つばくろの歌(新堀新田)
この章は城内の南玄関、新堀新田です。
新堀新田の古い地名が手元にありましたので、すこし紹介します。
1・沢田
2・宮の下
3・別され
4・政蔵屋敷
5・城新社
6・梶屋林
7・向田
8・前川原
9・上の割地
10・供養塔
それから田川、飯島川は、たごう、いいじまごうと読みます。
今は地形そのものが変わり、ことに南東の三国川沿いは工業団地になっているので、こんな地名も死語になっているかもしれません。
三国川洪水を鎮めるため、行者がいけにえになったという行者原は、たぶん10の供養塔のあたり?
鎮守様・十二神社
石碑群
土改事業(S50頃)で石碑を神社境内に集めた。
禁酒會の碑
昭和26年8月建立。みんなで禁酒を誓った。
そのわりに新堀新田には、大酒呑みが多いね。
火伏地蔵尊
文政4年(1821)太郎兵衛作。昭和48・12延命院前から移す。
茅葺屋根の鎮守様
前列子供たちがちょうど私たちくらい(団塊世代)。
昭和伊勢湾26年、台風で倒壊。
建て替え記念時の鎮守様
昭和35年に新しい鎮守様が完成しました。
そこに集まった女衆。和服が洋服に、日本髪がパーマネントに変っています。
♪ おくぅりぃーましょうか おくられましょうか
S40頃の神社内での盆踊り風景
集落内の民家
芳野屋
石垣の藤が綺麗な吉右エ門
庭先から姫ざくろの花がこぼれる東屋
新堀新田交差点
思い出の昭和
ぜんまいもみ
S56年豪雪 旧公民館と旧消防庫
土改前後 新堀新田の原風景
鎮守様のあたりから八海山をのぞむ
新堀新田東西南北
東・八海山方面
南・五十沢方面
北・上原方面
西・魚野川方面
水仙道路
石万川橋
鎮守横から上原へつながる城内中央線にかかる橋
街道筋
工業団地の案内板(11社)
雪国まいたけ工場
新潟砂利プラント
三国川橋
五十沢サイドから
城内サイドから
新堀新田親水公園
三国川ダム建設時の下流域整備によりスポーツ公園として造成された(H10)そうです。
今、公園では親子バーベキューやグランドゴルフなどがさかんに行われています。
橋の下流
その昔、三国川の洪水を鎮めるべく、人柱になった行者がいたと聞くが、このあたりか?
対岸のセメント工場のあたりに、供養塔という地名が残っている。
今はただ、一面にススキがなびくのみ。
魚野川との合流点
(川向こうの大巻より見る)
新堀新田の人・ノブタカさん
新堀生まれで、若いころ新堀新田に工房を建てて引っ越し、そのまま新堀新田の人になったようです。
今じゃ腕のいい木工職人で、何でも、学校林を伐採した杉材で、学校の長椅子や図書館の棚などを作ったのが、ノブタカさんだそうです。
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