つゆくさの歌(泉)
一口に泉と申しましても・・・。
城内の地を、東南から西北へ(つまり田崎から下原新田花水に向かって)流れているのが石万川。
その石万川に対して、少しだけ距離を置きながら、石万川とほぼ平行した形で、四つの集落が続いています。
上から中村、中泉、新屋敷、下村。
この四集落の集合体が泉。
元はそれぞれ独立していた四つの村が合併して、泉という村落共同体が出来たのか?
それともまず一つ出来て、あとは枝村的に増えていったのかは、文献が残っていないようなので、よくわかりません。
とにかく泉は、上原堺から魚野川まで続く城内一長い地区です。いや、魚野川の向こうにも泉の耕作地があると聞きました。
今回は、その泉地区を、中村から魚野川までたどります。
泉遠景
泉新田から、鎮守の森あたりを見たもの。
背後に八海山が大きくそびえているのは、写真を撮る時アップして、できた写真の構図を使って絵を描いたためです。
実際に八海山がここまで大きく見えることはありません。
中村
田中の一本杉
上原が終わったあたりの田中に見える一軒家。
これが泉(中村)の最上部の家と思われるので(間違っているかもしれませんが)、
ここからスタートします。
民家
泉には、江戸時代の文献に、上村という庄屋さんが登場します。
中村集落はほとんどがその上村姓。つまりは庄屋さんの末裔?
そのためか、豪邸が多い。
街道(国道291号線)沿の家
余談ですが・・・、
このへんにコンビニが出来ていて、
人影のほとんど見当たらない城内で、そのコンビニだけが元気に見えました。
このオッサンはコンビニとは関係ありません。
マサキさん。
中泉
かま神社
城内では山王様(田崎)に次ぐ立派な神社で、荒神信仰の鎮守様だそうです。
この神社周りの集落が中泉になるのかな?
それで、ここには神社の禰宜(ねぎ=神官の一種)の苗字だったと思われる野上姓が残っています。
三叉路
延命要造尊地蔵
三叉路のあたりに、こんな地蔵さんがあったような記憶があるのだが、、、。
あるいは地蔵さんではなく、地蔵さんのような顔をした子が実在したのかもしれない(昭和30年代)。
その子の名前がヨウゾウだった・・・?
うーん、あまりのも昔のことなのでハッキリしないなあ。
民家2景
新屋敷(あらやしき)
その昔、遁所(とんどころ)一族が新しい屋敷を建てて、ここに進出した。
それでこの地を新屋敷と呼ぶのだそうです。。
カズジさん
名前は、一二(イチ・ニィ)と書いてカズジと読みます。簡単でいいね。
古希(こき)のクラス会で会った時の写真をもとに似顔絵にしてみました。
左の絵はけっこうキリリとしまって男前に見えるでしょう。
でも右が普段のカズジさん。デレーッとやに下がって、スケベジジイそのものの顔ですね。
泉の人ということは知っていましたが、泉のどこか知りませんでした。
でも苗字が遁所だから、新屋敷だろうということで、勝手にここに入れました。
下村
ここまでくると魚野川はすぐそこです。
泉とは「湧き水」という意味ですが、ここに清水川というきれいな川が流れているけど、湧き水の川だろうか?
その清水川のあたりに二つの養魚場があります。
大昔、まだ魚野川にサケ・マスが遡上(そじょう)していた時代、このあたりは泉本村の漁場だったのではないだろうか。
そこにだんだん人が定住するようになり、村落の形態をなして、下村ができた?
泉ビール苑のあたり(今もやってるのかな?)。
もうそこが魚野川で、その川向こうにも泉の農地があるそうです。
11世紀のころ、魚野川に蓑輪島という中州があった。
そこに善照庵というお寺があったそうだが、それはこのあたりから行ったんだろうか?
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