うたげ(宴)の里(岡)
この章は、岡集落のスケッチです。
城内を三角形に見立てると、岡はその頂点に位置します。
だからどの道を上って来ても、いったんここに集結する。
そのため昔、ずーっと大昔ですよ、江戸時代よりもっと昔、神代のころやね。
そのころに多くの神仏がここに集まった。
どんな神様がいたかって? ざっと数えるだけで(子どものころの記憶)――、
南に観音堂、東に諏訪神社、西に十王堂。
集落内に修験宗永久院。その境内に金毘羅社、稲荷社。
道の分岐点に地蔵堂。
それ以外に神明社、八幡様も祀られていたとか。
さらには死神に貧乏神に疫病神・・・。
記憶違いがあるかもしれませんが、いずれにしても40軒弱の集落に、これだけの神仏がいました。
ところで神仏たちはここに集まって、何をしたのでしょう?
ま、いろいろあるでしょう。祭りの相談や、部落間のもめごとの仲裁等々・・・。
でも、やはり一番の目的は、それにかこつけた宴(一杯飲みの会)。
でも、本当は神仏なんて実存しないわけだから、それにかこつけた村人たちの宴。
この里には何となくそんなイメージがあります。イメージだけ(私の)の話だけど。
岡の遠景
宇田沢川方面から見る
鎮守様
山口方面から下ってきて、大名木沢、小名木沢と二つの沢を超えます。
鎮守様は小名木沢を渡った所に建っていて、ここから先が岡集落のようです。
バス停
近くの民家の軒下にチューリップが咲いていました。
民家2景
岡清水
昭和20年代、城内で最初に水道がひかれたのがこの集落だそうです。
地蔵堂
岡清水のすぐ隣にある。
江戸後期、この地は南城内村と北城内村に分かれていた。
その分疑点がここ。
まっすぐ行けば上原へ通じて北城内村。
左へ行けば新堀新田までつながり、南城内村.。
十王堂
十王とは地獄の閻魔様に使える十人(十匹?)の鬼。
思い出の昭和・岡分校
昭和30年まで十王堂の下に城内小学校岡分校があった。
分校は翌年、山口へ引っ越した。
岡分校最後の生徒とコマガタ先生。
トラックバック(0)
トラックバックURL: http://hakkaisan-photo.com/mt-tb.cgi/907
コメントする