2012年末(番外編)
今迄ブログなど投稿では、政治や宗教の問題は私の中では書く事をタブーとして来た。
しかし、今年2012年は国民不在・党利党略に明け暮れる主要政党の「今・何が優先されるべきか」について、順位の本末転倒振りに、ついに禁を破ってしまったのが8月末頃からであった。
とは言え、基本的には政治・宗教の問題はこのブログサイトには相応しくないと思っている。
これからも、政治・政党・宗教関連の批判などはあまり書きたくないと考えている。
ただ、先に書いた【夢があるから】の様な「未来への提言」に繋がる【夢】は続けて発信したいと考えている。
「【夢】は【希望】の源になり、【希望】は【計画・企画】の源、【計画・企画】は【夢→実現】の源」
が、私の信条 だから。
※ 「信条」 と言う言葉はキリスト教用語だと言う方も居られますが、ここでは「生活信条」の意味
従って、とかく熱狂的書き込み等を誘発し易い「政治と宗教」の話題は極力避け、触れたとしても平均的国民目線での程度にしたいと思っている。
2013年のブログ予定「主要テーマ」
【ドライブ関連】
エリアを東北~中部・関東に移して、仕事やレジャーで知り得た内容を、出来るだけ観光バスの目線から離れた話題を拾ってみましょう。
【自然、地形や災害・防災関連、サイエンス関連】
やはり、日本復興・東北復興とエネルギー問題に焦点、出来るだけ「提案・提言」に繋がる意見を書きたい。
(ネガティブキャンペーン的な、無意味な意見は書きたくない)
自然 : 特に感動した自然に出会った時、主に画像としてお届けしたい。
【その他】
歳時記、時事の話題、エッセイ等・・・・従来通り、気の向くまゝに。
「追憶」・・・我が心の山
息子が19歳、私は49歳だったかな? 初めて山に登った。 それも息子の彼女と一緒、3人で。
1993年8月上旬の事、登った山は常念岳と蝶ヶ岳。
息子達は登山は初めてと言うので、普通なら1泊2日コースなのだが今回は2泊3日の楽ちんコースとした。
大糸線・有明からタクシーで三俣(登山口)へ、そこから曇り空の中常念乗越迄登り、常念小屋で1泊。
翌日2日目は常念岳から蝶ヶ岳・蝶ヶ岳山荘までのゆったりした尾根歩き(槍ヶ岳や穂高連峰のパノラマを堪能)の予定。 の、はずだったが、あいにくの小雨模様。 でも、夕方の雨上がりの蝶ヶ岳からの展望と翌朝見たご来光と朝焼けの穂高~槍ヶ岳の大パノラマは、前日までのガスと雨を忘れさせてくれた様だ。
涸沢の先の朝焼けの穂高連邦を眺めながら、今度は穂高に登りたいと息子が言い、来年の目標になった。
(そして何れは槍ヶ岳もと!)
蝶ヶ岳からは晴天の中の気持ちのいい尾根歩きで始まり長塀山(ながかべやま)→長塀尾根→徳沢園→上高地と下って帰途に着いた訳。
しかしこの長塀尾根が、登山初心者の二人は山岳登山の厳しい一端を体験する事になった。
鼻歌混じりで尾根道から長塀尾根に入ったのだが、もう下るだけと言う心理が働いたか、「ペースを上げてどんどん先に下り始めた」。
何回も制止したが、5~10分もすると早くなる、しょうがないので尾根を2/3位下った所で、私の後ろを歩かせる様にさせたが後の祭り、しばらく下ってまず息子の膝が笑い始め、徳沢園の手前では息子の彼女も膝の笑いを訴え始めた。(まさに、笑い事では無い状況だ)
結局、徳沢園での大休憩とペースダウンで当初予定の上高地散策をあきらめ、明神池→小梨平から真っ直ぐにバスターミナルに向かう結果になったのでした。(私自身も、入山前に言い聞かせて置くべきだったと反省)
でも帰り道、電車の中で「来年の穂高、約束だよ!」って言われた時は、山に誘って良かったと、感激して平静を装うのがやっとだった。
しかし、これは果たせない夢になってしまった。
以来、息子と辿った道と、一緒に登ろう!と約束した穂高(特に奥穂高岳)は6回程登って来た。
槍ヶ岳は2回だけだったが、“槍の穂先” には何れも天気に恵まれず、残念ながら頂上には立てなかった。
そしてこれが【我が心の山(厳密には “山々” )】となった訳だ。
最近は体力に自信が無いので10年以上登山から遠ざかってしまったが、2001年4月、バイクのツーリングで偶然見つけた「光城山」、地元の人に教えてもらったそこからは、息子と歩いた常念~蝶ヶ岳の稜線と何れ一緒に登ろうと約束した槍ヶ岳が一緒に見える場所だった。
おまけに、春には桜が咲き、車で山頂まで登れる、穂高は殆んど見えないが、【我が心の山】の「展望台」にピッタリと言う訳だ。 (穂高が見たくなったら上高地へ入ればいい)
写真は、初めて「光城山」を見付けた時の、山頂に向かって咲き登る桜並木。(の遠景)
この時の頂上はまだ蕾の状況だったが、開花した時の様子は、私のブログ 「光城山(ヒカルジョウヤマ)」 をご覧下さい。
尾根伝いに桜が咲き登っている所が光城山へ歩いて登る桜並木の道、車は山の向こう側から山頂まで登れる。
光城山の山頂は桜の林となっていて、開花期にはちょうど頂上に見える杉の木の右側全体が白く染まる。
また、【光城山】からは【長峰山】迄尾根道が続き、【長峰山】も頂上に桜が咲きハングライダーの発着場があり、北アルプス(蝶ヶ岳~白馬岳など、ただし、ここからは槍ヶ岳は見えません)や安曇野平野の、絶好な展望ポイントに繋がるドライブコースです。
場所は安曇野の一角、バイクの先のとんがり屋根の、少し先に豊科IC(2013年からは、【安曇野IC】と名称変更)がある。
(バイクの後ろが大町方向、前が松本方向)
「御鑓拝借」
「なんのこっちゃ?」 と、思う人が多いかと思うが、今、NHKが元日夜(19:20~20:50)に放送予定の正月時代劇。
主役は、竹中直人と言うから原作を読んで居る小生としては、原作にピッタリのキャスティングだと思わず引っ繰り返りそうになった。
なぜなら、数年前原作を読みながらもしドラマや映画にするとしたら「主人公は誰にするだろうか?」 と考えた事があり、私が選ぶとしたら? と考えた時フッと浮かんだのが昔、大河ドラマ・太閤記で見たた、なりたての頃の木下藤吉郎時代の風貌がピタリ、これは竹中直人しか無い、と思っていたからだ。まさか本当になるとは思っても見なかった事だった。
この原作は佐伯泰英の「酔いどれ小籐次留書」シリーズの第1話(現在は10話迄出ている)である。
彼の作品は山本一力の人情ものと違って、言わば痛快活劇と言っていいと思う。
NHKの「御鑓拝借」がどんな仕上がりになっているか楽しみだ。 でも、録画でしか見られそうもないが。
最近の第10話に伊達正宗の遺訓と言うのが載っていた。 忘れて居たが以前にも仕事で調べた事もあり、まさに名言。 参考までに下記して置きましょう。
- 仁に過ぐれば弱くなる
- 義に過ぐれば固くなる
- 礼に過ぐれば諂い(へつらい)となる
- 智に過ぐれば嘘を吐く
- 信に過ぐれば損をする
でも、中国の水滸伝か史記又は三国志にも似た様な言葉が有ったような・・・・?
もっとも、戦国武将の名言と言われるものの大半は、中国古事や物語からの引用で、毛利元就の「三本の矢」もその一つ。
ま、いい言葉は誰の言葉でもいいじゃありませんか! 言ってる事が正しい事ならば!
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