で、近くの漁業組合の連中が一杯飲み会を開きました。
そこに参加した漁師の丸吉さん。
「なんやテッサか。こんなもの、ワシャ、毎日とっている」
「ドアホ、お前の揚げた安物フグとはわけが違う。本場の下関から取り寄せたもんだ。眼ん玉が飛び出るほど高かったけどな」
「そりゃあな・・・いいか、よく聞けよ。ワシんとこが下関へ出荷して、それを下関の人が下関名物の銘をつけて出しているんやんか」
「ほんまかよ」
「その証拠に、まだ さばいていないやつがあったら、尻尾のところを見てみろ」
「あら、〇吉の刻印が押してある」
まさかフグの尻尾に刻印はしないだろうが、下関名産だから下関の海で揚ったものとは限らないそうです(聞いた話だけど)。
近場の海のもので上等。
16日
かき(牡蠣)
17日
ひよどり とひよどりじょうご(上戸)
ひよどりは里山の鳥ですが、都市圏でも見られます。
ヒーヨ! ヒーヨ! と鳴くからそうつけられたとか(そんな声、聞いたことはないけれど)。
ヒヨドリジョウゴは、蔓(つる)性の植物。その実がひよどりの大好物だからそうつけられたとか。
でも、ひよどりに言わせれば
「特別好きってことァないが、この季節ほかに食べ物がないからね。ただ真っ赤な実がよく目立つので探しやすいからね」
ということらしいですよ。
18日
かもめ(鴎)
日本中どこの海辺にもいる大衆鳥――大衆鳥なんて言葉ないか――まあそれほど馴染みの濃い鳥という意味。
幼鳥の斑紋が籠の目(かごめ)のように見えることからカモメ。
漢字の鴎という文字は、その鳴き声を表しているそうだが、どんな鳴き声? 海猫とも書くから猫の鳴き声かな?
また、波止場、連絡船、別れ・・・なんかとセットで、歌の世界によく登場しますね。その中でわたしの好きなのは、
~♪ 沖の鴎に潮時聞けばよ わたしゃ発つ鳥さ 波に聞け ダンチョネ
19日
おでん
もとは関西の田楽(でんがく)。
それが関東に移り、丁寧語の「お」がついてお田(でん)。
関西では味噌で食べたが、関東では芥子で食べた。
――そうです。
そういえば、私がこちら(三重県)に来たころ、このあたりではまだ「おでん」と言わず「関東煮」と言っていた。
今はもう統一されている。
それから、あのころ「おでん」と言えば、屋台の赤ちょうちんが思い浮かんだが
いま「おでん」と言えば、コンビニが思い浮かびます。
20日
二八そば
つなぎの小麦粉2、そば粉8で作る。だから二八そば。
あるいは江戸時代、一杯の値段が16文だった。2X8=16(にはち じゅうろく)で二八そば。
――と、よく言われますね。
でも、どっちが正解か、そんなもん 江戸時代からわからなかったそうですよ。
それにしても16文は高い。
当時の夜鷹(安女郎)の値段が24文。
客一人とっても、帰りにそば一杯食べれば、手元に8文しか残らない。
あまりといえば、夜鷹さんが、あまりにかわいそう。
二八そばは、その夜鷹がよく食べたことから夜鷹そば、また夜泣きそばとも言われていたそうです。
21日
チャルメラ
夜泣きそばといえば――。
屋台のラーメンのことをそう呼んでいた。
二十歳前、鶴見(神奈川県)の町工場にいたことがあるが、小雪の舞いそうな寒い夜、チャルメラの音が聞こえてくる。
そっと寮を抜け出して、食べに行く。
薄いチャーシューにナルトにメンマに、あと刻み葱をほんの少々・・・だったかな?
汁まですすった。
あれから約46年、以降、あんな うみゃー(美味い)もん、食ったことがねえ。
22日
よーれっこ
10日から20日くらいの間に、村の男女別・年代別の「よーれっこ}が行われた。
「よーれ」とは城内では「ゆうれ」と言ったと記憶しているが、共有という意味。親が兄弟に一つのボールを買って与え、「ゆうれ」で使え、こう言う。
そこから、「よーれっこ」とは場所と食材と労働力を出し合い、みんなで「ごっつぉ(ご馳走)」を作って楽しむ忘年会のようなもの。
その日は、午前10時には集合。はねるのは夜の11時ごろ。
とりわけ姉さ衆(若奥さんたち)の「よーれっこ」は、同じ境遇同士が寄合い、うるさい姑・小姑から解放されて、ひときわ楽しくにぎやかだったことだろう。
城内では、「よーれっこ」とは呼ばず、ずばり「出し合い」といったと思う。
子供たちだけの「出し合い」もあった。
誰かが、親から「バサっ鳥(老いて卵を産まなくなった鶏」を1羽ひねってもらって持ってくる。
それで「だいすかれー(カレーラス)」を作る。
とうじ肉入りのだいすかれーなんて、めったに口にすることはできない。だから大変なごっつぉ。
ところがバサっ鳥のほとんどは骨と皮だから、口にできるのは(いわゆる鳥肌といわれる毛をむしった後のブツブツ状の)皮ばかり。ぶつぶつの上にむしり残しの毛が付いている。それにゴムのようでなかなか噛みきれない。
それでも楽しい一夜だった。
忘年会
今の忘年会は、2~3時間の宴席をもうけ、2次会はカラオケと相場が決まっているようですね。
カラオケのなかったころは、みんなで手拍子をとりながら歌った。「♪~ ひとつと出たほいのよさほいほい」
かくし芸も面白かった。
会社では超真面目係長が、空になった一升瓶を手に、ヨカチンチンを踊りだす。これがまた、ものすごくうまい。
あの真面目人間がいったい、どこで練習をしたんだろう?
かくし芸の極めつけは、カッパらしいですよ。
一匹が、もう一匹のけつの穴に火吹き竹を突っ込み、プッと吹く。すると頭の皿がポンと宙に浮く。プッ、ポン、プッ、ポン・・・。
芸を極めたカッパは、チャルメラの要領で吹く。ピホ、ピホ、プピー、それに合わせて皿が上下します。
23日
はましぎ(浜鴫)
今日は天皇誕生日。
お株をすっかりスカイツリーに奪われてしまいましたが、東京タワーが完成したのも昭和33年(1958)の今日。
24日
越後の銘酒
今日はクリスマス・イヴ 。
25日
みかきにしん(身欠鰊)
雪の山国の「とと(魚)」といえば、身欠ニシンと棒ダラくらいだった。
今はスーパーへ行けば全国どこでも一緒。ノルウェー産からチリ産の「とと」まで置いてある。
置いてあるけれど、雪国(湯沢)のスーパーはかなり高いね(鮮度が良ければ納得するんだけど・・・)。
にしんだいこ
26日
きんかん
27日
やつで(八つ手)
裏庭などに植えられている常緑低木。
葉の形が八つの手の手に見えるのでヤツデ――と言われれば、なるほどと錯覚しちゃうけど、よく考えると八つの手じゃないね。八本指の(一つの)手だよ。
この葉にはヤツデサポニンという物質が含まれ、昔はウジ(ハエの幼虫)用の殺虫剤に使われていた。そのため便所(汲み取り時代)の裏あたりに多く植えられていたようです。
28日
こうのとり
こうのとりは田園循環の頂点の鳥、らしいですよ。
よく知らないけど稲、、虫、ドジョウ、タニシ、メダカ、イナゴ、カエル、ヘビ・・・と田園に生きる生物はたくさんいます。それで、稲を虫が食べる。その虫をカエルが食べる。カエルを蛇が食べる。蛇をコウノトリが食べる。
といった具合で、コウノトリのいる田園はその環境が健全に保たれている証拠、ということです。
でもコウノトリは現在、世界的絶滅危惧種だとかで、日本に飛来するのは冬場、渡りの途中に立ち寄るごく少数だそうです。
正月用の餅つきは今日28日、または30日で、29日にはつかなかったそうです。
29日
茶の花
茶は真冬に白い清楚な花を咲かせます。
清水トンネルが貫通したのが昭和4年(1929)の今日。
すす払い、年末の大掃除。
30日
岩原山頂 冬景色
岩原スキー場の山頂リフトを降りて
直進すると――垂直な崖になっていて転落します。もっとも転落防止の策がありますが・・・。
崖の向こうには、石打から浦佐まで、ひょうたん形の魚沼盆地が一望できます。
右折すると、図の標識が立っていて、その向こうに八海山が見えます。
しめなわ作り
鎮守様に村人があつまり、正月用のしめなわをつくっています。
(※写真は智通サンから。次の鳥居の写真も同(少し加工しました)
鳥居にしめなわが飾られ 正月準備ができました
31日
年とり魚
大みそかは年に一度のごっつぉを作る。
欠かせないのが塩引きさけ。
1匹なり買い、尻尾を神棚に吊るし、いちのひれをオーベス(恵比寿)様にあげる。
続いて、上から じさ、ばさ、とと、かっか、あんにゃ、おじ、あんね、おば(祖父、祖母、父、母、長男、次男以下、長女、次女以下)の順で、膳にもる。
男衆のお膳には酒がつき、この日ばかりは腹くちゃく(満腹に)なるまで、何度でもおかわりOK。
子供のお膳には歳暮銭(お年玉)がつく。
※『日本の食生活全集15』中魚沼郡川口町の年とりから引用。
除夜
追加
おしくらまんじゅう
いしうす(石臼)
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