やくっ(薬師)様の里(上・下薬師堂)
この章は、上・下薬師堂地区のスケッチです。
岡方面から県道にそって下薬師堂下部までたどります。
地名の由来について
城内の地名は実にわかりやすい。
山の口にあるから山口、長い森があるから長森、上の原っぱに出来たから上原・・・といった具合。
ところが、わからないのがこの上・下薬師堂。近くに薬師様なんて見当たらないし。
いや、実はあったんだそうです。
昔、長福寺の境内にお堂があり、その中に薬師如来(やくしにょらい)像が安置されており、後の世、本殿に移した。
それが上・下薬師堂という地名の由来。
ということらしい。
もちろん異を唱えるつもりはありませんが、何か後付のような感がしなくもありませんよね。
実は――、
1300年代(南北朝時代)に安居・編さんの『神道集 (しんとうしゅう)』という本が出ています。
全10巻・50話からなるもの。
その第19話に、こんな記述があります。
越後の国の―ー
一の宮を矢得子大明神
二の宮を両田大菩薩
三の宮を八海大明神 その本地(ほんじ)を薬師如来
――とする。
(※矢得子は弥彦、両田は西山町(現柏崎市)八海はもちろあの八海山。※本地とは正体の意味)
「新潟県ナンバー3の宮は八海大明神で、その正体は薬師如来である」
言い方を変えると、薬師如来が八海山に姿を変えてこの世に現れた、そう書いてあります。
なるほど、
薬師如来は、東の浄瑠璃世界(じょうるり・清らかな所)にお住みになり、左手に薬壺(やっこ)を持って、庶民を疾病から救ってくれる健康や生命の仏様。
八海山もまた、東に位置し、ここから太陽が昇る。
水も八海山(あるいはその枝峰)から流れてくる。
太陽も水も私たちの健康や生命の源。
背後にある中ノ岳や駒ヶ岳が浄瑠璃世界。
そう見立てると、八海山=薬師如来説も違和感がありませんね。
そんな八海山の真ん前で、山に対面していて、拝むに最適な場所ーそれがこの薬師堂地区ですね。
命名理由も(ホンマのところはわからんけど)こっちのほうが夢があるように思いますけど・・・。
上薬師堂
鎮守様
こじんまりした感じのいい社(もり)なのだが、背後の美術館が目立ちすぎ、少しわかりにくい。
長福寺
街道筋の祠(ほこら)
街道筋の民家
集落内の民家2景
下薬師堂
八幡橋
この橋あたりからが下薬師堂集落になるのかな?
民家
ちょっとひとこと。
実はこの集落は、もう一つ別の名前があって、それを長島という。もしかしたら、こっちのほうが古い名前かも。
長島のバス停
角の民家
昔は店だったような気がするけど・・・。記憶違いかも。
十字路
冬支度
十字路を下出浦方面に曲がったばかりの所だったと記憶しています。
八幡神社(鎮守様)
床屋さん
集落下部のほう。「せせらきの歌」でカジッカとりをしていたヒゲオヤジが、ここのマスター。
長島のひま人 トシオさん
下薬師堂の遠景
池田原より見る
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