3月12日 新堀新田区の十二神社で「十二講神事」が早朝行われた。暮坪の神主から来ていただき、氏子、行政役員、区民が参加して神社内と境内で神事として行われた。
雪山に「十二大明神の絵」を貼って、弓矢やお供え物を置いて祀った。
「テッチョックリ、ヤマックリ カラスの目玉・・・」と唱えて、空に向けて矢を撃つ。
弓矢終了後、お供え物の赤飯や小魚などを手の上に上げていただいた。
上記の写真は私のブログに載せたものの再掲です。
3月12日 新堀新田区の十二神社で「十二講神事」が早朝行われた。暮坪の神主から来ていただき、氏子、行政役員、区民が参加して神社内と境内で神事として行われた。
雪山に「十二大明神の絵」を貼って、弓矢やお供え物を置いて祀った。
「テッチョックリ、ヤマックリ カラスの目玉・・・」と唱えて、空に向けて矢を撃つ。
弓矢終了後、お供え物の赤飯や小魚などを手の上に上げていただいた。
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新堀新田はちゃんとやっているんですね。いいなあ。おれもやってみたい。ぜひやり続けてもらいたいですね。軽いのりで。
こう言う行事もだんだん失われて行くのだろうなあ!
ジケ(法音寺)の山で焚く大松明(百八灯?)の行事も続いているのだろうか
?
たしか雪のある季節だった様に思うが? おら家から良く見えたものだった。
神社と私の家が近いせいか、昔は朝早く神社から聞こえる太鼓の音で眼が覚めた。床の中で”そうか今日は十二講か~”といつも思った。
その後、氏子役員になって行事をやる立場が長く続いた。年々参加者が少なくなってきたが伝統行事は続けて行きたいものです。
ジケ(法音寺)の山での百八灯?はここからは見えないが・・・どうなんだろうか。
私が役員の頃は、先代の神主の頃でしたが、まだ真っ暗な時に来られて衣装を着替えてから始めた。神社内は隙間風が入って寒い中での神事でした。
終了後は、区長宅で休憩をしてから、塩沢の一の宮へ神主さんは仕事のために向われた。「十二講」を掛け持ちで行わなければならなかったことを思うと、なんでこんなに早くから?、まだ眠たいけど?などと言ってはならない理由があったことに後で気付いたものです。
秀一の年代だと残っていたかどうか分からないが、おいらの子供の頃、朝早く鎮守様に行って12講を祀った。多分3回か4回行っている。
名前(言い方)は忘れたが、なんとか餅と言う、もち米をすり鉢ですったものを茶飲み茶碗に入れて持って行き、やったり貰ったりして食っていた。
そのなんとか餅に砂糖を入れる場合と、砂糖なしの場合が有って、特に砂糖入りのものはあの頃の子供としてはこんなものでもたのしみだった。
今同じことをやっても、米のすったものや砂糖につられて、朝早く結構離れている鎮守様まで行く子供はいないだろうな。
雄のそういう記憶・思い出話は実に興味深い。そういう記録を郷土誌にまとめたいとおれは思っている(今資料集め中)。親に訊けばわかる話ではあるが、訊かないと出てこないから難しいところがある。
雄の書いた、藤原での川の水の使い方の話しはすごく面白かった。あれはいい。ちなみに、太平洋の水道がないような小島ではいまだにそういう水の使い方をしているんだと。