突然逝ってしまった亘を偲んで………

よしきりの歌(泉新田)

 


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東京方面から来て、国道17号線・四十日(しとか)新道の交差点を右折すると、道は城内の真ん中を突っ切る形で、ほぼまっすぐに八海山まで続いています。

スキー華やかなりし頃は、シーズンになると四十日新道から八海山まで車がびっしり繫がったとか。

 

入口に大きな橋が架かっています。城巻橋。

その下を流れてる川が、魚野川。

橋を渡ったところの集落が、泉新田で、今回はここをめぐります。

 

 

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泉新田遠景

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橋の向こう側が泉新田。遠くに八海山がそびえています。

 

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魚野川の土手・泉下村方面へ

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城巻橋

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城巻橋に吊り架かったのは明治4年。

それまでこの地は(対岸の大巻と結ぶ)渡し場だった。

その渡し場こそ、この村のルーツ? 

 

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泉新田は旧名を飯島村といい、一説に泉の新田ではないという説もあります。

鉄道のない時代、川は大切な交通手段で、魚野川のはたにある飯島村などは、城内における川運の要所。

それはーー。

城内の里から出て例えば上州へ行く、あるいは長岡へ行くためには、三国街道に出る必要があります。

街道に出るためには、魚野川を超えなければならない。そのために渡し船に乗る。

その船着き場のある飯島村は、今でいう駅の役割を果たしていた。

また、すぐ上流に三国川との合流点があり、そこは五十沢から出る石材などの積み替え場として、基地的な役割を果たしていた。

もう一つ、江戸時代まで魚野川にサケ・マスが遡上(そじょう)し、泉村には川漁で生計を立てている家も多く、その人たちが漁に出る時の港のような役割を果たしていた。

ーーそんなかんなで、ここに人が集まり、仕事小屋や建ち、そして簡単な宿泊所や一膳飯家が出来た。

これが飯島村ひいて泉新田のルーツと考えられます。

 

 

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 集落内

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鎮守は十二社

 

十二社は山の神様で、三国川の奥の集落(畦地や小川など)の鎮守様は、みんな十二社です。

このことからも五十沢との関係をうかがわせます。

 

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魚野川

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昭和の悪がきども

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電話もねえ、テレビもねえ、スマホもインターネットもねえ、何にもねえ。

何にもねえけど、太陽と魚野川があれば、何にもいらねえ。

はじけるような笑顔で、みんないきいきしてますね。

ふるちんヤローは、一級下の悪がきゴン。

 

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城内八系

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