♪車輪の音もいしがしく
谷川岳を仰ぎつつ
やがてはくぐるトンネルは
我が東洋のほこりなり
へんな歌詞・・・
というなかれ。これは昭和のはじめ、上越線が全線開通した時に歌われた『鉄道唱歌』の替え歌。
だから、「♪キーテキイッセイ新橋を・・・」と同じ調子で歌いながら進んでください。
そうすれば、感じが出ますよーーほんのちょっぴりだけれど。
♪松川ループをつかの間に
中里駅を見渡せば
この地に産める木炭は
山と積まれて名も高く
♪薫る若葉をぬひながら
着くは湯沢のステーション
駅の彼岸の高台に
見るは湯沢の温泉場
♪上田富士をば右にして
石打過ぎて塩沢は
清水の谷も奥深く
薫る上布の名産地
♪鉄路の音も勇ましく
八箇の秋を偲びつつ
坂戸城跡の緑こく
出でたつ駅は六日町
♪魚野川原をさえぎりて
右手に仰ぐ高峰は
八海銀山駒ケ岳
荒沢岳もその陰に
♪青葉の里の大崎も
五日町より程近し
浦佐多門を拝しつつ
着くは小出の停車場
上越線生みの親
石打駅前に立つ岡村貢翁
明治期、下一日市(しもひといち)の庄屋・玉城屋に生まれ、上越線の建設にその生涯をささげたお人。
南魚沼郡長を経て、明治15年あたりから南雲喜之七さん(土樽村)らと建設ルートつくりに谷川山麓を歩き回る。
大正11年、その完成を待たず87歳の生涯を閉じる。
昭和4年、清水トンネル貫通。
昭和6年、上越全線開通。
次回は、現在の上越線を各駅停車で土樽から浦佐まで、スケッチしながらたどってみよう。
相変わらずほのぼのとしたペンタッチ。
上越沿線を郷里とする人の心をくすぐる画題選び。
次の掲載、待ち通しいです!
それにしても、「上越線版・鉄道唱歌」なんて知らなかったなあ!