突然逝ってしまった亘を偲んで………

城内30景

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1景 広堀のえんて

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堰堤と書くのだろうか。 昭和20年代終半、全国各地で山間の渓流に至るまでダムが建造された時代があった。いわゆる公共事業のはしり。しかし、数年でダム湖は土砂に埋まり、ただ流れに段差をつけるだけのコンクリート、というシロモノになってしまった。

だが、50年たってみれば、さすが風化し、周囲の景色とも融合し、それなりの雰囲気がある。

 

 

2景 中手原のアキアカネ

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集落を歩いていたら、同年代ぐらいのおっちゃんが声をかけてきた。「夏になると、八海山の山頂がキラキラ光る。なんだと思う?」

十五夜ドンボ(アキアカネ)の群落だそうだ。へえー、梅雨時、羽化したアカネは夏の間、高原で過ごすという話は聞いたことがあるが、城内ドンボの避暑地は標高1700メートルの八海山山頂だったの。

でも、あんな小さな昆虫が山麓の集落から見えるのだろうか? ま、世の中には蜃気楼などという不可思議な現象もあるわけだし、見えるのだろうなあ。

 

 

 

3景 里宮 四月の雪

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4・5景 丸山橋 昭和と平成

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6景 あけごう(明川) 春うらら

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7景 岡の分教場

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集落最下部、十王堂の横に城内小学校岡分校があった。もう57年も前の話。これは最後の在校生で、うち2人は城内に現存している。

分校は翌年、山口の丸山橋の向こうに移った。

 

 

8景 上出浦いずこを見ても山笑う

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雪解けの山肌は墨のような味気ない黒色だ。ほどなく山肌にぽーっと赤みが増し、土色、紫色、褐色、枯れ草色、小豆色、萌木色・・・を混ぜたような何とも表現しがたい色相にかわる。木々の芽吹きの色が遠目にそう映るのだとか。これを季語で「山笑う」というそうだ。

やがて、稜線に現れたブナの新緑がそのエリアを広げ、あっという間に緑一色にかわる。

 

 

 

9景 上薬師堂の小さなやしろ

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集落宇田沢よりに、目を見張るような白亜の大館がある。美術館だとか。

そのわきに、忘れられたようにポツンと、小さな社がある。鎮守様だろうか?

わたしのような[異土のかたい]にしてみれば、大館よりこっちのほうに郷愁を覚えるのだが。

 

 

10景 下出浦の石仏

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11景 下薬師堂のひま人

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ひま人の名を上村としおという。

 

 

 

12景 野際の水飲み場

 

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この地域に水道がひかれたは昭和20年代から30年代にかけて。その時、辻角に水飲み場をつくる部落もあった。ただ、これがその時できたものかどうかは、知らない。

 

 

 

13景 みょうーちっぱら(妙智原)

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藤原からみょっち(妙音寺)へ行くには、ろくぶ(屋号)下から小道に入り、雑堀橋を渡り、その先墓場があり、栗林や萱場があり、桑畑があり・・・子供の足ではけっこう遠かった。ことに夕暮れ時などはオバケが出そうでおっかなかった。その妙音寺寄りのエリアをミョウーチッパラといい、おらしょ(わが実家)の畑があった。

現在は区画整理され、「この間、田3枚」と雄からのメールにあった。

 

※ 土改(土地改良事業)の計画が最初に示された時、「藤原とみょっちの間が、田圃3枚で繋がる」と聞かされ、ビックリしたもんだ。隣部落とは言え、子供にとってみょっちは遥か彼方。当時の大人も「たっぽ3枚だと!!」と驚いていた。
ところが今回、改めてGoole map で見てみたら、部落の上(かみ)の方では、たっぽ2枚だった。(雄)

追伸
昔書いたものを改めて読み直してみると、最初から「田圃2枚」と書いて有った。「この間、田3枚」と亘にメールしたこと自体、勘違いと言うか、記憶違いによるものだった訳で、歳は取りたくないものだ。(雄)

 

 

 

14・15景 藤原の鎮守様と一級下のめごくなし

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終戦時はテレビがないから夜することがない。そのため藤原ではあの家、この家、次々とめごくなしが生まれた。ことさら可愛(めご)くなかったのが、オジと呼ばれた次男坊。おれもそうだけど。

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図の左上からトクベのオジ、ジロベののぼる(これもオジだっけ?)、公一。下段左から、タヨ様のまさじ、クウジ新宅のきよし、サジベのオジ、みつはる、ねこ。

 

 

 

16景 法音寺桜散る

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このお方が、現南魚沼市長かな? 違うかな? なにしろ直接には存じ上げていないもんで・・・。

 

 

 

17景 古池やきよし飛び込む水の音

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へえー、こんなところに50年前の風景が残っていた。場所はジケのはずれ、愛宕さん下の古池。

ダイビングしているのは、いわでの末っ子きよし。18回生かな。おさむの弟。

 

 

18景 へんぞの民家

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19景 さんのう様せみしぐれ

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散歩しているのは、社会科担任の佐藤先生。あだ名は・・・・・・、

忘れた。

 

 

20景 新堀 家のわきから八海山が見える

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21景 新堀新田の誓い

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古来より、この集落には大酒のみが多く、「これでは仕事にならねえノイ」ということで、鎮守様の境内に碑を建て、全員で絶対禁酒を誓った。もちろん、その夜のうちにこっそり誓いを破る人が続出した。

ーーのではないだろうか、たぶん。いや、そうに決まっている。

 

 

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22景 上原 城内小学校昭和36年

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23景 長森 青葉のころ

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24景 長森新田の夜明け

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25景 六万騎の麓

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26景 下原の双子杉

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場所は、六日町から来て、下原角を右折してすぐの右側。左側のななめ下に三夜塔があ・・・あれっ? ない!

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ない、ない! 三夜塔が消えてもた。

さては、要造のヤローが学校帰りにいつもションベンひっかけていたので、取り払ったな。でも、それって50年前の話だし。

しかし、三夜塔はすぐ近くの麓方向に向かう道筋に引っ越し、ちゃんと残っていた。

 

 

 

27景・下原新田のかやぶき屋根

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28景 花水の観音様

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29景 泉のかま様(鎮守様)のうらて

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30景 泉新田のふるちん

 

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ゴン。やはり一級下のとんでもない悪ガキ。たしか泉新田の子だと思ったが、下原新田かもしんない。どっちにしても、夏になると城巻橋まわりをふるちんで走りまわっていたことに間違いない。

図は、その城巻橋の少し上手から対岸(大巻)を見たもの。それにつけても・・・・

ゴンかあ。なつかしいねえ。一度会いたいものだ。もし生きていたら。

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