箱ぜんからちゃぶ台へ
昭和20年代の食事は、箱ぜんの前に正座し、黙々と食べた。
しゃべったら叱られる。行儀が悪い、と。
30年代になると、ちゃぶ台に変わり、一家団らんの場となった。
もちろん、おしゃべりOK。
食事中に停電になることもあった。
すると「ろうそく、ろうそく」と言いながら、母が立ち上がる。
「バ、バカ、ひとの足を踏むな。ろうそくはあっちだろう」「あら、ま」
と、父と母の間にちょっとしたもめごとがある。
でも、これは暗がりが原因だから。
ほどなく電気がつく。
そのあと、母は決まって陽気になり、父は不思議そうな顔になる。
「? んなバカな……酒が減っている??」
石場かち
これは昭和20年代くらいまでだったかな? 家を新築する時の基礎工事。部落総出でやった。
柱の立つ位置に穴を掘り、その中にガレ石を放り込み、「胴突き」という巨大な丸太で突き込む。
丸太には「突き縄」を結び、これを四方からみんなで持つ。
力いっぱい引き上げては、ドスンと落とす。
全員の呼吸が合わないとダメ。
その呼吸を合わせる役が音頭取り。
彼の発する「ヨイヤサー」というかけ声に併せ、声を出しながら綱を引く。
歌を歌いながらやる場合もある。
この時は、「それそれ」とか「まだまだ」とか、合いの手がタイミングよく入る。
そうして力を結集する。
絵をよく見ると(自分の描いた絵だけど)、
真面目に力を出しているのは女衆で、男衆の多くは音頭取りや合いの手役だ。
つまり、大きな声を出してはいるが、ちーっとも力を出していない。
いるよネ。
例えば、引っ越しのさいに皆で重い家具などを移動する時、声だけ出して力を出さない人って。
そのくせ、そのあとの「ふるまい酒」だけは、人の3倍飲む。
じじごたちばばあごたち
春分の日は太陽が真西に沈む。
その(太陽の沈む)彼岸(かなたの岸)には極楽浄土(ごくらくじょうど)があり、私たちの祖霊(それい)がいなさる。
祖霊とは、亡くなったおじいちゃん、おばあちやん、その父母、そのまた・・・といったように、代々続く私たちの先祖の霊。
この日は、この方たちが里帰りする。
子供たちが歌を歌って迎える。
でも、この歌はかなり不平等だ。
だって、ジサはのうのうと船に乗って帰ってくる。
で、バサだけ歩いて川を超えるのけえ?
そりゃあ、ねえべ。
バサ、甘えてばかりでごめんね。ジサはとってもしんどかったの。
知るか!
もしかしたら、これは私の記憶が逆で、歩いて川を超えるのはジサのほうだったかもしれない。
だろうなあ。たとえジサになっても・・・男じゃないか。
石ばかちの歌
石ば石ばが白銀ならば、建てる柱は皆黄金、面白や(「お目出度や」だったかな)
俺が実際に石ばかちを見たのは、こうじゃの家の石ばかちが、最初だったかどうかハッキリしないが、多分最後。
相変わらず、一瞬のうちに昭和の時代にタイムスリップさせてくれる。
恐るべし、“亘ワールド”!
そう言えば今朝NHKの朝ドラ(普段は見た事無いのだが)「梅ちゃん先生」で子供達が“月光仮面”を歌ってるシーンがあり、あの子達の年代がちょうど我々の子供時代と重なるなあ・・・なんて思ってた所だった。
ところで、「じーじごたち・・・」の歌、上原で育った俺は
♪・・・ジサ川越ーえて、バサ船に乗ーって・・・♪ と歌ったと思うが?
石場かちの歌も
♪石場石場の若松様よ♪建てる柱は皆黄金(こがね)よ
♪いっそいこっだな ♪エンヤラヤーのエンヤラヤー
と、歌ってた。
藤原と上原でこんなに違うものかと改めてビックリしてる。 (たった1?2kmの距離なのに!)