たんぽぽの歌(野際)
この章は、野際です。
野際は、松田一族15軒程度からなる集落で、県道から少し離れた野中にポツンと存在する。
「なら、野際でなくて野中とつければいいじゃないか」
「いやいや、実は、昔は山の際にあったのだが、ここへ集団移住した」
「なら、山際じゃないか」
「いやいや、昔は、野と山との境界線に位置するような場所は、山の方から見て命名したケースが多かった。里から見れば山際だが、山から見れば野際。だから野際で正解」
このようなややこしい問答はともかく、
この集落は――、、
「その昔、現在位置より5丁ほど離れた清水山の麓にありしを、宇田沢川氾濫のさい、決壊を恐れて現在地に集落ごと移住せし」
――とのことらしい(清水山とは、鬼の面の一角と推定できる)。
野際遠景
県道(薬師堂のあたり)から見ました。
野際への道
昭和40年ごろまでは、上原の最上部からななめに道がついていて、
部落に近づくとお堂があった。
(2枚ともイメージ図で、実物ではありません)
現在の野際入口
城内中央線なる農道が走っています。
同じ場所で
これは「八海山倶楽部」のトップページに使ってもらっているイラスト。
昭和30年代(まだ城内中央線はない)、この場所に立って八海山を見た、とい想定で描きました。
集落内
野際の一本杉
たな(池)のある家
八海山の見える家
道祖神(集落中央あたり)
若宮様
鎮守様(諏訪神社)
縄文の里
昭和30年代の風景
図、左手前が野際、右手奥が妙音寺集落。
その野際の字妙阿弥(あざみょうあみ)から縄文土器が発掘されたそうだが、妙阿弥はどのへんになるんだろう?
『城内郷土詩』(貝瀬幸咲・編纂)に載っていた野際から出土した土器。
下の方に佐藤広治氏発掘保管の文字が読める。
その佐藤先生からは、中学のころ、私たちも習った、
そういえば、部活の一つに社会部(?)があり、そこに所属する部員が「昨日はベト堀りをさせられた」と言っていたのを聞いた記憶があるような、ないような。
ベトとは土のこと。
もしかしたら佐藤先生の指揮下で、土器の発掘作業をしていたのかも。
(佐藤先生と社会部の部員)
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