「故郷」と一致するもの

【姥百合(ウバユリ)】の 郷

 【ウバユリの花】・・・2004 年7月18日、知床・羅臼にて(爽やかな香りも素敵だった)知床・羅臼の【ウバユリ】 2004.07.18A.jpg

    後にボケて写っているピンクの花はオニシモツケ(シモツケソウよりかなり大きい)

私が初めてこの花に興味を持ったのはこの、写真を撮影した時からだった。

以来、これから梅雨明け1ヶ月位迄の期間に自然に分け入る時は、必ずこの【ウバユリ】の花を

探して歩く事となった。

 

まずは知らない人も案外多い様なので、

【姥百合(ウバユリ)】についての概要 ・・以下【ウバユリ】とする

   植物学的な基礎知識については省略:詳しくはNET検索や山野草図鑑をご覧下さい。

  ◆ 自生環境 ・・・・ 主に山間地の里山境界地で、木漏れ日の入る杉林やナラ・クヌギ等の
              雑木林と自然な小川等の水際周辺を好む様です。

  ◆ 種類 ・・・・・・ 分類上は【ウバユリ】と【オオウバユリ】に分かれるが、背丈が1m
              位で分けられる小振りのものを【ウバユリ】と言い、主に中部以南に
              自生と言われる。
              (実際、岡山県でニッコウキスゲ程度のウバユリの花を見た事がある)

              標高の高い中部山岳地域から緯度の高い東北・北海道には1.5m以上
              の物が多く、2m以上も少なくない。 その為これを【オオウバユリ】
              と呼んでいる。(私たちの故郷に咲く花も、オオウバユリとだ思う)
              しかし厳密には生育環境に依る差であろうと考えられ、外観や花の形
              状などの相異点を見分ける事は難しい。(遺伝子レベルの話は?)

              そこで本稿では便宜上、以降を【ウバユリ】に統一してすすめます。

  ◆ 花期 ・・・・・・ 開花の季節は、およそ『6月中旬~8月中旬』頃、ただし各地域別で
              考えると『梅雨末期から約1ヶ月』位と考えると良いでしょう。

             花は【下の蕾から順次上の蕾へ】と咲き登るものと、逆に【上から下
             へと咲き降りる】ものがある様だ。

              初年度の開花は1~2輪、次の年から3~5~10輪~と増え 一般的
              には20~30輪位咲くと根球迄枯れるらしい。
               例外として、100輪位の花を付け、4~5m位の背丈に延びる
               事もある様で、ネット上でも写真が掲載されて居た。

              また土壌や気温・湿度・日照時間等で、花数や開花時期・期間が変る
              らしく、同じ様な大きさの株でも開花数が変る事がある。

              なお、同じ年に蒔かれた種も発芽に数年掛るものや、発芽して最初の
              開花迄3~5年位かかると聞くが、正確な所は不明。

  ◆ 【ウバユリ】の成長画像 (ネット画像引用で構成)・・・・・ 芽吹き~開花~実~種へ

     芽吹き 種から発芽したばかりの1~2年ものは除外、花芽となるものは葉が複数枚
          出て、この様に巻いた形で芽吹きをする。(発芽数年後から巻く)

【ウバユリ】の成長 (ネット画像引用合成).jpg

 

【ウバユリの郷】・・・越後:八海山の山懐(ふところ)

 

   前置きが長くなりましたが、その【ウバユリ】が今年は我等の故郷で豊作(?)の様だ

   冒頭で触れた様に 2004年にウバユリの花に興味を持ってから、我等の故郷の【ウバユリ】

   について生育の実態を3~5年に一度は調べて見ていた。

   特に故郷の山 “八海山” 里宮(城内口)の森に焦点を当て、毎回調べていたが、4年前に調べ

   た時迄、咲きそうな【ウバユリ】又は咲いたと思われる【ウバユリの実】は多い年でも、

   全体で 7~8本程度しか確認出来なかった。(葉は見掛けるが、花はめったに見掛けない)

   所が、今年5月23日 予定外のスケジュールだったが、ごく調べやすい里宮・社殿周辺と前の

   杉林エリアを調べて驚いた、少なくとも 20~30株位 花を付けそうな【ウバユリの株】

   確認出来た のである。(まだ花芽は立ち上がっていなかったが・・・)

   たったこれだけのエリアに、これ程の株数が見付かったと言う事は、似た様な環境の地域を調

   べたら、更に多くの【ウバユリ】密生地が見付かる事と思う。

   まさに、【ウバユリの郷】と言っても過言ではないと思われる状況でしょう。

 

     ただ、【ウバユリ】は “山菜” としてや “華道の素材” 等としてなどの為に乱獲
     される懸念もあり、投稿に躊躇を覚えて居たが、管理の仕方によっては観光ィ
     ベントの好材料としても故郷の役に立つものと思い
『保護』を検討して欲しい
     気がする。

     もし何も『保護』をしなければ、2~3年で花は見られなくなるでしょう。

 

  ◆ 地理的イメージ   

   【参考 1】 「霊峰・八海山」(登山案内板より)・・・越後三山のひとつ
2017.05.23 -B068A 【ウバユリ関連】 八海山登山案内.jpg

 

   【参考 2】 「八海山・里宮周辺地図」Google Map より
八海神社(里宮)周辺 1.JPG

 

   【参考 3】 「里宮周辺拡大版」〇印のエリアが今回の調査エリア
八海神社(里宮)周辺 2.JPG

 

 

  ◆ 調査結果

       正確には確認数を数えていなかったが、花が咲くと思われる株が20本は確認済で、
       細かくチェックすれば最低でも30本以上が有りそうだった。
       以下【参考 4】に代表的な場所の株を写して見ました。

 

   【参考 4】 「八海山・里宮」の森周辺の代表的【ウバユリの株】
【ウバユリの株】里宮 (2017.05.23).jpg

 

 

もう一つの【ウバユリの郷】

    ・・・・【長森山】裾野、登山道沿い小川の両岸

 

     ここは今年、偶然見つけた場所ですが、調査と言う程調べて無いが登山道の沿道と
     小川の両岸を眺めて歩いただけで20本位が咲きそうで、対岸の林の中にも何本かが
     確認出来た。(多分これからも大きくなる株が増えるでしょう)

 

    【事例 5】 【長森山】裾野・小川沿いに自生する【ウバユリの株】事例

【ウバユリの株】長森山登山口・雪室側(2017.05.23).jpg

 

   ◆ Map 

       【長森山】登山道入口・ウバユリ群生地(〇印の中)
【長森山裾野・MAP】 ウバユリ群生エリア.jpg

 

     そう、ここは清酒「八海山」の 蔵元【八海醸造】が経営する【雪室】の隣接地
     画面右側、黒い屋根の工場が【八海醸造・魚沼の里】。

       ※ この写真は雪室の施設内から五日町スキー場方向
        (写真右、黄色い屋根の向うの森が【ウバユリ】群生地)
2017.05.10 -D041A  【長森山裾野・雪室】 11.30 ・・13・30 頃.jpg

     正面の山に広がるゲレンデが「五日町スキー場」、ゲレンデ中央の 白い建物 が
     スキー場のレストハウス。

     その レストハウスからのライブカメラ がこちら(八海山)を向いて、24時間
     稼働している。
     これは「インディーテクノロジー」と言う地元の企業が運営する【ゆきぐに
      ネット】のサイトで【八海山】に向けての定点ライブがネット公開されている。

   【八海山ライブ】例 A  (2016-12-01 10:00AM)
2016-12-01-10-00.jpg

   【八海山ライブ】例 B  (2016-12-24 10:00AM)
2016-12-24-10-00.jpg

  ※ お気付きですか? (上に掲載の2枚の写真の共通点について) 

    そう、「撮影月が同じ:昨年12月」「撮影時間が同じ:午前10時」そして「画面
    右側山裾の同じ位置から同時に煙が登っている」事。

    これは、この2本の煙り(水蒸気と思われる)が登っている場所のイメージを持っ
    て頂くと、次の Map の理解がし易いのではないかと思います。
    この2本の水蒸気煙は【清酒・八海山】等を醸造する為の仕込みの煙りとの事で、
    【八海醸造(株)】の下記 2つの工場からの煙りです。
       ☆ 中央寄りの煙り・・・・・八海j醸造(株) 魚沼の里(工場)
       ☆ 右端山裾先端の煙り・・・八海醸造(株) 本社工場

    毎年、12月から1月にかけてはお酒の仕込みで毎朝大量の炊飯をするのでこの様な
    煙り(蒸気煙)が決まった時間に出るらしい。 (杜氏さん達の一番忙しい時期)

 

   【八海醸造(株)】関連 Map
八海醸造 (株) Map.JPG

   【五日町スキー場 ⇒ 八海酒造】及び【六万騎山】周辺
八海山ライブカメラと八海醸造の位置関係.jpg

     ※ 参考用に、2本の煙りの位置と五日町スキー場とを直線で結んでみました


   話を【ウバユリ】に戻しましょう。

   今回【第2のウバユリの郷】とした場所のイメージは、上記 【八海醸造関連 Map】
   の【八海醸造・魚沼の里】の北側、「長森山」登山道 がその場所にあたる。

 

台風16号後、「巾着田」は今

 

  私には 【故郷の風景】 以外に 【忘れられない心の風景】 が幾つかある

        それは、そのシーズンになれば必ず一度は行って見たくなる場所


  そんな場所が、関東甲信越 圏内 に 5ヶ所 ある。
  ( 最近で体力不足の為、車で行ける場所にシフト傾向ですが!)

 

    ☆ 埼玉・日高市(高麗川)の【巾着田】 ・・・・・・・・・・曼珠沙華/彼岸花の群生地
         9/中~10/上 旬 ・・・・ 水辺の木立の中で咲く曼珠沙華は圧巻

      ◆ 最盛期の写真サンプル
曼珠沙華・巾着田A.jpg

 

    ☆ 群馬・鬼石(おにし)の【桜山公園】 ・・・・タイミング次第で紅葉と冬桜のコラボが
         
10/中~11/下 旬 ・・・ 紅葉と冬桜のコラボが見られたらララッキーな人

      ◆ 最盛期の写真サンプル
鬼石・冬桜 (1280×340).jpg


 

    ☆ 長野・豊科【光城(ひかるじょう)山】 ・・・・安曇野でここでしか見えない槍ヶ岳と
                             旧山城の桜のコラボレーション
         
4/中〜5/上 旬 ・・・・・ 安曇平野と北アルプスの展望と光山城址の桜が魅力

      ◆ 写真サンプル (光城山・山頂より)
光城山 A (1280×479).jpg

 

    ☆ 栃木・中禅寺湖畔【千手ヶ浜】 ・・・・・・・ロケーション抜群のクリンソウの群生地
         
5/中~下 旬 ・・・・・・・・ 木立の中を流れる清流がクリンソウの群落と相乗効果

      ◆ 写真サンプル
千手ヶ浜のクリンソウ(橋の向こうは中禅寺湖).jpg


 

    ☆ 長野・ビーナスライン【車山肩】 ~ 【美ヶ原・高原美術館】  (別々に行く事も)
                     ・・・・・・花と富士山~南・中・北アルプスの展望台
       
4/上~5/下 旬  ・・・・ 【美ヶ原】 穂高連峰等・残雪の北アルプスと春の山野草

      ◆ 写真サンプル  【左から、乗鞍岳~(手前:王ヶ塔/アンテナ)~穂高連峰~槍ヶ岳】
Dscn1100B.jpg
    【美ヶ原高原美術館】と、北アルプス【左から :手前は表銀座の山並/後は立山連峰
                            ~爺ヶ岳~鹿島槍ヶ岳~五竜岳~唐松岳】
Dscn1152.jpg


        6/上~7/下 旬  ・・・・ 【車山肩】 残雪のアルプスなどの山岳とコバイケイソウ
                  やレンゲツツジ・ニッコウキスゲ等「初夏から夏の花々」

      ◆ 写真サンプル  (車山肩 : 6月頃)
コバイケイソウ (車山肩)B.jpg

 

 

     上記6項目については過去ログ
       (右記 INDEX の 久′Page
  Page-INDEX (おひまなら来てよネ!) 

      から詳細記事を探す事が出来ます

 

  今回はその中の 【巾着田】 の今年 について書いて見ましょう。

   ◆ 周辺図
日高探訪「お散歩マプ」1600×.jpg

 


【台風16号前】 (9月16日現在の巾着田)

 

   ◆  早咲き(上流)エリアの状況
2016.09.16 A 026B 【巾着田】 .jpg

   台風13号が過ぎたばかりで花もかなりダメージを受けて居た様です
2016.09.16 A 034B 【巾着田】 .jpg

 

   ◆ 中間エリア付近
2016.09.16 A 022B 【巾着田】 .jpg

2016.09.16 A 030B 【巾着田】 .jpg

2016.09.16 A 052B 【巾着田】 .jpg

   高麗川河畔(ドレミファ橋付近)は日当たりが良いせいか早咲きエリア並みに咲いていた2016.09.16 A 051B 【巾着田】 .jpg

   中間地点近くにある公園入口 (正面)
2016.09.16 A 020B 【巾着田】 .jpg

 

   ◆ 遅咲(下流)きエリア
2016.09.16 A 021B 【巾着田】 .jpg

   あいあい橋への登り道土手にて
2016.09.16 A 066B 【巾着田】 .jpg

   あいあい橋 (巾着田入口方向)2016.09.16 A 093 【巾着田】 .jpg

   あいあい橋の下A
2016.09.16 A 094 【巾着田】 .jpg

   あいあい橋の下B
2016.09.16 A 092 【巾着田】 .jpg

   あいあい橋から高麗川上流(中間地点)方向
2016.09.16 A 089 【巾着田】 .jpg

 

   ◆ 帰路、公園入口から出たのだが、「酔芙蓉」 「コスモス畑」も見頃に ・・・・・
2016.09.16 A 008B 【巾着田】 .jpg

2016.09.16 A 010B 【巾着田】 .jpg

2016.09.16 A 007 【巾着田】 .jpg

 

 

【台風16号の後】、 ( この 巾着田 は?)

  残念ながら、私はまだ見て無いが、近況は日高市の情報サイト 【「巾着田」公式サイト】 
  ご覧下さい。

  公式サイト9月24日現在の概要からは、かなり台風の影響が出ているものと思われます。

   ◆ 参考 (公式サイトより一部抜粋 2016.09.24)
2016.09.24 巾着田.JPG

 

花の状況は例年より多少遅れ気味と思われるが、花の綺麗なUP写真を撮るには下流点(遅咲き)
エリアでも、10月5日位迄が限界でしょう。  今後も台風17号等の動向も影響しそうですね!

 

 

【故郷の風景】、今回の話題は八海山を背景に、            

    新潟県内限定「スペシャルな新幹線」撮影しようと言うもの。

 

この新幹線、今年4月29日から上越新幹線・越後湯沢新潟市で、原則 土・日と祝日に運行を始めた。

特徴は、有名アーテイストの絵や作品が車両ごとに展示されて楽しめると共に、外装もアーテイストの作品で
カラフルに彩られている事。

カタログコピーの為色彩がうまく出ないのだが、鉄道ファンならずとも自然の中を疾走する姿はカメラを向
けたくなるものと思う。 
  (たゞ、黑色が多い外装は、自然の中で走る姿は背景に溶け込み易く撮影が難しいかも?)

そして、その 背景に八海山  が入ったら これは 【絵】 になりますよ!

 

 

ところで、 参考ですが ≪ Win PC でご覧の方へ ≫

   文中の写真は「画像」をクリックすれば拡大モードとなります
      Win 7 以降のOSならキーボード上の位置操作 「→ ↑ ↓ ←」 対応
        キー操作でマウスだけでは見えなかったエリアも見る事が出来ます 

   Win 7 ~ Win 10 以外のOSでは未確認ですので動作保障はできません、念の為。

 

話を戻します。

その新幹線の名は、【現美新幹線】 (げんびしんかんせん) 

現美新幹線A.jpg

詳細は後述するとして、

  【現美新幹線】の運行区間を再確認して見ましょう。(下記、マップ参照)

   ◆ 運行区間:上越新幹線【新潟】⇔【越後湯沢】 (マピオン3Dマップより)新潟から水上 (Mapion 3Dmap より).jpg

   地図上、2重の輪の中(八海山の麓)が私達の故郷(旧“城内”)

   ◆ 故郷・旧 “城内” から仰ぎ見る 「八海山」 の風景20040514   八海山-011.JPG

   【岡】村上手、アズマイチゲ咲く宇田沢川畔より
2015.04.28G _125 故郷の春 【アズマイチゲと清流と八海山】銘酒は此処で生れる.jpg

   ある年の晩秋、里に初雪が積もった日の午後 (トミオカホワイト付近より)
里の初雪(直後)下薬師堂付近【宇田沢川】堰堤より (2008年12月上旬、前夜の里・初雪).jpg

   ある年の5月上旬、田植直前の風景 (雪国まいたけ工場付近より)六日町・城内雪国まいたけ工場付近より(1280×816).JPG

 

   ◆ 六日町庄ノ又付近より (庄ノ又川たもとより)六日町・R17庄之又川付近より (1280×816).JPG

 

   ◆ 魚沼スカイライン・発荷峠近くより魚沼スカイライン 枡形山付近より (1280×816).jpg

   ◆ 魚沼スカイライン・枡形山頂上付近より
         (雪国まいたけ工場付近への自然のスポットライト)2004.08.20 魚沼スカイラインより (スポットライト) (1280×960).jpg

 

   しかし、残念ながら「いち番欲しい 八海山 ・ 正面 のこの方向」から  は、

         ≪走っている新幹線を入れた写真≫を撮る事が不可能 なのである。

 

   それは、上越新幹線が越後湯沢を出るとすぐトンネルに入り、五日町スキー場のすぐ先
   魚沼丘陵の地下に潜ってしまう為である。

   

でも、真正面からの【八海山】は無理でも八海山と新幹線をテーマに出来る撮影エリアは結構ある。

それらの内の何ヵ所かの撮影スポットを参考としてご紹介しましょう。

 

その前に、【現美新幹線】について少し触れて置きましょう。

 

  (以下、JRびゅうのカタログ抜粋)

現美新幹線(1280×929).jpg

2016.09.18 A 001 【現美新幹線】 .jpg
2016.09.18 A 002 【現美新幹線】 .jpg
2016.09.18 A 003 【現美新幹線】 .jpg
2016.09.18 A 004 【現美新幹線】 .jpg
 

 

    と、豪華版の新幹線で、内装・外装ともに
              有名アーテイストによる装飾の【走る美術館】がコンセプト。

   注 : 現美新幹線の運行ダイヤは1~3ヶ月単位で変わります

        10~11月以外(9月も)の月の運行計画については各自で調査の上
        撮影スポット通過の時間を推定して下さい。
        各新幹線駅・旅行案内所や主要旅行会社で事前に「現美新幹線」の最新
        版カタログを入手するのが良いでしょう。

       

さて、こゝではその【走る美術(外装)館】を八海山とコラボしたら【芸術秋の良い作品】になるのでは?
と考えた訳。

もっと早く気が付いていてたら、稲刈前の「稲穂と新幹線と八海山」なんてトリプルコラボも狙えたかも?

 

 

それではどんなシーンが撮れそうか検討して見たいと思います。 
 (住まいが茨城なので Google Map ストリートビュー 等 から探って見ましょう)

 

 

1.八海山の「正面に、より近い方向から撮りたい」場合

   ☆ 新幹線がトンネルから出る位置に近い程、正面に近い画像になる。
     ただしあまりトンネルに近いと、下り(浦佐)方向へ向かう列車のシャッターチャンスを
     逃す可能性が多くなる。

   ◆ 上越新幹線の湯沢から来て、トンネル出口に一番近いライブカメラ映像
      (五日町スキー場からの八海山:2016.08.31 15時30分 ゆきぐにネット様より)雪国ネット・八海山ライブより(2016.08.31 16.35).JPG

     上越新幹線はこのライブカメラの設置されている建物の、まさに真下を潜って いて
     こゝ五日町スキー場から直線で約1.2km浦佐寄りの「城山新田」で地上に出る
     また、標高も80~90m位低くなり、仰角が変る為 山容も少し変って来る。

   ◆ 周辺地図 (YAHOO!地図より)
YAHOO! 地図より五日町スキー場A.jpg

 

 

2.現美新幹線と八海山が絵になりそうなエリア

   ☆ 城山新田~浦佐スキー場の間、特に九日町から浦佐スキー場を結ぶ、国道17号線の 東
     側にベストポジションがあるものと思われる。

     特に八海山に重点を置くなら九日町から天神川を結ぶR17号の東側(下記地図の右側)
     にベストポジションが有りそうだ。 (新幹線と八海山の写りのバランスが良さそう!)

     八海山にこだわらず、越後三山(越後駒ヶ岳・八海山・中の岳)にシフトして考えるなら
     案外、浦佐駅周辺からも意外なスポットが狙えるかも?

   ◆ 普通のカメラでも結構いい絵がとれそうなエリア
          (マークの辺りかな? ・・・・ ただし保証は有りませんよ!)九日町から浦佐 (Yahoo Mapy) A.jpg

 

3.Google Map (ストリートビュー)による参考画像

   ◆ R17号のレストラン・クルサレットの所(信号無し)を右折した道から
           (写真は通常の新幹線、現美新幹線はもっとカラフルだと思う)八海山・越後駒ヶ岳と新幹線(拡大)B.JPG

   ◆ 九日町(hakkai株式会社脇道より)九日町hakkai(株)横道付近からの新幹線と八海山(撮影スポット例 1).JPG

     実はこの場所にある hakkai(株)と言う会社、NHK の「サラメシ」と言う番組で【八海山】
     が良く見える社員食堂として紹介された事があり、また、同じく NHK 「小さな旅」で昨年夏
     頃、創業者の 会長(だったと思う)ご夫婦の400回目の八海山登山 を写した番組が 放映さ
     れた。
      (ちょうど、グレートトラバース(200名山)が八海山を通過した時期と重なって居たっけ)
     八海山  とは不思議な 縁 がある会社である。    

     小生としては何の縁も無いのだが、出来ればこの道からのワンショットを残したいと思う。
     もし、社員だったら、社員食堂(2F)からのビデオ映像も残せるだろう。
     (社員達の環境が羨ましいですね!)

 

   ◆ 浦佐周辺では 浦佐スキー場のレストハウス付近から  ・・・過去、何処かのサイトより入手
八海山 -  030 (Web) 浦佐スキー場-thumb-640x278-13701.jpg

   写真は、右端の山が「八海山」、その左側が「越後駒ヶ岳」、標高600m位迄雪が来た晩秋の
   季節と思われる。 空気が乾いて居ればこその風景で、春には殆んど望めない晴天です。

      写真の出典不明。 もし写真を撮影された方がご覧でしたらご連絡下さい。 
       もし、不都合が有りましたら掲載を削除致します。

      浦佐スキー場は 数年前廃止 になってしまった為、今では車では登れないかも知れ
       ません。
       また、スキー場への立ち入りには、「管理者の許可を得る必要がある」かも知れま
       せんのでご注意願います。

     レストハウス迄の途中でもOK(但し車道の邪魔をしない事)
     付近からの越後三山と新幹線は絵になると思う。 画面左に浦佐駅が見える。
     空気が澄む10月以降がよりスッキリとした映像に!
     新幹線迄遠いので、もしかしたら普通の新幹線が返ってハッキリ撮れるかも知れませ
     んね! (ズームUPすると山と新幹線の画像バランスが難しくなるかもしれません)

     こゝ、浦佐スキー場からは山と新幹線と欲張らず、山は山・新幹線は新幹線と別々に
     構図を作った方がいい写真になるかもしれませんね!

     この距離では、せっかく綺麗な【現美デザイン】写真にすると風景に負けてしまう
     が多いでしょう。
     ( 余程 乾燥 時の 快晴 で、西日に近い日差し の時で無いと、色彩が出ない でしょう )

 

   新幹線は浦佐駅を出るとすぐにまたトンネルに潜ってしまう

 

 

3.現美新幹線にも乗って、更に魚沼盆地を周るバスの旅
      【 JRと旅行会社のコラボ企画 】

 

   ◆ 越後湯沢からバスで「今泉記念館」「トミオカホワイト」等を周って長岡から湯沢に戻る
2016.09.18 A 005 【現美新幹線】 .jpg

その始まりは何気なく撮影して回っていた故郷の棚田の片隅にひっそりと、しかし気高く咲き誇る
数群の野草の群れであった。
 
場所は 新潟県南魚沼市と十日町市を結ぶ国道235号線の沿線、発箇峠(トンネル)から十日町側へ
約1km位下った人家が見え始める直前の、左右に棚田が広がる付近
。  国道235号線両側の田圃の
畦道に生えた ツユクサの群れの各所に、掲載写真の様な風変りな小さな花のツユクサが群れを作っ
て咲いているのを発見
した事から始まった。 (名称:不明)
(普通のツユクサの群れの中に囲まれ、小さな花のツユクサが 0.5~1 ㎡ 位の島の様な小さな群れ
 を作って数ケ所に咲いていた ・・・ その時は国道235号沿いの両脇で、5ヶ所を確認していた )
 
   ◆ 新種? ツユクサの変種?  (2005年8月13日撮影)
           ・・・・・ 写真左後方の大きな花が普通のツユクサの花
2005.08.13 ツユクサ 001 (変種)R253十八箇峠→十日町寄り畔道にて(1280×955).jpg
 
最近では国道沿線の開発が進み棚田の趣も変ったり、人家も増えて来て当時の趣はなくなりつゝある
様ですが、当時は国道の両側に分散して普通のツユクサと混生していた。
 勿論、普通のツユクサは周りり一帯が群生地と言える位に密生していた。
混生と言っても、写真の様に小さな花のツユクサ群の中に、普通のツユクサがポツン・ポツンと咲い
ている状況で、その花の群れの隣には、普通のツユクサの花がやはり群れて咲いて居た。
(普通のツユクサの群れの中にこの小さな個体が混生している状況は無かった・・・数ケ所確認済)
小さい花のツユクサの特徴
   1.花の色が濃い青色である
   2.花びらの先端が丸く萎んだ感じになっている
   3.花の大きさは、普通のツユクサの 1/3~4 位 の大きさ
   4.草丈、葉の形状、色等は普通のツユクサと同じ
   (花以外では、普通のツユクサとまったく見分けが付かない)
などから、農薬等による「突然変異」か?とも疑って見たが、それにしては広範囲の田圃の畔や路傍
に植生が見られ、普通のツユクサも混植して居た。
2005年に見付けた時は深く考える事も無く写真を撮っただけであったが、以来11年間、毎年では 無
いが、この時期になると同じ場所 (付近) や 全国の行く先々で ツユクサを見付けると、探して見て
いるが、未だにあの花同じ花には出会えていない。
従って、農薬などに依る突然変だったのか、あの年だけで消滅したものだったのか、未だにミステリー
のまゝ
です。
 
添付写真では40~50本ほどの花の集団の中に数本だけ、普通のツユクサの花が混じっていたものです。
そんな花の集団が国道235号線の両側の田圃の畔際に計 5ヶ所は有ったと記憶していますが、2年後に
行った時には 1ヶ所 も(1本も)花が見当たりませんでした。(季節は同じ8月上旬)
普通のツユクサは、旺盛に咲いて居たし、大きく土地改良工事をした様子は見られ無かったと思う。
以降、同じ季節に何回か行っているが、やはり R235 沿線で見付ける事は出来ませんでした。
 
もし、花の名前をご存知だったり、何処かで同じものを見つけたら、是非 教えて下さいね!
宜しくお願い致します。
 
 
 
 

クリンソウ(九輪草) 再び

クリンソウ(2016.05.31)D.jpg

   「日光自然博物館」 ブログより写真借用、5月31日の開花状況です

 

今年もクリンソウの季節が始まっています

 

「クリンソウの群生地」の、イチ押しスポットを挙げるなら

   やはり日光中禅寺湖畔の【千手ヶ浜】が一番に浮かんで来る

 

此処のロケーションは、何回来ても 飽きる事が無い

ただ、最近は有名になり過ぎたせいか観光客が増えすぎて、休日や天気の良い日はゆっくり撮影も出来ない事が玉に傷。
それでも年に1回は行って見たくなる。

その魅力はクリンソウの花だけではなく、群生地の川や林などとのコラボレーションが、他では見られない 神聖な風景清涼感 を醸しだしてくれる。

私はそんな自然が好きでリピーターになった。

 

皆さんも一度如何ですか?  5/31(上の写真)の状況を見ると3~4分咲き位でしょう。
今月20日頃までは楽しめそうですね!  (最盛期は6月5日~15日頃か?)

広いコースには早咲き・遅咲きの場所があり、小雨程度なら結構楽しめる場所に苦労する事は無いでしょう。
ただし、雨の日は途中に泥濘(ぬかるみ)などがありますので行かれる方はキャラバンシューズなどの準備をお薦めします。

行き方や詳細については「日光自然博物館」ブログや、小生の過去ログ 【花ドライブ・九輪草群生地】2013実践編③ 等にアクセスして頂ければ調べが楽だと思います。

マイカー利用の場合は、首都圏からは平日約3~4時間位、我等の故郷・新潟県 南魚沼市からは金精峠ルートで約3時間位で【赤沼車庫】バス停に着くでしょう。 【赤沼】からは専用のシャトルバスを利用する事になります。

電車・バス利用の場合、都心からでも東部日光線で浅草から特急で日光へ行くルートなら充分日帰り出来るでしょう。東部観光では日光~赤沼間を直通バス運行するという話も聞いた事があるが未確認情報なので各位で調べてください。 【赤沼】からは、やはりシャトルバスになります。

 

地理的イメージ

   ◆ MAP 1  過去ログ【花ドライブ・九輪草群生地】2013実践編③ より 
中禅寺湖畔・千手ヶ浜(クリンソウ群生地).jpg

   ◆ MAP 2  「日光自然博物館」ブログより
kurinmap1.jpg

【アズマシロカネソウ】の季節

 

  【アズマシロカネソウ】と言う山野草をご存知ですか?

    漢字で書けば【東白銀草】、その花は可憐で小さくて

       清楚な中に華やかさがあり、見れば見る程美しい

 

   ≪お詫びと訂正≫ ・・・・・ 開花時期の件
   下記文中、南魚沼地方では【田植前後の頃】と書きましたが、今年の場合は4月初旬には
   咲いていたとの事でした。 小生の経験則だけで記載して居ました事をお詫び致します。

   開花条件は植生地域・地形・標高・気温その他が影響する為毎年同じには行かない様です。
   今年は極端に積雪量が少なかった事が原因かも知れませんが、この地方の開花時期につい
   ては下記の通り訂正させて頂きます。
    【開花時期】 誤 : 田植前後の頃  ⇒ 正 : 3月下旬~5月上旬頃の間の約10日間 

   なお、下記本文は便宜上原文のまゝ訂正しませんので悪しからず願います。

 

アズマシロカネソウ(東白銀草)は、主に秋田~福井(京都・丹後半島でも確認報告あり)の日本海側の山間地に分布。 中でも新潟県はその愛好者が多いせいか自然の個体数が多く確認されている地域です。

私の故郷、新潟県の南魚沼地方では田植え前後の季節に可憐な花を開く山野草で、山裾の清水が湧きだす様な谷筋の岩に着いたコケに着生したり水流や風で飛ばされた種で下流の砂礫が多い岸辺に着生しているものが多く見られる。
この山野草は清流の証と言った人もある位、綺麗な水の流れている岩場や小流・その脇の湿った木陰を好む。

山菜採りで【ミヤマイラクサ】や【ミズ】などを求めて沢筋を歩くと、時々見かける花だ
開花期が終わると魚の尾の様な形の小さな種になるが葉と同色になり目立たなくなる

近畿地方では絶滅種、京都府では絶滅危惧寸前種に指定されているが、我等の故郷でも見られる場所は極めて山の裾野や山中の沢筋に限られる様になって来た希少種。

 何とか植生環境を守りたいものです。

不思議な事に、京都府~山口県にかけて日本海側には【サンインシロカネソウ】と言う同属の山野草があるとの事ですが、写真しか見た事が無いので違いが良く解らない。 日本海側の京都府から福井県南部を境に南は【山陰白銀草】、北は【東白銀草】が分布し、殆んど混生している所は無いらしい。
その内、何かの機会に実物を見てみたいと思っています。
しかし、本州の同じ日本海側で、ほゞ半分づつを同属の植物が済み分けているなんて不思議ですね?

 

それでは、アズマシロカネソウの写真を!

   ◆ 故郷・南魚沼市の、とある水源地にて、 【妖精達の集い】と命名してますアズマシロカネソウ (雷電様にて 2007.04.16).jpg

   この写真の水滴は、アズマシロカネソウ自身が体内から夜の間に余分な水分を吐き出して出来た
   もので夜明けと共に再度アズマシロカネソウの中に吸い上げられたり蒸発して数時間で無くなる

   写真の花はまだこれから咲くもので、今日(撮影日)は一輪、明日二~三輪・・・と咲いたと思う
   

対象とする花は小さく下向きにうつむいて咲く為花を被写体とするにはマクロレンズや高級カメラが欲しくなるが根気と工夫があれば思い掛けない写真が撮れる。
掲載の写真も800万画素のコンパクトデジカメ(以下、「コンデジ」と表記)で、中々焦点が合わなかったり背景のボカシが少なく立体感が出なかったりしましたが、思考錯誤しながら20枚近く撮影したモノの1枚をトリミング補正したものです。
勿論、高級カメラとマクロレンズで有れば、1~2枚で充分満足な撮影が出来る筈ですが、持ち合わせて居ない時も私はこうして対応して居ます。

 ※ デジカメ時代の有難さは、パチパチ何枚でも撮れる、失敗写真は何回でも消去出来撮影し直せる事。
   メモリ容量も大容量化した昨今、失敗を恐れず色々な撮影を試みて、後から選別すればいい

   ただ、逆光時の対処にはデータの差が大きく画像編集ソフトを使っても補正に限界があり正確な画像
   の復元が難しい場合が多い様です。

掲載の写真は約10年前のものですが、中々、この様なチャンスに恵まれず、【妖精の集い 2】は未だ撮れて居ません。
 (関東地域に住み、仕事を持って居ると、やはりベストチャンスには中々恵まれない様です)

 

なお、「アズマシロカネソウ」のキーワードでネット画像を検索すると、花々の写真が沢山見られますので、一般の写真はそちらにお任せし、此処では省略致します。

 

【アズマシロカネソウ】のファンは結構多い様ですが、くれぐれも自然界の個体採収はご遠慮願います。
自宅で栽培したければ、栽培ものを購入して下さい (自然個体採取よりも育て易い筈です)

また、被写体が小さい為写真撮影の為に自然を踏み荒らす事の無い様、皆で大切に守りましょう。

 

  少子化現象は我等の故郷も抗し難く、近隣3校統合に伴い母校「城内中学校」を、増・改築の上、
  2018年度より新たに、統合校・【八海中学校】として発足する事になった事はご存知の方も
  多いと思う。

  今年8月末起工式が行われ、9月からはすでに整地工事などが始まっているので従来の姿を見る
  機会も少なくなりつつある昨今、我等【城中】卒業生の心の原風景とも言える学校の姿を一部で
  すが紹介しましょう。

 

桜の季節・【グラウンドからの校舎】

今年の春、何気なく撮影した城内中学校の写真ですが、今となっては来年からは姿を変えてしまう為、
【2度と見られ無くなった風景】です。

 ※ 9月から着工の新校舎が、下記写真の左奥に見える体育館(青い屋根)の手前に建つ為と、
    学校の正門が左の宇田沢川・堤防道路側に移る事で、この景観もかなり変わる事と思う。

   ◆ 2015年4月28日 (写真は複数枚の合成ですので不連続部分は悪しからず)
2015.04.28F _23 城内中学校付近より.jpg
2015.04.28F _13 B 城内中学校.jpg
2015.04.28F 28・29F _16B 城内中学校付近より.jpg

 

新な統合校は「五十沢中学校」「大巻中学校」「城内中学校」の3校で、【八海中学校】となる。

   ◆ 【八海中学校】 起工式 (南魚沼市 HPよりワンカット)
八海中学校起工式(2015.08.31).JPG

 

とは言うものゝ、我等の年代では現在の「城内中学校・校舎」も新し過ぎて馴染が無い人も多いでしょう。
と、言ってもこう言う事態は想定外だった為手持ちの写真は下記1枚しか見付からない。

   ◆ 昭和30年代(小生が中学校時代)宇田沢川対岸「暮坪山」の上から義兄が写した風景
S30年代上原 (1280×388).jpg

   ◆ 上の写真を八海山倶楽部仲間の亘氏が絵にしてくれたもの  (こちらが非常にわかり易いと思う)
S30年代の学校全景(小・中学校).jpg

    左に合同製糸の煙突が、右側に城内中学校と小学校(一部)が見える。 後に宇田沢川の
    氾濫で、手前に見えるグラウンドの大半が流失、冒頭の写真はその後に再建された学校の
    グラウンド。

   ◆ 昭和30年代写真の撮影場所  :  現代の「暮坪山」 ・・・ 頂上に杉が数本見える所
          (右奥に続く尾根の山が「鬼の面山」、宇田沢川に落ち込む崖が「鬼の面」)
2015.04.28F 暮坪から鬼の面.jpg

    3月末、南国育ちの義兄が【凍み渡り】をしたいと言うので一緒に登った時写してもらった
    写真が思いがけない記念写真となった。

    此処から見える暮坪山の斜面は、春先にカタクリが真っ先に出て、麓(集落名)の六万騎
    山に匹敵する位(?)の群落が見られた所だった。 

    最近では山が人々の生活様式の変化で (芝刈り等の手入れが無くなり) 放置された為 、
    カタクリも減り、山頂の杉迄辿り付くにはかなりの藪漕ぎを覚悟しなければならない様だ。
      (何年か前、右側杉林から登ろうと試みたが昔の杣道は雑木の藪で消えて居た)

 

☆ 出来れば何処かに年代ごとの学校・城内関連写真を集めたコーナーでもあればいいかもね!

 

 

柏崎刈羽原発も再稼働へ? 【1】

 

鹿児島の「川内原発」は再稼働、いよいよ商業運転に入った。


予想された事とは言え「安保関連法」国会で足踏みして居た「原発再稼働」の流れが近く再浮上する事は間違いない。
恐らく今の政治体制が大きく変わらない限り、原発推進派に追い風が吹くのは間違いないと思う。

私は原発と言う手法そのものには、全否定派では無い。(エネルギー政策のひとつとしては有りだと思う)

ただ、

  ① 1基当たりを巨大化してしまった為、リスクも巨大化した現行原発での再稼働
  ②  使用済燃料(核廃棄物)処理問題をなおざりにしたまゝの再稼働


には、明確に反対する立場である。
 

そう言う観点から見た現状の「柏崎刈羽原発」は規模の上で、日本でも1・2を争う原発で、首都圏電力の供給原を目指して作られた施設、この巨大化した施設では、東日本大震災クラスの地震・津波の再来に耐えられると言う保証は疑わしい。

   ◆ 柏崎刈羽原子力発電所 (google Map より) 
柏崎原発.JPG

   ◆ 柏崎刈羽原発から30km 圏エリア 概略(目安)
柏崎原発MAP 1A.jpg

  (講談社発行ブルーブックシリーズ「日本の原子力施設全データ」(2012-2-20版)より)


福島の原発でも、計算上は安全だったはず・・・想定外の規模の災害と言うが、過去の歴史では貞観地震(869年:平安時代)と言う震源地も地震の規模・津波の規模も東日本大震災に非常に似ている地震が記録や被害地の調査結果等で実際に起きていた事が知られていた。にも係わらず、原発設置に当って調査・分析した形跡が無いとの指摘もある。
   (もしそうだとすれば、「想定外の災害・・・」の言い訳は論外であろう)

地下水脈が縦横に走る土地に現在の様な巨大な施設を作るのでは、いくら耐震規格を満足させたからと言っても所詮人間の考えた想定内のもの、制御不能・想定外の事態になっても他の方法で速やかに安全対処出来る大きさ・規模に絞る必要がある。
“福島の事故”はその現実を、様々な現象で見せつけている。

事故のトリガーは【地震】と【津波】であるが、それ以降の問題は人為的に予防できる現象。
【福島に見るこれからの原発設置で考えるべき主な問題点】は、例えば

  ・ メルトダウン対策  ・・1基辺りの燃料が多すぎて炉底を突き破る現象が出た。
                 本来なら有ってはならない現象、対策が軟弱だった。
                (想定外と言うにはあまりにもリスクが大き過ぎる)

  ・ 冷却(汚染)水漏れ・・・施設が巨大化する程パイプの総延長が延び、長さに比例
                して、冷却水漏れのリスクは増大する。

  ・ 地下水脈への汚染水漏れ・・・これについては過去の教訓・想定がなかったのか?
             ・・・そもそも、原発設置検討時に地下水脈の把握をして置く
                べき事と、万一の為の対策を施して置くべき事が教訓。

  ・ 施設が巨大   ・・・大きくなる程、耐震構造・事故対応が難しくなる

  ・ 汚染物質拡散情報のリアルタイムな公開
             ・・・季節風と近隣都市への拡散情報が後手後手で不審を買った

  ・ 広範に汚染レベルの高い汚染物質を撒き散らした結果
             ・・・故郷を離れざるを得ない人々、汚染風評被害で喘ぐ農林魚業、
                未だ先の見えない被災者達は、津波の被害の何倍も重荷を背
                負わせられているのが現状と言える。

 

もしも【柏崎刈羽原発】で  真冬に【福島原発】相当の事故が起きた場合


 【積雪が福島の被災地の数倍の「上越・中越」を中心に季節風に乗った汚染物質が撒き散らされる】
 事が想定される。(魚沼市・南魚沼市も、間違いなく被災地域になるでしょう)

     厚い積雪に降り積もった汚染物質は、春先に濃縮されて地域一帯に流れ出す。
     これは福島の被害とは異なり、より甚大な被害が推測出来る。


悪い事に越後山脈で上昇した雪雲が、上・中越に折り返して雪となって降る事から、この地域へは汚染物質が二重に降り積もる事になり、単純に30km 以上離れて居れば安全・・・なんて論理は成り立たない事を知って置く必要がある。
また、雪道の避難行動も、福島のケースと違い秩序ある避難が出来れば別だが現実には困難を極める事が予想される。
 

そんなワーストケースを考えると、今のまゝの【柏崎刈羽原発】再稼働  は、数十万人以上の人生を苦境に落し入れ、莫大な負債を負うリスク が有る事を考えなければならない。
 

私の考える原発は、【人間が容易に制御できる範囲の小型化が望ましい】と考えており、1,000戸~10,000戸単位程度の規模の電源供給を基本として原発を分散して作るのであれば耐震構造も津波や地震対策が取り易いはずである。
更に、最悪の場合でも様々なリスクをより小さい範囲に収める事が出来るでしょう。

複雑にプレートのぶつかり合う日本の大地には  揺れても 安全・【コンパクトな原発】こそが必要と、思っている。

現実に、原子力潜水艦や人工衛星で小型原子炉を稼働して制御も殆んど問題無く運用されている実績がある。
従って、技術的には実現可能な話である。勿論、建設コストなど巨大な物を1基作るのと、小さな物を多数作るのでは、合計は大きな物1基の方が安いかも知れないが、事故・災害に対するリスクと安全性では極めて有利になるはずで、数多く設置する必要があると言う事は、建設コストも低くなる可能性も大きい。
 

② の核廃棄物処理については、やはり政治的に透明性のある処分方法をまとめないと問題が残る

 

しかし、今のまゝだと必ず、現状設備の早期再稼働の次なるターゲットとして急浮上するだろう。

その際、原発再稼働の是非を問う論議が、今国会の「安保関連法案」の様に、満足な安全検討も無く数の論理でゴリ押しされない様に、今から備えて置く必要があると思う。

 

政治的な事については他の人にお任せするとして、次回からは「地盤」「地形」の観点から現状の【柏崎刈羽原発の安全性】を再確認して見よう!

八海山の話題 「3題」

今は夏から秋への端境期(ハザカイキ)、あと数週間で紅葉シーズンに突入だ!

そんな端境期の9/1(火)、世間一般とは違うけど久し振りの休日でTVを眺めていたら、

    【“八海山”、銀座のホテルとコラボで女性客向け宿泊サービス企画!】

と言う二ユースが流れた。 (TV東京、L4 you プラス と言う二ユース番組)

2015.09.01 -002 八海山&ホテルのコラボ (TV東京・L4you).jpg

2015.09.01 -003 八海山&ホテルのコラボ (TV東京・L4you).jpg

そう、『八海山』は八海山でも故郷の「酒造メーカーのブランド名」の『八海山』であった。

 

 

話題 1 ・・・ 銀座で泊って、八海山を堪能(女性限定)

その『八海山』と、銀座のホテル『三井ガーデンホテル・銀座プレミア』がコラボレーション企画
として、女性客向けの宿泊サービスを始めたとの事。(2016/3末迄)

2015.09.01 -007 八海山&ホテルのコラボ (TV東京・L4you).jpg2015.09.01 -009 八海山&ホテルのコラボ (TV東京・L4you).jpg

2015.09.01 -011 八海山&ホテルのコラボ (TV東京・L4you).jpg

女性ルームにはスパークリング仕立ての日本酒・八海山の他に、八海山をイメージしたデザインラベル「シャンプー、ボディソープ、洗顔クリーム等もセット」で準備してあるとの事。

それにしても、このラベルデザイン、城内育ちの私には一目で分かる、感動モノだ!(さすが、城内育ちの「八海山」目線)

霊峰・八海山(200名山のひとつ)から流れ出る「宇田沢川」の様子が簡潔にデザインされている。

参考迄に、今春の写真と見比べてみて下さい。

2015.04.28G _121 故郷の山 【八海山の春】.jpg

 霊峰・八海山から流れ、旧城内地域を貫き魚野川に流れ込む【宇田沢川 (うだぞう川)】
(雪解けの頃、今でも両岸には所処にアズマイチゲの群落が咲いていて、残したい自然だ)

 

 

 

話題 2  ・・・ 小さな旅で、八海山の岩峰

小さな旅:言う迄もなく、NHKの日曜朝8時からの自然・伝統文化などをテーマにした長寿番組。

その「小さな旅」で、この地域としては2回目の放送が有った。

1 回目は4~5年前、晩秋の八海山に2~3回目の降雪があり、里もいよいよ根雪が来ると言う、
冬直前の12月上旬、八海山麓の山口集落を中心に冬に備える為の【秋仕舞い(冬支度)】をテー
マとした【小さな旅】が放送された。  (写真はその放送のひとコマ)

 この地方には古くから、「八海山に3度雪が降ったら里にも根雪が来る」との言い伝えもある。

小さな旅・秋仕舞い.jpg

 

今回は山の上【八海山の岩峰】・・・“霊峰”と呼ばれる由来の修験道【八ツ峰】がテーマ。

取材は7月との事でしたが、地元に居る人さえも中々寄せ付けない、主稜の岩峰を辿る山旅8月
30日の放送で見せてくれました。
 山好きの私でしたが、主稜コースは2回しか行った事が無い、岩稜経験の無い人は巻道を!
   それ位、準備・体力なしでは危険なコースが続く場所。
(昨年も滑落事故2件ありとの事)

とは言え、八海山は我等に取っては『心の山』、この岩峰を晴れた日には毎日眺めながら育った山
なのである。

その山が今回の「小さな旅」で放映された。

2015.08.30 -001 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

 

以下、番組の進行を追って画面(TV画面写真)を抜粋して紹介しましょう。

   ◆ 登山口城内・上原付近からの八海山
2015.08.30 -011 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

 

   ◆ 八海山ロープウエイで4合目迄 
2015.08.30 -013 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

 

   ◆ 山頂駅前(4合目)登山口付近
2015.08.30 -015 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

2015.08.30 -014 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 地元のオシドリ夫婦、ご主人81歳・奥様75歳との事、歳もびっくりだが、
      12年前に仕事をリタイアして八海山登山を始め、今日で440回目との事
2015.08.30 -016 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 薬師岳(9合目)から千本檜小屋と、八ツ峰最初の地蔵岳2015.08.30 -017 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

 

こゝで、城内方面からの八ッ峰がどんな風に見えるかイメージして置くと参考になるでしょう。

   ◆ かってNHKドラマ『天地人』放映の頃作成した写真(拡大して見て下さい)
八海山 -  008上原からのズーム.jpg

        ※    八つ峰の最高峰「大日岳」の標高は1720m、八海山(全体)の
                 最高峰「入道岳」(大日岳の右側)の標高は、1778mです。

   ◆ 『天地人』でオープニング画面に使われた地蔵岳山頂シーン
2010 大河ドラマ 【天地人オープニング】.jpg

  主人公・直江兼続役の妻夫木聡さんが登ったと知って、一時多くの女性ファンが押し
  掛けたとの話も聞いた。(こゝ迄は容易に登る事が出来る為)

話を元に戻しましょう。

   ◆ 八ッ峰2つ目の不動岳から振り返った風景
           (手前から、地蔵岳・千本檜小屋・薬師岳)
2015.08.30 -018 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 不動岳山頂、こゝから先左奥の八ッ峰が鎖場・ハシゴが続く難所となる
2015.08.30 -020 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

2015.08.30 -019 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

2015.08.30 -005・6 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

    ◆ 摩利支岳からの下り2015.08.30 -021 八海山 (NHK・小さな旅).jpg
2015.08.30 -022 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 大日岳最後の登り
2015.08.30 -024 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 大日岳 山頂 (八ツ峰の最高峰=1,720m)2015.08.30 -030 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

2015.08.30 -032 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

2015.08.30 -031 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

2015.08.30 -034 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 大日岳からの遠望(西側:城内方向)
2015.08.30 -039 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

   ◆ 大日岳からの遠望(東北東側:越後駒ヶ岳~南南東側:入道岳)
2015.08.30 -041 八海山 (NHK・小さな旅).jpg

 

 「小さな旅」はこゝ迄で、この後は巻道ルート経由で千本檜小屋迄戻り、ロープウエイ経由で下山
  したであろう事を、地蔵岳山頂で夕陽を浴び、ほら貝を吹く山伏のシーンで終わっている事が示唆
  している。

  下記【グレートトラバース 2】の 田中陽季氏 はこゝ大日岳から入道岳(大日岳下りの鎖場を下り
  れば入道岳迄岩場は無い)を経て左に見える尾根筋沿いに(途中右にカーブして)中ノ岳に行く事
  になる。
      【誤記訂正】 2015.09.15
              上記、「入道岳を経て左に見える尾根筋沿いに・・・」と書いたアンダーラインの部分
              実は尾根ひとつ間違えていましたこゝ大日岳から見えない、もうひとつ向う側の尾根
              でした。 訂正の上、お詫び致します。
          (中ノ岳へは先の五竜岳で左に分岐し少し右カーブしながら下って痩せ尾根に取り付く)

   ◆ 八海山~中ノ岳への分岐ルート (カシミール3Dより)
カシミール 八海山から五竜岳.JPG

   ◆ 関連地図(越後三山と二百名山・荒沢岳周辺・・・カシミール3Dより)
グレートトラバース2(八海山から平ケ岳1280).jpg

 

  ただ、このコースは痩せ尾根のアップダウンが続く上、アプローチが長く体力と高い登山技術 が
  求められる。
 (特に、普通の人には八海山➡中ノ岳ルートは逆ルートの1,3~1,8倍の時間が掛かると言われてる)

   単独行上級者リーダーの居ないパーテー体力の無いメンバーの居るパーテー  は入山しない事。

   特に八海山から中ノ岳方向へのルートは総合的に登りとなり天候によっては上級者でも避けるべき
   ルートになる / 越後三山を縦走するなら、越後駒ヶ岳 ⇒ 中ノ岳 ⇒ 八海山  のルートがお薦め

 

下記【グレートトラバース 2】では、「八海山」⇒「中ノ岳」⇒ 兎岳 ⇒「荒沢岳」と踏破する。
因みに荒沢岳の北側は銀山湖で、こちらの斜面は湖岸に沿って巨大な岸壁が続いている。
この屏風の様な人を寄せ付けない岸壁から幾筋もの沢が流れ出ている様を見ると、昔の人が「荒沢岳」
と名付けた事にも納得が行く。
紅葉の時期、銀山湖の湖岸を走るとひと際目立って荒々しい山肌と紅葉と湖水のコラボレーション
楽しめて美しいですよ!

 紅葉 : 9月末頃~10月15日頃迄・・今年は集中豪雨の後の為道路情報は必ず事前確認の事!

 

 

 

話題 3 ・・・ グレートトラバース 2(200名山シリーズ)

 

 ※ 9月12日(土)BSプレミアムの「第2集・東北~新潟編」で放送の予定。

          因みに、第1集は「北海道編」で放送済。 【 八海山~中ノ岳】は第2集、12日放送分に入る
             放送時間は午後9時~11時迄の約2時間。

 

   ◆ 取材風景:ブログ仲間の昇氏が投稿していたワンシーンを借用(8/3 八海山4合目にて)
15.08.02-1.jpg

 

       走者は 昨年の「日本百名山ひと筆書き~グレートトラバース1」と同じ『田中陽希』氏。

   掲載ブログ詳細は、昇page 参照 : http://hakkaisan-photo.com/non/2015/08/post-119.html

 

   NHK・BSの番組HPも参照すると、コースやこれからのスケジュールなど詳細が見られますよ!

        まだ許可を頂いて無いのでHPにリンクは差し控えますが、タイトル名とURLを下記して置きます。

                タイトル :   日本2百名山ひと筆書き~グレートトラバース2

                 URL      :    http://www.greattraverse.com/project.html

  このスケジュール表を見ると、5月29日に2百名山最北の、北海道・暑寒別岳(北海道の尾瀬と
  言う人も居る「雨竜沼(雨竜湿原)」から見るとちょうど「尾瀬ヶ原から見た至仏山」をイメージ
  させる山)をスタートして、八海山~中ノ岳は 8月3日(26及び27座目)、今日9月7日現在
  は「山梨県・乾徳山(49座目)だったそうです。  

  田中陽希氏 及び 撮影スタッフ達の 驚異的な体力・精神力に、唯々感服させられている。

映画やドラマで、江戸時代の庶民生活を舞台とする時代劇や物語に、必ずと言う程出て来る川の名前が
【小名木川】。

山手喜一郎、池波正太郎、山本一力、佐伯泰英、門田泰明・・・・・色々な作家がこの川を描いた。

仕事の関係で、今年4月から転勤して来た所がこの【小名木川】に架かる、隅田川から数えて2つ目の
橋【高橋(“たかばし”と読む)】の、すぐ近く。
そこでこの【小名木川】について、前から興味があり少し調べてみる事にしたが、新たに調べて見て今
迄の認識を覆す新説も浮かび上がって来て、中々面白い。

今日の所はまだ、一番最新の情報(書籍)を手にしたばかりなのでもう少し読んでから書きたいと思い、
予告編に留める。

取りあえず、現代の小名木川近況編として、以下小生赴任・4月以降の近況写真でも見てお待ち下さい。

 

   ◆ 小名木川:【高橋 (たかばし)】袂からの「東京スカイツリー」 (最近の写真)
20150520_高橋よりのTSK.jpg

 

桜全盛の頃(3月末~4月上旬頃)

   ◆ 4月上旬:隅田川口の水門・・・一番高いビルは隅田川対岸の「トルナーレ日本橋浜町」
    (水門の向こうに橋があり、その向こうが隅田川。手前の青い管は水道管)
2015.04.01A _03 小名木川・桜.jpg

   ◆ 水門の下には隅田川を運行する水上バスも見える(対岸/箱崎方向を歩く人も)
2015.04.01A _18 小名木川・桜.jpg

   ◆ 高橋(青い水道管の向こう側)を潜って隅田側に向かう観桜船
          (ガイドが説明しながら通過して行く)
2015.04.01A _16 小名木川・桜.jpg

   ◆ 水門を潜って隅田川へ(殆んどは右、浅草方面「隅田堤」へ向かう)
2015.04.01A _20 小名木川・桜.jpg

   ◆ 高橋にて:帰り舟 (多分、隅田堤でお客さんを降ろして帰る所でしょう)20150409_高橋からTSKT.jpg

 

桜は散って・・・(4月末~5月現在)

   ◆ 小名木川/高橋より : 正面の隅田川対岸(高いビルの左付近)が箱崎ターミナル方面
20150426_高橋から下流(隅田川)方向.jpg

   ◆ 小名木川/高橋より :ほゞ直線の川筋、 中川・行徳方面迄
20150426_高橋から上流方向.jpg

   ◆ 地図で見ると、意外に近い範囲に意外なスポットや旧跡が沢山有った
周辺地図A(清澄白河周辺).jpg

   地図出典 :JTBパブリッシング発行、「詳細地図で歩きたい町・東京 2015」より引用

 

私はまだ殆んど歩いて居ないが、小名木川関連以外でも、深川と言う地域は

   ・松尾芭蕉関連  ・平賀源内関連  ・のらくろ  ・北の海部屋 ・・・・・etc.

等々、歴史以外でも面白そうだ!

 

さて、【小名木川】本編について少しだけ触れて置きましょう。

 

【小名木川】は、德川家康が豊臣秀吉に依って関東への国替え(移封)させられて直ぐに着工し作られた、
言わば江戸草創期からの人工の川である。
つまり、我等の故郷に根付いて居た越後上杉家が会津移封となったその時と、ほゞ同じ時期なのである。

しかも、その川は隅田川~中川迄、ほゞ一直線に、当時としては川幅も広い独特な運河である事。

開削から約30年間は、一般人の通行が禁じられて居たと言う事。

など、定説(德川の記録等)では、【小名木川】開削の目的が、「行徳(千葉)の塩を確保するのが目的」
とされているが、しかし「【塩】だけの目的でこれだけ大規模な運河を作るだろうか?」と言う疑問が私の
中では、何かスッキリしない違和感として引っ掛って居た。

所が最近手にした本で、かなり論理的な説明がなされ、納得が得られた気がしている。
まだ、主流の説明として認知されたものでは無い様だが、私的には納得出来るものであった。

そんな事から【德川家康と小名木川】の関連をもう一度整理して見ようと、思って居る。

近日公開予定!   江戸時代草創期の歴史に興味ある方は是非ご覧下さい。

 

城内漫遊記

かねてより六万騎山のカタクリ最盛期に行って見たいと思っていたら、GW直前の4/28(火)1日だけ休みがとれる事になり友人に声を掛けたら午前11時頃迄ならOKとの事で、夜10時の仕事を終えてから自宅に帰り、深夜の関越道を走って塩沢の「道の駅・雪あかり」で仮眠、午前7時40分頃友人宅に着いた。

天気は快晴、

   ◆ 友人T氏宅の立派な桜が丁度満開だった
2015.04.28C _02 智通宅・桜(満開).jpg

 

  8:00AM、六万騎山の麓には更に2人の友人が、仕事をやりくりしてくれて同行すると言う。 感激だ!


 

六万騎山登山(と、言うより軽ハイキング)

 

   ◆ 六万騎山・登り口にて、友人一同を1枚 (T氏・M氏・N氏)
2015.04.28D _03 六万騎山.jpg

 

 登り口から足元一帯にカタクリが群生していたが、残念ながらもう殆んどが花期を終え、中には
 かなり実が成熟している物も見られて少し落胆しながら登り始めた。

 登り始めて直ぐの所で青いカタクリの花を教えてもらったが、一部を心無い人にむしり取られて
 いて、無残な姿にカメラを向ける気もしなくなった。 非常に残念な事である。
 (この青いカタクリについてはT氏のページで紹介されている

 気を取り直して登って行くと、懐かしい花々のオンパレードで落ち込んだ気持ちを癒してくれる。

 

   ◆ 登り口からの途中の花々、ニオイコブシ(タムシバ)・・・いい匂いですよ!2015.04.28D _11 六万騎山.jpg

   ◆ イワウチワ ・・・ 葉っぱの形、昔の団扇ににてません?2015.04.28D _12 六万騎山.jpg

   ◆ ユキツバキ・・・花は散り方に意味が有るらしい。 普通の椿は花全体がポトリと落ちる。
             従って昔、武士達は「首が落ちる」と、縁起をかつぎ、庭木にしなかっ
             たが、「ユキツバキ」は花びらで散るので武家の庭木に喜ばれたと言う。
2015.04.28D _15 六万騎山.jpg

 

    その他、イカリソウ・キクザキイチゲ・各種のスミレ・マンサク・ブナ 等々が競って咲き誇
    っていた。
    そして本命カタクリも、標高が上がるにつれてまだまだ健在。 最盛期は過ぎたが十二分に
    UP写真も撮れる立派な花があちこちに群生していた。

 

   ◆ 念願の【カタクリ群生】
2015.04.28D _51 六万騎山.jpg

2015.04.28D _46 六万騎山.jpg

2015.04.28D _48 六万騎山.jpg
 


 

六万騎山・山頂展望台


   ◆ 山頂展望台にて全員で! (同行者T氏のカメラ映像)左よりT・M・N・H(小生)
六万騎山・山頂にて.jpg

   ◆ 山頂からの六日町方向、1週間前(N氏撮影)と残雪量を比較して見ました
六万騎山 から 六日町方向.jpg

    1週間前の写真(上)撮影者N氏のブログ(ここ)より借用、こちらもご覧下さい。
 

   ◆ 巻機山~魚沼丘陵枡形山・パノラマ写真(合成)
2015.04.28D _27B 六万騎山.jpg

   ◆ 山頂の案内板
2015.04.28D _44 六万騎山.jpg

   ◆ 左上、枡形山スキー場 : 右端、五日町スキー場方向
2015.04.28D _53 六万騎山.jpg

   ◆ 六万騎山からの「八海山」2015.04.28D _43 六万騎山.jpg

 

   ◆ 六万騎山から「大崎(大和)」・「守門岳」方向
2015.04.28D _35 六万騎山.jpg

   ◆ ブナの開花 : 春紅葉と呼ばれる要因のひとつ
2015.04.28D _37 六万騎山.jpg

   ◆ ブナの花 : 開花して数日すると、赤い葉も・黄色い花も黄緑色に変る
2015.04.28D _39 六万騎山.jpg

 

    勿論、「春紅葉(モミジ)」はブナの開花だけでは無く、芽吹きの時や花芽が開花する直前は
    多くの植物が表皮を赤くして赤外線を集め暖める事により、成長を促す。
    それが秋の紅葉の様に山肌を赤く見せる事から「春紅葉」と呼ばれる様になったのだそうだ。

 

  さて、下山後、本来のスケジュールではトンボ返りで東京へ戻る予定だったが、あまりに快晴の天気に
  緑と残雪の山々、こんなチャンスは滅多に無い為「城内漫遊」にと予定変更をした。

 

 

城内漫遊

 

   ◆ 城内Map(Google)
六日町・城内 MAP.jpg

 

  今回は城内エリアを貫く宇田沢川に沿って遡り、八海山里宮迄を辿って見る事にした。
  まずは我等の母校、城内中学校。(我等の頃は小学校も一緒で、母校と言えばここだけ)

 

   ◆ 桜吹雪のグラウンドから
2015.04.28F _23C 城内中学校付近より.jpg

   ◆ 後の藤原山(桂山)は子供の頃良くウドやクタチ等の山菜を採りに登った山
2015.04.28F _05 城内中学校付近より.jpg

    我等が入学した頃は一学年で200人・一教室50人と言う大所帯で有ったが、少子化の波は
    故郷でも抗し難く、3年後には大牧中学・五十沢中学が統合されてここに通う事になる。

    一方、宇田沢(うだぞう)川の対岸の風景は、

   ◆ 中央の「暮坪山」~「鬼の面(おんのつら)山」が迫って来る2015.04.28F 暮坪から鬼の面.JPG

    昔は「暮坪山(中央)」も「鬼の面山(右)」も一部特別な急斜面を除き、芝刈りをして
    いた為、この季節にはどの斜面を登ってもカタクリやイワカガミ、山菜等の宝庫であった。
    最近では雑木や下草が繁茂して山菜も少なく登る人も無くなり、尾根筋でさえ登り下りが
    薮コギとなる為、大変である。

 

   ◆ 昭和30年代、3月の凍み渡りで上の写真中央・暮坪山に登り
          大杉2本が見える稜線からこちら向き(上原方向)を撮った写真
S30年代上原.jpg

 

   ◆ 上原集落開発センター前から、鬼の面・八海山方向 (宇田沢川上流)
2015.04.28G _20C 集落センター付近より.jpg

 

   ◆ 岡付近(旧・蕎麦屋付近の宇田沢川河畔・アズマイチゲの群落より)
2015.04.28G _121 岡付近より.jpg

   ◆ 左:アズマイチゲのクローズアップ 右:キクザキイチゲ (宇田沢・堤防にて)
アズマイチゲとキクザキイチゲ.jpg

  ◆ 富岡ホワイトの上流堤防、数か所で群生     ◆ 出浦(イズナ)橋下流域堤防に数株ずつ散在

 

     アズマイチゲとキクザキイチゲの花は殆んど同じで見分け難い。色も互いに白と紫がある。
     困った事に両者とも同じ様な環境に生育するので間違えやすい。
     

     見分け方は、アズマイチゲは花の下にアケビの葉の様な細長い葉が6~8枚輪状に付く
     事、キクザキイチゲの場合、葉に深い切れ込みが無数に入っている事が大きな違い。
     また、キクザキイチゲは比較的紫の花が多く(白もあるが)、アズマイチゲには紫色は
     極めて少ない。(全く無い訳では無いので、目安と思って下さい)

 

     こんな所にアズマイチゲの群落とは予想外、多分八海山の何処かの沢筋から流れ着いた
     ものが増えたものだろう。 群生は、川沿いに4~5個所確認出来た。

 

   ◆ 岡村の山際、城内の春爛漫を絵にした様な原風景
        「里には桜、山にはブナの新緑と白い残雪、所処に春紅葉」2015.04.28G _83 野際から岡付近より.jpg

   ◆ 岡村付近からの八海山2015.04.28G _120 B.jpg

 

    ここから山口の友人宅前を抜けて里宮へ
 

   ◆ 里宮(正面より)と参道(雪山の上から手洗い場方向)2015.04.28H _13 B 八海山・里宮本殿と参道.jpg

   ◆ 池
2015.04.28H _09 B 八海山・里宮の池.jpg

   ◆ 池から流れ出る森の中の小川
2015.04.28H _05 八海山・里宮.jpg

   ◆ ミズバショウも咲き始めた(小川に沿って大分株数が増えている)
2015.04.28H _06 八海山・里宮.jpg

   ◆ 目覚めつつある里宮の森、消えた雪の隙間からいち早く日陰を好む野草達が!
2015.04.28H _02C 八海山・里宮.jpg

    左 : ウバユリの若い株・・・この株は少し巻いている所を見ると、もしかしたら
                   今年は花を付ける迄育つかも知れない。
                   種を蒔いても数年に分かれて発芽する。発芽はしても
                   5~6年は株が大きく育つ迄花芽を付けず、途中で枯
                   れて消えてしまう事も多く、育てるのが難しい花だ。
    右 : エンレイソウ・・・・・これは、比較的どこでも育つ良く知られた野草。
 

 

城内中学校・第16回卒業生の42歳厄払い記念碑

 

  里宮の左下、そこに鎮座して旧城内村を見守っている。

   ◆ 最近では【子宝祈願のパワースポット】だとか?
2015.04.28H _15 八海山・里宮.jpg

    まだ雪解け中の為、スギっ葉(杉の枝葉)等の落ち葉で汚れているが、これが入口
    からの全景。

   ◆ 別の角度から
2015.04.28H _17 八海山・里宮.jpg

   ◆ 付近で見付けたショウジョウバカマ
2015.04.28H _19 B 八海山・里宮 滝周辺の花.jpg

 

    ここで、帰宅時間のタイムリミット。
    実家に顔を出してから帰途に付き21時頃、藤代の自宅に着いた。
    その後東京の職場に移動、結論として4月28日中に就寝出来、翌朝6時30分始業は
    支障無く対応出来た。

 

 

河津は少し遠いけど

本格的な桜の季節には、まだ3週間位あるけれど、ひと足早い【桜の話】

河津桜の系譜、神奈川県・松田町、松田山の桜が 先日(3月3日現在)5分咲きだそうだ。

河津は遠いが松田山なら近い、東名「大井松田IC」を下りてすぐ、松田山西平畑公園がその場所。 
今、【桜まつり】の真っ最中。 (写真は観光協会パンフのワンカット)

   ◆ 【まつだ桜まつり】観光パンフレット抜粋
桜まつり(松田山ハーブガーデン).JPG

   【松田桜まつりの詳細はここ【松田町公式サイト】からアクセスしてご覧下さい。
    最新の開花近況確認や上記掲載パンフレット(PDF
)のダウンロードも出来ます。
 

ここは、天気が良ければ富士山も見えるし、菜の花もこれに合わせて咲かせる為、ロケーションに恵まれた
山上公園である。

東京からなら電車が便利だが、渋滞を別にすれば車で2時間前後、私の故郷・南魚沼市からなら、関越道⇒
圏央道⇒東名と高速道路を乗り継げば、3~3時間半位で着ける距離でもある。
 (六日町ICから西平畑公園迄、片道約260kmの距離)

長距離運転の不得意な人でも、2人以上の運転手が居れば楽勝の距離でしょう。
天気予報と相談して、およそ3週間位早いですが、桜見物はいかが?
近くの小田原・箱根や富士山周辺と組み合わせても面白そうですよ。

でも、途中渋滞ポイントが何ヵ所も有る事を考えると、電車と言う選択肢も 此処なら便利でしょう。
小田急新宿から新松田駅迄直通一本で、またはJR御殿場線・松田駅へ。 そこからはシャトルバスがある。

 

出来れば私も行きたいと思っていたが、どうやら今年は行けそうに無い。 ・・・ 残念だなあ!

2015年、初ドライブは日光

2015 年、プライベートでは何かと忙しい年になりそうだ。
 (暮れからずっと投稿も出来なかったし・・・想定外のスケジュールがメジロ押しで・・・)

政治的にも、経済的にも、「良くも悪くも節目の年になりそう」ですね!
 

さて、ひさしぶりの投稿、今年初めての投稿に相応しいテーマが見当たらないので、休みを利用して
今年になってたゞ一度わずか7時間だけのドライブについて書く事にします。

仕事の滞在先・群馬県太田市(住居は大泉町だけど)から今の季節・自然派の私が選ぶ、7時間位で
往復できる好みのドライブ先としては、やはり中禅寺湖~戦場ヶ原方面。
 

と言う事で、朝7時太田市から国道122号線で日光方面に向かった。

 

目的地は【中禅寺湖~戦場ヶ原】

   ◆ 広域イメージ地図 ・・・ 便宜上、故郷の「八海山」迄のエリア (Google Map より)
中禅寺湖ー日光 .JPG

   ◆ 中禅寺湖~日光周辺 (拡大図)
戦場ヶ原から日光市内.JPG

参考メモ : 上記エリアで道路が冬季閉鎖以外の季節の注目スポット

  下記URLから、関連記事にリンクします

    ◆ 半月山・日光白根山~草津白根山・・・・・・春と秋(紅葉)が特にお薦め
         http://hakkaisan-photo.com/q/2012/09/siranesan.html  参照

    ◆ 中禅寺湖畔・千手ヶ原(せんじゅがはら)・・・クリンソウの群落(6/中~7/上)
         http://hakkaisan-photo.com/q/2014/07/kurin-2.html  参照

    ◆ 明智平からの「華厳の滝」・・・・・・ここはスタットレス履いていれば冬季も可
         http://hakkaisan-photo.com/q/2012/10/kegonnotaki.html  参照
             雪道の運転は、スタットレスでも特に慎重に!

 

今回の計画ルート

  太田市 ⇒ R122(草木ダム、足尾)経由 ⇒ 細尾大橋でR120を左折 ⇒ いろは坂

     ⇒ 明智平 ・・・天気が良ければロープウェイで展望台へ・・・ 華厳の滝展望期待
                 ( 天候・混み具合に依ってはPASS  )

     ⇒ 中禅寺湖畔(立木観音付近の湖岸) ・・・ 湖畔からの男体山や白根山期待

     ⇒ 竜頭ノ滝 ⇒ 戦場ヶ原 ・・・ 可能なら散策1時間程度

        ※ すべて天候と車の運行状況で、計画ルートは変更予定

        副案ルート :  ① 華厳の滝  ② 東照宮  ③ 東部ワールドスクエア

     ⇒ 帰路は原則往路R122経由で計画、ただし、時間と状況によって今市・佐野周り
       の高速道路経由も選択肢とする

 

想定時間

  往復・・・・片道 : 標準約 2時間 + 渋滞・雪道加算 30分 ⇒ 往復 約 5時間

  自由時間・・・・・1 時間 (実質は帰宅時間猶予+1 時間の、計7 時間で計画)

  食事・休憩など・・・・・・上記時間に含む
   (正直、あまりゆっくり食事する様な習慣が無い、湖畔の車の中で何かを食べながら
        15~20分程度休めれば充分、それより白い雪原や木立の中を歩き周りたい)

 

実際のドライブ  (草木ダム付近からスタットレスでないと走れない雪道だった)

      ⇒ 結果的に【戦場ヶ原】はPASS、副案①・②にルート変更となった

 

   スタート(7:00AM) ⇒ 明智平(8:45)、曇りの為ロープウェイはPASS ⇒ 
   立木観音前駐車場(9:10) ⇒ 竜頭ノ滝 ⇒ 天候が悪くなった為戦場ヶ原は中止
   ⇒ 副案①【華厳の滝】に変更 ⇒ 華厳の滝(10:15) ⇒ 昼食(10:50) ⇒ 
   副案②【東照宮】に変更 ⇒ 東照宮(11:20)⇒(13:20) ⇒ 帰着(15:30)

   予定より 1 時間 30 分時間オーバーとなってしまったのは、中学校の修学旅行以来の
   【日光東照宮】 で意外にじっくり見学が出来、時間を取られてしまった為。

   じっくり見ると、彫り物や建物等、やはり見るべき物が多い。 ただ、有名な【三猿】
   が野ざらしで、激しく劣化している事に驚かされた。(保護の対象では無いのかな?)
   【泣き龍】や【眠り猫】が屋内で保護されているのに比べ、取扱いは差がある様だ。

     だから日光でサル達が暴れ回っているのかな?
            ・・・・・な~んて、非論理的な考えにもコジ付けたくなるね!

   「日光は一度で結構」等と、今迄は興味が湧かなかったけど色々な季節・日差しの具合
   等で、変化する東照宮の施設を撮り周って見たい気もする。

   正月明けだった為か、車も人も以外に少なく、この位ならもっとゆっくり見るつもりで
   来れば良かったと思った。
      (でも、今はまだ自然の風景や草花の方に魅力を感じるけどね!)

 

 

フォトレポート

 

【中禅寺湖畔】

   ◆ 男体山方向 ・・・・・ 立木観音前駐車場より
2015.01.03B1- 002  中禅寺湖畔(立木観音前駐車場).jpg

   ◆ 湖岸の氷柱・・・・湖の波のしぶきが氷柱を成長させる
2015.01.03B1- 003  中禅寺湖畔(立木観音前駐車場).jpg

   ◆ 駐車場にて (モデルは同行者)2015.01.03B1- 008  中禅寺湖畔(立木観音前駐車場).jpg

   寒かった~!
   風花(雪)交じりの寒風に、長時間居られなかった。  早々に竜頭の滝へ!

 

【竜頭の滝】

   ◆ 滝見台(茶屋)入口・・・この時は快晴、 ただしこの方向だけ!
2015.01.03B2- 001  竜頭の滝.jpg

2015.01.03B2- 003  竜頭の滝.jpg

 

   此処から戦場ヶ原に向かう積りだったが、向うから来た車の殆んどが雪まみれ!

   聞いて見たら、戦場ヶ原は地吹雪で【歩き回るなどとんでもない!】との事で断念。

   方向転換して、副案ルート②の【華厳の滝】に向かう。
 

【華厳の滝】

   ◆ 展望台エレベーター前広場から
2015.01.03C- 001  華厳の滝.jpg

   ◆ ありふれた景色だが、冬の【華厳の滝】に来るのは初めてだ (展望台より)
2015.01.03C- 008  華厳の滝.jpg

2015.01.03C- 007  華厳の滝.jpg

2015.01.03C- 004  華厳の滝.jpg

 

   次の副案ルート②【東照宮】に移動。 

 

【日光東照宮】 ・・・・ 中学の修学旅行以来、約50数年ぶりである

   ◆ パンフレット抜粋周辺イメージ
2015.01.03A- 001 日光イメージ図.jpg

日光観光map.jpg

 

 【輪王寺・三仏堂】から

   ◆ 三仏堂 ・・・・・ 残念ながら、修理中で覆いの上から絵に描いたもの

2015.01.03D- 003  輪王寺(三仏堂・修理中).jpg

   ◆ 東照宮 参道にて   (この建物は輪王寺・護摩堂、参道は左に登って行く)
2015.01.03E- 003  東照宮(参道から見た輪王寺・護摩堂).jpg

2015.01.03E- 002  東照宮(参道).jpg

   ◆ 参道・石鳥居
2015.01.03E- 006  東照宮(参道・石鳥居前).jpg

   ◆ 五重塔
2015.01.03F- 001  東照宮(五重塔).jpg

   ◆ 【三猿】(聞かざる・言わざる・見ざる) ・・・ 俺達何で野ざらしなんだ!
2015.01.03F- 002  東照宮(三猿).jpg

2015.01.03F- 004  東照宮(三猿前にて).jpg

 

   ◆ 【三猿】前から本地堂~陽明門方向 (右奥の白い囲いの中が陽明門)
                  ・・・・・ 陽明門は補修工事の為2018年迄見られません
2015.01.03F- 005  東照宮(三猿前より本地堂から陽明門方向).jpg

 

   ◆ 陽明門前より本地堂(鳴き龍が有る)方向
2015.01.03G- 003  東照宮(陽明門前より本地堂方向).jpg

 

   ◆ 唐門(陽明門=工事中だが潜れる、 の奥)と、奥は拝殿及び本殿
2015.01.03H- 002  東照宮(唐門).jpg

2015.01.03H- 003  東照宮(唐門).jpg

 

  と、周ったが、建物内は撮影禁止なので「鳴き龍」や「眠り猫」等は見るだけでした。 

  勿論、拝観料が必要ですが。

 

  最後に、入る時 輪王寺【三仏堂】で今年の運勢を占う【おみくじ】を引いて見た。
   ( おみくじなんて何年ぶりだろう? 普段、占いやおみくじ等やった事は無いのだが )

  なんと【大吉】 、「嬉しい!」っと喜びたい所では有るが、私の前に引いた人も【大吉】だった。

  正月だから大吉のくじが多くして有ったのではないか? なんて勘ぐって居る内に、後から来

  た人が【大凶】を引いて落ち込んでいた。  果たして私の本当の運命はどうなのか?

  とりあえずはプラス思考で、【大吉】を信じる事にしよう。

2015 日光・輪王寺おみくじ.jpg

 

クシキ と ガッチャン

いよいよ来週から師走!

師走になると毎年思い出す事がある、それは雪国ならではの事で、もはや忘れ去られてしまいそうな小さな事だが、恐らく同年代の人達には共感頂ける事だろうと思う。

ちょっと話題にするには季節が早いかも知れないが、「クシキ」「ガッチャン」と言う言葉、だんだん忘れ去られる運命なのかなあ!

最も、「クシキ」はそのまゝだと思うが、「ガッチャン」は恐らくこの地方だけの呼び名だと思う。

現在の平均的父親・母親世代位から若い世代の人には、同じ雪国暮らしでも殆んど知らない言葉であり、今では知る人の方が少ないのではないかな?

何はともあれ、写真を見た方がわかり易いでしょう!

 

【クシキ】

   ◆ 昭和37年1月中旬の写真・・・家の前の雪かきや屋根の雪降ろしには必需品だったS37年1月 13・14・15日 - 005 (田舎・上原).jpg

    我が家の玄関前、当時12月末~2月下旬迄は早朝自宅前から公道迄、各戸毎に除雪するが、
    大抵の家では小学校上級生頃から、これが通学前の我等の仕事になっていた。
    そんな時、クシキはシャベル(スコップ)より軽くて扱い易い道具であった。

    屋根の雪降しはやはり、雪が締まってクシキよりシャベルが便利になる2月下旬迄、軽くて軽快
    に使えるクシキはプラスチックのスコップが出て来る迄、無くてはならない雪国の必需品。

    自分の背丈以上に降り積もった雪壁にクシキで縦に切れ目を入れ50cm~1m四方の、大き目な
    豆腐の様な雪のブロックを切りだし、思った所に投げ降ろせた時は妙に感動した事も有ったっけ。

 

【ガッチャン】

   ◆ スキー靴など学校の体育教師しか履いて居ない時代、我等にはガッチャンが有った
S37年1月 13・14・15日 - 008 (田舎・上原).jpg

   そう、普通のゴム長靴でスキーを履く為の金具、我々はそれを【ガッチャン】と呼んで居た。
   スキーを履く時、金具を締める音が「ガッチャン」と聞こえるのが名前の由来と思うが、本当の製
   品名かどうかは知らない。

   残念ながらボケた写真しか無いが、【スキーに長靴の先端(爪先部)を保持する金具を取り付け
   そこからカカト迄革で繋ぎ長靴のカカトを金具で止める事で、スキーを保持する金具】
である。

   現在の、ノルデックスキーをイメージして貰えればわかり易いと思うが、カカトが持ち上がる構造。
   (勿論、現在のノルデックスキー用金具とは根本的に構造や耐久性が違い、比べ物にならない)

   この(昭和37年)頃にはスキー技術も進みつつある途上で、写真では付けて無いが、カカトを固
   定する為の「ゼンケイ」と言う物が使われる様になっていた。
    (名前の由来は、これを付けると前傾姿勢をとれるから ・・・ だと思うのだが?)
   これはカカトの後部に金具を取り付け革紐で長靴の上からくるぶし付近に巻き付け固定するもので、
   これにより ボーゲン直滑降斜滑降 程度しか出来なかったスキーが、簡単なスラローム位迄出来
   る様になったものだ。 (ただし、競技用には無理があったと思う)

 

【スケート】

   残念ながら氷の上で滑れる様な場所は我らの故郷(魚沼地方全体)には無く、スケート文化は遅れ
   て居たのだと思う。 (本格的スケート靴では歯が雪にメリ込んで滑る事が出来ない為)

   が、遊びとしてのスケート文化は先輩から確実に受け継いで居た。
   写真は無いが、誰が考案したのか、遊び心には感服する。
   【スケート靴の歯型の部分を厚さ1~2cmの1枚の板(木)で切り出し、長靴を結わえ付ける
   為の板を歯型の上(カカトの方から見ればT字型)に付けて紐を付ければ外形的には完成】。

   更に、氷上・と言うより、固くなった雪面を滑る為には
    「歯型の接氷面に、ワックス(鳥獣の油やロウ等)を塗ったり、薄く削った竹の皮やトタン板
    を貼って」 滑りを良くする工夫

   を加えてスケートが完成する。

   と、言う構造のもので、当然市販品は無く各自・自作(もしくは誰かに作ってもらう)もので有っ
   たと思う。  (大工であった私の親父も時々頼まれて作っていた様だ)

   いつ滑るか? ・・・・・ 今でしょ! なんて言いません!
   やっぱり滑るには「雪の固まる条件」が揃わないと滑れません。
   雪国育ちの皆さんならもうお気づきと思いますが!・・・ そうです、凍み渡りの時。
   田圃や畑の上がちょうど良いスケートリンクとなる訳だ。

   でも、個人的には同じ所をぐるぐる回るだけの遊びにはすぐ飽きてしまい、スキー担いで野山に
   出かけて、キジ や ヤマドリ、ウサギ 等を追いかける事に熱中する事が多かった。
    (今では狩猟免許が無いと出来ない事ではあるが ・・・)

 

 【雪国の朝】・・・・晴れた日に玄関を開けると

   上記・記事とは直接関係ないのだが、思い出深い光景が同時期のネガに見付かった。

   ◆ 昭和37年1月中旬、【晴天の朝10時頃】、自宅玄関前からの藤原山(桂山)方向
S37年1月 13・14・15日 - 003 (田舎・上原).jpg

   この眺めが好きだった!

           厳しい吹雪も 暗い雪雲の日々も、

                   この、凛とした空気と陽光がすべてを洗い流す

             こんな日差しが1日有ればこそ、10日の吹雪にも耐えられる

                        今の私の原点を育てた風景が、ここに有った。
  

ふるさと今昔物語 Part -2

           「ふるさと今昔物語 Part-1」  より続く

 

再び、実家の周辺図から始めましょう。

   ◆ 不完全ですが、「昭和30年代の屋号」上原十字路下(しも)の図
       本図は小生の記憶の範囲で作成、後日修正版との差し替えを予定中。
S30年代上原十字路(下).jpg

    上図中、少なくとも実家を中心とした薬師様・役場・鎮守様・映画管周辺のエリアについては
    間違い無いと思う。(城内文化・映画館通りの上下エリア)

 

【新田掘】

我が家の前の川が【新田掘】で、上流は田崎の先、【三国川(さくりごう)】・深沢(ふかそう)の八ヶ堰から取水して上原のほゞ中央を横切り、【宇田沢(うだぞう)川】の河底を潜り、長森新田の灌漑用水として、現在もその田畑を潤している。

   ◆ 我が家の前での【ママ探り(魚の手掴み漁)】 ・・・・ ヤマメやイワナも捕れた
故郷の昔 - 020 (抜粋).jpg

   注 : 前の家に渡る橋がコンクリート製になっている (以前の写真では木製の橋)

実はこの灌漑用水、徳川・四代将軍家綱の時代、藩(越後高田藩)の「米(年貢米)増産」政策での長森ヶ原新田開発計画が発端
山懐の浅い宇田沢川の水量だけではそれまでの田畑で限界があり、山懐の深い三国川の豊富な水を引こうと言う事になったのが理由。
しかし、これには藩内では裁き切れない反対運動が起き幕府を巻き込んだ裁定の結果計画通り推進となったと伝えられている。
   (最新版、「新編 城内郷土誌」より、
             以下の内容も、同郷土誌の解説に私の推論を加えたもの

単なる村人の反対運動だけでなく、当時まだ寺領や格式が10万石(これは?)相当の【法音寺】が係わって居て、その結果は反対運動側の敗訴、法音寺も反対の立場だった。 (法音寺の場合、工事に伴って寺領地の削減などの不利益生じる為)
現在の法音寺の侘しさを考えると、もしかしてこの事件が凋落の一因ともなっているのかも知れない。

法音寺の件は、別の機会にするとして、新田掘の規模は、とても江戸時代初期のものとは思えない大工事を行って作られている事に、今でも驚かされる。

私が実際に見て感動するポイントを幾つか挙げると、
   ① 測量技術
       三国川から宇田沢川を抜けて長森新田に流す為の傾斜をどの様にして作ったのか?
       直線では無く干溝からハコドヨ迄の傾斜丘陵台地を、深さ10m以上まで開削して作っ
       ている。
       もっとも、もし自然傾斜で流すと地形的に丘陵台地の端、石万川(ごくまんごう)と並
       行に流すしか無くなり、長森新田の半分も灌漑に使えなくなる事も想像出来る。
   ② ハコドヨ(水路の大規模立体交差点)の発想
       実は新田掘開削前からの川だったものと思うが、私の知る限りでは湧水等の水源を持た
       ない川の様で、雪解け時期や雨の後数日で干上がり、灌漑用水の役割は少なかった様だ
       が、雨が続いたり集中豪雨の様な時は異常な増水が見られた事から災害対策の安全弁的
       な川であった様だ。
       因みに下流でも石万川に合流させずに下原新田で宇田沢川に流していたのも同様の理由
       からと思われる。
       従って、人家の多い方に向かって流れる新田掘に合流させると災害も予想される為、立
       体交差で従来通りの方向へ流す構造を作ったものと思うが、発想が凄い。
       ハコドヨの上流は杉や雑木の林に囲まれて藤原まで続いていたが、その川ををミズオシ
       と呼んでいたのも「水が押し出して来る」と言う意味だったのかも知れない。
   ③ 宇田沢川の川底を渡して長森ヶ原の新田開発が出来ると言う発想
       これは当時としては奇想天外な発想で有った事と思う。
       この発想をした人とそれを認めて実行した高田藩為政者に敬意を表したい。
       先に書いた反対運動や技術的な困難等、余程の実行力が無ければ成し得ない事である。

   注 :  「新編 城内郷土誌」の中では高田藩主を「松平上総之輔」とだけ記載している為誤記
       かどうか、真偽はわからないが「 松平姓」で「上総之輔」と言う高田藩主は存在せず、
       【松平上総介(かずさのすけ)忠輝】と言う藩主が居た事は有るが 四代将軍家綱の時
       代にはすでに改易されて後任が2代も代わっている。
       将軍家綱の時代の藩主は【松平越後守(えちごのかみ)光永】、この頃家老・小栗美
       作(みまさか)と美作が招聘した家臣・河村瑞賢(ずいけん)の指揮で新田開発・殖
       産興業等を行った事が周知の事実として記録されている。
       つまり、【「新田掘 開削事業]と「長森ヶ原の新田開発」】はこれ等藩政の一環事業
       のひとつで有った事が推測できる。
       小栗美作や河村瑞賢が推進者として係わっているなら、奇想天外な案も有りだろう。

 

【新田堀】の現在 ・・・・・ (実家周辺) 

    以下現在の写真は Google Map ストリートビューよりの画像です。

   ◆ 実家前 : 新田堀は道路の下を流れている
sv 実家.jpg

     道路の中央は消雪パイプのラインで、新田堀はその右側の舗装の下を流れている。
     左側、沼田屋の向こう、県道を越えると新田堀が道路の左に姿を現す。

   ◆ 県道から先の新田堀 ・・・・ 道路の左側     (この写真は自分の撮影)
2007.05.21 _ A (1280×711).jpg

     左に現われた新田堀、宇田沢川堰堤道路(薬師様や墓地のある所)の手前で土管に
     吸い込まれ、対岸の長森新田で再び地上に現われる。

   ◆ ストリートビューが行ける限界、薬師様は右手前の家に隠れて見えない
sv 上原・薬師様.jpg


再度、実家前より新田堀の今

   ◆ 映画館通り、左右の風景 (新田堀・下流方向)sv 新田堀下流方向.jpg

   ◆ 映画管通り、左右の風景 (新田堀・上流方向)
sv 新田堀上流方向.jpg

     この写真の道幅のほゞ中央から左側(橙色の線の間)が【新田堀】、赤い鉄の板は
     消雪作業時などに開けて使う部分のフタ。 (右端は普通の側溝で、雨は新田堀へ)

     昭和30年代はこの道の突き当りに、【城内文化】と言う映画館が有った。
     (突き当りと言っても当時の突き当りは、奥に見える三角屋根の家位の場所)

もう一度、県道の上手(八海山方向)と、下手(下原方向)
   (下手は県道がカーブの為、鎮守の森迄しか見えない)

   ◆ 沼田屋前から左の道が上原十字路から山口・八海山方向、右は映画館通り
sv 沼田屋角から八海山方向.jpg

     冒頭の「昭和30年代地図」にも記載した、昔の薬師様の境内に有った「半鐘」が、今は
     こうして消防小屋の前に吊るされている。 (やはり懐かしい気がするものだ)

   ◆ 下原方向 : 正面の杉が数本見える所が鎮守の森 (今は林とも言えないが)
sv 旧役場前から鎮守様方向.JPG

     昭和30年代は鎮守の森と呼ぶにふさわしい杉林の中に、ご神木と言ってもいい欅の巨木が
     そびえていた。
     そんな神社の境内で、毎年行われた盆踊りも、今はただ懐かしい思い出だけになってしまった。 

 

 

昭和30年代の遊びと「自然の味覚」・・・自然の中で!

     ※ この時代、子供と言えど大人の手伝いが多く仕事の間に行われる遊びも多い。
       それ等は遊びと言わないものもあるかも知れないが、私の独断で代表的な幾つかを!

【春】 3月~5月 (魚沼地方:南魚沼市・湯沢町・十日町市・魚沼市周辺)

  ◆ 凍み渡り ・・・・ しみわたり (魚沼地方の表現) ・・・ 仕事上でも活用
       ・ 雪国であれば何処でもする事だが、全国的な共通表現かどうかは不明。
        雪国以外の方の為に、現象の概略
          冬から春に季節が変わる時、大量に積もった雪は春雨や温かくなりつつある南風
          や日中の陽光で、溶けた雪の水滴で表層と大地両側から雪質はザラメ雪に変わる。
          この状態で、昼の間に溶けて表層に残った水滴が、夜間の寒気で氷結し最中の皮
          の様に雪面が凍る。 これが何回か重なり、次第に表層の氷結層が厚くなり、や
          がて人が乗っても沈まなくなる。
          これを利用して、道以外の雪上を移動手段に使う事を【凍み渡り】と呼んで居る。
        遊び : 通常、地上で行う遊びはほとんど実行可、以下はこの時のみの遊び
         ・ そり(橇)遊び      ・ ウサギ・キジ・ヤマドリ追い(捕獲猟)
         ・ 杉っ葉(すぎっぱ)滑り・・杉の葉を尻の下に敷き山の斜面を滑り降りる
         ・ ドッポ(この呼称は城内でも知らない人が多い様だ)
             「落とし穴」の事、表層を丸く切り取りフタにして、その下に穴を掘り
             下に罠を仕掛けてシカ・イノシシ等大・中型動物を捕獲する猟だ。
               (熊には使えない法方らしい)
             子供達の遊びでは罠は無く、危険の無い様浅く掘って悪戯に使った。
         ・ スキー、その他
        仕事・手伝い : 遊びとは言えないが、凍み渡りを利用した作業
         ・ 施肥・肥え撒き
               ・・・施肥と消雪の目的で、人や牛馬の糞尿・堆肥を田畑に撒く作業
         ・ 灰撒き・・・・・・・・青菜(青物野菜)の畑や稲の苗床等の場所の消雪目的
         ・ 炭出し・・・・・・・・・・・・・・・・・・・炭焼きした木炭の出荷(運搬)
         ・ 山林伐採と運搬・・・・ソリが使え、大きな杉やヒノキ等が運び出し易い時期
         ・ 春山・・・・・・・・・・・・・山林管理やマキ(燃料等の為)の柴刈り作業
         ・ 杉っ葉拾い・・・・焚きつけ(点火)用に杉の葉の枯れ葉を集める子供の仕事

     【注意】 凍み渡りは目に見えない危険もあり、地形を知らない所は行かないのが原則
           夏から秋には水が枯れてしまう様な小川でも、雪解けのこの時期の水量は半端
           では有りません。 また、雪原に隠れた小川の上はアーチ型に抉られて、非常
           に薄くなり、人が上に乗ると、まさに落とし穴(ドッポ)の様に抜け落ちて、
           冷たい水に押し流されて亡くなると言う事故も少なく有りません。
           地元の人でも深い霧に包まれたりすると、雪原の中では方向感覚が狂い、事故
           に遭った事例が有る程、むやみに凍み渡りをする事は危険を伴います。
           特に温暖地域から来られる方々は地元の人に良く確かめて、くれぐれも 知らな
           いエリアに足を踏みいれない様ご注意下さい。

  ◆ 山菜採り ・・・・ 当時は主に自分の家で食べる為に採っていた
         ・ アサヅキ堀り・・・・主に雪解け直後の場所に芽吹く黄色いモヤシ状の新芽。
                     土改(土地改良)後はあまり採れる所が無くなった。
                     最近秋田・山形の一部では、栽培品を別名で売ってい
                     るが、日に当てて栽培しているので普通のワケギと変
                     らない様だ。 それに比べて雪の下からのアサヅキは
                     生で味噌を付けてもヌタや味噌汁等に使うと美味しい。
         ・ 木の芽摘み・・・・・ 魚沼地方ではアケビの新芽(蔓の新芽と葉の新芽、両
                     方とも食べるが、メインは蔓の方)を木の芽と言う。
                     因みにサンショウの葉も最近では木の芽と言うらしい。
         ・ 竹の子採り・・・・・・言わずと知れた、根曲り竹の新芽 (5/末~6月)

         ・ その他・・・・・・・コゴミ、ゼンマイ、ワラビ、ウルイ、ウド、etc.

【夏】 6月~8月

  ◆ トンボ捕り・・・早朝、小川の縁の草を利用して夜の間に這い上がったトンボのヤゴが羽化
            して、まだ飛べないトンボを採集して来て飛び立つ迄を観察する
            (注 : 羽化の途中で羽を掴むと変態が途中で止まり羽が歪み飛べなくなる)

            遊びの対象は、やはりトンボの王者、ヤマドンボ(オニヤンマ)。
            その、羽化したばかりの時は全身が黄色なのに、時間と共に黒と黄色の鎧の
            様な体と大きな透き通った四枚の羽に変わって行く。
            特にヤマドンボのメスはオスより一回り大きな体型で、見飽きなかった。
            当時は捕っては来たが、無事羽化が終えて自然に飛び立つのを見て満足した
            ものである。  (勿論、羽化現場の自然の中で観察する事の方が多い

  ◆ トンボ釣り・・・こちらは日中、やはり殆んどがヤマドンボを対象の捕獲遊び。(他のトンボ
            でも同様に出来たが、遊びとしての面白味は格段に違った様に思う)
            ヤマドンボのメスは小川等の小さな綺麗な水辺をテリトリーにする習性があ
            り日中はこのテリトリーを往復している事が多い。
            そこで、この(主に)メスを網等で捕獲して、これに糸を付けて囮にする

            この囮で多くの場合はオスが飛んで来て、交尾しようと絡み付いた所を捕ま
            える。 この場合、手で簡単に捕獲出来る。
            この捕り方を、トンボを釣る(魚釣りになぞらえてか?)と言う
            別のメスのテリトリーで放すと、攻撃する為か、やはり絡み付く場合があり、
            これも捕獲し易いが、この場合素早くしなければ逃げられる確率も高かった。

  ◆ セミ捕り・・・・これは全国同じ方法だと思うので省略。 ただ羽化について少し参考迄に!
            私の場合、羽化の観察は大抵近くの鎮守様が一番の観察スポットで、アブラ
            ゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシ等の羽化が、晴れた日の夜明けから日の出頃
            迄、飽きさせる事無くあちこちの木の幹で続く。 これは捕ると言う目的よ
            り観察が主で、意外に感動させられたのはアブラゼミの羽化直後
            成虫としてのアブラゼミは良く知られている様に、ミンミンゼミやヒグラシ
            に比べ全身(羽も含み)焦げ茶色系の地味な色をしている。
            それが幼虫から脱皮した直後から羽が伸びきって数分の間全身が【黄緑色】
            のセミが出現する、やがて全身が変色して見慣れたアブラゼミになる。
            その色彩の変化が成虫とのイメージの落差が大きい事に、感動したものだ。

            そう言えばトンボも脱皮直後は黄緑色系の体色で、ミンミンゼミやヒグラシ
            も、なぜか黄緑系の色で羽の成長が完結すると、それぞれの種の本来の色に
            変化して行く。 (ハチやカブトムシも、脱皮直後は黄色系だったと思う)
            脱皮する昆虫に共通で、血液か何かのホルモンに秘密があるかも知れないが、
            これは大学か何処かの研究所にお任せする事にしたい。
            クラゲで貰った人も居る、もしかしたらノーベル賞級の秘密があるかもね

  ◆ 魚捕り・・・・・これについては城内地域独特と言うものは無いが、清流の流れる宇田沢川と
            三国川、そして魚沼盆地を貫いて流れる魚野川。
            それらの河川を主な水源として、縦横に張り巡らせた田畑の小川や導水路が、
            その遊びの場である事から、主に以下の様な遊びになる。

            ☆ ざっこすき(雑魚すき=すくい) 
                     ・・・・「ドジョウすくい」と同じだが、網を使用して
                          小川や水路等での追い込み漁

            ☆ 魚突き(「ヤス突き」とも言ってた様な?) 
                     ・・・・ まさに「ヤス」で突いて捕る漁

            ☆ まゝ探り(前出) 
                     ・・・・ 大きな石や岩の下に出来た窪みに隠れている
                          魚を素手で捕まえる漁
             ※ 岩の窪みや石垣・堰堤の隙間、大きな石の下等を【まま】と言っていた

                    ◆ 

                    ◆

                    ◆

                    e t c .

 

今、我々の故郷でさえ冒頭の写真の様な「ママ探り」や「トンボ釣り」、「杉鉄砲」等、自然の中での遊びをする子供達の姿はほとんど見る事が出来なくなって久しい。
勿論、そう言う自然が少なくなっている事も事実だが、私はすぐ身の回りに遊びの環境が有っても遊べない子供が増えている事に危惧を感じている。

子供達の、【創意工夫】【社会性・協調性・思いやり】【ケンカの限度・危険察知力】【忍耐力】等々は、TVゲームや学校教育で醸成される事よりも、日常の遊びの中で学び・実践しながら覚えて身に付くものではないかと思う。 

一方、家庭内でも家族構成の分散化と仕事の形態が教育環境と乖離(かいり)して、利益優先の社会システムが躾けの崩壊を促進させている。 (経済的弱者の急増も問題)

小人数で、自然の中で、そこに有るもので創意工夫をし、遊ぶルールも自分達で作りながら意見を交換又は戦わせ時にはケンカもしながら自分たちの社会を作って行く事で成長して行く事が本当の教育だと思う。
今の様に無闇に大人が干渉しない。 ただし、放任・無関心は最悪の事態を招く可能性大。
社会秩序を外れたり、危険な行為についてのみ助言・支援をする程度がベスト。

ただ、現代の親世代が、すでに【個の時代】と叫ばれ【TVゲーム】【遊びよりも塾】優先の教育環境で大人への道を歩いた人々の為、急に【子供達を自然へ!】なんて言っても笑われてしまうかも知れない。

しかし、最近の異常な犯罪や限度を知らない若者達の暴行事件、折れ易い精神が原因と思われる切れ易い人の増加が、形を変えて我が子への虐待・・・等々の現象を引き起こしているのではないかと思われる。

詳細な分析はしてないが、本質的な問題点の7割以上が子供時代の躾け環境と育て方に原因があるのではないかと思われる。
従って、これからは学校の授業以外の教育に自然の中での、遊びを通じた情操教育】が、見直され、重要視される時期に来て居ると思う。

発想を変えれば → ビジネスチャンスにも !

首都圏に近い自然も多い我等の故郷は、そんな社会に【子供達の情操教育の場】として廃校などを利用して短期カリキュラムなどを提供すれば、新しいビジネスチャンスが生まれるのでは? と思う。 (南魚沼市全体での取り組みがベスト)
もし、実現すれば子供達の合宿場所の他に、期間(1週間~1ヶ月単位位)中に親達の出入りも予想されるので土産物・道の駅や温泉等の需要も期待出来る。 (あくまでも私見です)

 

ふるさと今昔物語 Part -1

この「八海山倶楽部」の仲間、智通君の投稿【懐かしい昭和30年代の上原家屋図】に触発されて、少年時代の古い写真を探して見た。

昭和30年代と言えば、まさに我々が少年時代を過ごしたその時期である。
ただ、実際に写真や資料を探すとなると、学校の卒業記念アルバムや文集など僅かなものしか無い事を痛感させられる。

私の場合、その卒業アルバムや文集なども、転勤先の住居で「阪神淡路大震災」に遭い、住んで居たマンションの上階で下水管が破損、居室内に漏れて来た下水の為に思い出の写真や文集など書類の殆んどを失ってしまった。
そんな状況から僅かに残された写真の中に、義兄(姉のダンナさん)が帰省の都度撮り溜めた写真が数枚残って居たので、今回はその写真と、智通の作ってくれた【昭和30年代上原家屋図】、Google Map(ストリートビュー含む) 等から得られた画像を元に構成してみました。

 

故郷の現在と郷土史の城内全図

   ◆ 南魚沼市の中の故郷周辺 (Google Map より)
六日町・城内 MAP A.jpg

最初に、私達の故郷の昭和30年代を語るには、その頃の行政区割を知っているとわかり易いでしょう。
そう、何回かの市町村合併を繰り返して現在の【南魚沼市】となった訳だが、我々の故郷はその頃【城内村(じょうないむら)】と呼ばれる地域で、現在は学校名等の施設名の一部にその名残りを残すのみで、住所や地名からは【城内】の名前は消えてしまった。

上記のMAP(写真)の左下から上に向かって流れる【魚野川】と、写真下部の中程から左上に向かい魚野川に合流する【三国川(さくりごう)】、それに【桂山】【高倉山】【阿寺山】【八海山】【猿倉山】【六万騎山】から【魚野川】を繋ぐ線で囲まれた地域が、【城内村】とされていた。

   ◆ 城内村全図:昭和35年発行「城内郷土誌」より (I Nagumo 君ご好意による)
                     (下記地図の中で〇印・上原(かみはら)が私の実家周辺)
城内村全図(S35年発行・城内郷土誌より)  (1280×749).jpg

   ◆ 現代の観光周辺Map (南魚沼市観光協会発行パンフより抜粋)
六日町周辺マップ.JPG

   注) このMapは便宜上約90°程、右に回転して作られて居ます。(左側が南、右が北)


さて、ちょっと寄り道になりますが、故郷は今【秋真っ只中】。 
山では紅葉が始まり、里では秋の味覚が色々と登場して来て居る頃、今では中々見る事はなくなったが 私達の少年時代、下記掲載の写真の様な【ハッテ(ハサ掛け)】が、家々の回りや畦道沿いに所狭しと並んで居た事を思い出す。

   ◆ 【ハッテ】掛けの風景
      (数年前のNHK番組のワンシーン/画面写真だけなので番組名・場所不明)
ハッテ 1B  (814×534).jpg

私達が子供の頃の【ハッテ】は横には竹竿などを使ったと記憶しているが、この映像はナイロンの綱の様でより密集して干されている様に思う。
こんな所も近代化した訳だが今はそれも殆んどがカントリーエレベーターで強制乾燥・選別・貯蔵用処理する方式に変わっている。

それにしても、この「稲束を投げ・受け取り干す所作」が、懐かしいのでつい写真に残した。
風景としては残して行きたい光景だが、この後の脱穀や選別等の手間を考えると、TPP対策は別としても労働環境改善の為には不可欠な事だろうと思う。

そうそう、その当時【稲刈り(手刈)】と、【ハッテ掛け】【ハッテ外し(降し)】の作業に関連した【稲束運び】の手伝いがモッパラ子供達の仕事になる訳だが、【稲刈り】や【稲束運び】を手伝った初日の夜は、体中チクチクと痛痒くて眠れない事が有ったなあ!
(次の日位から体が慣れて殆んど気にならなくなるのだが・・・人に依って反応も違った様だ)

昭和30年代の農業は 米の増産・増産が叫ばれ、これを目的の秋田・八郎潟干拓が始まったのも昭和32年でした。 (昭和42年から入植開始→昭和52年竣工)

 

昭和30年代の秋景色(生活編)

そんな時代、【生活面で城内の一般的な村の秋】を思い起こして見ると、

9月「稲刈り」に始まり→10月:「米の出荷」「果実・野菜類の収穫」→11月:「文化祭/野菜などの品評会」「漬菜(野沢菜漬け作り)」→11/末~12月中旬:「雪囲い、家に依っては雪池(ゆきだな)作り」で雪の季節に備える事になる。

一方、【自然界の秋】は、
平均的に9月末:標高の高い「八海山の頂上」の紅葉に始まり、里の秋の紅葉は11月上旬に盛りを迎えた。
(年に依って1週間位前後のズレ有り・・・何故か、昨今は更に季節のズレが大きい様である)

   今では八海山の紅葉も、ロープウエイで気軽に見に行ける様になった。

そして【山の幸】。 この時期になると、キノコ、ヤマブドウ、ミヤマツ、エブ(エビヅル/サンカクヅル)、山栗、クルミ、トチの実、アケブ(アケビ)、カヤの実、サルナシ、etc.
そう言えば、良く熟れた【マタタビ】も甘いキウイの様で、サルナシ同様美味しかったな!

その秋も、11月中~下旬には八海山に初雪(冠雪)が来て、「山に3回雪が降ったら次は里に雪が来る」と言われ、里人は根雪が近い事を想定して【ダイコダテ】(冬の間の野菜:大根・白菜・人参などの雪中保管庫)作りなど、雪に閉じ込められる冬の準備を進めてて行く。

   ◆ 城内とは角度は違うが、五日町スキー場からの【根雪直前の雪前線】の例
         雪で白くなる等高線が下がって来る (ゆきぐにネット・ライブ映像より)
hv2012-11-28-12-20 八海山.jpg

この頃だったと思う、宇田沢川や三国川、魚野川に、石の下に産み付けられた【カジカ(魚)の卵】を捕りに行ったっ事が今では懐かしい。

当時は道路の消雪設備も無く、道路の除雪も国道17号線がやっと始まった位で城内村等は対象外、根雪が降ると陸の孤島に近く、自動車も止り、春までは ソリ(橇)を使うか人が担ぐしか物流通の手段が無くなるのである。
現代の若者達には想像も付かない事と思う。
こんな生活についても絵にして残せたらいいのだが、残念ながら私にはその様な絵心が無い。

絵心と言えば、初雪の頃にはこんな(下記・写真)素晴らしい場所が今でも随所に有る、残したい風景のひとつだ。

   ◆ 下薬師堂付近【宇田沢川】堰堤より (2008年12月上旬、前夜の里・初雪)
里の初雪(直後).jpg

    写真下の住宅地、30年代はどんな風景だったのだろうか?

 

昭和30年代の冬景色

今では登る人も居ないだろう「鬼の面山」の尾根繋がりで、私達遊び仲間の間で「暮坪山」と呼んでいた山(小中学校と宇田沢川を挟んだ対岸の山/この山の向こう側では学校のスキー実習も行って居た)の中腹からの写真である。

   ◆ 昭和36年3月末頃、暮坪山中腹よりの上原方向
         (長崎出身・義兄撮影、凍み渡り体験時に撮影したもの)
S36年暮坪山からから上原方向  (1280×388).jpg

下を流れる【宇田沢川】の左対岸に「合同製糸」工場と煙突が、川下(右)には「城内中学校と小学校の校舎」が見える。
背後の山は「金城山」(左)と「坂戸山」(右)。

それにしても、
 「坂戸山(標高634m)」と同じ高さの「東京スカイツリー」が出来るなど、想像も出来なかったなあ!

   ◆ 宇田沢川下流方向 (新堀新田~下原新田・長森方向と魚沼丘陵)
故郷の昔 - 013 (抜粋).jpg

   ◆ 東を見ると【八海山】、手前の集落は【下出浦(しもいずな)】(右奥:上出浦)
故郷の昔 - 010 (抜粋).jpg

 

   ◆ 上記写真の撮影場所:現在の【城内小学校】付近から(早春春)

2007.05.21 _ C (1599×615).jpg

 

写真集・少年時代

個人情報保護の見地からは顔を隠した方がいいかも知れないのだが、何十年も前の顔やすでに鬼籍に入られて居られる方も多い為、写真はそのまゝ掲載する事にします。

なお、写真撮影の年・月・日等は「震災」時にアルバムから剥がしたまゝだった為情報が曖昧になり、年代順で無い場合がありますのでご容赦願います。

   ◆ 昭和30年代の【八海山】と【合同製糸】 ・・・ 左の山が【鬼の面】と呼ばれる崖
故郷の昔 - 001 (抜粋).jpg

    ※ 1  【合同製糸】 ・・・・ 富岡製糸のミニ版、城内周辺での養蚕繭から生糸にする工場。
              近くに行くと繭を茹でる時の独特なニオイが結構強烈に漂って来たものだ。
              当時はあまり良いニオイと感じたことは無かったが、今では懐かしい。

    ※ 2  【鬼の面】 ・・・・・ 昔話・言い伝え等も有るが、宇田沢川に削られた、急峻な崖。
              写真の【合同製糸】と【宇田沢川】を挟んだ対岸の岩壁。
              地層は古いので雑木は繁茂しているが、高さ約80m/約60°位の急斜面。

   ◆ 現在の鬼の面 ・・・ 【宇田沢川】堰堤より (5月上旬)
八海山 -  009 上原 640x480.jpg

    昭和30年代、此処は流が左側の山に直接ぶつかり岩肌を抉(えぐ)って深さ1.5m位、
       幅5~10m、長さ15~20m位の淵を作って居て、我々少年達には格好の「流れるプ
       ール」であった。

     私が泳ぎを覚えたのも、この【鬼の面】の「流れるプール」でした。

    【合同製糸】はこの写真の右堤防、ちょうど写真が切れた辺りから手前右側に有った。
      撮影位置が、ちょうど【合同製糸の煙突が有った辺りのだと記憶している。

 

我が家の周辺

   ◆ 周辺地図 【昭和30年代=屋号の時代・・・上原十字路から下(しも)の範囲】
       (個人情報保護の見地から、直結し易い氏名=屋号の家は空欄にしました)
      なお、本地図は修正要因が多々あると思われる為、情報をお願いしますS30年代上原十字路(下).jpg

智通君が作成した【懐かしの昭和30年代・上原十字路付近地図】をベースに、上原十字路から下の部分を思い起こして作成して見ました。

およそ半世紀前の状況を思い出しながら作成してますので違う所も有ろうかと思いますが、お気付きの点が有りましたら是非教えて頂ければ幸いです。 (必要に応じて修正・補正をして行きます)

なお、細かい文字も、PCで拡大すれば楽に読めると思います。
 (携帯の場合、見難いかも知れませんが、ご容赦を!)

   ◆ 我が家の前の風景
       (前の川が新田堀、前の家のヤギは草を求めて下を覗いている状況)
故郷の昔 - 007 (抜粋).jpg

   ◆ 我が家(左)と隣家(右)の間から前の家の作業小屋兼ヤギ小屋
       (石垣の上が、通称「映画館通り」、とは言っても砂利道、遠くは八海山の裾野)
故郷の昔 - 006 (抜粋).jpg

   ◆ 前の家に行く橋を渡った所での「お袋」と「上原薬師」  (早春の頃)
       (この頃は橋が板橋である事にご注目、背景の建物は上原の「薬師堂」)
       上原の薬師様、言い伝えを信じれば、法音寺成立の歴史と深く係わっているらしい。
       御本尊の薬師像は江戸時代の洪水で右腕を失ったが、近年その右腕が帰って来た
       と言う、数奇な経過を持ち、もしかしたら重要文化財級かも知れない。(盗難が心配)
故郷の昔 - 003 (抜粋).jpg
 
    「薬師様の腕帰る」の新聞記事 ・・・ 新潟日報だったかと思う  (I Nagumo君より)
上原薬師.jpg

   ◆ 2年位後の夏、母と近所の人々
       (背景の建物は「城内役場」と「薬師堂」、その前の大きな石は「二十三夜塔」)
故郷の昔 - 004 (抜粋).jpg

   ◆ 小5の頃の3月頃、隣家の前にて
       (道路が雪で高くなっている事から、村内一斉に行う除雪行事、「雪割り」の前だと思う)
故郷の昔 - 008 (抜粋).jpg

   ◆ 小6の時だが、卒業式の日では無かったと思うけど? (TI 君・SS 君と)
故郷の昔 - 015 (抜粋).jpg

   ◆ 我が家 (年代不明  : 小学校4~6年頃)
        隣に美容室が建つ前で沼田屋が写っている事や、道路から玄関の下り口が
        新しいスロープになっている所から、井戸→水道に変わった頃と思われる。
         前の家の板橋(4枚上の写真)がコンクリート製に変わったのもこの頃。
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   ◆ 【一家団欒】 この頃「囲炉裏」が消え「箱膳」が「チャボ台」に、でも「団欒」の時は有った
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           「ふるさと今昔物語 Part-2」  へ続く

 

昨日は8月13日、多くの地方では≪盆の入り≫の行事が行われていた事でしょうね。
一昨日の群馬、太田・館林周辺は最高気温29℃と少し涼しいと思ったら今朝方は外気温23℃と戸を開けて寝て居たら寒くて目が覚めた位である。

そして今夜は戸外で24℃、室内でも25~6℃と扇風機で丁度いい。 そのせいか、早くも庭から鈴虫の声が聞こえて来る。(今迄エアコンを使っていて気付かずに居たのかも知れないが、)今年初めて聞いた様に思う。

そうか、それにしても虫達は気温に敏感だね!  なんだか急に秋めいた様だ。

さて、今日のテーマ 【しょうたれぞうめん】と【ナス漬け】

 

【しょうたれぞうめん】

同郷の人なら、「あゝ、あれか!」ってすぐ思い当たる事でしょうね。
ま、細かい説明は後にして、今日は少し涼しくなったので夕食は【しょうたれぞうめん】にしました。

作り方は超簡単、まずは素麺を茹でる→茹で上がった素麺を直接食器に盛り付け生醤油を掛けて食べる。
これが昔のスタイル。
現在では、さすがに生醤油だけで食べる事は無くなったが、昆布つゆ等を茹で上がった熱い素麺に掛け、唐辛子等の薬味を添えて食べる。 いわゆる、≪釜揚げうどんの素麺版≫と考えればいいでしょう。

これに季節の漬物や惣菜、等が有り盛り付け方に依っては立派な和食になる。

しかし、これがなぜ【しょうたれぞうめん】と言われたのか? 正確な理由は分からない。
    私達の故郷では 「しょうたれる」、「しょうたれ」、と言った方言があるが、
       「しょうたれる」・・・・・汚れる、身形(みなり)がだらしない等
       「しょうたれ」・・・・・・汚れ、みすぼらしい
    等の意味に使う、あまりいいイメージの言葉では無い。
それが、なぜ食べ物の素麺と結びついたのかは非常に不思議である。

それはさて置き、この季節の【しょうたれぞうめん】で忘れられない付け合わせがある。
それが今でこそ故郷でも幻の特産物「巾着ナス」の【丸漬け】である。

 

【ナス漬け】・・・・魚沼巾着ナスの丸漬け(塩漬け)

今でこそ巾着ナスは生産者が少なくなり、「幻のナス」と言われて入手困難なナスになっているが、私達が小さい頃、故郷でナス漬けと言えば【巾着ナスの丸漬け】の事を指した。

この【魚沼巾着ナス】、前回投稿『梅雨明けや冷むぎそうめんみょうがたけ』でも少し触れてみましたが、ナスの皮が比較的薄く、実の部分が普通のナスよりしっかり絞まり、漬けても歯応えが良く甘みが有り煮ても煮崩れしない特徴がある。
京ナス系統で、基本的には丸ナス、今市場で多く見られる丸ナスよりは幾分小さい様な気がする。

これを各家庭で大抵は丸のまゝ樽で塩漬けして、1週間目頃から少しずつ食べるのである。

勿論、食卓には丸のまゝ出されるが、これにかぶり付くのも食べる楽しみのひとつ。
     1週間目頃からのナス漬けは、皮の部分が塩味に漬かり、実の部分はまだ生で甘みが強く
     かぶり付くと実の部分が「カリッ」と音を立てる位の歯応えと共に実の甘さと皮のしょっ
     ぱさ、そして新鮮なナス漬けの香りのハーモニーが口に広がる。これぞ新鮮ナス漬けだ!
     ナス漬けの実の中が、徐々に漬かって行く過程がまた美味い。(日々味が変化して行く)
     満遍なく漬かって本格的発酵が進行して行くと、幾分柔らかくなり酸味が出て来る。
     じっくり漬けこまれたナス漬けはそのまゝ漬物として食べても美味しいが、味噌漬け等に
     転用すれば更に美味しい。(でもそれ迄に完食、此処まで残る家は、殆んど無かった様だ)

ちょうど、6月~9月頃が収穫期で、今頃からが秋ナスの季節で、実のしまりも強く甘くなる事から、昔は「秋ナスは嫁に食わすな」と言われた位美味しくなる。
    注 : 「秋ナスは・・・」については別の意味もあるとの説もあるが、それはまた別の機会に・・・

 

【橘 曙覧(たちばな あけみ)】・・・・ならどんな歌を詠む?

唐突ではあるが、久し振りの“しょうたれぞうめん”と“ナス漬け(巾着ナスでは無かったが)”を楽しみながら、もし“橘 曙覧”だったら「この食事風景をどんな表現で詠むのだろうか?」 と、興味が出て来た。

  橘 曙覧 : 坂本竜馬と同じ時代、福井に居て藩主・松平春嶽などとの親交が有りながらも政治に
         流されず 貧しいながらも家族との日常を楽しみとした歌人であり国学者でもある。
          (生家は福井城下の商家)

“曙覧”なら、「熱い素麺とナス漬け」の家族の団欒を、もしかしたらこんな風に詠んだかも知れませんね。


   【 たのしみは汗を拭き拭き麺を喰う子ら眺め見し漬けナスにかぶり付く時 】

 

 

7月28日、 「北陸・東北地方も梅雨明けしたと見られる」 と
     梅雨明け宣言があった、これで全国的に梅雨明けした訳だ。

 

やっと鬱陶しい梅雨空から解放されるかと、ホッとする一方でまた今年もゲリラ豪雨に悩ませられ
る夏では無いかと、一抹の不安も残る。  相変わらず暑い毎日が続いている。

そんな中ですが、私の幼い頃の、「夏の思い出」に少しだけお付き合い頂く事にしましょう。

 

【梅雨明け時期の母の味】

幼い頃、梅雨明けと言えば我が家の夕食には何故か冷麦か素麺が頻繁に登場する様になるのが恒例
だった。

今にし考えて見れば水道の無い時代、冷麦や素麺を冷水で洗う作業は 井戸水か 川水しか無かった
訳で、家の前の小川の水も、雨期には田圃の泥水が結構混じって麺類を洗う気にもならなかったと
推測出来る。
一方で、井戸水となると、手押し式のポンプを使う訳だが、ひとり仕事としては結構大変だった様
だ、そう考えて見ると、梅雨が明けて田圃の水もかき回す事が少なくなり、従って、家の前の小川
の水も清流となるこの季節に隣近所を含め、その【清流で冷麦や素麺をさわす】風習が出来たので
あろう。
 ◆ さわす : 醂すと書くらしい、 柿の渋を抜く為に流水に浸す事 等を言うが、当時、 我が家や
       近所の家々では、麺類を流水で洗う時にも 『さわす』 と言っていた.。

そして小学生の頃、水道が完備してからは川でさわす事は無くなったが、梅雨が明ける頃から麺類
が多くなるサイクルは続いている。
  (最も、全国平均でも夏に冷麦・素麺・うどんの消費が多くなる傾向らしいが ・・・・)

そんな梅雨明けの頃の夕餉に、母が良く作ってくれたのが「冷麦」と「素麺」で、タレは単純に焼
き干し(煮干し)を入れて作ったた醤油味のつけ汁、薬味は 刻んだネギや 七味唐辛子が 定番であ
った。

また、今回のテーマからは離れるが、「ナスやキウリの漬物」はこの季節、食卓から欠いた事の無
い母だった。
特にナス(巾着ナス)の漬物は、巾着ナスの産地以外のスーパーやコンビニでは殆ど売っていない。
皮が薄く、身は歯応えが有り独特の甘みが有る。
半分位漬かった新鮮な丸いナス漬けにかぶり付くと、「カリ」っと音がする。
口の中に広がる半生の甘い中身と、塩加減の効いた皮の部分を口の中で【口中調味】しながら味を
楽しむ。 「記憶の中の母の味」、と言うより 『故郷の味』だが、これについては別の機会に!

 

さて本題の、冷麦・素麺に関する【母の味】

冷麦・素麺に焼き干しで採った醤油味のダシと定番の薬味が多かった夕餉の食卓、この季節だけは
時々変った薬味が出て来た。
実はこの薬味が、私にとって記憶の中の【この季節の母の味】なのである。 それが【茗荷タケ】

    ◆ 食卓の薬味としても、使われる【茗荷タケ】
         (信州伊那谷・Tさんのブログから、ご好意により写真をお借りしました
Taki-01.jpg

   この様な【茗荷タケ】を、細かく刻んで冷麦・素麺・うどん等の薬味として使う。

私の故郷では、昔は大抵の家の敷地内に何故か茗荷が植えてある一画があり、私の家にも御多分に
漏れず茗荷のエリアが有った。
通常、梅雨明けのこの時期には茗荷は葉を繁らせている状態なのだが、時には時期外れの【茗荷タ
ケ】が顔を出す。母は時々これを探し出して、冷麦や素麺の薬味として付け合わせていたのである。

これが私にとって「忘れ得ぬ味覚・風味」 になったのである。

しかし不思議なのは、故郷にいる時は当たり前の事として、周りの人も当然食べている事と思って
いた為、確かめた事は無かったが東京に出てから数十年経ってから、故郷の友人達との会話でその
事を聞いて見たら、「【茗荷タケ】?何それ!」と、誰も知らないと言われてショックを受けた。

故郷を出て50数年以上、私の知る懐かしい【茗荷タケ】には縁が無くなり忘れかけていたのだが、
先日、茨城の知り合いの農家にお邪魔した際、庭の茗荷の中に数本の【茗荷タケ】を見付け、農家
の人が怪訝そうに「食べられるの?」って聞くので、麺類の薬味や納豆に混ぜる等の食べ方を教え、
3本ばかり頂いて来た。

ひさしぶりに冷麦と【茗荷タケ】の風味を味わって、古の母の味をハタと思い出し、この記事を投
稿しようと思い付いた。

実は、【茗荷タケ】と言えば、京茗荷として、室栽培された茗荷タケが料亭などで使われている事
は30代前半頃から、ビジネスで使った料亭などで 夏料理のお品書きに出て来て知っていた( こ
の頃は【茗荷茸】のお品書きが殆んどだった様に思う)のだが、母が出してくれた、あの【茗荷タ
ケ】と元が同じものとは知らなかった。

それにしても故郷では、まさか、私の家だけが【茗荷タケ】をたべていたのだろうか?
少なくとも今日迄は故郷の人達からは聞いた事がない。

不思議な思い出なので【茗荷タケ】について、少し調べて見る事にしました。

ところでこの【茗荷タケ】、商品としては「似て非」なるものが“同じ名前で扱われている事から
混乱を生じない様に、現在の実態をざっと整理して見ましょう。

 

【茗荷タケ】 ・・・・ みょうがたけ

漢字は 『茗荷竹』 , 『茗荷茸』 など諸説有る為、便宜上ここでは 【茗荷タケ】 と致します。

「茗荷タケ? 何だそれ?」 って言う人が意外に多いので最初に概要を書きましょう。

通称【茗荷】と言えば【花茗荷】とも言い、最近ではスーパーやコンビニの野菜コーナーでは殆んど季節に
関係なく売られる様になった、あの【茗荷】は誰でも知っていると思います。

一方の【茗荷タケ】、これも実は花茗荷と基(もと)は同じで花芽(開花前)は【花茗荷】葉になる部分
の発芽直後の状態(偽茎=ぎけい)を【茗荷タケ】
と呼んでいるが、これを食材とする文化は限られた地域
・業
界が殆んどで、東京を始め、大半の地域では大手スーパーでさえ店頭に並ぶ事は稀だった。
その為、一般消費者は知らない人が多いのでは無いかと思う。

意外に、皆さんの自宅の庭、せっかくそこに有るにもかかわらず、花芽の【茗荷】の部分は食べて
も【茗荷タケ】は食べられない部分、と思っているかも知れませんね?

【名前の由来】
  発芽直後の姿が、ちょうど竹の子に似ている事から、最初は【茗荷竹】と呼ばれていたのが後に何かの
  理由で【茗荷茸】と変わって行った地域・業界が有ったものと思われる。
  現在では【茗荷竹】及
び【茗荷茸】の名前が混用されている。
  この為苦肉の策で、流通 商品名は「ひらがな」や「カタカナ」表記が増えている。
  ※ 本ブログでは便宜上【茗荷タケ】と表記する事に致します。

【室(むろ)栽培と路地(ろじ)栽培】
  今、商品として流通している主流の【茗荷タケ】は、昔からの京料理に多く使われるニーズ
  に応える為、大陽光を遮蔽コントロールして、偽茎を薄紅色に着色し、茎を柔らかく長くす
  る為【室栽培】されたものです。 
  【室栽培】の事を【軟白(なんぱく)栽培】とも言う。
  軟白とは、光を当てずに柔らかく白く、エグミの少ない【茗荷タケ】に育てる事。
  ウド(独活)の栽培も同様の原理の軟白栽培が行われている。
  路地栽培は消費地が極めて限定されていて、地産地消的な栽培・物流の形態が多い。

  ◆ 室栽培のワラ室 (例 : 宮城県名取市)
       NHK総合・5月の放送番組:「うまい!」より、TV画面をカメラで撮影
05.25 - 009 (NHK番組【うまい!】みょうがたけ).jpg

    ◆ 室の中、敷きワラの下から出た【茗荷タケ】の新芽
             ・・・ もしかして、この姿が【茗荷茸】の語源?05.25 - 001B (NHK番組【うまい!】みょうがたけ).jpg

    ◆ 室の中で育った【茗荷タケ】の収穫
05.25 - 008 (NHK番組【うまい!】みょうがたけ).jpg

    ◆ 高級食材としての【茗荷タケ】・・・名取市は室栽培【茗荷タケ】の生産量日本一
     (仙台で野菜ソムリエをされているさんのご好意で【MIDORIなヤサイ】サイトより1枚
みょうがたけ みどりな野菜.JPG

         左側のパックに切り揃えられたものが出荷用のもの、右の長いものが収穫時の状態
 

【露地栽培】 ・・・・・ 発芽直後は【茗荷竹】の名がピッタリ

  これは、【茗荷タケ】の為に植えている所は極めて少ない様だ。  むしろ【花茗荷】の為の
  栽培の一部を道の駅などで地産地消で販売される程度。  スーパー等で売られている所は
  長野県南部の一部地域 他、全国ではごく一部の地域に限定されている様である。 

   ◆ 路地栽培の例
      画像検索写真、著作権侵害の恐れがありますが、再度検索しても出展元が見付
      からなかった為、無断掲載させて頂きました。(お心当りの方はお知らせ下さい)

茗荷茸 1.jpg

  通常、これ程育ってしまうと固くなり、あまり美味しくありません。 が、地方に依ってはこの位
  迄、食用にしている様です。
 (外の皮を剥ぐと、偽茎は柔らかい)

  発芽前に、稲ワラや籾殻を数センチ敷き詰めて光を当てないで白い部分を長く育てたもの等も良く
  見受けられる

  【タケ=茸】の漢字を使う様になった由来の推論 ・・・( あくまでも私の推論です)
  京都及び、料亭など一部の地域・業界では【茗荷タケ】を【茗荷茸】と書いている所がありる。
  最も、【タケ=竹】の漢字も正しい名前かどうかわからないが、路地栽培物は【竹の子】に良く似
  ている。
  所が前記の様な【室栽培】で栽培中の室の中を覗くと暗い地中から茗荷タケが発芽している様子は
  【竹の子】と言うよりも、むしろ白いキノコ(菌類) の様に見える。
  そんな光景を見た誰かが【竹】の発音を【茸】と勘違いか、又は意識的に変えた。
  それが商品名として巷(ちまた:料亭等)の支持を受けて【茗荷茸】として広がって行った。
  と言う仮説も成り立つ。

 

【茗荷タケ】の産地

  現在、どんな生産地があるのかザッと調べてみたが、『旬の食材百科』と言うHPの中に、非常に
  良く纏めた記事が有りますので、サイト管理者フーズリンク様からお許しを頂いて下記の通り、記
  事の一部をお借りして掲載しました。(元のサイトにもリンクしてありますのでご覧下さい)

    ◆ 『旬の食材百科』より
旬の食材百科HP―2.JPG

  ご覧の通り、宮城県と京都府で、全国の81%を占めている事が一目瞭然。

  とは言えデータは見方によって色々な意味を持つ。
  データは平成22年度の生産量で、3年前の東日本大震災の影響もあり、現在の比率は恐らく宮城
  県の比率は下がっているだろう事と、室栽培品(伏込み)76トン/路地栽培16トンの比率も変
  って来ているものと思いますが、恐らく増えているのは販売単価の高い室栽培=新規参入の生産地
  で、果たしてこれが栽培農家に取って良い事か否かについては熟考する必要があると思う。

【このグラフで何が見える?】

  私の杞憂であればいいのだが、このデータで見る限り、室栽培物の価格低下か、路地栽培物の生産
  が伸びない限り、【茗荷タケ】全体のマーケットは頭打ちか微増程度であろう。
  しかし、現状では薄利な露地栽培物が増加するとは思えない。一方で一般消費者が高額な室栽培物
  に飛びつく要因が、今は無い。

  もう一度グラフを見て頂きたい。  宮城・京都で81%も占めているマーケットに魅力を感じて
  いない他の産地が幾つあると思いますか?  (潜在的な競争相手の存在)
  もうひとつは、大量に生産されている室栽培品の販売先=ユーザーが料亭や高級レストラン(ホテ
  ルも含む)等高級食材の購買力があるマーケットに限られている事が、逆にマーケットの拡大を阻
  んでいる。
  言い換えると、花茗荷に負けない潜在マーケットが期待出来るのに、高級食材と言う目先のマーケ
  ットだけに囚われた商品戦略では、価格競争の泥沼に、まっしぐらな未来が見えていると言える。

  現在のまゝ何も対策を取らないで推移すると、マーケットサイズの頭打ちと、

     1. 室栽培の生産地が拡大 → 価格競争 → 価格下落 → 生産者の淘汰
        と言う、過去に様々な産物で繰り返された経過が見えて来る。
        新規競争相手としては、あえて取引単価の安い路地物を選ぶ事は考え難い。

     2. 高級食材としての価格が値崩れしても、一般消費者に流通出来なければ、
        同じマーケットサイズでの競争になる → 更に価格低下→ 生産地の衰退。

  となる事は明白。

【どんな対策が有るか?】 

  【茗荷タケ】の産地・農家ではそれぞれにマーケット拡大について、努力されている事と思います。
  しかし、一般消費者への浸透を目指した活動が、中々見えて来ず、生産地に近い地域でさえマイナ
  ーな食材でとして認識されているのが現状だと思う。

  もし、私が【茗荷農家】なら、何をするだろうか?。

  専業の皆さんを差し置いてあれこれ言う立場に無いので、素人目に見た【室栽培】と【路地栽培】
  の、各々についてワンポイントだけ、対策案を挙げて見ましょう。

  【室栽培農家】なら

    3~5年以内には始まるだろう、価格競争への備えを最優先課題として考える。
    (マーケットサイズの拡大より産地間競争拡大 → 海外生産品の脅威も始まるでしょう)

     → 低コスト化・生産効率UPが鍵 → 何件かの農家又はJA単位で【野菜工場化】する。

     ※ 温度・湿度・紫外線コントロール等はレタスなどの野菜工場が先行して成功例は多数。
       室栽培は殆んどの育成行程がこれに置き換えられる上に農家自身の重労働も、かなり
       軽減出来るものと思われる。
       確証は無いが、年間を通じて栽培が可能になる事から、収量も上げられるだろう。
       最大の問題は、イニシャルコストであろう。

  【路地栽培農家】なら

    やはり、【花茗荷】と【茗荷タケ】は車の両輪にするべく、【茗荷タケ】の振興をめざす。

      ① 【茗荷タケ】の漬物等を作り、【花茗荷】の出荷時等にサンプルを付けて送るなど、
         商品化と、知名度向上を計る。(Webサイトでの通販なども活用する)

      ② 同業の仲間とスーパーでも売れる【茗荷タケ】の開発とセールスを積極的に進める。
            スーパー等で扱う条件のクリアー
                   → 第1歩:【茗荷タケ】の「知名度向上」と「安定供給」 

      ③ 生産コスト低減と、栽培効率の改善

      ※ 室栽培同様、野菜工場化は理想的だが、取引単価は1/5以下であろう事から、イニ
        シャルコストの回収を考えると、一般消費者に受け入れられる目安が付く迄はリスク
        が大き過ぎる。

   等と、勝手な事を書きましたが、世界的な和食ブームも手伝って、ブレークの可能性もある【茗
   荷タケ】、近々マイナーでは無くなる可能性も大いに秘めた食材なのである。

 

【母の味再び】

 

【茗荷タケ】、知名度としてはイマイチな食材だが、生産地などではどんな料理で食べられているのか
 調べて見ると、意外に幅広く応用されていて、やはり【花茗荷】と同様の 潜在的マーケット力を持っ
 た食材である。 むしろ、応用食材としては【花茗荷】以上かも知れない。

    薬味・天ぷら・サラダ~カルパッチョ・シャブシャブ、浅漬け・甘酢漬・味噌漬け・・・ 等々

   勿論、【花茗荷】と同じ食べ方もあるが、味噌漬けなどは茗荷タケの方が美味しそうだ。

   以下に幾つか料理のサンプルをご紹介しましょう。

   ◆ 薬味 ・・・・・ 路地物
          まさに、このブログを書く発端となった母の味。細かく刻んで冷麦や素麺の薬味
          として、また同様に刻んで、納豆に混ぜても美味しい。

   ◆ 鰹の付け合わせ ・・・・ 室栽培
          仙台の野菜ソムリエ S さんのブログ MIDORI な ヤサイ より、写真をお借り
          しました。
茗荷タケ料理-MIDORI.JPG

          新鮮なカツオにシャキシャキな茗荷タケ、美味しそう!
 

    ◆ 味噌漬け ・・・・・ 路地物

          実は私もまだ食べた事は無いが、韓流ドラマ・チャングムみたいに、茗荷タケの味
          を思い描いて見ると、およそ想像が付く。
          冒頭に掲載した写真を提供して頂いた、信州・伊那谷のTさんのブログ を見て、な
          るほどこう言う食べ方も有ったか、って改めて気付かされた気がする。
                (花茗荷の味噌漬けは知って居たのにね!)
          そのブログからお借りした写真がこれ、暖かいご飯がぴったり合いそう!
Taki-02.jpg

    ◆ 天ぷら ・・・・・ 室栽培 (路地物も有りだと思う)

          これは、特に説明は要らないでしょう ・・・・・ 省略します。

 

等々勝手な事を色々書きましたが、【茗荷タケ】は、もっとメジャーな食材としてブレークする可能性を持つ
美味しい食材である事に、お気付き頂ければ嬉しいですね。

 

【“九輪草”(クリンソウ)】、この花の原産国が日本である事は意外に知られていない様です。

    クリンソウ : サクラソウの仲間。単体の花は世界で400種以上と言われているサクラ
            ソウの仲間に共通で、花の外形からは殆んど同じで見分けが付き難い。
            しかし花の集合体である草としての体形は、サクラソウの仲間でも最も見
            見分け易い種類と言える。

            ハクサンコザクラやミチノクコザクラ等も同じ仲間であるが、専門家でも
            見分けが難しく、葉の形状・大きさ、植生地域、等で分類されているのが
            実態の様である。

            【クリンソウの】場合、花の付き方に特徴があり、一本の茎を中心に寺社
            の九輪塔の先端部の様に花が輪形に咲き、その輪形が段々と重なって咲く
            姿が、九輪塔に似て居る事から名付けられたと言われて居ます。
            花は下の輪形から段々と咲き登り、やはり下の段から順番に散って行く。
            個々の花の開花期間も1週間位ある為鑑賞期間も長く 千手ヶ浜の場合、約
            3~5週間位は楽しめる様です。 (年によって異なる)

昔は北海道から九州まで、日本の何処にでも自生していて「サクラソウ」の仲間では大型の花として
良く知られた花だそうである。

いつの間にか洋種の「プリムラ (Primula) / サクラソウラソウの仲間」が販売され、一般に広がった
為、「クリンソウ」も元来は外来種だと勘違いして居る人が多いのだろうか。


ともあれ、今年の花期は過ぎてしまったが、そんな日本原種の【クリンソウ群生の原風景】の一部を
ご覧頂きましょう。

 

   ◆ 日光中禅寺湖畔、千手ヶ浜・「乙次郎橋」付近
     ・・・ 左上に見える橋が「乙次郎橋」、橋が通る道の向こうが中禅寺湖2014.06.22  - 076B クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

 

   ◆ 千手ヶ浜 ・・・ こんな素晴らしい自然がこんな身近に
      (赤沼バス停・情報センターで購入=50円のガイドMAPより抜粋)
中禅寺湖畔・千手ヶ浜(クリンソウ群生地).jpg

    此処を訪ねるには、国道120号線の「菖蒲ヶ浜」か、「竜頭の滝」駐車場から、湖岸沿いに
    歩くのが一番いいと思う。

    軽いハイキングと花を楽しみ、晴れれば男体山等対岸のビューポイントも多数有り、時間と共
    に移りゆく風景は、行きも帰りも飽きさせない。 (片道約100分位)

    「歩くのが苦手」と言う方は、赤沼バス停(自然情報センター前)から シャトルバスを利用す
    る事になる。
    この場合、 ①時間帯に依って駐車場確保が難しい ②バス待ち行列が、行きも帰りも有る 
    ので時間にゆとりを持ったスケジュールが必要です。
       (クリンソウ最盛期はどちらも1~2時間待ちは、当たり前らしい)
    ただ、クリンソウの咲く頃は、小田代ヶ原や戦場ヶ原はワタスゲやレンゲツツジも見頃となる
    季節、帰り道は「小田代ヶ原」や「戦場ヶ原」を散策しながら帰るのもお薦めコースです。

    詳細情報は、「千手ヶ浜」「クリンソウ」をキーワードにWEB検索すれば、色々な、サイト
    が検索出来ます。

    私の前回の投稿、 【花ドライブ】(山野草 ・ 初夏 編) からも、日光市観光協会等へ リンク
    出来ますのでご利用下さい。

 

    今年はすでにクリンソウの花は盛りを過ぎてしまいましたが、  「来年は!」  とお考えの方
    は、以下の【クリンソウ見学ドライブ 実践録】が参考になると思います。
 

【クリンソウ見学ドライブ 実践録】


   ◆ 2014 - 6 / 22 (日曜日) 天気:雨天 ・・・ 同行者:兄夫婦

       朝6時20分、赤沼駐車場着 → バスは雨天で季節運行との事で、7:50発
       → 8:20 千手ヶ浜着 → 千手ヶ浜・クリンソウ散策
       → 10:40 千手ヶ浜発 → 11:10 赤沼バス停 → 他へ (以下省略)

   ◆ 千手ヶ浜バス停着時の風景
2014.06.22  - 001 クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

   ◆ 千手ヶ浜への途中にて
2014.06.22  - 008B クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

   ◆ 「外山沢橋」 ・・・ 後は中禅寺湖、下は泳ぐ魚が見える清流
                 日光白根山を源流として、中禅寺湖に注ぐ川2014.06.22  - 013 クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

   ◆ 千手ヶ浜に広がる、【クリンソウの群落】様々
2014.06.22  - 023B クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

2014.06.22  - 030B クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

2014.06.22  - 053B クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

   ◆ 川にはこんな魚も (24~25cm?位のサクラマスと思われた)
2014.06.22  - 048 クリンソウ群生(千手ヶ浜).JPG

   ◆ 近くを歩いていた小学生らしい子供が、 「ゴジラだ!」 って言ってたっけ
        (言われて見れば、納得! 何となく哀愁を漂わせた後姿に見えなくもない)2014.06.22  - 063 クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

2014.06.22  - 045B クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

2014.06.22  - 074B クリンソウ群生(千手ヶ浜).jpg

 

 実はこの日、雨の為殆んど雨傘が手放せない状況で有ったが、思ったより発色が良く見た目とほゞ
 変わらない写真になった。

 カメラはコンパクトタイプですべてカメラ任せ、おまけに花は最盛期を過ぎて “残り花” に近い為、
 クローズアップ写真は撮らなかったが、思ったより群落らしさが伝わる写真になったのではないか
 と思う。

 来る前にはこんなに花が見られるとは考えて居らず、「もう花期は過ぎてしまって、咲き残りの花
 が見られたら上出来」、「天気予報も降水確率60%」、今回は コンパクトデジカメ(コンデジ)
 で充分だろう ・・・ って思って来たのが、誤算でした。

 「もっとズームやマクロで撮れるカメラと三脚を持って来れば良かった!」 と、反省。

 その上で、来年はもっと早く、最盛期に来たいものと、痛感している。 

 出来ればもっと晴れた日に!!

         ・・・・・  私も リピーター になりそうです!

 

 参考 : 故郷・南魚沼市からも、意外に近いですよ!  

   ◆ Google マップのナビ検索で、兄夫婦が来るルートを検索した例
      (城内・上原~沼田~金精峠~赤沼茶屋・シャトルバス発着場)

      実際には、この時間に渋滞や休憩時間等をプラスして下さい。
南魚沼市・上原→赤沼茶屋.JPG

 

今回の【花ドライブ】(実践編 ②)は、前回 (実践編 ①で) 心残りだった光城山~長峰山の桜です。

GW前半の 4月29日。 天気予報では夕方から雨(現地も群馬も)との事で出発時は曇りでした。 

早朝6時、職場近く・群馬県の宿舎を出発、伊勢崎ICから高速へ→長野道・姨捨SA(約15分休憩)
→安曇野ICで高速を降り(午前9時10分頃)一般道へ→(一気に光城山へ)→山頂駐車場着:9時
20分頃。
天気予報通り、遠くの山は殆んど霞んで見えない状況だが、雲の間から北アルプスの山並みが垣間見え
る状況で、思ったより天気に恵まれた様だ。
桜も散り始めの状況だが、ハラハラと散る桜もまた風流で、残っている花も十二分であった。

 

目的地周辺MAP

   ◆ 安曇野市観光協会発行のガイドMAPより
安曇野MAP  A.jpg
 
  ◆ 上記MAPの今回ルート対象部分抜粋
安曇野 MAP B (光城山・長峰山・大王わさび田).jpg

   ※ MAP中の【安曇野IC】で降りたらすぐに信号を右折、田沢駅前を左折し、次の信号を右折。
     道なりに行って2つ目の左折路を左折して山道を登る。(入口が分かり難いので注意)
       山道をジグザグに登り、上り切った所を左に入ると光城山山頂駐車場が有る。(5~6台分)

 

【光城山】・・・桜と雲海・北アルプスの展望台

   ◆ 山頂の桜
2014.04.29 A- 019 光城山 (9.25 to 10.10).JPG

   ◆ 少し前後するが、【長峰山・展望台】から見た光城山・山頂の桜(ズームUP)
2014.04.29 B- 005 長峰山 (10.08 to 10.31).JPG

   ※ 右側の尾根伝いに【桜並木の登山道が下から続いている】
         ・・・大きな杉に囲まれて、山頂に「古峯神社」が祀られている。

   ※ この光城山・山頂からのみ、晴天で空気の澄んでいる時には【槍ヶ岳】の山頂が見える。
     その【槍ヶ岳】に流れを発して【上高地】(ここから見ると蝶ヶ岳やその左の大滝山の
     向こう側)を周って流れ出る【梓川】になり梓川SA付近で奈良井川と合流し、眼下を
     流れる【犀川】となる。   (「安曇野MAP」参照)
     前の投稿にも書いた通り、この【犀川】が、上杉謙信と武田信玄の戦いで有名な古戦場、
     「川中島」で【千曲川】と合流して【信濃川】となる。

 

   ◆ 光城山・山頂からの【槍ヶ岳】方向 (残念ながら、今回は雲の中!)
     ・・・晴れならばカラスが飛んでいる少し左上、常念岳と横通岳の鞍部に見えるのだが!
2014.04.29 A- 008 光城山 (9.25 to 10.10).jpg

   ◆ 少し移動して、【槍ヶ岳】(上からの桜の枝先端)方向をズームUP
2014.04.29 A- 022A 光城山 (9.25 to 10.10).jpg

   ※ やはり無理でした。【長峰山】からも同様に北アルプスの稜線が眺められるるが【槍ヶ岳】
      は【横通岳】に隠れて見えなくなる。

   ◆ 天気が良ければこんじな風に見えたでしょう  (2012年撮影の例)
光城山 1 (1).jpg
      手前に見える北アルプスの山名は【安曇野MAP】をご覧下さい。 わかり易いでしょう。

   ◆ 山頂でのスペシャルショット
2014.04.29 A- 027 光城山 (9.25 to 10.10).jpg

2014.04.29 A- 024 光城山 (9.25 to 10.10).jpg

2014.04.29 A- 025 光城山 (9.25 to 10.10).jpg

   ◆ 眼下には犀川を渡る長野自動車道と、ドライブイン【安曇野スイス村】2014.04.29 A- 016 光城山 (9.25 to 10.10).jpg

 

 

【長峰山】

  光城山から、車で約10分(今回は空いて居て、7~8分?)で【長峰山・山頂駐車場】。
   (駐車場は10台位のスペース有り)
  昨年は来られなかった為気が付かなかったのだが、山頂には立派な展望台が再建されて居た。

   ◆ 長峰山・展望台
2014.04.29 B- 004 長峰山 (10.08 to 10.31).JPG

   ※ 一昨年、旧展望台(展望櫓)の有った位置に建て直したのだそうで、頑丈で一回り大きく
      立派な建物に変わっていた。
      (一昨年4月末、友人と来た時にはまだ着工されて居なかったもの)

   ◆ 展望台からの眺め・・・残念ながら、アルプス展望は雲の為ほとんど見えない
2014.04.29 B- 015 長峰山 (10.08 to 10.31).JPG

     因みに、晴れて居ればこんな風に見えるはずでした (まだ桜には早い季節)
長峰山 3.jpg

   ◆ 長峰山の山頂では、桜がちょうど満開!2014.04.29 B- 016 長峰山 (10.08 to 10.31).jpg

2014.04.29 B- 044 長峰山 (10.08 to 10.31).jpg

   ◆ 眼下は「安曇野湧水群」のひとつ、【大王わさび田農場】 ・・・ 丸印2014.04.29 B- 018 長峰山 (10.08 to 10.31).JPG

   ◆ 【大王わさび田農場】ズームUP2014.04.29 B- 031 長峰山 (10.08 to 10.31).JPG

   ◆ 長野方向 : 右に見える高速道路はこの山の下を抜けて、安曇野IC方向へ2014.04.29 B- 033 長峰山 (10.08 to 10.31).jpg

   ◆ 長野自動車道・長野方向2014.04.29 B- 037 長峰山 (10.08 to 10.31).JPG

   ◆ 【光城山】方向2014.04.29 B- 011 長峰山 (10.08 to 10.31).JPG

  午前10時35分頃、長峰山・山頂を後にした。

  そして帰り道、山頂からも良く見えて、この前にも立ち寄った
  【大王わさび田農場】へ寄って見る事にした。

 

 

【大王わさび田農場】

  ほゞ午前11時、大王わさび田農場に到着。

  ここ【安曇野湧水群】を利用した【大王わさび田農場】は、何故か故郷・南魚沼市の【泉】
  と呼ばれる地域の昔の風景とよく似た、綺麗な湧水に恵まれた環境で、その川の流れや水中
  の水草等は、幼い頃魚を釣ったりカモの卵を探して遊んだあの頃を思い出させてくれる風景
  である。
  最も、故郷の【泉】では鱒の養魚場は有ったが、わさび田は無かったと記憶している。

   ◆ なぜか懐かしい湧水の川
2014.04.29 C- 009 大王 (11.03 to 12.05).JPG

   ◆ 作られたものと分かって居ても「癒される風景」
2014.04.29 C- 015 大王 (11.03 to 12.05).JPG

   ※ 川上に見えるボートで水路の散策も出来る様です。(勿論有料でしょうが)

   わさび田の写真は前回4/13のドライブで友人投稿の記事とダブる為、今回は1枚だけにします。

   ◆ 4/13 は真っ盛りだったわさびの花が終り、植え替え作業の様子だった
2014.04.29 C- 018 大王 (11.03 to 12.05).JPG

   ◆ わさび田の全体イメージ
2014.04.29 C- 001 大王 (11.03 to 12.05).jpg

 

  軽く昼食を済ませ、午後0時10分頃「大王わさび田農場」を出発。
  真っ直ぐに来たルートを辿り、(群馬の社員寮へ)帰宅。 (帰着:午後3時20分頃)

  

  【安曇野わさび田湧水群】と呼ばれるこの周辺は、数多くの道祖神も多く、天気が良ければ自転車
  でも借りてゆっくり道祖神巡りをしながら水辺や水田に映るアルプスの山並み等をゆっくりと眺め
  たい地域です。

  冒頭の【安曇野ガイドマップ】にも大王わさび田農場の右上に、【早春賦の碑】と言う文字が見え
  ますが、そこからの常念岳~有明山等も絵になります。
  「え! 早春賦の碑って、あの唱歌の?・・」って思い出された方も居られたかも知れませんね!

  そう、あの学校唱歌で知られた【早春賦】の碑です。 この地をイメージして作られたものとの事
  だそうです。   (参考までにYou tube の中の安曇野を背景とした【早春賦】にリンク)

  時にはこんな楽しみ方もいいのでは無いでしょうか?

 

  【参考データ】 (往復)
  走行距離:約440km、ガソリン代:約3,200円(156円/ℓ)、 高速代:約4,400円

 

  天候も、曇りでは有ったが雨にも逢わず、心身共に充実のドライブでした。
 

  しかし、分散型連休とは言えGWのさなか、渋滞を予測して早出をした甲斐も有ったのだろうが、
  光城山や長峰山が殆んど渋滞無く充分堪能出来た事はラッキーとしか言えないと、思う。
  大王わさび田農場でも、店の人に聞いたら、普段の休日と変わらず、との事。

  最も、ここ大王わさび田農場は午後の方が来客数が多いのだそうで、午後3時前後がピークになる
  のだそうだ。 (思うに、帰路、安曇野ICに入る前に立ち寄る人が多いのであろうか?)

   ☆ ドライブは、回る順路に依って、混み具合も大幅に変わるので、柔軟に工夫しましょう!

 

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