ひまわりの歌(上原)
この章は、城内の中心地、上原です。
上原遠景
池田原からみた上原 背後の山は鬼の面(つら)
メイン通り
上原をタテに突っ切る通りは、城内のメインストリートで、かつては行政と商業の中心地でした。
小・中学校、役場、農協、交番、床屋、自転車屋、雑貨屋、呉服屋、仕出し屋、ちょっと引っ込んだ所に映画館、それからゲタ屋にオケ屋・・・。
でも、そのほとんどがなくなっちゃったね。
民家(上原最上部の方)
城内中学校
城内中学は廃校になってしまうそうで、その記念に(おっと記念なんていったら怒られるね、哀悼して・・・かな) 別途サイト(『さらば城中』)を作ってありますので、そちらをごらんください。
農協(JA)
十字路
鎮守様・ふたらさん(二荒山)神社
城内でたったひとつの茅ぶき屋根の鎮守様。
保守が大変だろうけど、このまま残してほし建物ですよね。
上原の人・カオルさん
ふたらさん神社を過ぎると、こんな顔のおっさん(もうジーさんやね)に会うかもしれなません。
最下部のあたり
通りもこのへんまで来ると人家がまばらになり、道の両脇に風景が開けます。
右手 下原新田方面。
左手、中村方面。
下(しも)から見上げた上原
メイン通りを下部の方で左折して、中村方向へ向かった所です。
そこで改めて上原集落を見上げてみました。
流れている堀は石万川かな?
八海山がバックに入っています。
横通り
小学校の辺りから、十字路を経由して、長原橋に至る通りです。
今回は長原橋で左折し、薬師様を訪ねました。
上原橋
この辺りは大きく変わりましたね。
十字路の方から来て、昔はここらで道が左方向にカーブし、カーブしながら丘になっていた。
登り切ったところに藤原雑堀(ざっぽり)にかかる橋があり、
橋の左手がミズオシ、右手に新田堀が流れ、その横がハコトヨ。。
そのまましばらく新田堀沿い進み、橋を右に渡った所にヘンゾ(干溝)があった。
それが、今はそのまま直進すると、すぐへンゾという感じ・・・。
でも、家並みや道路は変わっても地形は変わらないわけだから、やはり私の思い込み違いがあるんでしょうね。
城内小学校
学校前
時計屋とお茶屋さん
両方とももうないようです。
郵便局
長原橋
橋の向こうは長森ですが、今回は橋を渡らず、土手道を左折します。
すると製材所の横を抜けて、神社のようなものが見えます。
それは薬師様で、むかし上原のほぼ真ん中(十字路の少し下方)にあった社です。
薬師様
新開地
この辺りは藪地だったように思うが、整地されて家が建っています。
きれいな道もついており、このまま進めば下原新田の管領塚の辺りに出るはず。
とはいえ、整地されてからもう何十年も経っているわけから、今さら新開地という私の感覚がナジョショウモなく(何ともならんほど)古いってことなんだけど・・・。
稲荷様・きつねの嘆き
イヤー、参った。
久しぶりに散歩に出たら、車にはハネられそうになるし、子供たちには石をぶつけられるし、もうサンザンだよ。
え? オイラ。
オイラは向いの小さな森にすむキツネさ。
ちょっと、あそこまで行ってみる? 案内するよ。
昔はこのあたり一帯、森が続いていてね。
富士塚という城内一の石碑群があった。
オイラたちは、その広い森の中を自由自在、好き放題に遊んだもんさ。
今じゃあの社の縁の下が、オイラの住処。トホホ・・・。
それでね。
下原寄りの方にこうえん墓という場所があってサ。
そこでよく人間どもを化かしたもんさ。
(こうえん墓のイメージ図)
だから、昔のお母さんは子供たちにこう言った。
「あそこへ行ってはいけません。オバケが出ます」
今は逆に、親ギツネが子ギツネにこう言う。
「あそこへ出てはいけません。人間がいます」
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