やまびこの歌(広堀・山口)
この章は、城内の最上部・広堀から、丸山橋を渡り、山口集落までのスケッチです。
(下地図で道の色を朱に変えた所)
八海山山頂
清滝
広堀川
エンテ
堰堤と書くのかな? 広堀集落上部の川にコンクリート造りのミニダムが見えます。
昭和30年代、全国の川には、その上流にいたるまで、こんなダムが出来ました。
いわゆる公共事業のはしりで、数年もしないうちにダム池は砂で埋まり、ただ流れにコンクリートの段差をつけただけのしろものになってしまいました。
このダムもその一つだと思います。
でも60年も経ってみると、これが周囲の風景にとけこんで、それなりの風情をかもし出しています。
広堀の民家
広堀集落は広堀川にそっていますが、川との間にスギ林があるため、瀬音はすれど川は見えません。
私が歩いたのはゴールデンウイークのころだったのですが、足元にカタッコウが咲き、道端にはキノメ(アケビの芽)やアブラコゴミなどの山菜が出ていました。
どこからかウグイスの声が聞こえてきます。
水車のある池
家並みが途切れ林に入ります。やはり瀬音は聞こえています。
少し歩くと、とつぜん林の中に池が出現し、水車が回っています(回ってなかったかな?)。
タナが何段もあり、一番下のタナでおっちゃんがのんびり釣りをしていました。
養魚場のようです。
釣り好きのわたしはつい声をかけてしまいました。
「おっちゃん。釣れるかい?」
「釣れますよ」
へえー、おれもやろうかな。
「で、料金(おかね)はいるの?」
「もちろん」
やーめた。
ずっと後で、これが八峰養魚場だということを聞きました。
養魚場を過ぎるとほどなく林を抜けます。
視界が一気に開け、道と川がくっつてきます。
右手にポツンと、一軒だけの民家が見えます。
山口分校と丸山橋
これは、林を抜け眼前に視界が広がった所で、前図と同じ場所ですが、ずっと昔、私たちが子供のころの風景です。
正面に丸山橋、右手には城内小学校山口分校が見えます。
広堀はここまでで・・・、
このまま(橋を渡らず)直進すると、道はヘアピンカーブになっていて、曲がり切ったところが里宮(八海神社)。さらに中手原へと続きますが、今回は橋を渡って山口(集落)へ入向かいます。
ですが、その前に・・・。
広堀の人 サトシさん
何でも南魚沼市の総務部長だったんだって。
偉いんだね。総務部長といえば市の人事権の握っているわけだから。
定年後は、あの短い足で世界中の山を歩いているとか。
丸山橋今昔
昔の丸山橋
らんかんに昭和21年竣工と書いてあります。
橋の向こうに見えるのが山口分校。
今の丸山橋。
橋の向こうに分校はなく、洋風の建物が見えます。
同じく昭和21年もの。正面に八海山が入ったアングルです。
同じ場所で今見るとーー。
上図より少しだけ右上(広堀方面)にカメラが向いていますが、橋の上から八海山を見たものです。
それでは丸山橋に別れを告げ、下っていきましょう。
ほどなく山口集落に入り、昔ながらの一軒店が現れてきます。
峠の一軒店
城内の地を歩いても、立派な舗装道路とハイカラな民家。
知らない町を歩いているようで、故郷という感慨はあまりわきません。
でも、
ほんのまれに「いつか見た懐かしい風景」に出くわすことがあります。
それは何のへんてつもない、ごくありきたりの所の場合が多いようです。
これは、橋からすこし下ったところの店屋さん。前にバス停があったかな?
何のへんてつもないんだけど・・・、あっ 昔、八海山に行った帰り道によく目にした光景だ。
そんな感じ。
実際は、手前の水門はなかったと思うし、店のたたずまいも変わっているんでしょうけど。
山口の集落内
観音堂
田中の社(やしろ)
集落の最下部、宇田沢川側の田んぼの中に、小さな社が見えます。十二社だそうです。
以上で広堀・山口のスケッチは終わりますが、ここから先は、この地をモチーフに昭和を忍んでみました。
思い出の昭和・やまびこの里
山つつじ
ぜんまいもみ
山口分校プール開き(昭和47年)
山口の民家(昭和40年ごろ)
城内八景・八海の秋月
トラックバック(0)
トラックバックURL: http://hakkaisan-photo.com/mt-tb.cgi/904
コメントする